日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 078

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さて、いかにも唐突だが、ここに、東京に本社を置く堂々たる一部上場企業がある。

世界中に支社を持ち、手広く事業を展開する「味の友」と言う総合食品メーカーなのだが、もともとは天然の砂糖きびを原料とする調味料から出発し、清涼飲料水や医薬品の分野においても名が有り、何よりも「ヒトに優しく」をポリシーとする、日本人にとっては馴染みの深い優良企業と言って良い。

しかもグループ連結で言えば数兆円もの売り上げを誇り、膨大な傘下グループの中には、先進的なバイオテクノロジーを駆使して農産物の品種改良を本務とするような部門まで併せ持つが、それがあのコーギル社と密接な資本提携関係にあることまではあまり知られてはいないだろう。

なお、この場合のコーギル社とは、無論、ダイアン・コーギルの父親がオーナーをつとめる世界屈指の複合企業体のことに他ならないが、近年秋津州産の鯨肉や多様な穀類までが専らコーギル社のネットワークに乗って流通しているとされることから、秋津州との特別な関係が取り沙汰され、近頃ではすっかりその影響下に入ったとまで囁かれている以上、この「味の友」と言う企業にしても秋津州との繋がりが無いとは言えないことになる上、同様にコーギル社と深い関係にある日本企業は他にも驚くほど多数に上っているのだ。

また、一方において、自動車産業や家電業界のように、PME(永久運動機関)を必要とする産業は世界に溢れてしまっており、その高度な技術は言うまでも無く秋津州の占有とするところであり、彼らにとっても秋津州は他に代え難い存在となってしまっており、このような背景を持つ以上、なおのことそれは屹立した存在であり続けるのも当然のことで、消息通と言われる者の言説を借りれば、その影響力は、マーケットにおいて既に世界を覆いつくすほどに肥大化しつつあることになってしまう上に、政治的な意味合いにおいても近年東アジア情勢が激変し、中国首脳による靖国神社参拝までが、ごく普通の外交儀礼として扱われるほどに象徴的な状況が眼前にある。

しかも、今般大韓民国が文字通り消滅し、新たに半島全域を統治することとなった政権にしても明らかに親日的な政治姿勢をとりつつあり、かつて中韓等の創作による近代史観が眼前に大きく立ちはだかり、それに抗うことが即刻商業的な損失に繋がっていたものが、今やこの色合いそのものが逆転してしまったのだから、日本の産業界が重視すべき対象としてのそれも当然大きく変化せざるを得ない。

今では日本の産業界の商業的ニーズが鮮やかに逆転し、あたかも鳴門海峡に見る渦潮のような激しい動きが起きつつあると言い、またある人は、その渦潮の中心にいるのは味の友やトヨベ、或いは家電産業の雄たる某社であろうとも言うが、そこから派生した巨大な潮流によって、遅ればせながらひそひそと変化を遂げる業界もあったのだ。

言うまでも無く広告業界とマスコミである。

殊に株式会社便通と言う業界きってのガリバー企業が、トップの交替を機にそのスタンスを大きく変えたと囁かれ、それに伴い、民放各局とその親会社たる新聞社たちも、呆れるほどに姿勢を変えつつあり、各紙各局が、敗戦後の自らの報道姿勢について挙って言及し、占領軍によって、全く本意としない内容の報道を強いられていたことを大々的に取り上げ始めた。

一種のブームのような状況になったと言って良い。

遂にはかのNHKまでが同調し、重々しく懺悔を始めたのには多くの日本人が驚かされたのだが、やがて「真相はかうだ。の真相」なる番組を流し始め、自らが戦後散々に報じた近代史に関する報道について、その内容は事実に基づいてなされたものでは無かったことを認めたばかりか、全てGHQの脚本に基づく以外、如何なる報道も許されなかった状況にあったことを強調し始めたのである。

詰まり、その当時、進駐軍に強制されて大嘘の報道を垂れ流し続けたことを声高に主張したことになるのだが、結局、全マスコミが近代史の洗い直し作業と称し、さまざまな過去の史実を積極的に取り上げるまでになった。

しかも、それらの「史実」は、従来触れられることの少なかった事柄で溢れんばかりであり、殊に千八百八十六年(明治十九年)八月に起きた長崎事件をテーマとする番組においてなどは、当時の時代背景を描写するにあたって、東アジア及び東南アジア領域においては、白人列強に侵食され続けた結果、独立を保っている国はほとんど無いに等しいことにも詳細に触れ始めており、朝鮮半島において消長して来た国々だけは、長きにわたって元、明、清の属領として存続して来てはいたものの到底独立国としての呈を成していなかったと言い、しかもその大清帝国自身が太平天国の乱によって自ら疲弊し、対外的には第一次、第二次アヘン戦争と立て続けに英国にしてやられてしまっており、西方からは、北の狼が露骨に侵食(イリ事件)してくる上に、千八百八十四年(明治十七年)から翌年に掛けて闘った清仏戦争にも敗北し、ベトナムの宗主権争いにまで敗れ去っていたとしていたが、実際歴史は我々に多くを語ってくれているのである。

その視点に立てば、この状況下において、大清帝国は国運を賭して北洋艦隊を建設したことになり、中でもドイツで竣工した「定遠」「鎭遠」と言う姉妹艦が当時としては途方も無い代物(しろもの)だったのだ。

何せ三十センチ連装砲四門を備え、船腹には三十六センチ近い装甲を施した最先端の巨大装甲戦艦であり、排水量一つとっても、当時の日本の主力艦の数倍にも当たるほどのものだったことは小さくない。

如何せん、日本の軍艦は当時未装甲(木貼り)のままで、備砲の威力においても哀れなほどに大差がある上、言ってみればその二隻の最新鋭艦は、衰運の大清帝国が世界に誇示し得るほどのものであって、やがて清国当局の命により勇んで国威発揚の旅に出る事となり、かくして栄光の北洋艦隊は日本に到来し、横浜、神戸、呉、長崎と巡航を重ね、行く先々でこの巨艦への参観を許し、多数の日本人にその威容を見せ付けながら巡って行くのだが、その旅は親善友好のためばかりでは無かったのである。

当時清国最大の実力者であった李鴻章の言にもある通り、まさにそれは、長らく見下して来た東方の小国を威服せしめるためのものと言うほかは無く、その気分は、北洋艦隊の水兵たちの間にも、その隅々にまで行き渡っていたであろうことは想像に難く無い。

その結果、艦隊が長崎に寄港の際、上陸した水兵たちが無法にも日本人警官に集団で暴行を加え、挙句に数百人もの人数を以て警察署にまで暴れこみ、大騒動を引き起こしたのが世に言う「長崎事件」なのだが、当時の清国兵が上陸時に傍若無人の振る舞いを見せるのは、目だって半島と日本に対してであり、清国側から受けつつあるこの耐え難いまでの侮りこそ、後の日本の針路にとって重く影を落とすことになる。

結局、この騒動においては、長崎現地の一般市民までが加勢に加わり、双方ともに相当の死傷者を出してしまうのだが、事後の二国間交渉においても、弱小であるが故に、日本側が不当に辞を低くせざるを得なかった気配が濃いことから、今般新たに報道された番組の中では、「両国の力の差が歴然としていたがため、日本側の苦渋が公式記録の行間から滲み出て来るようだ。」と言うナレーションが流れ、当時の日本人の切々たる心情をいみじくも代弁していた。

なお、この事件の起きた千八百八十六年(明治十九年)と言う年は、両三度に亘る英緬戦争を経てビルマ王がイギリスに降伏し、ビルマ(現ミャンマー)の残りの領土までが、全て英領インド(インドはとうに英国領)に編入されてしまった年でもあるのだが、この前年の千八百八十五年は、オランダ領東インド(現インドネシア)において、ロイヤル・ダッチ社(現ロイヤル・ダッチ・シェル)が油田の開発を行い、記念すべき初採掘に成功した年でもあったし、直ぐ隣のフィリピンなどはとうの昔(十六世紀後半)にスペイン領となり果ててしまっており、その地においても、先住民にとっては生存権すら保護されることは無かったのである。

現にオーストラリア亜大陸においても容赦なく「惨劇」は進行し、千八百二十八年にその全土がイギリスの植民地と化し、新たに持ち込まれた疫病や、スポーツと称して行われた凄まじい大量殺戮の結果、純血のタスマニア先住民などは、あろうことか文字通り「絶滅」させられてしまっていた。

その民は、獣などでは断じて無い。

紛うかた無き「人間」であった筈なのだ。

翻って、いわゆるアメリカなどと言うものは、当初英国によって囚人の流刑地として利用された挙句、ヨーロッパ各国の植民地となった後、紆余曲折を経て英国の植民地十三州に棲み付いた白人たちが、十八世紀末に至って「勝手に」建国した国であると言って良いだろう。

「勝手に」と書いたのは、判り切ったことではあろうが、「肝心の先住民の存念には全く配慮を払わずに」と言う意味であり、先住者が太古の昔から棲み暮らしていた土地を、合理的な理由もなしに、力任せに強奪したと非難されても弁解の余地は無い。

結局この慈悲深き白人どもは、膨大な先住者を徹底的に駆逐するに至るのである。

いや、彼ら自身の意識の底では「駆除」であったと言うべきか、さらには、安価な労働力として、主としてアフリカ大陸から黒人奴隷を盛んに「輸入」しながら、欺瞞と腕力を用いてひたすらその版図を拡大して行った。

ちなみにその建国は千七百八十三年のこととされ、日本で言えば十代将軍家治の治世の末期に当たり、既に日本自身も、ロシア帝国による重大な脅威を受けつつあったのだが、そのことによって、日本の各地で相当数の犠牲者を生じていた事実を知る日本人は少ない。

さて、多くの原住民の駆除に成功し、いよいよ白人の支配するところとなった「アメリカ」は大いに工業化を図りつつ、千八百四十六・七年に南方のメキシコを侵略(米墨戦争)、メキシコの北側半ばを奪取するなどしながら猛然と領土を拡張しつつ、時の大統領は日本へのペリー艦隊派遣を決定することになる。

何より記憶されるべきことは、この時点までの日米間に国交と言うものが一切無かったことで、その状況下で突如(千八百五十三年)浦賀に現れた米艦隊なのであり、あの砲艦外交が当時の日本政府(徳川幕府)を散々に悩ませ、我々日本人にとって忘れ難い衝撃を与えたことは間違いない。

この時の「アメリカ人」のとった人も無げな振る舞いこそが、その後の日本を、大きく変えることに繋がって行ったことだけは確かなのだ。

その後の「アメリカ」は千八百六十年代に熾烈な内戦(南北戦争)を経て自ら疲弊し、いっとき退嬰したがその後瞬く間に勢いを取り戻し、千八百九十八年には強引に米西戦争を引き起こしてスペインを完膚なきまでに叩き、猛烈な勢いで太平洋に進出し、フィリピンにおいて現地政権と衝突(米比戦争)し、現地人を大量に殺戮しながら支配権を確立するに至るのだ。

無論、英仏蘭なども支配地の拡張にしのぎを削っており、結局のところ、アフリカ大陸と南北アメリカ大陸、そしてアジア太平洋一帯まで全て白人列強の草刈り場と化し、インドシナ半島においても、辛うじて独立の体を保つことが出来たのはタイ一国くらいのものだったのだから、白人列強の手によるアジア太平洋への侵略劇は、当時の日本人にとってみれば、まさしくその眼前で進行していたことになる。

当然、当時の日本人は戦慄した。

当然であったろう。

こちらが泣こうが喚こうが、誰も助けてくれないことは現代にあっても同様だが、何せ現代とは先住民の自決権についての概念が違う。

キリスト教を奉じる白人列強の目には、非白人の異教徒の姿など全て未開人としか写らない以上、「未開人」たちをどう扱おうとも、そのルールは全て彼ら自身が定めてしまっていたのだ。

現代人としては信じ難いことだが、彼らの定めたルールにおいては、「未開人」はキリスト教文明に染まらない限り、速やかに「駆除」されるべき存在でしか無かったのである。

断言して置くが、当時無力な「未開人」たちは、白人世界に対して何一つ脅威を与えるようなことは無かった筈なのだ。

相対的な意味でその防衛力はそれぞれ問題にならないほどに水準が低く、だからこそ容易に侵略を受けて駆除されてしまったと言うほかは無いのだから、防衛力を持たず、可愛げのある微笑みを浮かべてさえいれば、殺されずに済んだわけではないのである。

そこに来てのこの長崎事件だ。

あの大清帝国までが日本を蛮夷と看做し侮蔑し、あまつさえ強大な海軍力を誇示して軍事的威圧をさえ加えて来る。

ことここに至って、如何に弱国とは言え、日本としても座して死を待つには忍びないものがあっただろう。

当然、眼前の北洋艦隊の脅威に対抗し得るほどの建艦の必要に迫られ、その建造費を捻出するにあたり「建艦公債」を発行したところ、清の示威行動に触発されていた国民が挙って応募したと言うが、実質的戦時公債を購入してまで、国民自らが欣然その意思を示したものと言うことが出来よう。

小国日本はそれこそ決死の想いで軍備を整え、これによって「明治二十七八年戦役(日清戦争)」を闘うことになるのだが、この戦役は、千八百九十四年(明治二七年)七月二十五日豊島沖海戦によって火蓋が切られたのだから、思えば、千八百八十六年(明治十九年)の長崎事件から数えて、未だ十年の月日も経ってはいなかったのである。

結果は、清国自身はもとより列強全ての予想をも覆し、海戦陸戦ともに日本側の文字通りの圧倒的勝利に終わり、この戦役における清国軍、殊に陸兵の戦闘能力に対する評価が、その後の日本人の精神構造に及ぼした影響は決して小さなものではなかったろう。

何しろ清国軍は、ときとして、将領みずから真っ先に遁走してしまうケースが数多く見受けられ、当然戦闘の指揮を執るどころの騒ぎでは無い。

とにかく、このときの清国兵には、日本軍の進撃に遭うと、あまりに簡単に陣を乱して逃げ走るものが多く、その敗兵は行く先々の現地住民たちに多大の災厄を齎す始末であったと言うが、何せその正規軍「八旗」は漢民族にとって異民族である満洲族(支配者層)の世襲制であった上、既に全く官僚化して軍としての実態を失ってしまっており、もう一つの正規軍として「緑営」が漢人だけの編成で存在したとされるが、やはりこれも物の役に立つ状況にはなかったと言われる。

これ等の職業軍人たちは、両軍合わせて八十万とも百万とも言われていたようだが、今にして思えば、日本の幕末期における「旗本八万騎」の内実を彷彿とさせるものがあったに違いない。

結局、正規軍が実戦部隊として有名無実であることが露呈してしまったため、代わって組織されたのが「勇軍」と「練軍」だったとは言うが、これもまたさまざの問題を抱えており、例えばその司令官の軍事素養一つとっても問題が無かったとは言えないだろう。

何と、彼らは文官だったのである。

真っ先に逃げる筈だ。

その上、そのそれぞれが縦割り行政の弊害をそのまま具現化したような別個の指揮系統に属しており、全軍を一括して統帥運用出来るようなシステムなど持ってはいなかったのだから、国家戦略に基づいた「戦争」など望むべくも無かったろう。

国家自体が老廃してしまっていたことが、この一事を以てしても明らかなのだが、一方の日本ではその後清国兵を弱兵と見る風潮が世を覆うほどのものとなり、それに伴う強固な固定観念が芽生え、やがてそれは軍部の中だけにとどまらず、日本人そのものの中に深々と埋め込まれてしまったと言うべきか、あろうことか、この戦役を境にして、今度は日本人が清国を侮るようになってしまうのである。

それはさておき終戦処理のために締結した下関条約では、その第一条において、それまで大清帝国の属国であった李氏朝鮮の独立を、わざわざ清国側に認めさせていることはとりわけ重大であろう。

これにより、初めて「大韓帝国」が誕生し、その王はやっと「皇帝」を自称することを「許され」たのだ。

一方、北方の巨獣ロシアは、太平洋へ進出するため、その玄関口としての「不凍港」を求め、南下の圧力を露骨に強めて来ており、現に千八百六十年には清国から沿海州一帯を奪い、その南端に建設した軍港の名をウラジオストクと名付けている。

日本海を挟んで日本列島を睥睨する軍港ウラジオストク、そのロシア語における意味こそ、そのものずばりの「東方を征服せよ」だったのであり、地図を見れば一目瞭然だが、そこから東方を眺めれば日本列島以外に何があるというのか。

だが、大ロシア帝国の版図において最南部に当たるこの軍港でさえ、惜しいかな冬季には氷結してしまい、その厳寒の気象が、如何なる艦船の出入りをも厳しく阻むのである。

従って、彼らがより南方に足掛かりを欲していることは、それこそ世界中が知っていた。

常識なのである。

このような情勢下で、朝鮮の宗主国であった清国自身が、既に自国の領土すら保つ能力を失ってしまっている今、日本人はおろか全ての列強の目には、朝鮮半島など単にロシアの南下のために用意された自然の回廊としてしか写らない。

当時の日本人の目には、李氏朝鮮の自主自立こそが、日本の生存にとって欠くべからざるものと写ったからこそ、日清講和条約(下関条約)の第一条にかくの如く謳ったのだ。

「清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」

(出典、アジア歴史センター「御署名原本・明治二十八年・条約五月十日・日清両国媾和条約及別約」。以前、戦費調達に関する話題でも取り上げたが、今回は原文のまま)

この日清戦争についてはもう一つの着眼点があってしかるべきであり、無論それは、白人列強の視界に写る日清両国の位置づけであったろう。

何せ開戦前夜における列強は、清国を「世界の列強国の一員と見做し、唯一無二のアジアの大国」と位置づけており、日本などとは比べるまでも無いと断じていた。

日本など、言わば員数外だったのだ。

ところがこの戦役によって、その評価が一変してしまった。

清国は膨大な人的かつ資源的基盤を持ちながら、いずれの戦闘局面においても、いちいち信じ難いほどに無様な負け方を演じ続け、その官僚組織の腐敗と無能振りを世界の観客の前に曝け出してしまい、そして一方の日本はと言えば、見事なまでに対照的であったのだ。

小国ながら、その国家システムを活き活きと運用し得る能力を存分に示し続け、その結果一気に世界の桧舞台に立たされることになったのである。

さて、この戦役の終了を告げる講和条約(下関条約)が目出度く(?)締結を見たのは、千八百九十五年(明治二十八年)四月十七日のことであったが、その直後日本人にとって戦慄すべきある「事件」が起こった。

いわゆる「三国干渉」だ。

その「要求」が、露仏独の三国から揃って突きつけられたのは、条約締結後一週間にも満たない四月二十三日のことである。

実は下関条約は、朝鮮の独立や賠償金の支払いと並んで、台湾や遼東半島の割譲をも謳っており、ロシア皇帝にとっては、なかんずく遼東半島の割譲と言う条文が気に入らない。

「割譲」と言うからには、未来永劫日本の領土となってしまうのだ。

そこはもともと自分が狙っていたところであり、それが日本などに割譲されてしまっては、あとあと何かと面倒なことになるから、名目上は、「アジアの平和のため」だとか何だだとか、心にも無い平和主義を振りかざし、返してやれと言って来たのである。

念の入ったことに、フランスやドイツまで語らい、さらには極東艦隊(ロシア海軍)をわざわざ山東半島の北方沖に集結せしめ、露骨に恫喝しながらの勧告であった。

ロシア皇帝としては、日本の返答次第では一戦も辞さずと言う強固な意志を示して見せたことになるが、当時の日本はロシア一国だけでも手に余る上に、さらにフランスとドイツまでが協調している。

要求を蹴れば開戦は必至であり、ロシアとの国力の差は無惨なほどに懸絶してしまっている上、清国との戦争にやっとけりをつけたばかりなのである。

戦後処理だけで手一杯のありさまで、とてものことに対露戦の準備どころの騒ぎでは無い。

初めから勝負にも何もならないのだ。

闘えば、無論必敗であり、敗戦の結果、皇居にはロシア総督が居座り、そこには帝政ロシアの三色旗が翩翻と翻ることになるだろう。

まして相手がロシアである以上、占領されたあとの日本列島からは、多くの日本人がシベリアなどの僻地に強制移住させられる運命にある上、日本人の人権どころか生命さえ保証の限りでは無く、私有財産などに至っては、めぼしいものは制限どころか問答無用で略奪されてしまう。

こう言った理も非も無いロシアのやり口は、後年見事に実証されることになるのだが、無論、それが昭和二十年のことであることは、今更言わずもがなのことであろう。

まして、現代とは違う。

当時の帝政ロシアにおいては、現に過酷な迫害を受けるユダヤ人等の少数民族の存在があり、敗戦日本だけが特別に優遇される理由など、何処にも見当たらなかったのである。

詰まり闘えば、日本人そのものが流亡の民と化す運命が眼前にあったことになり、文字通り万事休した日本は已む無く遼東半島を清国に返還したが、大国の横暴に屈せざるを得なかった日本人がすべからく歯軋りし、捲土重来を心に期したのも当然のことであったろう。

この件においての三国のリーダー格は無論ロシアであり、新聞紙上に「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の文字が躍り、当然民心は帝政ロシアに対する敵愾心で満ち満ちたのである。

なお、かの国(清)には、古来「夷を以って夷を制す(以夷制夷)」と言う言葉があるやに聞く。

野蛮人を掣肘するに、専ら他の蛮国の力を利用すべしと言う意味だが、清国当局からすれば、定めし「北夷(露)を以て東夷(日)を制す」であったろう。

但し、結果において、清国の思惑は見事に裏目に出てしまうことになる。

アジアの平和維持のためと称して返還させた筈の遼東半島は、こともあろうに、その後数年を経ずしてロシア自身が獲ってしまい、ドイツはドイツで膠州湾一帯を占領、フランスも負けじとばかりに広州湾を奪った。

名目上「租借」とは言うものの、その期限は延々と更新させられてしまうことから、実質半永久と言うべきものであって、清国当局としては如何ともし難い状況に立ち至ってしまったことになる。

何せ、大清帝国は対日戦に完敗したことによって、往年の「眠れる獅子」としての威望を完全に失ってしまっていたのだ。

眠っているとばかり思っていた「獅子」が、実はとっくに死んでいたのである。

少なくとも目覚めはしなかった。

この現実が列強に与えた衝撃は大きかったであろう。

今までのような遠慮は無用になったのである。

その脂身(あぶらみ)は見る見るうちに列強の餌食となり、満州及びその西方一帯をロシア、華南一帯をフランス、山東省をドイツ、揚子江流域をイギリス、日本も負けじと福建省の一部を勢力下に置くことになる。

こってりとした脂身の喰い合いが一段と激化し、猛烈な競争に発展してしまったのだ。

一方内戦(南北戦争)や米西戦争(対スペイン)によって出遅れたアメリカなぞは、「門戸開放」を唱え、均等な分け前を要求してくるありさまで、大国のエゴは容赦なく清国の主権を侵食するに至るのだが、とにもかくにも件(くだん)の報道特別番組が近代史の洗い直し作業を謳い、往時の出来事を史実として数多く提示して見せたことだけは確かだろう。

翻って、多くの報道関係者たちが事あるごとに主張することがある。

「権力に抗して真実を追究し、それを報道することを以て崇高な使命とする。」「社会正義を守る旗手となる。」などなど、我々がことあるごとに耳にするスローガンは、まことに耳障りの良いものばかりだ。

だが、現実はどうだろう。

果たして彼等は常に社会正義を守ろうとしているだろうか。

多くの場合それは擬態に過ぎず、殊に商業メディアにとって肝心なことは社会正義などにあるのでは無く、あくまでビジネスにあることは子供にでも判ることだ。

営利企業である以上潰れてしまえば元も子もない。

仮に全ての番組からスポンサーが降りてしまえば、ビジネスそのものが成り立たなくなるのだから、スポンサーにとって都合の悪い情報など、なかなか報道し難いのが実情だ。

突き詰めれば、所詮商業メディアなど広告・宣伝の媒体に過ぎず、まして、そのスポンサーたちのスタンスが近頃揃って豹変してしまったのである。

自然、メディア側のスタンスも大きく揺さ振られることになるが、メディアの内部にもさまざまな人間がおり、なかんずく憤懣を抱え鬱々としていた日本人社員が、大きく力を得る流れを生んで行ったことも小さくない。

こう言う流れが、もともと大きな底流としてあったところに、大韓民国の消滅と言う現象が国際的に「公認」される運びとなったのである。

言わば、このことを契機として、これまで鬱積しきっていた何物かを一気に開放させてしまったようなものだ。

戦後六十年にわたって、異様なまでに偏向した歴史観を押し付けられ続け、それは極めて不自然な形で抑圧されて来たのである。

無理に抑圧されて来た分だけ、反動のエネルギーにも激しいものがあった筈で、それは、自らもより強力なエネルギーを補填しつつ、遂には、内外に潜在していたさまざまな障害に勝るほどのものに成長して行ったと言って良い。

近代史に関する解釈や主張が転換し、戦後占領軍(無論主として合衆国)によって使用を禁じられた「大東亜戦争」と言う呼称一つとっても鮮やかに復活することになったのだが、このこと一つとっても、多くの日本人にはさまざまな想いがあった筈だ。

何せ、当時(戦時中)日本と言う主権国家が、正統な閣議を以て決定した正式呼称であったにも拘わらず、公人がかの戦争を指して「大東亜戦争」と呼んだだけで、即座に軍国主義者だなどと極めつけられ、轟々たる非難を浴びてしまうほど「異様な状況」が続いて来たのだ。

日本人の多くが、その正式な呼称を使用することが、あたかも犯罪行為ででもあるかのように感じるまでになってしまっていたのである。

それも日本が主権を奪われていた占領下ならいざ知らず、独立後であってなお、その状態が続いて来ていたのだ。

全く異常としか言いようの無い状況が、かくも長々と続いて来たことになるのだが、結局、日本の商業メディアのスタンスの大転換は、歴史、特に近代史に関する解釈を地滑り的に転換させてしまうのである。

メディアにおいて特別の採用枠によって採用され続けてきた在日コリアンなども一気にその勢力を失い、代わって事実を知りかつ事実を報道しようとする日本人が、報道の現場において多数を占めるまでになったのだ。

それを阻害する要因のほとんどが消滅してしまったことになり、これまで意識的に避けられて来た歴史的事実の多くが、それこそ洪水のように茶の間に溢れ出す事になったが、かと言って、当時の日本(軍)が企図したとされる謀略的行為についても、特別の配慮がなされることは無かった。

秘匿しようとする気配など全く無かったと言って良いのだが、ただ、当時の日本人がそれらの謀略を必要とした周辺事情についても、丹念に描こうとする姿勢が生まれたことだけは確かだろう。

なにしろ、当時はそこらじゅうに虎や狼がうろつきまわっていた時代なのであり、その中で、日本だけが赤子のように天真爛漫な外交姿勢を採っているわけには行かなかったことだけは確かであり、何にせよ、過去においてマスメディアが触れようともしなかった近代史の切断面が、極めて積極的な取り上げられ方をするようになったのである。

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  1. 2007/08/02(木) 12:42:33|
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自立国家の建設 079

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国家とは

この頃、秋津州の財団研究所から大気に関する直近のデータが公開され、それがかなり詳細にわたっていたこともあり、その驚くべき内容が大きな反響を呼んでいた。

何と大気中の二酸化炭素やフロン、メタン等が劇的に減少し、二酸化炭素濃度に到っては、実に産業革命以前の280ppmを下回る数値まで得られたと言うのだ。

少なくとも、工業先進国の全てが瞠目した。

これは、どう望んでも決して得られることのない奇跡的な数値と言って良いほどのものであり、事実とすれば、人類は産業革命以前の清浄無垢な大気を取り戻したことになるからだ。

かつて極地の天空に広がっていた巨大なオゾンホールも劇的に縮小して来ており、その他さまざまの汚染物質に関しても、全ての数値があり得ないほどの改善を見たとされ、秋津州財団の手になる大気の浄化作業は、ここにおいて一旦終了する旨の発表がなされたのである。

程なく発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のコメントは、秋津州の功績に対し最大級の評価を下した上、次はいよいよ海洋汚染対策に関してもその成果を期待したいと結んだ。

無論、各国政府も限り無い賞賛と感謝のメッセージを発し、メディアにしても揃って激賞したのも当然だが、当局筋よりもなお一層踏み込んだスタンスをとる論説が目だっていた。

確かに地球の大気は奇跡的な回復を遂げることを得たが、現代の汚染の進捗状況は、二世紀前のそれとは比較にならないほどその速度を早めてしまっており、秋津州がこの作業から手を引けば、大気中の二酸化炭素濃度などは、ほんの十数年で400ppmに達してしまうだろうとするものが多い。

現実には、各地で森林破壊や砂漠化が猛スピードで進行している上、猛烈な勢いで化石燃料を燃やし続けることによって、信じ難いほどに汚染の歩みを速めてしまっており、このままではあのアマゾンの大密林ですら、ほんの数十年でほとんどが砂漠化してしまうと主張する論説が目立つのだ。

また、IPCCなどは海洋汚染対策について、いかにも軽々とした表現をしているが、ことはそう簡単な話では無いと言う。

殊に中国の場合などは一段と汚染が甚だしいとされ、沿岸部に限らず内陸部からも膨大な廃水が未処理のまま排水され続けており、それが途方も無く河川を汚し、清らかな流れはまったく姿を消してしまっていると力説していた。

そこにはひどく汚染された汚泥が堆積し、その悲惨さは一世紀半前のロンドンのテムズ川や半世紀前の多摩川の惨状をはるかに上回り、最早絶望的とする論調さえ見かけるほどだ。

無論、汚泥にまみれた河川は今後更に付近の海を汚し続けるに相違無く、事ほど左様に中国の環境問題には深刻なものがあり、そこから齎される海洋汚染もまた特筆されてしかるべきだと言うのである。


一方の日本国内では、政権の座にある連立与党の混迷振りがさまざまに取り沙汰され、一段と激しい政情不安を招いてしまっていた。

殊に現内閣が、対馬の危機的状況に際して無為無策であり続けた事がメディアの格好の餌食となり、その政治的不作為を非難する声が巷に溢れたのである。

多くのメディアがまるで鬼の首でもとったようにして連日連夜報道し、無論それは多くの国民の知る所となった。

その政治的不作為がこうまであらわになってしまった以上、政権の求心力は大きく損なわれ、今後の政権運営にとっても巨大な障碍となって行くに違いない。

連立政権内の弱小政党が共倒れを恐れるあまり、いっときも早く離脱しようと考えるのも当然といえば当然で、その動きが表面化してしまうのもそう遠いことでは無いと見る者が多い。

やがて連立政権の支持率が急降下するに従い、メディアの論調も益々激しさを加えつつあるさなか、さらに絶好のソースとして新党「秋桜」の党綱領案なるものが「出現」し、一段と世上を賑わせることとなった。

例によってその出所については明かされることはなく、いわゆる典型的怪文書の一つではあったにせよ、その内容たるや、いかにももっともらしい文言で溢れていたことは確かである。

曰く、日本がごく普通の国家となるために、自主憲法を制定し正規に国防軍を持ち、新たに日米不戦条約を結んだ上で日米安保条約を破棄すべしとしているところなどは、直前の衆参同時選挙にあたり、民自党敗北の最大の原因となったスローガンそのものなのだ。

その他の重要な政策として、核燃料を自給出来ない以上原発は全てPME駆動方式のものに切り替え、核関連施設はその廃棄物をも含め完全に「消滅」させることを謳っているとされ、これなぞは民生党のスローガンの良いとこ取りだと言われても仕方が無い。

一言で言えば、平和利用も含め核を全否定した上で、一層確かな自主国家の建設を目指すと主張していることになり、強烈な民族主義的色あいを帯びているとして否定的に論ずる者も少なく無い。

それに対しても無論反論があり、自主国家であろうとする以上、国防政策にしても当然主体的なものであらねばならないのは当然だが、かと言って、何も全て一国だけで事にあたるべきだと主張しているわけではないとして肯定的に論ずる者もいる。

その解釈によれば、可能な限り友好国を多く持つことに努め、国際的重要案件については、友邦との間でその都度是々非々で議を尽くすべしとしていると言うのだ。

尤も、個々の国際的重要案件などと言ってみたところで、それぞれが断ち切り難い連環の中に存在し、別個の案件として扱うことは困難なものばかりであり、だからこそそれを処理するにあたっては、いわゆる高度の「政治判断」が求められることになる。

まして、個別の政策判断に対しては、それぞれ常に喜ぶ人とそうでない人がおり、万人が挙って喜ぶ政策など滅多に存在しないのだ。

この意味では、来たるべき高齢化社会を下支えすべき税制のあり方についてなどは、さほど掘り下げられているとは言えず、そのことに対する批判的な声も少なからず存在し、メディアは寄ると触るとこの党綱領なるものの話題で持ち切りとなり、賛否あいまって如何にもかしましい。

殊に、「可能な限り友好国を多く持つことに努め、国際的重要案件については、友邦との間でその都度是々非々で議を尽くすべし」と言う点などは、従来なら日本の国力や現実の国際環境に照らし、机上の空論として一笑に付されかねない論であったが、今は違うと言う声が強まっており、一言で言って、こと日秋連合体制とでも言うべき現下の情勢から言えば、この是々非々の議論も充分可能になったと言うのである。

詰まり、国際的な重要案件について以前であれば全く通らなかった日本の意向も、今後においては通せることが増えるだろうと観測していることになる。

一部にあった秋津州に於ける海自の合同訓練に対する批判的な声などは、皮肉にも全く影を潜めてしまった。

とにもかくにも、新党秋桜の党綱領と呼ばれるものがメディアに齎したところのものは途方も無く大きい。

そうこうする内に、在留外国人の犯罪率が急上昇していることが大々的に報じられたことも逆風となり、民生党主体の連立内閣の支持率が一桁にまで落ち込み、代わって国井内閣待望論が澎湃として沸き起こって来ていると報じるメディアが増えた。

国井の放つ民族主義的光芒を肯定的に捉える論調が目立ち、ここでもメディアの報道姿勢が大転換していたことが、見事に浮き彫りになったと言って良い。

都道府県ごとに外国人の犯罪データを徹底取材して報道するケースまで出て来ており、それによれば、現実に大量の不逞外国人が流入して治安が急速に乱れ始めているとされ、それに対する現内閣の取り組みを不徹底と見る論調が激増したのである。

前内閣が採った強硬な外国人対策を非人道的だとして盛んに攻撃していた筈のメディアまでが、一転してそれを大きく評価するまでになった。

もっとも、全てメディアが勝手に言っていることではあるが、とにもかくにも次期首相候補の人気投票の如きに至っては、国井義人が断然他を圧していると言い、その支持率は最低でも七十パーセントを誇り、あり得べきか、中には九十パーセントなどと言う数値まで報じられるまでになったのである。

無論その論調に於ては国井義人が既に新党秋桜の党首に擬せられており、その重厚な政治経歴と政治手腕がことさら声高に喧伝され、秋津州国王との緊密な人間関係ともあいまって、一部の政治評論家にいたっては最早救国の英雄とまで持ち上げ始めたが、肝心の国井本人は周囲の喧騒をよそに黙して語らない。

もともと国井と同心円上にあると目される政治家は多数を数えていた上に、その驚異的な支持率を見るにつけ、新たにその側近を以て自ら任じる者が激増しつつあるのも自然の成り行きではあっただろう。

近頃では、このような自称側近の身辺にさえ相当数の番記者が張り付くまでになって来ており、そのあたりからはさまざまなコメントが収集されてはいたが、ことの本質を表すようなものは一向に見えて来てはいないのである。


また、朝鮮半島では過日行われた統一大統領選挙の結果、親日秋と目される現職大統領による統一政権が発足し、荒れ果てた旧韓国領の復興事業も、秋津州軍の強力な支援体制のもとで極めて順調に進められていた。

朝鮮共和国は秋津州の翼下に今も歴然と抱かれており、そのことによって得ている対外信用が極めて効果的に作用し、即ちそのことがその国の復興を強力に後押ししていることは明らかだ。

政権が親日秋的な政治路線を選択した理由が実際にそこにあったにせよ、その選択そのものが一国の政権が行う「高度な」政治判断であることを、今更大声で叫んで見せる必要も無かった筈だ。

わざわざ口に出して言わなくとも、それは誰の目にも明らかだったからだ。

だが、現実に政府の政治姿勢、とりわけ竹島の放棄政策には飽き足らない想いを抱く手合いが少なくなかったことも事実で、そう言う手合いの間では、何よりもその復興資金の出どころが問題視され、そのことに反発する声も決して小さなものでは無い。

それは言うまでも無く秋津州から拠出されたものばかりであり、従来と異なりその事実があまねく報じられてしまっているため、今更否定することも出来ない。

その特殊な視界の中では、その秋津州人こそが、本来唾棄すべきあの日本人の成れの果てそのものであり、そのような者の支援によって復興したと見られることには、断じて我慢がならないと言う。

理屈はどうあれ、彼等の感情がそれを許さないのである。

更にその上に、竹島騒動のこともあり、半島に駐屯する秋津州軍に対する反感にしても自然大きいものがある。

しかし、現実には半島南部においてさえ、さまざまな社会的インフラの整備が急速に進みつつあり、PME駆動方式の発電所の建設に関しても概ね目鼻がつき、既に豊富な電力が供給可能になって来ている上、それらのほとんどが秋津州の恩沢に依拠するものばかりなのだ。

全ては、現政権の選択した政治路線の延長線上に展開する事象であり、何よりも、その政権を選出したのはその国の国民自身であった筈なのだが、多くの外資メディアの報じるところによれば、不穏な動きを見せる者がその勢力を増しているのだと言う。

喉もと過ぎれば何とやらと言う言葉もあるが、やがて性懲りも無く、反日秋、竹島奪還を叫ぶ者が又しても勢いを示し始めていると言うのだ。

一方、軍部に於ても政府の指し示す軍事予算を不当に過小と見る者が増大し、そのことに対する不満が鬱積していたこともある。

殊に再雇用された旧韓国軍の将領たちの認識の中では、他国との戦争を体験した訳でもなく、当然ながら敗戦の屈辱を味わったわけでもなかった。

単に、いつの間にか陸海空の全軍がその組織と装備を失い、気がつけば、旧韓国軍は実質的に滅んでしまっていただけの話なのである。

実に奇妙な現実であり、現役軍人としてはそれを納得出来るわけも無かったろう。

挙句に政府は、国土復興を優先するあまり、国軍の予算を徹底して削って来る。

何せ認められたのはほとんど陸軍予算だけであり、それも軽武装の歩兵部隊ばかりに重点を置くものなのだ。

その国の正規軍の手にはミサイルや戦車どころかロケットランチャーすら存在せず、さりとて米国人顧問団が勧める兵器を発注したくとも、その予算がまったくつかない。

空軍に航空機が無く、海軍に軍艦が無い。

ただ在るのは極度に鬱積した不平不満ばかりだ。

しかし事情はどうあれ、現実に国家が滅んでしまった以上、政府のこの政策方針は当たり前過ぎるほど当たり前の事であった筈なのだが、不幸なことにその国ではそれが判らない手合いが多過ぎたのである。

加えてその国の正規軍は一時的な失業対策と言う側面をも併せ持ち、軍属を含めれば既に三百万を数えるまでに膨れ上がってしまっており、それはそれで国内最大の政治勢力と変じていたこともあっただろう。

鬱積した不平不満は膨張を続け、やがて軍部によるクーデターが発生し、反日、反秋津州と見なされる軍事政権が樹立されるに至った。

その地には従来と違って国連旗を掲げた米軍もおらず、その上秋津州駐屯軍の介入も見られなかったために、あっけないほど短期間の内に武力革命が成功してしまったのである。

事前に情報を得ていたワシントンですら打つ手は無かった。

完璧にキャッチ出来ていた筈の秋津州軍からしてが、まったく反応を示さなかったことは確かであり、そうである以上、ワシントンだけが勝手に動くわけには行かなかったこともある。

せっかく正当な選挙で選出された筈の大統領も生死不明とされ、又してもその国の治安はその国の民自身の手によって失われてしまった。

常の通り相当の流血騒ぎが諸方に頻発し、現地の外国系メディアにしてもひどく錯綜した事態の中にあってなお、少なくとも現実に武力革命が起こり、朴俊植と言う古参中将が青瓦台に居座ったことだけは世界に発信することを得た。

だが、続いて金昇輝大佐と言う実力者が多くの若手を率いて決起し、朴俊植中将を逮捕したことから事態は更に混乱したが、少なくとも軍部が首都圏を制圧し、新たな軍事政権が発足したことを各国駐在公館に公告してきたことだけは確かだ。

その公告によれば新大統領は季郭淳中将とされたが、実権は金昇輝大佐にあり、季郭淳中将は神輿に乗っているだけだとの説もある。

一方の日本はその国との国交が無く表向き蚊帳の外であり、仲介しようとする国も無い以上、金昇輝大佐が行ったとされる獨島(竹島)の領有宣言も公式に聞くことは無い。

その後、金昇輝大佐が発動した獨島奪還作戦は、小船や漁船を動員して繰り返し行われたと言うが、目的地に到達する前に全て押し戻され、只の一人も上陸出来たものはいないと報じられ、大佐の日本非難声明ばかりが益々エスカレートして行った。

竹島騒動の全てを日本の悪辣な侵略行為と決め付け、口角泡を飛ばして抗議声明を発し続けているのである。

だが、いまのところ、直接秋津州に非難を浴びせるような公式発言は無いと言う。

合衆国を初めとする多数の国々の公館は当然その首都に存在しており、それらの外交使節団は専らシンジケートを組んで新たな軍事政権に対した。

混乱の中、米国公館に集結した彼等は早速外交官会議を開き、ほどなく衆議は一決した模様だ。

彼等とその本国政府が望んだのは偏に秋津州軍の駐屯の継続であり、当然それは半島の治安維持を望んでのことであったのだが、過去に於て毎月滞りなく発せられて来た駐屯継続の請願書は、その後発せられることの無いままに既定の十五日が来てしまった。

慣行によれば、その公文書は在北京の日本大使館に届けられる筈のものであったが、遂に届くことは無く、無論一言の挨拶も無かったのである。

経緯から見て、その国の意思は明白であった。

秋津州時の十五日を経過するや、半島の秋津州軍は世界の度肝を抜く鮮やかさで撤収するに至り、あまりに迅速な撤収劇に接した各メディアは、自然秋津州の真意をさまざまに忖度したが、秋津州側は駐屯を継続する根拠が失われた以上当然の措置だと言うばかりだ。

全て、もっとも至極のことなのである。

少なくとも撤退に当たって、当の秋津州側からは一切の疑義が出なかったことだけは事実であり、一部メディアの憶測記事によれば、朝鮮半島と言う重荷を降ろせることになった秋津州軍は大喜びで撤収したに違いないと言う。

何しろ、秋津州軍は膨大なコストを負担しながら駐屯していたのであり、そのコストが重荷で無い筈はない。

そして、秋津州軍が一兵も残さず去ったあとには巨大な集合住宅が無数に残されたが、既にそこには生活用水の供給手段が断ち切られてしまっていたのである。

その任務(生活用水の供給)一つとっても、全て膨大なSDによって担われていた以上、これも当然と言えば当然のことで、給排水能力を失った集合住宅などほとんどものの役には立たないことは明らかだ。

事の経緯から言って、当然今後は秋津州からの支援など論外の話であり、この現実に出会った先進世界は悉く戸惑い、その国の先行きには揃って不安を感じ取った筈だ。

無論、各国当局はその国の治安が保たれるようそれぞれの外交ルートを以て申し入れ、同時にその領域に滞在する自国民に対しては早期の出国を促さざるを得ない。

殊に合衆国の反応には殊更微妙なものがあり、さまざまな顧問団の半ばを引き上げて静観の構えを取り、重大な関心を以て秋津州の反応を見据えてはいるが、肝心の秋津州側は冷徹な沈黙を守り続けている。

喧騒の中、国王は無論のこと、外事部も新田源一もそのことには触れようともしないのである。

海都に在る朝鮮共和国の代表部も沈黙し、秋津州の外事部に対してさえ自国の革命政権樹立に関しては一言の挨拶も無いままで、挙句、さんざんに世話になってきた秋津州に対し感謝の一言すら無い以上、その国は、明らかに自らの意思を以て秋津州の衛星圏外に去ってしまったことになる。

半島では自然世上不安が拡大し、ほとんどの外資も撤退を考慮していると囁かれており、又しても経済危機を危惧する論調ばかりがメディアを賑わせ始めた。

安保理は勿論、秋津州ビルで開かれた五カ国(米英仏独日)協議に於いても主要な議題となってはいたが、独立国の内部で行われた政権交代である以上、結局のところ事態の推移を見守るほかになすすべは無い。

その国では、金昇輝大佐の手による粛清の嵐が吹き荒れ、親日秋派と目される者たちの多くが犠牲となり、辛うじて難を逃れた者も沈黙を守る中で、新大統領とされていた季郭淳中将が隠退を強要され、血煙の舞い立つ中で金昇輝大佐の国家元首就任が伝えられた。

彼の持つ強烈な排外的自尊精神が一部の反日集団から熱狂的な支持を集めているとされ、独裁政権は先鋭的な姿勢をいよいよ露にしつつ全土を制圧し、改めて国家建設のための民族の団結と言う旗印を掲げていると言う。

さらには、大佐は第二の「漢江の奇跡」を目指すとぶち上げ、部分的な計画経済を実行しようとしているとされるが、前回とは全く状況が異なっていることから、先進世界の冷ややかな視線を浴びることは避けられない。

国境を接する中露二カ国は、それぞれ厳重に国境を固めた上で新田の判断を待っているとされたが、難民の流出は既に始まってしまっており、その領域は、再びアジアの不安定要因の最大の発信源と化してしまったのである。


この件ではとりわけ利害の絡む国はやはり合衆国であり、タイラーの受ける訓令にも深刻なものが無いわけではなく、早速秋元雅と言う助け舟に連絡を取ったところ、珍しくもタイラーのオフィスにまで自ら出向いて来てくれると言う。

最近のこの娘は、各国外交筋から引っ張りだこになるほど絶大な人気を誇るまでになっており、どうやら、同じく秋津州ビルにオフィスを構える他国の代表部のいずれかを訪れていたものらしく、待つほども無く小気味良くヒールを響かせながら颯爽とやって来た。

タイラーにとってのその姿はいつ見ても好もしいものであり、近頃では若いながら一見して敏腕の外交官を思わせることすらあるほどだ。

例のイノシシの肉を調達出来ないことだけがいささか無念ではあったが、女性スタッフに上等のケーキを用意させた上で、精一杯ご機嫌を取り結ぶことにしたのである。

「最近は、なかなかの民間外交振りですな。」

「それほどのことでもございませんけれど、最近は何ですか、やけにご招待が増えたことは確かですわ。」

実は、つい今しがたも、同一フロアにある英国の代表部を訪れていたところであり、その用件にしても、少なくともロンドンの側にとっては決して軽いものでは無かった筈だ。

「あね上さまも相変わらずご多忙のご様子ですな。」

あね上さまとは無論長姉の京子のことであり、諸国の当局筋からは秋津州の筆頭政治顧問として見られることが多く、中には秋津州の女帝とまで呼ぶ者まで出て来ている。

「はい、貧乏暇無しだと申しておりました。」

「例の朝鮮半島問題がありますからなあ。」

さりげなく水を向けてみた。

「あ、その件でしたら逆に手が省けたと申しておりましたわ。」

日本人秋元京子と言う一個人がそう言ったと言うのだ。

「手が省けた・・・とは?」

「ですから、今後は気を遣う必要が無くなったと言う意味かと存じますが。」

「ほほう、では、今後はどう泣き付いて来ようとも一切応じないと?」

「・・・。」

女神さまは無言でケーキを味わっている。

「どうせ、又泣き付いて来るんでしょうが、しかし今度ばかりはどう言う顔していいか、さぞかし困るでしょうなあ。」

「・・・・。」

「尤も、その原因を作ったのは先方のほうですからなあ。」

革命政権が秋津州軍の駐屯を忌避したことは明らかで、それは取りも直さず秋津州の翼下を離れることに通じる。

「いずれに致しましても、さき様は立派な独立国でございますから。」

親切の押し売りをして見たところで、所詮恨まれてしまうだけの話なのだ。

「なるほど、それはそうですな。しかし、それであの国の財政が立ち行くでしょうかねえ。」

「それは、あちら様のやりよう次第かと存じますわ。」

どのような国造りをするかは、あくまでその国の人々が決めるべきことなのだ。

「身の程もわきまえず、大きなお世話だ、ほっといてくれと言ってるようなもんだからなあ。」

「・・・。」

タイラーとしては盛んに水を向けて見るのだが、女神さまはほんのりと微笑むばかりだ。

「我が国のビジネスマンも大分苦労している気配もありますし・・・。」

「納入した軍需物資の未払いがおありなのでしょう?」

合衆国企業は既に軍用車両だけでも三千両以上、銃と弾薬も膨大なものを納入済みで、その代金の過半が未払いになっている以上、ワシントンにとっても大問題であり、いかに民間レベルの取引きとは言いながら、購入者はれっきとした一国の政府なのである。

如何なる政府といえども、他国の政府によって自国民の利益が害されることは極力防ぐ義務を持つ。

ワシントンにしても重大な関心を払わざるを得ないのだろう。

「うん、このままデフォルト宣言でもやられた日には目もあてられん。」

結局、その国の財政が破綻すれば、主として米国の企業が損害を受けることになるのだ。

「おほほほ、ビジネスには常にリスクが伴いますものね。」

「そりゃそうだ。しかし今度ばかりは大分見通しが狂ったよ。もう少し親秋津州政権が続くとみていたんだがねえ。」

ワシントンにして見れば、秋津州軍がその国の武力革命を容認するとは夢にも思わなかったのである。

その結果誕生するのは、明らかに反日、反秋津州の色あいを帯びた政権であることは目に見えていたからだ。

秋津州の真意をさまざまに忖度する者は増えるばかりだ。

「・・・。」

「ところで、あの国の大統領閣下から我が国へ出兵要請があった場合、陛下のお許しがいただけましょうか?」

今や、生死不明とされている大統領だが、その身柄が現地の米国大使館にあることは秋津州のネットワークが軽々とキャッチしてしまっている。

「あら、大統領閣下が支援を求めてらっしゃったのは、秋津州陛下に対してだと伺っておりましたが。」

事実である。

ただ、秋津州側が応諾しなかったまでのことだ。

応諾すると言うことは、秋津州の武力を以てその国の軍事政権を駆逐することを意味し、無論新たに膨大な流血を覚悟する必要があるだろう。

「いや、ですから、その要請がワシントンに向けて行われた場合にです。」

これこそが、タイラーの負わされた最大の命題だったのである。

「あら、とても一民間人にお尋ねになるようなことではございませんわね。」

女神さまの口からオーケーのサインは出てこない。

ワシントンの願いは、容れられそうもないことが「確定」したのである。

「ふむ、やはりそうですか。」

「結局は今度も、親切が反って仇になったかも知れませんわね。」

その国の政府にフリーハンドを与え、一方的に経済支援を続けたことが裏目に出たことだけは確かだが、その国では過去においても同様のことが無数に行われてきたことは事実であり、その経緯を眺めてみれば今更驚くほどのことでは無い。

何せ、過去百数十年もの間、日本などはその国に幾たびも膨大な支援を送ったが、裏切られなかったことは一度も無いのである。

その国は、必ず恩を仇で返して来たことになる。

「陛下も、さぞお怒りのことでしょうな。」

「いえ、この前までは、お預かりしているお子たちのお里帰りに熱中してらして、それどころでは無かったようなご様子でしたわ。」

「ニュースでも大分取り上げられておりましたが、孤児たちにふるさとの景色を忘れさせないようにとのご配慮だとか。」

「はい、秋津州での日々も出来るだけ母国語を話させるよう、積極的に環境造りをなさっておられましたから、お里帰りの節も、不自由なく母国の方と会話が成り立っていたようですわ。」

「孤児たちが一人歩きするようになったら、母国に帰りたがるかも知れないからなあ。」

「はい、子等が母国で暮らす道を選択した場合にも困らないようにとのご配慮でございます。」

「そう言う陛下のお考えは、我が国の民間でもまことに好評です。」

「それに、近頃は財団の研究員の方とお出かけになることも度々のようでございますから、今度の朝鮮共和国のことには、あまり興味をお示しにはならないみたいですわ。」

詰まり、あの魔王は半島にどのような政権が誕生しようと、今更興味が無いと言うことになる。

「ほう、例のケンタウルスの件ですか。」

アルファ・ケンタウルス星団のことである。

この星団は我々の太陽系に最も近接した星団として知られており、三つの恒星と、未確認ではあるがそれらの惑星群から成っていると推測されている。

掻い摘んで言えば、太陽系から見て概ね四.二から四.四光年ほどの距離にあって、三つの恒星が互いに引き付けあいながら運行する「三重連星」を構成している星団なのだ。

星団の内で主たる恒星は、我々の太陽とほとんど同等の質量を持つリギル(リジル)・ケンタウルスA、次星はそれより若干小さめのB星であり、三番目の恒星はプロキシマ・ケンタウリと呼ばれる格段に小さいものだ。

「太陽系から見て概ね四.二から四.四光年ほどの距離にあって」と言うことは、現在の地球人が見ている星団の姿(光)は、地球暦で言って、四.二から四.四年ほど昔のものと言うことになる。

「はい、何ですか、松川先生と何度かお出かけになられたようでございます。」

松川徳治氏は、秋津洲財団の常任研究員の一人だが、実は先ごろあるデータを専門誌に発表して一部で話題になったのだ。

なんと彼は魔王の協力を得て、数回にわたってその星団の近くにまで移動し、直近の姿を観測して来たのだと言う。

「その方の持ち帰ったデータでは、確か、ケンタウルスの巨星二つが衝突して融合していると言うお話でしたな。」

「太陽とほぼ同等の恒星二つが融合したそうですわね。」

「しかし、大気圏外の観測衛星からも未だ見えないそうですな。」

その現象が未だ見えないと言う。

「おほほほ、だって太陽系から見えているのは四年以上過去の姿ですもの。」

その星団の現在の姿なぞ見える道理が無いのである。

「これはこれは、バカなことを言ってしまいましたな。しかし門外漢の我々にはぴんと来ないのだが、その結果この地球に大異変をもたらす可能性があるという話でしたが。」

「松川先生の説によりますと、その確率は二十パーセントから九十パーセントと非常に曖昧なものでございましたわ。」

「あはは、ほんとに曖昧ですなあ。」

「結局、データが揃わないからなのでしょうが。」

「あ、それで大規模な調査団を結成されたというわけですか。」

「何ですか、財団の研究室の方から各国の専門家の方々に、直接お話が行ったように伺っておりますが。」

「ところで、その大異変をもたらす現象・・・、えーと、何て言いましたっけ?」

「ガンマ線バーストのことでしょうか。」

「あ、それです。確かガンマ線が光速で飛んできて、地球のオゾン層を破壊してしまうと言う話でしたな。」

ガンマ線バーストとは、いずれかの宇宙空間から強力なガンマ線が放出され、ほぼ光速で飛んで来て地球に衝突する現象のことである。

この現象は今も日常的に多数起きているものなのだが、通常、放出基点が途方も無く遠方であることから、地球に届くころには、もはや甚だしく拡散放逸され、ほとんど実害の無いレベルにまで微弱なものとなってから到達することになる。

何せ、それらの放出基点は数億光年以上も離れた遠方のものばかりだ。

詰まり、日常的に起きているものの一般の人には特別に意識されることが無い。

ところが万一近距離の宇宙でこれが発生すれば、強力な勢力を保ったまま地球にまで到達することになり、程度の差こそあれ上空のオゾン層を大規模に破壊してしまう。

ちなみに、現今よく話題になるオゾンホールなどは、そのホール(穴)と言う名称からオゾン層に大穴が開いてしまったかのように思ってしまうが、実際には穴が開いたわけではなく、その領域のオゾン層の厚みが幾分薄くなっているに過ぎない。

