日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 103

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ただ、正規のテーブルにこそ乗らなかったものの、水面下においてはかなりの紛議を呼んだ話柄が存在した。

クルド人問題である。

ちなみに、現在二千五百万とも三千万とも言われるクルド人たちだが、彼等は自らの国家を持たない民族と言われて既に久しい。

祖国を持たない民族と聞けば、かつてはユダヤ人がその代表のように思い浮かんだものだが、今やこのクルド人こそがその典型だと言って良いほどだ。

彼等自身の持つ歴史では、遠い昔にイラン高原において自らの王国を築いたことになってはいるが、それも又遠い昔(BC五百五十年頃か)に、ペルシャのアケメネス朝の手によって滅ぼされてしまい、それ以来彼等は、二千五百年の長きにわたって自らの「統一国家」を持つに至らなかったことになる。

それもこれも、彼等がその時々に勃興して来る近隣諸国の狭間(はざま)で、「相対的に」固有の領土を確保するに足る力を持ち得なかったことに尽きるのだが、日頃この「固有の領土」の重要性に対する意識の希薄な人々にとっては、いかにも象徴的な事例になり得る筈だ。

民族性及び地政学上の宿命的な違いも無いとは言えないにせよ、結局彼等は、自らの国家を持ち得なかったがために、時の異民族政府からさまざまに気に染まぬ扱いを受けながら、自らを守る術(すべ)を持ち得なかったことだけは確かだろう。

なにしろ、その時代時代で、それぞれ多種多様の異民族による支配を受けざるを得ない状況が延々と続いてしまうのである。

古くは、ペルシャやモンゴル、近くは露英仏ソなどの冷徹な国家戦略によって或るときは蹂躙され、また或るときは散々に翻弄され続けた挙句、今では、トルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアなどの国境が交わる地帯を中心に、都合三千万人ほどが暮らしていると聞く。

いや、その言い方自体が、正しいとは言い難(がた)い。

より正確を期すならば、「クルド人たちから見れば、その古来の居住域の中に、他人さまが勝手に入り込んで来て、勝手に多数の国境線を引いてしまった。」と言うべきだったろう。

無論、その領域に棲む者はクルド人だけに限らないが、少なくともそれらの国境線をクルド人自身が望んだことなど一度も無かった筈だ。

自らの国家を持たないと言う負の遺産が彼等に齎したものは決して小さなものとは言えず、難民となって国外に流出して行く例も少なく無いとされ、諸国にとっても頭痛の種となってしまうことも多く、この点では日本なども無縁の問題だとは言い切れない。

現に、庇護を要すると見られるクルド系トルコ人が日本にも少なからず流入して来ており、それを国際法上の難民として受け入れるに際しては、その民の帰属する国家との外交問題に発展してしまう可能性も無視出来ない。

何故かと言えば、現行の難民条約で救済の義務を定めている「難民」とは、概して「人種、宗教、国籍、政治的信条等を理由に、自国政府から迫害を受ける恐れがあるため国外に逃れ出た者」とされており、そこに『経済的困窮者』と言う概念を含まない以上、流入して来る流民(るみん)を不用意に「難民」と認定することが、往々にして相手国の政府及びその国民の神経を逆なでする結果を招いてしまうからだ。

(筆者註:難民の地位に関する条約、第1条「難民」の定義一部抜粋。『人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの。』)

まして、相手国政府によるその流民に対する迫害の事実や「恐れ」など、滅多に立証出来るものでは無い。

当然そのことを公式に認めるような政府など有り得ず、殆どの場合、言わば証拠不十分なのである。

それでなお、迫害の事実ありと認定すると言うことは、例えは悪いが、言わば起訴されて来た刑事被告人に対して、確たる証拠も無いままに有罪判決を下してしまうに似ており、ましてこの場合の刑事被告人に例えている相手はれっきとした一国の政府なのだ。

この意味でも、短絡的な正義感や人情論を以てしては、到底埋め尽くせない問題を内在していることを忘れてはなるまい。

国家と言う装置が負わされている責務の一つが、対外的に自国の国益を守ることである以上、それは常に他国民の福祉にはるかに優先することは明らかで、外見上その流民が如何に哀れに見えたからと言って、無原則に庇護を加えたりすれば自国の国益にそぐわない事も出て来てしまう。

いずれの国であろうと、『自国の国益を大きく損なってまで』、他国の民を保護することなどあり得ないのである。

何を以て真の国益とするかは、人それぞれによって意見の分かれるところではあろうが、民意の最大公約数は、少なくとも、この国際社会の中の日本が、大きく国益を損なうことの無いよう務めることを政府に求めていることだけは確かであり、筆者にしても、出来ることなら、悲惨な運命に翻弄される「難民」には、無条件で手を差し伸べてやれるだけの国力をこそ持ちたいと願っているところではある。

詰まり、その「難民」を庇護した結果、その帰属国との関係が大いに悪化してしまったとしても、いちいち怯えずに済むだけの総合的な国力を具えることが望まれるのであり、単に口先だけで「社会正義」を叫ぶだけなら幼児にでも出来るが、それだけでは所詮空念仏に過ぎない。

いや、万一それが国益を度外視してのものであったなら、低次元の薄汚れた自己満足に過ぎないと言って良い。

とにかく、現実の国際環境の中で「正義」を行うにあたっては、最低限の総合的な国力と言うものが厳然として必要になって来るのだ。

国力と言う「力」の意味するところにはさまざまな響きがあり、中には真っ先に軍事力を思い浮かべてしまうヒトさえいそうだが、ことはそう単純なものでは無いだろう。

筆者が、国力を表現するにあたり、わざわざ「総合的」と言う修飾を用いたのはほかでも無い。

その「力」を支えるべきものが、まことに広やかな裾野を持ち、そこには一言や二言では言い尽くせないほど多くの要素が介在し、かつ複雑に絡み合ってしまっているからだ。

殊に現実の日本などは、周知の通りほとんど全ての重要資源を海外に求めざるを得ない自然環境を有し、この地政学上の宿命は我が国にとって凄まじいばかりのハンディキャップとなってしまっており、ときに、関係諸国との関係悪化によって「致命的な損失」を蒙ることさえあり、まして、この場合の「致命的な損失」の中には、戦争を以てしか突破口を見出せないほど深刻な事態が含まれることを忘れてはならない。

実際に、滅亡を賭して立ち上がらざるを得ないところにまで、追い詰められてしまってからでは遅いのだ。

無論筆者は、我が日本が、そのような戦慄すべき事態を招かざるよう願って已まない者の一人だが、ときとして、クルド人流民に対して難民認定を避け続ける日本政府のスタンスを捉え、闇雲に口撃を加える手合いを見るたびに、身震いするほどの怒りを覚えてしまうことがある。

その殆どは我が日本の弱体化を願う外国人の仕業だとは思うが、万一それが日本人であった場合などは、その者の掲げる正義の旗の裏側からは、売国奴の文字が透けて見えてしまうからであり、さもなくばその日本人が、意識すらせずに国を危うくしている余程の愚か者としか思えないからなのである。

さて、何れにしても余談が過ぎた。

要はこのクルド人たちが、ここに来て自ら固有の国家を持つことを前提としてさまざまに動いたことが重大であった。

国家を建設するためには、無論その領土無しに語ることは出来ないが、一方で、このたび丹波において、西サハラ等複数のアフリカ諸国やパレスティナ、台湾、イロコイ連邦などが、目出度く固有の領土を手に入れ、新たに通常の国家主権を持つに至っており、このことを契機として激しく動く者が多数を数えたのである。

無論、それらの動きに倣おうとしたものに違いない。

ときにあたり、日米欧の各地において、その政府や世論に大いに訴えたいところだったろうが、イスラエル建国の際のユダヤ人たちの場合とは大いにこと違い、彼等にそこまでの力は無い。

そのためには膨大なコストが掛かる上に、出国するに際し厳しく制限を受ける例さえあるのである。

彼等は、多くの場合先進各国の民と比べれば相対的に貧しい上に、無情にも国境線によって幾つもの集団に分断されてしまっているため、なかなか一つに纏まることが出来ないでいることも小さく無い。

結果として丹波における新領土の配分は世界的な合意の下で確定し、彼等の夢見たクルディスタン国は遂にその成立を見ることは無く、クルド人のための固有の領土は一寸尺度も認められることは無かった。

彼等は、これまで通り、現在帰属している諸国家の国民のままだと言うことになり、この状況に納得しない者の一部がワシントンや東京で動きを見せ、多少の世論を喚起することに成功したこともあり、七カ国協議の水面下で密やかな紛議を呼んだのである。

確かに地球上の世界においては彼等の希望を叶えてやることは出来なかったが、新たな枠組みを以て始まる丹波の新世界でならどうだろう。

せっかく世界の領土の枠組みが、言わば一斉にリセットされることになったのだ。

それを機に、何とかならないものだろうか。

そう言う心情を抱く者も少なくなかったのだが、かと言って、せっかく確保した新領土を自ら割譲してまで、その思いを実行しようとする者など無論一人もいない。

秋津州国王が全世界に向けて無償で提供してくれた八十パーセントの陸地は、一坪残らずとうに分配を終えてしまっており、それぞれの領土は、既にそれぞれの国家にとって他に代え難いものとなってしまっている現状では、それはそれで当然の成り行きではあったろう。

それに、彼等の望みを叶えることが、果たしてクルド人を巡る種々の人道的諸問題を解消する道に繋がるかどうかも大いに疑問だと言う声も無いではない。

仮に彼等に固有の領土を分配し得たとして、果たしてどの程度のクルド人がそこへ移住した上、統一国家の建設に情熱を以て邁進するのかも判然としないのである。

最悪の場合、既存の状況より、かえって事態を悪化させてしまう恐れさえあるとする者も出た。

くどいようだが、国家を建設し自立を果たすためには、物心共に莫大なエネルギーを要することは自明のことであり、少なくともそれは、その国の建設を目指す者たち自身が担わなければならないことなのだ。

そうでなければ、仮に新国家の建設が成ったところで、それはいわゆる傀儡国家でしか無く、いったい誰のための新国家なのかわけが判らなくなってしまうだろう。

各国にとってそこのところが最も疑問を呈するところであり、そのことに対する確信を得られない以上、その懸案はなおのこと正規の議論とはなり難い。

現に、独自の国家の樹立を夢見るヒトや民族は、彼等以外にも無数に存在すると言って良いが、その全ての望みを叶えてやる義務など、なんぴとも負わされているわけでは無いのである。

尤も、現実の日本人は、それよりも先ず自らの足元をこそ見るべきであり、無論それは、この日本にもれっきとした民族問題が存在することを以て述べていることなのだが、とにもかくにも本稿では、七カ国協議の舞台裏で行われた秘密会において、クルディスタン建国の夢が泡粒のように弾け飛んだことは確かだ。

ただ、今次活発に動いた在外クルド人の一部が土竜庵を訪れ、新田本人はおろか、相葉や秋津州国王まで交え、ひと時の懇談を持ったと言う噂が流れたことは確かで、やがてその話にはさまざまな尾鰭(おひれ)まで付いて広まって行った。


さて、十二月も十六日になって、興梠律子がいよいよ神宮前を出ることになった。

十日振りなのだ。

さすがにこの頃はマスコミの騒ぎも大分収まって来ており、ワイドショーに派手に登場する場面もとんと見掛け無くなって来ていたが、彼女の美貌と悪名は、それが飛び抜けたものであっただけに、なおのこと多くの人々の記憶に残ってしまった。

無論、彼女に関する報道が全く絶えてしまったわけではないが、秋津州商事の庇護を受けたことが知れ渡り、その巨額の宣伝予算が無言の圧力となって、メディアのスタンスを一変させてしまっており、少なくとも「稀代の悪の華」として、悪意に彩られたまま描かれることだけは無くなった。

今では悪女どころか多くの場合悲劇のヒロインでさえあり、記者会見の要望も無かったわけでは無いが、興梠自身、自戒を込めて思うところも少なくは無い。

そんなところへのこのこ出て行っても、一文の得にもならないと思うのである。

何しろ、なんだかんだ二十日間も騒がれちゃってもうこりごりよ。

芸能プロダクションとかも幾つも押し掛けて来たけど、時事ネタ絡みのキワモノ絡みで売り出して見たって先は知れてるだろうし、だいいち、よっぽど売れない限り、いくらももらえないみたいだし、いくらなんだって、そんな話にほいほい乗っちゃうほどバカじゃないわよ。

単に有名になりたいだけなら、とっくの昔に有名人になっちゃってるんだし。

考えてみりゃ笑っちゃうしかないけど、あたしの商売じゃ、いろんなお客さんと知り合いになっちゃうのは仕方の無いことだし、たまたまその中の一人が、とんでもないことを仕出かしてくれただけの話なのだ。

それを、いちいち弁解なんかしてらんないわよ。

ほんと、ばかばかしい。

神宮前に滞在中は、週刊誌やテレビの取材の話だって、全部千代さんに頼んで断ってもらっていたから、ほとんど何にもすることが無かった。

世間では丹波景気とか言って大分盛り上がってるみたいだけど、それに比べて神宮前の暮らしは嘘みたいに静かだったし、毎日、テレビを見たり週刊誌を読んでるほかは、精々敷地内を散歩するくらいで、とても退屈していたところに、かねてスナック葉月に徒歩で通える範囲で捜してもらっていた部屋が見つかったのだ。

1DKで小さなお風呂の付いたその部屋は、今の自分にはとても手頃に思えて、多少家賃は高かったけど一発で気に入ってしまった。

ほんとなら不忍池(しのばずのいけ)が見える立地なのに、実際はほかのビルが視界を遮っちゃってて、まるで見えなかったのにはちょっとがっかりだったけど、それでも一年振りに自分の城を持てたことで、るんるん気分で引っ越しを終えたところなのだ。

引っ越し荷物も運んでもらったし、敷金前家賃のたぐいも全部美智子ちゃんに払ってもらっちゃったし、おまけに、とりあえずの二百万は勿論、おまけの分までちゃんとバッグに収まってるんだから。

流石に保証人だけは葉月ママに頼んだけど、明日からスナック葉月でもう一度頑張ることになってることだし、予想通り気持ちよく引き受けてもらえた。

とにかく、今日から気楽な一人暮らしに戻れたのだ。

神宮前で使っていたあの部屋は、しばらくこのままにして置くから、いつでも戻ってきて良いって言われてるけど、そんなこと言ったって、十日もあそこにいて正直退屈過ぎて困っちゃったわよ。

また、お小遣いをねだりに遊びに行くつもりでいるけど、それにしたって、せいぜい一泊二日が良いとこね。

尤も、その一泊が新しいお小遣いのタネなんだけど。

あの人からの贈り物はドレスとかバッグやアクセサリーだけ届いてたから、全部持って来たけど、成人式用の振り袖一式だけは未だだから、どっちにしてもその内取りに行かなくちゃ。

美智子ちゃんの話なんかじゃ、かなり上物(じょうもの)の振り袖らしいし、仕上がりは年明けになっちゃうって言ってたけど、いくらなんでも本番の成人式には間に合うでしょ。

なにしろ、特別の絹らしいし、なんか良くわかんないけど、テンサン(天蚕)とか言って、「繊維のダイヤモンド」とか呼ばれてるめちゃくちゃ高いものだったみたい。

それが、「天蚕三代(てんさんさんだい)」って言われるほど丈夫で長持ちするらしくて、美智子ちゃんなんか、それだけで一財産だって言ってたくらいだし、その点でもとっても待ち遠しい。

前は成人式なんて興味無かったけど、いざ着て行くものが揃ったとなると、やっぱり着てみたくなっちゃうから不思議よねえ。

先に届いたドレスなんかも、それ系だって言うし、ほんと素晴らしい光沢があって、肌触りなんかとってもしなやかで柔らかくって、試してみたら普通のシルクと違って確かに皺(しわ)になり難くて、もう良いとこだらけで嬉しくなっちゃったわ。

美智子ちゃんなんか、着物にしても洋服にしても、それ系のもの、いっぱい持ってるらしいし、あたしももっと頑張らなくっちゃ。

夕べ最後だと思って、美智子ちゃんにはあたしの気持ちを伝えてあるけど、ほんとにあの人にお礼に行かなくていいのかしらねえ。

彼女の話では、あの人もみどりママもとても忙しくて当分無理らしいけど、テレビなんかで見たら、むちゃくちゃ忙しいって言うのもほんとらしいし、でも、あんまり忙し過ぎて体調崩しちゃったみたいで、今週中はどっかで静養だって言ってたから、お見舞いに行きたいって頼んでみたけど、やっぱりダメなんですって。

