日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 064

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さて、横道にそれてしまった話を再び元へ戻すことにする。

国内の一部に奇妙な噂話が流れ、物議を醸していることについては既に述べた。

無論、在日コリアンたちに付与された最大の特権「特別永住許可」が廃され、その全員が国外退去になるのではないかと言う噂だ。

噂なのである。

しかし、噂が噂を呼び国内には不穏な空気が漂い始めた。

国井官房長官の発言一つとっても、「時局多端の折から、注意深く情勢を観察しながら適切に判断されるべき問題だ。」とされ、いよいよ政府当局のハラは固まっているかのような観測記事が紙面を躍り、この件における該当者たちの更なる動揺を誘うことになる。

既に水面下では、その該当者たちが全ての資産を流動資産に変える動きが始まっていると言われ、一部の地域では不動産の値下がり傾向まで見られることまで報じられている。

その後、「政府活動は国利民福を増進することを以ってその目的となすことは当然のことであり、その場合の国利とは日本国のそれを指し、民福とは日本人のそれを指すのである。」との総理談話が広く報道された。

だが、全く不思議なことにこの国のマスコミにおいては、「国利とは世界中の全ての国のそれを指し、民福とは世界中の人間のそれを指すのである。」と聞こえてしまうようなヘンな論調ばかりが目立つのである。

中にはこの総理談話を捉えて、総理がいかにも酷薄非情の人非人であるかのような論評を加えるニュースキャスターまでいるのだ。

確かに、マスコミの主張するようなことが可能となれば、それはそれで人類全てにとって理想の姿だとは思うが、残念ながら国家の限り有るリソースを、他国のために大量に消費することが可能かと問われれば、その答えは明らかに否であろう。

何せ日本国は、理想に溢れた「世界政府」などでは無い以上、当然ながら他国の人民や法人に対する統治権を有しているわけでは無い。

マスコミの言う、そのような理想郷を日本一国で実現するためには、日本人自身が耐え難いほどの重税を覚悟しなければならなくなってしまうのだが、そんな覚悟の出来ている日本人には未だかって出会ったためしが無い。

筆者にしても、無論、そんな覚悟など出来てはいない。

例年行われる大枚のODAにしても、必ずしも拠出先のためだけに行っているわけではないのだ。

もとより、それについても、今日以上に日本の国益に適うような拠出を心掛けてもらいたいものではある。


さて、秋津州戦争以来世界情勢は絶え間なく転変し、さまざまにその色目を変えつつあるが、一点だけ動かないことがあると言って良いだろう。

総合的な国力の点で、日秋連合の右に出るものはいないと言う評価だ。

そもそも、世界のマーケットに参入するようになってからのこの日本が、常に最大の弱点として来たのは満足な天然資源を持たないことであった。

食糧や石油は勿論、その他もろもろの資源をほとんど自給出来なかったのである。

それが今では、その全ての補給路が、唯一秋津州ルートを確保するだけで立派に成り立つ見通しが立ってしまったことにより、言わば最大の弱点が解消されたことになるのだ。

しかしながら、日本が貿易を以って立国の基盤とするからには、生産した商品を購入してくれる相手が必要であることは言うまでも無いことで、そのためにこそ、諸国との付き合い方にもそれ相応の配慮が求められるのである。

相互互恵の精神を以って国際間に臨むことが、何よりも大切であることの証左でもある。

この前提に立ち、なおかつ必須の戦略物資が全て安定的に入手可能となれば、日本は、いよいよもって本格的に相互互恵の旗印を掲げることが可能となり、自然「オキュパイド・ジャパン」のマークも抹消される時期が近づいたと言って良い。

また、日本と秋津州の関係の緊密さを懐疑的に見る者も今は無く、日秋連合の圧倒的な存在感を否定するものも存在せず、この一方的とも言える国際バランスの上に立って、例の五カ国会議が持たれている。