オゾン層が少々薄くなっただけですら、生物にとってさまざまな害があると言われているくらいであり、ひるがえってこのオゾン層が全て消滅してしまえば、それは紫外線の中でもUVC波長のものを遮ってくれるものが失われてしまうことを意味し、その結果それが直接地表に届いてしまうことになる。

実は、太陽光線の中には、UVA、UVB、UVCなどさまざまな波長の紫外線が含まれており、中でもこのUVCは通常オゾン層で遮られ地表にまで達することは無い。

だが、実際にはこのUVCと言うやつが一番の曲者なのだ。

何しろ強力な殺菌作用を持ち、生体に対する破壊力がことのほか凄まじい。

地上や海洋域の植物や動物の細胞を破壊する力が強烈で、これをまともに浴びて生き延びることの出来る生物は存在しないと言われるほどだ。

耕地の作物どころか樹木や草は勿論、象であろうがライオンであろうが、生き物と言う生き物を全て死滅させてしまうほどの威力を持つ。

くどいようだが、オゾン層等、地表の上層に存在する大気が大幅にダメージを受けた場合、このUVC紫外線が情け容赦なく地表を直撃し、その状態が数年規模の長さで継続すると言われており、少なくとも大自然の食物連鎖の繋がりが断たれてしまうことは確実だ。

松川研究員の論によれば、ケンタウルス星団において『既に起きてしまった巨星融合』と言う自然現象が、大量のガンマ線をジェット状に噴出させたと言い、それが我々の太陽系に向かって光速並みのスピードで進んで来ているとされている。

「いえ、その可能性があると仰ってるだけですわ。」

ただ、この時点では専門誌は別として、一般のメディアは現実味のある話柄としては全く取り上げてはいない。

何せ、若者に随従して行かない限り、如何なる専門家といえども、ほんの数ヶ月前に起こったと言うこの巨大な自然現象を観測することさえ出来ないのである。

尤も、それを地球上から観測出来るようになったときは、ほぼ同時に例のガンマ線も到達してしまっている筈なのだ。

詰まり、現時点では全く現実感の無い話であって、自然、専門外の人々にとっては、未だ興味を引く話題にはなっていないのである。

「近々、大規模な調査団を送るご予定があるとお聞きしましたが?」

「そのようですわ。」

「わざわざ、観測用の特別仕立ての船もご用意なさったとか?」

宇宙に滞在してさまざまな観測を行うためには、それなりのハード面が充実されていなければならない。

言うまでも無くそこは無重力空間であり、そこに長時間滞在するだけでも、体力の無い人間の場合などは体調を崩すばかりか、深刻な疾病を誘発してしまう恐れすらある。

「はい、そのように伺っております。」

「しかし、万一それが本当のことであったら、ちょっと怖い話ですなあ。」

「まあ、地表の大気が破壊されてしまえば、生物の中でも殊のほかひ弱だとされる人類はこの地球には住めなくなることは確かでしょうね。」

女神さまは、本来極めて深刻な話柄に触れている筈なのだが、タイラーにおいてはそうではない。

「そうなれば、陛下のお慈悲に縋って荘園にでも移住させていただきますか。」

タイラーからすれば、現実感のある話柄とは思えなかったに過ぎない。

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  1. 2007/08/03(金) 21:53:26|
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自立国家の建設 080

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二千七年十一月十八日、国王と秋元京子の通信(若者は王妃と共に簡素な王宮におり、秋元京子は内務省ビルの最上階の一郭にいる。)

「陛下、少しよろしゅうございますか?」

「む、いかが致した。」

「久我商事の件でございますが。」

久我商事とは王妃の実兄、久我正嘉(まさよし)氏が代表を務めている筈の企業名であるが、対馬現地に設えた小ぢんまりとしたそのオフィスには、今も秋津州人女性が盛んに出入りしながら所定の活動を続けていた。

「む。」

「環境が整いましたので、そろそろ生産ラインの構築に取り掛かりたいと存じます。」

実は、アルミニュームの生産ラインのことなのだ。

「いや、しばらく待て。」

当時大量の秋津州人女性を対馬に送り込んだのも、かつて韓国から発せられた対日断交によって対馬の経済活動が大きくダメージを蒙ることを想定し、その一時的な支援対策として命じた臨時の方策であって、久我商事の事業としての収益性を云々することはさらさら無かったのである。

「お言葉ですが、経費倒れが甚だしゅうございますが。」

そもそも、その企業は、その目的からして莫大な経費倒れが発生することは最初から覚悟の上のことであり、その上現時点でさえまったく営業収入が無い。

営利企業として、肝心の営業をすら行ってはいない。

結果として既に百五十億円ほども突っ込んでしまっており、そのほとんどが、わざわざ渡航させた秋津州人女性の人件費としての支出なのだ。

彼女たちは現地にそれを存分に振りまき続けた上、その背後にある秋津州の存在感を絶えず印象付けて来た。

更に、霊光原発騒動に際しても彼女達が帰国の動きを一切見せなかったことにより、現地住民に齎した安堵感は決して小さなものではなかった筈だ。

詰まり、若者が意図した使命は立派に果たされたことになる。

「その程度の経費倒れは最初から織り込み済みの筈だったでは無いか。」

「お言葉ではございますが、(久我商事)設立のみぎり、アルミニュームの生産を主眼とするようお指図をいただいたと存じますが。」

「それは、あくまで形だけの設立趣意であろう。第一、兄者自身が望んでいるわけではあるまい。」

現に久我正嘉氏は名目上の代表を引き受けただけであって、久我商事の経営には一切興味を示さず、本人の希望によりつい最近まで「丹波」に滞在していた事実がある。

王妃の希望もあり、この兄には例の三人の侍女を近侍させた上、現地兵団の司令官にも特別の保護を命じてもいた。

なお、丹波のその地域では良質の砂鉄を多く産出するため、現地兵団に命じ玉鋼(たまはがね)を大量に生産させ、秋津州国防軍の象徴たる日本刀を作らせており、たまたま正嘉氏の趣味が鉄いじりであったことから、その「丹波」において作刀と言う趣味の世界に生きていたが、つい先ごろ地球に戻り、秋津州の村落に設えた鍛冶工房において趣味の作刀に余念が無い。

丹波滞在中のものも含めれば、既に数百振りもの多くを打ったと言う。

「では、経費倒れの許容範囲については、いかほどとなされましょうや?」

「取りあえずは、三百億ほどを目処とせよ。」

「もちろん日本円でございますね。」

「うむ。」

「承知致しました。」

「くれぐれも余計なことに手を出すでないぞ。」

「はい、現地にお金を落としながら、精子の採取に鋭意努めているところでございます。」

派遣している女性型ヒューマノイドに、そうとは知らずに男女の交際を望む者が跡を絶たない。

何せ彼女たちの多くは、揃いも揃って若く美麗な外観を具えているのである。

「ふむ、やはりそうであったか。」

例によって、全てはマザーたちの独断専行だ。

「以前から申し上げております通り、健全な精子のストックが底をついてしまいましたので。」

「そこまでする必要もあるまいに。」

若者はひたすら困惑の語調である。

「お言葉ではございますが、マザーの人工子宮は空(から)のままでございます。」

「歓迎すべきことではないが、それも已むを得まい。」

「それでは、今後ご一族のご誕生は不要と仰せられますか。」

「そうではない。既に我が一族はこの秋津州に大勢おるではないか。」

「はい?」

「例えば、新田氏などもその一人であろう。」

その新田の周囲には、岡部以下なお十数人の同志が日本を守ろうと日々懸命に活動しており、秋津州の潜水艦を操る加納二佐やその仲間たちも大勢いる上、近頃では、あのダイアンまでが頻繁に顔を出すに至っている。

「しかしながら・・・」

「それに、そなたの申す精子の採取とやらは、協力者たちの積極的な同意など、とてものことに得てはおるまい。」

「はい、一切、事情を打ち明けてはおりません。」

うかつに事情を打ち明ければ、秋津州の国家的な機密事項に触れざるを得ないのである。

「そうであれば、なおのこと不埒なことになるでは無いか。」

提供者の意思を無視して行えば、倫理上においても非常な問題があるが、それが彼女たちには判らない。

「左様でございましょうか。」

言い尽くして来た通り、若者と彼女たちとでは、このことについての優先度が全く違ってしまっている。

「第一、そのようにして生まれて来る赤子が哀れではないか。この場合男親自身がそれを望んではおらぬのだぞ。」

従来の場合、精子や卵子の提供者は若者以外は全て過去の秋津州人であり、その使用目的についても全て積極的な同意があったが今度ばかりは全く違うのだ。

「・・・。」

「判らぬか。親に望まれずに生まれて来ることほど悲惨なことは無いのだぞ。」

「・・・。」

無論、彼女達ヒューマノイドにそのような感覚は無い。

「その子らが成人し、やがて自らの出生の秘密を知ったときに、一族として果たして健全な連帯感を持ち得ようか。」

そのような方式で出生させられたと知れば、反って恨むことになるかも知れない。

「それでは、この方法ではご一族の繁栄の妨げとなりましょうか?」

「当然である。現に私自身も、父君と母君にともに望まれて生まれてきたと思えることこそが生きる糧となっておるのだ。」

このことを強調しておかなければ、恐らく肝心のマザーが宜わないだろう。

「それならば、致し方もございません。いままでの採取分は廃棄させていただきます。」

「判ってくれるか。」

「はい。ご一族の繁栄の妨げとなるとなれば、致し方もございません。」

一族の繁栄こそ第一義としている以上、折角苦労して誕生させた子供たちが、将来秋津州人としての連帯感を見失うのであれば、それこそ何の為の苦労なのか本末転倒も甚だしいことになってしまう。

「うむ。今後は一切ならぬぞ。」

「承知致しました。」

「それに、ケンタウルスの件もあろう。」

既に、マザーには相当なデータを渡してある。

「荘園現地の準備の方はいかがでしょう。」

「うむ、本格的に始めさせておる。」

「ファクトリーから相当のものをお運びになられましたから、工事もかなり大規模なものになろうかとは存じておりました。」

若者は人類の避難先として丹波を最適のものと判断しており、既にそこには、既存の兵団のほかに、新たに三個兵団を派出して環境整備に当たらせており、その作業量も又天文学的なものと言って良い。

「残念だが、そうならざるを得まい。」

今回の作業は、結局のところ丹波の自然環境を大幅に破壊してしまうのである。

「はい。」

「妻の一族の処遇についても考えておかねばなるまいな。」

「はい、その件につきましては、正嘉さまの工房がワシントンの察知する所となりましたが、いかが取り計らいましょう。」

「ワシントンに特別の害意など無かろう。」

「はい。ただ例の工作員どもが、さぞうるさかろうと存じまして。」

無論、ティーム・キャンディ等のことだ。

何せ、王妃の実兄たる正嘉氏は最も主要なターゲットの一人とされており、彼女たちにタイラーが提示してある賞金額もそれはそれで莫大なものなのである。

但し、現段階では国外退去となることを恐れ、積極的アプローチをタイラーが抑えているに過ぎない。

「うむ、こればかりはご本人の判断にお任せするより仕方あるまい。」

「かしこまりました。それではそろそろご出発のお時刻でございます。」

程なく若者は地球を離れるが、今回の旅ばかりは常のものとは違うのだ。

「(調査団は)全員揃ったのか。」

「はい、既に三十五名全員が乗船致しましてございます。」

それは財団の常任研究員とその呼び掛けに応じて集まった者たちのことなのだが、彼等は貴重な観測調査を予定しており、結果として全員が極めて重大な使命を帯びることになる。

なお、調査団の実質的なリーダー格は常任研究員の一人松川徳治氏であり、既に五度にわたって若者の旅に同行した実績がある。

尤も、アルファ・ケンタウルス星団の異変に最初に気付いたのは若者自身であり、そのデータを受け取って、事の重大性を認識した最初の地球人が松川徳治氏なのだ。

無論、新田や岡部もこれについての情報を共有しているが、未だ事態の深刻さに対する認識において若干欠けるところが無かったとは言えない。


「む、では五分後に出発すると申し伝えよ。」

「承知致しました。」



通信が切断され、若者は傍らの新妻に向き直り、益々ふっくらとして来ている下腹に目を移した。

いよいよ、来春早々にはかけがえの無い赤子が生まれて来るのである。

「くれぐれも体を厭うてくれよ。」

しみじみと胸に沁みる言葉であったろう。

「はい、あなたさまもお気をつけてお出であそばしますよう。」

「では、行って来る。」

「どうぞ、あとのことはお心置き無く。」

マザーの分析によれば、夫の帯びる使命も又、人類にとって極めて重大なものになると聞いており、身重の新妻としては最愛の人の無事を祈らずにはいられない。

まして彼女は未だ若く、この二十二日にやっと二十三歳の誕生日を迎える身でもある。


程無く、内務省正面のグラウンドから飛び立った観測船は瞬時に四光年の彼方に移動し、マザーの手になる優れた機器を利して存分にデータを収集した。

無論、その間の彼等は全て無重力空間にある。

一部高齢の者も参加していたこともあり、過酷な環境の宇宙滞在を四時間ほどで切り上げ、瞬時に秋津州へ戻り、メンバーは勇んでデータの分析に入った。

参加者たちの体調を気遣い、慎重な健康チェックを行いつつ、翌日には再び短時間の観測行が実施され、このようなパターンで繰り返された旅はやがて十数回もの多くに及ぶのである。

後半になって各国政府から派遣されて乗船する者も多くを数え、更に新たな参加者を加えて行き、財団の研究所において精力的な分析が進み、さまざまな観測定点に於いて収集された膨大なデータが、やがて優れて効果を発揮することになる。


また、国井義人が新田からの連絡を受けて、ひっそりと秋津州を訪れていたが、やがて一政治家としてかって無いほどの重大な決断を迫られることになるのだ。

一方の新田は秋津州外交を現実に今も担っており、その延長線上において、常に傍らの涼を通して提供される豊富な情報を持つ。

当然今次のケンタウルス観測に関するものも初期の段階から入手していた上、未だ財団の研究所でさえ意見の集約がなされていない時点で、マザーの手になる分析結果まで入手しており、ことの重大さに鑑み早々と国井に連絡したのである。

退官時のいきさつのこともあり、総理官邸は新田の言に耳を傾ける姿勢に欠けているため、連絡しても情報が正しく処理されない恐れを感じたからであったが、おかげで国井自身は、各国当局が未だ深刻なものとして認識出来ていない時点で、恐るべき未来を知ることになった。

マザーの分析によれば、問題のガンマ線バーストが地球に到達する時期は二千十一年の五月から七月の間のいずれかであり、その規模はこの地球に最大級の被害をもたらすほどのもので、地球上の生物は文字通り絶滅を免れないと言う。

このままの状態で有効な対策が採られない場合、人類そのものが滅亡してしまう確率はほぼ百パーセントだと言うのだ。

過去の若者の言動を良く知る国井は当然信じた。

信じざるを得ないのだ。

国井は若者に面会を求め、直ちに全人類の救済措置に付いて協力要請を行い、荘園への移住についても内諾を得たが、やがて重大な障害が人類の側にあったことを思い知るのである。

一つには、やがて来る天災がもたらす惨禍について、マザーの分析結果をそのままに公表してしまえば、途方も無いパニックを引き起こすことは明らかであり、かと言って深刻に受け止められない人が続出してしまえば、各国の政府が国民の総意を妥当な形で収斂させることが困難になるばかりだ。

現状では、足元の日本国ですら覚束ない。

それにパニックを最小限に食い止めるためにも、詳細の公表は避難先の受け入れ準備を最低限整えてからにすべきであろう。

いずれにしても、大多数のマーケットが一瞬で崩壊することは免れず、世界的規模の統制経済を布くべきであろうが、果たしてそれが可能だろうか。

仮に各国政府の方針が他の天体への移住と言う点で一致を見たとしても、移住先に於けるそれぞれの避難先の割り振りが又問題だ。

そこが即ち各国にとっての新たな領土となるのである。

恐らく、空前の陣地争いが繰り広げられることになるに違いない。

それを解決出来たとしても、各避難先に最低限の受け入れ態勢を事前に用意出来るとは限らない。

何せ、残された時間は僅か四年でしかないのだ。

国井の胸中では、さまざまな難問が渦を巻いてしまうのもいたし方の無いところだったろう。


そうこうする内、十二月に入り、財団の研究所レベルでの分析結果が出たが、それはやはりと言うべきか、マザーの出した最悪の結論と大差の無いものであった。

今や財団はこの件に於ける研究の最前線にあり、その分野の泰斗と目される人の殆どが参画しているほどで、そのグループの降した結論には絶対的な蓋然性が認められるまでになっていたのだ。

直ちに内務省外事部が各国当局にその内容を公告したことにより、それは初めて公式のものとなった。

無論、各国ともに最大の機密事項としての扱いである。

早速五カ国協議における最優先課題となりはしたが、的確な対応策を見出すことは出来ず時間ばかりが経過して行く。

秋津州から公告のあった絶望的な見通しに関して、さすがに疑義を唱える国は出なかったが、日本代表から提示のあった荘園への避難移住と言う案を一決するには至らない。

何せ、荘園は秋津州国王の領土である以上、その手法を採る限り、それぞれが、自国は勿論、全世界があたかも秋津州の属国に成り果ててしまうような感覚を持ってしまうようだ。

秋津州の技術に期待するあまり、太陽系全体を一括して移動出来ないかと言う意見まで飛び出したが、何せ太陽一つだけでもこの地球の三十三万倍もの質量があり、とてもそこまでの「技術」は無いとする秋津州の意思が示され、次いで、ならば地球だけ単体で移動してもらえまいかと言う希望が出た。

それが成功すれば新たな国境の策定や国土建設の必要も無く、困難な問題のほとんどが片付くのである。

しかし、この虫のいい希望も敢え無く潰えてしまうことになる。

秋津州の「特殊な技術」を駆使すれば、地球と月を一つのユニットとして移動させることは可能だが、移動の結果、安定的かつ継続した生存条件を確保し得るほどの技術は有していないと言う。

詰まり、地球と月を一体として移動させたとしても、太陽と同程度の条件を過不足無く備えた恒星を見つけ、更にその恒星と適度な距離を保つ公転軌道に乗せてやらなければならない。

仮にそれが成功したとしても、周辺の天体との相互関係に齟齬を来すかも知れず、はたまた、その移動作業の過程において地球の挙動が変化し、その磁場を大幅に変えてしまう可能性が高く、そうなれば地球の環境自体が激変してしまい、やはり生物の生存を許さなくなる可能性は否定出来ない。

いずれにしても、従来と同様の環境を再現し維持するためには、無数のハードルを同時にクリアせねばならず、成功の可能性は極めて低い。

したがって、人類が避難を完了してからでなくては、とてものことに冒険する気にはなれないと言う。

結局、どう転んでも壮大な人類移転計画は策定されなければならないことになる。

そうこうする内、今度は秋津州財団の方からある道標が示された。

先ず、かつて異星人による攻撃を受けた事実を含め、丹波に関する新たな諸情報が公開された上、世界が人類の移住と言う選択をするならば、秋津州は全力を挙げて受け入れる用意はあるが、但し全ての避難民はその国籍国の政府によって認定され、管理されなければならないとされたのだ。

詰まり、各国政府は各自その国民の管理に関してそれぞれ個別に責任を持つことになる。

更に、世界に存在する膨大な無国籍者に関して責めを負う機構を、別途用意する必要があるとしている。

この場合の無国籍者とは、何れの国家からも国民として認定されない者のことで、現に日本国内だけでも数万人もの多くが存在しており、いったい世界中でどれほどの数になるものか、軽く億を超える筈だと言う説もあり、結局は誰にも判らない。

なお全ての避難民の受け入れ地については、若者の所有する荘園の中で最も適格な環境を具えた「丹波」の内、全陸地の八十パーセントほどが提供されると言い、この場合の「適格な環境」の要件としてさまざまな事例が示されたが、結局掻い摘んで言えば、丹波は全てにわたってこの地球に酷似した天体環境を具えており、たまたま月と同程度の衛星まで一つ持ち、継続的に影響を受け続ける潮汐力の相関関係にしても極めて似ているのだと言う。

さらに、その公転と自転のあり方もほとんど地球と同一と言って良いほどのもので、かつ自転軸の傾斜角までそっくりそのものなのだ。

財団研究所の試算によれば、現在のグレゴリオ暦が一世紀以上もそのままで使用可能なほどだと言う。

また、少なくとも人類の居住を可能とする陸地部分だけで比較すれば、秋津州から提供される八十パーセントの分だけでも、現在の地球のものとほぼ同等だとされた。

何せ、丹波では地球と異なり、砂漠地帯が極端に少ないことを確認済みだと言うのだ。

詰まり、移動先の陸地の配分にあたって、確保面積の上で極度に不利益を蒙る国を出さずに済むことになる。

それでなお、五カ国協議の議論が堂々巡りを繰り返す内に、あっという間に年が明けてしまった。

何一つ成果を上げ得ぬまま、貴重な時間を浪費しただけで二千八年の新春を迎えてしまったのである。

無論、人類の絶滅に至るタイムテーブルはその間も刻々と時を刻み続け、決して歩みを止めることは無い。


一方ビッグメディアの多くがかつて松川氏が公表した情報に接しながら、深刻に受け止めるケースはまったく無かったと言って良い。

だが、その後本格的な調査団らしきものが、秋津州国王の導きによって繰り返しケンタウルス星団付近に飛んだことが伝わるに連れ、ことの重大性を認識する者が現れ始め、その結果いよいよ秋津州情報に注目した。

その後、世界のビッグメディアの殆どがことの重大性に鑑み、非公式に報道協定を結んでことに対処する動きを見せ始めた。

世界的な恐慌を恐れたのである。

一部に抜け駆け報道に走るものも出たが、それもことの全体像を正確に把握してのことではなく、さまざまな憶測を積み重ねたものがほとんどであり、未だ致命的なパニックを引き起こすまでには至っていない。

それらの報道も、ケンタウルス星団において二つの巨星が異常に接近した挙句融合してしまい、その過程で噴出させたジェット状のガンマ線が、太陽系に向かっているところまでは松川氏の論文に記述されている通りであったのだが、それだけでは深刻な展開を想起させるには不十分であり、真に問題なのは、そのことが地球に与えるダメージに関する評価なのである。

あるメディアに至っては、松川論文を引用するにあたって、ダメージが発生する確率は二十パーセントから九十パーセントと記述されていたところを、単に九十パーセントだと恣意的に書き換えて報じ多少の混乱を招いたが、直ちに松川氏本人が会見を行い、自己の論文を再び取り上げその報道との差異について明確に指摘した上、自らの行為が無用の混乱を招いてしまったとして謝罪を繰り返した。

その後新たに収集したデータの分析状況についても詳細に語り、その確率は精々一桁未満になるだろうとした。

詰まり、一パーセント未満であるとしたのだ。

その上、このガンマ線バーストと言う現象が、日常的に不断に起きているものであることを詳細に説明するに及んで、混乱は鎮静することを得た。

無論この会見が行われたところも秋津州であり、いずれにしても、重要な鍵のほとんどが秋津州にあることは衆目の一致するところだ。

ビッグメディアの責任者クラスのほとんどは密かに秋津州に結集し、やがて開かれた会合において、国王へのインタビューを行うにあたり、混乱を避けるための便法としてその窓口を一本化することに決し、NBSのビル支局長を全会一致で指名するに至った。

彼等は、ビルの持つ国王との特別な人間関係に着目し、国王との単独インタビュアーとしての役割を託し、全ては、その結果を見てからのこととしたのである。

したがって指名を受けたビルは、この件について得た情報を彼等に配信する義務を負うことになる。

尤も、ビル自身は既に数度にわたって若者との会見を重ねて来ているため、その胸の内もかなりの部分で窺い知ることが出来ており、若者が人類の生存に寄与する意欲を持ち続けていてくれることを確信しつつ、改めて通常の会見を申し入れたに過ぎない。

たまたま若者の体も空いていたためか、その会見は実に質素な王宮の掘り炬燵で行われ、ビルはいつも通りの友人として振る舞うことを得た。

王妃の親しみ溢れる接遇を受けながらインタビューを行い、改めて若者の心の琴線に触れて行く。

「陛下、本日は他のメディアの総意を受けて参上致しましたので、ご承知おき願います。」

ビルとしては、多少気の重い自分の役割について述べておかなければならないだろう。

「承知しました。」

「この事態をどのようにお考えか伺って参るようにとの総意でございます。」

無論、メディアだけでなく国家と言う国家が揃ってそれを知りたがっている筈だ。

「人類の未来の為に、もはや全ての人々が協力せねばならぬ事態に立ち至ったものと考えております。」

「人類の未来のためとの仰せでございますな。」

「その通りです。」

「およそのことは以前にも伺っておるところですが、敢えてもう一度お考えを確認させていただきたい。」

ビル自身、つい先ごろの単独会見において、マザーの分析結果に関しても詳細に耳にしており、その際にも闊達な意見交換をなし得たこともあり、ビルの主観の中の若者は、絶えず人類の救済に心を砕いていたことは確かであった。

さらには、五カ国協議レベルで打診したとされる太陽系全体を一括して移動する案とか、地球単体でのケースについても充分承知しており、その不可である理由でさえ直接説明を受ける機会があったほどだ。

「何事もご遠慮なくお尋ね下さい。」

「いつもながらのご交情には、まことに感謝に絶えません。」

この若者には、過去においてもさまざまな配慮を受けてこんにちに至っており、立場の違いこそあれ、ビルの胸の中には友情と呼べるものが確実に育っていたのだ。

「我々のお付き合いも、とうに三年を超えてしまいましたな。」

「思えば、いろんなことがございました。」

悲惨な秋津州戦争があり、そしてまた部下の引き起こした恥ずべき不祥事もあった。

何よりも、NBS支局の立ち上げの際には、信じ難いほどの厚遇を受ける機会まで得たのである。

「はい。」

「このたびのことさえ無ければ・・・・」

「まことに。」

「ま、愚痴を言っていても始まりません。大切なのは我々人類の未来ですからな。」

「その通りです。」

「つきましては、その後の状況は如何でしょう?」

気を取り直して単刀直入にぶつかって行く。

「前回お話した危機的状況と避難民の受け入れの許諾については、既に我が外事部より各国政府に公告を済ませておりますが、未だにその返答が得られない状況です。」

丹波に全避難民を受け入れる意思を伝えてはあるが、未だにその反応が返って来ないと言う。

「丹波の陸地の八十パーセントを提供して下さると言うお話までは伺いましたが。」

「それだけあれば充分だと考えております。」

「その八十パーセントだけで、確か一億七百二十五万平方キロほどでございましたな。」

引き比べて地球の陸地面積は、南極大陸を除けば一億三千五百万平方キロほどであり、さらにそこには、広大な砂漠地帯など居住不能な領域を数多く含んでいる。

「さようです。」

「その地では緑地部分がかなり多いことも伺いましたので、面積としては申し分の無い広さかと。」

既に各国当局にも渡っている丹波の地形図もモニタの画面上で拝見した上、改めてプリントアウトさせていただいたが、メルカトル図法であったにも拘わらず南北の極地付近の陸地が極めて小さい。

付属の表の記載によれば、北極付近で十万平方キロ、南極付近は三十万平方キロほどでしか無く、そのことが、その天体において、居住を可能とする地表面積を多く確保し得ることに預かって余りあるに違いない。

何せ、地球上の南極大陸は、それ一つで既に千四百万平方キロもある巨大な陸地なのである。

なお、その表には、若者の「直轄領土」として、二千六百八十万平方キロを僅かに下回る数値が記載されており、それは確かに丹波の全陸地の二十パーセントに合致している。


筆者註:領土面積一覧(惑星丹波)

  大陸及び小諸島:  2500万k㎡
      玉垣島:    70万k㎡
      新垣島:    60万k㎡
      八雲島:    9.5万k㎡
      南極 :    30万k㎡
      北極 :    10万k㎡
       小計:  2679.5万k㎡
 一般分配予定地分:1億 725.1万k㎡
   丹波陸地総計:1億3404.6万k㎡

なお、この一般分配予定地分(一億七百二十五万平方キロ)が地球の諸国家が配分を受け、人類が移住する部分であり、北半球にも南半球にもそれぞれに分散して存在し、無論多数の大陸や島々がある。


「そのように考えております。」

「この表では、南北の極地付近の陸地は、陛下の直轄領の二十パーセントの中に含まれることになっとりますな。」

「そこは既に私が使用しておりますし、百歩譲って仮に一般に配分したところで人間の居住には適さないでしょう。」

南極・北極ともにこの若者が、自ら「領有」を続ける意思を鮮明にしたことになるのだが、もとはと言えば丹波の全てを領有して来ている実績を思えば、とても苦情を言えた義理では無い。

ちなみに、地球上の南極大陸はいずれの国家も領土とはなし得ないことで合意されている筈だ。

「なるほど。」

「問題は各国政府が結論を出せないことにあるのです。それに一般大衆にいつまでも隠しおおせることでもありませんし。」

「まあ、各国の為政者たちにしても、皆さん生身の人間でございますから。」

「残された時間は減るばかりです。」

「先日伺ったプランですと、先ず各国の先遣隊に丹波の現地をその目で見せた上、その報告を待って人類自身がそれぞれの領土配分を決定し、その後それぞれの政府の希望する時期に避難民を送り届けて下さる筈でしたな。」

「さようです。自国の避難民を移送前にしかるべき場所に集めておくことは、その国の政府の役目になりましょう。」

「そう致しますと、各国政府は新天地において新たに確保した領土内で、早速自らの責任において、受け入れの準備にかからねばならないことになりますな。」

「その通りです。もはや一刻を争う。」

「時間のこともありますが、全ては、我々がいかに整斉粛々と行動出来るか否かにかかっていることになりましょう。」

「無論、世界がパニックに陥ってしまえば、救済が困難になる一方ですから。」

「はい、そのためにわたくしどもも、報道協定を結んで報道を控えておるところでございます。」

「とにかく正確な情報を大衆に伝えるのは、各国政府が新たな領土に受け入れ態勢を整えてからにすべきでしょう。」

「そうでなければ、間違いなくパニックを引き起こしてしまいますからな。」

「誰が考えてもそうなるでしょう。」

「とにかく、各国政府が先遣隊を派出し、各国間の話し合いを経て、それぞれの領土を決定しないことには何も始まらないことになりますな。」

「はい、新たな領土を決定するのはあくまで人類自身です。」

「なるほど。」

「その方法で国境が定まったあとは、全ての国境線を我が手で固めるつもりです。無論、当分の間の暫定措置ではありますが。」

新たな国境線の全てを、当分の間、秋津州軍が一手に守備してくれると言うのである。

「ほほう、国境紛争を未然に防いでいただけるわけですな。」

「さようです。どのような国境線が描かれようとも、必ずどこかで紛争が発生してしまうものとみておりますから。」

「それは、確かにそうでしょうなあ。」

「せめて、先遣隊の発出だけでも早く決めてもらいたいものです。」

「こうなれば、陛下ご自身が全てを処断してしまわれたらいかがでしょう?」

「わたしに、そのような能力が無いことはご承知でしょう。」

何しろ、この世界には複雑な内部事情を抱えた国家があまりに多過ぎる上、その内部事情にしても、外部から処理し得るほど単純なものなど一つも無いのである。

それらの国家の国民の認定一つとっても、当事国の当局ですらお手上げの現実がある以上、まして外部の者になど出来る道理がない。

「私には、陛下以外に適任者はいないように思えるのですがねえ。」

「いや、どう考えても私には無理です。それに、その国の民の運命はその国の為政者が判断するのが筋でしょう。」

その国民の生死は、文字通り為政者の判断一つに掛かっていると言って良い。

「それが理想ではありましょうが、この非常事態ではそれも難しゅうございましょう。」

「そうかと言って、各国政府の依頼も無いまま、私が勝手に選定して運んでしまうわけにもいかぬでしょう。」

「しかし、最悪の場合は止むを得んでしょうな。」

「その場合、丹波のどの領域に送るかも問題です。それに私には国家毎に分別することは出来ませんから、多数の国の国民が混在することになってしまう。」

「そうですなあ、おまけにその集団には肝心要の統治者がおりませんな。」

「無政府状態で互いに言葉も通じず、風俗も異なる人間が無秩序に混在するのです。それこそ強い者勝ちの世界になってしまうでしょう。」

「治安維持に責任を持つ者がおりませんからなあ。」

「殊に生まれつき治安の良い地域で成長してきた者にとっては、個人の自由とか所有権とかが、まったく保護されない状況など想像することすら出来ないでしょうから。」

「確かに、治安が維持されねば、貨幣ですら満足に通用せんでしょうからな。」

「そのような状況で、それぞれが自力で食糧を手に入れねばならんのだし。地域によっては飲み水でさえ入手が困難です。」

「しかし、このまま各国政府が不作為を続けていれば限界が来てしまいます。その節はご決断を願わねばならなくなるでしょう。」

「それも各国政府の判断に拠らなければ、あとあとひどい非難を浴びることになりましょう。何せ、いきなり無政府状態の中に放り込むことになってしまいますから。」

「お気の毒とは存じますが、地球へ残されれば全て死に絶えてしまうのですから、この際多少恨まれるくらいはご辛抱いただきませんと。」

ビルは、敢えて無遠慮極まりない物言いをしているようだ。

「最悪、そうせざるを得ない場合のことも考慮に入れていることは事実です。」

「ほほう、そのお言葉をお待ちしておりました。」

「無論、そうならないことを願っておるところです。」

「その場合の限界時期についてお伺いしたい。」

「まあ、断言してしまうにはためらいもあるが、ぎりぎり二千十年一杯と言うところでしょうか。」

「なるほど、誰が考えてもその辺がぎりぎりのところではあるでしょうなあ。」

「今後、事態が進捗するに従い、若干のずれが出て来ることも考えておく必要はあるでしょう。」

問題のガンマ線の到達時期が、将来現在の予測値と異なってくる可能性もあり得ると言う。

「さようでございましょうな。それと、もう一点、無国籍者の扱いの件ですが、これについても、全面的にお引き受けいただけるものと理解しておいてよろしゅうございますか。」

「そのつもりです。但し、その取り纏めを担い、なおかつその者たちが移住する領域についても責めを負う機構を別途定めていただかねばなりません。」

「そりゃ、そうですな。」

「我が直轄領域には収容できかねることも、各国当局には伝えてあります。」

「第一、どの程度の人数になるかも判りませんし、万一無制限に陛下の直轄領域でお引き受け下さるとなれば、どんどん増えて、しまいには膨大な数が殺到しかねませんな。」

未曾有の混乱が予想される以上、場合によっては若者の直轄領以外に、安寧秩序の保たれる場所を探すのは困難な事態を迎えてしまうかも知れないのだ。

若者の統治能力は、その強大な軍事力とも相俟って、今やそれほどまでに評価されていると言って良い。

「恐らく、きりがなくなってしまうでしょうから、最悪、該当者たち専用の領域を、別途各国の共同で用意してもらわなければなりません。」

「そうするとやはり、UNHCRがナンセン・パスポートを発行して出国させた上で、然るべき場所に集結させるようなイメージでお考えでございますか?」

現実には、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が動いたところで、無国籍者本人からの申し出が無ければどうすることも出来ない筈だ。

「それも、各国政府それぞれに考えてもらわねばならないことでしょう。」

結局若者の意図するところは、出来る限りそれぞれの政府に責めを負わせようとするところにあるが、この世に国家と言う機構以上の統治権能を持つものが存在しない以上、これもまた当然のことだ。

ビルは貴重な情報を持ち帰り、周囲と報道のあり方に付いて改めて協議することにはなるが、彼等にしても、すぐさまありのままを報道してしまうことが、人類にとって最終的なメリットに繋がるとは、とても思えなかったに違いない。

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自立国家の建設 081

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一方、日本にいる国井は、このひそやかなインタビュー情報についても、当然詳細に入手していた。

新田から、すかさず一報が入ったのだ。

しかし、前回の直接会談の折に、国井自身が、その耳で直接聞いていたことと特別に変化したところは見当たらず、若者のこの考え方については改めて聞き直すまでも無く、よく承知していたのである。

しかも、野に下ったとは言え、国井の日常は相変わらず多忙だ。

民自党の重鎮として、或いは次期総裁レースのトップを走る者と評され、更にはあろうことか新党立ち上げの張本人とまで囁かれており、各界のそうそうたる名士を含め多くの人々とも会わなければならない。

政治活動の一環としてなさねばならないことは呆れるほどに多いのだ。

しかも、国井の周辺は取材を求める声で騒然としてしまっている。

メディアにしてみれば、噂の新党人気が一段と沸騰して来ている今、その党首に擬せられているこの男からはいっときたりとも目が離せない。

昨年改憲論を引っさげて臨んだ衆参同時選挙において、党が思わぬ惨敗を喫して以来、敗軍の将の一人としてひたすら沈黙を守って来たが、近頃その支持率ばかりが異常なほどの高まりを見せているのだ。

そして、一方の新政権側は実に対照的であった。

初期の内こそ原発の廃絶方針が多くの支持を受けはしたものの、その後新田の召還騒ぎに臨んで対策室の機能を甚だしく毀損してしまい、霊光の原発危機に際しては無策のまま時を重ね、結果として対馬の島民を見殺しにしようとするなど、大きな政治的失策を重ねたのである。

野に下った民自党内部では、きたるべき総選挙を見据え、総裁ポストを人気絶頂の国井に禅譲させようとする動きが加速して来ており、少なくとも国内的には、いまや国井は、あたかも政界の台風の目のような存在になってしまっている。

新政権側にとって、無論歓迎すべき事態などでは無かったろう。

当然、国井の弱点を突こうとする動きが目立つようになった。

メディアが放って置く筈も無く、やがて勝手気ままな論説がはびこるようになり、ごく一部とは言いながら、国井に対して戦争好きの軍国主義者だと決め付ける論評まで出て来る始末なのだ。

典型的なレッテル貼りである。

このような行為の特徴としては往々にしてひどい騒音を発することがあり、かたくなに沈黙を守って来た国井も、やがて口を開かざるを得なくなる。

事態を重く見た党執行部の勧めもあり、時が時だけに一度だけ取材に応じることにしたのだ。

やがて事務所にカメラが入り、一昔前にリベラルの旗手を以て名を馳せた美人キャスターの流暢な語り口から、特徴的なインタビューは始まった。

「失礼ですが、昨年の衆参同時選挙では、国井さんの積極的改憲論が結果的に国民の支持を得られなかったわけですが・・・。」

「残念ながら、仰る通りの結果でした。」

尤も、その積極的改憲論と言うものにしても無論国井個人のものでは無い。

当時、政権与党の座にあった民自党の公式の政策論だった筈なのだ。

「その辺のところから、現在のご心境をお伺いしたいと思います。」

「若干、説明不足であったかも知れませんね。」

その政策については説明不足であったことは認めるが、別段変えるつもりは無いと言うことなのだろう。

「そう致しますと、今回民自党総裁の椅子につかれた場合、次期総選挙においても、改めて改憲論を前面に押し立てて戦われるお気持ちでらっしゃるのでしょうか。」

迷走する連立政権に対して不信任案を突きつければ、現状では通る可能性は極めて高く、そうなれば現総理はいちかばちかで解散権を行使して来るだろう。

総辞職の道を選べば、ひび割れた連立与党を足場にする以上、二度と復活の目は無いとされているのだ。

「総裁ポスト云々は別としまして、改憲は我が党結党以来の政策綱領でもありますから。」

「昨年の選挙戦の時にも、改憲の向こう岸には徴兵制が見えると言う声が高うございましたが、その辺に付いては如何でしょう。」

現に、『改憲は徴兵制への道に通じる』と言うネガティブキャンペーンを張った左派系政党があったことも確かだ。

「なかなかお分かりいただけないようですが、我々の言う改憲は徴兵制とは別の次元の話なのです。」

「では、徴兵制導入を少なくとも否定されるお考えは無いと仰るのですね?」

女性キャスターは、リベラルの旗手としてのかつての栄光を蘇らせようとしているかのようだ。

「全てはそのときどきの国益に照らして判断されるべきものでしょうが、今のところその必要は無いと考えております。」

「将来においてはあり得ると仰る?」

何としてでも、国井をして徴兵制導入論者だとしておきたいらしい。

「ご承知の通り国益と言うものは日々刻々と変化するものですから、将来と言う前提に立つならば、現時点での全否定は致しかねますな。」

当然のことであったろう。

十年、二十年のスパンで考えれば、それこそ何があっても不思議は無いのである。

「詰まり、将来は徴兵制導入もあり得ると言うふうに理解してよろしゅうございますね?」

女性キャスターの追及の手は緩まない。

「将来の可能性がゼロであるとは、どなたであっても断言は出来ないでしょう。無論私も同様です。」

「判りました。徴兵制導入は否定なさらないと。」

止めを刺したつもりなのであろう。

「ただ、この徴兵制と言うものについては、もう少し掘り下げて考えて見る必要はあろうかと思いますよ。まして今は日露戦争の時代ではありません。時代の変遷に伴い、戦争そのものもひどく変わってしまいました。」

「それは、そうでしょうね。」

「まして、現今では我が国の防衛線は全て海上にあります。」

「そうでしょうか。」

「現実に海上の防衛線を突破されてしまうと言うことは、国土周辺の制空権と制海権を失うことに等しい筈です。詰まり相手はそれほどの攻撃力を具えていることにもなりますから、あとは我が国の領土を一方的に蹂躙されてしまう恐れが高くなります。」

「・・・。」

「この防衛線の攻防にしても、近代戦においては、高度な電子戦とならざるを得ず、ひたすら訓練を重ねた実力者集団の専門技術に頼らねばなりません。」

「その電子戦用の兵器類の高額なことこそが問題なのではありません?」

「いや、話の途中ですから、もう少し続けさせて下さい。」

「失礼しました。どうぞ。」

「先ほども申し上げました通り、現代の戦闘はいわゆる近代戦となります。そしてそれは、膨大な情報を瞬時に収集し、その情報に対する俊敏な処理能力と、それらの情報を統合するシステムを効率良く運用することによって、初めて成り立つものなのです。だからこそ先駆的な電子機能を持った防衛機器を具え、それを自在に操る技術者を鍛え上げているわけですが、これには相当長い期間を要します。」

「はい。」

「ところが、徴兵制においての兵役年限はせいぜい二年止まりでしょう。下手をすれば一年半です。そのような短期間では、比較的単純な戦闘技術しか習得させることはかないませんし、まして彼等の多くは、その後、除隊してしまうのです。」

「それはそうですわね。」

「前の戦争の頃までは、扱いに複雑な専門技術を要する兵器は滅多にありませんでしたから、短期訓練で育成した兵士が主要な戦力となり得たのですが、現代においては、徴兵制を布いて嫌がる国民を大勢引っ張って来て、速成で銃砲の扱い方を教え込んで見たところで、莫大な費用が掛かるばかりで近代戦においては主要な戦力とはなりにくいのです。」

「あ・・・」

「百歩譲って、コスト的にも相当無理をして速成で専門技術を教え込んでみたところで、当人の意に染まぬ場合、兵役年限の到来と同時に除隊してしまうのは確実でしょう。」

「なるほど。」

「その上、昔と違って現在の日本は有数の物価高の国ですから、何よりも兵士の人件費と食糧費が非常な財政負担を強いることになります。限られた防衛予算を効率良く使う意味でも、現時点では徴兵制は導入すべきでは無いと考えています。」

「青年たちを二度と再び戦場に送るな、と言う声も高うございますし。」

「出来ればそうありたいものです。だからこそ、仮想敵国に我が国の主権を侵すことを躊躇させるに足る備えが意味を持って来るのです。」

「専守防衛でございますか。」

「現に我が国の自衛隊は、その装備面においても外征能力を持たされてはおりませんから、仮に徴兵制を布いて百万の兵員を揃えて見たところで、それだけでは外征など不可能と言って良いでしょう。」

「徴兵制による兵員など、近代戦では物の役に立たないと言うことでしょうか?」

「いや、そこまで申し上げるつもりはありませんが、巨額の予算を掛けて、嫌がる国民を無理やり引っ張ってくる割には実利が少ないと言っているのです。何よりも大切なことは国を守る能力なのですから、それだけの予算を掛けるのであれば、防衛能力をもっと確実に高めうることに使うべきでしょう。今や多くの兵器が精密なコンピュータのかたまりのようになってしまっておりますから、当然非常なコストが掛かるのです。」

「それほど高額の兵器を揃えようとするから、防衛費が膨らむのではないでしょうか?」

「いや、我が国はここ数年、概ね軍縮の方向に向かっていると考えているくらいですし、この国を守る能力のことを思えば、高額な電子機器を具える兵器類は欠かせないものだと考えております。」

「何故欠かせないとお考えなのでしょう?」

「防衛に際しては当然相手があります。そしてその相手もそれなりの攻撃力を有しているからです。その上ご承知の通り我が国は、広大な海域にまたがる数多くの離島を抱えており、それを小人数で防衛するためにも絶対に欠かすことは出来ません。離島に暮らす人も東京で暮らす人も、まったく同じ日本人なのですから。」

「でも、いまどき、どこの国が攻めて来ると言うのでしょう?そんなことをする国があるとはとても思えないのですが。」

「それは、我が国がそれなりの防衛能力を持っていることを対外的に示し続けているからです。それなりの能力の中には、当然米軍の戦力と言う要素も含まれますが。」

「では、秋津州の合同訓練に多数の海自隊員が出張していることについては如何でしょう。他国の目には、日本がその分だけ好戦的な意図を持っているように映ってしまうのではありませんか?」

「最先端の機能を持つ潜水艦の技術は大変貴重なものですし、それがほとんど無償で手に入るのですから積極的に取り組むべき課題だと思っております。他国の目にどう映るかと言う問題ですが、日本の防衛能力が向上したと映ることを私は期待します。」

「でも、あの潜水艦は全て日本が設計し、建艦にも積極的に参加しているとお聞きしてますが。」

「それは、全て秋津州の予算を以て行われているもので、我が国の防衛費は支出されていない筈です。」

「一説によりますと、核弾頭を持ったSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)まで具えていると言われてますが?」

「あれは、秋津州国の兵器であって我が国の兵器ではございません。そのお尋ねは秋津州当局にこそ発せられるべきものでしょう。」

「では、それが我が国の兵器であった場合なら如何でしょうか?」

「核武装に関してですか?」

「そうです。」

「単純に我が国の兵器だと仮定した場合なら核武装は致しません。無論この私が日本の権限者であった場合ですが。」

「では、国井さんは核武装論者では無いと?」

「私自身、現在の国際環境から言って、我が国は核武装は行うべきでは無いと考えております。」

「失礼ですが、国井さんの政治姿勢を長いこと拝見している私どもとしましては、そう仰られてもなかなか信じられないのですが。」

「あははっ、そうですか。尤も、具体的かつ現実的な核武装の是非論は、少なくとも公開の場では行って来ませんでしたから、ご理解願えないのも無理は無いでしょう。」

「わたくしどもでは、タカ派の国井さんはてっきり核武装論者だとばかり思っておりましたもの。」

「なるほど、それではその点での考え方を申し上げましょう。」

「是非、お聞きしたいと思います。」

「先ず、現在の我が国は、米国を初めその他関係諸国との間で核の軍事利用を禁ずる内容の原子力協定を結んでおりますから、それを一方的に破棄した上、NPT体制からも脱するとなれば、即座に原子力燃料の供給がストップすることになります。我が国はその燃料を自給する能力を持ちませんから、当然原子力発電を停止せざるを得ません。その結果、発電能力の三十パーセントが失われることになりますし、その後確実に発生する制裁措置によって石油の輸入も大部分がストップするでしょうから、自然火力発電もストップしてしまうのです。どう甘めに見積もっても、電力の供給量が現在の半分以下になってしまうのです。そうなれば、国民個々の生活にも大いに支障を来すことは当然ですが、あらゆる産業が深刻なダメージを受けることにもなりかねません。工業立国を以て是とする我が国は破綻してしまうことは明らかで、この意味一つとっても我が国の核武装など到底あり得ません。」

「なるほど。」

「とにかく、今申し上げた国際環境である以上、我が国が核武装を強行したときは、間違いなく大規模な制裁措置を受けることになります。我が国が貿易を以て立っているこんにち、結果は明らかだと思いますが。」

「・・・。」

「結局、多大の犠牲を払って核武装を果たして見たところで、そのために肝心の国家そのものが破綻してしまうとなれば、いったい何のための核武装なのか本末転倒も甚だしいでしょう。」

「それでも国井さんのグループでは、核武装肯定論が幅を利かせていると見られているのも不思議なことですわね。」

「世間にはさまざまの人がおいでですから、私を核武装論者だとしておきたいのも判らないではありませんが。」

「では、ご自身は核武装など考えたことも無いと?」

「いえ、考えるだけなら常に考えておりますよ。但し、考えることと実行することとでは天地の開きがありましょう。」

「でも、実行しないのなら考える必要も無いのではありませんか?」

「いや、私は一政治家の責任として、あらゆる可能性を常に検討しながら、ことに備えるべきだと考えているに過ぎません。」

「では、ご自身が常に検討してらっしゃる核武装に絞って伺いたいと思いますが。」

「判りました。先ほど来申し上げて来ました国際環境に関する点は、ひとまずおいておくとして、今度は技術的な面で考えて見ましょう。ご承知の通り核武装を自力で達成するには大前提として核実験を繰り返し行い、百パーセント確実な核爆発の再現性を確保する必要があります。我が国は、未だそれを手にしておりません。」

「はい。」

「そういたしますと、その実験場を何処にしたらいいんでしょう?そうお考えいただけば、一瞬でお判りいただけると思いますが。」

我が国が地下核実験を強行しようにも、その用地にさえ困ることは明らかであろう。

それでなお、経済封鎖を受け破滅的な経済状況の中で凌いでいかなければならないのである。

「では、我が国が唯一の被爆国であることを理由としているわけではないのですね?」

「政治家の一人として、純粋に我が国の国益に照らして判断するのみです。一時の感情や観念論を以て国防を論じるつもりはございません。」

「しかし、政治家でいらっしゃる以上、国民感情に留意する義務がおありになるのでは?」

「いえ、例えどんなに非難を浴びようとも、常に冷徹に国益を見据えて行動することこそが、国民の負託に応える唯一の道だと信じます。」

「その場合、国井さんにとって最優先の国益とは何なのでしょう?」

「我が国国民が決して滅びることなく、継続的かつ安定した繁栄を手にすることかと愚考致しております。」

「あ、滅びると申せば、例の松川先生の発表によるケンタウルスの件につきましては、如何お考えでしょうか?」

「その件は、未だ充分な検討を加えられた上での結論は出ていないものと見ておりますが、かと言って決して軽視しているわけではございません。万が一脅威有りとの結論が下った場合、仮にそれが極く僅かな脅威であったにせよ、確実な対応策を講じる必要があると考えています。」

「それでは、ご自身も未だ確定的な情報はお持ちでは無いと?」

「ですから、公式の政府発表を待っておるところです。」

「政府発表が脅威有りとなった場合は如何でしょう?」

「勿論、わたくし自身も日本の一政治家として、自らの行動指針に則って対応する覚悟でおります。」

「そのお覚悟の内容についてお伺いしたいのですが?」

「いずれに致しましても、政府発表を見てからでなくては具体的なことは申し上げられません。その内容によって、当然対応策も変わらざるを得ないことはお判りいただけますでしょうし、或いは政府がわざわざ発表する必要も無いほど、軽い問題である可能性も否定は出来ません。」

「わたくしどもも、さほどまでに重大な問題だと捉えているわけではございませんが、昨今世上に上っております話柄の中でも一応以上の話題性があるものですから・・・。」

「わたくしどもの党内でも、個々に調査研究を行って来ておるところですが、必要となれば別途専門ティームの立ち上げも視野に入れておるところです。」

「それでは、その専門ティームにしても未だ必要が無い状況だと、判断されていらっしゃるのでしょうか?」

「その通りです。」

国井は、報道画面の中で自信たっぷりの表情で応えていたのである。

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  1. 2007/08/06(月) 12:14:02|
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自立国家の建設 082

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しかし、現実の事態に好転する兆しは全く無い。

見渡せば、各国政府はその多くが混乱の坩堝に投げ込まれてしまっている気配まであり、哀しいかな日本政府も又その例外では無かったのだ。

個人的にも重大な情報を握っている以上、国井にすれば、いまや政権奪取を云々している場合ではなく、結果として政治的空白を招く内閣不信任案の提出を執行部に見送らせ、ひたすら人類の救済を願って、再三官邸に接触を求めたがその努力も遂に報われることは無かった。

大沢首相とその側近たちは自らの政権の延命を重しとするあまり、錯綜する情報の海の中で無様に漂い続け、当初決定した筈の丹波への移住と言う選択肢一つとっても、この期に及んで揺れ動いている有様で、ガンマ線バーストの齎す破滅的な被害規模に関しても、未だに希望的観測を捨てきれない者までいると言う。

肝心の首相自身が、今こそ強力なリーダーシップを発揮すべきところなのだが、外務省、殊にアジア大洋州局との泥仕合の結果が未だに強烈な怨念となって尾を引いており、駐秋津州代表部から齎される貴重な情報ですら、内閣府の中で恣意的に変形させられてしまっている気配さえあるのだ。

ごく凡庸な首相であるにしても、気配を察し、信頼し得る側近を選び、密使として秋津州に派遣して直接情報を取るべきであったろうが、呆れたことにそれすらも行われない。

国井自身が官邸内に持つ、か細い糸を手繰って見ても、官邸はこの未曾有の非常時にあたり、的確に対処すべき機能を失ってしまっているとしか思えないのだ。

本来なら倒閣して新政権を打ち立てるべきところなのだが、大沢首相の動きを見る限り解散総選挙は免れず、その結果巨大な政治的空白期間が生まれ、ひいては大規模な混乱を引き起こしてしまう恐れが強い。

この事態を受けた国井は、一人の政治家として機敏に反応した。

最早躊躇してる場合ではないと判断し、再び秋津州に入り国王は勿論、財団の松川氏からも生の情報を取った上で改めて新田との協議を持ったのだ。

場所は土竜庵である。

無論二人共ことにあたって第一義としているのは、言うまでも無く丹波に於ける領土の確保であったろう。

それなくしては、避難民に対する受け入れ態勢構築の準備すら始められないからだ。

しかし二人共に日本の為政者などではなく、新田に至っては単なる一民間人に過ぎない。

新田は言う。

「こうなれば、岡部君たちを連れて明日にでも彼の地に渡るほかは無いと思っとります。」

新田自らが先発すると言うのだ。

「いや、その役目は私が果たさねばなるまい。新田君には、しばらくこの地にとどまり、あとの取りまとめ役を頼みたい。」

このままでは、やがて途方も無い混乱をきたしてしまうことは目に見えており、その場合秋津州外交を一手に握る新田の役割は、秋津州国王の深い信任を得ているだけに、なおのこと重いものにならざるを得ないだろう。

「しかし・・・」

「殊に米国に対しては少々手荒な先導役が要るだろう。それこそ新田君が適任だよ。私は現地で国土建設の青写真を描く。」

国井としては、先ずその青写真を描き、我が避難民の受け入れ態勢の目処を立てることこそが再優先であり、その上で次の行動に出るつもりでいる。

「いや、そう言われましても・・・。」

「例の五カ国協議を脅しつけてでも取りまとめてもらわねばならず、この役回りは君にしか出来んだろう。」

「しかし・・・」

「それぞれ得手不得手と言うものがあるだろう。国土建設の青写真を描くのは、どう見ても私の方が得意だよ。」

その点では、国井には膨大な実務経験があり、新田にはそれが無いのである。

「已むを得ませんな。それでは是非とも岡部君達をお連れ下さい。」

現在の岡部の配下の中には、当時官邸の対策室に出向していた国交省の俊秀もあまたおり、こう言う場合非常な戦力になってくれる筈だ。

「勿論だ。」

「それと、念の為、米国に対するスタンスを承っておきたいのですが。」

「それは、はっきりしている。」

「はい。」

「先ず、我が国が一国孤立主義を以て生きて行くことは不可能であり、そうである以上、集団としての安全保障を確保せねばならず、当然協調してくれる相手を見定めねばならんだろう。」