あたしの方は、あの人が呼んでくれれば行っても良い気でいることだけは、はっきり言ってあるんだし、あの人となら、なるようになっちゃったってちっとも構わないってことまで匂わせたつもりなんだけど、ちゃんと伝わってるかしら。

その点、相当気になることも言ってたっけ。

ちょっとびっくりしちゃったけど、近いうち美智子ちゃん自身が、あの人のお側付きになるみたい。

なんでも、あののっぽで有名な三人組の秘書さんたちと交替で、秋津州財団総裁秘書のお仕事に専任されるみたいで、何気にさらりと言ってたけど、ほんとはうれしくてたまらないに決まってるわ。

だって、あの人のお国では憧れの職業だって自分で言ってたくらいなんだもの。

でも、何から何まであたしとそっくりで、おまけに二つも若いんだもの、そんな子があの人の側に、日がな一日じゅう、べったりくっついてるだなんて、どう考えたって引っ掛かるわよねえ。

そのくらいなら、いっそこのあたしがって思わないことも無かったけど、そうすると又あのお勉強の話がぶり返しちゃいそうだし、そう言えば、あの人がオーナーやってる会社に勤めるとか言う話、あれっきり全然出てこなかったなあ。

月給百十万ってとこだけは魅力あるんだけど、どうやら難しいお勉強させられちゃいそうだし、それだけは絶対ご免だわ。

だいいち、今さら小難(こむずか)しいお勉強だなんて、考えただけで寒気がして来ちゃうわよ。

前にその話になったとき、勉強は絶対嫌だって言ってあったのが効いたのかしら、誰も二度と言い出さなかったし。

まあ、こっちとしては、それで助かったんだけど。

でも、美智子ちゃんには参ったわ。

からかい半分に「お側付きになったとき、あの人に手でも握られたらどうすんの。」って聞いてみたら、とたんに耳たぶまで真っ赤になったと思ったら、逆に抜け抜けと「どうしたらそうなれるか教えて欲しい。」だって。

憎らしいったらありゃしない。

まったく、聞いて損しちゃったわよ。

それに、美智子ちゃんったら、あんまり真剣なんだもの、こっちの方が困っちゃったくらいだわ。

話だと、美智子ちゃんのうちは相当のお金持ちだったらしくて、教えてくれたらちゃんとお礼するって言うし、ほんと考えちゃうわよねえ。

でも、考えてみればまるまる十日間も付きっ切りで面倒見てくれたんだし、話によっちゃ相談に乗るわよって言ってあげたら、大喜びで乗って来たっけ。

こないだの、あと一億でも二億でもって話だって、この流れだと今後は美智子ちゃんちでそっくり持つことになるみたいだし、親御さんの方もよっぽど入れ込んじゃってるみたいなのよねえ。

あるとこには、あるものよねえ。

それに、話を聞いてて一番不思議だったのは、そこまで入れ込んでるわりに、正式な奥さんになってやろうって気構えが全然感じられないことだ。

美智子ちゃんはお国ではちゃんとした家のお嬢さんで、それも未だ十八なのに、どうやら最初から諦めちゃってるみたい。

どうも、親御さんの言い付けもあるらしくて、ただもう、ひたすらあの人の子供を産みたいだけみたいに聞こえちゃうし、考えて見ると、ひどい親もあったもんだわ。

いったい全体、自分の娘をなんだと思ってるんだろ。

まったく、信じらんない。

これだけは、どうにも納得出来ないわ。

それで、多少いらいらしながら聞いてみた。

「要するに、どんな風にやったらあの人をその気にさせられるか、教えてあげればいいのよね。」

「はい。」

「でも、今のあの人は、遺骨の入ったロケットを身に付けていて、しょっちゅうご免ねご免ねって謝ってばかりいるんでしょ。」

王さま本人は、とっても純情なのよねえ。

あたしなんかから見たら、そこんとこが一番好きなんだけどなあ。

「そうなんです。」

「やっぱり、あんたじゃ難しいと思うわ。」

腹立ち紛れに、少し冷たく突き放してやったわ。

「やっぱり、あたしなんかじゃ無理なんでしょうか?」

そうよ、あんたじゃ無理なのよ。

おやおや、この子、しょんぼりしちゃったよ。

「でも、そう言ってても話は進まないわよねえ。」

お礼だって欲しいしさ。

「はい。」

「結局、その遺骨を手放す気持ちに持って行くまでがたいへんなのよねえ。」

「はい。あたしもそうだと思います。」

この子はもう、バカ正直に目を輝かしちゃってるのだ。

「あたしだったら、あの人のお母さんになったつもりで、ほんと、痒いところに手が届くって言うか、とにかく一生懸命お世話してあげてさ、ほんわかムードで優しく包み込んであげるわね。あんまりお色気ムードは出さないでさ。」

「あら、お色気はダメなんですか?」

「そりゃそうよ。相手がそんな気分でいるんだもの、中途半端なお色気なんかじゃ、かえってダメんなっちゃうと思うのよね。」

「え?」

「それより、二人っきりになれることなんてあるのかしら?」

そこんところが肝心だ。

「それは、だいじょぶだと思います。」

「そうか、まわりの協力体制もとっくに出来ちゃってるってわけかあ。」

美智子ちゃんちじゃ、あっちこっちお金ばらまいて、きっと必死なんだろなあ。

どっちみち、ばっちり準備が出来ちゃってるみたいな感じだし。

「はい。」

あらあら、ほんとに正直なんだから。

「じゃ、そんときに思いっ切りお色気ムードで迫るのよ。だって、正式な奥さんになるわけじゃないんでしょ?」

「そんなの最初から諦めてますから。」

そりゃそうよ、絶対諦めるべきなのよ。

「だったら、思いっ切りやってもだいじょぶでしょ。」

「普段はお母さんで、二人っきりのときは・・・・」

「そう、思いっ切り。」

「例えば・・・・」

真剣な目をするのである。

「ふうん、美智子ちゃんに出来るかしらねえ。あたしなら簡単なんだけど。」

「教えて頂ければ、あたし、どんなことでもするつもりでいるんです。」

まったく十八かそこらでいい根性してるわ。

でも考えてみたら、あたしなんか十六のときにゃ、もう立派に一人前のオンナやってたし、とてもヒトのことなんか言ってられないと思ったら、途端に可笑しくなっちゃったけど。

それから、いろんなテクニックを教えてあげたんだけど、究極のテクはさすがに美智子ちゃんの見てる前じゃ恥ずかしいし、やりにくいし、どうしようかと思ったら、席を外すから窓の月で撮影させて欲しいって言われちゃった。

でも、撮影なんかされちゃった日にゃ、それこそあとが大変だし、やっぱり考えちゃうわよねえ。

そしたら、見るのは自分とあの人の二人だけだからって言われて、もう一度考えちゃったわよ。

お礼だって魅力だし、おまけに、このあたしの自信の艶技を見たら、美智子ちゃんよりあたしの方にご指名がかかるに決まってるんだし、こっちは、いつだってオーケーなんだから。

なにしろ、相手は世界でもダントツの大金持ちで、若くてたくましくて、その上顔だってあたしの好みなんだし、お妃さまだなんて窮屈なものにはなりたくもないけど、気楽な隠し妻なら大歓迎よ。

最低でも、一生贅沢していられることは間違いないだろうし。

念のため、窓の月も未だ持ってることだし、何かあったら美智子ちゃんが知らせてくれるって言ってたし、でも、いつごろになったら、あの人が見ることになるのかしら。

美智子ちゃんがいくら真似したって、絶対あたしの勝ちなんだから。

そうしたら、きっとあたしの方にお座敷が掛かるに決まってるんだし、ちょっと考えただけで、ほんと、うずうずしてきちゃう。

でも聞いたら、あの人と二人きりになるって言ったって、別にあの人の寝室に呼ばれるってわけじゃ無さそうだし、昼間のお仕事中の話だったらしい。

要するに、最初は文字通りのオフィスワイフを狙い目にしてるってわけよね。

結局、その前提でいろいろ教えてあげないといけなくなっちゃったし、とりあえず、来週までにいろいろお洋服とかも用意しといてもらって、早速日曜日にでも行って来なくちゃ。

話の様子だと、あたしの舞台用に本格的なオフィスみたいな部屋を用意する気でいるみたいだから、きっと明日から模様替えで大騒ぎになっちゃうんだろう。

普通、そこまでやるかあ。

まあ、どっちみちあたしのお金が減るわけじゃないんだし、どうせ美智子ちゃんじゃ無理に決まってるんだから、結局最後はあたしの出番だわよね。

今度行くときは、それこそ腕によりを掛けて名艶技をご披露しなくっちゃ。

美智子ちゃんの場合、耳学問ばっかりでほんとなんにも知らないんだから、とにかく脱ぐことばっかり考えてちゃダメよって言ってやったらきょとんとしてたっけ。

脱がない方がかえって色っぽく出来るんだってとこ、実際やって見せるしかないわね、きっと。

だいいち、そう言うシーンほど撮影したがるんだろうし、ま、こっちとしても、それだけいい稼ぎになるんだから、悪い話じゃないんだし。

ほんとは、あたしがあの人んところへ出かけて行って、じかにやって見せちゃった方が話が早いのに、ああっ、じれったいわねえ。

それに一回も会ったこと無いのに、こんなにたくさんもらっちゃったんだし、いくらなんでもお礼ぐらい言わなくちゃ申し訳ないだろうし、それと、話だとみどりママも体調崩しちゃってるって言ってたけど、相当悪いのかしらねえ。

どっちにしても、お見舞いは当分無理だって言われちゃってるしなあ。

あとは二・三日うちに、理沙姉さんにお礼かたがた挨拶しに行っとかなくちゃ。

一応、何日か前に電話でお礼と近況報告は済ませてあるけど、なんてったって、今度のことでは、取っ掛かりは全部理沙姉さんにお世話になってるんだもの。

新しい携帯の番号は、今のところ葉月ママと美智子ちゃんにしか教えてないけど、出来たらあの人にも教えておけたらなあ。

でも、あの人からメールが来ちゃったらどうしよう。

そう考えただけで、体の芯に火が着いちゃったみたい。

営業用のもう一本には、もう五十人くらい登録済ませちゃったし、とりあえずあとは、すこしばかり食材とか調味料とか、あと台所用品とかも揃えなくちゃ。

クローゼットハンガーなんか、神宮前で使ってた立派なヤツをそのまま貰ってきちゃったことだし、それと、テレビと冷蔵庫と洗濯機と、ええとエアコンと掃除機も要るわよねえ。

ドレッサーと炊飯器だけは、葉月ママがお引っ越し祝いにくれるって言ってたから、あとはレンジと、ちょっと狭くなるけど出来たら乾燥機も欲しいところだし、ちょっくら秋葉原まで行って来るとするかあ。

律子の懐は、しごくあったかいのである。


顔を直してるところに、まことに賑やかなお客さんだった。

外の通路から聞き覚えのある声が聞こえたと思ったら、もう業者さんがさっさとドレッサーを運び込み、その後ろからママと娘の咲ちゃんが両手にいっぱい持って来てくれたのだ。

「なんだ、もうすっかり片付いちゃってるじゃないの。」

「だって、ハンガーにみんな掛けちゃったから、あっと言う間に済んじゃったわよ。」

なにしろ荷物ったって、ほとんど衣装と靴ばっかりなんだもの。

「おやあ、ずいぶん立派なクローゼットハンガーじゃないか。どっから、かっぱらってきたのよ。」

「あはは、けっこう上物でしょ。ついでに貰ってきちゃったのよ。」

「そかそか、じゃ、雑巾いっぱい持って来てやったから、さっさとやっつけちまうか。」

ママったら、ほんとに働き者なんだから。

咲ちゃんを追い立てるみたいにして、あっという間に雑巾がけが終わっちゃったと思ったら、今度はメジャーを取り出してあちこち計り始めた。

咲ちゃんが長い手足を伸ばして寸法を取り、そばでママがいちいち指示を飛ばしながらメモしてる。

きっと、冷蔵庫とか洗濯機だとかの置き場所のサイズなのよね。

でも咲ちゃんには、おどろかされたわ。

一年ちょっと見ないうちに、あたしよりおっきくなっちゃってて、おまけに見事な娘に成長しててほんとにびっくりしちゃった。

この前会った時は、確か未だ十五だった筈で、聞いたら丁度昨日が十七歳の誕生日だったらしいけど、それにしても、まるで蛹(さなぎ)が羽化して、鮮やかな揚羽蝶になっていきなり飛んで来たような気分だ。

女のあたしから見てさえ、まったく素晴らしい美人になっちゃってて、あたしだって未だ負けてないとは思うけど、これじゃもうちょっと経ったら判んないわよね。

つくづく見直しちゃったわよ。

未だ腰や胸なんかがイマイチ育ちきって無いのは仕方ないけど、プロポーションなんかもう信じらんないくらい。

ほんと、こう言う子見ちゃうと、あたしもそろそろ引退かなあ。

ま、いろいろお手伝いもしてくれたことだし、ようし、一日遅れのバースデイプレゼントにお寿司でも奮発するとするかあ。

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  1. 2007/10/01(月) 17:17:20|
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自立国家の建設 104

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さて、かの白馬王子が言わば腹立ち紛れに興梠律子暗殺指令を発したことは既に述べたが、その意を受けて日本国内で策動していた者たちが、十二月も十九日になってから十数人も検挙された挙句、全員が国外に追放されると言う動きがあった。

退去強制と言う法的措置が即座にとられた事になるが、無論、岡部たちが眦(まなじり)を決して追捕した結果だ。

その後相当数の同類の者が資産を整理して出国して行き、その全てが特別永住権を持つ韓半島系の「外国人」だったとは言うが、彼等もまた「好ましからざる行為」を働いた廉(かど)により、これ以上日本国に住まいすることを拒絶された者たちだ。

日本国政府がその外国人の滞在を日本国の利益に合致しないと判断した結果ではあるが、この場合の「国益」は、その時々の国情によっても千差万別であることから、この判断の基準はいずれの国家といえども厳密に明示することは無いのである。

とにもかくにも、多数の在日コリアンが日本国政府から滞在を拒否され、出国を余儀無くされたことは確かであり、日本政府による異民族に対する迫害行為だとして、一部に抗議行動を起こす者も現れた。

しかし、この日本には現に膨大な朝鮮系日本人(帰化人)が善良に暮らしており、そのような「日本人」が政策的に差別されることが無い以上、ことは民族問題ではなく、国籍、国境問題であることだけは確かだろう。

また同じ頃、意外な人物が意外な形で報道画面に登場して、大きく巷の興味をそそることになる。

何と、人権派で鳴らした増田義男弁護士が逮捕されたと言うのだ。

増田弁護士と言えば、あのテロリストに対する支援を大声で叫び、その後、ろくな根拠も示す事無く秋津州の自治体を露骨に誹謗中傷し、その名誉を一方的に傷付けたばかりか、そのことを以て拘束されることを嫌い、秋津州への再渡航をひたすら避け続けて来た人物でもある。

現在その自治体は、貴重な証人である久我正嘉氏の回復を待っているとされ、テロリストに対する審理は未だ始まってはいないにもかかわらず、この人権派弁護士は、この件に関してはその後全く鳴りを潜めてしまっているのである。

自ら威勢良く宣言した筈の人道上の支援と弁護活動とやらを、実質的に放棄してしまっていることになるであろう。

そこへ持って来ての突然の逮捕劇である。

そもそもその人物は、元来激烈なまでの正義感の持主だった筈が、呆れたことにその容疑は詐欺横領であり、友人の弁護士が破産管財人を務める企業の資産を詐術を以て横領していたことが発覚したのだと言う。

その友人の場合破産管財人とは名ばかりのもので、実際には増田が仕切って来ており、その立場を利用してかなり悪辣な手法で懐を肥やしていたことを見れば、社会正義を大声で唱える身としては、あるまじき行為であることは確かだ。