無論、その参加国は米英仏独日なのだが、秋津州と言う強大な背景を背負った日本の発言ばかりが、極めて重いものになってしまうのもまた自然の流れであったろう。

この五カ国会議は専ら「影の安保理」とも呼ばれ、これを以って言わば世界の方向付けを為そうとするものであり、目下の議題は韓半島、中でも韓国問題を重要視していた。

世界に不安定材料を撒き散らしているこの国の現状を、このまま放置すべきではないとする点に限れば当然一致しており、その点では特別な異論など出る筈も無いのだが、現状では、日秋連合の対韓姿勢が冷然たるものであり続けており、根本的な解決策を見出すことが困難なだけなのだ。

まして、愚かにも韓国の方から「対日断交」と言う暴挙に及んでしまっている現実があり、この点一つとっても、日本の方から韓国に対して支援の手を差し伸べてやるわけにはいかないであろう。

目下のところ、米国がか細い支援を続けながら、その国の本格的な崩壊を既(すんで)の所で食い止めている状況だが、最早それすらも限界に近づいている気配であり、米国自身も手を引きたいのはやまやまだが、既に大混乱に陥ってしまっているその実情から言ってことは容易ではない。

韓国内には、欧米の民間人も数多く駐在しており、その安全な出国を担保するためにも、第七艦隊の主力を周辺海域に展開し、その強大な軍事力を背景とした撤収作戦が必要になるかも知れないのだ。

当然、膨大なコストをも覚悟しなければならない。

出来ることなら他の列強国にも、その責任を分担させたいのが本音なのだ。

いや、その本音はもっと我が儘なもので、自国だけがその責任を逃れ全て他国におっ被せたいところにあるのだろう。

ただ、バカ正直にそうとは言えない。

また、言って見たところで、現在のパワーバランスでは、いずれの国もうんと言うわけも無い。

一旦、踏み込んでしまった泥沼からは、そう簡単には足を抜けない状況に追い込まれ、困り切っていることは確かだ。

出費は嵩むし、在留欧米人の血も流れる。

暴徒の鎮圧に向かった駐留米軍にまで、死傷者が出始めているほどだ。

米国議会などでは、政治的な利用価値も無く、特別な資源が有るわけでも無い韓国など、早急に放棄して撤退すべしと言う声が高まって来ており、当然、韓国対策費としての特別予算など承認される可能性は極めて低い。

米国代表は、このような背景を背負ってこの席にある以上、せめてこの費用だけでもいずれかの国に背負わせたいところではある。

以前なら、いの一番に日本に背負わせたところだろうが、現在のパワーバランスから言って、日本に「うん」と言わせる自信なぞあろう筈も無い。

かたや日本代表は、あまり積極的な発言もせぬまま超然としている。

英仏独の代表たちにしても、これ以上カネを出してもまるで「ざるで水を汲む」ようなものだと言うばかりで、その国が既に滅んでしまっていると言う前提に立っているとしか思えない発言を繰り返し、哀れな米国の希望は到底通りそうもないことが益々はっきりするばかりで、結局自分で蒔いた種は自分で刈らねばならないことを、改めて痛感させられたことだろう。


また、対秋津州戦争において完膚無きまでに敗れ去った中露二ケ国は、既にこれ等重要会議の参加資格を失ったものと見なされており、北部朝鮮と共に国際的な舞台に復帰を果たすべく、秋津州の庇護の下に復興の槌音を高らかに響かせているさなかだ。

中でも北部朝鮮においては、各国メディアが情熱的に参画して積極的な情報開示を進めて来ており、欺瞞に満ちた前王朝の実像が徐々に民衆の知るところとなりつつある。

NBS(米国)主導で立派な報道機関まで立ち上がってきており、今では欧米諸国に関する諸情報も溢れるほどに報道されるまでになり、不完全なものとは言いながら、先ごろ暫定憲法が公布されるに至り、遂に初の総選挙まで実施されたと言う。