「はい。」

「国家の体制から言っても、国力から言っても、やはりそれは米国であるべきだと思っている。」

「・・・。」

新田の表情は複雑である。

「それに、同じ手を組むにしても、中露朝などから見れば、まだしもだろう。」

「・・・。」

「如何なる国も、その時々の環境の変化によっては、我が国との約束事を守らないかも知れないが、あの国の場合中露朝と違って、一旦約束したことは、少なくとも半分くらいは信用してもいいだろう。無論、あの国が我が国との約束を守りやすくするよう、常に援護射撃を行う心がけも必要だが。」

「悔しいが、まったく同感です。」

「どんなに悔しくとも、日本が生きて行くためには感情論で決めてしまえることじゃないからな。」

「はい。」

「あの国があれだけの国力を持つ以上、それは、荘園に移住を果たしたあとも、人類の繁栄にあたり、その力が最大の効果を発揮する筈だよ。」

「また、そうあってもらわねば、人類の未来がその分だけ萎んでしまいますからな。」

「そう、そのためのパートナーです。」

「無論、秋津州こそ第一等のものと考えての上でしょうな。」

「私は、秋津州は身内だと思っている。」

「なるほど、外国だとは思っていないと言うわけですな。」

「君にしてもそうだろう。」

「あはは、岡部君も益々張り切ってお供することでしょう。」

「いずれにしても、我が国にとって米国市場の重要性は他に比類があるまい。」

「でしょうな。」

「我が国が貿易を立国の柱としている以上、マーケットの重要性を忘れてしまえば、その瞬間にも国が滅んでしまう。」

「はい。」

「ワシントンとの協調体制の中で、人類の未来を切り開いて行くよりほかはあるまい。」

「その下地造りをしろとの仰せですな。」

「日本の為に。」

「全て了解しました。」

「それと、この前君が言っていた話では、既に便宜上の国土を現地に策定中だと言うことだったな。」

「はい、国王陛下の直轄領の中で島を一つ拝借し、取り敢えず秋桜(コスモス)と名付けておきました。陛下が直轄領として確保なさった二十パーセントの内側でなら、何をしようと他国から苦情を言われる筋合いは無いでしょうからな。」

新田は傍らから地図を取り出して来て、おもむろに掘り炬燵の上に広げて見せた。

無論それは丹波の世界地図であり、新田の指し示した新垣島(秋桜)はそこの北半球にその姿を見せている。

それは、北緯二十五度あたりから四十五度付近にかけて南北に伸びており、現在の日本列島が存在する緯度に比定しても、ほぼ同程度の緯度にあたると言って良い。

但し、陸地の面積だけは現在の日本の二倍近いのだ。

「確か、マダガスカルよりも若干大きいと言う話だったね。」

ここで言うマダガスカルは五十八万七千平方キロと、日本の一.六倍ほどの広さを持ち、概ね二千万弱の人々が棲み暮らしている国であり、対してこの新垣島(あらがきじま)は六十万平方キロと記載されており、国井の熱い視線は当然そこに集中した。

そして、その東方には若者がこれも直轄領として確保したと言う大陸と二つの島、玉垣島と八雲島が描かれている。

「こっちの国王陛下の大陸は旧ソ連以上の広さです。」

「ほう、何度見ても広いねえ。」

「これ一つで、二千五百万平方キロほどありますからな。」

「確かに旧ソ連領よりも広いことになるな。尤も、考えて見れば、元々この天体全てが陛下の領土だったんだからな。」

過去において旧ソ連は、概ね二千二百四十万平方キロにも及ぶ広大な領土を誇っていたが、今回若者が直轄領の一部として確保している大陸は、それ一つで旧ソ連領よりもなお十パーセント以上も広いのだ。

ちなみに、現在のロシア領は千七百七万平方キロほどである。

「この大き目の二つの島が玉垣島と八雲島になります。そのほかにもこの通り小さな島々がありますが、中でも玉垣島と八雲島については、電力とか道路とか港湾ほかの基本的なインフラがほぼ完成している模様ですし、それに直轄領の全ての陸地が海底ケーブルでとっくに繋がってますから。」

丹波世界地図  (サムネイル画像をクリックし、別窓が開いたら、地図上でもう一度クリックして拡大してからご覧下さい。)

Mapsyoki


「ほほう、そこまでとは思っていなかったよ。」

「とにかく、陛下の仕事の場合、いつもとんでもないペースですからなあ。」

「確か陛下ご自身は、八雲島にお住まいを設けられたと仰っておられたと思うが。」

「そうだそうです。これ北海道よりも少し大きめの島でして、秋桜からは海上三百キロほど東に離れてるみたいですが、そこじゃ新しい海都が大々的に建設中でした。」

「ほほう、もう見てきたのか。」

「はい、未だ一度だけですが。」

「新しい海都はどんな構成だね?」

「国民議会とかホテルや賃貸マンションなんかも、こっちのものの数倍の規模になるようです。」

「ほほう。」

「殊に内務省ビルと秋津州ビルは、完成予想図も見ましたが、とにかくでかかったですわ。」

「それは楽しみだな。」

「それに、行政省庁用のビルも複数建設されるようですし、首都圏の市街化予定地自体が今の十倍の規模にはなるでしょう。」

「確かに今後はそうでなくてはなるまい。何せ全てにおいて世界の中心になる筈だからな。」

「はい。通信関連にしても、上下水道にしてもとうに完備しておりました。」

「空港や港湾なども早くこの目で見てみたいものだな。」

「港湾なんかは大規模なものだけでも三ヶ所ほどが完成してましたし、少なくとも現在の秋津州にある程度のものは全部揃う筈です。」

「ふむ、農地についてはどうだ?」

「灌漑設備も含め農耕地関係は、陛下の直轄領以外でも、丹波全域がかなり前から整備されてたようです。」

「なるほどなあ、はるか昔から陛下の荘園だったのだから、それも当然か。」

「まあ、地域差も無いわけじゃありませんが、相当だだっ広い農園が多いみたいですわ。」

「そうすると、農耕作業を担う民が暮らしている筈だが、およそどの程度の人口なんだい?」

「驚いちゃいけませんよ。実は、ヒューマノイド軍団以外誰もいないのです。私が行ったときは、王妃の兄君が例の三人の侍女たちに囲まれるようにして暮らしておいででしたが、今はもうこっちに引き上げて来てる筈ですから。」

「それじゃ、今回のことのために、全てほかの荘園に移住させられたのかい?」

「いや、そうじゃなさそうです。前から一人もいなかったらしいのです。」

「他の荘園はどうなんだ?」

「はっきりしたことは判りませんが、数億人はいることにしといた方が無難だろうとは思いますがね。」

「なに、どういうことだ?」

「どうせ、そこには陛下に連れて行っていただく以外、誰も近づくことすら出来ないんですから、どうせならそっちにも我々の同胞がたくさん住んでてもらった方が、何かと心強いでしょう。あはははっ。」

新田が大笑いしている。

「それじゃ・・・・」

「私もつい最近陛下から直接お聞きして驚いたのですが、一つだけはっきりしてることがあります。」

「・・・。」

国井は無言で聞き入るばかりだ。

「例の秋津州戦争までは、この秋津州にも七人ほどご一族の方がいらしたそうです。それも全て幼童ばかりだったようですが。」

「秋津州戦争まで、とは?」

「全員亡くなったそうです。一人残らず・・・・・」

「すると・・・・」

「ですから、現在は、ご夫妻二人きりのようです。」

秋津州の村落を形成している住民たちの『一部』がヒューマノイドであるらしいことについては、二人共にとうに共通認識としていたところではある。

それにしても、ご夫妻二人きりとは。

「なんとまあ・・・・」

「まあ、そこまではっきりと仰ったわけじゃありませんがね。」

「仮にそうだとしたら、あの国民議会と言うヤツは・・・・」

「世界に秋津州の民意ここにあり、と宣言させるためのツールだと言うことになりましょうな。」

「ふうむ。それじゃ、文字通り陛下の意思が秋津州の民意に等しいことに・・・・」

「まあ、ご夫妻の意思が秋津州の意思であることは確かでしょうな。」

「そう言うことだよなあ。」

「この件は岡部君も一緒に飲んだときに出た話ですから・・・」

「そうか。」

「この話、今のところ、ほかに聞いてるのは秋元姉妹だけのようです。無論王妃は別でしょうが。」

「いや、驚いたよ。」

それが事実なら、秋津州と言う「国家」そのものが、あの若者の個人所有だと言うことになってしまうのである。

「ま、陛下のご気分次第でしょうが、少なくとも国井さんも秋津州一族に入ってるらしいですよ。確か例の潜水艦も、国井さんから陛下にお話があって実現した筈でしたよねえ。」

「うん、そうだった。」

「あれも、国井さんからの依頼だったから実現したようなもんですわ。」

「そうか、私もお仲間に入れていただいてるのか。それは光栄だ。」

「私なんざ、とっくに一族のひとりになっちゃってますがね。」

「今じゃ、側近ナンバーワンかな。」

「いえ、そう言うのとも少し違うかも知れませんよ。ええと、どう言ったらいいか、ちょっと言葉に困りますが、あ、そうだ。陛下のイメージでは仲間なんですわ、これが。」

「ほう、仲間かあ。判るような気がするなあ。」

「でしょう。例えば碧のママとか、それと、ダイアンとかキャサリンとかもそれに近いかも知れません。」

「そう言えば、碧のママのケースなんかは、あの独特の情愛と言うか何と言うか、まさしく親族とか一族とかの世界だからなあ。」

「そうなんですよ。あのママなんか、陛下をつかまえて息子かなんかだと思ってるみたいですし、以前陛下の外遊日程について、えらい剣幕で文句付けられたことがあるくらいですから。」

「そう言えば、ずいぶん、タイトな日程だったからなあ。ママもよほど心配だったんだろう。」

「このままじゃ、陛下が倒れちゃうって言って、ずいぶん強硬な抗議を受けましたよ。」

「私もいつか、陛下がホワイトハウスの晩餐会を蹴飛ばしてお帰りになったとき、ママを通して面会を願ったことがあるが、陛下は今寝たばかりだと言って、思い切り断られたことがあるよ。」

「あはは、やはりあのママの場合なんかは、一途に息子の体を心配してるだけなんだから、もう、それこそ最強ですわ。」

「あはは、さすがの君でも勝てないか。」

「いやあ、親子の情愛には勝てませんわ。何せ、欲得づくじゃありませんからな。」

「うむ、欲得と言えば、陛下と言うお人は、何一つ要求をお出しにならない方だからなあ。」

「いえ、たった一つだけ要求なさってることがありますぜ。」

新田の表情は思い切り笑み崩れていたが、無論それは、日本人が日本人であることに対して誇りを失わないでいることなのだ。

「ほい、そうだった。」

「ま、逆の言い方をすれば、陛下ご自身が日本人そのものなんでしょうな。」

「うん、私もそう思うよ。」

「いつかも、仰ってましたよ。日本人自身が日本人であることを見失わないでいさえすれば、例えどんな逆境に落ちても必ず復活することが出来る筈だ、と。」

「うーむ、日本人自身が日本人であることを見失わないでいさえすれば、か。考えさせられる言葉だなあ。」

「ここは一番、日本人の根性を見せてやるところですな。」

「そうだなあ。」

「そう言えば、岡部君はダイアンをお供に連れて参加するって言い出すかも知れませんぜ。」

「ほう。」

「最近、あの二人、臭いんですわ。」

無論、男女関係のことを言っているのだ。

「それはまた不思議な組み合わせだな。」

「どうも、道場で稽古をつけてやってるうちに、どうにかなっちゃったらしいんですわ。先日も二人揃ってここへ飲みに来てるくらいですから。まあ、一応含んでおいてやって下さい。」

国井にしても岡部にしても、互いに非常な機密事項を共有することになるのだ。

「じゃ、結婚まで行きそうかね。」

「その可能性、大かと思われますな。」

新田の表情は思い切り緩んでしまっている。

「ダイアン嬢は、確かあの大コーギルグループの唯一の後継者の筈だよなあ。」

「そうなんですよ。二人にとって最大のハードルになるかも知れませんな。」

「まあ、岡部君の幸せを願うのは勿論だが、それより君の方はどうなんだ。大分マスコミにも騒がれてるようだが。」

「実は私もそろそろ身を固めようとは思ってたんですが、何せここへ来てのこの騒ぎですから、少々躊躇しとるんですわ。」

「と言うことは、相手は決まってるわけだな。」

「ま、一応。」

「無論、本人のオーケーはとってあるんだろうな。」

「この騒ぎですから、ちょっと早まったかなとは思うんですが、一応プロポーズは済ませてあります。」

「おいおい、そんなこと言っちゃあ、相手に失礼だろう。誰なんだい、私の知ってる人なのか?」

「ちょっと言い難いんですが、上杉君なんですわ。」

女性を君づけで呼ぶところを見ると、普通、仕事上の人間関係を思うのが妥当であろう。

そうなると、その名前から脳裏に浮かぶ対象者は一人しかいない。

かつて秋津州在留の日本代表部の職員だった女性で、一時週刊誌などで取り上げられたこともある相手なのだ。

「ほほう、それなら私も知っとる。ミス外務省じゃないか。」

外務省準キャリアで、挙句、花と謳われたほどの容姿を誇る上杉菜穂子その人であろう。

新田の退官の折り、ともに職を辞した中の一人でもあり、年齢にしても新田より一回り以上若い筈だ。

「いえいえ、それほどのものじゃありませんがね。」

「こりゃ、いかん。だいぶ鼻の下が伸びておるわい。」

「えへへ、勘弁して下さいよ。」

「いや、勘弁出来ん。直ぐに結婚しろ。」

「あっちもそうは言うんですが、この騒ぎでは、なんとも・・・」

「それはそれ、これはこれだろう。それとも何か。相手側のご両親かなんかの反対でもあるのか。それならそれで、この私が話をつけに行って来るが。」

「ありがとうございます。でも彼女の両親はとっくに亡くなっとりまして、今じゃ特別気を遣わなくちゃならんような親族もいないんですわ。」

「それなら、なおのことすぐさま結婚しろ。じゃないと、きっと後悔することになるぞ。」

「そうですかなあ。」

「そうに決まっとる。」

いや、もう、流石の新田もたじたじの態である。

その後国井の一行は、若者の船に乗って勇躍丹波に向かったのは言うまでも無い。

無論、その旅程は秋桜(新垣島)に日本人の受け入れ態勢を準備するためのもので、さまざまな技術者集団を率い何度も往来を重ねながら、全て日本人自身の手によって貴重な青写真を仕上げることになる。

国井の手には若者から、現地の精密な測量図とともに、地質学上の膨大な調査データが手渡され、それらはやがて貴重な役割を果たし、技術者たちの作業に驚くほどの勢いをもたらしてくれるのである。

なお、丹波には都合四個兵団と言う膨大な秋津州軍が集結している上、その大部分が日本人技術者の要請に基づいて秋桜(新垣島)の全土に隙間も無く展開し、PME(永久運動機関)型発電所と電力供給施設は勿論、港湾や空港、道路や高架軌道などの重厚な交通網の建設に手を貸しつつあり、例によってその巨大な作業量と無限に与えられる資材が、国井の描く夢想をごく短期間の内に実現して行くに違いない。


さて、合衆国をはじめとする多くの国家にとって、今次の問題の対応策が他の天体への避難以外に無いことがいよいよ明らかになるに連れ、それぞれの国益がさまざまな意味を持ち始め、やがて激しく衝突して、そのせめぎあいが長期化してしまうことは火を見るよりも明らかであった。

ときにとって、新田自身が立案し若者の支持を得ている基本方針においては、しばらくは一切の介入を慎み、諸国間のせめぎあいをひたすら見守ることとなっていたからでもある。

かつてNBS支局長も確実に見通していたことだが、早期にことを進めるにあたり、移住先の土地を提供する側である秋津州が諸国間のせめぎあいに介入し、積極的にイニシャティブをとることによって、移住に関する諸問題の全てを取り仕切ってしまうことは容易であり、なおかつ必須要件でもあった筈だ。

かと言ってそれを実行するタイミングを誤れば、多くの国々から激しい怨嗟の声を浴びてしまうだけの結果に終わり、若者と新田は、そのことが必ずしも本質的な解決に繋がるものでは無いと見ていることになる。

それはそうだろう。

新たな領土の配分に際しては、その面積にしても、或いはその土地々々の地政学上の諸条件にしても、全ての国家が同時に納得出来るほどの完璧な公平性を確保することなど、到底不可能なことだったからである。

まして、事前に秋津州から齎されていた丹波についての各データには、それぞれの地域の特性にまで踏み込み、およその土地柄と地下資源に関するものも豊富に提示されており、その具体的な優劣が議論の対象とならざるを得ないのだ。

現に、土地の提供者である秋津州の意思は、全てを諸国の論議に任せることを明示しており、そうである以上、諸国の全てが、過去において地球上で持ち得ていた自然の既得権の保全に強く拘り、そのことが毀損されてしまうことを恐れるあまり、五カ国協議などでは甲論乙駁してとどまる所を知らない。

新天地におけるそれぞれの土地柄が具える地下資源、殊に石油の埋蔵量に関してなどは、結果によっては即座に国家の死活問題に繋がると捉える向きが多く、簡単に譲歩して良いものでは無いとする意見が多数を占め、五カ国ともに妥協の余地を見出そうとする気配も無い。

また、地球の全陸地から南極大陸を除いた陸地面積は概ね一億三千四百九十四万平方キロほどであり、それに対して露中米加豪伯(ブラジル)と言う六カ国の国土面積の合計は、凡そ六千二百四十八万平方キロにも達してしまう。

詰まり、この六カ国だけで、地球上の実質的な陸地面積の実に四十六パーセントを占めてしまっていることになるのだ。

五カ国協議の構成国は無論米英仏独日であるが、この中で圧倒的な国土面積を持つ者は合衆国だけであり、それに比べて他の四カ国が持つ国土は哀しいほどに小さなものでしかない。

例えば日本を例にとれば、合衆国の四割もの人口を擁しながら、国土面積に至っては実に二十五分の一にも満たないのだ。

加えて地下資源に至っては、日本は哀れなほどに乏しく、そのことがさまざまな意味で国家としての運命を大きく左右してきたほどであり、陸地と言う限られた資源の配分と言う課題には、それほどまでに深刻な難問が山積していたことは確かなのである。

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  1. 2007/08/07(火) 11:59:54|
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自立国家の建設 083

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二千八年一月十二日。

秋津州では昨夜来かなりの冷え込みがあり、秋津州ビル正面の噴水まで凍りつかせてしまうほどで、首都近郊においても積もるほどでは無いにせよ僅かに降雪を見るに至っており、無論北方の山岳地帯などは山頂付近が真っ白に冠雪している。

鉛色に染まった空から時おり粉雪が舞い散る中、おりしも合衆国大統領特別補佐官はことさら重いものを胸に秘めたまま、さして遠くも無い距離を内務省に向かって車を走らせていた。

本国から取り寄せたリムジンのハンドルはいつも通りジムが握ってくれており、時おりフロントガラスを湿らす僅かな水滴を間歇ワイパーがしめやかに払拭してはいるが、タイラー補佐官の胸の曇りは一向に拭われることは無かったのである。

ケンタウルスだかなんだか知らないが、まったく、思いも及ばぬことばかり起こってしまう世の中なのだ。

人類が滅亡に至るタイムテーブルは今も無情に時を刻み続けていると言うが、その全体像を正確に把握している者は米国代表部の中でさえごく僅かな者に限られており、実を言えば、愛する妻にさえ未だに告げてはいないのだ。

ホワイトハウスで行われる定例記者会見においても、そろそろケンタウルスに関する質問が出始めており、中には相当穿った見方をする記者もいて、大統領閣下の側近の間にも別して疲れの色が見え始めていると言う。

彼等の間でも事態の深刻さについて疑問視する者は既に見当たらず、その対応策にしても丹波への移住以外に無いこともはっきりしてしまっており、あとは米国の国益を減衰させずに如何にしてそれを遂行するかに掛かっているが、それに関する重要な鍵のほとんどが又してもあの魔王の手の内にある。

ここに来てのタイラーは、当然ながら本国の訓令に強く背中を押され続けており、ここ数日来、いつもの女神さまとの会見をセットすべく必死に力を尽くして来たのだが、何故か色よい返事がもらえずに、非常な焦燥感を覚えずにはいられなかったのである。

恐らく女神さまは、全き多忙の中にあるのだろう。

無論、その多忙の原因は全てケンタウルスの件にある。

今にして思えば、この秋元雅と言う「美少女」は、つい先日の対話の中でさえ重大な示唆を与えてくれていた筈なのだ。

詰まり、相手側にはそれだけの「誠意」があったことになる。

当時の自分が、それをそれとして認識出来なかったに過ぎないことに気付かされたのは、情け無いことにごくごく最近のことであったのだ。

まして、たかだか二十二歳に過ぎない一人の民間人女性の市場価値が、近頃途方もなく暴騰してしまっていることを思わずにはいられない。

殊に五カ国協議などでは、新天地の領土配分に関する討議がラビリンスの迷宮に踏み込もうとしており、ことにあたって誰もが欲しているのはこの難問を解決するための近道であり、その道案内の役割を果たしてくれる筈の「アリアドネの糸」なのだ。

そして、各国の当事者たちの視界の中では、この年端も行かぬ美少女こそがアリアドネそのもののように映ってしまうのだろう。

無論、いまのタイラーにとっても、アリアドネの糸の在りかを示唆してくれるほどの相手は、どう考えても他に見当たらないのである。

自分は、いや合衆国は、何としてでも、その糸の先端を掴み取らねばならないのだ。

さもなくば我が栄光のアメリカ合衆国は、あのラビリンスの迷宮の中を永遠に彷徨うことにもなりかねず、もがき苦しみながら幾たびか繰り返された願いごとが今日になってやっと叶えられ、タイラーは今そこに向かっている最中だ。

指定された場所は内務省の最上階であり、いつものエレベータホールに降り立つと、驚いたことに出迎えてくれたのは女神さま自身であった上に、その先導によって導かれたのは、かつてただの一度も通されたことの無い部屋だったのだ。

相変わらず森閑としている長い回廊を渡り、ようやく行き着いた筈のその部屋が終着点では無かったことに驚く内、その部屋の奥のドアを通り抜けもう一つ隣の部屋に出たのである。

そして又、次のドアを開けると、そこにはそこそこの広さを持った階段があり、少し離れて堂々たるエレベータホールまでが視界に飛び込んできた。

先ほどエレベータを降りたところは確かに最上階の五階フロアであった筈が、どうやら未だ上の階があったらしい。

結局導かれるままに階段を上り、重厚な造りの回廊を進みながら見渡せば、両側に相当数のドアが並び、かすかに人の気配を感じさせる部屋もあるようだ。

その回廊は、天井の高さにしても三メートルはありそうな充分なもので、無論特別の圧迫感を感じさせるものでは無く、前々から囁かれていた、このビルの外観が異様な高さを持つことについての謎の一端がようやく解けた想いがしてくる。

ここは非公開のフロアだったのだ。

この分では、他にもそれがあるに違いない。

地上五階建ての外層を持つこのビルは、内層においては、恐らく十層以上あるのではないかと囁かれていたことは確かなのだ。

ひそひそと歩を進めるうちに、ほどなく目的の部屋に着いたようであったが、そこで再び驚かされることになった。

女神さまが開けてくれたドアの向こうに、なんと女神さまの総本家の顔が見えたのだ。

「おお、これはこれは。」

「いらっしゃい。」

長姉の京子が、六人掛けほどの応接セットから今しもにこやかにいざなうのである。

「いや、驚いたよ。」

見渡せばどこにも窓が無く、少々大きめの通風孔が目に付くだけで、一瞬気圧される気分を味わう内、案内して来てくれた年若い女神さまの方は、ひっそりと引き返して行ってしまった。

「ごめんなさいね、いつものリビング付近は当分使用中なものですから。」

「ほほう、どなたか賓客のご入来でもあったのかい?」

「まあね。」

この口振りでは、それ以上聞いても無駄だと察するほかは無い。

このとき、まったく見知らぬアジア系らしき女性が隣室から姿を見せ、優雅な挙措でお茶を運んで来てくれた。

小柄のせいかタイラーの目には十五・六にしか見えなかったが、透き通るような肌の素晴らしい美貌の持主で、細身の体型をきりっとしたビジネススーツで包んでいるところなども実に好もしい。

「どうもありがとう。」

お茶の礼を言うと、恭しく答礼を返しながら隣室へ去って行ったが、どこか憂いを含んだ端麗な目が特別に印象的であった。

「ニューフェイスだね。」

後になって吉川桜子と言う名だと知ることになるのだが、その娘には、妙に惹かれるものがあったことは確かだ。

「今度、アシスタントをお願いした子よ。」

「ほう、日本人なのかい?」

「秋津州人よ。」

「ずいぶん、お若いようだが。」

「確か、二十歳の筈よ。」

「へえ、それじゃあ立派な大人だねえ。」

「あなたねえ、女の子の話をしに来たわけじゃないんでしょ。」

「あはは、こりゃ失礼。」

「相変わらず呑気ねえ。」

「いや、面目ない。」

「こっちは、そうそう呑気にしてるわけには行かないのよ。」

「ごめんごめん、でも、相変わらず忙しそうだねえ。」

「やらなくちゃいけないことが山ほどあるんだもの。」

「しかし、このフロア、初めて入れてもらえたよ。」

「多分、アメリカ人としてはトムが始めてだったかしら。」

「部屋数もずいぶん多そうだが。」

「そうね。一DKが六十ほどかしら。」

実は、そのほかにもいくつかのオフィスがある。

「ほう、そんなにあるのか。」

恐らく、相当の人数を収容しているのだろう。

そうなれば、思い浮かぶ入居者たちも自ずと限られてくる。

例の岡部グループのつわものどもが、その拠点としているに違いない。

「ところで、今日はあたしじゃ不足かしら。」

いまさら、そう言われても面会を約束した筈の本人はとっくに姿を消してしまっているのだ。

「何を仰るやら。」

こちらとしては、むしろ京子が出てきてくれて、いっそ都合が良いくらいのものだ。

「あら、良かったわ。」

「しかし、京子の妹たちはみんな大活躍だよねえ。」

「それほどでもないでしょ。」

「千代さんは相変わらず神宮前を取り仕切ってるようだし、涼さんは新田氏の側近だよな。雅さんは雅さんで、民間外交の旗手として今じゃ有名人だしなあ。あと一人、ええと滝さんだったっけ?」

「そうよ。」

「そう言えば、滝さんも素晴らしい美人だったよねえ?」

「自慢じゃないけど、うちの妹たちはみんな美人よ。」

「今、どこにいるんだい?」

無論、秋元滝の行方である。

「あっちこっち動いてるわ、いまは確か丹波に行ってるかしら。」

「ほう、丹波かあ。あっちじゃ、どんな仕事があるんだい。」

「陛下の直轄領の整備を手伝ったり、皆さん方に分配する予定のあちこちの地を整理したり、やることはいくらでもあるわ。」

「うん、そのことなんだがねえ。」

「はい?」

「うん、・・・・。」

「だいぶ、言いづらそうねえ。」

「ちょっとな。」

「遠慮してると日が暮れちゃうわよ。」

「じゃあ、ずばりと言っちゃうことにするか。」

「どうぞ。」

「五カ国協議に中露を加えたいんだが、どんなもんだろう。」

魔王の出方が判らないのである。

何せ、中露両国は未だに秋津州の実質的な自治領だと言ってしまって良い国際環境が続いており、宗主国の了解無しでは彼等自身が二の足を踏む筈なのだ。

「あら、それなら、ついさっきも両方とも新田さんのところへ来てたわよ。」

中露二カ国の代表部の人間が来ていたと言う。

「ええっ。それじゃあ?」

「別に問題無いんじゃない。」

「ほんとかあ?」

「心配要らないと思うわよ。」

「そうか。」

「それより、どんどん時間がなくなっちゃうわよ。」

「うん、それは判ってるんだが。」

「ほんとに判ってるの?」

「う、うん。」

「まあ、中露も混ぜて自国領の既存の面積を、そのまま確保しようと必死なのは判るけど。」

「でも、当然だろ?」

「そのうち、時間切れになっちゃっても知らないわよ。」

「い、いや、これでけりがつくだろ。」

尤も、タイラー自身、実に自信なさげな表情なのだ。

「そうは思えないけどね。」

「だめかねえ。」

「だいたい、五カ国が七カ国になったからと言って、そこで全ての決定をしちゃおうって言うのが土台無理なのよ。」

「しかし、未だ秘密会にしとかなきゃならんだろう。」

それに大勢で話し合ったところで、余計紛糾してしまうくらいが落ちなのだ。

「まあ、ここで何か言ったりすれば、又あとで恨まれちゃうんでしょうから、余計な口出しは止めにしとくわ。自分たちで決めれば結果はどうあれ、誰も恨むことは出来ないでしょうからね。」

「いや、口を出してもらわんと何も決まらんかも知れん。」

「あらあら、ずいぶん弱気だこと。」

「結局、各国の国益の隔たりを完全に埋めることは不可能に思えて来るんだよ。」

ワシントンは別として、タイラー個人としての見解を聞かれれば、これこそが現在の本音なのである。

「じゃ、丹波の分配と言う陛下のご温情を無にすることになるわね。」

「いや、そうじゃ無いよ。」

「でも、結果としてそうなるでしょ。」

「そうならないようにするよ。」

「ま、好きになさいな。」

「相変わらず、突き放した言い方をするんだなあ。」

「だって、いつまでたっても堂々巡りの議論ばっかりやってるんですもの。」

「確かにそうなんだよなあ。でも、既存の領土面積を確保しようとするのは当然の権利だろ?」

「もう、なんにも言わないことにするわ。」

さも呆れた、と言う表情なのだ。

「人類の命がかかってるのはみんな判ってるんだから、いつかは判ってもらえるさ。」

「そうね。」

女帝の反応は極めて冷然としていた。

「ところで、王妃の兄さんがこっちに見えてるそうだが。」

「うふふっ、とっくに知ってるくせに。」

「そう、苛めるなよ。」

「別に苛めてるわけじゃないけど、何が聞きたいのよ。」

「いや、・・・・」

「また、言いづらいことなのね?」

「いや、NBS系列の女性ジャーナリストたちの件なんだけど、・・・・」

「あら、何かしら?」

「判ってるくせに、」

「おほほほ、要するに退去強制を心配してるのよね?」

「だって、以前は陛下以外の男性と交流すると途端に追放されちゃったじゃないか。」

「あらあら、それだったらビルの方からクレームがつくんだったら判るけど、何でトムがそんな心配しなきゃならないのよ。」

女帝は皮肉な笑みを浮かべている。

「いや、彼女たちも我が国の国民だからさ。」

「へえ、それで保護する義務があるって言いたいわけね?」

「うん、そういうことにしといてくれよ、頼むからさ。全部判ってる筈じゃないか。」

以前と違い今では、欧州勢やアラブ系に限らず多彩なメンバーが活躍し始めており、王妃の兄に対するハニートラップが無数に仕掛けられようとしている筈なのだ。

「そう。あたしに頼むのね。」

「うん、頼む。」

「判ったわ。」

「じゃ、いいんだな?」

「別にいいわよ。でも、今更あのルートがそんなに価値があるとも思えないんだけどねえ。」

「・・・・。」

「ま、何とやらは藁でも掴むってことわざも無い事も無いけど。トムもほんと大変ねえ。」

「うん、感謝するよ。」

こちらの願いが聞き入れられたことに違いはなく、ここはもう、何を言われても感謝しておくより他はない。

「未だ話があるんでしょ。」

女帝は早く言えと言わんばかりだ。

無論、例によって何もかも承知の上なのだろう。

「秋津州商事が大型の輸送ヘリを開発したそうだね、それも、まるっきりのプライベート・ベンチャーで。」

プライベート・ベンチャーとは、誰にも買ってもらえる保証が無いままで民間がまったくの自己責任で新機種の開発を行うケースであり、一定レベル以上の兵器の場合、その投資額の巨大さゆえにまずあり得ないことなのである。

「へえ、そんな話、どこで聞いてきたの?それにPMEタイプの試作ヘリなら、とっくにプレゼントして上げた筈だわよねえ。」

この女帝の妹の雅を通じて、すんなりと供与を受けることが出来たのだ。

「あ、ありがとう、ほんとに助かったよ。あれはあれで大好評だったんで、私もずいぶん株を上げることが出来たんだ。」

「それは良かったわね。」

「だから、あれとは別口でペイロード二百トンとか三百トンとか言う怪物の話だよ。」

この場合のペイロードとは、その怪物とやらの有効搭載量のことであろうが、仮にその話がヘリのことなら、それこそとんでもない数値だと言って良い。

「勘違いしてるわよ。それ、ヘリじゃなくてポッドの筈よ。きっと情報がどっかで曲がっちゃったのね。」

「へええ、ヘリじゃなかったのか。ほんとかい?」

つい、うたぐりぶかい表情をしてしまった。

「おほほほ、別に信じてくれなくてもいいんだけど。」

「いや、信じるから、頼む、教えてくれ。この通りだから。」

目の前の低いテーブルに手をついて深々と頭を下げてしまった。

これも、ワシントンが特別に興味を示している話柄なのである。

「だから、さっきからポッドだって言ってるでしょ。別に隠しておくほどのことでも無いんだから。」

「へええ、でもポッドって、前に、ただの容器だって言ってたよなあ。」

「そうよ。ちょっと変わった倉庫みたいなものだわね。」

「でも、いろんなパターンのポッドが現に自力飛行してるじゃないか。」

「あれは、自力で飛んでるわけじゃないわ。いろんな方法で飛ばしてるのよ。」

「いろんな方法って?」

「うーん、一言や二言じゃ説明出来ないけど。簡単な例で言えば、秋津州の兵士たちが担いで飛ぶとかね。」

「か、担いで・・・」

「別に兵士でなくても同じよね。秋津州には小型の飛行体がいっぱいあるし、例えばだけど、D二とか言うヤツがぴたりと収まるような丈夫なキャノピーを、その倉庫にたくさん取り付けておくとかいろいろあるでしょ。」

「詰まり、頑丈な倉庫に小さな操縦席みたいなのをいっぱい取り付けて、そこにD二がいくつも収まって飛ばしてしまおうって話なのかい?」

「例えばね。」

「ほう、それで、どれくらいのスペックなんだろ?」

それこそが、ワシントンの最も知りたがっていることなのだ。

「これも例えばの話だけど、D二が千機もつけば、自重五トンの倉庫が百トンの荷物を収納していても充分機能する筈だわ。」

「それで、どの程度の飛行スペックなんだい?」

「十メートル角の倉庫に、六十五トンの戦車一式を積んでテストしたらしいけど、平均時速二百キロで三千キロほど飛んで見せたって言ってたわ。」

「じゃ、空気抵抗に配慮したデザインにすればもっとスピードが出る筈だな。」

「でも、戦車に正規の搭乗員が乗ったままで運ぶことを考えると、それ以上の高速は無理なんじゃない?」

「それじゃ、人間も乗せる気か?」

「らしいわよ。」

「ほう、驚いたな。」

「別に驚くほどのことじゃないでしょ。ずっと前に秋津州湖でトムんところのヘリが落ちたけど、あのときの漁船だってその方式で動いてたんだから。」

「うん、その話なら聞いた覚えがあるよ。しかし今度のヤツは、第一、規模が違うだろう。」

「そうかしら。」

「実用価値がまったく違うよ。」

「だからワシントンが目の色を変えてるってわけよね。」

「うん、どうだろう、また今度のも分けてもらえないだろうか?相変わらず図々しいお願いなんだが。」

ワシントンの本音もそこにある。

「あらあら、そんな倉庫みたいなものだけもらったって仕方が無いでしょ。肝心の動力が無いんだから。」

「あ、・・・・」

「D二とかG四なんかは秋津州固有の技術だし、百歩譲ってこれも供与したって、いまのワシントンの能力じゃ使えないじゃないの。」

「そうなんだよなあ。今も必死になって無人兵器を開発してるんだが、秋津州のヤツとは比べ物にならんからなあ。」

「わかったみたいね。」

「うん、倉庫ぐらいなら我が国にも造れるし、・・・・」

「立派な倉庫がたくさん造れる筈よねえ。」

女帝は淡い笑みを浮かべているが、仮に嘲笑われてしまったとしても致し方の無い話なのだ。

「だったら、何で今更そんなもの開発するんだい。無意味じゃないか。」

「別に改まって開発なんかしてないわよ。ただ、少し事情が変わってそう言う運搬手段が大量に必要になっただけよ。」

「ほう、その話、もっと詳しく聞きたいもんだね。」

「簡単よ。丹波の受け入れ作業の過程で、陛下の直轄領が突貫工事の真っ最中だからよ。」

「例の二十パーセントの直轄領の話かい?」

「そう。その中の一部の自治領が独自の予算編成権を求めたのよ。」

タイラーには知る由も無いが、女帝は秋桜のことを言っているのだろう。

「じゃ、独立したいってことか?」

「ま、それに近いわね。」

「陛下はお怒りになっただろう。」

魔王と言う独裁者から見れば一種の反乱には違いない。

「いいえ、ちっとも。逆に自立を支援なさろうとしてらっしゃったくらいだわ。」

「へええ。」

「でも、その自治領の方々が辞退なさったそうよ。」

「ほう。」

「だって、自立とか独立って言うのは、ひとさまから与えられるものじゃないもの。」

「うん。」

「それで今、その方たちはいろいろ苦労してるところなのよ。」

「へええ。」

「だいいち、最低限の経済力すら持てなければ、国家としての統治機構を維持することも出来ないでしょ。」

「そりゃ、そうだ。」

「まあ、その領域の人々が、今回の件で狭い範囲に押し込められるような被害者意識も背後にあって、押し込められる範囲内で独自の国家を樹立したいと願った結果かも知れないわね。」

「詰まり、我々の移住の話しが、丹波の先住民たちにとっては、とんだとばっちりになっちゃったってわけか。」

「そうね、六十五億人もいきなり押しかけて行こうって言うんだから。」

「ところでその先住民って、どんな人たちなんだい?」

「まあ、歴史は浅くても、少なくともトムたちよりは先住権を持ってる人たちだわね。」

「その口振りだと、古来からの先住民じゃなさそうだな。」

「確かに、ネイティブアメリカンほどにはね。」

「ふうむ、相当な人口なのかい?」

「そこまでは未だ判らないわ。」

「え?どう言うことだ?」

「だから、それは、そこで国家を樹立しようとしてる人たちが、自分たちの自己責任で決めることだからよ。」

「と言うことは、ひょっとして反乱者のグループがいくつもあってもめてるって話なのかい?」

「誰も反乱者だなんて言った覚え無いけど。」

「ううん、いまひとつ、ぴんとこないなあ。」

「もっと言えば、反乱者どころか、秋津州と言う国のあり方に強い共感を感じて集まって来てる人たちだと言った方がいいんじゃないかしら。」

「じゃ、うんと最近の話なのかっ?」

「最近ったって、いろいろだから。」

「ふうむ、そうだったのか。」

「今回トムが気にしてる倉庫の話なんかも、それを使ってその人たちの国造りを支援なさるおつもりなんじゃないかしら。とんでもない大工事になっちゃってる筈だから、資材の大規模な運搬手段は不可欠でしょうからね。」

「なるほどねえ。」

タイラーにして見れば、丹波の秋津州帝国の内部では、今しも一大反乱が起きているかのような気分で聞いていたのである。

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  1. 2007/08/09(木) 11:39:32|
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自立国家の建設 084

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さて、近頃の五カ国協議のテーブルには新たに中露二カ国が加わり、新領土に関して、既存の領土面積に比例したかたちでの配分方式をとるべきかどうかで激論が戦わされていた。

日英独仏は既存の領土と人口の多寡を加味した折衷案を主張して譲らず、英国に至っては英連邦の総面積を考慮すべしなどと言い出す始末で、そうなると、オーストラリアとカナダは勿論、かつてはアメリカですらその領域内だったではないかと言う者までいる。

まあ、アメリカ合衆国に関してはあくまでジョークの域を出るものではないにしても、新領土をどれほどの広さで確保するかどうかは、極めて重大な論点であることには違いは無い。

折りも折り、そろそろ復興が成ったと言う少々強引な評価を与えることにより、ワシントンが、急遽中露二カ国にお座敷をかけた理由も自ずと明らかであったろう。

いずれにしても、五カ国協議は七カ国協議となって、見ようによっては「米中露」と「英仏独日」の領土獲得競争と言う様相をていし、その争いはそれこそいつ果てるとも知れない。

最近では、米中露の陣営は、英国を語らって、同じく広大な領土を持つカナダかオーストラリアを加えようと画策していると囁かれる始末で、「アリアドネの糸」を神に求める声が聞かれるのも遠くないと言うものが増え、結局いつかは、若者が介入せざるを得なくなってしまうに違いない。


一方の秋桜においては、委細構わずそれぞれの大規模工事が爆発的な勢いで進捗しており、例の特別製の大型ポッドが縦横無尽に活躍している姿がある。

国井が最初に現地入りしてから未だほんの数日しか経っていないにもかかわらず、国井とその一派が描いた青写真は、少なくとも具体的なデータが書き込まれている分に限ってだけは、最早完成間近だと言って良いほどの状況にあり、全土にわたる詳細な地籍調査図が完成し、それをもとにした地方自治体の分布策定にまで踏み込みつつあるのだ。

無論、その全てが言わば国有地の扱いであり、個人や地方自治体の所有地など未だ一坪も存在しないことから、きたるべき困難な分配作業についても比較的順調に処理が進む筈だと予想されている。

緊急避難用の大規模な集合住宅の建設が各地で開始され、収容可能な所帯数も四千五百万ほどを目処とすると規定した上、大切な生活用水の確保を念頭に大規模な利水事業もその緒に就いたことにより、少なくとも日本の国籍を持つ人々に限っては、最低限の受け入れ態勢が整ったことにはなるのだろう。

各集合住宅付近にはそれぞれに病院施設と小中学校が付属し、各病院施設には先端的な医療器具やふんだんの医薬品が揃い、最悪のケースに備え、都合二百万人ほどの医療要員が秋津州から派遣される目算も立ち、国井はいよいよ次なる行動に移るべく決意を固めている。


二千八年一月十九日。

灯ともしごろになって、銀座の秋津州ビルにひっそりとタクシーを乗り付けた一人の老紳士があった。

ソフト帽を目深に被り、コートの襟元からマフラーを覗かせているその人は、元建設事務次官、現内閣官房副長官の中でも事務担当の職にある相葉幸太郎である。

秋津州ビルと言えば、無論一階にクラブ碧のある建物だが、今日は土曜日のことでもあり、たとえいつまで待ってもその店に灯が灯ることは無い筈だが、ママのみどりだけはいつも通りの和服姿に身を固め、同じく一階の喫茶立川にその姿を見せていた。

無論、こちらの店もみどりにとっては立派な戦場なのである。

この店は初期のうちこそ名目上セルフサービスの形式をとっていたが、今では理恵を店長格に、彼女の女友達ばかりが数人、緩やかなシフトを組んでカウンターに入るようになっているところを見ると、みどりは相変わらず男性店員は一人もおかない方針のようだ。

店内ではヒューマノイドのフロア係りが一段と華やかさを加え続けており、格調ある内装とも相俟って、今では銀座でも有名店の一つに数えられることも多く、いまや立川商事の重要な営業拠点の一つに成長しているほどだ。

しかし、今日はみどりにとっては単なる業務では無い。

先ほどから窓際付近に陣取ってその時を待っていたのであり、官房副長官の到着を見るや一人の女性を伴って素早く迎えに立った。

この女性は、かつてひどくタイラーの気を惹いたことのある吉川桜子であり、相葉にとってはみどり同様に旧知の間柄でもあるらしく、三人とも小声で挨拶を交わしながら揃ってエレベータに乗り込んだ。

ほどなく三階でエレベータから降りた相葉は、国井義人の迎えを受け和やかに談笑しつついざなわれるまま一室に消えたが、ときにあたり国井自身が表まで迎えに出なかったことにも充分な理由があろう。

国井自身はいまや時の人でもあり、階下まで降りてうろうろしていれば物見高いメディアが放っておく筈は無く、すぐに噂の花が咲いてしまうに違いない。

なお、相葉は大泉政権の頃から引き続き現職にあり、当時官房長官を務めていた国井とは職務上においても殊に緊密な間柄にあって、年齢的には相葉の方が一回りほども上ではあったが、互いに深く人格を認め合うほどに濃密な人間関係が保たれていたのだ。

また、国井にとっての相葉は、現在の官邸の中では唯一に近いパイプでもあり、今日は、国井が丹波へ向けて旅立つ直前以来の邂逅でもあった。

二人が入った部屋は、新田等でこぼこコンビの退官騒動の際、揃って職を辞した者たちが集結したところでもあり、相葉自身にしてもかつて何度か訪れたことのある場所でもある。

適度に空調の効いたその部屋は重厚な造りの調度を具え、一見会議室のような造作を持ち、正面には大画面のモニタまで用意されており、そこには吉川桜子の操作によって、さまざまな映像が映し出される仕組みだ。

みどりが相葉のコートを甲斐甲斐しく受け取って隣室に消えたところを見ると、そこは恐らくクロークルームのような扱いになっているのだろう。

彼女が再び現れたときには、その手に簡単な湯茶の用意があり、その後のみどりは同座を遠慮するようにして淑やかに去った。

部屋に残ったのは無論三人だけであり、相葉は短時間のうちに期待を上回るほどの情報に接し、即座に数人の男たちに連絡した結果、やがてその場には多数の人間の集結を見ることになった。

土曜日とは言いながら、既に深更である。

一階の立川は灯を落とし、あたりはほとんど人影もまばらだ。

まして、その顔ぶれが各省庁の事務方のトップばかりで占められていたことから、その光景は、見る者によってはことの重大さを想わせるに充分なものだった筈で、この意味一つとってもその集結は、なおのことひっそりと行われる必要があった筈だ。

結局その非公式会合は夜を徹して続けられ、徐々に参加者を増しつつ、多少の休憩を挟みながら翌日の日曜一杯にまで亘ったのである。

大型のモニタに映し出される貴重な情報は無論丹波に関するものばかりであり、中でも秋桜で進行中の一大イベントの実態が参加者の度肝を抜いたことは確かで、殺到する煩雑な質問にも吉川桜子が常に的確な反応を示し続けた。

そこには一切の観念論や抽象論が入り込む余地は無く、全て具体的なものばかりで満ち溢れていたのである。

漠々たる砂塵を舞い上げながら立ち働く膨大な秋津州兵士の姿があり、なおかつ整斉として大地を走る道路や鉄道網がある。

空港はおろか、多数の港湾があり、発電施設があるのだ。

国井の指し示す青写真では、一年以内に十数個の人工衛星の打ち上げまで予定しており、集結した日本の行政官たちに対しても、この青写真の空白部分にはその手で書き込ませようとしていることは明らかであった。

国井は相葉との打ち合わせ通り、肝心の避難先についてだけは大枠の準備を立派に終えて来た上、なおかつそれに関して具体的なデータまで揃えて来た。

そのデータの中では、秋桜と言う陸地が画然とした四季とともに豊富な地下資源を持つことにも触れられており、殊に石油や鉄鉱石をはじめ、各種レアメタル等の巨大な埋蔵データが示されたときなどは、その場に盛んな拍手が沸いたほどであった。

なお、改めて国井から出された確認事項がある。

そもそも、その島の工事は、新田がその「拝借」を王に願い出た結果初めて実現したもので、新田自身が管理責任者として全ての責めを負う旨の誓約をしていることにも触れたほか、秋桜(こすもす)はあくまで王の直轄領の一部であり、この意味でいかなる第三者も容喙することは出来ないとの認識を強調した。

したがって、その独立性が公式に担保されているわけでも無く、しかも理想は国王陛下の直轄領以外の場所に固有の領土を確保すべきことにまで言及したのだが、実際にはそれが一種の方便に過ぎないことだけは、全員が一致して感じ取っていたことは確かだ。

結局秋桜と言う自治領が、将来完全な予算編成権を持つことについても、いつにその領域で暮らす人々の能力に掛かっているのであり、この場の高級官僚たちからは、それは自分たちの双肩に掛かっているものと受け止められたのも極めて自然なことだったろう。

その後、国王の「日本人自身が日本人であることを見失わないでいさえすれば、例えどんな逆境に落ちても必ず復活することが出来る筈だ。」と言う言葉が紹介されるに及び、出席者たちの秋津州への連帯感が極限にまで高まってしまったのも当然のことだ。

この非公式な事務次官等会議はその後大きな広がりを見せ、次第に地方自治体にまで影響を及ぼし、やがて数次にわたる視察団の派遣にまで発展して行くのである。


二千八年一月二十一日。

この日の新田は、いかに自業自得とは言え、格別慌ただしいときを過ごす羽目になった。

午前中に己れ自身の結婚式を執り行い、なおかつ午後には、土竜庵に大勢の訪客を迎えていたからである。

その訪客とは、新日鐵とJFEの首脳たち一行だ。

周知の通り新日鐵とJFEは日本の鉄鋼産業における二大巨人であり、日本の鉄鋼文明の牽引役として欠かすことの出来ない役割を担っている企業と言って良い。

近頃の彼等は、経産省鉄鋼課から強い示唆を受けたことにより、揃って訪れる運びになったのだ。

尤も、話の様子では、訪客たちの方はむしろ個別の会談を望んでいたもののようだが、土竜庵の主の強い誘導によって已む無く共に行動する運びになったようだ。

無論、その用件も知れているだろう。

経産省鉄鋼課から与えられた示唆によれば、丹波の秋桜と言う新天地には膨大な鉄鉱資源が眠っている上に、近い将来において爆発的な勢いで文明が立ち上がろうとしていると言うのだ。

当然その需要も膨大なものになると見るべきであろう。

確かに、鉄は人類文明の重要な基幹の一つであり、それなくしては人類の文明生活は保つことすら出来ない。

そしてなお、文明は日々大量の鉄を必要としており、これが避けようの無い現実であるからこそ、土竜庵の亭主も自室の掘り炬燵にすすんで招じ入れたのであろうが、訪客たちにして見れば、淑やかに湯茶の接待をする若く美しい女性が、つい先ほど妻となったばかりの文字通りの新妻の身だなどと気付く筈も無かったに違いない。

単にその席で相応の情報と便宜を得たことを以て、途方も無いビジネスチャンスが到来したものと捉えたに過ぎなかったのである。

そしてこの会談ののち、丹波に向けて瞬時に旅立つ機会を得ることによって、充分な余裕を持ってその準備に取り掛かることが出来たことは確かだ。

将来の展開によっては、秋桜の予算編成権を握るとまで囁かれているこの男のもとへは、その後も、日本の鉄道事業者や自動車メーカーを始め、さまざまな業界人が訪れ、やがて秋桜への進出を目指す動きが目に見えて加速することになる。

無論、新田にとっても望むところではある。


また、銀座の秋津州ビルには秋津州財団日本支所と銘打たれた堂々たるオフィスがお目見えし、やはりさまざまな民間企業が盛んに足を運ぶようになった。

その殆どが神宮前から回されて来ている様子であり、その点千代の方もおおわらわであったに違いない。

その後、東京都知事の腹心と見られる者までが顔を出し、秋桜における首都圏の設計には都知事本人が大乗り気であると囁かれる中、何と都心部に壮大な皇居らしきものの造営計画まで練られているとされ、それが定まるに連れ多数の幹線道路についても、その敷設計画が整いつつあるのだと言う。

放射状道路や環状道路は勿論、首都圏を網羅する高速道路網までが詳細に書き加えられて行き、当初国井が作成した青写真が一段と充実を見た。

例の私的な事務次官会議にしても更に回を重ね、新たな立法府や行政府のハコモノに関しても充分に練られた案が登場し、首都圏だけでも新たに複数の発電施設の立地が示されるに至った。

その発電施設にしても、巨大な発電能力を持つPME方式のものばかりであり、なおかつその発電規模から見れば信じがたいほどに小規模な外見でしか無いのである。

電力事業者や鉄道事業者、そして通信事業者たちなどの手になる地下層の図面まで策定が進み、しこうして、国井たちの描く青写真は、国井自身の予想をすら、はるかに上回るスピードでますます完成度を高めて行くに違いない。

しかし、国井の望んだ秋津州による七カ国協議への介入は行われる気配も無い。


また、この頃になると、ぼつぼつ秋津州円の独歩高が目立つようになり、金相場が上昇に転ずる気配を見せ始めており、世界のマーケットにはなにやら不穏な空気が漂い始めていたことも事実だ。

無論、その原因のほとんどはケンタウルスの一件にあると言って良い。

庶民の間にもさまざまな情報が乱れ飛び、中にはかなり真実に近いものも出始めてはいたが、幸いにして株式市場は未だ活況を呈してくれていた。

万一現時点で中途半端な形で情報が流れてしまえば、第一に不動産の資産価値が皆無に等しいものとなってしまい、その極端な値下がり傾向があらわになってしまえば、殊に日本などは金融システムからしてが危ういことになる。

当然それは日本だけの問題に留まる事では無く、瞬時に世界のマーケットに飛び火してしまうことは明らかで、この点一つとっても、七カ国協議に愚劣なせめぎあいを続けている余裕など無い筈なのだ。

一歩間違えれば、世界恐慌どころか、各国が軍の出動を以てしても対応しきれないほどの暴動すら起こりかねないのである。

それどころか、ことがことだけに、肝心の国軍自体の存続までが危ぶまれるほどだ。

流石にこの頃には各国政府の派遣による視察団も銘々丹波入りし、自前の情報を数多く持ち帰りはしたが、かと言って七カ国協議に合意を齎すほど画期的な材料があるわけでも無く、予想通りそれは、事前に秋津州から与えられていた現地情報の正確さを裏付けるものでしか無かった。

しかし、ワシントンなどでは、おろかにも、現時点で確保出来ているハワイ、グアム、沖縄、そしてインド洋のディエゴガルシアなどと同等の海外拠点を要求すべしとする強硬派まで存在し、この分では、各国間に広がる国益の溝が埋められるような状況には無い。


二千八年一月二十七日、新田の行動に刺激を受けたものか、岡部大樹の方も実に慌ただしくダイアンとの挙式を実行した。

周囲のものの目にはそう映るのも当然だが、実際は、新田との合同結婚式を目論んでいたものが、花嫁側の親族の都合によって、已む無く日程をずらさざるを得なかったのが真相だ。

また、若者の了解と協力を得ることによって式場は新田と同様に秋津州神社を用い、特別の披露宴を行わないことについても、これまた新田のケースと同様であった。

この新妻の国王への思慕の情は遂に果たされることは無く、その後さまざまの出来事を経て既に遠い過去のものとなっていたようで、今にして思えば、若者自身が既に婚姻を果たし、岡部が実質的な剣の師匠として颯爽と出現したことにより、その思いが一気に傾いて行った気配が濃厚なのである。

結婚に対する思い入れの深さ一つとっても、どう見ても新婦側の方に高い熱情が感じられると人は言い、常に傍近くにいるメアリーを説得するに際しても、この熱情が大いに功を奏したことは確かなのだ。

ただ、この夫婦は互いに実に多忙である。

無論岡部の多忙さは秋桜の建設に密接に関わることから来ており、新妻にしても大規模な事業に関わっていることも周知のことだ。

まして、今後、岡部の活動拠点は東京に移るのである。

新妻も即座にその拠点を東京に移し、愛する夫をさまざまにサポートして行くことになる筈だ。


一方、NBS支局長のビルは若者の意を受け、新たな戦略的行動に移ろうとしていた。

それは、「王の荘園」について、一次情報を積極的に発信し、前以てその実在性を広く伝えておくことによって、いざと言う場合に備えようとするものであり、当然その戦略が、人類の救済と言う目的を果たすために余程有意義なものに思えたからに他ならない。

もともと「王の荘園」自体が、各方面の興味を引いて已まない対象であって、無論各国のメディアにとっても絶好の標的であり続けて来たと言う経緯がある。

この場合、ビルが手にしたさまざまの映像情報が丹波限定のものであったにせよ、それはそれで彼等の戦略の上からは充分なものだった筈で、これを他のビッグメディアにも積極的に配信することによって、重大戦略を強力に推し進めることにしたに過ぎない。