しかも、報道によると、増田義男と言う名はいわゆる「通名」だったと言い、従来であれば、この程度のことで特別永住権を持ったコリアンの本名まで報じることはあり得ず、この意味でもメディアのスタンスが大きく様変わりしていたと言うべきだろう。

この人物は、今回の逮捕も日本政府による卑劣な迫害行為だと主張し、徹底的に争うと息巻いているとされたが、反面その犯行があまりに歴然としてしまっていることから、せいぜい法廷における引き伸ばし戦術をとるくらいが関の山だろうと言う声がほとんどだ。

この引き伸ばし戦術を想起して税金の無駄遣いだと叫ぶ声も聞かれる中、あろうことか、余罪として、同様の手口を用いて多額の金品を拐帯(かいたい)していた別件まで明るみに出る始末で、少なくとも、「人権派弁護士」の金看板だけは見事に剥げ落ちてしまったことになる。

この人物が、本来最も崇高なものであるべき、「社会正義」や「人道」、そして「人権」などと言う錦の御旗を、不遜にも泥靴で踏みにじったことは確かであり、メディアなどでは、「人権派」ではなくて、「人権屋」だと言う声が多く聞かれるまでになり、少なくとも「人権」を商売のタネにしていた事実だけは覆うべくも無い。

所属する弁護士会は未だ時期尚早だとして処分を行う気は無さそうだったが、メディアにおいては、少なくとも特別永住権の剥奪だけは即刻行われるべきだとする論調が溢れた。

無論、その「素行が善良では無い」からである。

また、そのほかにも各地で摘発が進み、半島系「外国人」が特別永住権を失うケースが多数にのぼり、その全てが即刻出国を強制され、二度と入国を認められることは無い見通しだ。

無論その多くが官邸の対策室の手になるものであり、岡部がこの作戦にこれほどまでの執念を見せるには、当然それなりの理由があった。

実は、昨今白馬王子が新たに重大な密命を下していたことが判明しており、岡部にとっては殊にその内容が大問題だった筈だ。

無論、その情報も全て秋元京子氏から齎されたものであり、それによれば、何と、その独裁者がテロリスト朴清源ばかりか、秋津州国王本人の暗殺まで命じていたのだ。

彼が、かつて公文まで交付して、或いはテレビ画面に自ら登場してまで、そのテロリストが朝鮮共和国籍を持たないことを大声で主張しておきながら、英雄朴清源将軍の身柄奪還を叫ぶ民衆の声に押され、一転してその者が自国の国民であるとして、その身柄の引き渡しを要求するに至り、その結果、立ちはだかる秋津州の壁の前で立ち往生を余儀無くされていると言う構図が一方にある。

海都の朝鮮共和国代表部のものが、本国政府の意を受けて、秋津州の外事部に何度足を運んでも結果は変わらず、哀れにも彼等は、本国からの訓令に追い立てられ、焦りと困惑のあまり哀訴までして見せたのである。

しかし、その後も秋津州側の姿勢に変化の兆しは見られず、「その件は、貴国の公文によって全て解決済みである。」と繰り返すばかりで、しまいには、「判断に窮するほど難解な判断ならいざ知らず、今回のような単純極まりない案件においてすら、貴国の公文は信頼性に欠けるものなのか。」とクソまじめに聞き返される始末だ。

いざ正統な公文ですら信頼出来ないとなれば、今後その国の言い分になど耳を傾ける者は一人もいなくなってしまうだろう。

結果として、秋津州の鉄壁の構えばかりが傲然と聳え立ち、その前で哀れに居竦(いすく)んでしまっている者の姿が、いよいよクローズアップされてしまう。

それもこれも全て白馬王子の身から出た錆だとは言いながら、門前払いに等しい扱いを受け続け、それは誰の目にも国辱としか写らないものである上、その国の民衆だけに限らず、世界の注視まで浴びてしまっていることがひとしお屈辱的な風景で、今や白馬王子は否応無く世界の晒し者になってしまっていると言って良い。

したがって、その男が袋小路に陥ってしまった結果、突破口を求めて又しても狂気を発したと見るほかは無く、いずれにしても、苦し紛れに放った暗殺指令だったことは確かだろう。

とにかく、秋元女史が齎した歴々たる証拠が眼前にある。

岡部たちが検証したその映像情報は、紛れも無く本物の白馬王子とその側近の姿を捉えたものであり、そればかりかその音声まではっきりと聞き取れるほどのもので、ある程度予測していたこととは言いながら、岡部たちを戦慄させるに充分な効果を発揮した。

岡部は、この秋津州一郎と言う友人には一個人としても無論深い友情を感じているが、問題はそれだけにはとどまらないのだ。

例の「大帰化」以来、日本の法制度上も、その親友はれっきとした「日本人」なのである。

その親友の生存を脅かしている相手がれっきとした他国の政府である以上、日本国政府が、その日本人の生命財産を守ろうと努めることは当然過ぎるほど当然だ。

まして、丹波の一件がある以上、今それを失うと言うことは日本国にとっても、国家的損失に繋がってしまうことは明らかで、岡部にとってその陰謀を阻止することは、その職責から言っても最優先課題なのである。

対策室にとっても堂々たる公務だと言って良い。

無論、土竜庵でも重大な関心を以て注視しているが、かと言って、岡部や新田に出来ることは哀しいほどに少ない。

殊に、秋津州国内に関しては全く無いと言って良い。

既に、秋津州軍が鉄壁の構えをとっている筈であり、新田も相葉も、下手に動けばかえって足手纏いになってしまうことが目に見えているからだ。

しかしながら、今回の暗殺指令の件が一旦表沙汰になってしまえば、その結果は国際社会にとっても恐るべきものとなってしまう。

この場合の「表沙汰」とは、朝鮮共和国政府がその事実を公式に認めた場合のことであり、通常ならあり得ないことだが、相手側の狂気の構造から言って、あながちあり得ないことでも無いのである。

とにかく、通常の感覚から言えば、常識外の行動ばかりが目立つ相手なのだ。

今回も、朴清源将軍奪還を望む民意を迎えるために、自暴自棄の行動をとらない保障は無い。

無論、朴清源に対する暗殺指令は伏せられ、秋津州国王に対するものだけが公表されるのだろうが、万一そうなれば、その暗殺指令が相手国政府の正式方針となる以上、秋津州側はいやでも宣戦布告と受け止めざるを得ない。

殊に丹波への移住問題を抱える現今の情勢では、誰しも「戦争」など望んでいる筈が無く、ただただ、異様な緊張感の中で時が過ぎており、このような切り口だけで見れば、如何にも不穏な空気ばかりが目に付いてしまうだろうが、一旦日本の庶民レベルに目を転じれば、その実態は全く異なるものであった。

それも、驚くほどに違っていたのだ。

実はこの頃の日本は時ならぬ好景気で沸き立ってしまっており、その多くは「敷島特会(しきしまとっかい)」に負うところ大だとされていた。

この特別会計は、十一月の初頭、日本が敷島の委譲を受けると同時に臨時国会において全会一致で新設されたもので、これが財政的にいよいよ一本立ちを果たすことになったのである。

国井は、かねてより敷島の諸権利を財源とする「敷島整備計画実施に関する特別会計(略称:敷島特会)」の新設を模索していたが、新領土の正式委譲を機にその正当性を改めて主張したことになる。

かつての財政投融資制度の復活を唱える閣僚もいなかったわけではないが、当時の国井はとうに年金会計にまで両手を突っ込んでしまっており、実質的な財政投融資制度が復活していたも同然だったのだ。

無論、非合法であり、それでもあえて実行したところに並々ならぬ国井の決意があったと言うべきだろうが、実はそのときに出来た年金会計の綻びも今は立派に癒えている。

無論、手品のタネは例の秋桜資金ではあったが、その後敷島の整備が国王の支援によって思いのほかの進捗振りを見せてくれたため、石油を含むさまざまな鉱物の採掘権はおろか、広大な大地の資金化も極めて有利に運び始め、ここに来てようやく敷島特会の金庫を満たしてくれるまでになったのだ。

その特別会計は、敷島の先行性が大きく評価されるに従い益々資金調達力を高め、国井はそれを以て空前の財政出動を行いつつあり、膨大な資金が巷に流れたことにより、さまざまな業界の頂上付近を潤し、やがて広大な裾野を黄金の花で満たすほどの勢いを示している。

最新の指標によれば、既に有効求人倍率も一.二倍を超え、労働分配率にしてもようやく上昇の兆しを見せており、したがって個人消費も頗る堅調に推移すると見込まれるに至っているほどだ。

丹波特需と呼ばれる諸物資の需要が爆発的に拡大し、その生産ラインの増設に関わる設備投資も極めて活発であり、その多くが丹波におけるものではあったにせよ、史上稀に見る好景気が始まろうとしており、早くも一部では丹波景気と呼ばれ始めていたのである。

敷島特会の潜在的資金調達能力についても巷間さまざまな評価試算が行われ、最低でも二千兆円、中には八千兆円だなどと言う話まである上、あろうことか、その数十倍に及ぶ筈だとする意見まで出るに至った。

極端な見解では、持って行きようによっては、今後十年以上にわたって、年々数千兆円もの財源を生み続けるだろうとまで言うが、いずれにせよそれらの論の拠って立つところが、丹波世界における敷島の飛び抜けた先行性の確保にあったことは確かだ。

一方で、独自の調査結果を提示して、丹波における日秋両国の天然資源の優位性を殊更に説こうとする者も少なく無い。

その者たちがこれ見よがしに誇示して見せるデータによれば、丹波における価値ある地下資源の埋蔵量に関し、実に特徴的なことが判明したことになるのである。

これ等の埋蔵量が殊に優れて高い領域が、国王の直轄領と敷島にばかり集中しており、それは既に丹波全体の七十五パーセントにも及ぶと言うのだ。

反面、分母である丹波全域の埋蔵量自体未だ不透明なのだから、分子である日秋両国の埋蔵量だけを論(あげつら)って見たところで、無意味な議論だとする見解も無いではないが、少なくとも、大方探査済みの敷島の埋蔵量が特段に優れた数値を示していることに変わりは無い。

その種類に至っては、人類が地球上で知る限りの地下資源は全て網羅されていると言って良いほどで、この日本は、敷島を領土とすることによって、重大な戦略物資となり得る地下資源は全て自給してあまりあるほどの自然環境を手にしたことになり、既存の日本列島の悲惨なそれと思い合わせれば望外の幸運と言って良い。

又、秋桜のそれなども早くから喧伝されて来ている通り、その埋蔵量も敷島のそれに数倍すると言われる以上、もしその地が、巷間囁かれているように、日本人新田源一氏の所有に帰してしまえば、さまざまな市場に対しても、言い知れぬほどの影響力を及ぼすと主張する者もいる。

さらに加えて、王の直轄領にはその他にも広大な馬酔木の山斎(あしびのしま)を始め、鹿島一佐の仕切る玉垣の郷があり、今まさに建設工事が驀進中の任那の郷もある。

そのそれぞれが、優れた地下資源の宝庫だとされている上、国王にはほかにも荘園と言う存在があり、日秋両国の特殊な関係が続いているこんにち日本の持つ優位性は際限も無い。

近頃では、海外の格付け会社までがまるで手の平を返すように媚態を示し、日本の国債にAAAを付けるまでになって来ており、カントリーリスクに関してなどは、秋津州と並んで断然最高水準にあるとされているほどなのである。

これ等の情勢がさらに有利な観測を生み、そのような情報が今後益々景気を押し上げて行くのも当然だが、その場合、最大の敵は急激なインフレーションの発生であろう。

尤も、現状では地球上の不動産価格が下落傾向を強めていることの方が、かえって問題だとされており、そのことと相俟って物価水準の推移は慎重に見守るべきだと言う声が高い。

ただ、日本人の丹波への移動圧力はいよいよ高まりつつあることは事実で、今や一度に数十万人規模で敷島や秋桜に旅立つケースまで出て来ており、かと言って戻って来るのは精々半分ほどであることから、いよいよ爆発的な移住が始まろうとする気配が濃厚だ。

何せ、王の直轄領を除けば、日本だけが新領土における区画整理を早々と完了し、地方自治体や個人に対する官有地の払い下げに手を染めつつあるのだ。

殊に、敷島特会の威力にも支えられ、八雲の郷に続いて、敷島への不動産投資熱が一気に加速する勢いまでありありと見えているのである。


さて、二千八年の年の瀬もいよいよ押し詰まったが、ワシントンにおいては一段と厳しい時が流れており、大統領のマシーンと呼ばれる者たちは、全員気の休まる暇も無い日々を送っていた。

次々と襲い来る未曾有の国難を前にして、彼等の肩には文字通り国家の存亡が掛かってしまっており、苦悶のあまり体調を崩してしまう者も少なくない。

何せ、今のワシントンの実力ではどうにもならないことばかり頻発してしまっている中で、又しても大きな問題が生じつつあったのだ。

問題の新天地への進出競争において、哀れな合衆国はEUと共に、諸国の後塵を拝する可能性が出て来てしまったのである。

このケースで合衆国に先んじる諸国とは、日本はおろか中台露印蒙やアフリカ諸国、場合によっては、中南米、東南アジア、中東、中央アジアまで含み、詰まりは、北米とEU及び豪州を除く全世界だと言って良いほどで、ワシントンを巡る周辺事態は益々深刻の度を深めていると言って良い。

うかうかすると、彼等自身がかつて「第三世界」と呼んで来た筈の国々にさえ、敗れ去ってしまうかも知れない。

敗れ去ってしまう競争とは、その地における国土建設競争であり、無論そのことに立脚した経済基盤の確立競争を意味しているのだが、合衆国はその重大な競争に致命的な敗北を喫しつつあることが、いよいよ明らかになって来たのだ。

合衆国にとって最も恐るべきシナリオが、恐るべき結末に向かって着々と進行していると嘆く者が増えて来ており、この舞台の幕が下りるころには、合衆国自身が「第三世界」の一員となってしまっているに違いないとまで叫ぶのである。

今や、合衆国が世界に誇って来た圧倒的競争力を持った大資本までが、一斉に八雲島に本拠と資本と技術を移し始めており、世界に冠たる経済基盤の足元を激しく揺さぶってしまっているほどだ。

その八雲島があの魔王の本拠地であることが、なおのこと重大な結果に繋がると囁かれ、合衆国の最大の財産である経済的優位性が風前の灯だと囁かれるまでに追い詰められていたのだ。

その作戦ミスを齎した痛恨の読み違いについては以前にも言及したところだが、要は秋津州軍の動員能力と補給能力とを過小に評価していたことが全てであった。

無論それがそれなりに巨大なものであることは理解していたつもりなのだが、それにしても、まさか、これほどまでとは思わなかったのだ。

いずれにしても、国家として一本化した建設プランを持たない以上、救援要請をしようにも物理的に不可能であり、その他にもさまざまな国内事情があったにせよ、全てにおいて出遅れてしまったことは否めない。

現にワシントンは、丹波において驚愕の事実を知ることになるのだが、先ず最初に瞠目したのは、新アフリカ大陸を縦断する大動脈建設の異常な進捗振りだったと言う。

実に全長三万キロにも及ぶその長大な道路建設工事は、大規模な橋梁やトンネルの工事まで含むものでありながら、驚くべきことに秋津州軍は僅か二週間で仕上げてしまったのだ。

ちなみに、秋津州軍のヒューマノイドの輸送能力は、その一体一体がペイロード四トンほどのヘリコプターに匹敵する上に、ヘリに比して決定的に有利な特徴を持つ。

それは、大量のヒューマノイドが一箇所に瞬時に集中して、機能として一体化してしまえる点であり、その結果三十体も集まれば百トンもの重量物でさえ素手で軽々と運び、その上そのままの体勢で加工はおろか、据え付け作業までやってのけてしまうのである。

対象物が寸法上巨大なものなら、それこそ千体どころか一万体でさえ一瞬で協働させることが出来るからこそ、途方も無い作業効率を実現出来てしまうのだ。

しかも、建設すべき道路百メートル当たり数十万ものヒューマノイドを、全線にわたって一斉に配備した上で作業に掛かることから、例えその総延長が十万キロであった場合でも、単に百万個の百メートル区間があるだけの話になってしまう。