今では、それに基づく議会が開かれるまでになっており、そこで議論に付されている暫定憲法一つとっても、やがて一層国民の意思に沿うものに改定されて行く筈だ。

前王朝が惹き起こした対秋津州戦争に関しても、かなりの部分で公正な判断材料が提供され、自国が一方的に秋津州に与えてしまった惨禍をも充分認識し始めていると言う。

にも拘わらず、国家運営に関する費用でさえ、現在そのほとんどが秋津州からの支援によって賄われていることも知れ渡った筈だ。

現実に秋津州の支援の上に立った国家建設が息せき切って進行しており、秋津州の影響力ばかりが格段に大きいことを国民が知ってしまったのである。

永久原動機を動力源とした発電設備にしても完成間近かと言われている上、そちこちに広がる「はげ山」への植林事業も、秋津州軍の手によって早々と目処がついてしまっているほどで、ここに来て、新たに二百億ドルもの政府間援助が行われたことも極めて大きい。

これで、秋津州からの支援は都合三百億ドルもの巨額にのぼり、この莫大な外貨が暫定政府の執行すべき国家予算となって、すぐれて威力を発揮し始めているのである。

何せ、自力で食糧を得るすべを持たない貧民が国中に溢れてしまっており、本来なら全国的な騒乱に発展してしまうところなのだ。

それが実際には、前王朝の時よりもはるかに豊富な物資が秋津州軍の手によって搬入され続け、暫定政府の成立後、物資の配給制度も順調に機能し始め、国民を悲惨な飢餓地獄から開放していることも大きく報道されている。

もともと、まともな産業などほとんど育っていなかったところに、既存の特権階級は軍部でさえ崩壊し、それこそ国中が失業者で溢れかえり、国家建設のほとんどを白紙から行わなければならないことが、却って幸いしたのかも知れない。

秋津州の翼の下に抱かれている限り、新国家の設計図はほとんど自在に描くことが可能だったからだ。

ただ、その行政機構が全て不完全なものである以上、その間の秩序維持一つとっても、秋津州軍の駐留が絶対不可欠な条件となってしまっていることは軽くは無い。

長らく地下にあって反政府活動に身を挺してきた李首相は、内外に親秋津州路線を堅持する方針を明示しながら、新閣僚と共に政権を担い徐々に求心力を高めて来てはいるが、この閣僚の過半が収容所から救出されてきた者ばかりで構成されていることから、一部メディアからはその人材不足を不安視する声も聞こえて来るありさまだ。

このころには、かつての王朝が諸外国から拉致してきた多数の外国人たちも、一旦母国の手によって救出され、その後は自由に入出国を繰り返せるまでになって来ており、その政治的開放感は以前とは劇的に異なるものとなった。

自然、その実情が外の世界に向けて爆発的に発信されるようになり、その驚くべき変化の実態が、大衆レベルの生の声によって数多く伝わるにつれ、暫定政権の標榜する民主化路線が一時的なまやかしでないことが徐々に認知され始め、つい先ごろには、李首相が元首として初の外遊に発向し、秋津州を皮切りに日本にも立ち寄り、その親日秋連合のスタンスをより一層鮮明にした。

その国で活動するジャーナリストたちも、相当数が随伴を許され親しく取材する機会を得たことは勿論だが、彼等ジャーナリストたちの熱いエネルギーには更に驚嘆すべきものがあり、そのほとんどの者が、民主主義国家の建設と言う大事業に貢献すべく、すこぶる情熱的であり続けていたのである。

中でも、その情熱の発露が最も具体的な効果として現れたのは、欧米流の解釈による「開かれた近代史」を、くどいほどその国に流布させたことであったろう。

詰まり、つい一年ほど前までの、言わば閉ざされた歴史空間の闇を鋭く切り裂き、その暗黒の切り口に眩い光を投じて見せたことになる。

彼等は、「本当の真実」を発掘し発信することに情熱を滾らせていたのである。

その熱情は、「真実」の情報を発信すべく、高齢の証言者を複数発掘して来ることに成功し、その協力も数多く取り付けたようだ。

何せその証言者たちは、総督府の統治下にあった時代の体験者ばかりなのだ。

秋津州からの多様な支給品の中には大量のテレビ受像機まで含んでおり、ブラウン管の中に高齢者たちの登場場面が数多く用意され、彼等の若い頃の貴重な体験に基づく証言が繰り返し報道され続けた。