詰まり、来るべき混乱を最小限に収めるためにも、全人類を収容して余りある能力を持つ新天地が現実に存在することを、世界にアピールしようとしたことになる。

さらに、その新天地は溢れるほどの自然に包まれた「星」であり、清浄無垢の大気をも併せ持ち、なおかつ、既に二十億人の胃の腑を満たしてくれるだけの農産物をも生産しており、その上、見るからに充分な増産の余地があるのである。

若者にしても、やがてケンタウルスの一件が世界の庶民に衝撃を与えることが避けられぬ以上、その衝撃を和らげる方策として最も適切な手段であると信じたからだ。

その後、コーギルを始め、世界の一流と呼ばれるほどの企業の殆どが積極的に協賛し、溢れるほどの資金力に支えられた空前の意識誘導作戦が始まった。

その対象は全世界の民なのだ。

無論、ガンマ線バーストに関しては一切触れられることは無く、その新天地の八十パーセントが人類のために解放されることを以て全てのベースとしている。

従来一切のコマーシャルを打たなかった日本の秋津州商事でさえ、単年度で五兆円に迫る広告予算を組み、三兆円ほどの資金調達を目指すと発表したほどなのだ。

マーケットにおいて、あの若者こそがオーナーだとされている秋津州商事は、本来、マーケットの求めに応じて上場しさえすれば、その株式の時価総額は五百兆円は下るまいとするアナリストもいるほどで、それはエクソンモービル、GE、ガスプロム、マイクロソフトの全てを合わせたそれよりもなお、はるかに巨大なものなのである。

すなわち、その企業は、上場しさえすれば、その程度の資金など軽々と調達し得る評価を受けていることになる。

まして、その方式の場合一切の調達金利は無視してしまって良いのである。

だが、その企業は証券会社の度重なる上場勧誘の誘いにも、相変わらず耳を貸そうともしていないことで知られており、即座に多数の銀行が集結し強固なシンジケートを結成した上で、その巨大な資金需要を満たすべく積極的に動いたのも当然のことだったろう。

何せ、近頃海都に支所を構えたビッグバンクの担当者が、あの若者の重大発言を直接その耳で聞いたのだと言う。

その重大発言の内容とは他でもない。

秋津州商事の債務に対し、全面的な連帯保証を与える用意があると言うのだ。

いまや若者が持つ途方も無い信用力を疑うものはおらず、それを裏側から言えば、この秋津州商事と言う企業が今更有利子負債を抱える意味は無いと言って良い。

ところが、現実に発表された調達方針がこれなのだ。

周辺業界に与えた凄まじいインパクトがあり、当然、その筋ではビッグニュースとなって世界を駆け巡り、世界中の目を惹くことになったのも当然のことだったろう。

そのことこそが、あの魔王の真の目的なのではないかとする向きも少なくはなかったが、その業界に棲む者にとってはビッグチャンスであることに変わりは無い。

無論、世界のビッグバンクのほとんど全てが動いた。

驚くべきことに、銀行団の内部調整の過程で、金利その他の貸付条件ですら紛糾することは無かったと言われ、その結果巨大な信用創造が発生することとなった。

彼らにとって、これ以上の融資先は無かったのである。

これにより、この資金需要が満たされることが一層確実になったことになり、商業メディアが放っておく筈も無い。

何せ、単年度で五兆円もの広告宣伝予算なのだ。

無論、神宮前に殺到したのはメディアだけにとどまらない。

例の便通を初めとする大手広告代理店の全てが参入を望み、やがてさまざまな宣伝用の番組が企画され続々と持ち込まれるまでになった。

その企画のチェックに当たるのは、秋津州商事広報担当と秋津州財団総裁秘書の肩書きを併せ持つ吉川桜子である。

その上彼女を通じて膨大な丹波情報が配布され、その中にはNew海都の近代建築の数々は勿論、その地で幼な子の手を引きながら、のどかに散策する国王の映像までが含まれていて殊更彼等を喜ばせた。

なお、その地では秋津州の円が立派に流通していることについても触れられていたのである。

その結果、溢れんばかりの丹波情報が各国各地で発信され、国王の所有になる荘園の実在性が殊に先進世界においてはあまねく信じられるようになり、途上国においてさえ多くの人々の知るところとなって行った。


さて、秋桜における青写真がいよいよその精密さを増して行くに連れ、国井にとっての政治行動がその優先順位を変えるに至り、その結果日本では総選挙の洗礼を受けることも無く、ごく平和裏の内に政権交代が行われようとしていた。

与党民生党が事実上分裂してしまった上、これまで連立政権に参画していた弱小政党も離脱し、政権そのものの内部崩壊によって内閣が総辞職に追い込まれたからである。

雪崩を打って離脱して行く者たちからすれば、轟々たる非難を浴び続ける大沢政権に留まっていれば、非常な不利益を蒙ることが最早明白になってしまったからだ。

予想されたこととは言え、総理自身がそのあまりの不人気さ故に、解散権を行使しても国民の支持は得られないことを、否応無く自覚させられた結果であるとも言われた。

無論、肝心の予算は未だ通っていよう筈も無い。

国井義人は党総裁ポストの禅譲を受けた上、首班指名においても圧倒的な支持を獲得し、日本国の内閣総理大臣の椅子に着いた。

民生党では、結局衆参ともに四割近くの右派系議員が離党の上結集し、その全てが国井に票を投じたからでもあるが、かと言ってこの票が得られなくとも国井の勝利は動かない。

衆議院においては、新たな入党者が十数名の多くを数えていた民自党が、ようやく過半数を制していたからだ。

無論、参議院においても、同様の動きには甚だしいものがある。

まして、国井個人の人気も相変わらず沸騰しており、メディアも国井の政治的スタンスを積極的に評価しようとするものばかりなのだ。

自然その内閣の持つ政治的求心力は磐石なものとなり、若干の修正を経た予算案を通すに際しても、十分な威力を発揮し得る筈だと評されるほどだ。

党外から三名ほどの入閣を許しはしたが、比較的順調な組閣作業の末、激動の国井内閣が発足した。

官邸内の秋津州対策室も大きく模様替えが行われ、実質的な指揮官である次長職に岡部大樹を据えたことにより、ことは激しく動き始めることになる。

岡部の傍らには無論秋元京子の姿があり、その配下の女性たちも又数多く参加して態勢を整えた。

その最大の任務は、政府がその義務を遂行するにあたり強力にサポートすることにあるが、それこそが来るべき混乱を最小限に食い止め、かつ国民の全てを保護する道にも通じている。

保護する為には、その対象となるべき人々を確実に捕捉しておかなければならないのは言うまでも無いことだが、現実には、個人のプライバシーを守るためと称して、国勢調査すら拒否すべしと主張するヘンな人間が一方にいるのである。

何せ憲法をさえ停止して非常事態宣言を発し、断固として事に当たるべき時が近づいている以上、個人のプライバシーなどより、よほど国民の生命の方を優先すべきことは明らかだろう。

そのためにこそ全力を挙げて「日本人」を特定しておく必要があり、その実行には膨大なG四が緻密なネットワークを結節して当たらざるを得ない。

しかしながら、一方に無残な現実がある。

不法に日本国籍を取得している者や、現に生まれていながら出生届けが提出されていない者、若しくは同一の戸籍を複数の人間が利用しているケースなどなど、事前に手を打つべき課題は溢れるほどに存在しているのだ。

岡部の心積もりでは、収監中の者については、以前にも牛久沼の湖上に配備したことのある巨大な施設を再利用する方針であり、逃亡潜伏中の容疑者に関しても、早速追捕の手を強めるつもりでおり、その上、海外にいる者は無論のこと、住所不定の者についてすら、そのときが来るまで完全に捕捉し続けようと言うのだ。

膨大なG四が活躍することになるのも当然の成り行きであったろう。

まして、その時にも治療中の重症患者や間近に出産を控える妊婦たちなども大量に存在する筈であり、当然それらの者たちにも相応の対応を考慮しておかなければならず、総理としての国井義人が求めているところのものは、全ての「日本人」を救うことにあり、それこそが国家としての最大の責務であるとしている以上、対策室に対しては、獅子奮迅の働きが求められていることだけは間違いないのである。

当然、岡部の激務は延々と続くことになる。

なお、相当の頻度で泊まり込みになる夫のもとへ、身の回り品を運ぶ新妻ダイアンの姿が頻繁に見掛けられるようになったところを見ると、外国人でありながらいまや官邸への出入りさえその自由度を増していると噂された。

国井内閣はとりあえず目の前の予算案を上げることに全力を傾け、一方公式の事務次官等会議においては、相葉幸太郎の指揮の下、新天地の青写真の完成に向けた作業が脱兎の如く突き進んでいたのである。

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  1. 2007/08/13(月) 17:20:23|
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自立国家の建設 085

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また、日本では、現国籍法施行下において初の『大帰化』案件が国会の承認を受ける運びとなり、その結果、一人の「外国人」が日本人となることが公に認められることになった。

日本国国籍法第九条では、『日本に特別の功労のある外国人については、法務大臣は、第五条第一項の規定にかかわらず、国会の承認を得て、その帰化を許可することができる。』としており、それに則っての堂々たる手続きであり、衆参両院無論全会一致であったと言う。

この場合、『日本に特別の功労のある外国人』の氏名は秋津州一郎となっており、当人がそれを名誉と思うか否かは別として、「法的効力を持った市民権」を「一方的」に「付与」されたことにより、日本政府は若者を自国民として遇し、その権利を保護する義務を負うことになったのだ。

当人が請求すれば日本国のパスポートを発給しなければならないのは当然だが、当人がそのパスポートを用い日本人として他国に旅することも合法であり、詰まり、若者は秋津州人としての権利を留保したまま、同時に日本人としての権利をも併せ持つことになったのである。

無論ビッグニュースだから、そのニュースはたちどころに全世界を駆け巡った。

当然、海外メディアの論調には批判的なものが目立ち、一国の元首たるものが他国の市民権を持つなど論外のこととして、一旦これを受ければ、国王は国民の支持をまったく失ってしまうとするものが少なくなかったのだが、少なくとも日本のメディアに批判的な論調は見当たらない。

何せ、あの大帝国のオーナーが日本国民になってしまう以上、若者の了解さえ得られれば、日本政府の採り得る選択肢は際限も無いものとなり、日本国の蒙るであろう利益は目も眩むほどのものなのだ。

各国政府の視界の中では日秋連合と言う怪物が一段と成長を遂げ、遂には両国が融合同一化してしまう懸念ばかりが途方も無いものになって行くに違いない。

ちなみに若者自身は事前に国井から協力を要請されていたことでもあり、当然全てを承知していたことになり、しかもその時点で国井の方も若者からある「依頼」を受けていたことが、のちに巨大な政治的意味を持つことになるのだが、現時点では、それはいいとしよう。


さて、日本政府のこの行動は殊のほかワシントンを震撼させ、又してもタイラーを突き動かすことに繋がったが、程度の差こそあれ、それは、ロンドンやパリ、そしてベルリンや北京、或いはモスクワにおいても同様だったろう。

当然ながら秋元雅に対する政治的ニーズは高まるばかりであり、その外交的調整能力に期待が集中し、彼女の日常は各国代表部に招かれ、ひたすら秋津州の意向を問われることで費やされていると囁かれるほどだ。

近頃では、台湾やモンゴル、そしてインドなどの代表部に頻繁に招かれて行っていると耳にしており、タイラーの焦りはいや増すばかりだが、魔王自身がモンゴルやインドとの外交的距離感を殊更に縮めつつあって、逆にワシントンとのそれは開くばかりだと言うものまで出ているのである。

それが証拠に、新田の強い誘導があったにせよ、近頃蒙印それぞれの代表部のものがあの王宮に招かれ、臨月の王妃から手厚い接遇まで受けたと聞いているほどなのだ。

自分にしても雅を通じて、二度ばかり、そのことを打診してみたが未だに応諾の返答に接することは叶わず、その上、最近ではビルやダイアンばかりがことの中心にいて、肝心の米国代表部が置き去りにされてしまっているとの指摘を受けるまでになり、タイラーの繊細な神経はひどく傷ついてしまったかも知れない。

折角取り戻しつつあった体重も確実に減り始め、近頃ではキャンディティームにまで八つ当たりしそうになるありさまだが、無論、彼女たちにしても決して遊んでいるわけでは無かった。

近頃は、久我正嘉と言う男に的を絞ってアプローチを試みている最中なのだが、標的は言うまでも無く王妃の実兄であり、彼女たちにして見れば魔王に次ぐ垂涎の賞金首なのである。

しかし、その報告によればインタビューの申し入れにさえ拒絶の返答しか反ってこないと言う。

どうやら、久我電子の経営破綻時に一方的に妻に去られたことがこの男の女性観を著しく変えてしまったものらしく、その工房付近に網を張り、ときに妖艶な姿を見せ付けても食いつこうともしないらしい。

満足に口も利かないと言うのだ。

女人禁制となっているその工房の中からは、電動ハンマーの音が響いてくるばかりで、標的はひたすらそこに篭もりきりなのである。

世話係として例の三人の侍女がついていることも確認済みだが、彼女たちにしてもその工房に入ることは許されてはいないらしく、隣接する母屋の方で常に待機を強いられているようだ。

挙句、その忠実な侍女たちともほとんど口を利くことが無いらしい。

標的本人は母屋との往復以外ほとんど外出することも無く、ひたすら作刀に没頭していることは確かなのだろう。

また、一部のメディアに秋津州の刀匠として取り上げられたこともあり、この工房を訪れる者もまったくいないわけでは無く、日本からも「日刀保」の重鎮と呼ばれる者までが訪れ、作品の中の幾振りかを多少好意的に評価したとも言われる。

聞けば全くの我流と言うわけでもなく、丹波において秋津州人による作刀を実地に学んで来ているらしく、その作風においても日本古来のものを色濃く留めていると評されており、近頃では物好きにも、わざわざ大金を投じて作刀の依頼をする者まで出て来ていると聞く。

無論、タイラーには日本刀などに興味は無い。

興味は、その標的が胸の底に持つであろう貴重な秋津州情報にこそあるのだが、この有り様では又しても女帝の失笑を買ってしまうくらいが関の山だろう。

ただ、キャンディティームがその闘志まで失ってしまったわけでは無く、現在戸外でしか接触のチャンスが無く、身体的露出度が低いことが問題なのであって、もう少し暖かくなってくれさえすれば、必ず標的を捉えてみせると意気込んでいるほどだ。

何せ、季節は未だ相当に寒い冬なのである。


また、日本に張り巡らせたネットワークからは、俄然あの吉川桜子の活躍振りが伝わってきている。

あの銀座の秋津州ビルの中から相当な影響力を行使しつつあると言い、どうやらその周辺にはビルやダイアンの影までちらつくようだが、依然として情報が錯綜してしまっていて一向に実像が掴めない。

旧政権時にやっと培った官邸内の触手にしても、政権の交代と共に見事に失われてしまっており、溢れるほどの情報があるとは言えその取捨選択には非常な困難が伴うのである。

だが、一つだけ救いなのは、この国井政権の対米スタンスだ。

少なくとも、親米路線を以てその基本的政治姿勢としていることだけは確かであり、肝心の予算の目処がつき次第、米日首脳会談をセットすべく日程等の調整に入っているところなのだ。

例の大帰化案件を平然と通したことから見ても、或いは又秋津州との異常なまでの緊密振りに鑑みても、この政権の重要さは従前の比ではない上に、近頃の議場における総理の発言一つとっても、米日同盟に関するスタンスにも明快なものを感じるに至っている。

何せ自衛権に関する左派系野党の質問に対し、堂々と「自衛権に個別的とか集団的とかの分類はしていない。」と応えたくらいなのである。

無論政府見解の明らかな大転換でもあり、轟々たる非難の声に対して、「目の前で同盟国が攻撃を受けているのを座して見ているくらいなら、その同盟自体を見直すべきは勿論、完全な自主防衛をこそ目指すべきだ。」と言い放ったと聞いており、現実に出来ることと出来ないことがあるとの前提に立った発言ではあったにせよ、いまやワシントンにおけるその評価もうなぎ上りで、両国関係は史上稀に見る良好さを見る思いがすると言う論説も少なくない。

とにもかくにも、この国井政権は我が国のベストパートナーとしての片鱗を見せ始めているのだ。

そうこうする内、七カ国協議のテーブルにそのベストパートナーからある提案がなされた。

新天地における領土分割に関する具体案である。

この案が事前にワシントンに届いたのが二月二十五日であり、ワシントンが対応に窮している間に、三日後の二十八日には七カ国協議においてそれは公式のものとなった。

日本政府は同盟国としての義理は尽くしたと言う格好であり、ワシントンとしても表向き文句の付けようも無かったが、肝心の提案の中身はと言えば、米中露豪加伯など現在大領を領する国々に関しては、押しなべて従来の六十パーセントほどに領土面積を削減するものであり、引き比べて、大人口を擁しながら極めて僅少な領土しか持たない日本などは、既存のものより若干大きめの領土が比定されており、同様の扱いを受けることとされる英仏独などは俄然賛成に回った上、中露二カ国までが消極的賛成の立場に立ったことは小さく無い。

中露に関してだけは、新田からの強い意向が示されていたことは疑いの無いところだろうが、ともかく基本的には米国以外が全員賛成なのである。

ワシントンは窮地に立ったと言うべきだろう。

これでは、いったい何のために中露を席に加えたのか、わけが判らないことになってしまったが、挙句に、米国領に隣接する形で百万平方キロもの無国籍者用の居住区が設定されていたことが、格別にワシントンの癇に障ったことは確かだ。

タイラーの目から見ても、たかが無国籍者のためにこれほどのものを手当てするくらいなら、そっくりそのまま米国領となすべきなのである。

ワシントンの強硬派から言わせれば、それでも未だ足りないくらいなのだ。

このままでは外地における軍事拠点がまったく確保されない流れが見えて来ており、これでは米国の軍事的プレゼンスを示し続けることは困難だと言うのだ。

米国の既得権が大幅に脅かされていることは事実であり、日本の提出案はそのまま飲んでしまえるものでは無いだろう。

ワシントンは問題の無国籍者用の居住区及び、新天地の大海に点在する島々の内、戦略的価値の高そうなものを複数要求したが、その結果、仏中露あたりが激しく反発し、当然、七カ国協議は大いに紛糾することになる。

無論、国連総会や安保理においては、未だにケンタウルスや新天地の件に触れられることが無いままに、全ては秘密会の七カ国協議で闘わされている議論なのである。

一切のメディアをシャットアウトした中でことが進行しているとは言いながら、昨年の十二月初頭、秋津州が各国にケンタウルスの一件を公告して以来、既に三ヶ月ものときが経過してしまっている。

一方で世界のビッグメディアが報道協定を結んでいるとは言え、ケンタウルスの件については既に多数の報道が氾濫してしまっており、一部とは言いながら、地球の未来に関してさえ絶望的だとするような憶測報道も無いではないのである。

ただ、若者の企図した宣伝報道作戦が壮大な規模を以て始まってはいるが、その効果が来るべき混乱をどの程度鎮めてくれるものかは、今のところ微妙なものがあると言うほかは無いだろう。


二千八年三月二日、秋津州王宮の小さな別棟において王子が誕生し、母子ともに極めて健全であると報じられた。

無論、世界は秋津州帝国の王位継承者が誕生したものと見た。

そうである以上、その生母である王妃の拠って立つところも又、磐石のものとなったことになろう。

女帝が企画したとされる祝賀イベントは、当初各村々による小規模の提灯行列のみであったのだが、その後居留外国人たちが大勢加わることによってなかなかのものになって行った。

内務省から無償で配布された提灯が十万に迫るものであったことが、のちになって公表されたのだ。

各国から発出された祝賀の使臣が織るように訪れる中、王妃の両親が慎まし気にインタビューに答える姿があったが、その中に少しく重い発言があり各方面に尽きせぬ話題を提供した。

何と、国王夫妻は揃って、新生児が王子と呼ばれることを望んではいないと言うのである。

しかし、実際に王の子である以上、ほかに呼びようが無いことから、各メディアも例外なく王子として扱うほかは無い。

その後、おぼろげに伝わって来たところによれば、ご夫妻の真意は、新生児が無条件で王位の継承者であると見なされることを、極力避けようとするところにあったようだ。

詰まり、王位の継承そのものが白紙であるとしていることになり、各メディアもさまざまに夫妻の胸の内を忖度して論評を加えたが、中でもNBSが報じた内容が殊に秀逸であったとされた。

何と、国王自身が王位を退き、農夫や猟師として生きる道を望んでいると言うのだ。

だからこそ王子が王子と呼ばれることにも、抵抗を感じざるを得ないのでは無いかとしながらも、将来秋津州の存続に脅威を及ぼすものが存在しなくなったとしても、統治者としての存在意義だけは絶対に消えることは無いとして、お気の毒ではあるが国王のお望みは当分実現の見込みは薄いだろうと断じてもいた。

その報道ではさまざまな人からコメントを集めていたが、中でも東京で酒場を営んでいると言う一人の女性などは、王子をその祖父母の次に抱かせていただいたと言い、国王の統治理念について尋ねられると、「あたしなんかに、そんな難しいことは判りませんけれど、仲間たちがみんなご飯が食べられて、人殺しや強盗が襲ってこなければそれでいいと、いつか仰っていたことなら覚えておりますわ。」と応えていた。

詰まり、そのためにこそ若者は、農夫になったりヘータイになったりしているのだと言うのである。

その報道番組のコメンテータは、番組のエンディングにあたり、「陛下には今後とも農夫やヘータイをお続けいただきたいものです。」と結んでいたが、その真意は、若者の優れた治績に鑑み、「人類のために」と言う意を含んで言っていることは明らかだったろう。


やがて、日秋両国にとって記念すべき外交日程が定まったことが伝わり、世界のトップニュースとなった。

秋津州国王による初の公式訪問なのだ。

国井は、国賓として招請することをとうに閣議決定しており、そうである以上、日本側はあらゆる面において外交儀礼を尽くし、若者を他国の国家元首として公式に礼遇しなければならないことになる。

新田源一が大車輪の活躍を見せ、伊勢神宮参拝のほかにも、さまざまのイベントの予定が組まれたことは言うまでもないが、国井と新田が最も苦慮したのは若者が妻子を伴っての訪日に強く拘ったことである。

何せ、王子は生まれて間もない文字通りの嬰児(みどりご)でありその健康を気遣ったのだ。

なお、これには若干のいきさつが無いこともない。

かつて総理就任前の国井が大帰化案件につき若者に協力を要請した折り、若者の方からもある依頼があったことは既に述べた。

それは、当時出生が待たれていた王子の命名に付いてのものであり、若者は、言わば私人としての国井義人に対し、息子の名付け親となってくれるよう依頼したことになる。

無論、国井は喜んで受けた。

受けはしたが、どうせならと、より一層の工夫を考えかつ工作したのだ。

若者自身の事前の了解も取り付けてある。

その内容はこうだ。

同じ名付け親を頼むなら、秋津州王家から見た宗家のご当主、すなわち今上陛下にお願いすべしと説いたのだ。

その結果この訪問者は、ただただ宗家のご当主にお目にかかり、我が息子の名付け親となってもらうためにやって来るのである。

そのため、王子の帯同を望むのだ。

ときにあたり両国間に外交的な軋轢など一切存在せず、総理と国王との個人的な親密さも飛び抜けたものがあり、何事も二人の直接の会話だけで済ませることが出来るほどの環境がある。

まして、国王の希望は何事も簡略にと言うものであり、到着の場所からして神宮前の対策室に設定されており、国王夫妻と王子の三人だけが、乗り物も使わずに文字通り身一つで飛来してくると言う。

いきおい、出迎える儀仗兵にしても極めて少数のものとなり、全ては異例ずくめのものとならざるを得ないが、東西の迎賓館の受け入れ態勢も完璧であり、さまざまの身の回り品は三階の一室に過不足無く揃えられていて、既に何一つ不自由は無いのである。


二千八年三月十三日、世界の注目を浴びる中、若者は日本を公式に訪れ三日間にわたる外交日程を消化する運びとなった。

その間、夫婦ともにほとんど和装で通したことも大きな話題となったが、その家紋がまたさまざまに大衆の興味を惹いた。

「両杭繋ぎ馬」の変形だったのだ。

この家紋の本来の意匠では、後ろ足を跳ね上げ荒れ狂う黒馬を、その両側に立てた二本の杭に繋ぎ止めてある筈なのだが、若者の場合、向かって右側の綱が引きちぎられてしまっている。

詰まり、かつて頑丈に繋ぎとめていた筈の二本の綱の内、片方が切れてしまっていることになり、取りも直さずこの悍馬を残りの一本だけで辛うじて繋いでいると言う意匠なのだ。

漆黒の肥馬が歯を剥き、たてがみを振り立て、猛然と荒れ狂うさまは、いままさに残りの一本をも引きちぎらんばかりで、それを見た国井総理が誰にともなく呟いたと言う。

「竜の如き馬に騎り、雲の如き従を率いる。鞭を揚げ蹄を催して万里の山を越えんとす。」

総理は、傍らで怪訝な面持ちの年若い随員に一言、「うろ覚えだが、確か将門記だよ。」と言ったと言うが、田中と言うこの随員は、繋ぎ馬の家紋が平将門を縁起としていることから「将門記」が連想され、かの独言に転じたものであろうと思い、後日同僚や先輩の間を尋ね回って、このときの総理の心象をおぼろげながらも察しようとするのである。

ところが、先輩の一人にかなり色あいの異なる解説を試みようとするものがおり、その人の言によれば、総理が想ったのは将門では無く秋津州国王その人だと言う。

詰まり、総理の想念の中で「竜の如き馬に騎り、雲の如き従を率いる。鞭を揚げ蹄を催して万里の山を越えんとす」る者こそ秋津州国王その人だと言うのである。

田中が、確かにあの建国記念のイベントで国王は見事な黒馬に跨って登場しましたよね、と言うと、先輩は、別に馬とは限らんだろうと仰る。

国王陛下にとって、あのSS六こそが「竜の如き馬」なのかも知れんぜ。そして「雲霞の如き従者」を率い、いままさに「鞭を揚げ蹄を催して万里の山を越えんと」してらっしゃるのかも知れないからなあと、のたまう。

何しろこの岡部大樹と言う大先輩は、あの国王の熱烈な信奉者として夙に有名なのだ。

先輩はぽつりと呟く。

「ま、史上稀に見る英雄であることは動かんだろう。」

「はい、私もそう思います。」

「ところが、その英雄がだよ。くっくっくっ・・・」

先輩の顔が笑み崩れている。

「え。」

「あははは、君、聞いとらんか。」

「いえ、何も。え、何かあったんですか。」

「いや、その鬼神も避けようかと言う大英雄がな、あははは。」

もう堪らんというように哄笑してしまっている。

「え、何なんですか、じらさないで教えて下さいよ。」

「うんうん。それほどのお人がだよ、いざ天皇陛下とのご対面と言うときにな、緊張のあまり満足に言葉が出てこなかったと言うんだよ。あははは。」

「へええ、ほんとなんですか、それ。」

「ほんとさ。ホワイトハウスのぬしですら、屁とも思わんお人がさ。」

「ほんとですねえ。いまじゃ、逆にあちらさんの方がきょろきょろしてるくらいですからねえ。」

ワシントンが秋津州国王の顔色を必死の思いで窺っていることは、既に天下周知のことなのである。

「だから俺はあのかたが大好きなのさ。」

「ほう、僕も判るような気がします。」

「そうか、そうか、判るか。」

「はい。」

「それでな、今度天皇陛下から王子のお名前を頂戴することになったよな。」

「はい、真人(まひと)殿下でしたよね。」

「うん。それがな、最初の話では真人の『人(ひと)』は『仁(じん)』の字だったんだよ。」

「へええ、それ初耳でした。それじゃ、秋津州陛下の方がご遠慮なすったってわけですか。」

無論、今上陛下のお名前の「仁」の字そのものを用いることを憚ったのである。

「うん、それにな『真人』なら、八色の姓(やくさのかばね)の筆頭にも通じるからな。」

「しかし、いまどき八色の姓って言うのもどうなんですかねえ。」

「ばかだなあ、君は。日本人としての秋津州一族の意識の中では、一部の歴史が一千二百年も停止しちゃっていたんだぜ。」

「あ、じゃあ、八色の姓って言っても、そんな大昔の話じゃないってわけですね。」

「それにな、あの一族があの別天地に新王朝を建てざるを得なかったいきさつを考えてみろよ。好きでこの地を出て行ったわけじゃ無いんだぜ。」

「そうでしたねえ。」

「彼等はきっと、寂しかったろうよ。」

「そうでしょうねえ。僕だったら、きっと自殺しちゃってるかも知れませんからねえ。」

「うん、そう考えるとだなあ。今度の大帰化案件のほんとの意味も、少しは見えてくるような気がするよ。」

「一千二百年振りの日本人ってことになるんですよねえ。」

「真人殿下の出生届けも出したしなあ。」

無論、それは、日本においてであり、秋津州真人はその意味では既に立派な日本人でもある。

「でも、そうなると少しおかしなことになりゃしませんか。」

「何がよ。」

「いや、だって・・・」

「日本人である秋津州一郎氏が、別に秋津州帝国っちゅう国家を統治してらっしゃるってことがか。」

「は、はい。」

「ものは考えようだろう。山田長政の例だってあるぜ。」

山田長政は、十七世紀初頭にシャム(タイ)の日本人町を中心に東南アジア方面で大活躍した人物で、史実はともかく、文学上においてはその南部の一地方で王位に就いたとされる人物である。

「でも、時代が違うでしょう。」

「ばかやろう、時代もへちまもあるか。日本人の一人が他国の王さまになって何が悪い。」

「い、いえ、でも・・・・」

「じゃ、聞くがな。イギリス人がアメリカの王になってる現実に付いてはどうだ。ましてヤツらは、ネイティブアメリカンを駆逐し、その意思を抹殺して全てを実行したんだぜ。」

この場合の「イギリス人」とは、無論属人的な意味合いで言っているのである。

「しかし・・・・」

「オーストラリヤはどうだい、タスマニア人の希望は百万分の一でも叶えられたのかよ。」

「しかし、民主主義に則って選ばれた統治者と一緒くたにするって言うのも・・・・」

「ははん、だいたい、その民主主義ってえヤツからして怪しいもんだ。」

「でも、民主主義を否定してしまうってのも・・・・」

「ばかやろう。誰も民主主義そのものを否定してなんかいねえだろう。問題はその中身だって言ってんだよ。」

「中身って・・・・」

「わからんやつだなあ。主権在民の『民』そのものが偽者だって言ってんだ。」

「ニセモノって・・・」

「じゃあな、具体例で言ってやろうか。」

「具体例って・・・。」

「大陸からこの日本に数億人も移住してきたとしたらどうだ。無論、力づくでだよ。そいつらが強力な兵器で武装していてだな、我々を駆逐して絶滅させたとしたらどうだ。まあ、お情けで一千万人くらいは残してくれるかもわからんが。」

「そっ、そんなあ・・・」

「その上でヤツラは選挙をやるんだよ。当然、ヤツらが圧倒的多数を取るぜ。それでヤツらの都合の良いルールを造るに決まってるわな。それで民意だなんぞと言われたって、へそで茶を沸かすぜ。」

「しかし、いまどき、そんなこと許されんでしょう。」

「ふふん。許さないからって、本気で止めてくれるヤツが何処にいる。」

「そりゃまあ、ワシントンでしょうね。」

「そりゃあ、いまは、ヤツらの国益に合致してるからな。なんつったって、こっちにゃあ秋津州ってえお仲間がいるしよ。」

「きっと、必死で頑張ってくれる筈ですよね。」

「ヤツらはヤツらで、得点を稼ぐ絶好のチャンスだからな。」

「ですねえ。」

「しかしな、だからと言って他人さまにばかり頼っていちゃいかんぜ。自分たちの国は自分たち自身の血を流す覚悟で守らんとな。」

「でも、血を流すのはちょっと・・・・」

「ふふん、おめえの嫁さんが、おめえの見てる前で敵兵どもに輪姦されていても、そんなのん気なこと言ってられっかよ。」

ちなみに、この田中盛重と言う若者は未だ一人身である。

「いや、それは・・・」

「ボク血を流すのは嫌いですって言ってりゃあ、優しく扱ってくれる相手だとでも思ってんのか。」

「そう言えば、秋津州戦争までのチベットやウィグルなんかも、ずいぶん酷かったらしいですからね。」

「それとな、昨日まで無事に来てるんだから、明日もあさっても無事に過ごせるって考えるヤツぁ単なるバカだ。」

「すいません・・・・」

「まあ、おふくろやにょうぼ子供を守るのに遠慮するこたあねえってことよ。」

「はい。」

「おめえだって、いざとなりゃ日本男児の一人なんだからな。」

「一応、計算に入れといて下さい。」

「あははは、よし覚えといてやろう。」

「ありがとうございます。ところで一つだけ先輩に質問があるんですが。」

「なんだ。」

「秋津州の統治形態のことなんですが。」

「超独裁で人治国家だってことか。」

「はい。」

「それがどうした。」

「いえ、それっていまどき最悪なんじゃ。」

「へえ、どこがよ。」

「民意の在りかがまったく不透明で、その上独裁者が民を恣意的に扱うことが許されちゃうわけでしょ。そんなの無茶苦茶ですよ。」

「おめえは、あの国の現実を知らねえから、そんな寝言が出て来るんだよ。俺の見るところ、あの国は最高の民主主義国家だぜ。第一独裁者をぼろくそにこき下ろしたって平気だしよ。その上、三か村が完全な自治権を持ってるくらいだぞ。」

「だって、成文法が無いんでしょ。」

「ばかやろう。立派な慣習法があらあ。それも長いこと掛けて、庶民が自分で作り上げてきたものばかりなんだぜ。」

「でも・・・」

「おめえなあ、文字にして紙に書いてありゃあ安心できるっつうのか。だいたい文字で書いてあったって、現にこの国の憲法一つとったって解釈一つでどうにでもなっちゃうだろうが。」

「しかし・・・」

「たしかに外国人にとっちゃ、文字で書いてないといろいろ不安なことも判るが、そんなに不安だったら、そんな国になんか行かなきゃいいんだよ。」

「そりゃ、そうなんですが・・・」

「それに、あの国の倫理観てえのは見上げたもんだぜ。まず賄賂なんか絶対利かねえし、へんてこな個人の自由なんて主張も先ず聞いたことがねえしな。」

「へんてこなって・・・・、個人の自由は何よりも大切なものなんじゃ。」

「あのなあ、そこからして大きな間違いなんだよ。個人の自由なんかより、ずっと大切なものがあるってことを忘れちゃいませんかてんだ。」

「あ、公共の・・・」

「そう。憲法第十三条。」

「ええと、日本国憲法第十三条、すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。でしたねえ。」

「ほら見ろ。国民個々の権利なんざ、その自由どころか、生命と比べても、公共の福祉の方が優先されるべきだと謳ってあるじゃねえか。」

「はい。」

「尤も、俺なんざ、そんなもの、今更わざわざ憲法に書くほどのものだとは思っちゃいねえがな。書かなくったって世界中どこへ行ったって当たり前の話だ。」

「この『公共の福祉に反しない限り』ってとこ、どうしても軽く読んじゃいますものね。」

「だから、へんてこだって言ってんだよ。一番大切な、それこそ命より大事なことを忘れるヤツがあるかよ。ばかやろう。」

「すいません。」

「だいたい、おめえらは憲法ったって、てめえの都合のいいとこしか目に入らねえんだろ。それじゃ、文字に書いてあったって意味無えじゃねえか。まったく。」

「・・・。」

「秋津州じゃな、文字になんか一言も書いちゃいねえが、この公共の福祉の大切なところなんざ十二歳の子供でも判ってるぜ。」

「あ、そう言えば・・・」

「うん、あの国じゃ、そのくらいの子供でも己れの村の名誉を、体を張ってでも守ろうとするんだよ。」

事実、そう言う事例があったことも既に触れた。

「そうでしたねえ。」

「国家っちゅうもんの品格っつう点で言って、情け無え話だが、日本より余程優れてるとは思わねえかよ。え。」

「思います。」

「そうだろう。この一点だけ見ても成文法が一方的に優れてるなんて、こっぱずかしくって、とても言えたもんじゃねえ。」

「は、はい。」

「第一、『人命は地球より重い』だなんてことを、あっちこっちで言い過ぎるからいけねえ。」

「で、でも・・・」

「でもってなんだよ。ひょっとしておめえもそう思ってんのか。」

「は、はい。」

「おい、まさか、まじめに言ってるわけじゃねえだろうな。」

「でも・・・」

「あのなあ、最近話題になってる丹波が昔異星人に襲われたって話は知ってるよな。」

「はい、十四歳の国王陛下が奮戦して撃退したって話ですよね。」

「そうだ。早い話が、その星を全部よこせって言われたわけだよな。」

「はい。」

「じゃ、そいつらがこんだ地球にやって来て、おめえの嫁さんを人質にして、地球人は全員地球から出て行けって脅されたときゃどうすんだ。地球そのものをよこせって言われてんだぜ。」

「う・・・・」

「言われた通りにしなきゃ、おめえの嫁さんは殺されちゃうわけだよな。」

「・・・。」

「俺がそんとき地球の王なら、おめえの嫁さんを見殺しにしてでも、この地球を守ろうとするだろうよ。」

「十四歳の国王陛下もそうなさったんですよねえ。」

「ばかやろう。誰だってそうするわい。」

「でしょうねえ。」

「それでも、人命は地球より重いって言いはる気か。」

「いえ。」

「だから、人命は地球より重いってえのは、単なる言葉のあやだってことだよな。」

「そりゃそうですね。」

「それなのに、それは言葉のあやだっつうことをでかい声で言わなくちゃならんところが問題なんだよ。そんなこたあ、言わなくたって判るだろうと思ってる内に結局このざまだからな。」

「はい。」

「まあ、あれやこれやで、俺が秋津州が好きな理由も少しは判るだろう。」

「僕も好きです。」

「あははっ、随分簡単に宗旨替えしちゃうんだな。」

「いや、別に嫌いだったってわけじゃ・・・・」

「ま、いいってことよ。それより次は天皇陛下の秋津州訪問て言うイベントが待ってるぜえ。覚悟はいいかよ。」

「いつごろになりそうなんですか。」

「いま、詰めに入ってるところさ。」

「そうなんですか。」

「ポイントは国王陛下が単身、宮城(きゅうじょう)までお出迎えに見えるってえところかな。」

「へええ、そんなこと出来るんですか。」

外交慣行から言って、普通あり得ないことなのである。

「出来るも何も、それが国王陛下のご希望だってんだからな。」

「でも、ご渡海のおりのお乗り物はどうなんですか。だって政府専用機は駄目なんでしょ。」

「うん、こっから先は機密事項だ。」

先輩は、にやついている。

「ええっ、そりゃ無いですよ。」

「じゃ、ひとつだけヒントをやろう。」

「はい。」

「お乗り物は、四馬力の馬車だ。」

「ええっ、だって行きも帰りも海の上ですよぉ。」

「ふふん。」

「あっ。」

何のために秋津州国王がわざわざ出迎えに来るのか、彼にもやっと判ったようだ。

なお、国井と新田の間では、天皇陛下が訪れるべき先が、太平洋上の秋津州なのかどうかで目下揉めているところではある。

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  1. 2007/08/17(金) 10:07:49|
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自立国家の建設 086

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さて、若者の企図した新天地報道作戦は、メディアによってその多くが絶好のエンターテインメントと化し、現地の映像などは圧倒的な大自然が殊更美麗に映像化されるに至り、国井内閣の手になる一連の施策とも相俟って各方面に及ぼす波及効果も決して小さなものでは無い。

まして、秋津州には宇宙旅行を手軽に実現する技術があるとされており、短時間のことなら相当な高齢者や病者でも参加が可能であると喧伝されるに及び、丹波への観光人気には凄まじいものがある。

それはそうだろう。

非公式とは言え、現総理までが、その風景を肉眼で見ていることが伝わっているのである。

その安全性や確実性は、最早折り紙つきと言って良い。

現に、億単位の旅費を用意していると言い騒ぐものまで出て来ており、大手の旅行代理店などは競って神宮前へ日参する騒ぎだ。

メディアの視線は揃って秋津州に向かい、新内閣の採った「大帰化」政策にしても好意的に論ずる例がほとんどで、中でも秋津州国王の国賓訪問に至っては挙って歓迎の意を表しており、この対秋津州外交を批判的に論ずる報道など皆無と言って良い。

呆れたことに、左派系政党の機関紙でさえそうなのだ。

この国賓訪問にあたり、立川みどりと言う一民間人が終始同行し、真人王子を抱く姿などが頻繁に紙面を飾り、一行が和装の姿で伊勢の神宮に詣でた折りなどは報道はそれ一色に染まった。

厳粛の内にも和やかに消化されたこの外交日程が充分な効果を発揮し、秋津州との緊密な繋がりを持つ新政権の人気も高まる一方だ。

各メディアは、かつて新党秋桜の立党だなんぞと散々に憶測報道を垂れ流して来たが、合従連衡の結果大きく再編された政界の姿がいまや眼前にあり、その集大成のような形で誕生した国井政権こそ、実は新党秋桜そのものなのだと評する者も少なく無かったのである。


また、この頃のメディアは別に新たな話題を発掘しており、国賓の訪日と並んで盛んに報じるに至っている。

その発掘現場は、秋津州ののどかな田園風景の中にあって、あの王宮にも程近い。

既に述べた通り、そこには王妃の実兄が刀匠として一心に作刀を続けており、その異様なまでに寡黙な人となりに触れた者の中には「愚者の一念」と評する者もいる通り、その作品の出来栄えはさておき、ここ数年来の彼がひたすらその道に没頭してきたことだけは確かなのである。

尤も、今回の話題の中心はこの寡黙な刀匠にあるのでは無く、そこで生み出される鄙びた日本刀であり、中でも近頃国王に贈られたと言う特徴ある一振りなのだ。

無論、王子誕生の祝いだ。

刀匠自身は身内の一人としてのごく普通の祝いのつもりであったのだろうが、取材の折り王妃自身がその実物を公開したことによって、国王の風貌にもことよせ、まことに豪宕(ごうとう)な出来栄えであると評する者があったのだ。

確かにそれは、豪宕なものと言えなくも無い。

何せ、広い身幅を持つその刀身がかなりの厚重ねであった上、刃渡り二尺八寸五分(八十六.四センチ)と非常な長寸で、一般の人には不向きなほどの重量感に溢れていたからだ。

あまりに広い身幅を持つことを捉え「蝿叩き」と名付ける者まであったが、それを耳にした若者自身が「言い得て妙だ。」と大笑いしたと言う話まで伝わり、その後その名称は堂々たる固有名詞として使用されるようになった。

のちに日本でも名のある好事家が訪れ拝観の栄に浴したこともあり、「蝿叩き」はその世界の専門誌にも掲載され、本来ごくありふれた出来の現代刀が、あろうことか、あたかも畢生の名品のように扱われるに至るのである。

王妃としても実兄の作品が世に出ることを望まないわけも無く、そのための心づくしの行為だったのだろうが、その結果、伝え聞いた人々の中から多少なりとも作刀の依頼があったことも事実だ。

国王自身もそれなりに興味を示し、ファクトリーに命じて幾通りかの拵えも誂えたらしいが、惜しいかな近頃では剣を帯びる機会は滅多に無いのだと言う。

だが、実を言えば、専ら巷の話題を攫ったこの「蝿叩き」以外にも、国王が珍重することになる贈り物が別にあったのだが、それを伝えるメディアはまことに少ない。

それは、「蝿叩き」と同時に言わばセットのようにして贈られた「鉈(なた)」であったと言う。

無論鉈と言ってもさまざまだが、この場合のものは携帯用、かつ片手持ちに適した造りであって、刀身が分厚く頑丈な、いわゆる山鉈(やまなた)の一種であったろう。

一部のメディアが報ずるところによれば、三十センチほどの長さを持つ刀身はその先端が完全な矩形をなしており、峰の部分では終始十八ミリもの厚みを具え、身幅は手許では五センチほどのものだが、先端に行くに連れて広がりを見せ、終端では五.八センチほどにもなると言うのだ。

詰まり、先端に行くほど重量が増していく構造だと言って良い。

無論、無骨一辺倒の刀身に反りなどは与えられておらず、峰も刃先もひたすら一直線をなしている。

若者の右手に合わせて調整された樫の握りは、微妙なおうとつを見せながら手前に来るほど徐々に太さを増し、終端に至れば一気に膨らんで脱落を防いでおり、その長さにしても優に三十センチを超えていた。

また、その握りが付け根を境にして内側に向けて僅かな角度を持つことにより、一層使い勝手を良くしている筈だ。

もともと「山鉈」は、その名の通り山野を跋渉する際などに威力を発揮するもので、無論鉛筆を削るには適さないが、相当に太い枝でも容易に叩き切ることを可能としており、まして、その頭抜けた重量は太い薪を割ることにも立派に耐え得るほどなのである。

若者は何度か実際に使用してみて、その使い勝手をひどく気に入ったものらしく、自ら「山姥(やまんば)」と名付けた上、昨今では革製の鞘を用いて専ら携行しているほどだと言う。

なお、メディアの一部などが、この「蝿叩き」と「山姥」の写し(コピー)が大量に存在すると報じたが、無論その情報源については明らかにしてはいない。

ちなみにその後の後追い報道によれば、この話題の鍛冶場には近頃見慣れぬ男の姿があると言う。

無給のアシスタント、古い表現を用いれば住み込みの弟子だと言うのだ。

実は、大金を投じて作刀の依頼をする者の中に、頼みもしないのにわざわざ弟子入り志願者を紹介する者があり、刀匠自身はどうせ続くものでは無いと思いながらも、行きがかり上已む無く一時預かることにしたようだ。

しかし、いざ置いて見るとこれがなかなか素直な若者で、それが辛抱強く学ぼうとする姿勢を見せるものだから、さすがの変人刀匠も近頃では僅かながらも心を開き始めたと言うのである。

この件では、当然女帝のチェックが入っている。

何せ、刀匠は大切な王子にとっては血の繋がる伯父であり、無論王妃にとっては実の兄なのだ。

秋津州にとってそう言う重要人物の身辺に関わる問題である以上、放っておけることでは無い。

だが、厳重な調査の結果、現状ではさしたる懸念は浮かんで来てはいない。

日本人山内隆雄、二十一歳、東京生まれの一人っ子で、十七歳のとき両親を飛行機事故で失い、その後高等学校を二年で中退したあと、欧米を無目的に旅行した経験を持ち、その後も二度にわたって出かけており、その意味では多少の放浪癖があると言って良いだろう。

住まいしている台東区の分譲マンションは無論亡父の遺産であり、債務者である父親の死によって、ローンの契約条件が債務の一切を消滅させてくれており、評価額三千万ほどのこのマンションも息子隆雄の所有となった。

その他の遺産から見ても相続税も僅かなものであった筈であり、両親の事故死による賠償金や保険金が一億近くもあったことから、その口座に四千万もの残高があることも特別不思議なことでは無い。

その上、全くの一人身で、見ようによっては限り無く気楽な身分なのである。

また、特別な宗教とも関係が無く、数少ない交友関係にも特別なものは匂って来てはおらず、中学高校の同級生たちの表現によれば、性格的には比較的無口で大人しい方だったと言い、成績の方もごく平凡で、いずれにしてもあまり目立たぬ存在だったことは間違いの無いところだろう。

そのような若者が、単に作刀に興味を持ったと言うことか、或いは一念発起して真に刀匠を志したものか、日々変人師匠の傍らを離れず希少な技を学び続けており、近頃では無口な師匠がこの若者にだけは軽口を叩くことがあるほどだと言う。

無論、女帝のチェックは若者の紹介者の身辺にも及んでいる。

調査の結果、どうやら紹介者の若い後妻の強い推輓があったようで、この後妻と若者が知り合いであったらしいのだが、この後妻にも特別な背後関係は認められず、流石の女帝も合格サインを出しているようだ。

尤も、仮に目に見えぬ重大な背後関係が隠されていたとしても、刀匠の身辺にも常に多数のG四の目が光っており、一旦この若者が凶器を手にしたりすればその瞬間にも対応出来る上に、爆薬や銃などに至っては、物理的に接近を許さないほどの鉄壁の構えがある。

どう転んでも、この若者が襲撃者となることは不可能なのである。


一方、国王一行の帰国を見送ったばかりのみどりは、ある葬儀に出席していた。

いや、出席と言うよりは、むしろ実質的な喪主を務めさせられていたと言って良い。

名義上の喪主は故人にとって唯一の親族でもあった孫娘であったのだが、彼女は僅か三歳のおさなごのことでもあり、そこへ持ってきて故人の依頼を受けていた弁護士から齎された遺言書があったからだ。

ちなみにみどりと故人との間には二十数年にも及ぶ尽きせぬ交流があり、殊にここのところの数年間は特別な信頼関係にあったのである。

無論、故人とは佐竹のママのことであったのだが、彼女の残した遺言書は唯一の相続人である孫娘の後見人にみどりを指名しており、なおかつ生存中の故人から半ば冗談にもせよ同様の依頼を受けていたこともあって、結局受けざるを得なかったのだ。

依頼者の死因は心不全となっていたが、従来から軽い心筋症の気があることも聞いており、自宅で倒れた際も、幼い孫娘と二人きりであったために手当てが追いつかなかったこともあったろう。

いずれにしても突然訪れたその不幸は、そのおさなごを文字通りの天涯孤独の身としてしまったことは確かで、以前から顔なじみであったことからも、とても放り捨てておく気にはなれなかったのである。

不運な娘は自らの出生と同時に母を失っており、その父はと言えば、彼女の出生直前に交通事故の魔の手によってその命を奪われてしまっていた。

ましてその父もまた若くして父母に死に別れていた上、その他の親族にも恵まれず、おさなごの引き取り手は母方の祖母のほかに一人としていなかったのだ。

その新生児は父母にも似て、優れて色白でぱっちりとした目を持つ可憐なみどりごであったが、全ての不幸を一身に背負っているかのようにして、この世に生まれ出た瞬間に孤児となってしまったことになる。

その生まれた日は二千四年の七月二十日、奇しくもそれは秋津州の建国の日でもあり、この意味では、既に何ごとかを暗示していたかも知れない。

引き取って以来、無論、この祖母は愛情いっぱいに育てた。

ただ、祖母にも仕事と言うものがあり、夜間とは言えかなりの時間をベビーシッターの手に委ねるほかは無く、おさなごに寂しい思いをさせてしまうことも少なくなかった筈だ。

そこへ持ってきて、たまたまその住まいがクラブ碧に近かったこともあり、同業の誼(よしみ)もあって、近頃では頻繁な往来を重ねるまでになっていたのである。

まして、みどりの方には「特別な」人手が確保されていたこともあり、孫娘(有紀子)自身の希望もあって、秋津州ビルの中で過ごす機会が増えて来ており、いつしかそう言う特別な人間関係に発展しつつあったことになる。

既に今回の不幸の直後から、本人の強い希望通り、みどりの部屋が事実上おさなごの住まいと化しており、現実には故人の遺言書通りの展開にならざを得ない状況があったのだ。

なお、おさなごの父親は婚姻の際に佐竹姓を名乗っており、ゆくゆくは佐竹の位牌を守って行く意思を示していたこともあり、その祭祀にしてもやがてこのおさなごに引き継がれて行くことになるのだろうが、頑是無いおさなごにとって、遠い将来のことなどより眼前の不幸を乗り切らねばならず、ときにあたって、みどりのような庇護者に出会えたことは望外の幸運であった筈だ。

その後みどりが秋津州に入るときなども、傍らには常にこのおさなごの姿があり、自然国王夫妻とも親密な接触が繰り返され、やがてひとしお愛される存在となって行くのである。


さて、二千八年三月十七日の秋津州でのことだ。

この日のタイラーは、散々にじらされた挙句、ようやく望みが叶いその拠点に女神(じょしん)アリアドネを迎えることに成功していた。

あの魔王と同年の筈の女神さまは、相も変わらず少女のように見えてはいたが、昨今その存在感は既に尋常のものではない。

長姉の京子の方は、いまや秋津州の女帝とまで呼ばれるまでになっており、この美少女を捉えそのコピーを見るようだと言う者も多く、タイラーにしてもことのほかその感が深いのだ。

まして、女帝は勿論、このアリアドネにしても、あの土竜庵の意を受けて動いていると見る者がほとんどなのだ。

無論、この場合の土竜庵は新田源一の私邸であり、同時に秋津州国王の別邸でもあると見て良い。

そこの掘り炬燵でひっそりと練られた案件は、常に世界外交の台風の目となって来ており、今回のケンタウルスに関する件にしても当然その例外である筈が無いのである。

タイラーとしては少しでも秋津州の本音に近づこうとして、近頃外事部の中堅クラスのものと会食する機会を得たが、予想通り秋津州の意思の在り処を汲み取ることは出来なかった。

彼等は秋津州の公職にある身として、他国の政策に容喙したと見られることを極度に嫌うあまり、最低限の示唆すら与えてくれようとはしないのだ。

よほど上司の締め付けが厳しいのであろう。

そこへ持ってきて、肝心のアリアドネにはここのところ会うことすら出来ず、おかげで、ワシントンは国際外交の荒波の中で自らの座標を見失い、問題の七カ国協議も膠着状態のままであることから、その焦燥感はいや増すばかりだ。

ときにあたって、その女神さまに米国代表部の応接室にまでお運びを願えたことは、タイラーにとっては近頃貴重な成功例であり、無論我が身の職責から言っても、絶好の機会と捉えてこの席に臨んだ。

今朝一番で取り寄せた上品な和風ケーキが既にテーブルにある。

「ご多忙の中、お運びをいただき心から謝意を表します。」

タイラーは日本式に深々と頭を下げてみせた。

以前とは、互いの立場が明らかに違ってしまっていることを痛切に想わざるを得ないのだ。

「あらあら、今日はずいぶんお堅いご挨拶ですこと。」

「いえ、近頃はなかなかお会いできないものですから。」

最近の女神さまが各国代表部から引く手あまたの状態にあり、それこそ蝶のように飛び回っていることは今では隠れも無いことなのである。

ほんの数ヶ月前までの彼女は未だ明らかに幼虫であった。

それが近頃、瞬く内に羽化を果たし、既に華麗なる変身を遂げてしまっている。

「申し訳ありません。何分にも体は一つきりなものですから。」

しかし、蝶は羽化したからと言って殊更に頭(ず)を高くしているわけでは無い。

「いや、ほんとに無理を言いまして・・・・」

だが、米国大統領特別補佐官は自らの心の中の影に怯えるあまり、ひたすら低姿勢で臨むほかはないのだ。

「それに、姉も東京ですし。」

無論、長姉の京子のことを言っているに違いない。

女帝は確かに今東京の筈なのだ。

「岡部氏に同行してらっしゃるそうで。」

「そのようですわね。」

「総理官邸の中でも、かなりの影響力をお持ちだと伝え聞いております。」

「はい、私どもも、岡部さんの影響力はなかなかのものだと噂しておりますわ。」

「いえいえ、あね上さまのことですよ。」

「あら、姉は単なる民間人でございますもの。」

「またまた。今更おとぼけにならなくても・・・・」

「失礼ですが、今日はあまり時間がございませんの。」

女神さまは、ほんのりと笑みを浮かべながらも、そんな無駄話に付き合ってるひまは無いと仰せになるのだ。

何せ彼女は、ほとんどの国の代表部から女神(じょしん)アリアドネとして遇されており、このあとのアポが立て込んでいたとしても少しの不思議も無い。

「いや、これは失礼した。では、早速単刀直入にお尋ねをしたい。」

「わたくしに判ることでしたら。」

「例の日本案では、遺憾ながら我が国の既得権がいたく侵害されてしまうことになるのですが、その点妥協の余地はないものか、その辺につきまして是非ともご意見を賜りたいと思いまして。」

現在のワシントンにとって、最大の懸念事項ではある。

まして、その日本案の背後には、日本人秋津州一郎氏の意向がまったく反映されていないなどとは到底思えないのである。

「あくまで一民間人として申し上げますが、米国政府が強いて妥協する必要は無いのではないかと考えておりますが。」

意外な反応が返って来た。

「では、我々の主張を正当なものと評価していただけると?」

女神さまは、いや魔王自身がワシントンの苦衷を好意的に受け取ってくれていると言うことなのか?