すなわち、百万個の百メートル区間を全て同時に建設してしまえるのだ。

単純に全区間が同様の平地だけであったなら、一区間の作業時間が二日間である以上、全区間が同時に二日で作業を完了してしまうことになる。

但し、実際の工事には、大河に架設する巨大橋梁もあれば山間部の掘削工事もあり、かてて加えて全長数十キロにも及ぶ大トンネルの掘削まで必要だったため、二週間を要したまでのことなのだ。

そして、秋津州にはそれを支える膨大な補給能力がある。

自在に飛行する巨大ポッドが文字通り無数に協働し、無限に思えるほどの資材を潤沢に補給し続け、それらの全てを一糸乱れず整然と運用するに足る独自の通信技術がある。

飛行するヒューマノイドは、空中だろうが高所だろうが足場も命綱も一切必要とせず、挙句どんなクレーンや重機よりも、はるかに柔軟で使い勝手の良いものなのである。

ワシントンから視察のために派遣された技術者たちは、そのような状況を目にして、もう笑ってしまうしか無かったらしい。

その工事が巨大なものであればあるほど、その作業効率はいよいよ途方も無いほどのものとなって行き、優に五年六年を要する国家的な大土木事業でさえ高々二週間で終えてしまうのだ。

しかも、丹波ではこのような大規模な土木事業が各地で同時に進行中であり、ひるがえって合衆国の新領土では本格的な工事は未だ始まってもいない。

ワシントンの焦りと苛立ちは想像に余りあるだろう。

その結果、常日頃「秋津州の代弁者」、若しくは「秋津州の友人」と称され、自分でも思いがけぬほどの権力を握ってしまったタイラーにとっても、まことに厳しい年の瀬になってしまった。

彼の目にさえ落日のワシントンの姿が容赦なく映り込んで来ており、本国の訓令を待つまでも無く、おのれの重責をひしひしと感じざるを得ず、当然、必死の思いで魔王の歓心を買うべくさまざまに努めてはいる。

しかし、魔王の玉座は依然として頭上はるかに遠く、ほんの数年前まで世界に覇を唱えていた筈のホワイトハウスの主に対してさえ、微笑みを投げてくれるどころか、近頃では振り向いてもくれないのである。

合衆国大統領特別補佐官にとって、そのことが何よりも恐ろしい。

何しろ、突然の不幸に見舞われて以来、あの魔王の本音が益々判らない。

タイラーの目に映る魔王の背後には、時として燃え盛る紅蓮の炎が見えてしまうのだ。

少なくとも魔王の胸の中では、煮え滾る憤懣と復讐の念が渦を巻いてしまっている筈であり、そのはけ口も見出せぬまま、このまま時が流れて行けば、いつかは必ずそれが溢れ出るに決まっている。

誰が考えても、そうなるに違いないのである。

相手はその辺に転がっている青白き秀才などでは無い。

血みどろの肉弾戦でさえ幾たびも勝ち抜いて来ている、文字通りの歴戦の雄なのだ。

その豪強さは最早伝説の域に達しているとされ、近頃では、我が海兵隊の猛者の間にさえファンを持つと囁かれるほどの相手なのである。

それほどの男が一旦激してしまえば、それを制御出来る者などいるわけが無い。

まして、ケンタウルスの一件があり、魔王の一顰一笑(いちびんいっしょう)がなおのこと気になるこのごろなのだが、突然妻子を失ってからのその表情が、益々冷然としたものに見えて仕方が無いのだ。

その結果、小心者の心の中には、今や恐るべき鬼が急成長を遂げつつある。

無論、疑心暗鬼と言う怪物だ。

その怪物が、絶えずひそひそと囁きかけてくる。

最近は殊にそれが甚だしい。

怪物は囁くのである。

「魔王の戦略は、合衆国の滅びを意図するものに違いない。」

「我が合衆国を滅ぼそうと図っているのだ。」

タイラーは、暮夜密かに総毛立つ思いで夢想することがある。

無論、我がホワイトハウスに翩翻と翻る八咫烏の旗をだ。

だが、小心者がどんなに煩悶しようとも事態が好転する気配は全く無く、秋津州の外事部にしても、通り一遍の儀礼的な対応はしてくれるものの、ワシントンの苦衷を好意的に解釈して笑みを見せてくれるほどでは無い。

そうであるにもかかわらず、その魔王の近頃の対日姿勢はどうだ。

近頃相次いで誕生した新田と岡部の男子に対してなど、個人的に祝いの品々まで贈ったと聞いている上、あろうことか、それぞれ名付け親の大役さえ引き受けたと言う噂まであるのだ。

そう言う心遣いの百万分の一でも、我が合衆国にしてくれたことが、かつて一度でもあっただろうか。

実に、腹立たしい限りなのである。

片腕と頼むジムなども憤懣やるかたない様子を見せているが、合衆国を取り巻く国際環境が一向に改善される気配が無いまま、彼にしてもいたずらに時を費やす一方だ。

何しろ、恐るべきガンマ線バーストが地球に到達する時期が、二千十一年の五月から七月にかけてのいずれかであることは既に堂々たる定説となってしまっており、事実を知る者にとって、その対策が他の天体に移住する以外に無いことは最早常識なのだ。

理想論としては、その危険ゾーンの六ヶ月前までには、全ての対応を完了させるべきだとされているが、今は既に二千八年の年の瀬なのである。

限界点は二千十年の秋口だとされているにもかかわらず、それまでに、余すところ二十ヶ月少々でしかないことになる。

一日も早く新領土の原野を切り拓き、人間の住める環境を構築して置かなければならないのだ。

さもなくば、合衆国市民に原始人のような生活を強いることになってしまう。

一刻も早く文明的な生活環境を準備しなければならないのである。

いや、それだけでは未だ足りない。

どんなに奇麗事を並べて見たところで、この国際社会の中では、他国に比べてより高い水準の経済力を持たなければ、激烈な国際競争に勝ち抜いて行くことは不可能であり、うかうかすれば政治的にも敗者となってしまう。

そのためにこそ、活発な経済活動を可能とする近代的で利便性の高い社会的インフラを他に先んじて構築して置く必要があるのだ。

そうでなければ、巷には失業者どころかホームレスが溢れかえってしまうのである。

だからこそ、ことを急ぐのだ。

だが、現実はどうだ。

我が合衆国は、かえって他国に先んじられてしまっている上、今のままではその差は開くばかりであり、近頃では、諸国のメディアなどから、「白頭鷲の皮を被った手乗り文鳥だ。」などと痛烈に揶揄されるに至り、繊細なその心はなおさら傷付くばかりだ。

魔王から直接情報を取るべく必死に手配した例の美女軍団作戦にしても、全て水泡に帰してしまい、期待の星であった筈のあのキャンディ・ティームも、刀匠の弟子であったテロリストに絡む作戦で結局無駄遣いをしてしまった。

魔王にとって最も憎むべき敵(かたき)と散々に肉体関係を持ってしまった以上、彼女たちの滞在など最早逆効果でしか無いことから、とうに帰国させてしまっている上、その他の女たちにしても総入れ替えの最中なのだ。

そうでなくても、その身勝手な評価基準から言えば、戦士達も既に年齢を重ね、その面からして、とうに限界を感じ始めていたところでもある。

皮肉なことに、ターゲットは、れっきとした一国の元首でありながら極めて若いのだ。

何せ、今年の九月で二十三歳になったばかりであり、それに対応させるべき戦士達の方はほとんどが年上ばかりだ。

この戦術に関しては、かつて唯一の成功例があったと聞いており、考えてみれば、そのマーベラでさえ、ターゲットに対して三歳もの年長であった筈だが、何せ当時のターゲットは未だ十八歳でしかなかったのである。

三歳の年長であっても、なお戦士は充分な若さを保持していたことになるが、この意味でも、状況が大きく異なってしまっていることを改めて思わざるを得ない。

それに、妃の座と言う重要ポストが空いている今、戦士の任務にしても何も情報収集に限ったことではなく、場合によってはその空席を埋めるものであっても一向に構わない。

いや、構わないどころか大歓迎だ。

国王独裁のこの国でその女性が一旦世継ぎの王子を産むことにでもなれば、ワシントンから大量の政治顧問団を送り込むことも可能であり、そうなれば、あの新田源一などは帰国するより無くなるだろうし、あくせくと個別に情報を取る必要は無くなり、秋津州の国政を全てにわたって壟断してしまうことさえ可能だ。

他の多くの国にしても、想いは同じなのだろう。

現に彼らも、年若い美女を厳選して続々と送り込み始めており、無論我が国も負けてはいられない。

既に、この海都はもとより、近頃では八雲の郷にまで相当数の戦士を送り込みつつあり、タイラーからして見れば、その勢いは今後益々強めて行くべきものなのである。

八雲の郷のサンノショウにおいて、わざわざ現地の大和商事に建築を依頼した瀟洒なホテルまである。

ワシントンの用意したダミー会社が巨額の予算を掛けてまで、それを大和商事に発注したのも、偏(ひとえ)にその建築作業が素晴らしいスピードを誇っているからであり、現地に進出済みの米国系企業などは、その点遠く及ばないことが最初から明らかなのだ。

まして、近い将来にも魔王の来臨を期待する以上、その施設そのものの無害性を大和商事側に担保させる狙いも無いとは言えない。

少なくともその施設の建設作業の全てを任せている以上、相手にとってその分だけ安全性が増すことは確かであり、その効果にしてもまるっきり無視することは出来ない筈なのだ。

とにかく、秋津州ロイヤルホテルと銘打つそのホテルが近々落成の運びで、娯楽施設に溢れた建物の一郭には国王専用を謳うフロアまで設け、戦士の一部には妖艶なショーダンスまで準備させていると聞く。

全ては大統領のマシーンの胸の中の鬼が大騒ぎした結果なのだろうが、タイラーの胸の中の鬼にしても大人しくしてくれているわけではない。

近頃では胸の中で別の鬼が騒ぎ出しており、あろうことか、高々十五歳の少女を用いるべきだと大声を上げ始めてしまっていたのだ。

胸の中の葛藤は、ワシントンから寄せられたある特殊情報に接した瞬間から続いており、それは既に一週間を数えてしまったが、ジムなどの強力な推輓もあり、胸の中の鬼がようやく勝ちを制し、つい先日ゴーサインを出したばかりだ。

何せ、ワシントン情報によれば、その少女はかのピッツバーグに眠る伝説の麗人に瓜二つだと言い、その麗人は、言うまでも無く魔王の初恋の相手であり、気高く咲いた大輪の花なのだ。

それも、タイラーにとって、ことのほか芳(かぐわ)しいアングロサクソンのことでもあり、その点、この少女にしても同様であったことが、タイラーにとって、それこそが何にも勝る重要な要素に感じられてならない。

タイラーの心の奥底に居ついてしまっている人種的偏見の表れであることは確かだが、例え、如何なる非難を浴びせられようとも、内心その想いだけは動かないのである。

それに、この少女は、僅か五日ほど前に交通事故で両親を失ってしまっており、言わば天涯孤独の身となったことを知り、その上での決断であったことは確かだが、かと言ってタイラーの胸の疑惑は覆うべくも無い。

その交通事故は、どう考えてもタイミングが良過ぎるのである。

両親の排除を密かに企図した者の仕業ではあるまいか。

もし、その両親が健在なら、このような「作戦」など、実行することは出来なかった筈なのだ。

事故発生の直後から、州政府からの派遣と言う名目で、女性のエージェントが三人も張り付いて対応していると聞くが、その点でもあまりに手回しが良過ぎるのである。

尤も、万一自分の想像が当たっていたとしても、ワシントンは、証拠などかけらも残さずことを処理することの出来る実行組織を持っており、現地の警察もありふれた交通事故の一つとして処理済みである以上その真相は永遠に藪の中だ。

いずれにしても、その両親の葬儀も済まない内から既に作戦は動き出してしまっており、状況から見て、仮に自分がゴーサインを出すのをためらい続けたとしても、自分以外の別ルートを使ってでもその作戦は必ず続行されるに違いない。

そうである以上、この作戦の指揮を執るにあたって尤も相応しい者は、やはり自分以外には無いだろう。

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  1. 2007/10/06(土) 12:12:07|
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自立国家の建設 105

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さて、秋津州の天地にも二千九年と言う新たな年が訪れはしたが、海都に滞在中のタイラーは、引き続き苛烈な日々を送らざるを得ない。

運命のガンマ線は容赦無く太陽系に近付いて来ており、少なくともその状況に変化が無い以上、タイラーはもとより、ワシントン自体が益々魔王の生存を歓迎せざるを得ない状況が続くことになる。

だが、そうであるにもかかわらず、かの白馬王子が発した狂気の暗殺指令が取り消された気配が無いのである。

挙句にそれは、朴清源の抹殺指令まで帯びたものであり、そのことに限って言えば、その犯行を秋津州側の仕業と見せかけることによって、国際的にも秋津州非難の声を高めさせ、国内では政権の求心力を強めようと謀ったものであることは間違いない。

加えて、民族の英雄朴清源将軍が死んでしまえば、これ以上困難な対秋津州交渉を続ける必要は消え失せ、その身柄の奪還を叫ぶ民の声も鎮静する筈であり、白馬王子にとって見れば、それこそ一石三鳥とも言うべき妙策なのである。

ワシントンもとうにこの暗殺指令の概要を掴んでおり、タイラーにとってもことは重大であり、早速秋津州の外事部に一報を入れておいた。

そそくさと、ご注進に及んだのである。

万が一にも秋津州側が知らない筈は無いとは思うが、知っていながら口を閉ざしていたと思われるのも業腹(ごうはら)だ。

その後も相応の緊張感を持ってことの推移を見守って来たが、この秋津州に限って取り立てて不穏な動きがあったとも聞かず、平穏のうちに年の瀬を越えたものらしく、少なくとも実際に魔王が危ない目にあうことなど全く無かった筈だ。

あれ以来目出度く側近となったらしい田中盛重の方は、今やすっかり元気を取り戻し、惑星間移動の際のナビゲーターを務めるかたわら、魔王の酒の相手としても貴重な存在となりつつあると言う。

近頃では取材の申し込みも少なく無いと聞くが、あの年若い官僚が応じたと言う話も聞かない。

一方の立川みどりが一旦銀座に戻ったのも、国王の日常が平静を取り戻した証拠だと言う囁きが漏れて来る一方、国王の傍を全く離れてしまったわけではないと言う話も伝わって来ており、結局、その後も頻繁に国王のそばにいることだけは確かなのだろう。

ただ、惜しむらくはそれらの側近たちとはまるで接点が無いのである。

近頃俄かに台頭して来た田中などは、結局あの新田や岡部の腰ぎんちゃくのような人間だったらしく、下僚に命じて接触させて見たが、まるで我が国を敵視しているような気配すらあり、先ず篭絡するのは難しいだろうと言う報告が入っている。

よほど、新田等に感化されてしまっているのだろう。

無論、内務省の官僚たちや、或いは国民議会の議員たちにも散々に手を尽くして来たが、買収も脅迫も、無論ハニートラップも全く功を成さず、結局我が国は、これほどまでの超大国と、今に至るまで満足な人脈を築くことが出来なかったことになる。

唯一、秋元姉妹とのそれを持つのみなのだ。

他の手段が断たれてしまっている以上、あくまで非公式なものであるにせよ、それは一際貴重なものであり、これまでも散々に接触を重ねて来た。

本日六日は重要なアポがあり、もうじきその末娘でもあるアリアドネの女神が訪れる筈だ。

同じフロアの英国代表部付近に配置した属僚から、つい今しがた女神さまご出御(しゅつぎょ)の報せが入ったばかりなのだ。

上品な和風ケーキも用意したし、密かに談ずべきこともある。

無論、我が国にとって重大案件ばかりであり、このためにこそ、今も大層なプレゼントを贈り続けているのである。

程も無く、英国代表部から直行して来たらしい女神さまが鮮やかに降臨してくれて、挨拶もそこそこに本題に入ることを得た。

「早速ですが、半島情勢に付いてご意見を頂戴致したい。」

白馬王子の魔王暗殺指令のことだ。

「だいぶ、きな臭い情勢だと伺っておりますが。」

女神さまは、常と変わらず花のような笑みを見せてくれており、日頃のプレゼント攻勢がそれなりの効果を発揮してくれているに違いない。

「大分煙が立っておりますようで、そろそろ対策が必要となって参ったのでは無いでしょうか?」

「さようでございますか?」

まったく、何処吹く風と言う表情だが、そんな筈はないのである。

「何かと煩(うる)そうございますからな。」

「確かに、煩(わずら)わしく無いことはございませんわね。」

この秋津州ビルに居を構えるその国の代表部の者にしても、昨今その数を増していることは確かであり、そこがれっきとしたその国の出先機関である以上、彼等の全てが本国の訓令を受けて動くのは当然過ぎるほど当然のことだ。