やがて、それら証言者の数は膨大なものとなって行き、前王朝が意識的に創作した歴史の信奉者たちとの間で、活発な討論まで行われるまでになって来ていると言う。

何しろ、両者の持つ歴史観は天地ほども違っていたのだ。

討論が白熱したものになるのも当然だ。

しかし、その国の民衆とジャーナリストたちが最も違和感を持ったのは、秋津州からの介入が一切行われなかったことだったに違いない。

完膚なきまでに敗れ去ったこの国の民にとって最も恐るべきは、いざとなればやはり秋津州軍であり、その恐るべき者が全てを容認していることが徐々に認識されて行ったのだろう。

自侭な発言が、薄汚い密告によって生命の危機にさえ繋がるとして当初こそ怯えていた人々が、おそるおそる口を開き始めたのも自然の成り行きであった。

政府や秋津州に対し例え悪口雑言を触れ回っても、一切咎めを受けないことが益々民衆に勢いを与えた。

長期に亘って海外に出ていた国民も徐々に戻り始めており、海外で得ていた情報を元に多数議論に参加して行き、やがて国論と呼べるほどのものが形成されて行くに違いない。

その多くがメディアの記録に残り、その記録を元にして再び議論が繰り返され、さまざまな『確かな誤り』が糺されることに繋がって行き、それが、全てその国の国民同士で行われ、何等の掣肘も受けずにそのまま報道されるのである。

過去の為政者にとって都合良く創作された自国の歴史が、あくまで「物語」に過ぎなかったことが次々と暴露され、同時進行で緻密な検証作業が行われて行く。

さまざまな情報開示と議論の結果、最も象徴的な変化は、千九百十年に成し遂げられた「韓日併合」についての解釈の大転換であったと言われる。

それが韓日両国政府の合意に基づいて行われたものであったことを、一部の国民が積極的に認め始めたのである。

朝鮮民族として、それがいかに口おしいことであったにせよ、大韓帝国の為政者が「韓日併合」と言う選択肢を選んだのは、当時の状況から見て、最善の道であったと言う見解が数多く聞かれるまでになった。

いや、本来の意味における最善の道とは、国家としての「自尊自立」であることに今も昔も変わりは無い。

だが、当時の大韓帝国はそのために必要な機能を持ってはいなかったのだ。

また、その機能は大日本帝国に奪われたと主張する者もいるにはいる。

いや、シナやロシアに奪われたとする見解もある。

ただ、同じ支配者として見比べても、大日本帝国はシナとは違って数千人の処女を献上しろなどとは、一度として命じては来なかった。

それどころか、あの日帝は、薄い財布の底をはたいて無けなしのカネを半島に送り続けてくれたのである。

当時の日本(内地)では、農民の二割ほどの者は食うや食わずで納税していたと聞く。

そのために、血を吐く思いで娘まで売り、歯を食いしばって納税していたものも多かったと言う。

東京の中央政府は、文字通りの血税を半島に注ぎ込み続けてくれていたのだ。

当時の日本は、そう言う世にも不思議な「支配者」だったのである。

その上その国は、欧米の文明を取り入れながら信じがたいほどのスピードで発展しつつあり、結局どうせ自立出来ないのなら、同じ「支配者」でもまだしも日本の方が増しだと判断した結果であったのだ。

それが嫌なら、あのロシアに支配されていた方が良かったとでも言うのか。

或いは、一千年の長きに亘り支配を受けてきたシナにすれば良かったのか。

但し、当時のシナは既に国の過半を失い、自らを守ることで精一杯の体たらくで、到底人のことなど構っていられる筈が無かった。

作られた歴史には、「日帝はハングルまで奪った。」などと書いてあったが、それにしたってとんでもない大嘘だったことも判明した。

実は、合邦前の半島では識字率自体が非常に低く、ハングルの読み書きなど全く出来ない者が驚くほどに多かったのだ。

日帝は確かに小うるさい道徳観を押し付けては来たが、数千もの学校を建て、学制を整備してハングルの読み書きまで教育してくれた。

おかげで、半島人の識字率が飛躍的に上がったのも確かな事実なのである。

詰まり、奪うどころか与えてくれていたことになる。

このいかにも象徴的な方向転換は、創作された歴史物語のあらすじを劇的に修正して行く道に通じており、破産してしまっていた祖国を合邦してくれたことに対して、日本に感謝の念を抱いていると発言する者まで出始めた。