「正当かどうかは存じませんが、主張なさることは全てご自由かと存じます。」

「え?」

「お好きになさればよろしいのでは?」

女神さまは、「もう勝手にしろ」と言っているに違いない。

「いや・・・・」

「何処の国も、みなさん選択の自由をお持ちでございますから。」

判りきった原則論ではあったろう。

「しかし、丹波の八十パーセントの解放区も、もとはと言えば全て国王陛下の領土でもありますし、・・・」

「ですから、無理に丹波への移住をお望みにならなくてもよろしいのでは?別に無理強いされてるわけでもございませんし。」

まったく、その通りなのである。

但し、地球に留まれば全滅してしまう。

「いや、ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ、まるで我々に死ねと仰ってることになりませんか。」

思わず気色ばまずにはおられない。

「そんなこと、申し上げたつもりはございませんわ。」

「しかし・・・・」

「ほかに、適切で安全な領域を独自に見つけると言う方法だってない事もないでしょうし。」

「そんなこと・・・・」

『不可能です』、と言う言葉を呑み込んだまま茫然としてしまったのである。

何と言う無茶なことを言い出すのか。

「あら。ですが、現に第四の荘園などは国王陛下が独自に見つけてこられたものと伺っておりますし、未だ時間はたっぷりとございますから、これから探しに行かれたら如何ですか?」

相変わらずその表情は、にこやかなままなのである。

「う・・・」

「万能のワシントンに、お出来にならない筈はございませんでしょう?」

かつてジョージ・S・ベクトルがいみじくも小心者と呼んだこの男の耳には、痛烈な皮肉に聞こえてしまったのも無理は無い。

「・・・。」

この女は、我が国民に全員死ねと言うのか。

体中が怒りに震え、思いきり睨み付けてしまった。

その目は、敵意に燃えていたに違いない。

だが、正面の美少女は微かに微笑みながら、それでなお、みじろぎもせずに見返してくる。

星のような瞳が、恐れ気も無く凝視してくるのである。

その凝視は、圧倒的な何者かを伝えてきているようにさえ感じてしまうほどだ。

息詰まるような時が流れ、小心者は遂に抗しきれずに気弱げに目を伏せてしまうのだが、やがて女神さまの発言により気まずい沈黙が破られることになる。

「ほかにお話が無いようでしたら、そろそろ失礼させていただきましょうか。」

見れば、女神さまの目が、実に鷹揚に突き放しにかかって来ているのだ。

「ちょっ、ちょっとお待ちください。」

タイラーは搾り出すようにして叫んでしまった。

このままでは、我が国の国益がその根底から失われてしまう。

「未だ、何か?」

中腰の女神さまは未だに微笑みを絶やしてはおらず、見るからに、癪に障る(しゃくにさわる)ほど余裕綽々の体なのだ。

「いや、何とかお力添えを頂戴したいのです。この通りです。」

情け無いことに、又しても、深々と頭(こうべ)を垂れて見せるほかは無かった。

「わたくしに出来ることでしょうか?」

「いや、ですから、例の日本案に関して、何とかご助力を賜りたいのです。」

「例えば、どのような?」

これまた判りきったことを平然と聞き返してくる。

「せめて無国籍者の居住区を我が国の領分に頂戴したいのです。」

「あら、わたくしにそんな力はございませんわ。」

無論、一民間人にそんな権限があるわけは無い。

だが、こと秋津州に関してだけは別物であることは、それこそ世界が知ってしまっていることであり、秋元姉妹の全てがあの魔王の「使徒」であることを今更疑うものはない筈だ。

「そこを曲げてお願いしたいのです。」

「でも、それだけで満足なさるのかしら。」

「え?」

「その次は、海外の軍事拠点を多数確保なさりたいと仰るのでは?」

「う・・・」

図星なのである。

現在のワシントンにおいて、それは少なくとも少数意見などでは無い。

「ほかの国でも、いろいろご都合がおありになるようですし、全部お聞きしておりますと足りなくなってしまいますもの。」

「はい、そのことも承知しておるつもりです。」

「それでも、もっと欲しいと仰る?」

「しかし、我が国には、他の国と異なり、世界の秩序を守るという特別の使命がございますから。」

だからこそ、特別扱いを受ける権利があるのだと小心者は本気で信じているのだ。

白頭鷲の独善は今に始まったことでは無い。

何せ、この白頭鷲は未だに本格的な敗戦の経験を持たないのである。

「それはそれは・・・・。」

美少女の頬が緩んでいた。

この男の性格が、その微笑みを肯定的に解釈させてしまったとしても無理は無い。

「いや、ですから、格別のお計らいを頂戴する根拠はあろうかと思いますが。」

「さようでございますか。」

アリアドネが、ぽつりと呟いた。

「はい、是非とも。」

「でも、その場合の根拠とやらは全世界に主張なさった上で、公式に認められて、初めて普遍性を持つものではございませんこと?」

「しかし、例の七カ国協議でもまったく噛み合わないのです。」

噛み合わないどころか、少なくともその協議のテーブルでは白頭鷲にとって孤立無援の状況が続いており、仮に国連総会に計ったとしても、結果は無残なものに終わることが目に見えている。

「困りましたわねえ。」

「はい。ですからこそ、格別のご助力を・・・・」

最強の八咫烏(やたがらす)が直接決定したことを以て、大声で触れまわることが出来れば、逆らうものはいない筈であり、言わば形勢が逆転するのだ。

何せ、あの魔王こそ、その天体の全ての領有権者なのである。

「では、ワシントンも独自の分割案を出されたらいかがでしょう。」

そうすれば、それを支持してくれるとでも言うのか。

「白紙の状態から出し直しても不都合はございませんでしょうか?」

無論、ワシントンにも既に幾通りもの腹案がある。

但し、その全てが、露中米加豪伯(ブラジル)などの面積上の既得権を全て保護するものばかりであり、そうである以上、英仏独日の新領土などは極めて不利な扱いを受けざるを得ない。

単純な引き算をして見れば誰にでも判ることなのである。

殊に非力な途上国などに至っては、新領土が五分の一にまで縮小されてしまう案さえ盛り込まれているのだ。

「それこそご自由だと存じますわ。伺いますところでは、アフリカ方面でも全く独自の案がおありだそうですし。」

「そのことも耳にしておりますが、あんなもの正直お話にもなりませんからな。」

小心者が、俄然元気を取り戻したようだ。

「あらあら、」

「あんなものを採用したら、それこそ紛争のタネが増えるばかりでしょう。」

実は、丹波の直轄領の南側には、赤道を跨ぐ形で南北に細長く伸びた二千万平方キロほどの陸地があるのだが、日本の提出した分割案では、そこをアフリカ大陸の領分にそっくりそのまま比定して策定されている。

だが、現実のアフリカ大陸は三千万平方キロほどもあることから、仮にその案が通ることになれば、アフリカ人にとっての新領分の合計面積は、実に三分の二にまで削減されてしまうことになるのである。

尤も、現在のアフリカ大陸には周知の通りサハラ砂漠と言うものがある。

それは、実に一千万平方キロもの面積を誇る世界最大の砂漠地帯であり、それに引き比べて「新アフリカ大陸」に砂漠は見当たらず、それどころか、魔王の徹底した緑化政策によって、全土が見事なまでに緑に染まっているのである。

したがって、日本案における「新アフリカ大陸」の面積が、三分の二に縮小してしまうところが、アフリカ人の間で非難を浴びていると言うわけでは無い。

先ほど来タイラーが「あんなもの」呼ばわりしている案においては、日本案が比定している新アフリカ大陸案をトータルではそのまま採用しながら、その大陸の中身に限り「アフリカ人」自身が手を加えるとしているのだ。

そこでは、「新アフリカ大陸」の中で彼等自身が国境線を引き直すとしていることに加え、挙句の果てに、アフリカ国家群が数百もの多くに再分割されてしまうのである。

詰まり、部族ごとに国家を形成し直すべしとする議論が現地の一部に高まって来ており、甚だしいケースでは、二千にも及ぶ部族国家を造ろうとする意見まで存在すると言う。

ちなみに現在のアフリカには概ね五十数カ国が存在していると言うが、国家によってその数え方もまちまちであり、必ずしも確定しているとは言い難い状況にあると言って良い。

まして、現在の国境線のほとんどはネイティブアフリカンの意思に沿って策定されたものとは言い難い。

それどころか、古くからの部族の分布など、当時勝手に国境線を引きまくった白人列強の興味を惹くところでは無く、現在のアフリカ大陸に引かれた国境線のほとんどが、本来の原住民の意思など全く考慮されずに引かれたものばかりだ。

現在、例のキャサリン嬢などが取り纏めに奔走していると言うが、少なくとも百以上の国家に分割すべきとする声が大きいとされており、タイラーから見れば、そのこと自体が新たな紛争のタネだと言うことになってしまう。

「ずいぶん辛い採点ですこと。」

「ですが、彼等自身にそんな能力があるとはとても思えませんし。」

「あらあら。」

「実際にその能力があるのなら、少なくとも数世紀も前に、あの大陸の国境線はほとんど定まっていた筈でしょう。」

「見解の相違ですわね。」

「我々が乗り込んでいって線引きしてあげていなかったら、未だに国境線が確定してない可能性だってあると思いますよ。」

この場合の「我々」とは、無論過去の白人列強群のことを指しているに違いない。

「それはそれは失礼致しました。白人の方々がそんなに親切だったとは存じませんでしたので。」

女神さまの表情は実ににこやかであった。

「いや、別にそんな意味で申し上げたわけでは・・」

鈍感なタイラーも、流石にはっとしたのである。

「・・・。」

「しかし、その点日本人はとても優秀だと思いますな。」

小心者は、少しでも失点を取り返したい。

「・・・。」

「何せ、たかだか半世紀かそこらで見事に復興を果たしたばかりか、有数の経済大国にまでなってしまったのですから。」

補佐官も必死なのである。

「いえいえ、それもこれも、ワシントンのご助力があったればこそと感謝致しておりますわ。」

気がつけばじっとりと冷や汗をかいてしまっていたが、女神さまがケーキに手を付けてくれたところを見ると、もう少し時間をくれるつもりになってくれたのかも知れない。

ここは、是非とも話題を転ずるべきときであったろう。

「ところで、韓半島情勢についてはいかがでしょう?」

「特に変わりは無いと存じますが。」

その国は、かつて秋津州からの援助によって国土復興の大業が概ね完成の域に近づいていると評されたほどであった。

度重なる支援の中でも、殊に去年の秋口に懐にした五千億ドルが絶大な威力を発揮しただろうし、本格的な破綻の兆候こそ見せずに済んではいるものの、その経済規模は著しく縮小しつつある筈だ。

しかも、現政権が反日政策を掲げ竹島奪還を目指していることが、大きなマイナス要因とみなされ、早晩、新たなシナリオによる舞台の幕が開いてしまうだろう。

何せ、金昇輝大佐の手になる粛清の血風が未だに全土を吹き荒れており、親日親秋津州だったと見なされた者が押しなべて弾圧を受け、その多くがまったく不自然な形のままに消息不明だと聞いているのである。

「いえ、それについて国王陛下がどのように仰せかをお尋ねしたいのです。」

ワシントンの知りたいことは、実にこのことに尽きている。

「特別具体的なことは仰せにはなりませんわ。」

「しかし、あの国は陛下に散々世話を掛けておきながら、例によって露骨に裏切ったわけですから、普通陛下の逆鱗に触れてしまったものと思うのですが。」

「おほほほ、以前にも申し上げましたが、特に興味をお示しになられたご様子はございませんわ。」

「では、完全無視と言うことですか?」

「あら、面白いことを仰いますのね。単に興味を持たないことが無視したことになってしまうのでしょうか?」

「いえ、そう言う意味では・・・。」

「それに、あの国があのような政策をお採りになってる以上、今更陛下の方から何をすればよろしいのかしら?」

その国の政策とは、無論秋津州から大きく距離をとる政策であり、それは紛れも無くあの国自身の選んだ政策には違いない。

それを、他国がとやかく言うべきでは無いだろう。

だが、秋津州から露骨に乖離して行こうとする政策決定が、マーケットに与えた影響が小さなもので済む筈も無く、そのことによって発生したスタグフレーションだけは既に誰の目にも明らかなのである。

「しかし、何とか事態を収拾することはできないものでしょうか?」

それを収拾することが、すなわちワシントンの利益に繋がることなのだ。

「では、あの国の経済復興を成し遂げたいと仰る?」

「はい、国王陛下のご助力によって折角あそこまで復興が成ったものを、今になって潰してしまうのは、それこそ勿体無い話だと思いまして。」

「それはそうでしょうねえ。」

「ですから、国王陛下の更なる思し召しを頂戴出来ますれば・・・」

「でも、それほどあの国の復興をお望みなら、ワシントンが『それ』をなさるのが筋なのではございません?」

無論、『それ』とは経済支援のことに違いない。

「はい、鋭意そのように努めてはいるのですが、何分にも、日秋両国から揃って無視されてしまっており、そのことから来る影響が大き過ぎるものですから。」

その国の経済規模が今後も縮小を続ければ、米国企業の不良債権が膨らむばかりなのである。

尤も、日本政府から見たその「国」は無視するも何も、法理上存在すらしていないことになるのだ。

何せ、東京から見れば、従前その半島に『唯一』存在していた筈の大韓民国と言う国家自体が既に影も形も無いのである。

ちなみに、日本の提示している新天地の分割案では、その「国」の所在は日本から遠く離れた場所に設定され、その面積にしても既存のものより多少拡大されてはいる。

「ものごとには優先順位と言うものもございますし。」

「優先順位ですか・・・・」

「はい、どのような国においても、多くの選択肢の中から優先すべき政策を苦労して選んでいるわけですし。」

「・・・。」

「何分にも、リソースが無限にあるわけではございません。」

「それはその通りですが。」

「限られたリソースをどのように使うべきかを的確に判断することこそ、為政者としての最大の責務だと存じますわ。」

「では、いまさらあの国に貴重なリソースをつぎ込む事は出来ないと?」

「ですから、それこそ、ワシントンに向けてお尋ねになるべきだと思いますが。」

詰まり、この女は、日秋両国は以前のような支援政策は選択出来ないと言っていることになる。

以前とは異なり、現今ではあの国自身が国際マーケットの循環構造から大きく後退してしまっていることから、仮に破綻してしまったとしても、日本などの周辺国が蒙る悪影響は極めて少ないと見ているに違いない。

だが、我が国はあの国に対する膨大な不良債権と言う特殊事情を持つのである。

それほどあの国の復興を望むのなら、その国が支援すれば良いのだと簡単に言ってくれるが、それが出来ないからこそ、こうして辞を低くして頼んでいるのでは無いか。

しきりにリソース、リソースと言ってくれるが、そのくらいのことなら、あの魔王にとっては、ポケットから豆を一掴み取り出して庭の鳩にくれてやるのと一緒だろう。

現に近頃では日本政府の影響もあるらしく、魔王はモンゴルやインドとの接触を深め、噂では膨大な支援を約束しているとまで囁かれているのだ。

「やはり、そうですか。」

だからと言って、抗議するわけにもいかないのである。

「そもそも、経済支援などと言うものは、なさりたい国がなさればよろしいのではございません?」

それこそアンタイドローン(ひも付きで無い支援)である限り、それを望んでいる国など掃いて捨てるほどに存在しており、そのような中で、露骨な敵視政策を採る国に対してわざわざ支援してやるバカはいない。

「ご尤もでございますな。」

結局、ワシントンの虫の良い希望は叶えられそうにないことになる。

「あまり時間もございませんから、他に何かおありでしたらそれも伺って置きましょうか。」

「それではお言葉に甘えまして、我が国の兵器の移送に関してお尋ねをしたい。」

実は、近頃ワシントンで危惧されている別件に、現実に保有している膨大な兵器類の輸送問題がある。

軍事衛星や内陸に設えた核ミサイル用のサイロまでは諦めざるを得ないとしても、それでなお巨大な艦隊があり、原潜群があり、膨大な航空兵器がある。

中でも一部の航空機や小火器類についてなどは、きたるべき移送に備え既に長期保存のための作業にまで踏み込んでいるのだ。

適正に分解し、適正に樹脂を塗って外気と遮断した状態で適正に保管されていさえすれば、例え百年後であっても即座に現状復帰が可能となる。

「状況に応じて対応されるものと伺っておりますが。」

少なくとも、完全に拒否されてしまうと言うわけでは無さそうだ。

「ありがとうございます。是非とも空母クラスまでは移送をお願いしたい。」

原子力空母には、無論膨大な艦船群の帯同が必須要件だ。

「この件では、既に日本政府から国王陛下に提言がございまして、ただいま内容につき検討中と聞き及んでおりますので、改めてワシントンから東京へお申し出下さるほうが、一層具体的な内容をお聞きいただけようかと存じます。」

「ええっ、もう、そう言うお話に・・・・」

まったくの初耳なのである。

この件に限っては、ワシントンにしても何一つ耳にしてない筈なのだ。

小心者は又しても茫然としてしまったが、あの日本と言う同盟国が、わが国の戦力をいまだ重しと見てくれていることだけははっきりと確信出来たのである。

尤も、例え全艦隊を新天地の海に移送することが出来たとしても、現実問題として、そのドッグどころか母港すら持たず、ましてその背後において必要とする文明基盤を何一つ持たない以上、如何なる大艦隊といえども徒に漂泊を続ける他は無く、燃料どころか消耗部品ですら直ぐに底を突いてしまうのは明らかだ。

そのこと一つとってもワシントンは、一刻も早く自国領土を定める必要があることになるだろう。

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  1. 2007/08/18(土) 23:06:50|
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自立国家の建設 087

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当然の事ながら、ワシントンと東京間ではその後盛んなやり取りが交わされ、事務方レベルにおいては、既に十分過ぎるほどの交流が持たれた筈だ。

殊にワシントンから見た日本と言う国家が、ここ数年来同盟国として恐ろしいまでの存在感を示し始めていた上、近頃ではますますその重量感を増して来ているのである。

何せ、合衆国の重要な軍事資産を新天地に運ぶ件一つとっても、東京がその可否の多くを握っていることが改めてあらわになったばかりなのだ。

二千八年三月二十四日、しこうして合衆国大統領が訪日する日が到来した。

即座に両国のトップ会談が行われ、国井総理からは「同盟国の戦力の健全性が維持されることは、我が国の国益にとっても欠くべからざる一大要素である。」と言う意思表明があり、ことのほかワシントンを安堵させることになった。

日本は同盟国として、米国の戦力が「健全」に維持されるよう望んでいてくれると言うのである。

無論、その他にもさまざまな事柄が話柄にのぼったが、ワシントンは、少なくとも日本側の主張に悪意ある背景を感じずに済んだことは確かだろう。

しかし、それでなお、肝心の新天地の分割案については両国の国益の溝は埋まることは無く、遂に合意するまでには至らない。

合衆国にしても必死なのだ。

新田や岡部にとっても、一国の統治者が背負う国益と言う課題の重さが、事更強く感じられたことは確かだったろう。


尤も、日本の提出した分割案に物申したいとする国家は他にも数多く存在しており、例えば中国なども表立って動いてはいないにせよ、台湾の領有権に絡んでさまざまな思惑がある筈だ。

そもそも中国側の根本的な言い分からすれば、「中国の一部であるべき台湾に、新領土の分割を受ける資格などは無い。」とさえ言いたいところなのである。

まして、その分割案において新たな台湾島に比定されている島は、新中国の沿岸から五百キロも離れており、中国側にとってそのことが大いなる不満で無い筈がない。

現在の台湾海峡は、最も狭いところで言えば幅百三十キロほどでしか無く、新たなそれは従前から見れば四倍近くも離れてしまうことになり、その距離の長さが即ち政治的な距離感に通じると受け止めているからだ。

ところが一方の台湾側は、現在の中国全土はおろかモンゴルまで自国領土だと認識しており、到底相容れない。

何せ、現段階でも台湾共和国の正統な首都は大陸側の南京なのである。

尤も、今さらその主張は通らないものであることも認識しており、逆に中国沿岸からはるかに離れた別の島に目をつけて、盛んにデモンストレーションを繰り返していた。

その島は比較的国王の直轄領に近接している上、なおかつ中国沿岸との間には多数の島国が存在して、言わば政治的緩衝地帯を形成していることが、台湾側にとっては一際重大な意味を持つのだろう。

ちなみに、現在の台湾は三.六万平方キロほどのものだが、日本案で当初新台湾島に比定されていたものは概ね四万平方キロもあり、従前のものより十一パーセント以上広いことになる。

それにも拘わらず、中国沿岸から遠く離れてさえいれば、最悪従来のものよりはるかに狭隘なものであっても許容する覚悟を固めているらしく、近頃では新田のところへも猛然とアタックを始めており、女神さまにも頻繁に接触を望んで来ているほどだ。

無論、台湾も必死なのである。

結局、その後も各国それぞれの意図する国益が複雑に錯綜するばかりで、一向に落としどころが見えてこないまま、直轄領の工事ばかりが突出して進行してしまうと言う構図に変化は見られない。

何しろ、若者自身が居所と定めた八雲島などでは新たな海都が壮大な規模を以て完成しつつあり、各地の村落にしても基本的なインフラは勿論、新たな住民用の個別住宅まで全て整い直ぐにでも入居が可能なほどだ。

尤も、最新の情報によれば、そのNew海都を含む一帯は現地では「一の荘」と呼ばれていると言い、諸方の各村落はそれぞれ二の荘から十八の荘に分かれていると言う。

詰まりは、荘園なのである。

だが名前こそ古風なものだったが、その土地土地では幹線道路や空港設備は勿論、近代的な港湾も多数お目見えし、そこには深水深の運河や埠頭が見事な姿を見せており、太平洋上の秋津州港をしのぐほどのドッグや工場群まで具え、既にPME駆動方式の船舶を大量に建造中だと言う。

一方七十万平方キロもある玉垣島では、もともと広大な農地とともに優れた油井をも多く持ち、農産物と原油の備蓄機能を数多く具えているところに、目下更なる拡張工事の真っ最中でもある。

無論、新垣島(秋桜)やその他の諸島に関する工事も極めて順調な進捗振りを見せており、その意味では何の問題も無いと言って良い。

しかし、秋津州大陸だけはほとんど手付かずのままで、港湾どころか満足な道路さえ見当たらない。

そこには豊かな原生林が延々と続き、広大な湿地帯や野牛の大群が豪快に駆け回る原野まで、そっくりそのままに残されており、山岳地帯から流れ出す河川も豊富な水量を誇るものが多く、中には大アマゾンにも匹敵するような大河まで見受けられ、当然それらの水源となるような巨大な内水も数多く散在して当然だ。

中でも、大陸の中ほどに標高五百メートルほどの湖面を持つ際立った大湖があると言い、その名も磐余の池(いわれのいけ)だと報じられた。

それは、十三万平方キロを超えようかと言う実に広大な水域であり、その水深にしても最深部では二千メートルにも及ぶとされ、優れて高い透明度を誇る淡水湖であるらしいが、言わば悠久の古代湖でもあることから、固有の生態系を豊かに育んで来ている筈だとされている。

また、その途方も無く広大な湖面にはそちこちに僅かな島々を浮かべており、その中の一つに際立った特徴があるとされ、名付けて「宮島」だと言う。

長径十キロ、短径八キロほどのその孤島は、磐余の池のほぼ中央部にあってそのほとんどが小高い丘陵を成し、鬱蒼たる樹林に包まれながらなお、僅かな農耕地と人工の構造物を持つことによって優れて異彩を放っていたのである。

のちになって、それこそが秋津州神社だと明かされることになるのだが、そこには紛れも無い「神域」が存在していたのだ。

その島に上陸を果たせば、既に岸辺近くから、両側を樹林に囲まれて参道らしき石畳が苔生(こけむ)したまま冷え冷えと続き、そこを進むとやがて古ぼけた鳥居に出会うことになるだろう。

木製の小振りの鳥居をくぐって弛(たゆ)まず参道を登れば、程なく一際開けた場所に至り、そこでは巨木に囲まれるようにして社務所が立ち並び、神職や巫女(かんなぎ)らしき者にも出会う筈だが、不思議なことにその全てが女性ばかりだと言う。

その奥にも、そこそこの規模を持った拝殿や幣殿らしきものが実に雅びた佇まいを見せており、さらに奥まったところが広々とひらけ、ところどころに巨木を残しながら、いましも土木工事の真っ最中だ。

既に高床式の木造建築が巨大な姿を現しつつあるが、それ等は最も古風な寝殿造りの特徴を具え、その一郭全体を高い塀を以て幾重にも囲む作業が続けられているところから、その中に本殿が含まれていることに疑う余地は無いだろう。

しかも、その他にも言わば別宮と思しき構造物が諸方の森の中に点在し、この島全体が境内だと言って良い風景でありながら、島の一郭にはかなりの水深を具えた幅五十メートルもの運河が走り、その奥まったところにはがっしりとした石組みの桟橋まで築かれており、相当な船舶の接岸にも耐えられそうな趣だ。

いずれにしてもこの宮島は、最も間近な対岸でさえ優に八十キロも離れてしまっており、周囲を満々たる湖水に囲まれた文字通りの孤島なのである。

もしその孤島の頂上に立ち、そこから北方を望めば、晴れた日には、漠々たる湖面のはるか彼方に八千メートル級の山々の頂きが霞んで見える筈で、王の大陸はその山々を越えてなお茫々として連なり、もし北端にまで北上すればその一端は北緯八十度を超え、そこは最早極北の地と言って良いほどで、ホッキョクグマを始め特有の生き物たちが数多く棲息していると言う。

なおそこから六千キロもの距離をひたすら南下すれば、その南端は北緯十八度ほどの極めて温暖な地帯にまで至り、それは地球で言えば、まさにハワイ付近の緯度にも比定することが出来る筈だ。

その大陸は、若者が終始直轄領にすべく強い拘りを示したものだけあって、地球ではとうに滅びてしまったような生物まで共棲している筈だと囁かれ、目下研究者たちにとっては特別な興味を惹く対象となっており、現にその地の内水ではチョウザメなど大型の魚類資源も豊富で、北方の内陸ではトラや日本狼、或いはジャイアントパンダなども数多く棲息すると言われている。

しかも、膨大な地下資源の存在がとうに確認済みでありながら、まったく開発される気配も無いことから、若者の意図するところは、この大陸の自然保護にあることは誰の目にも明らかであったろう。


やがて三月三十一日に至り、日本の第二次分割案がワシントンに齎され、四日後には、七カ国協議のテーブルに提示されると共に各国当局にもその公告がなされた。

その案においては、主として台湾の主張が大きく実現され、その他にも僅かに修正の跡が見られはしたが、従前のものと比べても基本的に大同小異と言って良いもので、それに従えば合衆国の領土などは概ね六割ほどに削減されてしまう以上、無論白頭鷲の賛同を得るものでは無い。

この頃には、既に七カ国それぞれが個別の具体案を提示するに至っていたが、米国のそれが従前の主張ばかりを色濃く反映するものとなっていたことから、殊に仏独中露あたりから強い反発を招いてしまっており、一人英国政府ばかりが間に入って必死に駆け回る構図なのだ。

また、中東諸国に関する配置案についても、新天地におけるイスラエルの地政学上の位置付けがしきりに問題視されはしたが、米英独の弁論は不活発なものばかりであり、日本及び中露の「アラブ諸国とは出来る限り引き離すべし」とする配分案にしても、その評価はあまりはかばかしいものとは言えなかった。

一方アフリカ内部の線引き作業にしても、アフリカ連合(AU:African Union)が中心的役割を果たしつつあるとは言いながら、モロッコとサハラアラブ民主共和国(西サハラ)及びソマリランド共和国などなど、波乱含みの案件を数多く積み残しており、今現在もキャサリンのグループなどが懸命に動いてはいるものの、とてものことに解決の道筋に近づいているとは言い難い状況にある。

主権国家を現に標榜する者に対し、国家としての承認を与えるか否かは自国の国益の根幹に触れる問題であり、現実にその国家の存立に反対する者がいる以上、往々にして「正義」と言うものが複数あることになってしまう。

諸国民にとって必ずしも「正義」が同一のものにはならないことが、数々の不幸を生み続ける原因だなどと言う者もいるが、そもそも「正義」が複数あること自体、人類にとって上古以来ごく自然のことわりであり、今更そのような抽象論を一席ぶって見たところで何の役にも立たないことは明らかだ。

シエラレオネやリベリアの問題にしても、英米両国の薄汚れた人道主義が多くの不幸を招いていることも確かで、白人たちによる長期にわたる欺瞞と暴力が、アフリカ連合の内部にも未だに複雑な影を落とし続けているのである。

そのアフリカ連合の内部組織である平和安全保障委員会の中にさえ、実にさまざまな見解があり、近頃では、過度的な措置ではあるにせよ、秋津州国王に「アフリカ連合常設平和維持軍」の旗を預けたいとする者まで出る始末だと言うが、無論、秋津州国王の容れるところでは無かった。

尤も、キャサリンなどに言わせれば、それなどは、本来最も大切なものであるべき民族としての自決権を自ら放擲する行為に他ならず、本来民族の自決権は自らの知恵と血を以て購うほかに道は無いことになるのだ。

彼女は、そのためには、外部からの容喙など絶対に許さないと言う確固とした覚悟が必要であり、そのことを以て全ての行動指針の根幹に据えるべきだとしているほどだ。

但し、生きるすべを失ったみどりごが秋津州によって無償の保護を受け、教育を受ける機会まで与えられている現実には、感謝の念を禁じ得ないとしており、殊にまったく見返りを求めること無く、現地の争いにも一切の介入を否とする国王の姿勢には崇敬の念まで抱いてしまうほどだと言う。

だが、現実にはケンタウルスの一件が眼前にある。

民族自決の原則から言って、或いは国家としての根源的な責務から言っても、現在秋津州に引き取られている孤児たちは、全てそれぞれの国家が引き取った上で、来るべき混乱の時に備えるべきだと主張しており、今やアフリカ連合においても同様の意見が多数を占めるまでになったと言う。

しかも、このことを子供たちの母国の冷酷な棄民政策だとしてメディアが競って取り上げるまでになったことから、皮肉なことにそれぞれの政府がその当事者能力について一斉に非難を浴びるに至り、俄然各国政府が当事者能力を持つことを主張し始めた。

国家としての面目もあり、アフリカ以外の国も追随する動きを見せ始め、既に一部については孤児たちの帰国事業が密やかに始まってしまっており、早晩その全てがそれぞれの政府に引き取られて行くことになると報じられてもいる。

だが、それらの国々の政情は必ずしも好転しているわけでは無いのである。

幼い孤児たちには過酷な運命が待っているだけだと見る向きも多く、哀しむべきことに、帰国を果たせたからと言って生き延びる機会が与えられるとは限らないと言う。

国王にして見れば内心憮然たるものがあった筈だが、正統な政権が国家として保護すると言っている以上、秋津州側に表立って異議を唱える資格などは無い。

結局、若者の意に反して、やがて全ての孤児が秋津州を去ってしまうのである。

NBS支局長のビルなどは、国王との会談の席において、意外なほどの悲嘆に接したこともあり、王の意図するところが一つのニュースになった。

何せ、その席でインタビューに応えて若者が述べた言葉がまことに象徴的なものであったからだ。

「ともかく、こどもたちを殺さんでくれ。」

と、嘆いたと言うのである。

若者は、幼い者たちが生き延びてくれることをひたすら願っており、その想いばかりが際立つばかりだ。

まして、若者の庇護を受けた孤児たちは、生年月日どころか本名さえ不明な者ばかりで、判っているのは保護を受けた日時と地点だけであり、唯一の救いは、そのときの状況を克明に記録した映像が残っているだけだ。

無論、その子を保護するに際しては、その国の政府にも明確に公告を為した上で引き取って来ており、秋津州風の姓名と衣食住を与えられた孤児たちは、秋津州の天地と各村落の住民の輪に包まれて伸び伸びと暮らしていた筈であり、自然、一様に別れを悲しむことになる。

そのため、引き取り手である政府によっては、本人に事実を告げない場合もあったらしく、中でも、帰国時において六歳とカウントされていた一人の男児などは、事態を従前通りの一時帰国だと認識していたくらいだ。

何しろ、その子などは既に三年余も秋津州で暮らして来たのである。

東アフリカのある地域において、村中の者が家を焼かれ、そして殺され、悲惨な状況から見てその両親も流血の中で絶命したと思われる中、その子は村の中ほどの地点で多くの遺体に囲まれるようにして発見されたことから、のちに村中太郎と命名されたと言う。

発見時に心拍停止の状態であったものが、現地のアキツシマ学校の教師役を務めていた女性型ヒューマノイドが抱き上げたところ偶然にも蘇生し、その子は危うく一命を取り留めたとされるが、当時、付近一帯に生存者はただの一人もおらず、無論その国の国家機関に通告はしたものの、当然のごとくその反応は鈍いものでしかない。

何せ、国中が大動乱のさなかであり、保護を要するような孤児などそこらじゅうに溢れてしまっており、赤子の一人や二人にかかずりあってる余裕などある筈も無かったろう。

とにかく、その子の引き取り手など只の一人も現れなかったことだけは確かで、放置すれば幼い生命は間違いなく途絶えていたことになるのだ。

そのような経緯で引き取られた孤児は、その後数年に及ぶ秋津州での生活を体験し、その間国王夫妻の膝で甘える機会さえ多く持ち、僅かではあっても立川みどりや佐竹有紀子とも接触する機会があっただろう。

そして直ぐに戻って来るつもりで帰国して行ったことになるのだが、いつの日にかきっと事実を知るときが来るに違いない。


キャサリンは、不幸にもこれ等の件において主導的な役割を果たすことになってしまったが、若者の悲嘆についてもとりわけ重く受け止めざるを得ず、さまざまに思い悩んだ末、改めて国王との面会を求めるに至った。

既に触れてきた通り、彼女は若者との間に、ここ数年来さまざまな「えにし」を持ち、一時はメディアから王妃候補の一人として扱われることすらあったほどで、男女間のあれこれこそ無かったが、純粋に人としての濃密な交わりがあったのであり、少なくとも二人の間に通い合う何ものかがあったことは事実だ。

それこそが、人としての情と言うものであり、だからこそ彼女は心から詫びねばならぬと思い定めたのであろう。

何せ、彼女にとっての若者は尊敬すべき一国の指導者でありつつも、ときに愛すべき弟のような顔まで併せ持っていたのである。

彼女はその弟に詫びるべく入国したことになるのだが、外事部にダイヤルしただけで即座に王宮の掘り炬燵に招かれたことが、極めて特徴的だったろう。

タイラーなどが聞けば身を震わせて怒ったところだろうが、これも彼女が若者の設定していたある種の「結界」の内側に棲んでいたからに他ならない。

無論その結界は、あくまで精神上のものであり、目に見えるもので無いことは勿論なのだが、その内側に棲む者こそ若者にとって確かな友人であったのだ。

その結果、彼女を苦しめていた慚愧の念は著しく軽減されることになった。

王妃の接遇を受けながら僅かな会話を持っただけで、若者が彼女の一連の行為を、言わば当然のことと受け止めていたことが判然としたからだ。

その上、近頃の奔走振りについても、よほど好意的な評価を下してくれていることが伝わり、丹波の状況に関してもさまざまに情報を与えてくれた上、丹波の現地をさえ案内してくれたのである。

その情報のひとつひとつが、彼女の以後の活動において極めて有意義なものになったことは確かだろう。


二千八年四月十日、王と女帝(秋元京子)との特殊な通信。

王は妻子と共に王宮にあり、女帝は東京の総理官邸に所在している。

王宮の居間の床の間には、例の「蝿叩き」と「山姥」があり、夫妻の傍らには満ち足りて眠る王子真人の寝顔も見ることが出来るだろう。

「恐れ入りますが、いささかご報告がございまして。」

「申せ。」

「このたび、特別旅団の編成が完了致しましたので、この辺でご覧に入れて置きたく存じます。」

「ふむ、ならば、そろそろ配備に移るとするか。」

その新生旅団は未だ地球上空のファクトリーにあり、丹波への配備に当たっては、無論若者が自分で移送して行くよりほかは無い。

「装備に少々工夫をさせていただいておりますので。」

「しばらく待て。いま準備をしておる。」

微細なトラフィックを通じてさまざまな映像情報が送られて来ていたが、かたわらの王妃には何一つ感得出来ないため、若者はその映像の美麗さ故に王妃にも見せたいと思ったのだ。

そして「準備」とは、掘り炬燵の上で妻のノートパソコンを起動させることだ。

最近日本で買い求めたそのマシンは、かなり高機能のグラフィックボードを具えており、精細な表示能力が一段と彼女のお気に入りでもある。

「承知致しました。」

今しもそのマシンのUSBポートに差し込まれたものがあったが、これだけはいずれのショップに出掛けても決して購うことは出来ないものであり、無論天空のファクトリーで独自に造られたものなのだ。

以前にも触れたがその機器には微細なポートが備わっていて、今、一体のG四が導体となるべくぴったりと嵌まり込んだところだが、マシンのOS側からは、一般に市販されているごくありふれた周辺機器の一つだと認識され、待つほども無く、東京から送られて来る情報が、この何の変哲も無いマシンのモニタ上に映し出される。

「まあ、綺麗ですこと。」

それを見て王妃が無邪気に声を上げた。

モニタが、年若い「かんなぎ」たちが軽やかに身動きする姿を流麗に映し出していたからである。

その少女達は、ご多分に洩れず白衣をまとい緋の袴を着けており、中の一人などは白衣の上に広い袖口を持った白の「千早」を長々と重ね、その腰には黄金(こがね)造りの太刀まで佩いていた。

墨で描いた八咫烏を浮かべた千早は透けるほどに薄く、その袖口や長めの裾が少女の身動きに連れてときに軽やかに舞いあがるところなどは、まるで華麗なファッションショーを見るようだ。

言わばモデルを演じている娘たちは計ったように色白の美女揃いで、長い黒髪を紅白の水引を以て後ろで束ね、その先を和紙で包んでいるところまでは皆同様であったが、太刀を佩いている娘が着けているのはどう見ても馬乗袴(うまのりばかま)であり、よほどしっかりした襠(まち)を入れているらしく、その立ち居振る舞いをなおのこと凛々しく見せている。

王妃が興味津々に見入っているうちに、千早を着けている方の娘が小さな金色(こんじき)の冠を着けた姿で登場し、ふわりと宙空に浮かび上がったと見るや、やにわに腰をひねりざまきらりと太刀を抜いた。

細身の刀身が打ち振られるたびに眩いばかりの光芒を放ち、黄金の柄頭(つかがしら)から伸びた真紅の刀緒(とうしょ)が舞い踊り、如何にも目に鮮やかであった。

「ふうむ。」

「如何でございましょう?」

「何も、ここまでこだわることもあるまいに。」

若者自身はあまり乗り気では無いようだ。

「この装束につきましては、全て陛下ご自身のお指図から発展した意匠ばかりでございます。」

「ほい、そうだったか。」

照れくさそうに苦笑いをしている。

「さようでございますとも。」

幼い頃の若者は日本の地誌風俗に非常な興味を示し、さまざまな資料に目を通す機会もふんだんにあった筈で、この派手やかな装束一つとっても、その基本形だけは間違いなくその資料の中にあったものなのだ。

成人した今とは違い、資料の中に登場する舞女(まいひめ)たちの、目も絢(あや)な衣装に強く惹かれたのも当然の事であったろう。

「しかし、衣服として機能的なものとは言え無かろう。」

「それは、その通りかと存じます。」

「それに、汚損分の補充がまた苦労であろうが。」

その装束は、少なくとも丹波の大自然の中で身動きするには、到底ふさわしいものとは言えないだろう。

「その点、今後は全て丹波でのことでございますから。」

無論丹波には広大な直轄領があり、天空のファクトリーもその付近の空に常駐する筈で、それ以後は資源の確保自体、若者の移送能力に拠らなくとも済むのである。

「ふむ。それにしても無駄ではあるまいか。」

そのとき、再び王妃から声が掛かった。

「ほんとに綺麗ですこと。」

鶴の一声であったろう。

若者のクレームはぴたりと已み、その後、美しいモデル嬢の装束は多彩なバリエーションを見せた挙句、見事な剣舞まで披露するに至ったのだが、その舞の最中(さなか)に驚くべきことが起きた。

彼女の頭上に一羽の烏(からす)が現れ、極めて自然な動きを見せながらその肩先にとまったのだ。

良く見れば足が三本ついており、それから見れば秋津州の国鳥とも言うべき八咫烏そのものなのである。

「ふうむ、マザーもよほど頑張ったと見えるな。」

その八咫烏は、今も空中で自在に停止したりしてさまざまな動きを見せているが、若者の目にさえ生きているとしか思えないほどの出来栄えなのだ。

「はい、大分ご苦労なさったと聞いております。」

「さもあろう。」

超小型のPMEと柔軟かつ頑健な腱を数多く組み合わせ、それらをコントロールするために持てる技術の粋を集めたものと言って良い。

鳥類が飛び続ける際に消費するエネルギーには膨大なものがあり、ロボット単体でそれだけのものを継続して確保することなど最初から無理があり過ぎる上、一部の鳥類は空中で羽ばたきながら停止することが出来るが、左右の羽ばたきを以て「機械」にそれをさせ続けることは先ず不可能に近い。

それほどまでに飛行する鳥類のロボット化には困難な点が多いが、秋津州には高機能かつ耐久性に優れたPMEがあり、超先進的な技術があると言うことなのだろう。

「ところで、そのマザーと言う呼び方もそろそろお改め下さったほうがよろしいのでは。」

そもそも、この人工知能の呼び名は、若者自身がそう呼び始める前までは「マザー」などでは無かったのである。

「ふむ、そう言えば前にも言われたことがあったな。」

少なくとも、若者の即位以前はずっと『おふくろさま』だったのだ。

「新田さんなども、『おふくろさま』の方がよほどしっくり来ると言っておられましたわ。」

「うん、私も最近そんな気がしていたよ。」

未だ幼なかった若者が英語と言う外国語教育を受け始めた頃だったためか、単に「マザー」と言う呼び方を好んだからに他ならないが、秋津州戦争を戦ったあとの若者は格段に成長の跡を見せ、著しい変貌を遂げてこんにちに至っており、堂々たる主権国家の元首として既に幼さなど微塵も残してはいない。

「それでは、これも御覧いただきましょう。」

新たな映像が送り込まれ唐突にモニタを飾ったが、それは、長さが百六十センチ、幅と高さがそれぞれ八十センチほどの金色燦然(こんじきさんぜん)たる黄金(おうごん)の櫃(ひつ:箱)だったのだ。

豪奢な装飾を与えられ、その四隅に重厚な造りの脚部を見せているが、これにしても全て黄金製なのだろう、高々十五インチほどの画面上でさえ圧倒的な存在感に溢れ、荘厳なまでの輝きを放っている。

分厚い蓋の上部には何やら羽を広げた二羽の鳥像が立っており、金色の体を三十センチほど離れた位置で互いに向き合う構図で、良く々々見ればこれもまた八咫烏なのだ。

さらに側面には見覚えのある武神像と八頭の逞しい獣の姿が刻まれ、見る者全てに秋津州の象徴の如き印象を与えずには置かないだろう。

「ほほう、わざわざ新調致したか。」

「はい。先日荘園から大量に補充していただきましたので、早速に。」

近頃大量の金が、資源の一部としてファクトリーに補充されたと言う。

周知の通り、金(きん)は多種多様の工業生産において多用されるものであり、若者が輸送してくる諸物資の中にも常態として含まれているものでもある。

産出元の荘園では、現に巨大な埋蔵量を誇る優れた金鉱山が多数存在し、必要に応じて膨大なヒューマノイド兵が投入されて採掘と精錬の作業を担う。

新しく領土とした第四の天体などでは、トン当たり一キロなどと言う途方も無い含有量を誇る金鉱脈まで発見されるに至り、いみじくもその天体は「佐渡」と名付けられ、大規模な作業部隊が送り込まれた結果、かつて地球から搬入された「もの」のほとんどを消滅させてしまった。

「今度のは、多少は丈夫に致したか?」

周知の通り金は、金属としては異様なほどに柔らかい。

「純度を落とさぬようになさったようで、四トンを超えてしまったようでございます。」

金そのものの純度を落とさずに頑丈さを追求した結果、その分だけさらに重量が増してしまったと言うのだろう。

「何だ、又しても純度にこだわったのか?」

話の様子では、何度目かの新調だったようだ。

詰まり、過去において複数回破損の憂き目を見たことになる。

このとき、王妃がぽつりと呟いた。

「これが八咫烏の長櫃(ながびつ)なのですね。」

この「八咫烏の長櫃」が初代君主の亡き後に造られ、その後秋津州代々の至宝であり続けたことは王妃も聞き及んでいたのである。

「うん、昔、私が思い切り壊してしまったヤツさ。」

「確か、滝つぼに落としてしまわれたとか・・・・」

八歳で即位した直後、当時未だ丹後にあった秋津州で、不遜にもあの洞穴の奥から持ち出そうとして、龍神の滝の滝つぼに落としてしまったものなのだ。

一族にとって最も大切に扱われるべき宝物(ほうもつ)が、落ちて行く途中、崖の岩盤に何度も打ちつけられ、ひどく変容してしまったのだが、当時のものでさえ優に三トンは超えていたとされ、未だ瞬間移動の特殊能力が未発達であった幼童にとっては、さぞかし手に余るものがあったに違いない。

「二度目は地震で台座から落ちてしまって、それ以来さ。」

このときは、丹波が異星人に襲われ苦労して撃退した直後のことでもあり、王自身は不在であったが、やはり丹後の秋津州の洞穴で木製の台座が地震で崩れ、載せてあった長櫃が落下してしまったケースなのだ。

素材が純金と呼んで良いほどのものであったため、たった一メートルほどの高さから落ちただけで無惨に変形してしまい、その後長いことファクトリーで眠っていたが今新たに蘇ったと言うのである。

「大切な剣(つるぎ)が納められていたそうですわね。」

王妃の顔は笑いで一杯だ。

「うん、あれは一生の不覚であったわ。あっはっはっはっ。」

その「宝剣」は、初代の君主が佩用したものと言う伝承があり、幼い王が数百キロもある蓋を開けて持ち出した挙句紛失してしまったのだが、何処で紛失したものかまったく記憶が無い。

尤も、実際に引き抜いてみたところ、少年の記憶に残るその刀身は何のことは無い、只の赤錆びた細い鉄の棒であったのだ。

無論、純然たる儀仗用のものであったに違いない。

王妃愛用のマシンのスピーカーは東京からの音声情報を齎し、新たに女帝の言葉を伝えて来ていた。

王妃の耳にも直接聞こえるよう配慮して、わざわざ声に出して話しているのだろう。

「今までのものの中でも最高の純度で、これ以上のものは無いと伺っております。」

無論、長櫃の素材である金の純度のことであったろう。

「重くなるはずだ。」

ちなみに、純金の比重は大雑把に言って二十に近い。

詰まり、同じ体積の水と比べ、純金は二十倍近い重量があることになる。

「台座用に、このようなものを用意してございます。」

再びモニタの映像が切り替わり、続けて映し出されたのは、江戸時代の旅人(たびびと)が川を渡る際に用いたとされる輦台(れんだい)のようなものであり、正方形の桟敷席の四方を欄干を以て隈なく囲み、輦台を担うための太い棒が前後左右にそれぞれ二本ずつ長々と突き出していた。

まして白木造りに見えるその輦台自体が二間(にけん)四方もあり、肝心の長櫃と比べて如何にも不釣り合いな大きさなのである。

「ふうむ、これは木製か?」

そこには、現に素朴な木目(もくめ)模様が見えているのだ。

「いえ、木製に見せかけた合金製でございます。強度のこともございますので。」

何せ、四トンを超えようかと言う重量物を載せるのである。

「直に長櫃を載せるのか?」

「その折りには、二尺ほどの台座を別に設えたものを用いることにしてございます。」

「移動の折りには相当揺れることもあろう。まさか崩れ落ちることはあるまいな。」

現に王自身が落としてしまった経験を持っているくらいだ。

「その場合の台座は輦台と一体成型でございますし、大事をとりまして台座の上部には長櫃の脚部に合わせた窪みを設けてございますので、相当傾けましてもずれ落ちるようなことはございません。」

なおかつその窪みの表面には、特殊な素材を用いて充分な軟性をも与えている。

「詰まり、嵌まり込むような構造なのだな。」

「さようでございます。その他にもさまざまな構造物を取り付けてございます。」

「ふうむ。」

「例えば、大小の椅子なども取り付けてございまして、ずいぶんとお役に立とうかと存じます。」

「それにしても、この担い棒はひどく長いな。」

それぞれの担い棒には、七・八人の担ぎ手が楽々と肩を入れることが出来そうだ。

「通常は引き抜いて置けるようにしてございますし、そのほかにも少々工夫がしてございます。」

「ほう。」

「例えば、この台座自身が空中を自力で動き回れるような造りにしてございます。」

「また、良からぬことを企んでおるのではあるまいな。」

口振りから言って、ほかにもさまざまな機能を造り込んでいるに違いない。

「先々、必ずお役に立とうかと存じます。」

その後もモニタには大小さまざまな「輦台」に混じって、色鮮やかに彩色されたものまで登場し、そのいずれもが宙空を自在に飛行してみせたのである。

「最後に秘密兵器をご覧いただきとう存じます。」

「未だあるのか。」

「申し訳ございません。」

又してもモニタの映像が切り替わり、そこにはまことに奇怪なものが映し出された。

華麗な装束を纏った美少女のそばに、悠然ととぐろを巻く大蛇である。

それも、途方も無く大きい。

恐らく、牛馬どころか象をもひと飲みに出来るだろう。

ライティングを浴びて不気味に浮かび上がった大蛇には巨大な角(つの)があり、かつ長々と伸びた髭(ひげ)まで生えており、鱗を光らせながら悠然と鎌首をもたげて見せたときには、五本の指を持った足まで見えていた。

何とそれは、伝説の中に生きる怪物、龍だったのだ。

それも如何にも東洋風の姿をしており、体を伸ばせば、恐らく四十メートルはあろうかと思われるほどである。

「なかなかに大きいものだな。」

「これでも小型でございまして、別に大型のものも用意してございます。」

「何、これでも小型だと申すか?」

「さようでございます。大型のものは体長百メートルほどもございましょう。」

「いったい何に使うつもりだ?」

若者は、さも呆れたと言う表情を浮かべている。

「陛下のほうに腹案がおありになれば又別の話でございますが、とりあえずは、磐余の池の守役と言う役どころがよろしかろうと存じます。」

「いつの間に造っておったのか。」

「お申し付けにより、基礎設計だけは十年も前に出来(しゅったい)していたのでございますが、その後さまざまに予期せぬ繁忙期が続き、遂に今日になってしまったとのことでございます。」

つまり、これも又、未だ幼かった頃とは言え、若者自身がおふくろさまに命じたことであったと言う。

無論、その後異星人の大規模侵攻があり、長期にわたる血みどろの防衛戦があった。

甚だしく衰耗してしまった兵団の再建と言う大事業があり、その後秋津州の移転作業をやっとの思いで成し遂げたと思えば、息つく暇も無くあの秋津州戦争があったのだ。

関係諸国に行ってきた壮大な規模の支援にしても、ようやく一段落したばかりだ。

急ぐことではないと命じられていたことであったにせよ、おふくろさまが、やっと積年の使命を果たせるだけの余裕を持てたことにはなるのだろう。

「ふうむ、そう言えば確かに命じたことがあったわ。」

言わば、単に少年の日に抱(いだ)いた、それこそ幼い夢想の中の怪物に過ぎなかったものが、いままさに堂々たる現実感を伴って眼前に現れ出でたことになるであろう。

「わたくしどもは、決して王命を忘れることはございません。」

「そうか。十年も経てば、真人(まひと)のオモチャぐらいにはなるかも知れんな。」

王の口調が弾んでいた。

「それでは、別に頭の上にでもキャノピーを取り付けましょうか?」

キャノピーとは、言わば戦闘機の風防付きの操縦席のようなものであろうが、その口振りでは龍の内側にとうに用意済みであるようだ。

「いや、冗談だ。」

「承知致しました。」

「ところで、この独立旅団は十個連隊に別途輜重部隊が付く編成であったな。」

「はい、全て女性型にせよとのお申し付けでございました。」

「その上、このオモチャまで編入する気か。」

「さようにございます。」

「ふうむ。」

「当座の旅団長職には妹の滝を臨時に宛ててございますが、何か不都合がございましょうか?」

日本人秋元滝は言わずと知れた秋元姉妹の四女だが、当人はとうに丹波に赴任しており、この新たな職責についても、女帝はよほど以前に命じてあったものと見える。

「ふうむ、何から何まで・・・・」

「よろしければ、お直き々々に現地にて補任(ぶにん)をなし下されますよう。」

「うむ。世が落ち着けば、甚三(じんざ)の指揮下におくことになろう。」

なお、甚三(じんざ)とは、無論近衛軍司令官准将井上甚三郎のことだ。

ちなみに、その他にも八人の兵団司令官たちが揃って准将に補されているが、一つ下位の軍団司令官などは高々上級大佐であり、そのまた下位の師団長職に至っては只の大佐でしか無い。

「かしこまりました。」

「この場合の旅団長職は中佐で良かろうな。」

「当分は従前の職制のままでよろしいかと存じます。」

「当分は、と申すか?」

「先々は、丹波において他国軍との交流もございましょう。」

「ふむ、現在でも日本軍と交流をしておる。」

現に便宜上のものとは言いながら、秋津州軍にもれっきとした潜水艦隊が存在しており、その艦長職は同時に一個小隊を統べる「少尉」クラスの者が務めている。

秋津州の正規の軍艦であることを国際的に標榜する為には、秋津州の正規の軍人が乗艦し直接指揮監督に当たる必要があるためだ。

尤も、一部にはこれを以て正規の軍人とは認め難いとする議論もあるにはあるのだが、それはさておき、ひるがえって日本の海自の場合、二佐(中佐)クラスがその職に就いているのが実情だ。

詰まり、その艦内においては、秋津州軍の少尉クラスと海自の二佐(中佐)クラスの者が、奇しくも同一レベルの軍務責任を担うことになるのである。

無論、何れの国の軍隊でも少尉と中佐とでは、その階級と職責の差は天地ほども異なっている。

「はい、互いの階級がかなりアンバランスなものになることは、考慮しておかれるべき問題かと存ぜられます。」

現実の秋津州軍においては、例えば十三万もの大兵を率いる中隊長職が高々中尉であり、一千六百万以上を指揮する大隊長職ですら大尉クラスだ。

まして、彼等の全てが宇宙軍であって、陸海空の区別など一切存在せず、言わば常にその全てを兼ねている事になり、そもそも戦力規模と言い、或いは戦闘能力と言い、他国の軍とはそのレベルからしてかけ離れたものになってしまっているのである。

現に秋津州の一個小隊は、相手が敵対する意思を明らかにしている限り、如何なる国軍といえども、その全軍を相手にしてもなお軽々と沈黙させてしまえるほどの「能力」を持つに至っている。

何せ大量のD二とG四が独自の攻撃力を具えた軍事衛星として自在に先行展開し、優れた通信機能と索敵能力、そして俊敏な機動力を兼ね備えている上、戦闘行動半径がこれまた比較にならないほど懸絶してしまっており、それほどの恐るべき戦闘単位がたかが少尉の指揮する一個小隊なのだ。

いかに国際間の軍事交流を想定しておこうにも、戦力規模から言ってそれぞれの階級を揃えることなど土台無理な話ではある。

「アンバランスであっても、別に問題は無かろう。」

その交流の場合、相互の軍人たちの間では、それぞれの階級を以て儀礼上の位置付けをせざるを得ないのだが、どうやら若者は、国家間の階級上の儀礼など問題にもしていないようだ。