ただ、それらの者たちにしても、出入国に際しては、多くの場合SS六のチャーター便を用いている以上、不審な武器類の搬入など物理的に不可能だと言って良い。

タイラーの目に映る過去の「実績」が、それを如実に物語っていたのである。

その上、SS六を利用する場合、いずれの国籍を持つ者であっても入国審査が一切不要なのだ。

但し、民間人を装って上陸してくる者の中には船便を利用するケースがあり、女神さまは、その場合の入国審査が煩(わずら)わしいと言っているに違いない。

何せ、あのテロリストの例を見るまでも無く、その国の者は他国の国籍を名乗って入って来るケースがほとんどであり、現に上陸すら許されず追い返される例があとを絶たないと聞いているほどで、女神さまはその対応が煩わしいと言っていることになる。

「だからこそ、具体策が必要なのでは?」

「は?」

女神さまは怪訝な表情を見せてとぼけてはいるが、何もかも承知している筈なのだ。

「いや、何も申し上げますまい。既にその準備もほぼ終えておりますので。」

その地においては、ワシントンの意を体した者が、大枚のドルを費やしながら密かに「活動中」であることは確かだ。

「あら、何の準備なのでございましょう?」

判ってない筈が無いのだ。

「いや、それはお聞きにならない方がお為でしょう。全てお任せ頂ければよろしいかと。」

聞かなければ、何が起きても全て知らなかったで済む話なのだ。

「おほほほ、ずいぶん強引なお話でございますこと。」

「いえ、私どもは秋津州のお為にならないようなことは決して致しませんから。」

「念のため申し上げておきますが、国王陛下は暗殺などと言う手段は決して好んではおられませんので、そのことだけはお忘れなく。」

表向きだけなら、どんな奇麗事でも言えるのだ。

「勿論、承知しております。」

結局、本音と建前と言うことだ。

魔王にしたって、いざ劣勢に立たされれば、そんな奇麗事は言ってられない筈だ。

現に、過去において丹波が異星人に襲われた際も、敵の不意を衝くことによって辛うじて勝ちを拾ったと聞いており、滅びの恐怖を前にして、そんな奇麗事を並べるヤツがいたら、そいつは明らかな偽善者だ。

情け無いことに、現在のワシントンはそのような綺麗事を言っている余裕は無いのである。

「それならよろしゅうございますけれど、陛下の場合、どうしても必要とあれば、太陽の下(もと)で堂々と雌雄を決することの方をお好みでございますので、是非ともこれだけはお含みおき下さいますよう。」

「なるほど、陛下ならその通りでございましょうな。」

「さようでございます。」

「ふうむ、その手がございましたなあ。」

一瞬、ひらめいたことがある。

万一、白馬王子が自暴自棄の作戦ではあるにせよ、国内対策の一環として国王暗殺指令を公然と認めてしまうほど狂ってしまった場合のことだ。

「はい?」

「いえ。お気になさらずに。」

こっちの話なのだ。

「あらあら。」

「つきましては、未だ仮の話ではありますが、もう一点重大な御相談がございます。」

「お伺いしますわ。」

「これは、あくまでも仮の話なのですが。」

何しろ、未だワシントンの統一見解にまでは至っていない案件なのだ。

「承知しておりますので、お気遣い無く。」

「では、申し上げます。」

「どうぞ。」

「実は丹波の新領土の開発計画のことなんでございますが、陛下にご支援をお願いすれば、今現在でもお聞き届け頂けますでしょうか?」

ワシントンの積極派が第一に心を悩ませているのはこのことであり、いざ懇願して断られたとなると、ワシントンは一方的に恥をかくことになるのだ。

現に丹波では、あの恐るべき大軍団が他国の為に大量に動員されてしまっており、如何な秋津州軍団の大兵力でも、これ以上の大量動員は困難だと見る向きも多いため、いずれにせよワシントンの願いは叶えられることは無く、その結果僅かに残ったプライドのかけらまで粉砕されてしまうのを、ひたすら恐れ立ち竦んでしまっている者が目立つのである。

まして、いきさつから言ってあの魔王は合衆国の滅びをこそ望んでいるのであり、そうである以上、我が国の懇請になど聞く耳を持たない筈だと叫ぶ者がおり、この期に及んでその魔王に頼みごとをするなど、所詮赤恥をかかされるだけに過ぎないとまで叫ぶのだ。

現にタイラー自身が、同様の恐怖に怯えていたのである。

「陛下の動員能力に関してのご懸念(けねん)なのでございますか?」

「はっきり申せばそうなります。」

「おほほほ、その点でございましたら、ご懸念には及ばないと申し上げておきますわ。」

「では、未だ余力をお残しだと・・・・」

「現在丹波で即刻動員可能な部隊だけでも、二個兵団もございますもの。」

「だけでも、と仰いますと?」

「地球と他の荘園からも派出すれば、そのほかにも三個兵団の増援が可能ですわ。」

地球の守備兵力として一個軍団を残したとしても、残りの六十三個軍団を動員することは充分可能であり、あとの荘園の守備兵力に付いても同様なのだが、タイラーにはそこまでのことは判らない。

「と仰いますと、現段階でも未だ五個兵団の予備兵力をお持ちだと?」

「はい、それに新アフリカ大陸の無償の基礎部分だけなら、そろそろ終了間近だと伺っておりますので、その分の一個兵団がまるまる手すきになる見込みでございますから。」

秋津州軍団に休息は不要だ。

即刻、他の戦場に投入が可能なのである。

「そう言えば確かあの任那の大工事が、まるまる一個兵団で賄われていると聞きましたが。」

その地では、ニューヨークやロサンゼルスをも凌ぐ近代都市群の建設工事が砂塵を巻いて驀進中であり、港湾建設や地下工事は勿論、大動脈の役割を果たす道路網などはとうに目鼻がついてしまっていると聞く。

呆れたことに、各都市部では地下鉄の走行実験まで完了していると言い、事実とすれば、既に大容量電力の供給まで実現されているに違いないのだ。

「そのようですわね。それも思ったより余剰戦力がありそうですので、あと一個兵団の投入をお考えのようですが。」

「ほほう、そう致しますと、任那の完成予定もずいぶん前倒しになる見通しが立ったと言うことでしょうか。」

新天地における米本土に地続きの領域の話でもあり、とてものことに無関心ではおられない。

「現状では、今月いっぱいの完成を目指してらっしゃると伺っております。」

「それはすごいですなあ。」

それが事実なら、総面積百万平方キロにも及ぶ広大な領土の近代設備が、僅か三ケ月で完成してしまうことになる。

その面積は現在の日本の三倍にも及ぶのである。

「もう一個兵団を増強すれば、任那全土の植林事業まで完了してしまうと伺っております。」

「いやもう、驚くばかりです。」

「でも、今さらこの程度のことで驚かれることは無いのでは・・・・」

「では、我が国の新領土建設にまるまる一個兵団のご支援を賜ることも可能だと仰る?」

「充分可能かと存じますが。」

「充分・・・・ですか?」

「はい、充分でございます。」

「以前、外事部から伺ったところによりますと、基本的な支援工事以外は全て有償だと言うお話でしたが、日本などの場合、どのような方式をお採りになってらっしゃるのでしょうか?」

かつて、新田源一が策定したその基本原則は、諸国家から寄せられる無制限の懇請を無原則に応諾してしまえば、当然その全てに応じるほどの余力は無いため、結局不公平な対応にならざるを得ないことから定められたものであった。

「個別の契約内容は、申し上げるわけには参りませんわ。」

「なるほど、その国の名誉にも係わることでしょうからな。それでは一般例として改めてお尋ねしたい。」

「あくまで一般例として申し上げますが、一つには国債を発行してそれを秋津州政府に交付すると言う手がございます。全て秋津州円建てで。」

「ほほう、秋津州円建てですか。」

利払いも元金の償還も、全て秋津州円で決済されることになる。

「発行は、丹波への移住の必然性を民に知らしめたあとになろうかと。」

「なるほど、その国債発行の必然性を堂々と主張することの出来る政治的環境が必要だと仰るわけですな。」

「五年物を三パーセントの利付き債で二兆円ほど、十年物を四パーセントで二兆円、十五年物を五パーセントでこれまた二兆円あたりになりましょうか。」

「ほほう、利払いも入れれば日本円で概算千四百兆ほどになりますな。合衆国の場合、いかほどになりましょうな?」

「おほほほ、お国の場合建設内容が明示されない以上、どうにも計算のしようもございませんわ。」

秋津州は、あくまで相手国が提出して来る国土建設の設計図に基づいて工事を行うに過ぎず、それが無ければコスト計算さえ出来ないことは子供にでも判ることなのである。

「ご尤もでございますな。それでは仮に、質的に敷島と同程度のレベルを想定しての話ならいかがでしょう?」

敷島の場合、PME型発電設備など大型のものが既に二百を超えて稼動し始め、地方に至るまで道路や鉄道用軌道が整備されたと聞く。

その上、中央官庁用の各施設は勿論、皇居や国会まで完成間近だと聞いているのである。

例の敷島特会の威力は凄まじく、種々の民間企業の現地進出が進み、トヨベを始めさまざまな大規模工場の建設までがその支援を受けていると言われ、秋津州軍が直接その建設を行う事例まで散見されているのだ。

そのため、敷島の先行性ばかりが益々強調され、自然現地の不動産価値が高まるに連れ、その多くが官有地であることから、いよいよ敷島特会の金庫を潤す勢いを加速させているのも当然のことなのである。

その点から見ても、現地の領域における経済基盤の完成度と先行性が殊更に重要なものとなって来ることは明らかで、これ以上の出遅れは、我が国の領域における未開の「原野」が二束三文にしかならないと言う悲惨な状況を招いてしまうのだ。

その結果、国家再建に関わる貴重な財源が無為に失われてしまい、我が国の凋落は止め処も無いものとなってしまうだろう。

既に、マーケットがそう見てしまっている気配まである。

我がワシントンにおいても、ことの重大さにようやく気付いたと言って良いが、時既に遅く、我が国は最早形振り(なりふり)など構ってはいられないところにまで追い込まれてしまっている。

「それですと、量的に十倍以上の工事になりますわね。」

「やはり、費用の方も十倍以上と言うことになりましょうか?」

「勿論精密な国土計画の設計図が必要ですが、その代わり百日もあれば立派に完成してしまいますわよ。」

「ひゃ、百日・・・・ですか。そうすると概ね中露には追いつけることになりますなあ。」

中露両国に対してだけは、何としてでも追い付き追い越さなければならないのだ。

幸か不幸か、その二カ国の場合、有償の部分に関してはあまり多くを依頼していないため、自力で開発を行う部分を数多く積み残しており、その進捗振りが脅威となる可能性は極めて低い。

「はい、そのケースなら、最初から二個兵団を一挙投入と言うことになりましょうから、ひと月もあれば、道路や空港や港湾まで実物を捉えた高空写真で国民に報告出来るようになりますし。」

「ひと月ですかあ。」

「はい、ひと月ですわ。」

「しかし、費用の方が・・・」

「PME発電所の数を考慮するとか、コストカットの方法はいろいろおありになろうかと。」

「道路とか空港とかを削減する手もありますな。」

「はい。そもそも主要な港湾とそこから内陸を結ぶ道路だけなら、一切無償と言う前提でございますから、無償の分だけ陛下に請願すると言う方法もございますわ。」

多くの国家が採用した方法がこれであり、この場合のコストは全額秋津州の負担となるのである。

今以てこの無償部分の支援の申請すら行っていない国家は、合衆国とカナダ、そして豪州とEU諸国を除けば、朝鮮共和国を含むほんの僅かなものでしかない。

「いえ、それでは歴然と後れを取ることになってしまいますから。」

「では、完成に至るまでの貴重な時間そのものをお購(もと)めになると仰るのですね?」

「私個人としましては、結局、出遅れた分を取り戻すには、それしか無いと思っておるところです。」

「あとは、お国の方が国家レベルでどうなさるか、でございますわね。」

「はい、こうしている間にも他国の領域だけが、どんどん進んでしまっているわけですし。」

「結局、時は金なりでございますか。」

「今から考えますと、最初の時点で真っ先にお願いしておくべきだったとは思いますが、当時は、まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったわけでして。」

これこそが、ワシントンの最大の失策だったと言って良い。

「それはそうでしょうねえ。」

「今さら後悔しても始まりませんがね。」

「おほほほ。」

「ところで、建設に関わるもろもろの資材についてですが、その辺の余力の方はいかがでしょう?」

「おほほほ、確かにお国のご計画にもよりましょうが、でもそれにしたって、たかだか米国一国分のことでございましょう?」

たかだか米国一国分だと仰る。

まあ、そう言われてしまっても止むを得ない実情ではあるのだが。

「では、そのくらいなら問題外だと?」

「陛下には荘園がございます。」

「ほほう、それでは鉄やセメントなども・・・・」

「はい、充分に備蓄してございますから。」

実際に、秋桜や敷島においても既に大規模な製鉄設備やセメント工場が多数稼動しており、その生産量も日に日に増しているほどなのだ。

無論天空に浮かぶ宇宙基地においては、それを上回るほどの実力を誇っている。

「では、懸念(けねん)は無用だと?」

「はい。」

「それでは、その運びで参りました場合、せめて来月いっぱいくらいは、例の公表問題をご猶予いただけるものと理解してよろしゅうございましょうか?」

例の公表問題とは、中露両国が主張する早期の「ケンタウルスの真実の公表」のことであり、現状でそれが公表されてしまえば、全てにおいて我が国の完敗に繋がることは明らかなのだ。

「さあ、こればかりは迂闊なことは申し上げられませんわ。だってお国の国策が定まらない以上、いつまでお待ちしたら良いものやら、それこそ見当もつきませんもの。」

「それは確かにその通りでしょうな。」

それぞれの国家が独自の主権を持つからには、いかなる国策を定めようと本来その国の自由の筈であり、そうである以上、全ては、我が国の国策決定が遅れていることに起因しているのである。

あのワシントンの腰をどやしつけてでも奮起させなければならず、早速に、タイラーレポートを作成しなければならない。

さもなくば、合衆国の繁栄の歴史は、いよいよ以て終焉を迎えるばかりだ。

古来、国策を誤り、悲惨な終焉を迎えた国家が数限り無く存在したことだけは紛れも無い事実であり、そのためにこそ賢明な国策の策定が必要であることは言うを俟たないのである。


一月の第二月曜は十二日にあたり、日本では新成人の門出を祝う祝日とされているが、今年はそれがなかなかの好天に恵まれ、各地で行われるイベントなどにも相当の人出があったと言う。

あの興梠律子も目出度く成人式を迎え、イベント会場に豪華な大振り袖で登場して、盛んにフラッシュを浴びる姿が数多く報道画面を飾った。

メディアが、ネタに不自由していたこともあっただろうが、その分、余計に注目を浴びてしまったことは確かで、かなりのカメラが絢爛たる姿を執拗に追ったことは事実だ。

その衣装一式は無論みどりから贈られたもので、繊維のダイヤモンドと呼ばれる例の天蚕絹で織り上げたものであり、織りと言い、染めと言い、着付けに手を貸した葉月ママのため息を誘うほど見事な出来映えだったのである。

生来の優れた美貌も加わり、その艶姿(あですがた)は多くの新成人の中でも格段に立ち勝っており、まさしくそれは鶏群の一鶴とはこのことかと思わせるほどで、メディアにとっても垂涎の画材となったことだろう。

そのさまを見るに付け、又ぞろ芸能プロダクションの名刺を持った連中が、数多く登場して来ることになるのだろうが、肝心の彼女自身にまったくその気が無いのである。

現在、彼女の日常はスナック葉月に通う毎日であり、その店のスーパースターとして煌びやかにフロアを泳ぎまわる日々を送っており、美麗な深海魚のようなそのホステスを目当てに通って来る客も当然少なく無い。