また、当時の万国公法や社会通念に照らしても日韓合邦の正当性は明らかであり、植民地支配に関する賠償などと称して、日本に対して要求出来るものは一切無いとまで断言している者までいると言う。

この主張に従えば、日本の「朝鮮半島全域」に対する債務など最初からかけらほども無いことになり、将来北部朝鮮と日本が国交を結ぶ段になったときも、日本側が北部朝鮮に賠償する義務など一切無いことになるのだ。

挙句には、将来あの日本との間で「過去の清算」を行うとしたら、カネを払う義務のあるのは日本側では無く、却って我が国の方だろうと言う意見まで出る始末だ。

あの日帝は、驚くほど膨大な資産をこの半島に残してくれたのだから、いざ清算と言う話になれば、まずそれを返却するのが筋だと言う。

いずれにしても、合邦時代の大日本帝国が、韓半島に対して行ったさまざまの施策に関しても、少なくとも冷静にその功罪を論ずる方向が見えてきたことになる。

その議論の結果が、韓国政府がとうの昔に懐へ入れてしまっているモノ(戦後日本から得た膨大な経済支援)の半ばほどを、改めて返還請求すると言う行動を生んだのである。

「日韓基本条約」など関係諸条約をごく普通に読みさえすれば、この返還請求の持つ妥当性は子供にでも理解出来る話であり、その解釈は世界の国際法の権威と称される人々からも、おうむね受け入れられているほどなのだ。

挙句、あの「韓国」でさえも、「韓日合邦」についての正当性を、国際法理上においてはとうに認めている筈だとする議論までされ始めた。

その根拠は、日韓基本条約の第二条にあると言う。

日韓基本条約第二条(千九百六十五年六月二十二日)

 『千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。』

そこには、「もはや無効である」と謳ってある。

「もはや」とは、「日韓併合(千九百十年八月二十二日調印)に関する条約は、かつては有効であったが、今となればもう無効である。」と解釈するのが妥当なところであろう。

百歩譲っても、「日韓併合に関する条約が、かつて有効であったかどうかについては、今更ここでは触れないけれど、今となってはもう無効である。」と読むほかは無く、少なくとも、「日韓併合条約」そのものの有効性を遡って否定する文言などは、ただの一言たりとも含んではいないのだ。

否定していない以上、従来の両国間の取り決めごとはもともと有効なものであったことは明らかであって、この日韓基本条約の締結に代えて初めて無効になったことになる。

少なくとも千九百六十五年六月二十二日を以て、そう言う前提で、日韓両国が公式に合意していることだけは否定のしようの無い事実だ。

ところが豈はからんや韓国では、この日韓基本条約において「韓日合邦条約そのものが最初から無効であった。」とする取り決めを結んだ、と国民に向かって強弁する者が多いと言う。

念のため、以下に日韓基本条約の第七条を掲げよう。

そこには、こうある。

 『この条約は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。この条約は、批准書の交換の日に効力を生ずる。

 以上の証拠として、それぞれの全権委員は、この条約に署名調印した。

 千九百六十五年六月二十二日に東京で、ひとしく正文である日本語、韓国語及び英語により本書二通を作成した。解釈に相違がある場合には、英語の本文による。』

以上が、第七条である。

「解釈に相違がある場合には、英語の本文による。」とはっきり書いてある。

解釈に相違があるのだから、当然、第二条の「英語の本文」とやらも押さえておく必要があるだろう。

以下の通りである。

Article II

It is confirmed that all treaties or agreements concluded between the Empire of Japan and the Empire of Korea on or before August 22, 1910 are already null and void.