「承知致しました。」

「第一、我が軍が実戦において他国の指揮を受けることなどあり得んのだから、平時のことなど何の問題もあるまい。」

「はい。」

「平時の軍事交流など、通常の外交儀礼と何等変わらん。」

だが、実際には平時の外交儀礼においても職階の上下は大きく関わって来るのである。

「その外交でございますが、ワシントンは相変わらずでございます。」

例によって、新天地の分割構想が愚かにも虚空を彷徨ってしまっている。

「そのようだな。」

「そろそろ残り時間が少のうなって参りましたが。」

「もう少々待つほかは無かろう。」

「お言葉ではございますが、丹波の受け入れ準備には相当な期間を要すると見るべきかと。」

受け入れ準備がなされないと言うことは、最悪の場合、茫漠たる未開の原野に単に彼等を放り捨てるに等しい。

何せ、現代人ほどひ弱な動物は他に例が無い。

実行時の自然環境によっては、半数が生き残れれば未だ良い方だろう。

「だが、この時点で強制すれば、ヤツ等は未来永劫納得すまい。」

若者の基本戦略にとって、このことこそが実に多くの足止めとなっているものなのだ。

「ワシントンでは、近頃、大分、折れて来ている者もおるようでございますし、この辺でそろそろ圧力をお掛けになられた方が・・・・」

「いや、未だ早い。」

「・・・。」

「出来うれば、ヤツ等にも最後のチャンスをくれてやろうと考えておるところだ。」

自らの運命を自らの意思を以て決定し得るチャンスのことを言っている。

「それでは、改めてお指図がございますまではこのままに。」

「それで良い。」

「承知致しました。それでは、これにて失礼させていただきます。」

「うむ。」

海都との通信は切断されたが、女帝の作業は相変わらず繁忙を極めている。

多数の配下を使って今もさまざまな作業を継続しており、主として日本国内に棲む人々のデータの整理に忙殺されていたが、それも既にその概ねを完了させつつあると言って良い。

そのデータの中には、近頃頻繁に王宮を訪れるようになった一人の孤児のものも含まれ、殊更念入りに調査が進んでいたが、彼女にして見ればこれも当然のことだったのだ。

その三歳のおさなごは王妃からも格別に愛されている上、未だ片言も話せぬ王子に対しても姉のような心持ちでいるらしく、既に王の定める「結界」の内に確実に入ってしまっていたからだ。

かつては諸国から引き取って保護を加えていた孤児たちがあったが、王は近頃その全てを失ってしまったばかりでもあり、たまたまその代わりのようにして現れたこの少女には、格別のものを感じている気配さえあるのだ。

まして、国王夫妻の愛情を良いことに、たった三歳の孤児が無邪気に甘えることを覚え、今では実の家族のようだと言うものさえいるのである。

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  1. 2007/08/20(月) 14:38:56|
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自立国家の建設 088

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一方、東京の銀座ではみどりがとりわけ忙しい日々を過ごしていた。

何せ、見送ったばかりの故人は若くしてさまざまの資産を遺した。

自分にはそれを散逸させぬよう慎重に対処する義務があり、とりあえず、クラブ「佐竹」の処分を急ぎ、その他の遺産の整理に日夜没頭していたのである。

後々の為にも綿密な記録を残しながら、孤児にとっての資産を着実に整頓し、ゆくゆくは自らの資産をも譲りたいと考えるに至っていたのだ。

いきさつから言って自分の資産などは全て国王のものだと考え、神宮前に相談してみたところ、みどりの資産など現実の秋津州財政にとってはそれこそ微々たるものでしか無い上、名目上から言っても全てみどり本人の自由に任せるとのことであったからだ。

また、その際のアドバイスもあって、自らの資産の多くを秋津州円に替えて保有するようにして来ており、今ではその為替差益だけでもかなりの額に上っている。

ただ、孤児の納付すべき相続税などがかなりのものになることも見えており、いよいよ覚悟を決めて不動産などの処分にも取り掛かったところだが、故人が古くから所有していた物件などは巨大な売却益が出てしまうことも、また違った意味の悩みにもなっている。

まあそれはそれで良いとして、肝心なのは預かったおさなごのことだ。

目の前の小型ベッドで安らかな寝息を立てている娘自身が、すっかり国王夫妻に懐いてしまっており、近頃ではみどり抜きでも平気であの王宮に泊まってくることすらある。

今回などは、丹波の秋津州神社にお参りして来たと言うし、天女のようなお姉さんたちにもたくさん遊んでもらったなどと言う。

多分夢でも見たのだろうが、しまいにはバスより大きな頭をした大蛇まで見てきたなどと無邪気に報告してくれるのだ。

いまもまた、きっとそんな夢でも見ているのだろうが、これから行う幾通りもの仏事のこともあり、それこそ考えることは山ほどもある。


さて、二千八年五月三日の早朝のことだ。

日本はいわゆるゴールデンウィークと言うこともあり、各地で高速道路の大渋滞が報じられる中、新天地ツアー第一陣と称する一団が賑々しく出発する運びとなった。

彼等の出発基点は神宮前の秋津州対策室となっており、敷地内には漆黒の大型ポッドが多数姿を見せ、既に大勢の報道陣で賑わってしまっていた。

無論、見送りの者の姿も少なく無い。

ちなみに、この頃の対策室は強引とも思える買収工作によって大いに拡張され、その敷地は多少いびつなものになってしまったとは言え、既に四千坪を超えるほどの規模を誇るまでになって来ており、一部の施設が急遽取り壊され或いは改装工事の真っ最中だ。

実質的にその指揮を執っているのは官邸の秋津州対策室だと見られており、そこには色とりどりの人間が介在し、挙句に秋津州人と思しき妙齢の美女まで多数暗躍していると言う話もあり、いきおい不透明な内容の噂ばかりが一人歩きしてしまう。

殊に関係業界の内部などでは、その拡張もゆくゆくは一万坪を超える勢いだと囁かれ、延いては国井政権の徒ならぬ意気込みを窺わせるに至っている。

尤も、現実の日本は熾烈な生存競争の真っ只中にあり、次々と難問が頭を擡げて来ているのである。

それ等の難局に対しても一層機敏な対応が求められる今、ケンタウルスの一件一つとっても秋津州の重要性には群を抜いたものがあり、これも日本が国家として生き延びて行くためには欠くべからざる措置ではあっただろう。

ことにあたり岡部の配下などが大活躍した筈だと言われ、聊か強引な手法を恨めしく思った者も無かったわけでは無いが、秋津州対策室神宮前支所であると同時に、秋津州大使館としての役割を担うこの施設の重要性も又、並外れたものとなっていたことは確かだ。

したがって、日本国の存続を最優先課題とする国井政権にとっては全て当然の措置であり、ましてそれらの不動産にしても、近い将来には悉く資産価値を失ってしまうものなのだ。

緊急措置であったこともあり、それらに要した膨大な資金については、無論正当な予算などたっている筈は無く、国井としてはある意味「超法規的な決断」すら迫られる場面でもあり、結局、日本人秋津州一郎氏の口座から数千億もの資金が大手不動産業者に流れ、市価の倍額近くで取引きが進められた結果、取得した不動産資産の全てが国有財産となった。

無論、一国の宰相としての国井に恥ずべきところは無い。

秋津州側にしても政略上の必要性に鑑み、新田と岡部からの進言を容れ、日本円にして二兆円ほどの残高を持つ口座を一つそっくり預けていたのである。

いずれにしても秋津州側の負担は決して小さなものでは無い。

今回の「新天地ツアー」一つとって見ても例の宣伝作戦の一環と言う色あいが強く、その結果あくまで無料招待の形式を採り、殺到する応募者の中、責任担当者としての千代は抽選と言う手法を以て相当の家族を選出していた。

選抜の結果、記念すべき第一陣に選ばれたのは百組五百人ほどの家族で、その全てがビデオカメラの用意も怠り無く、胸を躍らせて参加していたに違いない。

何せ、その行き先はほかならぬ系外銀河であり、彼等にとって、途方も無い移動距離から見れば紛れも無く「大宇宙旅行」なのである。

また、その旅程が日帰りと言う前提に立っていたこともあり、旅先で口にするものは飲み水も含め、全て参加者自身が用意する建て前になっており、現実に食物アレルギーや宗教上のあれこれもある上に、場合によっては集団食中毒の懸念さえあることから、これはこれで比較的好意的に受け止められていた筈だ。

参加者の年齢制限にしても、当初は明確に小学生以上とされていたが、回を重ねるに従い、やがて時宜に応じて緩和されて行く見込みだと言う。

このイベントのためにわざわざ用意されたパンフレットは、贅を尽くした上質紙に見事なコーティングまで施されているもので、その点だけでも秋津州側の負担は容易なものでは無かったろう。

参加者たちが記念に持ち帰ったそのパンフレットには、丹波の概略図は勿論、各地の風景などが美麗に表現されていた上、殊に国王の直轄領と定められた領域に限っては、それぞれの地名が克明に付され、その地名がまた、現代日本人にとっては時代錯誤としか思えないほど古風なものばかりであった。

また、その直轄領全体が新たなる「秋津州国」と位置づけられていることには、一言も触れられてはいなかったが、その領域だけが特別に際立つよう配慮されていたことは確かで、地図上で他の領域とは画然とした区別がなされており、その領域が特別の存在であることを声高に主張していたのである。

その特別な領域には幾つかの陸地が描かれ、新垣島(秋桜)は新垣の郷(あらがきのごう)、王宮が所在すると言う八雲島は八雲の郷(やくものごう)、玉垣島は玉垣の郷(たまがきのごう)と表記され、その領域の中でも飛び抜けて巨大な面積を持つ大陸には、「馬酔木の山斎(あしびのしま)」と言う一段と古風な名称が宛てられていた。

但し書きによると、この場合の「山斎(しま)」とは現代風に言えば山荘のことであり、馬酔木の山斎(あしびのしま)そのものが言わば別荘を意味していると言うが、誰の別荘かは言うまでも無いことであったろう。

その「馬酔木の山斎」の「磐余の池(いわれのいけ)」などは、「池」と呼びながら優に十三万平方キロを超え、実に九州全土が三つも収まってしまうほどの広大な湖面を持つと謳っており、事実ならその巨大さはこの地球上では他に類を見ないほどのものなのだ。

(筆者註:但し、カスピ海を国際法上の「海」と解釈した場合である。)

ちなみに日本で最大の琵琶湖ですら、たった六百七十平方キロほどでしか無いことからも、その桁違いの大きさの一端が想像出来るだろう。

詰まり、あの琵琶湖が二百個も入ってしまうほどの面積を持ち、その岸辺には多くの湿地帯は勿論、そちこちに砂浜があり、寄せては返す大波小波がある。

その形態は湖と言うより、最早海に近いと言って良い。

そこに注ぎ込む水流などは大小合わせて五十は下らず、流出して行く河川にしてもかなりの大河となるものも含め十数本の多くを数え、それぞれの水系を豊かに形成しているほどだ。

また、この「馬酔木の山斎」大陸には、ほかにも三つほどの大湖が記載されており、そのいずれもが、あのバイカル湖にも匹敵しようかと言うほどの規模を誇り、実にその全てが三万平方キロを超えるものばかりだと言う。

それこそ小振りの湖沼などは数えるにも苦労するほどで、しばしば姿かたちを変える湿地帯の湖沼に至っては、それこそ無数と言って良い。

この湿地帯にしても、二万平方キロを超える大規模なものだけでも複数点在し、そこに棲息する多様な生態系についてもさまざまに触れられており、具体的に載せられていたものだけでも丹頂や朱鷺などがあり、その個体数にしても膨大過ぎて数え切れないほどだと言う。

その他にも野生の牛馬類は勿論、熊や虎や狼などなど、さまざまな野生動物が棲息していることにも触れられており、貴重な大自然の姿がこれでもかと言うように強調されていたことからも、秋津州側の意図を汲み取ることは容易だ。

この印刷物は全ての旅行者たちに漏れなく配布され、貴重な旅の手引きとしても多いに役立つと同時に、その高級感溢れる出来栄えは、今回のイベントが如何に大掛かりに準備されていたものかを如実に物語っており、そのことは旅行者の全てが感じ取ったことではあったろう。

また、このイベントが日本政府の暗黙の協力の下に進められていたことも明らかで、それが証拠に、当日、神宮前の対策室に集合した旅行客の受けた取り扱いは、驚くほど簡便なものであったと言う。

それもこれも、秋津州側の手になる事前チェックの有効性が重んじられている結果でもあっただろうが、対策室側が大量の動員を掛けて人海戦術を採った効果も、決して小さなものでは無かったに違いない。

だが、真に威力を発揮したものは別に存在した筈だ。

それこそは、事前に旅行者全員に貼り付けられていたG四だったのであり、そうでなければ、当日不正に潜入しようとする者の判別一つとっても容易でなかった筈で、また、そう言った不埒者も現に少なくなかったのである。

その結果、旅行客の全てが数台の大型ポッドに乗り込むや否や、一瞬にして太平洋上の海都に迎えられ、しかも即座に専用のSS六改に乗り換えることによって、本格的な出発に備えることを可能としたほどだ。

当初用意された観光用SS六改は二十機ほどのもので、その側面は勿論、真下まで覗くことの出来る多数の窓を備え、旅行客たちがかなりの視野を以て機外を見渡すことを可能にするもので、案内係の女性だけでも都合百人ほどが搭乗し、機内にはエアコンは勿論、大型の冷蔵庫やトイレやシャワーまで備わり、国王専用機以外にも医療用の機体が別途に随伴する手筈だ。

旅行者たちにとって特別な装備は一切不要であり、シートベルトを装着するだけで瞬時に丹波へ到達してしまい、その後各地のポイントで自在に発着を繰り返し、現地の風景にも数多く触れることが出来た。

無論、対象地は夜間で無い領域に限ってはいたが、相当な範囲にわたったことだけは確かで、現地の長距離移動にあたっては全て瞬時に移送されるのである。

各地点における滞在時間はそれぞれ十五分ほどのものであったにせよ、それも現地の単調な原始風景を見るには充分過ぎる時間であったろう。

何せ、彼等が運ばれて行く土地土地では、整然と広がる農耕地に大勢の農民の姿があるだけで、それ以外は広大な原生林と原野が目に入って来るばかりなのだ。

但し、新垣の郷(秋桜)では、膨大な秋津州人が巨大な機器を自在に操りながら着々と建設工事を進める光景があり、そこだけには多少の時間を割くことも忘れてはいない。

その大地が新田源一と言う一日本人が国王から借り受けたモノであることは、未だ公式なものとはなっていないにせよ、現実にそこに広がる光景の中に散在する大量の文字は、日本語以外の何ものでもないのである。

まして、彼等の目前で多くの社会的インフラが完成しつつあり、その工事に携わる者たちが話す言語も全て日本語なのだ。

それを目にした日本人旅行者たちが、緑溢れるその島(島と言っても日本全土の倍近い面積ではあるのだが)に非常な親近感を持ったことだけは確かであったろう。

ただ、主催者側は馬酔木の山斎(あしびのしま)にだけは一切の着地を許さず、専ら上空からの観光にとどめ、広大な磐余の池の上空も縦横に飛行して見せた。

結局、旅行者たちは各地において上空からの景観も充分に堪能し、自前のレンズにも数多く捉えた筈であり、帰国後その一部がメディアに流れ、騒然たる話題を呼ぶと共に、自然メディア側の不満を招くことになってしまう。

何せ、過去において、丹波と言う荘園の現地取材を許されたのは大規模メディアに限られていたこともあり、巷に溢れている小規模メディアにして見れば、今回の無料ツアーがとてつもない幸運に思えたのも無理は無い。

当然、彼等の多くが一般家族の名目を以て応募していたが、一組といえども厳しいチェック網を掻い潜ることは出来ず、そのストレスを募らせていたことは確かなのだ。

尤も、主催者側にとってそれらの反応は全て織り込み済みのことであり、翌々日の第三陣には別途にメディア専用のSS六改が十機ほども編成され、それにも対応して行く態勢がとられはしたが、無論そのくらいのことで全ての不満が解消されるわけも無く、その後再三にわたって増強される運びとなった。

このイベント用におふくろさまが用意したSS六改は、直ぐに二百機を数えるまでになってしまうのだが、秋津州側が参加者の限度をその都度二千人ほどに絞ったため、その全てが使われたわけでは無い。

当然諸外国からの要望も殺到し、その政府筋の要請と協力を受けるまでになったことにより、次第に世界規模の広がりを見せ始め、自然若者が多忙な日々を強いられることになった。

なにしろ、手弁当とは言いながら、参加費が完全無料なのである。

膨大な申し込みが殺到し、高々一ヶ月ほどの間に丹波を実見した人々の数は四万を超え、彼等が持ち帰った丹波情報もいきおい膨大なものになった筈で、その中にはかなり妙なものが混じっていたことも事実で、殊に磐余の池を上空から捉えた映像などには、実に奇怪なものが映り込んでいたのだ。

その水面下に、途轍もなく長大な「うなぎ」のようなものが群れを成している姿であり、ビデオ映像などを分析したところ、その群れはどう考えても動いているとしか思えないと言う。

多くの専門家と称する人々がさまざまに発言したが、結局、広大な湖面の水面下を動き回る巨大な影は紛れも無く生物だと言うことになり、ネス湖のネッシーの例にもある通り、驚愕の話題となってメディアを騒がせたのも無理は無い。

何しろ、目撃された固体数は一匹や二匹では無く、少なくとも数十匹は下らないと言われている上に、その棲息地は巨体を養うに足るだけの充分な規模を具えている。

その「池」は九州が三つも入ってしまうほどの面積があることに加え、典型的な古代湖であることを捉え、そのような大型生物の繁殖の可能性も一概に否定は出来ないと言う研究者まで出始めた。

現実に、水面下僅か数メートルのところを、身をくねらせながら悠然と回遊する姿が度々カメラに捉えられており、挙句にはその水面すれすれにまで接近したSS六までが同時に映り込んでいる映像まで存在し、分析の結果、最大のものに至っては実に百メートルを超えていると言うのだ。

それが事実なら、その巨大さは、もはやネッシーの比では無いのである。

その後、複数のメディアが発表した映像の中には、おぼろげながらも怪物の頭部付近を捉えたものがあり、それが東洋の伝説の中にしばしば見られる龍の姿に酷似していたことにより、「馬酔木の龍(あしびのりゅう)」、若しくは「イワレのドラゴン」などと呼ぶものが増えた。

無論、好事家たちが大騒ぎだ。

メディアや研究者たちが、競って馬酔木の山斎(あしびのしま)への上陸を願ったのも当然だが、無論許される筈も無かった。

その理由としては、馬酔木(あしび)と言う地名からも想像出来るように、毒性を持つ植物が諸方に繁茂し、その上獰猛な大型肉食獣も多数跋扈していて危険極まりないからだと言う。

高高度からの映像を見ても、そこには舗装道路などただの一本も見当たらず、文字通りの大自然が広がっており、通常の四駆車など無理に持ち込んでみたところで、即座に立ち往生してしまうぐらいが関の山であったろう。

とにかく、徒歩で跋渉するには深過ぎる原生林と広大な原野の連続なのだ。

それこそ、何が潜んでいても不思議は無く、無論命の保証などあり得べくも無い。

このような状況下で上陸を許せば遭難者が続出することは目に見えており、その後の救難救助の困難さは思うだに戦慄してしまうほどのものであって、当然二次災害の発生も考慮されなけばならない。

そこには、それほどまでの大自然が厳しく行く手を阻み、その上珍しい生物が数多く棲息していることになり、いよいよ上陸を望む声がその数を増した。

だが、そのような生物に関する質問に関しても、その後も納得の行くような回答が得られることは無く、馬酔木の山斎に棲むと言う未知なる生物は、依然として多くの人々の興味の対象となり続けることになる。

秋津州側の対応は、とにかくその大陸には膨大な数の種が棲息していることは事実だが、かと言って、その一つ々々に正確に答えている余裕は無いと言うばかりであったのだ。


さて、新天地のツアーが一段落したころの王宮にはそこそこ静穏な日々が訪れ、そこには佐竹有紀子のあどけない笑顔が頻繁に見られるようになって来ていた。

このおさなごは常に夫妻の傍らにあって、未だみどりごの真人とも緊密に触れ合う機会が増え、近頃の王は、近しい訪客に限っては有紀子を膝に乗せたままで会うことさえあると言う。

その実態は既に家族同然と言って良いとされ、あまつさえ保護者としてのみどりが連れ帰るべく訪れても、ときに帰りたがらないことさえあるほどだ。

王の荘園にも既に数回にわたってついて行っている模様で、幼いながらその検分を確実に広げつつあり、その土産話にはときとして驚くような内容のものが交じるようになった。

両親の愛を知らずに育ったためか、おさなご自身が国王夫妻にひどく懐いてしまっていることは確かで、結局、王の外出時にはついて行きたがって仕方が無いと言うのである。

みどりなどに言わせれば、それもこれも若者が甘い顔ばかりしてみせるのがいけないらしく、このままでは本人の為にもならないとまで言うのだが、一向にあらたまるような気配は無い。

王にしても、王妃にしても余程可愛く思っていることだけは確かなのだろう。


ただ、静穏な村落部とは事違い、このところの海都はその姿を著しく変貌させてしまっており、さまざまの意味で秋津州の重要性が高まるに連れ急激に膨張の一途を辿り、その居住者も以前の数倍になったと言って良い。

無論、増加したのは外国人ばかりだ。

巨大な秋津州ビルに居を構える各国代表部にしても、それぞれが職員の増強を図って来ており、今ではその職員名目で滞在している者だけでも十万とも十五万とも言われるほどで、中には職員専用の食堂まで具えるケースまで見掛けられ、その係員の数だけでも膨大だと言う。

七カ国協議の構成国などが抜きん出て多数の職員を派遣していることも当然だが、台湾共和国や蒙印などのアジア諸国は勿論、中東諸国からの増員振りにも見るべきものがあり、そこそこの経済力を持つ国で、その増員を目指さない例は皆無だった筈だ。

当然、各国のメディアにしても本格的な支局を運営するものが増え、世界のビッグバンクと称されるものもまた同様であり、そのほかにもさまざまなビジネスプランを引っさげて入国して来る者も少なくない。

秋津州側の入国規制も近頃大幅に緩和され、表向き観光目的の外国人も出入りが激しくなって来ており、巨大ホテル群にしてもかなりの客室が埋まるまでになって来ていた。

何しろ、これ等のホテル群は、その建設の過程では、これほどのものが必要になることなど、先ずあり得ないと囁かれるほどの規模を誇っていたのだ。

無論、大した観光名所など無いに等しいのだが、この地にはそぐわないほどの観光客が訪れ、その中には観光以外の目的を抱いて来ている者も少なく無い。

数ある高層マンションの店舗用テナントにしても、既に空き室を捜すのに苦労するほどで、殊に繁華街などではネオンが派手やかに光り輝く中、かなりの遊客が足を運ぶまでになって来ており、クラブ碧やモニカたちの酒場に限らず、過半の店が盛況の日々を過ごしているとされる。

膨大な外国人が賑々しく往来し、昼夜を分かたず多様な民族が行き交うまでになって来ている以上、現今の海都は小なりといえども既に国際都市と呼ぶに相応しいと評する者さえいるのである。

ただ、秋津州側の入国規制が緩和されたからと言って、タイラーたち各国代表部のものにとっては喜んでばかりもいられない事態なのだ。

何しろ、実質的には、膨大な入国希望者の言わば身元引き受けをしなければならない。

殊に、自国民がこの国で犯罪を犯した場合の扱いがまた問題で、秋津州側が降した判決(のようなもの)に従い、身元引受人たる代表部が犯罪人の収監に要する場所はおろか、その衣食の全てを手当てすることになる以上、その負担も小さなものでは無い。

収監の場所についても無論制限がある上、万一犯罪人に逃亡を許せば、それこそえらいことにもなりかねない。

いまのところ逃亡の事例は無いとは言いながら、場合によっては、身元引受けの名義人たるタイラー自身が、身代わりに収監されねばならない事態すら起こり得るのである。

各国の対応は自然慎重なものにならざるを得ず、自国民の入国に際しては各自が厳しく審査する流れが強まり、滞在中の自国民に対しても自発的な「指導」を繰り返すまでになった。

表向き秋津州側の警備体制にさしたる変化は無いが、犯罪行為に対する検挙率だけは百パーセントと言って良いほどの実績を誇っており、相変わらず犯罪行為の現場映像が完璧に残されていることが、際立って抑止効果を発揮していたことは否定出来ないのである。


一方、王宮にほど近い鍛冶工房では、弛(たゆ)まず創作活動が続けられているらしく、日々「電動ハンマー」の槌音を力強く響かせていた。

この鍛造用工具は無論据え付け型で、重量感溢れる金床(かなどこ)と常に正確に打ち下ろされるハンマーとが背後の支柱を以て一体化しているもので、打ち下ろし速度なども微調整することが可能だ。

毎秒十回もの打ち下ろし機能は素晴らしい作業効率を齎し、鍛造にあたり無理の無い単独作業を可能にしてくれるため、まことに便利なものであり、今では工房に二台も設えられているほどだ。

この刀匠は丹波において作刀の基本を学んだとき以来、これを用いることで常に単独で鍛錬して来ており、その特異な心象風景から言ってもこの作業環境が気に入らないわけが無い。

何せ、これまでの人生経験は、彼をして極端に無口な、言わば人嫌いの男に変えてしまっており、そのことが彼の親族に与え続けている想いも決して軽いものでは無かったろう。

ところが、近頃そこには山内隆雄と言う見慣れぬ日本人が居ついてしまっている。

未だ二十一歳であり、中肉中背で、色浅黒くごく平凡な容貌を持ち、口の重いどこか大人になりきれない一面を感じさせる若者だと言う。

ほんの数ヶ月前に押し掛けてきたこの弟子入り志願者が、予想に反して未だに逃げ出しもせず、真摯なその姿勢にも依然として変わるところが無いところから、師匠の方も、この若者が日々工房で炭を切ることを、ごく自然なことと感じるまでになって来ているようで、そればかりか近頃では朝昼晩の食事も母屋で共に喫することを許している上、専用の個室まで与える始末だ。

よほどこの若者を気に入っているに違いない。

近頃では定期的に鍛治場を閉めてまで、この男にわざわざ自由時間を作ってやっているほどだが、何しろ未だ二十一歳の血気盛りのことでもあり、年長者としては当然息抜きが必要だと考えた結果なのだろう。

また、全くの無給であるにもかかわらず、この若者に小遣いに不自由するような気配は無く、それどころか秋津州行政の審査を受けて運転免許を取得した上、最近新車まで購入しており、首都圏の繁華街に出かけて行くのにも何の障害も無いのである。

自然、休みの前の晩などはその動きも活発なものとなり、さまざまな人間と接触を持つようになって当然だろう。

まして、頼みもしないのにわざわざ近づいて来る者もいないわけでは無い。

昨今この工房に接近を試みようとする女性たちの数は相当なものになって来ており、その国籍にしても呆れるほどにさまざまで、無論、そのほとんどは役目柄日本語の会話能力を具えており、中にはその読み書きまで達者にこなす者もいるほどだ。

その者たちは一様に美女と呼ばれるほどの容姿を具え、ティーム・キャンディ以外にも相当に妖艶な者がおり、それもいわゆる白人系とは限らず、アジア系やアラブ系の美女も当然に少なく無い。

しかし、この異様なまでに無口と言われる刀匠は同時に極端な女性嫌いでもあるようで、その手の女たちが盛んに送りつけようとする秋波(しゅうは)にも全く興味を示そうとはしない。

全くの無視なのである。

その折りも折り、降って湧いたようにして現れた若者なのだ。

いきおい、女たちの視線も師匠から弟子の方に転じられることが増えた。

増えたどころか、その大多数が一斉に目を転じたのだ。

これ等の美女たちが盛んに接近を試みていることは、内務省の最上階などには手に取るように判ってはいるが、そうかと言ってこの若者がとりわけ価値のある情報を握っているわけではない。

第一、その師匠からしてがそうなのだ。

王妃の実兄でありながら、いわゆる機密事項に触れることなど皆無と言って良いのである。

そうである以上、その弟子風情がそれを知り得る機会はなおのこと無いのだが、女たちやその雇い主の目にはそうは映らない。

刀匠が王家の一族に準ずるような立場にいる以上、常にその身辺にいるほどの者が、貴重な情報を持っていない筈は無いと思ってしまうらしい。

或いは、特別な関係を結ぶことに成功したのちに、「女としての武器」を以て、改めてそれを入手させることも充分可能だと考えてしまうのだろう。

尤も、これらのことは、ハニートラップと言う作戦の性質上、古典的とでも言うべき基本的な手法だと言って良い。

現に、諸国において機密漏洩事件として、若しくは売国的利敵行為として公になってしまうものなどは、氷山の一角に過ぎないと言われており、実際には膨大な事案がひっそりと闇の底に葬り去られているとされ、その中の相当部分が女性工作員の手によるものと言われているほどだ。

まして、今や秋津州情報の重要度レベルは殆どの国にとって、言わば特Aクラスの扱いになってしまっており、莫大なコストを覚悟してでも積極的に対応しようとする国が増えて当然だろう。

自然、その手段もハニートラップにたよるものが増え、女性情報員の入国が相次ぐことになる。

通常、彼女たちがターゲットとするのは政府要人や官僚がほとんどだが、この国においては既に述べてきた通り極めて特殊な状況がある。

新婚の国王は無論のこと、王妃や行政官を篭絡(ろうらく)するのは極めて困難な状況がある以上、結局は王妃の親族をターゲットとするほかは無く、中でも王妃の両親は単独で外出することは先ず無いことに加え、その居場所でさえ定かで無い今ますますその的は絞られて来る。

ときにあたり、肝心の王妃の実兄はかくの通りだ。

結果として、この山内隆雄と言う人物の周辺には、多くのハンターが群がるようにして寄ってくることになった。

まるで夏の夕べに妖しい光を放つ誘蛾灯のようだ。

どうやら一番手はティーム・キャンディのようであったが、アラブ系やアジア系のハンターたちも捨てて置く筈は無く、無口な若者はそのそれぞれからかなりの好待遇を受けたことは確かだ。

ティーム・キャンディの設えた例の特別室にも二度も訪問している上に、ロシア美人やフランス娘の自室にまで出かけて行っており、最近ではジャーナリストを名乗る漢人女性とも、特別「親密」な交流を持つに至っている。

殊に、この楊歌(ようかき)と言う漢人女性の妖艶さは群を抜いており、特別美貌と言うほどでは無いが、その体つきと言い所作と言い、ほとんどの男性の目を惹き付けるに充分なものであり、北京政府の大いなる期待を背負っていることは確かだろう。

したがって、この女性による極めて濃密な接遇は、未だ大人になり切れて無いような若者にとっては一際刺激的なものであったかも知れない。

何せ、三十歳を僅かに超える年齢の持主でありながら、かえって若い男性には抗い難いほどの色香を発散し、ひたすら円熟した技巧を用いてくるのである。

たかだか二十一歳の若者が、たちまちにしてその術中に陥ってしまうのも当然と言えば当然で、近頃では専らこの女性との交流ばかりが濃密に重ねられて来ているようだ。

女帝の張り巡らせたネットワークは、ある一部を除けば完璧と言って良いほどのものであり、この若者が近頃経験した数々の幸運についてもその全てをフォローして来ており、ひいては若者に対して格別な接遇を与えた側が、その任務を効果的に果たせるまでには至らないと判断していた。

詰まり、若者から直接情報を引き出すことも、或いは若者を使嗾(しそう)して何らかの工作を企んだところで、目的を達することは不可能だと分析したことになる。

尤も、彼女たちとその雇い主の目的は、あくまで秋津州の真意を探り、自国の政策を打ち立てるに際し重要な指標とするところにあり、誰一人として王家の者に危害を及ぼすつもりなど無いと言って良い。

彼等は、秋津州国王の意思の在りかのみを、ひたすら追い求めているに過ぎないのである。

ところが現実には、若者の師匠自身が秋津州の政略などには全く興味を示さないため、その弟子風情が如何に望んでも結果は知れており、結局工作者側の努力は儚いものとならざるを得まい。

仮に、どんなに厳しい拷問を加えても、知らないものを聞き出すことは出来ないのである。

その上、秋津州の警戒網が不断にフォローしている以上、万一この若者が暴力的威迫を受けるようなことでもあれば、即座に実力を以て排除してしまうことも出来るのだ。

この意味で秋津州のネットワークが目を離すことは無い上、ハンターたちは勿論のこと、その背後にいる者たちにしても手荒な手法を使ってくる気配は無い。

少なくとも、濃艶な誘惑者たちの背後に、王家に対するテロ攻撃の意図を持つ者が存在しないことだけは確認出来ており、今後においてもその調査活動は絶えることなく続けられて行く筈だ。


さて、先ほど「女帝の張り巡らせたネットワークは、ある一部を除けば完璧と言って良いほどのものであり」と書いたが、この例外的な「ある一部」とは無論田園の中に佇む王宮のことだ。

この王宮は、常に目に見えぬネットワークに幾重にも取り巻かれており、その最も内側の輪は王の居間から八百メートルほどの距離を保つこととされているが、それより外側では、同様の輪が幾層にもわたって延々と続き、文字通りそれは鉄壁の構えと言って良い。

無論、その輪を構成しているのは、膨大なD二やG四を従えた近衛軍の配下たちだ。

詰まり、近衛軍は王の居間を中心として言わばドーナツ状の警護態勢を布いていることになるが、そのドーナツの空洞の直径が概ね千六百メートルほどだと言うことになる。

これも新妻を迎えたときの国王自身の命によるものであり、その理由にしてもわざわざ言うほどのことでも無いだろう。

但し、王宮の中に外部の者が入る場合などはまた別の話だ。

その場合、そのネットワークの輪は格段に狭まり、G四やD二は勿論、ときによっては訪客の接遇係りと称して、近侍の者が陪席する態勢がとられることも多い。

例えば、つい先日キャサリンが訪れたときのことを挙げよう。

その折りには、問題のネットワークの輪は、例の八百メートルラインから一センチも狭まることは無く、雲霞の如き従者たちは命じられない限りラインから内側へは一歩も入ることが無い。

詰まり、警護態勢には王宮を中心に半径八百メートルの空洞が出来ることになるのだが、これを立体的に表現すれば、直径が千六百メートルで、高さが八百メートルのドームのような形状になっている筈だ。

全ては近衛軍がキャサリンを「外部のもの」とは認識しないためであり、無論、国井や新田などが入る場合であっても同様だが、これがひとたび合衆国大統領が訪れる場合などは、そのドームの空洞は隙間も無く固められ、いわゆる厳戒態勢が布かれることになる。

言わば王宮の物理的結界は、訪客の区分によって、常に伸縮自在なものと言って良いのである。

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  1. 2007/08/22(水) 13:31:52|
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自立国家の建設 089

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さて、話は変わるが、このところのNBSが発信した丹波報道の中に殊更刺激的なものがあり、少なからず世を騒がせることとなった。

目下注目を集めている例の磐余の池(いわれのいけ)に関わる一件であった上、それも最新の映像と言う前宣伝があったこともあり、当然そのドキュメント番組は非常な前評判をとり、多いに大衆の耳目を惹きつけ、放送後にあっても盛んに話題を振り撒くことになるのである。

やがて放送の当日が来て、話題の番組でその冒頭を飾ったのは、広大な「湖面」を静々と進む一艘の和船であった。

そちこちで白波が朝日を映して眩く光り、その湖面は海かと見紛う程広大で、カメラアングルによっては対岸どころか陸地そのものが見えない。

当然、前宣伝で触れていた通り、磐余の池の一風景であっただろう。

どうやら、今、朝日を浴びて湖面を進むこの和船こそ番組の主体となって行くものらしい。

真新しい白木造りのその船は、幅三メートル、長さ二十メートルほどと、そこそこのサイズを具えてはいたが、奇妙なことにどう見回しても船外機どころか櫓も櫂も無い。

いわゆる世間一般で言うところの推進装置を何一つ持っていないことになるのだが、それでも、その船は自在に動いているように見えていた。

ナレーションによると、磐余の池の中ほどに浮かぶ宮島から「漕ぎ」出したものだと言うところを見ると、例の運河の奥の船着き場から出て来たものには違いなかろう。

何せ、その島には島中捜しても桟橋らしきものが他に無いのだ。

和船は淡々と進み、やがて宮島から一キロほども西進したところで動きを止め、今しも何やらセレモニーを始める気配だ。

無論、船上には人がいる。

数えるまでも無く四人だ。

それも、四人全員がうら若き美女であるばかりか、それぞれが華麗な衣装を纏っていたのである。

上半身は純白の衣服を着け、真紅のロングスカートをはいているが、そのスカートはどうやら袴(はかま)と言うものであるらしい。

全ての娘たちが長い黒髪を纏めて後ろに垂らし、それを真っ白な紙のようなもので包み込み、それでなおその髪の根元を紅白の細い紐のようなもので結び留めているが、その紐が僅かに左右に伸びているところなどもまことに鮮やかな光景だ。

中でも舳先に立っている娘などは、小さな金色(こんじき)の冠を朝日に照り輝かせながら、白く薄手の上着を長々と重ね着しており、挙句に黄金造り(こがねづくり)の太刀を腰にして際立った凛々しさを見せている。

後方に片膝を立てて控えている乙女たちが、それぞれ敬虔な面持ちで舳先に立つ娘を見上げているところを見ると、舳先に立って前方を見つめている乙女こそが、このセレモニーの主役を務めることになるのだろう。

ナレーションは言う。

このセレモニーは、宮島の神域で主要な神殿が落成したことを記念して行われるものであり、これにより、その神殿の主体となるものを迎え入れる準備が整う筈だと言う。

その「主体となるもの」とは何なのかは、どうやら今後の取材に待たねばならぬものらしいのだが、少なくとも船上の乙女たちにとっては極めて重要なものであるらしい。

そして今、主役の乙女が後方から差し出された白木の三方(さんぽう)を両手に捧げ持ち、船の前方に向かって恭しく一礼してから、三宝の上の白い供え物を湖面に落とし込んだが、どうやら、それは幾つかの餅であっただろう。

乙女は空になった三方を後方に下げ、湖面を吹き渡る微風に白い頬を嬲らせながら、今きらりと太刀を抜いたところだ。

そして、緩やかな身振りで舞い始めた。

刀身が額を飾る金色(こんじき)の冠とともに陽の光を浴びてきらきらと輝き、裾長のころもを風になびかせているありさまは、見る者全てに、えも言われぬ荘厳な感覚をさえ伝えて来るのである。

乙女はゆるゆると舞い続け、その動きに連れて船がわずかに揺れ、周囲にさざ波を起こしている。

やがてその舞が一分ほど続いたところで、前方に重大な変化が起こった。

舳先から五百メートルほど離れた湖面が激しく波立ち、巨大な怪物が姿を現したばかりか、やにわに高々と鎌首を擡げて見せたのだ。

言うまでも無くそれは「馬酔木の龍(あしびのりゅう)」に違いなく、その巨大さは噂どおりのもので、水面から出ている部分だけでも優に十五メートルはあっただろう。

そして悠然と泳ぎ寄って来る。

たてがみを靡かせながら近づくに連れ、長い角(つの)と見開かれた眼(まなこ)が如何にも恐ろしげで、気の弱い者ならその場に卒倒してしまったとしても不思議は無い。

その後方からは子供たちででもあろうか、幾分小振りのものが同様に鎌首を擡げたまま多数従って来ており、ざっと数えただけでもその数、百頭ほどにもなるようだ。

中でもカメラが捉え続けた最大の怪物は、やがて舳先付近にまで鼻先を近づけおもむろに鎮まったが、その表情は、見ようによっては哀しげなものに見えなくも無いのである。

巨大な鱗(うろこ)がところどころ、陽の光を照り返して眩いばかりだ。

だが、この式典の主役を務める乙女は、まったく恐れる気配も無く、しばらくの間近々と怪物の表情に見入っていたかと思うと、やがてゆるゆると右手を動かし黄金(おうごん)の剣を高々と天にかざした。

柄頭(つかがしら)から垂れた真紅の刀緒(とうしょ)を風に靡かせながら、その剣先(けんせん)は誤りも無く天空を指し示しており、怪物の視線が明らかにそれを追っていた。

そして、ほどもなく子供たちを引き連れてゆっくりと船を離れ始めた。

波を蹴立てながら、今来た方に整斉と戻って行くのである。

カメラがその軌跡を追う中で、その怪物たちは直ぐに二キロほども離れて行き、再び仰天することが起きた。

全ての怪物が上半身を現したと見る内に、何と、凄まじい水しぶきを上げながら天に向かって昇り始めたのである。

これこそ、世に言う昇り龍の姿であったろう。

乙女の剣先はいまだに天を指しており、あたかもその命に従っているかのようでさえあったのだ。

素晴らしい速度で上昇を続けた怪物たちは、間もなく僅かな点となり、そして見えなくなった。

カメラの視界の中では、式典を終えたらしい船が燦燦たる朝日を浴びながら、今しも湖面を滑るようにして去って行くところなのである。

その船が宮島を目指して徐々に小さくなって行く姿を追いながら、再びナレーションが入った。

あの怪物どもの行動は、偏(ひとえ)に船上の美女の命に因ったものに他ならず、それは美女の命じた遣いをするためのものなのか、それとも或いは何かの慶事のために幽囚の身を解き放たれたものなのか、その何れかであろうと言う。

後者の場合では、「馬酔木の龍」は過去において何らかの罪を得て、この地に封じ込められていたことになるのだろうが、古色蒼然たる中世の話などでは無く、あり得べきか全て現在のことなのだ。

放送後の反響には、無論凄まじいものがあった。

当然冷静な生物学者などは、伝説はあくまで伝説であり、所詮強大な秋津州の国力が生んだ乱世の仇花(あだばな)に過ぎないとしており、至極妥当な見方を示す者が大勢を占めた。

さらには、これほどの大型「生物」が繁殖する為には、食物連鎖の一環として相当な生態系が維持されていなければならないが、そもそもこれほど透明度の高い淡水湖に、それほどの栄養分が確保されているとは思えないと言う見解まで示された。

だが、一方に全く聞く耳を持たない者もいる。

ことは、ロマン溢れる巨大生物の話であり、世の中にはことあれかしと願っている者も少なくは無いのだ。

まして、その「池」は岸辺のそちこちが湿地帯をなしており、全体から見ればほんの一部とは言えそれはそれで相当な規模であり、そこには多様な生物が棲息して一定以上の食物連鎖が認められると反論し、はたまたこれほど巨大な水系である以上、そこにある栄養分も徒ならぬものである筈だと主張して譲らない。

中には、この生物の本来の巣は、まったく別のところにあるのかも知れないと言うものも出た。

その上、不幸にもその出来栄えがあまりに優れていたこともあり、到底作り物とは思えないとする声が多かったことも確かだ。

いずれにしても娯楽色の強い番組ならいざ知らず、お堅いニュース番組までが取り上げるまでになったのだ。

その後NBS側が他のビッグメディアにもこの映像を配信したことにより、やがて各国語のナレーション付きのものが広く報道されるに及び、その正体の如何を問わず、「馬酔木の龍(あしびのりゅう)」、若しくは「イワレのドラゴン」の名は、やがて知らぬものの無い存在となって行くのである。


二千八年六月十五日、王と女帝の通信。

この通信は、王が海都に、一方は東京の首相官邸に所在してのものだが、特徴的であったのは、珍しくも若者の方からの呼び出しだったことだろう。

「問い質したき儀がある。」

若者の口調は、いつに無く厳しい。

「謹んで承ります。」

無二の主(あるじ)からの詰問であり、女帝の方も至極神妙だ。

「例の磐余の池の一件だが。」

「龍を用いた式典のことでございましょうか?」

「うむ、虚仮威(こけおど)しにもほどがあろう。」

国王は、言わば愚かしい子供騙しをするなと叱責していることになる。

「お言葉ではございますが、遷宮は遷都に繋がるものでもございますので、アピールしておく必要はあろうかと存ぜられます。」

「ふむ。」

「充分なゆとりを持って国遷し(くにうつし)の準備が進んでいることを、諸外国の政府筋には明瞭に示しておくべし、と言う新田さんのご方針でもございますので。」

秋津州が、かくも余裕のある「作業」を行っていることを広く示すべきだと言う。

「そうであっても、あのような虚仮威(こけおど)しは反って世の嘲りを招こう。」

少しでも冷静に考えれば、龍が実在するなどとは誰しも思わない筈なのだ。

「ただいま、反応を見ておるところでございますが、学者などの間でも、一概に否定することは出来ないと言う見解が出ているくらいでございまして。」

「そんな筈はあるまい。そなたらが裏で手を回したに相違無かろう。」

「夢をご覧になりたいと仰る方もいらっしゃいますわ。」

若者が叱責した裏工作に対し、その行為自体は否定していないのだ。

「真人のオモチャだと申しておいたではないか。」

「陛下は、あの節、冗談だと仰せでございました。」

「あのままにしておけば、そちのことだ。本気でキャノピーを取り付けかねなかったであろうが。」

「ご命令とあらば、いつにても・・・。」

「折角苦労して拵えたものを惜しいではないか。」

ようやく、若者の本音が出た。

結局、息子のオモチャにする前に自分のオモチャにしたかったことになるであろう。

「お指図通りの見事な仕上がりでございましたから、やはり、愛着がおありなのですわね。」

「ばかを申せ。あれは子供のころのことだ。」

若者は渋い顔をしてみせてはいるが、内心くすぐったい想いでいることは隠しようがないのである。

「申し訳もございません。」

「それにしても、いつの間に指示を与えた?」

あの湖上の式典プログラムは、地球上から発信された命令に従ったものであることは確かなのだ。

現地のものだけで、勝手に行えることではない。

まして、その映像記録までがNBSの手に渡った事実がある。

「丹波ツアーの第一陣の折に伝えさせていただきました。」

案内係と称して百人ほどの女性が帯同したはずなのだ。

無論、そのものたちは乗客と共に全て帰って来たことになってはいる。

「やはりな。」

「次のシナリオも用意してございます。」

無論遷宮に関わる式典のことなのだ。

「まさか、龍は出て来ぬであろうな。」

現に若者が丹波に運んだのはその一部であって、おふくろさまのファクトリーには未だ相当数の怪物が残されている上、さらなる「生産」まで行われているのである。

黙っていれば、式典の当日、それが飛来して来ない保証は無い。

「それではお申し付けに従い、龍の出現する部分は削除させていただきます。」

「うむ、それで良い。」

「承知致しました。」

「ところでどう言うシナリオだ。」

「台座に櫃を載せて、かんなぎどもに担がせる予定でございます。」

「パレードをやるつもりか?」

「それほど大げさなものではございませんが。」

「うむ、それならば良い。」

「かしこまりました。」

「ほかに企んではおるまいな。」

「台座には、奥さまと真人さまにもお乗りいただく手筈になっております。」

「本人が嫌がるだろう。」

王妃が嫌がるだろうと言う。

「既にお許しを頂戴してございます。」

「ふうむ、相変わらず手回しの良い事よ。」

「恐れ入りましてございます。」

「良く承知したものだ。」

「秋津州と言う国家の一大事であることを、充分ご理解を願って置きましたから。」

遷宮と言う式典が、国遷し(くにうつし)と同義語であることを前提に気長に説得したのであろう。

まして王妃にとっての女帝は、みどりと並んで今以て特別の存在であり続けている筈だ。

「ふうむ。」

「実施時期につきましては、予定通りでよろしゅうございましょうか?」

それは、七月二十日の建国記念日のことであり、今日は六月十五日なのである。

「うむ。」

「諸外国への公告は、いかが取り計らいましょう?」

「今回は、やめておこうよ。」

公告を控えると言う以上国際的には非公式なものとなるが、ケンタウルスの一件を控え新領土分割案のあれこれのこともあり、公告はせずとも、各国政府からの問い合わせが殺到してしまうことも目に見えている。

「承知致しました。それではメディアの方はいかがいたしましょう?」

「メディアは排除すべきではあるまい。」

秋津州神社の遷宮と言う式典が、少なくとも、例の宣伝作戦の一環であることは間違いないのである。

そのためにも、報道陣の取材活動を阻害すべきでは無いだろう。

「かしこまりました。それでは一応内務省広報からの発表と言うことで参りたいと存じます。」

「うむ。」

「念の為、参列者用のお席も前回のものを手配させていただくつもりでございます。」

参列者用のお席とは、あの小型のドーム球場を半分に断ち割ったような施設のことを指しているに違いない。

いずれにしても、おふくろさまとその配下たちが鋭意準備を進めているこのイベントまでには、あますところあとひと月強でしか無い。

「うむ、期日が近づいたら、近くまで運んできておいてやろう。」

「恐れ入ります。」

「上湖(かみこ)の上空あたりなら大して人目にもつくまい。」

上湖とは、龍神の滝の北側の部分のことだ。

「はい、そのあたりからなら直ぐでございますから。」

ドームが自力で移動するにも何かと便利だ。

「うむ。」

「ところで、先ごろより兄上様の工房に参っている者のことでございますが。」

無論、山内隆雄と言う日本人のことであったろう。

師匠が王宮を訪れる際にその供をしてくることがあり、国王夫妻も既に二度ほど会う機会があったが、師匠共々実に無口な男で、ひたすら作刀の学習に勤しんでいると聞いている。

「ふむ、何か出て来たか?」

何か不審な点でも出て来たのかと言う。

「いえ、何も出ては参りませんが、あの男も物好きでございますね。」

「うむ、朝から晩まで炭を切っておるな。」

修行の第一歩なのであろう。

たたら吹きによる「玉はがね」とともに、厳選した木炭まで荘園から運んで来てやっているのは誰あろう国王自身なのである。

「お二人とも口も利かずに。」

「近頃では、父御にまで可愛がられておるようだ。」

王妃兄妹の両親は内務省の五階に滞在中だが、ときに息子の工房を訪れることがある。

近侍している者に望めば、即座に屋上でポッドに乗り込むことが出来る上、片道五分もあれば充分なのだ。

そしてそこには不肖の息子に黙々と従ってくれる若者の姿があり、それもあろうことか無給だと言うのである。

なにしろこの息子は、かつて久我電子工業の破綻劇に際し、経営上の失策だけにとどまらず、妻にまで一方的に去られてしまったこともあり、ひどく傷ついてしまったことは確かだ。

それ以来、人に会うことを嫌うようになり、たまたま当人の趣味にも合致するところがあったことから、その後丹波で過ごす日が長かった。

それがやっとこの地へ戻ったと思えば、親たちとも碌に口も利かず、ひたすら鉄と向き合う日々を送っており、娘婿の力を借りていなかったら今頃どうなっていたか判らないほどだ。

確かに最近は刀匠として少しは知られるようになって来てはいるが、両親としては頭痛の種であったことには違いは無い。

だが、その息子に無償で仕えてくれるものが現れた上、その者は黙々と学び、小さな手帳に常に心覚えを書き留めるほど真摯な姿勢を見せてくれるのである。

両親から見て可愛く無い筈が無いだろう。

近頃では小遣いまで与えているほどだ。

「さようでございますね。」

「なかなか可愛げのある者だと聞いたが。」

「人気者でございます。」

「ふむ。」

「近頃は、たいそうな女どもが寄ってまいりまして。」

「あはははっ、聞いておる。」

「もう、十人は超えていようかと。」

親密な関係を結んだものだけでも、既に十人を超えていると言う。

「うむ、なかなかのものだ。」

「捨て置きましても、よろしゅうございましょうか?」

王の判断を仰いでいるのは、実にこの点についてであった。

「大事あるまい。」

「ですが、すべて下心のある女どもでございますよ。」

事実である。

その全てが、重大な下心を抱いて近づいて来ている者ばかりであることは明らかだ。

「いまさら物騒なことを企むヤツもおるまい。」

王家に対するテロ行為など、殊に米国にとっては、仮に成功したとしても自殺行為に等しいことは既に述べた。

まして、遣り損じたりすれば、如何なる国であっても只では済まないのである。

一歩間違えれば、瞬時に凄まじい報復攻撃を受け、国家そのものが滅ぼされてしまったとしても不思議は無い。

「危険なのは国家では無く、個別のテロ組織でございましょう。」

「ふむ、あの半島国家と言うものもあろう。ヤツらは常にあとさきを考えずに行動しおるからな。」

「確かに。」

「これ等の筋は見当たらぬのであろう?」

「はい、一向に。」

女性工作員たちの背後に、個別のテロ組織とか朝鮮共和国の影は見当たらないと言う。

「ならば、捨て置いてもよかろう。」

「承知致しました。」

「それにしても、あの漢人の女などは相当なものだな。」

楊歌のことである。

王の目から見ても、その女性はさりげない仕草にさえ一々ぞくりとさせるほどの色気を漂わせ、もし自分が独身時代に出会っていたらと思えば身震いが出てしまうほどなのだ。

「さようでございますわね。おふくろさまが早速参考になさるくらいですから。」

無論、参考にするのはその「色香」に関してであろう。

「なんだと?」

「ですから、おふくろさまが参考にと・・・・」

「ふうむ、ワシントンにでも使うつもりか?」

「ご明察でございます。」

「しかし、(米)連邦議会の過半近くは既に押さえたであろうが。」

D二やG四が縦横無尽に活躍して、個々の議員の政治生命にかかわるほどのスキャンダル情報を握ってしまっていることを指している。

かと言って、未だそれを以て威迫を加えた事は無く、ある意味、最悪の場合を考えての保険のようなものなのだ。

「常に選挙で入れ替わることでもありますし、未だ不足かと存じまして。」

どう捜しても致命的なスキャンダルを発掘できないケースも無いではない。

「ふうむ。」

「英仏独中露などのこともございますので、先ずは二千万体ほどを予定してございます。」

無論、新造の女性型ヒューマノイドのボディのことであろうが、話の様子では、女性であることを最大限活かせるよう徹底して配慮を尽くした個体の筈であり、加えて「先ずは」と言うところを見ると、最終的にはどれほどのものを想定しているものか。

宙空に浮かぶ新造の第二基地の建設ですらとうに目処が立ち、おふくろさまにとって、新たな作業に取り組めるだけの余裕が生まれていたことは決して軽いことで無い。

超近代的な生産システムが質量ともにその能力を一新した上に、相手側からの工作活動がこうまで活発化している現状から見ても、もはや遠慮している場合では無いと言いたいのだろう。

「他国への配備はやめよ。今のところD二とG四だけで充分だ。」

「承知致しました。」

「しかし、最近の滝や雅の所作などを見ても、以前とは比べ物にならぬほどの進歩ではあるな。」

身に着けるもののデザインにしてもそうだが、歩を運ぶ姿一つとっても、従来のものとはかけ離れたほどの色香を発散するまでになっていたのだ。

「既存のものにつきましても、唯今、徐々にボディの入れ替え作業に掛かっているところでございます。」

「ふうむ、」

「滝の特別旅団などにも、既に配備済みでございます。」

新天地ツアーの添乗員の手を大いにわずらわせ、SS六改に相当なものを潜り込ませたに違いない。

「うむ。」

「吉川桜子と配下のものたちにも配備を完了いたしておりますが、これなどはいかが致しましょう?」

銀座の秋津州ビルの四階には秋津州財団の日本支部が置かれ、そこを根城に吉川桜子とその配下のものたちが大活躍の最中なのだ。

無論そのフロアには複数の応接室が設けられ、吉川桜子の配下を以て任じる「女性」たちが、実に細やかな心配りを以て接遇を果たしている筈だ。

「いや、日本ならば良い。」

国王は、日本に対する害意など微塵も持ってはいないのである。

「承知致しました。」

「まさか、いかがわしいことをさせておるのではあるまいな。」

「勿論でございます。ただ訪問客の中には、一方的によからぬ想いをお持ちになるケースも無いわけではございませんが。」

「それは、そうであろうが、断じてならんぞ。」

「その点では初めからお指図をいただいておりますので、誓ってそのようなことはございません。」

どうやら、日本での活動については特に厳しい制限を設けてはいたようだ。

「それならば良い。」

「ただ、このたびのことが、訪れる方々とのコミュニケーションを一層円滑にしていることだけはご理解願いとう存じます。」

現に銀座の財団支部は予想を上回る成果を上げつつあり、新垣の郷(秋桜)の青写真の作成作業にも相当な力を貸しつつある。

「うむ、承知しておる。」

「ありがとう存じます。」

「いずれにしても、おふくろさまの伎倆は近頃長足の進歩を遂げておるようだな。」

「伎倆だけではございません。」

「うむ、生産規模もだな。」

「恐らく、以前の六倍にはなろうかと存じます。」

「規模的には、そろそろ、このあたりで良しとしておこう。」

天空に控えるおふくろさまの基地の建設が大いに進み、技術面はさて置き、備蓄と生産規模の面では予定のレベルに達したと言う認識を示しているのである。

「承知致しました。」

「それにしても、今度のニュータイプのボディには驚かされたな。」

「わたくしなども、ボディの入れ替えを行いまして、一段と機能的になりましてございます。」

実はその機能とやらが問題で無いことも無いのだが、いずれにしてもニュータイプの個体が、従前のものよりはるかに自然で良好な身動きを行わせる実行プログラムと、それを許すだけの機械的構造を持つことだけは間違いないのである。