又神宮前に一泊しながらのアルバイトにも精を出しており、立派な事務所形式に改装されたその場所がその場合の「勤務地」となり、そして又スタジオともなって数多くの「作品」を生んでいたのだ。

この限りにおいては、既にかなりのギャラを稼ぐ女優であったとも言えよう。

その上、とうに充分過ぎるほどの有名人になってしまっており、その辺の芸能プロダクションの臭い話などには興味を示さないのも尤もだ。

また、この「女優」にとって幸いだったことは、新成人を祝う式典の後、喫茶立川にまで出向いて行き、みどりに直接挨拶出来たことである。

二人にとって、言わば、これが感激のご対面となったのだ。

双方共に長らく会いたいと思いつつ、ようやく会えたと言う心境でもあったのだが、わざわざこの日に出向いたのも、振り袖の礼を兼ねてその艶姿(あですがた)を直接見せるためであり、或いは又、体調を崩したと聞いたことによる見舞いの意味でもあっただろう。

直接顔を合わせて話をするのは初めてのことだったが、窓の月を通してのことなら何度も会話する機会があって、初対面のような気がしないことも共通しており、思いのほか意気投合して話が弾み、傍目(はため)にはまるで親子のように見えたと言う目撃談まであったほどだ。

ただ、この日を境に二人の間の距離が格段に縮まったことは事実で、その後律子から「お母さん」と呼ばれることを、何よりの楽しみとするみどりの姿が見られるようになるのである。


さて、一月も半ばになって、天皇皇后両陛下の秋津州御訪問がようやくにして実現することとなった。

無論、秋津州王家に弔意を表する為である。

新田や相葉が両陛下の御意思を体し懸命に調整を重ねた結果であり、結局SS六を用いたそのご旅程は四時間ほどのものとなった。

十五日の朝、件(くだん)のSS六は旧王宮に直行し、両陛下は若者の丁重な先導を得て惨劇の現場にまで進まれ、簡略な献花式が執り行われたが、その際皇后陛下が格別にご落涙あそばされた旨が伝えらた。

現に両陛下は亡き真人王子の名付け親でもあり、その襁褓(むつき)の世話までなさったことまでおありになることから、そのお嘆きは想像に余りあると報じられたのも自然のことではあったろう。

その後、内務省ビルの四階に席を移し、若者との間で一時間にもわたってご懇談に及ばれ、その結果、若者の心にも新たな何ものかが芽生えたと言う声も頻(しき)りだ。

後になって若者は、殊に皇后陛下から賜った数々のお諭しが諄々と心に響き、自然と涙が溢れてしまったと洩らしたと言うが、その涙にしても、両陛下の御心(みこころ)に親しく触れたことで、それまで必死に張り詰めて来たものが、知らず知らずに溶かされて行った結果であったには違いない。

中でも、「亡くなられた方々も、あなたが、あなた自身の人生をしっかりと生き抜いて行かれることを、心から望んでおられる筈ですよ。しっかりなさい。」との皇后陛下のお叱りが格別に心に沁みてしまい、滂沱(ぼうだ)として溢れ出る涙を堪(こら)えることが出来なかったと言う。

少なくともその涙がさまざまの過去を洗い清めてくれたと言うのだが、この話にしても、田中盛重だけが直接耳にしたことであり、この頃の田中が既にそれほどの存在になっていた証(あかし)だと見る向きも少なく無い。

結果としてその後の若者が、多少口数が減ったとは言いながら、元来の若者らしさを目に見えて取り戻しつつあることが、新田や岡部にとっても大きな喜びに繋がって行ったことも事実だ。

一つには、国王が彼等の愛児それぞれの名付け親になっていたことも小さなことでは無かったろう。

ちなみに述べれば、客臘(かくろう)二十日に誕生した新田家の長男は源太郎、そして一日遅れで生まれて来た岡部家の長男は大二郎と名付けられ、その上その子等は、若者に抱かれる機会をふんだんに持っており、若者はその子等をあやしながら、そこに亡き真人王子の面影を追っていたのだろうと囁かれ、実際にその表情は歓びと充足感に溢れていたことだけは確かだ。

先日内務省を訪れたキャサリンが、かつて祖国に引き取られて行った孤児達を捉えた映像を土産にくれたときなどは、元気そうに遊びまわる孤児達の姿に接しつい涙ぐんでしまうほどだったのである。

その孤児達が、若者の願いも空しくそれぞれの祖国に引き取られて行ったのは、僅か十ヶ月ほど前のことだったが、その中に村中太郎と名付けられたアフリカ系の六歳児がいた。

例に違わず天涯の孤児で、生年月日どころか本名さえ不明であったものが、祖国の公的機関からも見捨てられ、餓死を待つばかりであったところを危うく秋津州に引き取られ、三年の余も国王の傍らで暮らす平穏な日々を得た。

あの王宮の居間などにも始終上がりこんで、国王の膝で戯れていたほどだ。

漆黒の素肌に愛くるしい瞳を持った子供であったが、それが、祖国の施設で暮らす中で突如病死したと言う。

未だ七歳になるかならずで人生の終焉を迎えてしまったことになるが、キャサリンによれば、その子の口癖が「アキツシマに帰りたい。」だったと言い、それを聞いた国王は、まるまる二日間一言も口を利かなかったらしい。

尤も、孤児たちが引き取られて行った直後に行われたNBSのインタビューに「子供たちを殺さんでくれ。」と応えたことを以て、国王の心のうちが手に取るようだと言った者も多数あったのだが。

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  1. 2007/10/09(火) 11:04:43|
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自立国家の建設 106

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一方、その頃のワシントンにおいては、予測されていたこととは言いながら、タイラーレポートを巡る議論が大いに紛糾を見ていた。

そのレポートは、魔王の側近の消息を元に、秋津州側の対米姿勢を好意的に解釈した上、国土建設に関する青写真の詳細を一刻も早く描き切ることによって、その一大事業の支援を魔王に申請すべしと結論付けており、大統領のマシーンの間では、それに対する議論が真っ二つに割れていたのである。

反対論を唱える者たちは、魔王の対米姿勢に対する不信感をひたすらあらわにして、どうせ赤っ恥をかかされるのが落ちだと言い、積極派と言われる人々は、このまま座して滅びを待つほどなら、玉砕を覚悟で一刻も早く申請すべしと言う。

何れの論者も、魔王の対米心象を好意的なものと捉えることが出来ないでいることは確かであり、自国の滅びを前にしては、誰にせよ胸の中の疑心暗鬼が荒れ狂ってしまうのだろう。

議論は無為に紛糾し、衆議紛々、無論、確たる結論など出るわけが無い。

タイラーの焦りをよそに、ただ時間ばかりが空しく過ぎて行くばかりであったが、やがて思いもかけず救いの神が現れることになるのである。

それは、一月の二十一の早朝に掛かって来た一本の電話から始まった。

出て見ると、掛けて来たのは女神さまで、前から願っていた謁見の儀が許されたと言うのだ。

全ては、女神さまの必死の奔走あっての賜物なのであろう。

ところが、指定された午後になって、勇んで御前に出て見ると、またまた意外な人物に出会うことになった。

新生児を伴ったミセス・オカベだ。

今にして思えば、そもそもこのダイアンにしてからが、この私が口を利いて女帝に引き合わせたと言う経緯があり、その後、天下のコーギル家から、さまざまな個人的恩恵を蒙ったこともれっきとした事実だ。

久し振りに見る彼女は、相変わらず神々しいまでの美しさを保っており、今しも魔王に愛児を奪い去られ、魔王の腕の中の愛児を覗き込む横顔にしても頗る幸せそうに輝いている。

そのほか、お側には、立川みどりや三人組の侍女の姿は無く、それに代わるようにして、日本の海自の加納二佐とお調子者で聞こえた田中盛重がおり、後方にはいつも通り謹直極まりない井上司令官と、そのかたわらに見知らぬ美女が控えていた。

その女性は、主人の些細な要望にも即座に応えるべく全神経を張り詰めているように見えたが、抜けるほど白い肌に黒い瞳と長い黒髪を持ち、アジア系としては群を抜くプロポーションを具えた凄艶なまでの美女だ。

それも、一目見ただけで、ぞくりとするほどの妖艶さなのである。

あとで判ったことだが、その年若い美女は迫水(さこみず)美智子と言い、このたび新たに任命された秘書官だと言う。

ある意味、魔王の傍らに常に侍るべき専任女官と言って良いが、それこそ、古い表現を借りれば侍女と言うに相応しい。

以前の三人組にしても、その本来の役目は魔王の侍妾となることを自他共に期待しての着任であった筈で、まして魔王がその妻子を失ってしまっているこんにち、今回の新たな侍女の場合もその例外である筈が無い。

前例から言っても、あの女帝がその慧眼(けいがん)を以て選んだ女性であることは確かで、単に美しいだけで無く芬々たる色香をも併せ持ち、その鮮烈な女性的魅力は、如何にもさもありなんと思わせるものがあった。

膝を覆うほどのスカート丈から言っても、如何にも敏腕の秘書らしき装いだが、目立って踵の高い靴を履いているのも、常に近侍する主(あるじ)の背丈に少しでも近づけようとする配慮でもあるのだろう。

上下揃いの濃紺のビジネススーツの襟元から、純白のシャツの襟を多めに覗かせ、背筋を伸ばして颯爽と歩む姿も一段と好もしく、出来ることなら例のサザンクロスにでもお誘いしたいところだ。

豪奢なイブニングドレスがさぞお似合いだろう。

あの女神さまなどは既に幾度もお誘いして、その都度豪勢なプレゼントまで贈ったほどであり、二人揃って招待すれば満更可能性の無い話でもあるまい。

そこにも又、無限の情報源が隠されていることを想い、タイラーの「職務上の」興味は尽きることが無いのである。

聞けば、例の三人組は帰郷して結婚する運びだと言うが、どうやらこのままでは婚期を逸してしまうことを慮って、このような人事がなされたものであるらしい。

一説によれば、彼女たちは既に三十路に近いと言う者も多く、それは、彼女達自身にとっても決して軽い問題では無い筈だ。

その点、今度の侍女は未だ十八歳の若さだと言うところからも、女帝の深慮遠謀が見て取れると言うものだ。

まあそれはそれで良いとして、話の様子では、今回の謁見の儀は偏(ひとえ)にダイアンの心遣いから出たものだったらしく、それもワシントンの苦衷を大いに汲んでくれてのことだったに違いない。

流石はアングロサクソンの合衆国市民だ。

見れば、魔王は先ほどからダイアンの愛児を抱かせてもらって甚(いた)くご満悦の呈であり、挙句に加納二佐と赤ん坊の取り合いまで演じ始めるほどで、とにかく上機嫌であることだけは間違い無い。

おかげで謁見の儀礼もほんの形だけのもので済み、こちらとしては大助かりなのである。

その後、ダイアンが強力な助け舟を出してくれて、魔王からとりわけ貴重な言質を頂戴することにも成功した。

無論上機嫌だったことも幸いしたのだろうが、とにもかくにも、赤ん坊を加納に奪われた魔王と控えの間において改めて懇談する機会を得たのである。

ありがたいことに、ダイアンの陪席付きで、挙句しゃべるのはほとんどそのダイアンばかりだ。

その言うところも、実にはっきりしており、詰まりは、「合衆国の衰微は魔王の歓迎せざるところである。」と仰る。

丹波においても、合衆国の繁栄こそ望ましいとまで言ってくれた上に、いちいちそれを傍らの魔王に同意を求めてさえくれるのである。

魔王は只うなずくばかりだ。

まったく、ありがたくって涙が出てしまう。

最後に、貴重な一言を魔王の口からもはっきりと聞くことが出来た。

「我が国は、貴国の繁栄とそれに伴う貿易上の相互利益を最も大切なものと考えており、そのためにも一刻も早い貴国政府の決断を求めている。」と肉声で仰せになったのである。

無論それは、大統領に向けてのメッセージと受け取ってもらって結構だとまで仰る。

そうである以上、我が国からの支援要請を蹴る意思など全く無いことになり、ワシントンは、安んじて支援要請を行うことが出来ることになる。

少なくとも、赤っ恥をかかされる恐れだけは無くなったと言って良いだろう。

又しても大部のレポートを起草しなければならないだろうが、今度の場合は魔王の肉声を以て仰せいだされた「談話」そのものを元にしており、「談話」とは言いながら、立派に米国市民の証人までいるのだ。

そうである以上、あとはワシントンの決断あるのみだ。

まして、ここまでの直球を投げて来られた以上、ワシントンも断じて癖球(くせだま)など投げ返すべきでは無いだろう。

こうしている間にも、他国の国土整備ばかりが魔王の軍団によって猛然と進捗している筈であり、とにかく、ことは一刻を争うのである。

オフィスに戻り、取り急ぎレポートを作成しながら思うのは、我が白頭鷲の行く末ばかりだ。

レポートは専用回線を以て即座に送信した上、さまざまな補足説明まで抜かり無く加えたつもりだ。

とにかく、かの超大国の元首が「大統領へのメッセージと取ってもらって結構だ。」とまで言っているのである。

タイラーはひたすら待った。

だが、翌日になってもその反応は信じがたいほどに鈍いものでしかなかったのである。

一民間人のダイアンですら、そのことを案じてこれほどまでの協力を惜しまないでいてくれている。

それに引き比べてワシントンの馬鹿どもは、一体何をぐずぐずしているのだろう。

久々に聞く魔王の肉声は、我が国に大きな贈り物をしてくれた筈であり、これを活かさない手は無いのである。

しかし、その後もワシントンの反応に捗々(はかばか)しいところが見えないまま、タイラーの焦りを尻目に時間だけが空しく経過し、あっという間に二十五日の朝が来てしまった。

この日は日曜日であり、今夜の零時には魔王自身が例の搬送作業に出動し、言わばそのまま二十四時間勤務に就くことになるのだ。

恐らく優に百カ国以上の国々を基点として、それぞれの搬送作業に没頭するのである。

タイラーの見るところ、どうやら魔王自身が個別の指揮を直接執っている気配が濃厚であり、いきおい毎週月曜日は重労働にならざるを得ず、その結果火曜日は長い休憩を取ることを常としている模様だ。

その前提で考えると、具体的かつ最高レベルの対秋津州工作は、今日を逃せば二十八日の水曜まで待たねばならないのである。

ワシントンでは、ようやくいわゆる積極派が多数を占めるまでになってはいるものの、肝心の国土整備に関する具体的な青写真がまとまらない。

まとまるどころか、未だに甲論乙駁(こうろんおつばく)して結論など全く出そうに無い気配だ。

大統領が各州政府の意向を全く無視して臨んだ検討部会においてさえ、候補に上がっている青写真が一ダースもの多くを数え、それぞれに長短がある上、個別の産業や地域性に関わる利害まで複雑に絡んで来て容易に出口が見えて来ないらしい。

ワシントンにいる友人などは、こうなれば大統領が蛮勇を奮って決定するほかは無いだろうと言うが、肝心の大統領自身が再選を目指しているため、その背後にいるさまざまな魑魅魍魎の利害関係に、ひたすら神経をすり減らしてしまっているのが実情なのだ。

情け無いことに、このままでは、二十八日どころか、来月になっても具体的な青写真は決定されそうに無いのである。

惑乱しそうになるところを辛うじて踏みとどまっているうちに、やがて夕闇がたちこめるころになって、女神さまから電話が入った。

恐れ多くも、王宮から「ワシントンの決断は未だか。」と言うご下問があったと言う。

恐らく、魔王自身は深夜の出動に備え、これより眠りに就こうとしているところなのだろうが、王宮からと言うことは、あの秘書官を通じて女神さまに連絡が行ったに違いない。

だが、タイラーとしては返答にも窮する事態が延々と続いていることに変わりは無く、丁重にその旨を伝えるほかは無かったが、この無様(ぶざま)過ぎる対応が、今頃あの美貌の秘書官に伝わってしまった筈だ。

あの妖艶な美女が、我が国の反応の鈍さを知って、きっと皮肉な笑みを見せたことだろう。

そのこと一つ取っても、身を切られるほどの辛さなのである。

尤も、この迫水美智子と言う美貌の秘書官が、別にもう一人存在していることなど、今のタイラーには思いも寄らないことではあっただろう。


一方、かねてより行われて来た任那の郷の開発事業がこのところ一段と進み、遂に一月も末になってそれが悉く完成を見るに至り、真新しい近代都市群の雄姿が各国の紙面を派手に飾ることとなった。