上記の通り、英文でも「もはや」は「already」と書かれてあるではないか。

韓国語ではどう書いてあろうとも、肝心の「英語の本文」では「already」とはっきり謳っている。

この「already」を韓国では、「始めから」とか「もともとから」と訳すのであろうか。

それとも、日韓併合条約のみならず、日韓基本条約まで無効だと言うのか。

これでは、国際条約など何度結んでも全く意味をなさなくなってしまうだろう。

或いは、彼等が日韓併合条約自体を「脅されて」、だとか、「勘違い」して調印させられたから無効だと言うのなら、安政の諸条約なども日本が黒船の武力に「脅されて」無理矢理結ばされたものだと主張し、最初から無効だと言い張っても構わないことになってしまう。

現に、当時の日本国内では、幕府が勅許も経ずにこれを断行したことが問題視され、さまざまな国内問題の火種の一つにもなってしまっている。

しかし、これとても、あくまで国内問題なのであって、条約を締結した相手国との間では有効のままであり、その後の明治政府は、この不平等条約の改正を相手国に認めさせるために、非常な努力を要したことも広く知られている事実だ。

この点から言っても、韓国側の主張には、到底正当性が無いことだけは『もはや』明らかであろう。

本稿における北部朝鮮では、そこまで議論が進んでしまっており、その議論の前提や進め方においても、メディア側の情熱的なリードの所為もあってか、極めて健全なものと評価されるに至っているのだ。

いずれにしても、その地では多くの国民が議論の場を持ち、韓日合邦を善悪の概念に沿って行われる議論など先ず見当たらなくなって来ており、一部とは言いながら「併合の本質的な理由は、自らが自主独立を維持するに足る能力を持ち合わせていなかった事にある。」とする見解すら聞こえて来ると言う。

少なくとも、韓日合邦によって半島側だけが一方的に被害を蒙ったとする見解に出会う機会が減少して来ていることだけは確かだ。

その上、当時の両国政府が取り結んだ条約がある以上、口惜しいが今さらどうにもならんと言う者もおり、日本の場合で言えば、安政の諸条約の締結に関して、「ペリー提督」を赤っつらの悪玉に仕立て上げて悪口を浴びせて見たところで、却って恥の上塗りになるだけだと言う。

長らく中華帝国の属国であった「朝鮮」は、当時、満足な統治能力を失ってしまっており、折角徴収した「税」でさえほんの一部しか国庫には届かず、その多くが中途で諸役人の懐に入ってしまっていたほどだ。

そこには、腐敗しきった李氏朝鮮の断末魔の姿があるばかりで、当時(併合前)の大韓帝国が破綻寸前の状況にあって、強力なボスに縋るほかに存続することすら困難な状況だったことが見え隠れしており、長いことボスの座にあった中華帝国自身も衰亡を極め、最早当てに出来ない状況である以上、いずれロシアか日本かのどちらかを、新しいボスとして推戴せざるを得なくなっていたに過ぎなかったのである。

なお、従前の創作された東アジア史においては、常に半島側が被害者で、日本のみが残虐極まりない加害者であり続けたかの様に記述されており、殊に、太閤秀吉の「極悪非道」の朝鮮侵攻(千五百九十二年~九十八年)と言う暴挙があり、半島側はひたすらこの件を言い募るあまり、半島側から日本に侵攻したことなど一度も無いと主張していたほどだ。

しかし、日本側から見る歴史では、世に言う「元寇」がある。

この「元寇」のことを、日本側では一度目を文永の役(千二百七十四年)、二度目を弘安の役(千二百八十一年)と呼ぶが、いずれにおいても、対馬、壱岐などは非戦闘員が無惨なまでの攻撃を受けてしまっている。

このとき侵攻してきた大船団はみな半島で建造調達されたものであり、その乗組員のほとんどが半島人であったことも明らかで、なおかつ戦闘員ですらその相当数が半島人で構成されていた筈だ。

単に、「元(蒙古系シナ)」だけが攻めてきたのではないのである。

また、日本(殊に北九州)が朝鮮半島からの武力侵攻を受けるのは、いわゆる「元寇」が初めてでは無く、それまでにもしょっちゅう侵略を受けていたことは何故かあまり知られてはいない。

壱岐、対馬などに至っては、いったいどれほど凄まじい侵略を受けて来たことか、それこそ枚挙にいとまがないほどだ。

当時朝鮮(新羅)からの来寇(侵略)は、八百十一年十二月、八百十三年二月、八百六十九年五月、八百八十四年九月、八百九十三年五月、八百九十四年四月、と記録に残っているだけでも日本側は甚大な被害を蒙っているのである。