「ふうむ、ではみどりの店の者などには早速手を打ったと見えるな。」

クラブ碧や喫茶立川で稼動中の者のことなのだ。

「勿論でございます。」

「ふうむ。」

「かなりの人気ぶりかと思われます。」

「だろうな。」

別にいかがわしいサービスをするわけでは無いが、その体つきと言い微妙な所作と言い、やはり男性客からの目を特段に惹き付けるものではあるのだろう。

「殿方の感応手順につきましては、わたくしどもも随分と勉強させられましてございます。」

「殊に歩く姿などは感心するばかりだ。」

「はい、歩行の際の腰の動きなどはずいぶん参考になさったようでございます。」

「さもあろう。」

「雅などが各国代表部を訪う折りにも、近頃では男たちの目付きが違って参ったようでございます。」

「うむ。」

「正直なもので、堅い話もずいぶんスムーズに運んでいるようでございますので。」

「そのようだな。」

「そのせいとばかりは申せませぬが、昨今中露台などから、秋津州連邦とか秋津州憲章などと言う話がしきりでございます。」

この場合の秋津州憲章とは、秋津州連邦とやらに加盟する国が守るべきものとして位置付けられている筈のものだ。

「おおよそは聞いておる。」

ケンタウルスの一件もあり、中露台などが八咫烏の旗の元に結集して緩やかな連邦を形成すべしと主張していると言うが、無論二番煎じであることは否めない。

挙句、チベットや東トルキスタンはおろか、近頃では蒙印両国まで巻き込みつつあるのだと言う。

「捨て置いてよろしゅうございましょうか?」

「ふむ、どうせ同床異夢であろう。まとまる筈が無いわ。」

そのような提案は既に台湾の例を嚆矢(こうし)として古くから存在していたが、全く纏まりを見せぬまま今日に至っており、ましてそれぞれの国が「夢想」する連邦の概念は、肝心のところが全く異なるものであり、王はそんなものが纏まる道理が無いと言う。

当然と言えば当然だが、全ての国家は自国の国益に沿うものにしか興味を示さない。

自国の不利益に繋がると判断した案件に、わざわざ擦り寄って行く馬鹿はいないのである。

但し、如何なる国家と言えども、その存続のために益することを以て最大かつ最優先の国益とせざるを得ず、本来好むところでは無いにもかかわらず、止む無くこの連邦論に加担するものも出始めているに違いない。

畢竟(ひっきょう)、加盟を拒めば、自国の存続が危殆に瀕すると危惧してのことなのだ。

いざ「連邦」ともなれば、程度の差こそあれ、運命共同体として協同歩調をとるよう求められることも出てくる以上、国家としてはその分だけ行動を制限されることも覚悟しなければならない。

そればかりか、その場合、秋津州と言う国家が盟主として頭上に君臨し、強圧的な統制を加えて来る可能性も否定出来ない。

詰まり、巨大な負の効果を背負うことも覚悟せねばならないのである。

それでも連邦を形成しようと考える場合には、それ以上のプラス効果を期待してのことになるが、現状ではわざわざ連邦などを考えずとも、個別に秋津州に結びついていさえすればそれなりのメリットを享受出来ている筈なのだ。

そこのところを勘案すれば、わざわざ連邦などを形成してみたところで、最終的に得られるものはほとんど無いに等しいのだが、今回の移住問題を契機に中台間の領土問題が再び先鋭化し始めたこともあり、連邦の中で優位を占めることが出来ればそれを有利に運べると見ているのだろう。

その結果、露骨な勢力争いの一環として顕在化してしまっているのが、秋津州連邦論の現実の姿だとも言えよう。

「では、纏まれば纏まったでよろしゅうございますか?」

「どうせヤツ等が勝手にやっておることだ。」

「場合によっては、秋津州憲章とやらが纏まる可能性も出てまいりますが。」

憲章などと言うから難しく聞こえてしまうが、要は「取り決めごと」、「ルール」のことであり、それが国際間のものであれば、諸国家がそのルールに基づいて行動することを「誓約」してそれに加わることになる。

無論、主権国家として、加盟するかどうかは各国それぞれの自由だが、「誓約」して一旦加わった以上は、当然そのルールに従う義務が生ずる。

尤も、どうしてもそのルールが気に染まぬ場合、堂々脱盟すればいいだけの話だ。

但し、一方的に脱盟すれば往々にして敵対行為とみなされることが多いことも事実だ。

「そんなことはあるまい。」

「お言葉ではございますが、近頃では国連憲章に代わるものとして議論されることが増えて参りましたので、場合によっては憲章案だけはまとまる可能性があろうかと存じます。」

新天地への移行を果たした後の世界を念頭にそのルール造りを叫ぶ者が多く、現に国連憲章そのものを大幅に改変する考えを示し、それを以て秋津州憲章草案と呼んでいる者も少なくないのである。

その内容もさまざまではあったが、いずれの案においても、少なくとも敵国条項などは存在せず、まして常任理事国に関する規定などはまったく様変わりしたものになってしまっており、中には「特別常任理事国」と称して秋津州を指名している案すら存在する。

その案においては、安保理において唯一秋津州のみが拒否権を有することとされ、万一実現でもすれば、国際的な重要案件について秋津州のみが法理上の決定権を握ることになってしまう。

一部とは言え、そう言う極端な意味を持つ「ルール案」さえ存在するのである。

但し、秋津州国王が望んだわけではない。

第一、そのような取り決めの有る無しにかかわらず、現実の国際環境から見て、事実上秋津州は既に拒否権以上のものを持ったに等しい。

すなわち、国連安保理においても、あらゆる重要案件が秋津州の意思に背いて決議されることが無いためである。

単純に言えば米中露のいずれか一国に拒否権を発動させるだけで済むことであり、それは今の秋津州にとっては容易いことだと言って良い。

尤も、発動させるも何も、近頃では米中露の方から事前にお伺いを立ててくるのが常態となっているほどだ。

それでいて秋津州は、何者にも拘束されることの無いフリーハンドを持ってしまっており、他の国から見てこれ以上の不条理など滅多にあるものでは無い。

「まあ、いずれにせよ、我等が口を挟むことではなかろう。」

「では、捨て置きましてもよろしゅうございますか?」

「うむ、一切口を挟むで無い。」

厳命であっただろう。

全ては、それぞれの主権国家が自らの意思を以て選択すべきことなのである。

尤も、この若者に秋津州連邦の実現を望んでいる気配は無い。

「承知致しました。」

「それより、日本国民の個別的な把握は目処がついたのか?」

日本政府が自国民として責めを負う対象としての「国民」のことだ。

「法理上の日本国民については一応の把握が出来ておりますが、・・・・」

「ふむ。」

「予想通り、日本国民としての証明の無いものが大層おるようでございます。」

「やはりな。」

要は戸籍に記載されていない者たちのことである。

日本人であることを主張したくとも、それに記載されていない以上、無国籍者と言うことになってしまうのだ。

但し、他国の国籍を有していれば歴然たる外国人であり、その者を保護救済する義務を負っているのも当然その者の国籍国の政府だ。

疑問の余地は無い。

ひるがえって日本人が外国に居留している場合においても、無論その責めを負うべきは日本政府であることと同様だ。

「やはりでございます。」

「記録に記載されていないのだから、当然その人数も不明だな。」

データ自体が存在しない以上、当然カウントすることなど出来はしない。

「はい。」

「その中で、明らかに日本人と認定し得るものもおろう。」

「明らかに日本人で無い者もございます。」

明らかに日本人では無いが、かと言って正式な母国を持たない限り、帰国させたくともその宛てが無い事になる。

「問題はどちらとも言えないグレーゾーンにいる者たちだな。」

「(自分自身の国籍を)当人が知らないのですから。」

「ふむ、やはり国家運営とは難しいものだ。」

「いずれに致しましても、その国の国民自身が決めなくてはなりませんでしょう。」

無論、それら日本人で無いものについて、その生命を維持するために必要なコスト負担をであるが、問題はその人数なのだ。

なにせ、百や二百では無いのである。

「かく言う私も、今ではその日本人の一人でもある。」

「さようでございますね。」

「いつかは、ぎりぎりの選択をせずばなるまい。」

無論、選択をすべき当事者は本来日本国民自身だが、制度上、代わって行政府が判断するほかは無い。

「殊に日本人の場合、そのコスト負担を考えずに、可愛そうだ、助けてやるべきだと仰る方が頗る多いようでして。」

「うむ、結局そのカネは自分たちが払わねばならんのだが、いざとなればカネを払うのを渋ることになろう。」

今回の避難移住の件は全人類にとって直接命に関わることであり、無国籍の者の受け入れを「無原則」に許容すれば、待ってましたとばかりに数億もの者が救いを求めてくるかも知れず、それに関する膨大なコスト負担に一般の日本人が黙って耐えるとも思えない。

何せ、その場合のコストを支えるべきはれっきとした公金なのだ。

結局それは国民自身が拠出するものに他ならず、無論総理大臣や国会議員が負担してくれるわけではないのである。

とにもかくにも、行き場の無い無国籍者たちに対処するにあたり、国家としての「原則」を改めて定める必要だけはあるだろう。

くどいようだが、無原則は無制限に繋がるのだ。

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  1. 2007/08/24(金) 11:26:37|
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自立国家の建設 090

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さて、このころになると、対秋津州政策に関し従来比較的慎重な構えを見せていた国々でさえ、親秋津州派であることを改めてアピールすべく、ことさら仰々しく訪秋を果たすまでになって来ており、数多くの元首クラスの秋津州訪問が織るようにして続いた。

秋津州側の応接責任はいつに新田源一の双肩にかかっており、例の新田グループの日本人たちが大活躍すると同時に、その手腕が遺憾なく発揮されたことは言うまでも無い。

また、以前から親秋津州の旗幟を鮮明にして来た国々の間からでさえ、二国間の外交的距離を一層縮めるべく訪れるケースが続出し、殊に蒙印両国などは短期間の内に二度も訪れることにより、親秋津州の旗をいよいよ高く掲げるに至った。

一つにはケンタウルスの一件があり、新天地における解放区の分割処理問題がある。

訪れる側の求めるものも自らの生存に直接関わるものであるだけに、その思いにも切実なものがあって当然だろう。

現状では丹波の八十パーセントと言う解放区が明示されているだけで、そのほかには何一つ確定してはいないのだ。

七カ国協議に至ってはあくまで秘密会であり、各国政府の多くはそこで行われている議論の実態までは把握することは出来ず、日米英などその構成国の手になる個々の分割案を承知しているに過ぎないのだが、それらの案にしても一つとして同じものは無いのである。

二百の国家があれば、二百通りの国益が存在して当然なのだ。

その上、正当な政府の策定するもの以外にも無数の分割案が存在しており、中でもアフリカなどに多く見られるように、民族の分布を重視した方式によるものも多数存在し、近頃では中央アジアあたりからも同様の趣旨のものが出て来るありさまで、最早分割案の統一など不可能だと言う見解も数多く聞こえて来ている。

何せ、民族の分布などと言ってみたところで、その民族自体が大規模に移動しながら歴史を刻んで来ている以上、もし民族の分布を視点に据えて改めて新国家を策定し直すとなれば、いつの時点を以てその基準となすべきかが俄然争点となって来ることは避けられない。

まして、近代においてさえ、特定の国家の政策によって大規模な移動が国境を越えて行われたケースさえある以上、少なくともそれ以前にまで遡る必要があると言う見解は頗る多い。

尤も、この場合、いざ遡ってみたところで、現実にはその時点の証明済みの「国民」データなど残している筈も無く、百歩譲ってその問題をクリヤ出来たとしても、時間の経過と共に、無法に流入した「外国人」を特定することはいよいよ難しくなる一方だ。

結局のところ、一旦「大量」の不正移民を許してしまえば正統な国民の認定が出来ないことに繋がり、選挙人名簿すらまともに作れず、最も大切な国民の意思を問うことが出来なくなってしまうのである。

くどいようだが、新天地への避難移住に際し、秋津州側が想定しているのはあくまで国家単位の方式であり、正統たるべき国民の管理責任をその政府に求めており、正統な政府以外には、無国籍者たちの管理責任を負うとされる国際機関のほか一切認めてはいないのだ。

尤も、ここで言う「正統な政府」に関する認定基準がまた問題だ。

詰まり、いったい何を以て「正統な政府」とするかなのである。

国連一つとっても、「国家を標榜するもの」を全て正統な国家と認めているわけでは無く、まして、何々民族解放戦線だとか、何々民族解放同盟だとか言う組織に至っては無数に存在する上に、そのそれぞれの間にも新領土の確保に向けた動きがあるが、七カ国協議では議題にもなっていない。

各国政府もその方向(国家単位方式)に沿って動いてはいるが、未だに何一つ纏まらないのが実情だ。

丹波の「解放区」自体が本来秋津州領であって、そうであればこそ秋津州の自由裁量によって解放されようとしているのであり、ある日突然この「解放」と言う秋津州の意思が煙のように消え失せてしまったとしても、一言の文句も言えた義理ではない。

千差万別の分割案が消長し議論百出して収斂する見込みが立たない以上、全世界に解放すると言う「既定方針」を秋津州自身が覆し、特定の国だけを指定して領土を付与すると宣言したとしても、少しも不自然ではないのである。

幸いにして現段階ではその「既定方針」に変化は見られないが、このままで無駄にときを過ごせば、国王陛下の意識に特段の変化が起きてしまっても少しの不思議も無いのだ。

先ず第一に時間が無い。

そこへ持ってきて、各国間の国益の隔たりがあまりに多岐に渡っているため、世界的な合意など夢物語だと思わせるような現実が一方にある。

無論、いずれの国も滅びたくは無い。

当然国益の溝を埋めるべく各国ともに努力は惜しまない。

いや、惜しまないどころか必死ですらある。

かと言って現実の秋津州では、大勢の実務担当者が各代表部を拠点として盛んに活動しているが、個別折衝と言うべきものは対秋津州のものがその殆どを占めてしまっているのが実態だ。

ただ、彼等が特段に留意しなければならない政治状況が否応無く眼前にある。

肝心の秋津州側の司令塔とみなされているのは新田源一氏であり、その下部組織として新田と同時に退官した十数人の日本人グループがおり、これ等が東京政権と緊密に結びついている上、殊に首相官邸内の「秋津州対策室」とは明らかに直結していると言う状況だ。

さらには、実質的な総理特使として内閣官房副長官の相葉幸太郎氏が再三土竜庵に入り、国王を交えさまざまな具体策が練られていることについても一部報じられるに至り、当然数多くの憶測を生んでしまっている。

東京の現政権の施策が益々現実的なものになって行く過程で、さまざまな政治状況が生み出され、今では実際の「秋津州対策室」の総本部は、内務省最上階にあると言う論調まで見受けられるほどである。

このような情勢下で、土竜庵には新アフリカ大陸の分割案が幾たびも持ち込まれ、その都度検討に付されて来ており、キャサリンにしても、直接持ち込んだのは土竜庵であっても、同時に東京やワシントンに向けても主張するところが無かったとは言えまい。

結局、キャサリン案と称された新アフリカ大陸限定の分割案は、その後数次にわたって改定され、やがて第三次日本案にそのままの形で採用されて行くことになる。


さて、秋津州にとっての七月二十日は、とりわけ特別な日だと言って良い。

海都において、建国記念を兼ねた遷宮式典が行われる日なのである。

事前に公式発表があったこともあり、既に十万を超える人々が集結していると報じられるほどであったが、あながち大げさな表現とばかりも言えなかったろう。

現地のホテルなどもほぼ満室だと伝えられ、各メディアや代表部が従前から押さえていた賃貸マンションは無論のこと、秋津州ビルの一部までがそのことのために利用されているほどだと言う。

いずれにしても、海都の許容量いっぱいの訪客があったことは確かで、正統な祝賀使節は勿論、膨大なメディア関係者や雑多な見物客までが、さまざまの思惑を胸に秋津州の祭典を見る事になるのだ。

そして、その日の朝は来た。

秋津州の空は見事に晴れ渡り、国民議会正面のグラウンドには、強烈な夏の陽射しが降り注ぐ中、大群衆とともに見覚えのある施設が姿を見せていた。

無論それは、三年前の建国一周年記念式典の折りに用いられたことで広く知られたものであり、当時の報道にもあったように、小型のドーム球場をわざわざ半分に断ち割ったような形状をなしており、内部に設けられた扇状の観客席は、球場の外野席のような広がりを見せながら断面の方を向き、その全てが断面の向こう側に国旗の掲揚台を見る位置にある。

また、球場で言えばバックスクリーンのあたりが幅七メートルほどの通路となっており、無論それは前回のときに国王の騎馬隊が現れた場所でもあった。

その通路は客席と相応して緩やかなスロープをなし、それをくだり、球場で言えばセンターの守備位置付近に達したあと、そのまま更に直進し、やがてセカンドベースあたりでドームの断面部に至る。

大きく口を開けた断面部のエアカーテンを突き抜けてそのまま進めば、その先五十メートルほどのところの国旗掲揚台に達することになり、その又先には国民議会の堂々たる正面玄関を目にすることになる。

既に予定の時刻が近づき、客席は諸国から派遣された千余の使節団に埋め尽くされ、そのときの訪れを今や遅しと待っている状況だ。

なお、秋津州の夏は気温ばかりか湿度も低いとは言えず、少なくとも過ごしやすい気候とは言い難い。

だが、その施設は断面部を効率良くエアカーテンで仕切り、かつ巨大な空調設備が稼動して客席での居心地の悪さを辛うじて救ってくれており、正装した人々にとっても耐えられるレベルではあっただろう。

最後尾の立ち見席のような場所には、美々しく着飾った案内係の娘たちが多数待機しており、その接遇にも万全を期していることが窺える。

したがって、その施設は、前回も列席した者の目には、その多くが前回と同様の舞台拵えに映った筈だ。

しかし、只一点の例外として、センターとセカンドベースの中間あたりに、全く見慣れぬものが出現していて注目を浴びていた。

それは、数人のかんなぎに周囲を守られながら、高さ百三十センチほどの休み台の上に鎮座した白木造りの輦台(れんだい)のようなもので、前回との違いを際立って印象付けていたのである。

無論、かつて女帝が黄金の櫃の台座用と称して国王夫妻に報告したものの一種であり、四方を白木の欄干を以て囲んだ二間(にけん)四方ほどの本体を持ち、それを担うための太い棒が前後に二本ずつ長々と突き出しているあたり、今回は横棒は抜いてあるようだ。

また、観客席から見て左側面には木製の階段が置かれ、それを上りきったあたりで欄干が扉のように開かれており、本体の中心あたりには金色に輝く櫃(ひつ)が、そして少し下がったところに三人掛けほどのソファがある。

殊に、六十センチほどの高さの台座の上にがっちりと据え付けられたその櫃は、観客の全てを圧倒するほど煌びやかな光芒を放ち、その注目度には特別高いものがあったに違いない。

まして、事前のアナウンスによって式典の主体をなすものと規定されていたこともあり、報道陣はもとより、観客席からも最初から好奇の視線を浴びていたことも確かだ。

溢れんばかりの報道陣にしても、太刀を佩いたかんなぎ達の制止を振り切ってまで輦台に上がることは無いにせよ、近々とカメラを向けながら執拗に観察を続け、中には取材時間の延長を申し出る者もいたようだ。

とにかく、非常な注目を浴び続け、警備役のかんなぎたちにあれこれと質問をぶつけるものまでいる。

ドームの外の露天にも大勢の民衆が集結し、正面の国旗掲揚台の両側には既に多数の人員が整列を終えており、やがて、かんなぎたちが、報道陣をドームの外へ退去させたところを見ると時刻が到来したのであろう、満場が一瞬静まり返る中、観客席中央の通路に王の騎馬隊が姿を現した。

例によって、黒い馬具で統一した漆黒の馬体を駆っての登場である。

軍装の国王を先頭に三十四頭の馬群がスロープを降り切り、なお軽やかに歩を進め、輦台を迂回してその前に出て威風堂々と鎮まった。

供奉の者は、いつも通り井上甚三郎を始めとする近衛軍であったろう。

全員が迷彩色の軍装を着け長々と長刀を背負っていたが、一人国王のみが相変わらずかなり短めの指揮刀のようで、噂の長刀「蝿叩き」の姿は見当たらない。

客席がざわめく中、続いて後陣の隊列が姿を現し、女性ばかり百人ほどが徒歩でスロープを下り始めた。

例の磐余の池(いわれのいけ)で行われたとされる湖上の式典の名は高く、その映像は誰もが一度は目にしているものであり、そこに現れた龍はさて置き、船上には一際鮮やかな乙女たちの姿があった筈で、今眼前に現れた乙女たちがまさしくその装束そのものだったのだ。

全員が白衣に緋の袴を着け、隊列の中ほどに小振りの輿を伴って粛然と歩を運んで行く。

八人ほどのかんなぎが担うワゴン式の輿には幼い王子を抱いた王妃の姿があり、やがて母子は輦台のソファに移ることになる。

王妃の装束は五つ紋付の黒留袖の単(ひとえ)に紗織りの帯、帯締めは豪奢な金銀の平打ちだ。

千にあまる観客が見守る中、王子を抱いた王妃が輦台に移りゆったりと着座を終え、前後の担い棒には多数の乙女が取り付き、やがてゆらりと担ぎ上げた。

即座に休み台や階段が取り払われ、観客の熱い視線の中、特徴ある隊列がまさに一歩を踏み出そうとしたとき、騒々しい羽音とともに真っ黒な鳥が飛び込んで来て、式典の進行を妨げることになった。

ざわめきの中、ドームの中空を旋回する姿はどう見ても一羽の烏(からす)なのである。

そして、その不遜な烏がやにわに王妃の頭上を襲ったため、彼女は咄嗟に我が子の上に半身を伏せ、参列者の間からは多くの悲鳴が上がった。

無論、王妃自身はその正体を知ってはいた。

しかし、現実に真っ黒な烏が鋭い羽音と共に突然頭上を襲ったのである。

挙句、胸には大切なみどり児を抱いているのだ。

例え女性の身ならずとも、反射的に防禦の構えをとってしまったのも無理からぬことであったろう。

だが観客にとって全く予想外のことに、次の瞬間その烏は王妃の左肩に羽を休め、悠然と周囲を見回している模様だ。

烏と言う鳥は、その獰猛な性向から言ってときに猛禽に似る。

その動作が如何に慎重なものであったにせよ、鋭いその爪は彼女の肩先の皮膚を傷付けてしまったかも知れず、そのさまを鞍上から見た夫が掛けた声は、場内の悲鳴にも似た声に掻き消されてしまい、それに代わるようにして聞こえて来た声があった。

「八咫烏(やたがらす)だ。」

「足が三本あるぞ。」

ざわめきを縫って、そちこちから聞こえて来る。

そのとき注目の主が軽やかに飛び立ち、今度は王の肩先に悠然と止まって見せたのである。

無論猛禽の爪は絶妙のコントロールを得ており、密かに予測した痛みは全く感じることは無く、若者は妻の肩先の負傷についても改めて杞憂と知った筈だ。

観客には何一つ知らされることの無いまま、隊列はゆっくりと動き始め、又も烏は羽ばたき、今度は国旗掲揚台に向かい、その竿頭に傲然として位置を定めた。

そこには常と変わらず既に黄金の八咫烏がおり、止まり木とするにはあまり適切な選択とは言えなかったろうが、メディアにとっての被写体としては絶好のものであったろう。

数限りなくフラッシュが焚かれる中、隊列は粛々と進み、先頭の王がエアカーテンを突き抜け、今、陽盛りの中に出た。

後続の王妃は、おもむろに白扇を開き我が子の顔にかざしたようだ。

いずれにしても大した距離ではない。

直ぐに八咫烏の旗が揚がり、隊列は観客席に向きを変え、王は馬上、厳然と「刀の礼」をなし、王妃が軽く会釈を送っている。

参列者の全員が立ち上がって拍手を送り、数万の群集の間からは期せずして万歳の声が上がった。

津波のような万歳の中、八咫烏はゆるやかに王の頭上を舞い続け、観客席の拍手も鳴り止まない。

その間ほんの僅かの間であったが、やがて驚くべきことが起こった。

各メディアのカメラは列をなし、数限りないフラッシュが焚かれ、少なくとも数万の人間が見守る中、なんと隊列の全てが一瞬で消え失せて、鮮やかに式典の幕を引いて見せたのである。

無論、つい先ほどまで上空を舞っていた、あの八咫烏の姿も無い。

イベントの主役を務めていたものの全てが一瞬で異世界に旅立って行き、その場には数万にも及ぶ群集が取り残されることによって、秋津州の手になるこの「身勝手な式典」は確実に結了を遂げた。

なお、今回は前回と違って、この後の式典プログラムに残すものは何も無いのである。


当然、このイベントは多くの紙面のトップを飾ることとなった。

一つには八咫烏(やたがらす)、そして又黄金の長櫃のことがあるのだが、ともにすこぶる刺激的な色彩に満ちており、多くのメディアにとって願っても無い素材になったことは確かだろう。

殊に三本の足を持つ八咫烏に関しては、多くの映像からその自然な身動きについて肯定的な分析が行われた結果、全ては突然変異のなせる業(わざ)であるとする見解も無いでは無い。

また、馬酔木の山斎には群れをなして飛んでいるのではないかと言う声も聞こえ始め、この場合、取りも直さず生物と見ている事になる。

その上、国王夫妻の肩先にだけ枝止まりしたことを以て、殊更重大なこととする向きがあり、その場合八咫烏が、秋津州の国鳥であることと強引に結びつけて解釈しようとする者も少なくは無かった。

その論評によれば、八咫烏は秋津州の象徴そのものであり、その象徴が自らの意思を以て式典の行列を先導するために登場したことにされていたのだ。

尤も、一方に馬酔木の龍のことがあり、恐るべきヒューマノイド軍団のことがある。

或いは、数万の群集の眼前で煙のように掻き消えて見せた上、はるか彼方にまで瞬時に移動して行くことなど、これ等は全て優れた技術の結晶であるとする者の目がある。

その者たちの見解によれば、今回の八咫烏にしても、大切な国家的行事にあたって周到に準備されたパフォーマンスの一つに過ぎず、これほどのものを造り出す技術を持つことこそが、その驚くべき国力の源泉であって、そのことこそを最も重要な要素として捉えるべきだと主張する。

詰まり、人造の烏だと見ていることになる。

次いで、「八咫烏の長櫃」に関しては内務省のコメントが純金製であることを告げており、そのためもあってか、メディアの属する国柄によっては、まことに奇妙な説をなす者が現れた。

先ず、この「八咫烏の長櫃」の別名としてメディアが最も多く用いたのは、「秋津州の聖櫃(せいひつ)」と言う呼び名であったが、無論、単に「聖櫃」と呼ぶだけなら「神聖な箱」と言うほどの意味合いであり、そこに特別な意味を見出すことは無いが、わざわざ余分なことを付け加えるメディアがあったために、やがてことさら宗教的な風韻を帯びるまでになってしまうのである。

全ては、メディアの一部が勝手な呼び方をするようになったからだ。

曰く、「契約の箱」である。

そして、「証の箱(あかしのはこ)」、或いは「掟の箱(おきてのはこ)」などの表現を用い、あまつさえ秋津州がそれを所有することが、さも不適当ででもあるかのように匂わせる論調さえ存在した。

それらの名称を恣意的に用いたのはあくまでメディア側であり、無論秋津州側の関知するところでは無く、彼等が何と呼ぼうと、少なくとも秋津州の固有財産であることに変わりはない。

しかし、不思議なことにそうは見ない者が大勢いたのである。

理由はこうだ。

そもそもある特定の宗教観の中で「契約の箱」と言えば、「ユダヤ教聖書」に依拠し、モーゼで有名な十戒が刻まれた石板などを収めた聖なる櫃のことを指しており、人によっては、「聖櫃=アーク」、「証の箱」、「掟の箱」と呼ぶこともあると言う。

(筆者註:「ユダヤ教聖書」は、この日本では何故か「旧約聖書」と呼ばれる例が多い。)

アカシヤの木で作られたと言うその箱は全て純金で覆われ、そのサイズも百十二×六十八×六十八センチから百三十×八十×八十センチほどと諸説あるが、いずれの場合においても蓋の上には黄金の天使が羽を広げて向き合っていると聞く。

したがって、そのイメージは「八咫烏の長櫃」に似ていなくも無いのである。

結果として、内務省に取材が殺到することにならざるを得ない。

押し掛けた取材陣に対する内務省広報の回答は終始一貫しており、「八咫烏の長櫃」は九世紀に成立した秋津州固有のものであり、数度にわたる修繕を経て今日に至るとは言え、我が国にとって他に替え難い至宝であると言うばかりだ。

また、その上部で羽を広げて向き合っているのは言うまでも無く八咫烏の像であり、かつてその中に収められていた「宝剣」は、不慮の事故によって既に失われてしまっているが、今回の遷御(せんぎょ)にあたっては代々の王の霊代(みたましろ)をお納めしていたのだと言う。

この点でも秋津州側が発するコメントに嘘偽りは無いのだが、メディアの一部に納得しない者がおり、不遜にも蓋を開けて中を確認したいと言い募るものまで出ていると伝えられた。

そのメディアによれば、聖櫃の中身を知りたいと願う人々が圧倒的に多いと主張し、ごく一部とは言え、秋津州を簒奪者(さんだつしゃ)であるとまで極め付け、大声で非難する者すら出ていると言うのだ。

元来「簒奪」とは王位を「不正に」奪い取ることを意味しており、ここでその表現を用いると言うことが何よりもことの本質を物語っており、いよいよことは容易では無い。

詰まり、彼等にとってそれほどまでに大切な宝物を秋津州が「不正に」奪ったと見ていることになり、だからこそ櫃の中身を確認したいと切望するのだろう。

何せ、その論争の主体となるべき「契約の箱」の在りかは、長いこと全く不明のままであり、「失われた聖櫃(アーク)」と呼ぶ者さえ存在しているのである。

そもそも秋津州において最初にこれが造られたころは、未だおふくろさまも存在せず、稚拙な技を以て造られたものではあったが、これこそが古代の秋津州文化を象徴するものと言って良く、現在のものがそれを原型として踏襲して来ている以上、少なくとも外見上は同一と言って良い筈だ。

確かに、特異な能力を持った国王がいる以上、当時(九世紀)の秋津州人が「ユダヤ教聖書」を全く知らなかったとまでは断言出来ない。

何せ、秋津州の王たるものにとって、当時においても地球上を自在に移動することなど極めて容易なことであった筈なのである。

そうである以上、そこに記述されていた「聖櫃」を真似なかったとも言い切れまい。

したがって当時の秋津州人が、その「契約の箱」を参考にした可能性は否定できないが、かと言って必ずしも参考にしたとも言い切れないまま、一部において特殊な論争が続いた。

中でも、八咫烏の長櫃を捉えて、最初から「契約の箱」と決め付けてかかっている者さえあったため、議論は異様なほどに白熱した。

無論、その論争に出口など見える筈も無い。

だが、この「八咫烏の長櫃」が、秋津州王朝を打ち立てた初代君主の佩刀(実際は模擬刀ではあったが)を収納するために、独自に造られたものであることもれっきとした事実であり、秋津州側にとっては最初から議論の余地は無い上、例によって一切の容喙を控えたため、その論争も小康状態を保っているように見えてはいた。


しかし、滞在中の合衆国大統領特別補佐官にとって、この件はそれだけでは済まないことになった。

何と、「八咫烏の長櫃」の「学術的」調査を要望する声が、ワシントンの足元を激しく揺さぶり、ホワイトハウス自身が、この件を沈黙のままやり過ごすことを許されないほどの政治状況に立ち至ったのである。

良く知られていることだが、合衆国においてはその手の問題は常に巨大な票とカネに直結しており、下手に冷淡なスタンスをとったりすれば、多くの政治家にとってそれこそ政治生命に関わって来るほどのものなのだ。

言い換えれば、それこそが大いなる「民意」であると言えなくもないのだが、いざ、その「民意」を実現しようにも今回ばかりは相手が相手だ。

どう考えても、あの魔王がワシントンの窮地を救ってくれるとは思えない。

それどころかこの場合、冷笑を以て報いる方がはるかに自然な行動原理であったろう。

ワシントンは又しても窮地に立たされたことになり、その儚い希望は追い掛け回すようにしてタイラーを苦しめることになる。

ときにとってタイラーが必要としたのは、無論「女神アリアドネ」の齎す情報であり、又しても必死に面会を乞うことになったが、その反応は意外にも驚くほど良好なものであった。

即座にオーケーのサインが出たのだ。

秋津州ビルの米国代表部にも大小さまざまな応接室があるが、自然第一等のものが用意され、小心者が身構える中を颯爽と訪れた彼女はいつもとはかなり趣を異にしていた。

化粧にしてもアクセサリーにしても格段にゴージャスな雰囲気を漂わせており、タイラーにして見れば、昨日までの少女が突然大人の「女」になって眼前にあらわれた心地がしたほどだ。

タイラーの知る女神さまは、もともと優れたプロポーションの持主ではあったが、どちらかと言えば痩せぎすで硬質感のある美貌が目立つ女性だった筈なのだ。

ところが、大きくスリットの入ったタイトスカート姿で現れた女神さまは、十二分にメリハリの効いたボディラインを保ち、従来目立っていた硬質感はまったく姿を隠していた上、さりげない身ごなし一つとってもしっとりとした色香を漂わせ、心に鎧をまとったタイラーの目にさえ格別あでやかに映ったほどだったのである。

いずれにせよ、タイラーの懇請に即座に応えてくれた女神さまには、充分な辞儀を尽くすべきであったろう。

「お忙しいところをお運びいただきまして、まことにありがとうございます。」

「これはまた、ご鄭重なごあいさつで恐れ入ります。」

女神さまは、こぼれんばかりの笑みを見せてくれている。

「今日は又一段とお美しい。」

通り一遍のお世辞などでは無かったことは確かだ。

「おほほほ、お上手でいらっしゃいますこと。」

実に柔らかな反応だが、油断は禁物だ。

前回も手ひどく苛められたばかりなのだ。

「いえいえ、お世辞抜きでお美しい。」

「あらあら。」

「ディナーにお誘いしたいところですな。」

心に纏った厳重な鎧を半ば脱いでしまった気分だ。

「お誘いいただければ、喜んでお受けいたしますわ。」

「本気にしますよ。」

「是非とも本気で誘っていただきたいものですわ。」

「では、最近オープンしたサザン・クロスにでもお誘いしますかな。」

近頃、米国人事業者によって始められた超高級レストランなのである。

海都の中でも一際煌びやかな地域に位置し、新たな社交場としてかなりの話題となっている店で、無論入店するにはフォーマルスタイルが必須だと言う。

「あら、確か会員制と伺いましたが。」

「ご姉妹なら、お一人でお出かけになられてもフリーパスでしょうな。」

現実に秋元姉妹のステータスは、異様なほど高いのである。

「確かオーナーさまは、お国(合衆国)の方でございましたわね。」

「はい、多少の引っ掛かりもありますので。」

実際は多少どころか、ワシントンの作ったダミー会社の経営であり、ある意味タイラーの管理下にあると言って良い。

尤も、過去の経緯から見て、このことも又女帝のラインからは全てお見通しのことだろう。

「では、早速ドレスを新調してお待ちすることに致しますわ。」

無論、豪華絢爛たる夜会服のことを指しているのだ。

「これは楽しみが出来ました。」

「わたくしもでございますわ。」

「そのときは、是非ともリムジンでお迎えに参りましょう。」

「おほほほ。」

タイラーは、いつか女帝の部屋で出会った吉川桜子を思い浮かべていた。

あのときも不思議なほど惹かれるものを感じたが、今目の前で婉然と笑う女神さまの姿に陶然としてしまっていることに気付かされたのである。

「実はプレゼントがあるのですが、受け取っていただけますかな?」

ひょっとして、今なら受け取ってもらえるかもしれないと思いつつ、おもむろに用意の包みを出して見せた。

「あら、見せていただきますわね。」

「どうぞ。」

下僚に命じて厳選させたパールのネックレスで、無論、その辺に転がっている安物などでは無い。

タイラー自身が承認のサインをした伝票には、一万ドルを超える金額が記載されていた筈だ。

尤も、これが十万ドルであっても、自分の懐が痛むわけではない。

「まあ、とても素敵ですわ。」

女神さまはネックレスを首に宛がってみたりして大いにはしゃいでくれており、気に入っていただけたことだけは確かだろう。

「うん、良くお似合いだ。」

その逸品は、豪華さの中に優美な気高さが匂い立つようだ。

「嬉しいですわ。ほんとにありがとうございます。」

「いやあ、喜んでもらえてわたしも嬉しいよ。」

目の前の女性は既に小富豪と言って良いほどの資産家である上、貴重な民間外交を果たしつつある身でもあり、これほど素直に喜んでもらえるとは思っても見なかったのである。

「何か、お返しを考えなくてはいけませんわね。」

「いやいや、ほんの気持ちばかりのものですからお気になさらないでいただきたい。」

「では、遠慮なく頂戴致します。」

「ありがとうございます。」

「あら、お礼を申し上げなくてはならないのは、わたくしの方ですわ。」

「実は私の方がほっとしております。」

「おほほほ。」

「ディナーが余計楽しみになりました。」

「光栄ですこと。」

「そのうち姉上さまも、お誘いしたいものですな。ずいぶんご配慮を頂戴いたしましたから。」

この場合の姉上さまとは、無論東京にいる長姉の京子のことであったろう。

「そのように申し伝えますわ。」

「近頃はなかなかお会いする機会もありませんが、その後ご機嫌は如何ですかな。」

「はい、おかげさまで元気にしております。」

「それはそれは、元気がなによりです。」

「それはそうと、補佐官はずいぶんお痩せになりましたこと。」

「実は、ベスト体重からすると二十キロは落ちてしまいました。」

「どこかお悪いのではございませんの?」

「ご承知の通り、難問が山積しておりまして。」

「漏れ伺いますところでは、最近は新天地の分割案のほかにも新たな問題を抱えてらっしゃるとか。」

やはり、何もかもお見通しのようだ。

「はい、おっしゃる通りでして、ほとほと困り果てております。」

「あらまあ・・・」

「とても申し上げられた義理ではないのですが、何とかご助力いただくわけには参りませんでしょうか?」

「よほどお困りなのですわね。」

「はい、正直言ってお手上げ状態です。」

「それはお気の毒に。」

「とてもお許しはいただけないでしょうから。」

八咫烏の長櫃の学術的調査など、所詮許される筈がないのだ。

それこそ、口にするのも恐ろしい。

秋津州代々の霊代(みたましろ)は魔王にとって全て直系の父祖の者たちであり、それが納められている聖なる櫃である以上、調査団に公開しろなぞとは、とても言えるわけが無いのである。

立場を代えて考えてみれば直ぐに判ることだが、仮に赤の他人が我がタイラー家の祖先の墓を暴いて調べようとしたら、自分も銃を抜いてでも阻止するだろう。

当たり前の話なのだ。

「いえ、そうでもありませんわよ。」

しかし、女神さまは意外なことを仰せになるのだ。

「え?」

「ですから、長櫃だけなら充分可能だと思いますわ。」

「ほ、ほんとですか?」

「霊代(みたましろ)の遷御に関わる式典が全て結了してからなら、ご裁可が降りるかも知れません。」

無論、魔王の許可のことである。

「しかし・・・」

「陛下にとって大切なのは霊代(みたましろ)であって、その容器ではございませんから。」

「容器でございますか。」

「はい、式典が結了してしまえば空の容器でございます。」

「空の・・・・」

「但し、黄金の。」

「では、空の容器の扱いになってからなら可能だと?」

「さようでございます。」

「それは、いつごろになりましょうか?」

「未だそこまでは伺っておりませんわ。祭祀につきましては、全てご当代様がお決めになることでございますし。」

「そういたしますと、陛下ご自身が完了したと判断なさったときと言うことになりますな。」

「さように存じます。」

「なるほど。公開していただいたとしても、そのときはまったくの空っぽだと?」

「はい、もともと空でございますから。」

「以前は宝剣が入っていたそうですな?」

「ご当代様が紛失なさる前までは、の話でございます。」

「ほほう、紛失なさったのは陛下ご自身でしたか。」

「ご幼少のみぎりではございましたが。」

「それ以後はずっと空だったと?」

「はい。」

「そう致しますと、肝心の中身につきましては失われてしまったままですか?」

「さようでございます。」

「ふうむ・・・・」

「・・・。」

幸いにも女神さまは、相変わらずにこやかな応対振りを見せてくれている。

「ご内情はだいたい腑に落ちましたが、」

「それは、よろしゅうございましたこと。」

「ふうむ・・・・」

「未だ何かお困りでしょうか?」

「いや、空の聖櫃だけで果たして納得してもらえるかどうか・・・・」

特別のこだわりを以て調査を要望している人々の「民意」が、である。

「あらあら・・・」

「困りました。」

「でも、これ以上、どうして差し上げようもございませんわね。」

「彼等はきっと疑うでしょうな。秋津州が『それ』を隠しているのでは無いかと。」

『それ』とは、無論、櫃の中身である。

そして『それ』は彼等のイメージに似合ったものであらねばならぬだろう。

「でも、秋津州の誠意だけはご理解いただけるのでは・・・」

「私は判っておるのですが、それを立証して見せることは不可能ですし。」

「まるで、悪魔の証明ですわね。」

悪魔の証明とは、この世に「もともと存在しない物」の非存在性を立証することは多くの場合不可能に近いことを言う。

「もともとから存在している物」の実在性を立証するには、その実物を提示しさえすれば事足りるが、この世に「もともと存在しない物」の非存在性を立証するためには、「この世」の全てを検索しない限り立証出来ないことになり、この場合、「彼等」が存在する筈だと主張する「もの」を、存在しないと立証することは誰にしても出来ないことなのである。

無論、それがこの世のどこかに存在しているとしても、その実在性を立証する責任は、実在を主張する側が負うほかは無いことになるだろう。

第一、彼等の捜し求める「もの」など、この秋津州帝国には最初から存在していないのだ。

まして若者の領有する秋津州(荘園)は途方も無く広く、太平洋上の秋津州を除いても四個もの天体が別に存在しているのである。

「何しろあれだけの映像があるんだ。あの黄金の聖櫃が契約の箱で無いことは、直ぐに判りそうなものなんだが、疑い出したらきりが無いんだろうな、きっと。」

タイラーにしても、ぼやくほかに手が無いのだろう。

「でも、全ては深い信仰心から出ていることでしょうから。」

「それはその通りなんですが。」

「でしたら、あまりお責めになってはお可哀そうですわ。」

「ありがとうございます。ご理解をいただけて実に幸甚です。」

「信仰は、どちらさまにとっても大切なことでございますもの。」

「はい、もう何とお礼を申し上げてよいやら・・・」

タイラーにとっては信じられないほどの展開だったのだ。

「もしこれが単なる政治的なイベントであったなら、きっとご裁可は降りなかったと思いますわ。」

「国王陛下は個人の信仰については格別のご理解がおありのようですな。」

「信仰とはあくまで個人個人の心の中にあるものですし、陛下は民衆個々の要望には真摯に耳を傾けるお方ですのよ。」

その代わり、大国がその国力を背景に圧力を加えてきたものと受け止めれば、その反応も又違ったものになったことは想像に難くない。

「なるほど、」

「それでは時期につきましては、近々、お尋ねを致しましてからご連絡を差し上げることに致しましょう。」

近々お尋ねをする相手とは無論あの魔王のことであろうが、女神さまの口振りから見て、自分の交渉は充分な成果が得られると見て間違いは無さそうだ。

「はっ、ありがとうございます。」

タイラーの感謝の念はいや増すばかりであったのだ。

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  1. 2007/08/27(月) 19:48:34|
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自立国家の建設 091

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翌日には早くも女神さまからの一報が入り、魔王の許諾の意思が伝えられ、補佐官は勇躍ワシントンに報告することを得た。

誰が見ても解決不能と思われた政治的課題をあっさりと解消し得たことにより、ワシントンは安堵の胸を撫で下ろし、その結果、この非公式外交が、ワシントンに於けるタイラーの名を一躍高からしめたことは言うまでも無い。

どう考えても、魔王の側にこのような要求を呑む義理も必要も無い筈であり、全てタイラーの大手柄なのだ。

それこそ、湯水のように出て行くカネにしてもクレームがつくようなことは一切無くなり、タイラーはある意味翼を得たようなものであった。

何せ、タイラーの要求する対秋津州工作資金が、ワシントンにおいてその承認が逡巡されるケースなど皆無となり、特殊な国際情勢とも相俟って、以後、タイラーの手許から費消される予算は驚くほどに膨張を続けるのである。


その後この件は、女神さまとの間で数回にわたる打ち合わせが繰り返され、ほどなく五十人ほどの調査団を以て実現される運びとなる。

一行はSS六に乗り込み一瞬で丹波の八雲の郷に至り、その首都「一の荘」において存分に目的を果たし、問題の聖櫃が彼等の想定していたものとは全く別物であることを明らかにした。

溢れるほどの緑に包まれ壮大な近代建築が立ち並ぶ中、万全の受け入れ態勢がとられて、滞在中の彼等を驚かせたが、彼等がそこで最も驚かされたことは、秋津州側の接遇が懇切を極めたことでは無く、肝心の聖櫃が複数提示されたことであったろう。

何と、新旧併せて四個もあったのである。

無論最新のもの以外は、全て無惨に変形してしまっており、中には蓋の上の八咫烏が完全に失われてしまっているものまであったが、年代測定の結果、最も古いものでさえその成立は九世紀であることが明らかとなり、秋津州の主張を完全に裏付けることとなった。

彼等の捜し求める聖櫃の成立年代ははるかに遠い前世紀であり、この点においても、全く別物であることが証明されたことになり、さらに、秋津州は聖櫃を四度にわたって新造していたことになる上、秋津州側に秘匿しようとする気配が全く見られないことから、彼等の疑惑はそれ以上膨らむことは無く、タイラーの抱いた危惧は杞憂に終わったことになる。

少なくともワシントンの望みだけは果たされたことは確かであり、全ては秋津州側の厚意によるものであることだけは充分に理解された筈だ。

したがって、あの秋津州からこれほどまでの厚意を引き出したタイラーの外交手腕は並びないほどの評価を受けるに至り、同時にその発言も、ワシントンにおいて決して軽視されることは無いと言うほどの状況が生まれた。

もともと、対秋津州の折衝担当はタイラーによるところが多かったこともあり、やがて、タイラーがワシントンに向けて発するメッセージが、全てそのまま「秋津州の意思」ででもあるかのような景況が現出した。

タイラーは、ワシントンにおいて「秋津州の代弁者」となったのである。

しかも秋津州に対する要望や工作などは、全てタイラーを通さなくてはならないような雰囲気が醸成され、加えてタイラーを「秋津州の友人」と呼ぶものが増えるに連れ、対秋津州問題の巨大さ故に、その隠然たる「権力」は、やがてワシントンにおいて他を圧するほどのものに成長を遂げて行くことになる。


さて、ワシントン主導による調査団が「特別な意味あい」を以て丹波入りを果たし、八雲の郷の首邑(しゅゆう)たる一の荘の地にあって、鋭意調査活動に励んでいた頃のことだ。

(筆者註:ちなみに、この九.五万平方キロの八雲の郷(八雲島)は、王の直轄領にある島々の中でも比較的小粒のものではあるが、それでなお八.三五万平方キロの北海道よりは大きいことになり、しかも、太平洋上の秋津州(あきつしま)に至っては、たったの七千九百平方キロでしかないのである。)

彼等調査団の一行は、秋津州の国立博物館のような位置付けの施設の中で、地球から持ち込んだ最先端の機器を用い、存分な調査をなし得る機会を与えられたのだ。

その調査結果に関しては、欧米系のメディアなどはいずれもが興味津々の態で、宗教上のあれこれから言っても、大いに大衆の興味を惹く対象ではあっただろうが、引き比べて東アジアなどにおいては必ずしもそうでは無い。

むしろ、ほとんどの大衆が契約の箱の行方などには興味が無く、全く異なる風が吹いていたのである。

何せ、その一帯はほんの数年前に勃発した大規模戦争の主戦場だったのだ。

殊に中露両国は、事前に痛烈なまでのシード攻撃を受けて、瞬時に全域を制圧されてしまった挙句、完膚なきまでの占領を許し、文字通りの無条件降伏を余儀無くされてしまった。

(筆者註:シード(SEAD:Suppression of Enemy Air Defense):自軍の空からの攻撃を妨害されぬよう、事前に敵方の地上戦力を制圧して置くこと。)

その後、秋津州の強力な支援の下、国土の復興もとうに目処がたち、経済規模にしても旧に倍するほどの急成長を遂げており、経済面に限れば既に自立を果たしている筈だと評されるほどで、中露共に、自ら望んで秋津州の翼下に抱かれたまま、国際政治の荒波の中で着々とその地歩を固めつつある。

同様にチベットや東トルキスタンはもとより、蒙印台なども積極的な親秋津州路線を選択することによって、はるかな視線の先に輝ける未来像を観望している筈だ。

チベットや東トルキスタンの国連加盟も既に実現しており、このこと一つとっても、言わば秋津州の無言の圧力が功を奏したものと見る向きも多く、秋津州の翼は、ことほど左様に巨大な広がりを見せている上、極東の大国日本とは当初から不離一体の関係にあり、最早アジア全域が秋津州の影響下にあると言っても過言では無い。

だが、一方に全く対照的な外交路線を選択した国家も存在した。

言うまでも無く、朝鮮半島全域を領土とする朝鮮共和国である。

その領域には、相も変わらぬ波乱含みの先行き感が漲っている上、その軍事政権の示す政治姿勢が尽きせぬ話題を提供してくれており、殊に日本のメディアにとってなどは、極上のソースとなってしまうような場面が目立つ。

その国では、武力革命後の更なる流血の時を経て、金昇輝大佐の手になる独裁政権が発足し、それ以来既に九ケ月の時が過ぎている今、大佐は自身の軍務上の人脈と反日秋的排外思想をバックボーンに、懸命に足元を固めようとして来たが、肝心の国家的経済基盤が定まるような状況は、その気配さえ生まれて来てはいない。

ワシントンが細々と続ける経済支援にしても、その大部分が米国系企業への債務返済に充当されてしまうありさまで、昨年の秋、前政権が秋津州から受けた巨額の支援にしてもいよいよ底をついて来ている上、税収入が低迷し国庫の底が見えてしまっているままでは、いかなる統治者といえども、本格的な復興シナリオを描くことなど出来る筈も無いのである。

それどころか、その政権の発足当時、一部の民衆から浴びた拍手喝采も今は遠いものとなり、あまつさえ数限り無く強行して来た粛清によって、金昇輝大佐はその手ばかりか総身をさえ血まみれに変えてしまっていた。

現地に滞在する西側メディアなどが配信する情報では、人間性のかけらも無い粛清の無惨さを捉え、その残忍性を強調するあまり、一国の元首をつかまえて「ブラディ・キム」と呼ぶ者さえ出た。

「血まみれの金昇輝」である。

さすがに現地の報道にまで使われることは無かったが、欧米などを中心にその忌まわしい呼称が一般化するに至り、今では「ブラディ・キム」の名を知らぬ者はないほどだ。

そもそも、この金昇輝と言う男は、革命前夜のどさくさを良いことに、かなり悪辣な手法を以て異数の昇進を果たしたとされており、未だ四十代前半と言う若さばかりか、百八十センチを越す堂々たる体躯をも併せ持ち、格闘術においても並外れた腕力と身体能力を活かして無類の強さを発揮する男でもある、

また、その凶暴性に関してもさまざまの伝説を持っており、未だ尉官の頃だったとは言え、なかなか子を生さぬ妻に業を煮やし、些細なことから殴り殺したとも囁かれ、また暴れ者で名を売った兵が演習中に抗命したことに怒りを発し、これもまたその場で蹴り殺したと言われるほどなのだ。

既に当時からブラディ・キムの面目躍如たるものがあったのであろう。

かと言って、単に粗暴なだけの男かと思えば無論そうでは無く、一面非常な狡猾さをも併せ持っており、上官の弱みにつけ込むことにかけては、天才的な才能を発揮して己れの昇進に役立てたと言われる。

単なる肉体派ではないのである。

一個の軍人として最も肝心な指揮能力においても、決して人後に落ちることは無いとされ、とにもかくにも、人並みはずれた能力を持つことは自他共に認めるところなのだ。

ただ、その性格には相当なひずみがあるらしいことが、若年のころから囁かれていたことも事実であり、殊に自己の能力を恃む点においては偏執的なものがあるとされ、その強烈な自負心は、ときに他者に対する激烈な攻撃となって止めどなく激発してしまうことが多く、そう言う人物が独裁権を持ったことが大量の流血を呼んでしまったことも確かで、その犠牲者数も百万とも二百万とも言われる今、最早その不人気振りは内外共に目を覆うわんばかりだ。

然るに、戒厳令下で行われる強権発動に不可能は無く、独裁者の発する命令は全てに優先する以上、側近の者は勿論、一般庶民にとっても、反体制的な言動など命にも関わる重大犯罪となってしまうことは明らかだ。

無論、中央地方共に選挙など行われる気配も無い。

傲然と君臨する「ブラディ・キム」は、十指にあまる美姫こそ擁してはいるものの、一人として苦言を呈する者を持たず、それどころか側近に対してすら溢れるほどの猜疑心を持ち続け、その周囲においては既に血に飢えた「神」そのものであった。

「神」の行う恐怖政治が、側近の者たちをも過度に圧伏してしまっていることは確かで、彼等の中には恐怖のあまり、影では「獣神(じゅうしん)」と呼ぶものさえ出ていると言う。

その獣の牙からは、常に鮮血を滴らせているイメージなのだろう。

無論、並外れた排外思想が齎す対米姿勢もまた頭(づ)の高いものであり続け、今や「獣神」は、ワシントンにとって最も扱い難い人物の一人となってしまったことは確かだ。

元来、ワシントンにとっての金昇輝は、米国系企業から軍需物資の購入を続けてくれる上で、前政権と同様に良き顧客であった筈なのだ。

ちなみにこの顧客は、若年の頃より乗馬の名手としても知られ、かねがね名馬を欲していたことでも有名で、殊に現在の地位を得てからはその癖(へき)が一層強まったと囁かれていたところに、米国系企業の中に見事な白馬を贈ったものがおり、近頃ではそれを淫するほどに愛玩していると言う。

青瓦台の一郭に専用の厩舎を設え、寸暇を惜しんで乗っており、後宮(こうきゅう)の美姫や側近の者にしきりに乗馬姿を見せたがる傾向が目立ち、美姫の一人が権力に阿諛するあまり白馬王子と呼んだことが災いした。

独裁者自身がその「愛称」をひどく気に入り、まことに上機嫌の様子を見せたことから、自然、それ以後は、ことあるごとにそれが用いられる機会が増え、今では、その傍に侍るCIAの者までがその愛称を用いるまでになっており、遂には表の場面における公式の愛称とされるに至っているほどだ。