秋津州商事の例の宣伝作戦にも乗って、任那の実像と称する情報が、もうこれでもかと言うほどに報じられ、それこそ、あらん限りの映像情報が巷に溢れたのだ。

無論、それは日本だけにとどまらない。

結局、秋津州商事の巨額の宣伝予算がその威力を遺憾無く発揮したことは確かで、ほとんどの国で、溢れるほどの任那情報が流れるに至ったのである。

したがって、少なくとも庶民レベルに限れば、世界中の驚愕を呼んだと言って良い。

もともとの任那自体、その内陸部には緑なす山並みが諸方に連なり、水量豊かな水系にも数多く恵まれていることで知られていたが、今回その平野部を中心に築かれた近代都市群の中には、目を疑うほどのものが数多く見受けられ衝撃的ですらあったのだ。

その多くが、ニューヨークや東京にも勝るほどの堂々たる規模を誇っており、その規模において、決して片田舎の小都市などの比では無かったからだ。

御用評論家が数多く登場して任那の優れた近代的都市機能を持ち上げ続け、中には、二億人の任那人が、程無くそれらの都市群の全てに重厚な実質性を与える筈だと言う者まで出た。

詰まり、任那現地には二億人と言う巨大人口があり、完成したばかりの近代都市の全てを直ぐにでも埋め尽くし、一千万どころか二千万人都市までが複数誕生する筈だと言うのだ。

いずれにしても、それほどの大人口がその地で「生活」を営む以上、そこでは活発な経済活動が行われる筈で、しかも、それらの都市がそれぞれ重厚な交通網を以て結びついている風景が眼前にあり、それが事実なら、巨大マーケットの誕生と言う話にも通じるのである。

その上、長大な海岸線の一部にはロングビーチに擬せられるほどの海浜環境まで具え、既に巨大ホテルが建ち並び、その地の季節が冬季でありながら、行楽客が多数姿を見せて一大リゾート地の誕生を謳いあげ、同時に内陸部の山岳地帯ではスキー場まで開設されており、やはり多くのスキー客を集めていたのだ。

地球上の庶民に齎したインパクトの激しさは、尋常一様のものでは無い。

それらのリゾート地に関しては時期尚早だとして、懐疑的な論調も無かったとは言えないにせよ、少なくとも、数多くの市街地が大規模かつ先進的な姿を見せていることだけは疑う余地が無いのだ。

しかも、それらの地は、つい先ごろまで、見渡す限りの原生林と原野が広がる、文字通りの大自然に包まれていた場所だったと言うのである。

それがどうだ。

その同じ地に、地下鉄が走り、至るところに高架のハイウェイが通じ、そして林立する高層ビル群が圧倒的な姿を見せ付けており、郊外にはほど良く整備された農地が延々と広がり、諸方の湾岸地帯には巨大港湾が多数姿を見せ、その背後に大規模工場が整然と立ち並ぶ工業地帯が有る。

本来の意味で使用されるかまでは不明だとは言え、長大な滑走路を多数具えた空港設備までが十数箇所もの多くを数え、そのそれぞれで膨大なSS六が発着を繰り返しているのだ。

報道によれば、その任那には今なお三個兵団と言う膨大な兵力が駐留し、降り積もる粉塵の清掃作業に全力を傾けていると言うが、既に建設工事そのものが完了している今、それも程なく終了する筈であり、これを以て国王の直轄領域内で予定されていた国土整備事業が全て完了した筈だと言う。

この場合で言う、予定されていた国土整備事業には実にさまざまなものがあるが、言い切ってしまえば、せっかくの大自然を徹底的に破壊し尽くし、近代的な人工構造物を大量に築いたことには違いは無い。

その場所だけを挙げても、東側から鳥瞰すれば先ず新田の借り受けた「秋桜」があろう。

次に王宮の所在地として知られる八雲の郷があり、その又東方に鹿島一佐の座る玉垣の郷がある。

その東方には、秋津州本島とでも言うべき未開の大陸「馬酔木の山斎(あしびのしま)」が広々と横たわり、この馬酔木の山斎の東端から更に東へ大海を渡れば、そこに新アメリカ大陸があり、問題の任那は、その新アメリカ大陸の西岸に位置しながられっきとした直轄領なのだ。

しかも、これ等直轄領の工事には他の地域と際立って異なる特徴があった。

直轄領以外の領域では、極めて公共的で基礎的なインフラに限定した工事が行われるケースがほとんどだが、王の直轄領では、公共的であろうとなかろうと必要とする工事は全て無制限に行われ、大和商事の高層ビルはおろか膨大な個人住宅まで竣工しているのである。

それも、急ごしらえの仮設のものなど全く見当たらず、全てにわたって本格的な工事による堂々たる「完成」ばかりだ。

殊に任那の場合、今月の初頭から大幅な増員を図った結果、全ての工事が爆発的な速度で進行したことによって、竣工の予定を大きく前倒しすることに成功したと伝えられ、その結果極めて短期間に完成したものがこれほどのものである以上、北米やEU諸国の更なる焦りを呼ぶ筈だ。

しかもその地では、あの八雲の郷と同様の制度を以て運営されることが確実視されるに至り、既に膨大な海外資本が流入し始めていると言う。

何せ、百万平方キロにも及ぶ領域(任那)に、大容量の発電設備や近代的な交通網はもとより、多数の都市群が整然と建設された上に、そこもまたタックスフリーだと言うのである。

同じタックスフリーでも、太平洋上の秋津州の場合は未だ良かった。

その地では、外国人や外資に対して不動産の保有を禁じ、最近緩めたとは言いながら賃貸に関してさえ厳しく制限して来たからだ。

だが、八雲の郷や任那の郷の場合、その障壁すら取り払われてしまっているため、一般の国家から見れば、あの悪名高きタックス・ヘイヴン(租税回避地)そのものであり、なかんずく、完全なタックス・パラダイスなのである。

多くの場合、各国共にこれに対抗するための特別の税制を持ってはいるが、何せ問題の「租税回避地」は丹波にあるのだ。

中長期で見れば丹波経済の停滞そのものが望まれているわけでは無い上に、もし各国が対抗税制を厳しく運用しようとすれば、その国の資本と技術と情報が益々流出してしまうことも目に見えている。

その意味では各国共に痛し痒しのところだっただろう。

うかうかすると、地球上の自国経済が抜け殻同然になってしまうのだ。

そうなってしまうのは、今は未だ困るのだ。

この任那では、基本的な第一次産業は秋津州人が担い、流通産業なども大和商事が巨大なネットワークを以て運営しており、現地の経済活動を立派に下支えする態勢がある上、秋津州国王の優れた統治実績がこれまたものを言う。

近代的な金融システムや上下水道設備があり、巨大ホテル群や高層マンション群、そして多数のテナントビルが既にある。

近々売却が許される筈だと囁かれるビルも多数存在することもあり、自然それを目当てに上陸して来る外国人たちが引きも切らないと言う。

彼等はSS六のチャーター便を用い、物好きにも未だ収まりきれない粉塵をものともせずに陸続としてやってくるのだ。

その多くが八雲の郷を経由して来るとは言うが、中には秋桜や敷島から渡来する者も少なく無いと言う。

任那は現実に大和文化圏の一郭を構成し始めたのである。

その上、世界の各地と結ぶ海底ケーブルも活き活きと稼動し、それが都市部に限らず内陸の山岳地帯まで過不足無く網羅し、通信衛星の利用まで可能なことが判っている今、近代的な情報通信網が立派に完成していると見られるに至り、任那の巨大都市群は、商業都市としての付加価値を益々高めるばかりだろう。

地球上で出口を求めて溢れ始めていた大量の資金が、奔流となって流れ込むことは当然の経済原理なのである。

まして、近頃丹波の全域で起きつつある大変動のことも疎かには出来ない。

実は、任那の完成に時を同じくして、地球人が古来の秋津州人と呼ぶ丹羽の原住民たちが大移動を始めていたのだ。

過去数世代にわたって現地の農耕地に居住していた原住民たちが、先祖伝来の農地を捨てて一斉に引き上げ始めていると言うのである。

無論、その国の当局には秋津州側から事前の通知がなされており、特別の混乱は起きてはおらず、それどころか、ほとんどの国の当局はそれらの農地を喜んで公収したらしい。

それと言うのも、無償支援の国土整備だけを懇請して来た諸国においては、既にその作業の大よそが完了してしまっており、既に大量の国民を地球から移住させつつあったため、その農地の管理にも自信を持つに至っていたからだ。

現地メディアが伝えるところによると、各地の原住民たちは数万単位で瞬時に移動して行ったと言うが、無論その後の消息は不明だ。

日本のメディアなどでは、封建の世に地方でしばしば見られた「農民の逃散(ちょうさん)」を見る思いがすると論評を加えるケースが多いが、とにかく、「統治」に対する不安や不満が増大した結果、農民が農地を捨てて他国へ逃げ散ってしまう点においては、いずれの場合も異なるところは無いのである。

かくして「逃散」は続き、その現象が、今では例外無く丹波全土に広がりつつあると報じられているが、北米やEU諸国などは、未だ農地の受け入れ態勢すら整ってはいないのだ。

とにかく、秋津州側から見て今や「外国」となった領域の原住民たちが、大量に「消滅」しつつあることは事実で、既にその総数は三億にも達するとまで言われ、無論その行き先は王の直轄領だと囁かれてはいるが、その実態までは詳らかでは無い。

ただ、今話題の任那においても従来に数倍する耕地が開拓を終えており、そこにも相当数のものが移住したに違いないと囁かれる一方、近頃の任那の秋津州人人口は確かに増加傾向にあり、その数も二億を超えていると推論する者さえいるほどだ。

くどいようだが、この任那の郷と言う直轄領は、それだけで既に現日本の三倍にも及ぶ広大な領域であり、この意味では、二億を超える秋津州人が居住し、かつ活動していても何の不思議も無いのである。

しかも、鹿島一佐の指揮する玉垣の郷のこともある。

無論それは、八雲の郷と馬酔木の山斎に挟まれた大島(だいとう)であり、これをしも、現在の日本の倍ほどの面積を持ち、優秀な油井や種々の地下鉱脈は勿論、抜きんでて広大な耕地面積まで有することで知られている大地だ。

その玉垣の郷の人口も又最近増加気味だと主張する者もおり、これらの消息について、土竜庵に取材を申し入れるメディアも少なく無い。

今や秋津州帝国軍の参謀本部と呼ぶ者さえいる土竜庵なら知らぬ筈は無いのである。

今次の「逃散」現象にしても、その参謀本部の立案した作戦の一環だと見るのが自然だろう。

だが、土竜庵サイドは「今現在もなお大幅な変動が続いている事象に付いて、いちいち明らかにすることは困難である。」と言うばかりで一向に埒(らち)が明かない。

その反応にストレスを感じるメディアも多く、重ねて取材を申し入れた結果、多少はましな説明がなされたと言う。

結局、故郷を捨てざるを得なかった秋津州人たちにしてみれば、あとから押しかけて来た「外国人」たちが思い通りに国造りをする以上、その地に残ればゆくゆくはマイノリティとしての悲哀を嘗めさせられるのは目に見えており、ひるがえって、国王の直轄領の中ならば、自分たち自身もそこの先住者たちと同等の権利を持つことが出来ると言う想いが湧くのだろう。

何せ、その地では、自分たちと同様の肌の色と言語を持ち、これまた同様の風俗習慣を共有する古来の秋津州人ばかりが暮らしており、それらは皆自分たちと同族なのだ。

詰まり、その地に行きさえすれば、自分たちはマイノリティどころか圧倒的なマジョリティになれるのである。

まして、あるいきさつもあって、このまま故郷の村で暮らし続ける場合でも秋津州国籍をも併せ持つことに定められており(いわゆる二重国籍だが)、したがって、直轄領である秋津州国に移住しても、堂々たる秋津州国民としての権利を行使出来るのだから、どうせなら、早いうちに秋津州領内に移住してしまいたい、と考える者が多いのだと言う。

それらの人々の間では、直轄領に行きさえすれば、既存の農地と同程度のものは、あの国王が必ず補償してくれる筈だと信じられているらしい。

何しろ、丹波の原住民たちにとって、見慣れぬよそ者が押し寄せてくるまでは、丹波のどの領域に移動しようが、そこは全て国王の統治する秋津州国だった筈で、国境が存在しない以上、そもそも「外国」と言う概念すら持たずに生きて来たことになり、この意味では国王は彼等全員にとって斉しく王だったのだ。

その国王の統治する大地がこの度大幅に減ってしまったとは言いながら、国王の大地に辿りつきさえすれば、あとは優れた統治者である筈の我が国王陛下が、きっと何とかして下さると信じていると言うのである。

結局土竜庵にしても、こう言うよりほかは無かったろう。

「このように、原住民の秋津州に対する帰属意識と言う問題が根本にあるため、彼等自身が今後の居住地としての選択を重ねながら移動を繰り返しているのが実態であり、それは言わば整頓作業と言う側面を持っていることに加え、その高い流動性から言っても、常に詳細なデータを入手し続けることなど至難の技である。」と。

しかも、この件については、諸外国の反応次第で秋津州側の対応も大幅に変わることもあり得ると言う。

むしろ、諸外国の反応にこそ、その答えが隠されていると言わんばかりだ。

詰まり、その地の新たな統治者が、秋津州人と言う先住民族を安堵させることが出来さえすれば、彼等にしてもわざわざ故郷を捨てたりはしないのだと言いたいところだったのだろう。

なお、国王に代わってビルのインタビューに応えた新田が、個人的慨嘆としてと断った上で、「誰にしても、故郷は他に代え難いものの筈だ。」と語ったと言うが、要するに、「好きで故郷を捨てる人はいないのだ。」と言う意味なのだ。

ただ、この土竜庵の反応を以て、大方のことは類推出来るとしたメディアは、結局丹波の秋津州人は全て王の直轄領に収容されるものと看做し、その総数も三億から六億の間だろうと報じる向きが殆どであった。


ちなみに、土竜庵を中心に活動するメンバー(プロジェクトAティームと新田の配下たち)は、過去の経緯から言っても丹波情報の収集には断然有利な位置を占めている上、その活動は今や世界から一種の恐れを以て注視されるに至っている。

そこで検討される諸々の案件は、秋津州王家はもとより、東京の首相官邸とも密接に繋がっており、全て実現性の高いものばかりである上、実行能力と言う点でも、あの秋津州軍と各荘園が齎す膨大な資源と言う圧倒的な背景を持つからだ。

詰まり、土竜庵で決定されたことが、そのまま実行されてしまう公算が高いと見られていることになる。

既に、七カ国協議はおろか、国連安保理なども土竜庵の意向を受けて動かざるを得ないのが実情だと言う者も多く、メディアの一部などでは、世界の枠組みを云々するに際し、その決定権は実質的に土竜庵に握られてしまっていると報ずるに至っているほどだ。

最近の英字新聞の紙面などにも、例の「サンノショウ」と共に「ドリュウアン」を現す英字が数多く登場するまでになって来ており、それらは既に世界共通の言語表現になっているくらいだ。

現実に土竜庵はさまざまな案件に検討を加え、決断し、かつ秋津州国王に進言して実現させて来ており、その土竜庵の亭主は無論新田源一であり、それらの検討作業を主宰し、自ら決断を下しているのも新田自身に他ならない。

殊にケンタウルスの一件が浮上して以来、彼の頭脳はブルドーザーのように日々驀進を続け、いささかオーバーヒート気味だと言われ、最近では、愛児源太郎の顔を見るのもままならない状況だ。

当然、新田のデスクにはさまざまな案件が今も山積みである。

新アフリカ大陸における無償支援工事も既に目鼻が付いており、かつて新田自身が「最低限の」と定めた発電設備の無償支援枠なども多少甘めに査定したことで、容量的には当初の予定よりかなり潤沢な供給を可能とするように仕上げておいた。

現地の秋津州軍は国境警備にあたる者以外、全て最後の清掃作業に就かせ、それですら、とうに目鼻がついているのだ。

詰まり、その地における予定の工事作業は実質完了していることになり、その工事を担っていた一個兵団も全て引き上げが可能となったことにより、現在丹波に駐留する五個兵団のうち、予備兵力としての備えはこれで四個兵団となった。