無論これ等は全て朝鮮側による一方的な侵略行為であり、略奪、破壊、殺人、強姦、放火、拉致(連れ去り)などなど、未だにその土地土地において恐怖の伝説として言い伝えられているほどなのだ。

「刀伊の入寇」(千十七~二十一年)などと言うものまである。

このときの「刀伊」とは、北部朝鮮一帯を領土としていた女真族(満洲族)のことで、拉致された大勢の日本人を、後に新羅が一部奪還してくれた珍しい事例でもあるが、次に目立つところでは、「応永の外寇」と呼ばれる大規模なものがあり、時はまさに千四百十九年のことだ。

このときの襲撃者はその主体が李氏朝鮮政府に代わっており、主として対馬の糠岳(ぬかだけ)において激闘があった事から糠岳戦争とも呼ばれ、これも半島側の言い分を用いれば「倭寇」の鎮圧が主たる目的だと言う。

周知の通り「倭寇(和寇)」とは、当時朝鮮半島や中国大陸の沿岸部(一部内陸部をも含む)及び、その周辺領域においてしきりに活動していた海賊(山賊)をあらわす言葉だとされており、通常、十三世紀から十六世紀にかけて私的な貿易を行う武装商人と言う一面をも併せ持ち、殊に大陸側から見た場合においては日本人海賊を指す場合が多い。

一名「八幡船」と呼ぶこともあろう。

この「倭寇」について半島側の記録としての初出は、どうやら千二百二十三年のことであるらしく、その後の千三百五十年には、倭寇が慶尚道(朝鮮半島東南端)の各地を襲撃したことを捉え、朝鮮の国史はこれを「倭寇の侵、此に始まる」と記述している。

よほどの被害があったことは確かなのだろう。

だが、既に述べた通り過去数百年の長きにわたって、度重なる侵略を受け続けてきた北九州や対馬、壱岐などの民の存在が一方にあるのである。

侵略を受け続けた対馬や壱岐の現地では小さな漁船なども散々に破壊され、生き残った者も家族を奪われ、生活の糧を破壊され続けて来たことも事実で、過酷な運命の中で相当数の者がその生き方を変えたであろうことも想像に難くない。

いわゆる「流民」になる以外に無かったケースが大量に存在した筈だ。

既述の朝鮮の国史が述べている通り、千三百五十年に「倭寇の侵略行為がここに始ま」ったのだとすれば、そのいきさつから言って、殊に初期の倭寇が日本人中心で構成されていたとしても何の不思議も無いのである。

しかも、今ではその構成員の「国籍」自体、まことにあいまいなものだったことも判ってしまっている。

一例を挙げれば、朝鮮の国史「世宗実録」(千四百四十六年の倭寇についての記述)にもこうある。

「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」(無論、原文は旧漢字が多い。)

砕いて見れば、「(倭寇などと言うが実際のところ)倭人(日本人)は一・二割に過ぎず、あとは本国(朝鮮)の民が、日本人を装って徒党を組み、(朝鮮の)治安を乱している。」と読める。

くどいようだが、朝鮮自身の国史がそう主張しているのである。

実は、筆者などは幼い頃、「八幡船」絡みの英雄譚などには少なからず胸を躍らせたものであったが、何のことは無い、その正体は「かくの如し」であったのだ。

長々と述べて来たが、結局、我々日本人としては、太閤秀吉の「朝鮮征伐」一つを捉えて、ひたすら懺悔を繰り返していても何の足しにもならないことだけは確かだろう。

要は、長いこと互いに攻撃の意図及びその実行があったことになり、一方的な加害者などどこを探しても見当たらないことが歴然としているのだ。

このような状況を、我が日本では「お互い様」と呼ぶ。

ただ、少なくともこの日本は、たとえ一時的にせよ、大陸側からの侵攻によって、全国土を占領されてしまうようなことが無かったところにのみ、大きな違いがあるだろう。

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  1. 2005/12/24(土) 14:21:25|
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