その後宮においてなどでは、それ以外の呼び名など絶えて使われることがなくなり、全て「白馬王子さま」で通ってしまっているのである。

流石のCIAも、いっとき身柄を預かっていた前大統領が頓死してしまって以来、今更「白馬王子さま」を葬ってみたところで、自分に都合の良い政権の受け皿を用意出来る自信も持てず、新天地への移住と言う巨大な課題を抱えている今、強いて手を汚す気にはなれないでいるようだ。

ワシントンにしても、米国系企業の対朝不良債権問題が露骨に表面化してしまわない限り、さしたる非難を受ける事も無く、対朝問題など、このままの状態であれば、もうそれだけで「日々、事も無し。」なのである。

尤も、そのワシントンにしてみたところで、純粋にその国(半島)の民のことを考えての行動など最初からとる筈も無いが、どの道、根源的な解決などその国の民以外には出来るわけが無い。

何せ、肝心の民自身がその意味に限れば既に沈黙してしまっており、現体制に対する不満の声が完璧に圧伏され続けている今、表立って聞こえて来るのは対日批判と竹島奪還を希求する声ばかりだ。

既に一部とは言いながら、秋津州を直接非難する声すら聞こえ始めているが、例によって身勝手極まりないその論法に接したりすれば、最早嗤ってしまうほかは無いに違いない。

何と、その論法によれば、諸悪の根源は全て秋津州にあると言う。

あの秋津州の魔王は半島の富を収奪し尽くし、竹島まで奪い去り、挙句の果てに強大な軍事力を利して思うさま世界を圧伏し、以て我が朝鮮民族の経済活動を阻害していると言うのである。

そのためにこそ我が朝鮮共和国は苦難の道を歩んでいるのであり、そのような冷酷非情な加害者たるものが、今のように人目も憚らず繁栄するとは天の摂理にも反していると罵るのだ。

ほんの一年ほど前にその国の庶民の間に高まった筈の親日、親秋津州の声など、今では遠い昔の話になってしまった。

尤も、これ等秋津州を非難する声もその政権が直接発しているわけでは無いが、「白馬王子さま」がそれを容認していることは明らかであり、民の怨声(えんせい)が外敵に向かうことが、すなわち反体制を叫ぶ声を他に逸らす道に通ずるとして、かえって歓迎していると言って良い。

無論、日秋両国ともに冷然たる黙殺を続けており、それも、余裕を以ての黙殺であることは誰の目にも明らかで、一部のメディアに至っては、黙殺されればされるほど、あの国の反日秋感情が余計盛り上がる筈だとしているほどだ。

現に、つい最近も「白馬王子さま」の後押しを受けた者たちが、多数の小型船舶を以て竹島に接岸せんとする動きを示し、日本海に時ならぬ緊張が走ったことがある。

その中の一部には明らかに現役軍人の姿があったことから、国家としての関与の事実まで垣間見られると報じられ、日本側の受け止め方次第では「日朝戦争」もあり得るとするメディアまで出た。

これがもし国家の意思を以て行われたものならば、最早歴然たる「侵略行為」と見なされるため、侵略を受けた側(日本)が黙って見過ごす筈は無いと言うのだ。

そのときの日本側は、公式には一切の反応を示さず例によって黙殺したが、「侵入者」の全てが物理的に中途で押し戻されてしまい、例によってただの一人も上陸出来なかったことは確実だ。

近付くことすら出来なかったと言われる。

だが、彼等の竹島奪還に燃やす執念は益々激しさを加え、収まりそうな気配は全く無いのである。

ここ数ヶ月の間に十数回も繰り返し挑戦して来て、ただの一度も成功したと言う話は聞こえては来ず、挙句一般の漁船ですら日本のもの以外一切近づけない状況が続いて来た。

竹島騒動の直後、改めて日本政府が宣言した境界付近には、常に目に見えない結界が張り巡らされている筈で、闇夜だろうと何だろうと、半島側の船はどう足掻いてもそれを乗り越えることは出来ないのである。

結局、「白馬王子さま」の怒声ばかりがそのトーンを上げて行かざるを得ないのだが、その主張にまともに耳を貸すような国家など一国たりとも現れてはくれず、その現実がその国の孤立感を益々深めて行くばかりだ。

尤も、例えどんなに罵声を浴びようとも、「少なくとも」例の竹島騒動以来、そこは国際的にも正当性が認められた日本の専管水域なのだ。

それもこれも、当時、圧倒的に多数の国家が、その島を領有しているのは日本だと公式に認めた結果にあるのだが、国際的な正当性などと言ってみたところで、所詮その程度のことに過ぎない。

しかし、この竹島が、例え人も住めないような離れ小島であっても、過去の万国公法の時代ならいざ知らず、それが現在の国際法上の「領土」である以上、その周囲には領海はもとより、広大な排他的経済水域がある。

まして、そこが優れた魚場である場合、当然そこに漁り(すなどり)を以て生計を立てる漁民がおり、なおかつその漁民の一人一人がれっきとした国民である以上、国民を外国の圧力から保護することを以て第一義とすべき「普通の国家」ならば、誰にしてもこだわらざるを得ないのだ。

万一国家が国家としてそれをなおざりにすれば、最早その瞬間に国家とは呼べないものに変じてしまう。

加えて、欧米系のメディアの中には、「白馬王子さま」がそれほどまでに竹島の領有権を主張したければ、国際司法裁判所に提訴すれば良いだろうにと揶揄するものさえあり、朝鮮共和国はますます冷笑を浴びる機会を増してしまった。

現に、過去において(竹島が韓国軍に占領されていた頃)、日本側は常に平和的な解決を目指し、国際司法裁判所の審理に任せようと提言し続けて来た事実があるが、当時の当事者である韓国側が一切耳を貸さなかったこともれっきとした事実であり、そのメディアがそのことを指して皮肉っていることは明らかだ。

「白馬王子さま」の怒声がいよいよ高まり、そしてメディアが何と焚き付けようと、日本政府の我関せずと言う態度には少しの変化も無いままに時が移り、そのことが国際市場に微妙な影を落とし続け、その国の経済規模をますます縮小させて行くばかりで、その分ワシントンの負担がいよいよ膨張してしまうと言う構図が定着しつつある。

しかも、メディアの論説などで最も珍妙と評されていることが全く別のところにあったのだ。

何せその国は、これほどまでに「反日秋」の声を上げて置きながら、一方で丹波の新領土だけはぬけぬけと要求して来ており、全ては秋津州の寛仁大度あっての賜物である筈でありながら、恬(てん)として恥じる所が無いのである。

詰まり、相手国に対してあらん限りの悪罵を投げつけて置きながら、それでなお貴重なプレゼントだけは、貪欲なまでに懐へ捻じ込もうとする行動原理が、殊更珍妙だと見られていることになるだろう。

尤も、この臆面も無い鉄面皮こそが、あの国があの国たる所以(ゆえん)であるとして、一言で切って捨てるメディアが多かったことも、ことの本質を言い表していると言えなくも無い。


一方、洋上茫々たる海都においては、あの土竜庵がますます梁山泊の様相を呈し、相葉幸太郎を交えて度重なる協議が持たれ、その協議内容もいよいよ切迫し、既に楽観を許さないものになって来ていた。

世界の滅亡が眼前に迫っているのである。

まさに多端のときを迎え、東京の国井総理も当然ながら非常の覚悟を以てことに臨んでおり、その意を受けて派遣されて来ている相葉にしても無論臨戦態勢だ。

その日々は、まさに国家の存亡を賭して臨む戦場にあると言って良い。

相葉は、その戦場において万全の構えを取るべく、各省庁の選りすぐりを挙って参陣して来ており、彼等は彼等で日本の未来をずっしりと鞄に詰めてやって来ていることに加え、その全てが使命感に燃えて勇み立っていた。

彼等を選抜したのがほかならぬ相葉自身であったこともあろうが、その旅立ちにあたって発せられた国井総理の訓示が、全省庁間に遠雷のように轟いたからでもある。

『困難なときにあたって、この日本丸の舵を握る我々の使命は、国家の滅亡を防ぎ、その独立性を高め、一人でも多くの国民に、より一層の繁栄を齎すよう一意に努めることにあり、諸氏の奮闘に俟つところは真に大である。』

うかうかすれば一人残らず滅んでしまうことが予感される中、全省庁が右往左往しているところに聞こえて来た簡潔明瞭な「国家目標」だったであろう。

総理自身が眦(まなじり)を決し、『国家の滅亡を防ぎ、その独立性を高め、一人でも多くの国民に、より一層の繁栄を齎すよう一意に努める。』旨、高らかに宣言していたのだ。

しかしながら、そもそも、「国家の滅亡を防ぐ。」とか、「国家の独立性を高める。」とか言って見たところで、平時においてはほとんどの場合現実感を伴わない。

まして、一定以上に成熟し、国民の大多数が繁栄を謳歌しているような社会においてはなおさらのことで、国家の滅亡など想像することも出来ず、その独立性などに至っては、既に確保されていると信じて疑わない者が殆どであり、そう言ったスローガンなど全く実感されない筈なのだ。

ところが、不幸にして今は悲惨な未来を実感出来る環境にある。

誰にせよ、先ず「全力を賭して」目前の滅亡を防がなければならないのは自明の理だ。

そのため、「一意に努める」のである。

現実の危機を前にして、奮い立った者が少なく無かったのも当然のことだったろう。

久し振りに全省庁の官僚たちが、明確な「国家目標」を共有することになったのだ。

そこには、既に省利省益の影も形も無い。

日本と言う国家が滅んでしまえば、省もへちまも無いのである。

その結果、土竜庵に集結した若きエキスパートたちは、稀有なことに、全省庁からの横断的かつ真摯なバックアップを受けるに至っており、その環境は彼等が具体策を練り上げる上で最上のものと言って良いほどだ。

まことに皮肉なことながら、平時でなら絶対に起こり得ない現象が、官僚自身が明瞭に滅亡を予感したが為に起きていることになる。

また、相葉が選抜したメンバーは、一説によれば、そのほとんどが秋桜ネットワークに名を連ねていると言われ、同時に、困難な課題に立ち向かうに際し極めて積極性に富む姿勢を示し続け、いつしかその挑戦は、誰言うと無く「プロジェクトA」と呼ばれ始めていた。

プロジェクトAの「A」はプロジェクトリーダーたる相葉幸太郎のイニシャルだとも言うが、一方で「Active」や「Aggressive」を意識したネーミングだと言う者もおり、結局真偽の程は定かでは無い。

ティームの最年少は岡部大樹推薦による弱冠二十四歳の田中盛重であり、かつて国井総理の「将門記」発言に接し、その真意を忖度して独楽鼠(こまねずみ)のように駆け回った挙句、岡部からまともにからかわれてしまった若者でもあった。

目立って腰の軽いこの若者は、それ以来ことの外この大先達に私淑してしまい、望んで対策室詰めとなっていたことも功を奏したものらしく、今回の選にも目出度く入ることが出来ていたようだ。

東大法学部在籍中の学業にしても、あまり芳しいものとは言えなかったのだが、その愛すべき性格だけは他に代え難いものがあったようで、近頃ずっと岡部の手許に置かれていた上、今回の渡航に際しては密かに言い含められていたことがあったらしい。

しかも、岡部の身近にあった折りには、女帝やその配下の女性たちとも濃密に接触を持ったことにより、彼女達が日本の滅亡を防ぐ為に巨大な貢献を果たし続けていることも知った。

彼女たちが日々刻々と齎してくれる情報は、質量ともに、対策室どころか、官邸にとっても貴重な拠り所となっており、その上、彼女達の全てが、秋津州国王の意を受けてそこに「配備」されていることの重みにも思い至った。

しかも、その全員が過酷なシフトの中で黙々と務めを果たしており、日々その姿に接した田中盛重自身が、のちにその時の感動を熱く語っているほどで、彼にとっても当時の対策室勤務は一際貴重な体験となったことは確かだろう。

未だ走り使いの身であるとは言え、岡部と言う先達の薫陶よろしきを得た彼もまた、心に日の丸を抱いて来ていることは確かであり、その後国王夫妻はもとより、新田夫妻や加納二佐などとも交わりを深めるに連れ、近頃ではプロジェクトAの「A」は、実は秋津州のイニシャルではないかとさえ思うに至っている。

このプロジェクトAのグループは、今では相葉を筆頭に総勢百数十名もの多くを数えるに至っており、その収容にあたっては、内務省ビルの隠しフロアが、又してもその威力を発揮することになった。

十層にも及ぶ隠しフロアの中には、コインランドリーや生活物資の売店まで出揃い、今では二百に余る日本人が、秋津州の重厚なサポート体制に支えられながら暮らしており、その中には、田中たちよりはるかな先住者たちの姿まであった。

無論それは新田源一の配下たちであり、民間人とは言いながら、その全てがプロジェクトAティームにとって、日々共に研鑽を重ねる同志と言って良い者ばかりだ。

その行動目的は、ガンマ線バーストの件にあたり、国家防衛を基軸として国際情勢の分析とその対処方法のあれこれであり、この場合の防衛すべき国家とは、言うまでも無く「日本国」のことに他ならない。

新田とその配下たちにしても、今は、海都に所在する秋津州商事から糧道を得ている身ではあったが、不思議なことに、グループに対して指揮権を揮おうとする者は存在せず、本来の雇用主である筈の国王にしても掣肘を加えて来るどころか、新田の構想を実現させるべく積極的に支援してくれる気配さえ見せるのだ。

この場合の新田構想とは、すなわち、丹波の「秋桜(こすもす)」において日本人の手になる独自の文化圏を形成し、やがて到来する激動の未来に備えようとするものであり、元来土竜庵の掘り炬燵で、国王と新田が酒を酌み交わしながら着想を得たことに端を発しており、その内容にしても、国井は勿論岡部なども積極的に関与して積み上げられて来たものだ。

国王と新田の間では、「秋桜」とその周辺一帯を指して「大和文化圏(やまとぶんかけん)」と言う呼称さえ使われ始めていることからも、その意図するところのおおよそが窺えるだろう。

現に秋桜現地の社会的インフラは、少なくともハード面に限っては、既に相当の完成度を見るまでになって来ている上、六百万ほどの秋桜人が居住し、堂々たる消費経済まで営んで見せている。

その住民の実体はヒューマノイドであるとはいえ、古くからその地に住む、言わば原住民と言うことにされており、加えて、加茂川銀行秋桜支店と秋津州商事秋桜支店もオープンして秋桜全土を重厚にネットし始めている上、現実に秋津州円が堂々たる通貨として流通し、相当の規模を以て流通経済が立ち上がりつつあったのだ。

情勢の変化次第では、住民の数も一気に数千万規模に拡大させて見せることも可能である以上、既に秋桜は、大企業の誘致にさえ耐え得るところにまで来ていると言って良い。

PMEタイプの発電設備は勿論、主要な電力網が整備されたことにより潤沢な電力が隈なく供給され、上下水道設備も堂々たる規模を以て稼動している上に、日本の鉄鋼大手が国王の助力を得て建設中の高炉までが完成間近かなのである。

何よりも、現地の流通産業を秋津州商事が大赤字を覚悟でカバーしようとしていることが確認されるに及び、日本国内の各業界筋もその青写真を一層具体化させ、数多くのものが吉川桜子のオフィスに持ち込まれつつあるのだ。

しかしながら、八雲の郷でならいざ知らず、秋桜現地には固有の行政府と呼べるようなものは存在せず(日本の各行政官庁用と目される壮大なハコモノだけはそれぞれ完成間近なのだが)、代わって太平洋上の秋津州に見られるように、ひどく古風な「住民自治」が見えるばかりで、いまだその地は、国王の統べる秋津州王国の一部と言う扱いであることに変わりは無い。

詰まり、この秋桜は未だに秋津州流の「慣習法」によって制御されていることになるため、現代の普通の日本人が暮らすには基本的にそぐわない。

何せ、現代の日本人には「成文法と言うマニュアル」抜きの日常生活など想像も出来ない者が多く、挙句、事前に万能の法規制を定めて置くことが「お上(おかみ)」の当然の義務だと視る向きが甚だしい。

何かしら社会的なトラブルが起きる度に、そのことに関する法規制が明文化されていない時などは、それを怠ったとして立法府どころか行政側を責める者さえいるのだ。

しかし、世の中が須(すべか)らく劇的な変化を見せ続ける今、その全てに対応し得る法規制を事前に用意して置くなど、いかなる天才といえどもなし得ないことなのである。

更に言い重ねれば、本来、明文化された法規制など少ないに越したことは無い筈であるにもかかわらず、禁止事項として明文化されていない行為でありさえすれば、何をしても許されると考える輩(やから)さえいる。

然るに、現実の秋桜には明文化された成文法など影も形も無い。

明文化された禁止事項など、一つも無いのである。

結局、現代の日本人を多数「収容」するにあたっては、一定以上の明文化されたマニュアルが不可欠であることから、新田はグループの者たちに命じ多くの重要法典を編纂中だ。

優秀な人材をフルに活用し、膨大な条文を持つ民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法などの編纂を既に終えており、さまざまな議論を経てそれらの関連諸法にまで踏み込んではいるが、かと言ってそれらの成文法がその地(秋桜)において正式に施行されるとは限らない。

その領域が秋桜の旗を掲げ独自の予算編成権を望めば、国王は直ちにそれを寿(ことほ)いでくれることも判ってはいるが、かと言って、ことはそう簡単では無い。

尤も、その地においては、実質的に税を負担すべき本物の住民が未だ存在しないとは言いながら、巨大な埋蔵量を誇る油田地帯はおろか、さまざまな地下資源を持ち、石炭や鉄鉱等の優れた鉱床の在りかまで数多く明らかにされている上、土地そのものをも含め、それらの全ての資産がやがて新田の手に委ねられ、巨額の財源に変わる可能性を秘めているのである。

いざ独立と言う場合には、その全てが新田のなすがままなのだ。

無論、新田にそれを私(わたくし)する意思は無く、全てを国家のものとすることは、言うまでも無く既定の方針としているところだ。

しかしながら、ある程度近代的なものを目指す以上、小なりといえど一国家の発足に要する資金は極めて膨大なものにならざるを得ない。

結局は、何らかの方法で調達することになるが、新田はそれに関しても既に相当なものを準備中だ。

名付けて「秋桜資金(こすもすしきん)」と言い、海都の加茂川銀行本店に主たる口座を持ち、名義人は新田源一個人である。

元々そのタネ銭は新田と岡部のごく僅かな退職金であったが、今では秋元女史の手の内で高熱を発するまでに発酵させられた上、膨大な運用益を生むまでになって来ており、殊にケンタウルスの一件が顕在化して以来、秋元姉妹の手許からも巨額の資金が投入され、その後に至っては、日本の一般会計すら凌駕するほどのものに成長しつつある。

それは、出資者が全て日本人ばかりと言う側面を持ち、奇異なことに、出資者に対する払い戻しや配当を一切否定したファンドであり、その使途については全て公共のものに限るとしているところに、極めて異質な特徴があると言って良い。

その出資比率を概観すれば、秋元姉妹の出資額を仮に百億としたとき、新田や岡部のそれは実に一万にも満たない小額だ。

秋元姉妹の実質的な出資総額は、日本円ベースで言えば既に数兆にも及んでしまっており、彼女達が資金面でもこれほど積極的に参加していると言うことは、その背後には日本人秋津州一郎氏がいることは明らかで、この意味でも新田の秋桜運営に関する自由度は限りなく高く、その構想にも一層さまざまな色彩を加味しつつあった。

近頃では、密かに将来の秋桜運営に備え、配下の者たちには国政運営上のあれこれに関してもさまざまなシュミレーションを体験させながら、人材育成と言う側面を持たせていたことも事実で、新田の遠大な構想は限りなく膨らんで行くばかりであったのだ。

だが、今はそう悠長なことを言っていられる場合では無い。

何せ、人類の滅びが目前に迫っているのである。

問題のガンマ線バーストが地球に到達する時期に付いても、その後再三にわたる探査検証が公的に行われた結果、二千十一年の五月から七月の間であることが繰り返し確認されるに至り、その結果地球上の生き物と言う生き物が全滅すると言う見通しに関しても、今更疑義を挟むような政府筋は世界中に無い。

その点では、絶望的と言って良いのである。

その対処法にしても、他の天体(今のところ丹波)への移住のほかに無いこともはっきりしてしまっている上に、それを行動に移すべき期限は、多少の糊しろのことを思えば二千十年の年末あたりを想定せざるを得ないのだ。

あますところ二十六ケ月ほどでしかない。

然るに、肝心の領土分割案がそれぞれの国益の狭間(はざま)で漂流し、七カ国協議にしても相も変わらずラビリンスの迷宮を彷徨(さまよ)い歩き、各国の合意などとてものことに成る状況には無い。

丹波の新領土が定まる気配が全く無いのである。

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  1. 2007/08/29(水) 10:57:36|
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自立国家の建設 092

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ことにあたって我が日本国政府の負っている第一の責めは、言うまでも無く「日本国民」の生存権を守護することにあり、相葉や新田たちはそれを果たすための「具体策」を講じるべく結集しているのだが、そのために超克せねばならぬ障碍も又呆れるほどにさまざまだ。

そもそも、人が生きて行くためには、通常、陸地を必要としており、それが国家単位である以上なおさらのことで、最低限その領土を確保してからでなければ何も始まらないのである。

その領土内において、ぎりぎり最低限の生存条件を整えて置く必要があるにもかかわらず、惑星丹波では国王の直轄領とされている領域以外、鉄道や港湾どころか物流の根幹をなすべき道路網すら存在せず、当然空港など問題外だ。

無論、上水道など備わっている筈も無く、現今の近代文明に慣れた人々にとっては、飲み水にも困るほどの劣悪な環境があるばかりだ。

それこそ一部の農耕地のほかは茫々たる大自然が広がるばかりで、そのような原始的な環境の中に、いたずらに大量の人間を移送して見たところで結果は知れているだろう。

現代人にいきなり原始人のような生活を強いれば、膨大な犠牲者が出るに決まっており、季節によっては大自然の脅威の中で全滅してしまうことさえあり得る。

文字通り「適者生存」の原則が大前提となってしまうのだ。

それは、まさに強い者勝ちの世界であり、弱者は自然淘汰される運命となるほかは無い世界だ。

無論、新田の目指す「大和文化圏」における公序良俗は、それを許すものであってはならない。

そのためにこそ事前に統治機構を確立し、かつ適正に機能させることによって治安の安定化を計り、国民の「生活」を公正に担保し得る環境を整備して置く必要がある。

その環境とは、国民個々に対して社会的な経済活動を許し、その経済活動の結果によって、消費物資の入手を可能ならしむるほどのものでなければならず、そこには道路さえ存在しない以上、膨大な社会的インフラの建設が急がれるのだ。

残された時間はごく僅かでしか無く、それも、何もかもゼロから始めなければならない以上、その困難さは想像を絶するほどのものになるに違いない。

何しろ、もし秋津州側が準備してくれている精細な基本データがなければ、測量のための基点から定める必要があり、場合によっては未知の病原菌ばかりか、襲ってくる猛獣対策まで考えておかなければならないのだ。

また、既に触れた通り、最低限のルールを民に示し、そのルールに則って国民の自侭な行動を規制することも一層必要になって来よう。

そうでなければ、強力な武器や腕力を持つ者ばかりが、暴力を行使して富を独占してしまうことになるのである。

そのようなものに対しては、「国家」はそれに勝るほどの「暴力」を以て対抗せざるを得ず、また、国家がそのように振舞うからこそ社会の安寧秩序が保たれる余地も生まれて来る。

言い換えれば、そのことこそが、「巨大な暴力を揮う権能を持つ国家と言う名の装置」を、我々自身が最初に必要としたそもそもの出発点でもある筈だ。

その国家と言う名の装置は、非常時ならいざ知らず、少なくとも平時においてなら、「法」によって制御を受けるべきものだが、その法と言うものの概念と成立過程が又重要な意味を持って来る。

一つには、『それが成文法であろうとなかろうと』、国民の大多数が共有し得る社会通念を基盤に持つ規律でありさえすれば、それこそが紛れも無く「法」と呼べるものである筈で、同時にそれは、その国の国民の立ち居振る舞いをも制御することに繋がるため、ひとしお重要なものにならざるを得ない。

ときにあたって、大多数の者が共有し得るほどの社会通念が定まっていない場合、多少乱暴ではあっても、統治者がそれを定めてやらねばならぬだろう。

それこそが、「統治」の統治たる所以なのである。

例えば「なんぴとも社会的に正統な経済活動によらずしてヒトのものを奪ってはならない。」と言うルールを示し、かつ規制を加えるためには、正統な経済活動の概念そのものを規定し、かつ国民個々の私有財産権を「統治者」があまねく保障する意思を示さなければならず、このこと一つとってもさまざまな障碍が生じてくることは想像に難くない。

少なくともその「統治」には膨大なコストがかかることは自明で、そのためにこそ徴税の必要が生まれて来るが、徴税に関するルール造りが又重要なものになって来る。

そのルールを持たなければ、統治者による恣意的な徴税が罷り通ってしまうことになり、納税者の負担はいよいよ過酷なものにならざるを得ないからだ。

まして、それ等のルールは基本的に国家単位で設定されるべきものであり、「領土」が国家成立の必須要件である以上、その範囲を明示すべき国境線が策定されている必要がある。

国家単位で設定されたルール(いわゆる国内法)が、当然の事ながら国境線の内側にのみ適用され、かつ実効性を持つものでもあるからだ。

さらには、自国領土ではない陸地(国境線の外側の領域)に対して国内法を適用させ、あまつさえ自侭に手を加えたりすれば、その陸地が無主の地ならいざ知らず、他国のモノであった場合、必ず巨大な紛争が発生してしまう。

今回のような特殊なケースでは、やりようによってはかえって喜ばれることもあろうが、かと言って、自国領と定まってもいないところを手当たり次第に整備してしまうわけにもいかず、結局のところ「そこ」を国際法上の自国領と確認してから仕事にかからなければならない。

しかし、事前にさまざまな環境整備を行うための膨大な「時間」が必要であることは明らかで、そうでありながら、一般諸国に分配される予定の陸地に関する分割方法が定まらない以上、いつになってもその作業に掛かれないことになる。

くどいようだが、その陸地の分配に関して、言わば現在の領主である秋津州国王が諸国家の合議に任せてしまっているのである。

それに対して全世界の合意など成る筈も無い状況が延々と続き、愚かにも手を拱いて滅びのときを待っているかのようだ。

無論諸国はそれぞれに、さまざまな配分案を持つが、全き一点に収斂するような気配は全く無い。


ちなみに、かねてより日本が提示しているそれなりの分割案があるが、その中の「新日本領」は新垣の郷(秋桜)から見て西方約五百キロほど離れた海域に、多数の群島を従えて北東から南西に向かって長々と伸びており、その総面積は、現在の日本列島と比べても概ね一割増の四十万平方キロほどのもので、挙句にその緯度上の位置付けはもとより、高低や山川の配置などの地勢面においても現在の本州に非常に似通っている。

その領域全体は、丹波の概略図においては一切銘打たれてはいないにもかかわらず、新田などは勝手に「敷島(しきしま)」と呼び習わし、今では最終的な日本領土と見なしているほどだ。

また、その「敷島」と言う領域における最大の島は、現在の本州の一.七倍にも及ぶ面積を持つ、言わば「敷島本島」と呼ぶべきもので、その本島の最南端から南西に千キロほど隔たったところに、「琉球島」と名付けた三千平方キロほどの島があり、更にこの琉球島と本島の中ほどにも五千平方キロほどの島がある。

その島を以て「奄美大島」と名付けたことも、近く去らねばならなくなる筈の大八洲(おおやしま)に対する新田と言う男のせめてもの鎮魂ではあったろうが、惜しいかなその近辺に連なる数多くの島々の命名にまでは手が回りかねているようだ。

なお、現実の沖縄県は大小さまざまな諸島によって構成され、その総面積は概ね二千三百平方キロほどのものだが、敷島と言う領域における琉球島はそれよりもなお大きいことに加え、堂々たる亜熱帯の陸地のことでもあり、新田のイメージの中では自然「新沖縄県」という位置付けになるのだろう。

尤も、そのイメージの中の新たな日本国の行政区分に、現状のそれをそのまま踏襲することに定まっているわけではない。

まして、「敷島」が諸国家に分配される側の領域にある以上、現状では、あくまでイメージの世界の話なのである。

日本の分割案が、「勝手に」主張しているだけのことなのだ。

散々述べて来た通り、諸国家に分配される領域の分割案について合意が成っていない以上、この「敷島」に対しても、外交上、インフラの建設工事に手を付けることは許されず、当然青写真(既に、かなり精密なものが出来てはいるのだが)の段階だ。

判り切ったことだが、国王の直轄領域外にある「敷島」が日本領になるとは限らないからだ。

現に英国や朝鮮共和国の提示している分割案においても、この「敷島」がそれぞれの自国領に比定されているくらいであり、結局この敷島の領有を主張している国が、少なくとも三カ国は存在していることになるのだ。

ちなみに日本案における新たな英国領は、この「敷島」のさらに西方にある島に比定されており、その又西方の大陸にEU諸国を、さらに西方が中露等に割り振られ、朝鮮共和国の領分などは、その新たな中国の東南部に突き出た半島に比定してある。

したがって、日本案の主張するところによれば、新たな朝鮮共和国領は、この敷島とは、はるかに離れた遠方にあることになる。

また、同じく日本案において合衆国の領分として比定した場所などは、馬酔木の山斎(あしびのしま)の東方四千キロほど彼方の大陸にあるが、その位置はともかく、合衆国自身はその面積の少なさにこそ主たる不満がある。

或いは台湾共和国の新領土として比定している島は、この場合の琉球島のそのまた西南に位置するが、中国の作成した案には、当然の事ながら「台湾共和国領土」など最初から影も形も無いのだ。

ことほど左様に各国の希望する分配案の中では千差万別の主張が交錯しており、いきおい、諸国間の合意は成らないことになり、同時に各国ともに自分の希望する「領土」に手を着けるわけにはいかない状況が続くことになる。

但し、国王の直轄領の内側のことでなら話は別だ。

新垣の郷、別名秋桜(こすもす)は歴然としてその直轄領の内側に存在しており、国王の許しさえあれば何をしようと自由だと言うことになる。

その前提で新田源一と言う日本人が直接国王から借り受けている以上、いつに新田個人の自由裁量にかかっていると言って良い。

その上で新田は、その島を「秋桜(こすもす)」と名付けたのだ。

くどいようだが、秋津州の「秋」と日本の「桜」を強く意識して名付けられたことは自明だろう。

そしてその秋桜のインフラ建設は、国王の助力を得て着々と進行し、既に一億数千万もの多くを「収容」し得る能力を具えつつあり、なおかつ数百万のヒューマノイド住民が居住している。

尤も、そのインフラの青写真は全て国井政権が中心となって描いたものである上、その中には皇居らしきものから、果ては数多くの巨大監獄施設まで含んでいた。

それらの施設は、本来の秋津州には不要のものであることから、このことは、国井・新田ラインの想念の中では、この秋桜を最終的な「新日本領」とせざるを得ない場面まで想定していたことの傍証にはなり得る。

とにかく、あとは時間との勝負と言うことになる。

日本案 (サムネイル画像をクリックし、別窓が開いたら、地図上でもう一度クリックして拡大してからご覧下さい。)

japanplan


その後、土竜庵における協議では、既に時間切れと見た上での行動予定まで策定しつつあり、その結果一旦敷島についての主張を棚上げにしてでも、とりあえず秋桜の環境整備に全力を傾注すべしとの意見が噴出するまでになった。

その場合、最終的な日本の領土が秋桜にならざるを得ないからだ。

当初、秋桜は日本人の避難先としては、あくまで予備的な位置付けであったものが、俄然前提が変化したことになり、総理の周囲においても決断を下すべき期限について検討が加えられ、その期限を概ね本年一杯とすることで合意がなされたが、正規の事務次官等会議はもとより、閣議にすら掛けられることは無かった。

現時点では、あくまで総理個人としての情勢判断に過ぎないと言って良い。

しかし、何をどう判断しようと、いずれ新天地への避難は避けて通ることは出来ない以上、遅かれ早かれやがて憲法は停止され、形式はどうあれ非常事態宣言がなされることになるのだ。

いざと言う場合の閣内不一致と情報漏洩の恐れもあり、場合によっては、全閣僚の辞表を取り纏め、異例なことながら、殆どの閣僚ポストを国井自身が兼務してでも強行する必要さえ出て来るかも知れないのである。

全ては、一人でも多くの日本人の生存を確保する為であり、国民個々の自由などは大幅に制限を受け、「公共の福祉」が社会の正面舞台に躍り出てくることになろう。

何せ、当該期間中は国会ですら閉じて置かざるを得ず、近いうちにも野党第一党との党首会談が内々でセットされ、非常の措置の避くべからざる所以についても、腹を割って話さねばならぬ時が来る筈だ。

そのタイミングによっては、一切が秘密裏に進行することもあり得るため、外見上、国井の独裁振りばかりが一層際立つことになってしまう。

数年前までのマスコミであったなら、嗤うべきに、一斉に国井総理独裁の非を鳴らし、その声は耳を聾せんばかりになってしまった筈だ。

だが、現実世界の総理たる者は、「より多くの日本人」を守るために必要なことなら、例え鬼と呼ばれようとも避けて通ることは出来ないのである。

何分、『国家の滅亡を防ぎ、その独立性を高め、一人でも多くの国民に、より一層の繁栄を齎すよう一意に努める。』と言う明確な国家目標が示されているくらいだ。

指揮官としての国井は、各省庁の柔軟かつ積極果敢な活動を可能ならしむるためには、無用の混雑と重複を避ける意味の統制を厳然と加える筈だ。

その「統制」たるや、一方的かつ激烈なものになってしまうことも目に見えており、特別会計、殊に年金会計などからは少なくとも百兆ほどは引き抜いて来る事になる上、民間からも相当の人数を強制的に徴用して対処せざるを得ない場面まで想定している。

そのいずれもが、現行の法制度に照らせばあからさまな脱法行為である以上、非公式とは言いながら、国井は総理として最後の腹を括ったことになる。

先ずは、新天地への避難行動に関し、二千八年の十二月一杯を以て国際的な協調路線を模索する道を振り捨て、我が日本は「独立国家」として独自の行動を採る意思あるを以て、諸国家に事前公告を行う覚悟を固めたのだ。

事前公告と言えば聞こえは良いが、いわば、一方的な宣言には違いは無い。

当然全人類が協調して避難することが理想だが、肝心の避難先についてその分配方法が合意されない以上、その理想を果たすことは出来ないのである。

観念的な理想論を追っているうちに国家が滅んでしまえば、全ては後の祭りなのだ。

その上、近頃ではガンマ線バーストが齎す被害規模に関しても、地球上の全生物が死滅するとまではされていないにせよ、かなり悲惨な情報が氾濫し始め、ビッグメディアの共同歩調にも一部綻びが見えるまでになって来ており、対応を誤れば数億にも及ぶ犠牲者が出てしまうだろう。

多くの情報において、少なくとも全人類の一・二割程度の犠牲者が出るとされているのである。

但し、このガンマ線バーストの影響はほんの数日間でやり過ごすことが可能だとされ、各国政府が巨大な地下壕を多数用意し、一時的な避難所としさえすれば救われる筈だと信じる庶民が殆どだ。

実際には、いずれの政府もそのような無駄なことは行ってはいないのだが、一般大衆からは、どこかしら目に見えぬところで、ひっそりと行われている筈だと考えられているのだろう。

一部のメディアなどは、その候補地として山岳地帯などを中心に多数列挙し、政府は、二千十一年の春先の竣工を目指している筈だとして、盛んに憶測報道を繰り返しているほどで大衆の目をますます曇らせるばかりだ。

まして、ガンマ線バーストがオゾン層を全て破壊してしまった結果、UVC波長の紫外線が数年規模で地表を直撃し続け、農作物どころか樹木や野草は勿論、象であろうがライオンであろうが、生き物と言う生き物を全て死滅させてしまうことなど知ってはいない。

だが実際には、そのような状況が数年規模で続くことによって、地中深く埋もれていた種子が奇跡的に芽吹こうにも、新芽が顔を出す寸前にも枯死してしまうような自然条件が形成されてしまうのである。

海洋域においても似たようなもので、海面付近に近づいたものは魚類や哺乳類は勿論、プランクトンまでが全滅してしまうことによって、食物連鎖の連環がその根幹において断ち切られてしまうのだ。

例え一部の人間が地下の避難施設に逃れ得たところで、数年、或いは十数年にわたる避難生活に耐え得るだけの水や食糧を含め、必要となるさまざまな生活物資のことを想えば自ずと結論が出て来よう。

まして、その後(最短でも数年後)、オゾン層が復活してUVC波長の紫外線を遮ってくれるようになったとしても、特別な施設に温存しておいた多くの種子を改めて植え付けなければならない上、土壌の表層部を作付けに適するよう改良してやらなければならない可能性が高い。

既にそこには、見渡す限り一本の草木も見当たらず、全地球的な規模で砂漠化が進んでしまっている筈だ。

人類の生存にとって極めて貴重な酸素を生み出してくれる植物が存在しないことからも、どう楽観的に見ても、人間が生き延びることは不可能なのだが、庶民の間では未だそこまでのことは知られてはいないのである。

余談だが、現在の秋津州財団では、いざと言う場合に備え、藍藻(シアノバクテリア)と言うものを大量に培養して研究しているほどだ。

このバクテリアが、地球において超古代より酸素発生型の光合成を延々と行い続けて来たことが、偶然とは言いながら、この大気を人類の生存に適するよう構成することに優れて功があったからだ。

無論、その他にも土壌の改良に益する種々のバクテリアや微生物の研究にもおさおさ怠りが無い。

国王はそれほどの覚悟を以て、財団にその方向性を与えている上、丹波の直轄領の海洋域では、とうに壮大な淡水化プラントが多数稼動しており、そこで造られる膨大な淡水が、各地の乾燥地帯に漏れなく散布され続けているほどで、丹波における国王のグランドデザインの壮大さがいよいよ偲ばれるばかりだ。

だが、現実の地球社会では、ガンマ線バーストに関する噂が相当な社会不安を齎し、為替市場においても既に秋津州円と共に日本円までが上昇に転じており、一般市場においても、PME型発電機を用いたサバイバル用品や保存食品などが好調な売れ行きを見せているほどで、マーケットの一部からは秋津州の公債発行を望む声までが声高に聞こえて来る。

それこそが、最も安全で確実な資産の保全手段だと見る者が圧倒的な存在になりつつあり、行き場を失った余剰資金が巷に溢れ始めるのも時間の問題で、秋津州商事の上場を期待するあまり、多数の証券会社が又しても神宮前に殺到してしまうことだろう。

この意味でも、日秋両国の信用ばかりがマーケットにおいて異様なほどにもてはやされ、早晩国際市場における好ましからざる不均衡問題が芽を吹き始めることは避けられまい。

土竜庵における協議においては、一刻も早く「正統な真実」を公表すべしとする意見が多いが、これだけは日本一国だけで行われるべきでは無いとする意見も少なく無い。

だが、既に舞台の開幕を告げるベルが鳴ってしまっていると主張する者もおり、この「公表」の問題一つとっても、最早時間の問題であることも否定し難いのである。

一部においては公然の秘密に等しいと言う見解まであり、それが証拠に、大都市圏の不動産価格が異常な値動きを見せ始めていると言うのだ。

尤も、具体的な対応策も定まらぬ内に各国政府が正式な「公表」などをすれば、一瞬にして地球上の不動産資産は無価値なものとなってしまう。

不動産担保を多く抱える金融業界も連鎖的に破綻してしまうことは目に見えており、続いて世界のマーケットが大崩壊に向かうことは避けられない。

来たるべき終末にあたり、各国通貨の信用力は失われ、殆どの場合物々交換に頼るようになり、決済手段として通用する通貨はごく限られたものになってしまうに違いない。

膨大な資金を用いて展開中の新天地報道作戦が着々と成果を上げつつあるとは言え、一般人にとって、その丹波も所詮二次的な住処(すみか)としか思えないのである。

言わば、未来の別荘のようなイメージを持つ者がほとんどなのだ。

まして、現実問題として、その緑溢れる新天地の分配は当分実行される気配は無い。

そうである以上、現時点で迂闊なことを公表すれば、確実に生き残れるのは秋津州と日本だと見る向きが少なく無いため、世界の通貨の内、秋津州円ばかりが圧倒的な地歩を固め、日本円がそれに続き、米ドルとユーロが辛うじて生き残れるかどうかと言う状況が到来する筈だ。

既に、株式市況は低調の兆しを見せ始めており、代わって美術品や金(きん)などの貴金属類が高騰してしまっているのも当然のことであった。

マーケットの一部が、既に恐るべき「未来」を知ってしまっていると言って良い。


二千八年の九月十五日、国王は地球暦で言うところの二十三歳の誕生日をつつがなく迎えたが、近頃の秋津州はいみじくも農繁期にあたっており、日々農地に出て真っ黒になって働く姿を見せていた。

確かな実りを与えてくれる秋津州の天地に感謝の念を捧げ、頑健な肉体を与えてくれた父祖の霊に祈りながら、ただ黙々と額に汗していたのである。

ここ数年におけるさまざまな農事は若者に更に多くのことを学ばせてくれた上に、少なくとも心の平安を齎してくれたことは確かであり、その意味では珠玉のような輝きを放つものであったかも知れない。

また、愛すべき家族や仲間たちの存在が我が身を奮い立たせてくれることも、骨身に沁みて痛感させられた。

多くの人々にとっても、家族や仲間たちの存在が極めて大きな慰藉を与えてくれるものである筈だが、殊に近年の若者にとっては、そのことを意識せざるを得ないような出来事が続いた。

一例を挙げれば、かつて秋津州戦争ののち、若者は何よりも大切な一族を外部から持ち込まれた病原菌によって失った。

それは、全て頑是無い幼童ばかりで、若者の保護無しには一日も生きられないものばかりであったにもかかわらず、あろうことかいちどきに死なせてしまったのである。

その後に至っては、天空のおふくろさまの体内の「はらから」まで全て失うに至った。

幼くして世を去ることになった一族に対する愛惜の念は、その後若者の心を甚だしく蝕み続け、その平衡を失わしめるほどのものであって、胸の奥の何ものかがこの地球を去ることを囁き続けたほどのものだったのだ。

あのときに味わった例えようもなく苦い想いは今もなお心の奥底に燻っており、少なくとも二度と繰り返したくは無いものであり、ときに、人目も憚らず茫然としてしまうほどのものだったことは確かなのだ。

そして、その苦い想いを薄めてくれたのは、誰あろう立川みどりと言う一人の日本人女性であった。

この、母の面影を宿した女性が与えてくれた慰藉は事更貴重なものであって、当時の苦しみから自分を救ってくれたことは確かであり、それ以来その女性の存在は二無きものとなった。

現在の若者にとっての仲間たちとは、一族と言い換えても良いほどの存在だが、彼女は若者の心のうちで、その一族のうちでも更に特別な存在となったのである。

その後若者は愛すべき妻を持ち、そして子を持った。

近頃では、みどりの養女のような立場にある幼子(おさなご)、佐竹有紀子にも出会うことを得た。

妻は勿論、真人(まひと)も有紀子(ゆきこ)もこの上も無く可愛い。

結局、このような一族に囲まれて暮らすことが、何にも勝るこの身の幸せだと改めて痛感させられるに至っているのである。

まして今は、妻の親族を始め新田や岡部、そして国井や相葉、或いは加納などなど溢れるほどの「一族」がおり、その一人一人がこよなき慰藉を与えてくれるからこそ、こうして生きて行けるのだ。

また、近頃では、新田や岡部が共に天からの授かりものがあったようで、その誕生も遠いことでは無いと聞き日々まことに心楽しいものがある。


そしてまた、新たに「仲間」になろうとする者がいる。

かつて朝鮮半島の霊光原発騒動の折り、日本の対馬にも膨大な放射性物質が降り注ぐとされたことにより、全島民の生命財産が非常な危機に晒されたことがある。

その上、絶えず付近の海上を膨大な難民が押し寄せつつあり、その上陸を無原則に許してしまえば、相手が相手である、かつて幾たびも味合わされたものと同様の無秩序と混乱が待っていることは明らかで、無論、現地の警察や消防にとっては手に余る事態だ。

文字通りの非常の時にあたり、現地を守るべきは陸上自衛隊の対馬警備隊だ。

その司令官として対馬駐屯地司令鹿島一等陸佐が、如何に決死の覚悟を定めようと、陸自の装備を以てしてもやはり手に負えないことは明らかであった。

新田は当時の革新系連合政権から逐われてしまった挙句、官邸に通ずる健常なパイプを見失ってしまっていたこともあり、祖国日本の危機にあたり現地との直接的な接触を持たざるを得ない。

野に下っていた国井とも計り、内務省の最上階から現地の鹿島一佐と緊密に連携し、問題の霊光原発を始め広範な領域に鉄壁の諜報網を構築しながら、膨大なSS六の動員を前提として全島民の避難対策を見事に具体化して見せた。

鹿島司令の手許には、数人の秋津州人女性を常に私設秘書のような形で引き添わせ、貴重な情報をふんだんに提供しながら万全の支援態勢をとったのだ。

おかげで島民は勿論、鹿島とその部隊は絶望的な状況から救われたことは確かで、それもこれも、全て、秋津州国王の決断と善意あっての賜物であり、現地責任者としての鹿島はよほど感ずるところがあったのだろう。

以来、そのことを以て深く徳として来たようで、今次、対馬駐屯地司令の任を解かれたことを機に、栄転の途を振り捨ててまでこの地へやって来たのである。

農事に打ち込む国王の噂を聞くに付け、愚直にもその傍らで農事を手伝いたいと言うのだ。

若者の方でもその人となりを良く承知していたようで、その願いを受け入れ相当な農地と山林の管理を任せたようだ。

その場合の農地と山林とは、主として玉垣の郷のものであったことがのちに判ってくるのだが、この時点では未だ話題にすらなってはいない。

ちなみに、この鹿島昭雄と言う人物は、軍人としての生き方に重きを置くあまり非常な晩婚を果たした。

四十をはるかに過ぎてからの結婚であり、その上既に十年に近い結婚生活を以てしても未だに子が無い。

夫婦二人暮しなのである。

一回り以上年下の妻笙子(しょうこ)は未だ三十路半ばの若さだが、不幸にして懐胎の能力を欠いてしまっていたようだ。

但し、夫婦仲は非常に良いとされ、真偽の程はさておき、自室には秋津州国王の名を掲げ二人して朝夕拝礼していると言う者もいるほどで、口の悪い同輩たちにかかれば、鹿島は秋津州教の信者だと言うことになるのである。

まあ百歩譲っても、この篤実な日本軍人が秋津州国王に抱いている心情は、信仰に近いものがあったことだけは確かだろう。

現に、その軍歴において最後を飾った対馬駐屯地司令時代についても、さまざまな証言がある。

当時副官を務めた与田三佐(少佐)と中井一尉(大尉)などの口を借りれば、その人となりを好意を込めて「最後の古武士」と呼び、それが初めて身も心も捧げたくなるような対象を見つけたと言うことになるらしい。

尤も、この最後の古武士自身、部隊指揮官としては勿論、個人としても、下士官や兵たちからも奇妙なほどに愛されていたようだ。

一佐(大佐)と言えば、軍隊においては兵たちにとって最早雲の上の人だと言って良いが、にもかかわらず、そうである以上、その人となりも推して知るべしであっただろう。

まして、この鹿島自身はもとより、かつての副官だった二人にしても、その全てが岡部や新田の道場仲間であったこともあり、そこにもまた格別の人脈の流れがあったことも軽いものでは無い。

そうであったからこそ、かつての壮大な対馬救出作戦が実現しようとしたのであり、岡部などに至っては、そこにも尽きせぬ宿世の縁(すくせのえにし)が隠されていたなどと言い出す始末なのである。


さて、またしても暦はめぐり、十月十四日の朝が巡り来った。

この日こそ天皇皇后両陛下による秋津州訪問の日であり、国王は早朝より妻子を伴い皇居を訪れていた。

無論、お出迎えのためである。

用意のお馬車には、両陛下の思し召しにより、おさなごを抱いた王妃の同乗が許され、十数人の扈従の人々は大小四台の車両に分乗し、軍礼装に威儀を正した国王が近衛軍を率い、馬上厳然としてお馬車の傍らにあって自ら警護の任についた。

双方の国家元首の立場は相互に対等とすべき通常の外交慣例から見れば、極めて異例のことであったにもかかわらず、秋津州側のスタンスは終始一貫していたと言われる。

それに、おさなごにとっての両陛下は名付け親でもある。

両陛下はおさなごを代わる代わるお抱きになられ、お馬車の中がまことに和やかな空気に包まれる中、いよいよ三日間にわたる旅が始まった。

全ては相葉と新田らの打ち合わせた通りであり、長距離の移動に際しては、その都度「特殊な瞬間移動」によって行われたことにより、各地において充分な休息時間を確保することが可能となった。

その旅程は太平洋上の秋津州に始まり、その後丹波の殆ど全てにわたった上、馬酔木の山斎(あしびのしま)のその名も高き宮島にさえ着地するに至ったのである。

その宮島では、百人を超すかんなぎどもが列を成して迎え、一行は即座に本殿と目されるところで休憩を取ったことにより、ひどく周囲を驚かせることになる。

これまで決して許されなかったことが、苦も無く実現したからに他ならない。

まして、巨木に囲まれて立ち並ぶ木の香も新たな建造物は、そのそれぞれが古代日本の香りを濃厚に漂わせるものばかりであり、一行の心を大いに和ませることに優れて功があったが、それとは対照的に、その内部においては極めて近代的な装備に満ちていることも知った。

何と、古式ゆかしい寝殿造りの高殿(たかどの)の中は、電力はおろか上下水道まで完備しており、お供の人々のための独立した生活空間まで整えられていた上、その空間のそれぞれが、あたかも高級ホテルのスィートを思わせるほどの設えだったのだ。

水辺近くに広がる数町歩(一町歩は三千坪)の耕地の傍らには、近代的な下水処理設備も具わっていたことに加え、運河付近では小なりと言えども真新しいドックまで見聞するに至り、磐余の池(いわれのいけ)に浮かぶこの孤島には、古代と近代の文明が渾然一体となって共存していることを思い知らされたのである。

続いて、一行が玉垣の郷を訪れたときには、多数の現地人を引き連れた鹿島夫妻の出迎えに会ったことも大いに話題になったが、大幅に生産調整中の多数の油井と共に、その地に広がる壮大な農地と巨大な備蓄倉庫の連なりが与えた衝撃も、決して小さなものでは無かったろう。

その備蓄倉庫群は見渡す限り延々と連なり、多様な穀物や原油は勿論、さまざまな天然資源で満ち溢れていたのである。

まして、現在の鹿島がその地で実行しつつあることの実態を知るに及んで、日本の食糧自給率の悲惨さをも想い合わせ、一行の感慨がますます深まったことは想像に難くない。

それはまさに、玉垣の郷における大規模な開墾と一層の農地改良であり、さらには近代日本の農法をその地に根付かせることにあったのだ。

聞けば、既に国王の指揮下で開墾事業の基礎的な大工事が完了し、その耕地面積は従来の数倍のものに成長しつつある上、一旦日本の優れた農法の導入に成功すれば、近い将来にも、この地の収穫量はカロリーベースで十億人を養うに足るほどのものになると言う。

この玉垣の郷は八雲島と馬酔木の山斎の中間に位置し、七十万平方キロと言う日本の倍近い面積を持ち、山々から流れ落ちる豊富な水系と共に画然とした四季をも具えていると言い、この点からもこの壮大な農地改良事業は優れて有望だと考えられているようだ。

一方で、大規模な開墾事業は樹木の大量伐採を伴ったが、今後発生するであろう爆発的な需要に鑑み、相当な木材の備蓄にも心を配っているのだと言う。

無論、この大工事が大地に残した爪痕は尋常なものではなく、植林事業にも鋭意力を注いでおり、一行は、ここにもまた、若き統治者の深慮遠謀があったことを想わざるを得ないのである。

次いで、丹波における両陛下の行在所(あんざいしょ)については、秋桜の首邑に設えられた御所と呼ばれる広大な施設が宛てられ、緑溢れるその内部は、電力を始め充分文化的な生活を営めるだけの備えを持っていたことに加え、東宮を始め多くの宮家が住まうに足る設えがなされていたことが、又格別の話題を提供した。

聞けば、その御所の全てが日本人の構想と設計によるものとされ、堀こそ穿たれてはいないものの、京都御所を思わせるような実に典雅な佇まいを持っていたのだ。

詰まり、その「御所」なるものは、万一の場合、直ぐにでも「皇居」となすことが出来るほどの構造と完成度を誇っていたことになる。

その上一行が目にした秋桜(新垣島)は、その全体像から言っても、既に「大和文化圏」の中核を担うに足るほどの圧倒的な機能を具え始めており、近代的な交通網や通信網はもとより、驚くべきことに人工衛星の運用にまで踏み込み、それが今では優に四十機を超えたと言うのだ。

さまざまの機能を持った人工衛星の中には、自然軍事的な意味合いを持つ物が多数含まれている上、放送通信衛星はもとより、いわゆるGPS(全地球無線測位システム)機能に相当するものまでが完成していると言う。

また、丹波全域の海底には無数の海底ケーブルが敷設され、一定以上の規模を持つ陸地には洩れなく到達している上、それぞれの沿岸部に設置された揚陸設備は、全てPME(永久運動機関)によって安定した電力を得ていることも知った。

尤も、そのケーブルを内陸部にまで隈なくネット出来ている陸地は、今のところ八雲の郷を始め、新垣の郷と玉垣の郷くらいのものだとは言うが、それにしても秋津州兵団の機動力が齎す威力は凄まじい。

又、これもまた国王の直轄領とされる南北の両極地にも八咫烏の旗を掲げた基地が備わり、地球に例えれば「月」に相当する唯一の衛星に至っては、その全てが秋津州兵団の衛戍地と規定されており、既に巨大な地下施設が稼動しているほどだ。

その衛星も又、月と同様に丹波からは概ね四十万キロ前後の距離を保って公転しているとされ、このような天体環境の中で、その衛星と丹波との中間当たりに巨大な宇宙基地が居座っていると言い、これもまた近頃地球付近から搬送されて来たものだと言う。

若者自身の説明によれば、この宙空の基地は第一の基地と称しており、やがて時期が至れば第二、第三の基地をも配備する予定だと言う。

その二つの基地(第二、第三の基地)は地球近辺で現に稼動しているものであり、そこに備わる備蓄施設の規模は玉垣の郷のそれをも凌ぐとされた上に、その移動と配備に要する時間はほんの数分で事足りるとしていた。

なお、この丹波と言う惑星は、太陽と良く似た主恒星を持つと共に、これまた地球と同様の星齢と質量及び体積まで有しており、その上、地球と良く似た運行形態をとっていることにより、その自然環境が地球に酷似した特質を具えていると言う。

若者は、その特質を以て、人類の避難先としての適否を判断したのだと言うが、まさにその通りの景観がそこにあったのだ。

原始的な意味に限れば、地球と丹波はそれほどまでに酷似しており、その丹波の中で秋桜と称する島が、いざともなれば日本人の全てを「収容」し得るまでに成長を遂げていたことも、決して小さなことでは無かったろう。

一行はこの旅を以て、これ等の事実を充分に体感した上、同時に国王の特異な心象風景にも存分に触れ得た筈だ。

無論、その心象風景の中に住まう日本観であり、対日姿勢にだ。

何しろ、その国王が終始両陛下に扈従して自ら警護の任に当たっていたほどなのである。

しかも、王妃とおさなごの姿も頻繁に両陛下のお傍近くにあって、真人などはその襁褓(むつき)の世話にまで、皇后陛下のお手を煩わせる場面があったくらいだ。

のちになって若者が密かに新田に語ったところによれば、この旅程で両陛下の慈しみのお心に触れることで、若者自身かつて経験したことの無いほどの心の安らぎを得ることが出来たと言う。

少なくとも若者の心情から言えば、天皇皇后両陛下の慈愛溢れるご愛情に包み込まれるようにして、この貴重な三日間を過ごしたことだけは確かなのである。

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  1. 2007/08/31(金) 14:27:50|
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