充分過ぎる予備兵力だと言って良い。

土竜庵では、これを機に敷島のインフラ整備の最後の総仕上げを急ぐべしと言うことになり、官邸とのやり取りの末、早速実現の運びとなった。

敷島は新たな日本となるべき領域である以上、国井にとっても異論を差し挟む余地は無く、その結果二個兵団と言う膨大な兵力が増派され、あと二週間もあれば残りの作業まで全て完了する見通しが立ってしまっている。

少なくとも、隣接する(無論五百キロほどの海洋域を跨いでのことなのだが)秋桜のレベルには追いつける筈だ。

これで、新田の目指した大和文化圏は、少なくともそのハード面においてだけは完成を見る事になり、その結果、半月後の敷島では多くの集合住宅も完成し、全ての日本人がその地へ移住し得る基礎的な条件が整うことになるのである。

尤も、凡そ一千万所帯ほどの分は、個人個人が好みの地所を購入してから、個別に住宅を建設することになるのだろうが、その間秋桜の集合住宅に緊急避難していることも充分に可能なのだ。

何しろ秋桜においてとうに完成している集合住宅の分だけで、少なくとも数量的には、日本人の全員が入居出来る容量だけは立派に確保済みなのである。

この点も含め、丹波における日本の先行性は、王の直轄領を除けば、いよいよ他の追随を許さないレベルに達し、敷島の不動産の担保価値がより一層上昇することによって、例の敷島特会の財源を益々潤し続けることになる。

同時にそれは、さまざまな相乗効果を生み、その地における市場性の付加価値も当然に高まって行く筈であり、新田と言う参謀長が、秋津州一郎と言う司令官の幕下で描く作戦は、成功に向かって大きく踏み込むことになる筈だ。

その作戦の中の大和文化圏の経済規模は、「とりあえず」三千兆円(GDP日本円換算)ほどだと言われており、それを聞いた田中盛重などは腰を抜かさんばかりに驚いてしまったらしい。

何せ、巨大市場を誇るあの米国ですら、その点、二千兆円にも満たない実績しか持っておらず、日本に至ってはせいぜい六百兆円が良いところで、田中にして見れば到底信じられる話では無かったのだろう。

しかし、岡部などに言わせれば、新田構想による大和文化圏と言う領域では、八雲の郷、玉垣の郷、秋桜、敷島、そして任那の郷と、そのそれぞれが世界的な規模で国際交易の拠点となりつつあり、やがて地球上の全てが実質的に壊滅してしまう以上、その領域ばかりが各国のビジネスマンを引き寄せてしまうことも目に見えており、半年後には二億人ほどの「外国人」が、その領域を拠点として盛んにビジネスを行うまでになっている筈だと公言して憚らない。

その上、丹波世界における基軸通貨としての「秋津州円」の地位は、既に不動のものとなってしまっており、唯一それに肉薄して行けると言われているのは「日本円」だけだと言う。

実際に丹波の状況が現状のままで推移すれば、北米やEU諸国のビジネスマンの多くは、大和文化圏に活路を求めるほかは無くなってしまうことも目に見えており、岡部の話もあながち法螺話だと笑い飛ばしてしまうわけにも行かないのである。

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  1. 2007/10/15(月) 23:34:44|
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自立国家の建設 107

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一方タイラー補佐官は、海都のオフィスで一段と胃の痛みに耐える日々を送らざるを得ない。

無論、原因の全てはワシントンの反応の鈍さから来るものであって、近頃では遠く東海岸に向かって呪いの言葉を吐き続ける毎日だ。

現にあの魔王自身が、この私に向かって「我が国は、貴国の繁栄とそれに伴う貿易上の相互利益を最も大切なものと考えており、そのためにも一刻も早い貴国政府の決断を求めている。」と仰せになっているのである。

ましてその発言を、「大統領へのメッセージと取ってもらって結構だ。」とまで言ってくれたのだ。

しかし、それでなおワシントンは「決断」をしない。

いや、「しない。」と言うのは正確では無いだろう。

したくとも出来ないでいるのだ。

しかもこの状況は全てワシントンの不作為が招いたものである上に、やつ等がワシントンで呑気に民主主義を謳っている間にも、世紀末を告げる鐘は鳴り続けているのであり、その鐘の音は既に耳を聾せんばかりだ。

ワシントンの薄のろどもの耳には、それが届いていないのだろう。

現に一方であの任那までが完成してしまっており、それに伴い合衆国の新領土からも、怒涛の如く「逃散(ちょうさん)」が始まっているのだ。

今となっては、もう一人も残ってはいないのではないかと言う話すら伝わって来ており、ことは深刻だと言って良い。

我が国がその農地を管理する能力すら持たない以上、ぐずぐずしている内に、彼等が投げ捨てて行った広大な農地の悉くが荒廃してしまうのである。

ちなみに農地と言うものは、雑草がはびこり根を張ってしまうのはあっという間だが、一旦そうなってしまってからでは、元の「農地」に戻すには途方も無いコストが掛かるものなのだ。

一歩間違えれば、全て荒野にかえってしまう恐れすらあり、丹波に移住してからの食糧確保と言う側面から見ても、あだやおろそかにされて良いものでは無い。

この点一つ取っても、ワシントンの反応は鈍すぎるのである。

まったく腹立たしい。

ここ数日、悶々として眠れぬ夜を過ごして来たのはいったい誰のせいだ。

ワシントンに呪いの言葉を吐いても何一つ解決するわけでは無いが、とにかくひたすら腹立たしいのである。

要は愚痴なのだが、ときにあたりワシントンの友人から思わぬ情報が寄せられて多少の慰めにはなった。

それによると、近頃ようやくワシントンの腰が据わり始めたものらしく、州政府の主張などを一旦全て退けた上で、丹波の国土整備事業に関わるグランドデザインと称して、その一本化に成功しつつあると言う。

聞いている限りでは、そのプランにしても十通り以上もあったものを、我が大統領閣下が勇を振るって決断した結果だとは言うが、何よりもその後の作業が猛然と進んでいることだけは確からしい。

ワシントンもことが急を要することは当然認識しており、膨大な航空写真や地質データを前にして連日格闘中であることは確かで、大統領閣下も毎日点滴注射を打ちながら奮闘し、目下その詳細の詰めに入っていると言うのである。

千人を超える専門スタッフを以てしても、その青写真は未だ未だ白紙の部分を数多く残しており、その全てが書き込まれるまでには長い道のりを要すると見るほかは無いが、その未完成の青写真は内陸部における都市計画をも含んでいると聞き及んでおり、そうである以上、ワシントンは有償とされる工事部分も一括で請願するハラを固めたことになるであろう。

尤も、そうでなければ、中露印蒙はおろかアフリカ諸国にさえ追いつくことは不可能だ。

何せ、それらの国々では、無償部分に限定しているとは言いながら、多くの場合その部分の工事を既に終えてしまっており、現在はその他の部分の開発を自力で進めている状況なのだ。

彼等が自力で進める開発スピードが遅々たるものであるとは言いながら、我が国がその開発プランすら定めることが出来ないでいる以上、このままではその差は開くばかりだろう。

しかし、この状況で我が国が詳細かつ大規模な有償部分も一括で申請すれば未だ間に合うのである。

その場合でも概ね百日もあれば目処がついてしまうと聞いており、急げば彼等に追いつくどころか一気に抜き去ってしまうことさえ可能だ。

いきおい、秋津州に発注する有償の工事部分も膨大なものにならざるを得ないが、我が国が既存の競争力を維持して行くためには当然必要とするコストなのだ。

そのコスト算定に関しては、秋津州側との厳しい談判が待ち構えており、いずれにしても空前にして絶後の国債発行を余儀無くされるだろうが、何せあの日本の場合でさえ、日本円換算で千四百兆ほどの算定価額だったと聞いており、それは既に、我が国のGDP総額にも匹敵するほどの巨額なのである。

我が国の新たな国土面積が、従前に比せば大幅に縮小してしまったとは言いながら、それでもまだあの敷島の十五倍にも及ぶものである以上、その工事面積にしても我が国の場合が日本の十倍以下になるとは考え難い。

どう見ても、日本の十倍以上の建設コストを覚悟しておかなければならない筈で、無論、この見通しに関しても例のレポートに盛り込んであり、ワシントンが知らない筈は無い。

詰まり、その件も全て承知の上での決断だと見て良いのだが、いずれにしても厳しい交渉を迫られることに違いは無く、例えそれがワシントンの意に染まぬほどの高額であったにせよ、納期が限られている以上、魔王以外に引き受け手はいないのだ。

その意味に限れば、言わば完全な売り手市場なのであり、なおのこと交渉は厳しいものにならざるを得ない。

そして、名目上の交渉担当者が誰であろうと、いきさつから言って実質的にその役目を担うのは自分以外にあり得ず、そのことも胃の痛みに一層拍車を掛けてしまうのだ。

また、この交渉の帰趨を握る者は一(いつ)に土竜庵だとされており、その主宰者たる新田源一と言う男が自分にとっては大の苦手であり、言って見れば天敵のような存在だと言って良いほどで、さまざまないきさつから言っても、この私やワシントンに好意的な感情など持っている筈も無く、あの男の常日頃を見る限り、いざとなって途方も無い高値が提示されたとしても不思議は無い。

それこそGDP総額の二十倍だなどと言われたら、流石の合衆国も破綻してしまうかも知れないのである。

とにかく、あの男なら言いかねない。

当然、それに対抗するためにも、さまざまの補強材料を考慮しておく必要があるが、現状ではあの女神さまだけが頼りだ。

ときにとって、その女神さまの反応も悪く無いのである。

悪くないどころか、例のプレゼント攻勢が功を奏してか、今ではワシントンの苦衷を積極的かつ好意的に汲んでくれており、おかげで、秋津州王家の対米姿勢に新たな悪材料を感じずに済んではいる。

その上、東京にいるミセス・オカベからも同様の感触を得ており、その夫君は知る人ぞ知るあの対策室の実質的な長なのだ。

その夫婦仲も仲睦まじいことで知られており、当然、彼女が夫君の意に背いて行動しているとは考え難い。

詰まり、ミセス・オカベの見せる好意的な対米姿勢にしても、彼女が米国市民であることだけに起因しているわけでは無く、その夫君の仕切る対策室の意を含んでいると見るべきだろう。

しかも、その「対策室」自体が内閣官房の要となって動いている以上、東京政権の対米姿勢にしても推して知るべしであり、「他国の政治姿勢の如何を問わず。」とは言いながら、国井と言う人物の過去の来歴を見る限り、同盟国としての合衆国を見捨てるものでは無い筈だ。

この意味では、残り時間が少な過ぎることこそが問題なのであって、日米間に致命的な軋轢が生じているわけでは無いと見て良い。

残る問題は、カナダや豪州やEU諸国に対する対応だ。

我が国自身が情勢分析を誤って置きながら、それに気付くどころか、かえって大声で主張し、暗黙の協調を求めたことが全ての発端となっており、結局、彼らにも悲運に付きあわせてしまったことになる以上、その彼らを今ここで置き去りにすることは、最大の裏切り行為と看做されてしまうことは避けられず、その全てを同時に敵に回してしまうのは戦略上如何にもまずい。

かと言って、ワシントンは最早自らのことで手一杯で、とてものことに彼等を援護するどころの騒ぎでは無く、ここにもワシントンの苦悩がある。

現に、タイラーのオフィスにも英仏独豪加などの代表部から悲鳴にも似た声が届き始めており、既に対応に窮することもしばしばだ。

彼等からすれば、ワシントンの音頭に合わせて盆踊りを踊っている間に、丹波における開発競争に出遅れてしまったことになり、それが実態である以上、当然言いたいことは山ほどにあるだろう。

実は、それらの件に絡んで重要なアポを取ってあり、これから外出の予定だ。

例のサザンクロスに重要人物を招待しており、そろそろ正装してお迎えに出向かねばならない。

いよいよ新たに購入した最高級リムジンの出番であり、正客は例の女神さまとその連れだ。

本来女神さまを通してお誘いしてあったもう一人の正客は例の美貌の秘書官だった筈が、急遽変更となったばかりか、それに勝るとも劣らないほどの重要人物を紹介したいとの仰せだ。

その結果、リムジンにお迎えした客は実に意外な人物で、ハンドルを握るジムも驚いていたが、この私も驚いた。

その「女性」がミス・タキ・アキモトにそっくりの若い女性であって、しかも実に特徴ある軍装を身に着けていたからだ。

それは、昨年の建国記念式典で見かけた目も絢な「かんなぎ」姿そのものであり、それも金色燦然たる太刀を佩いた見るからに颯爽たるものであって、殊に重ね着した薄手の千早との組み合わせは噂の「かんなぎ旅団」の中でも高級仕官専用のものと聞いており、聞けば彼女はこの若さで旅団長職にあるらしく、しかも、その旅団は十個連隊に大規模な輜重部隊が付く編成だと言うのだ。

ちなみに秋津州の軍制における一個連隊とは、それだけで既に二十一億にも及ぶ大兵力であり、彼女の指揮する旅団はそれを十個常備している上に、途方も無い規模の輜重部隊まで併せ持つ大部隊だと言う。

彼女はその名もアキモト中佐だと名乗り、秋元姉妹とは遠い縁類ではあっても、れっきとした秋津州人だと仰るが、それはそれで良いとして、現在彼女に与えられている任務の一端が、ワシントンにとって極めて重大であった。

何と、丹波における全ての工事一切をマネージしていると仰るのだ。

いきおい、サザンクロスのテーブルに着いてからも懸命な接待は続かざるを得ない。

店のマネージャーに命じて、特別ルームを用意させ、充分なプレゼントも準備した。

このレベルの相手なら、少なくとも我が新領土における巨大事業に関しても、信頼すべきデータを持っておられる筈なのだ。

こちらの知りたいことは、偏にその納期とコストなのだが、残念ながらその工事の内容自体が未だ不明なのである。

発注内容が不明では如何なる建設会社であっても、納期やコストなど推し量ることすら出来ないだろう。

したがって、例え非公式なものであっても是非ともその概要は掴んで置きたい。

ジムに耳打ちして現在ワシントンルートに接触させてはいるが、この場には間に合わないだろう。

第一、そのワシントン自身が、それについて未だ確定していない可能性が強いのである。

詰まり、具体的な質問を発するには決定的にデータ不足なのだ。

しかし、今回掴んだこの人脈はワシントンにとっても特別に価値のあるものであり、今後のことを思えば充分な応接を心掛けねばならない。

タイラーの職責から言っても、基本中の基本と言うべきものなのだ。

眼前の旅団長は煌びやかな軍装のまま、終始鷹揚な笑みを湛えながら、実に物静かな応対をしてくれており、並んで座った女神さまとはほぼ対等の言葉遣いを以て接しているように思える。

尤も、こちらの推測通りなら、対等も何も、この秋津州軍人の正体は秋元姉妹の四女であり、今も新田氏の秘書を務めている秋元涼氏の直ぐ下の妹に当たり、目の前の女神さまにとっては一つ違いの姉に当たる筈なのだ。

詰まり、二人はれっきとした日本人姉妹だと言うことになり、まして一つ違いと言うことは、幼い頃から常に最も身近な存在として、濃密な触れ合いの中で成長して来ていることになる。

この意味でも、二人の間に遠慮などある筈がないのである。

また、日本人秋元滝氏になら、女神さまを通じて以前にも高価なプレゼントを贈ってある筈で、要はこのような環境の中で今日のこの席が持たれたものと見て良い。

タイラーは、今まで続けて来た思い切ったプレゼント攻勢が、決して無駄ではなかったことをつくづく思い知るのである。

何故なら、材料不足で確たる返答を期待出来ないと思いつつ発した問いに対してさえ、思いもよらない答えを聞くことが出来たからだ。

無論、「納期」に対してだ。

旅団長閣下(未だ将官では無い以上、閣下と呼ぶには相応しくは無いが)は仰る。

「このたび完工した任那に準ずるレベルの工事なら、貴国の領土の範囲や地域風土に照らして、百か日ほどで竣工させる自信がある。」と言う。

当然、詳細な青写真の提示あっての話ではあるが、その工事の全てをマネージする責任者自身の言葉である以上、その重みはワシントンにとっても軽いものでは無い筈で、早速新たなレポートを起草せねばなるまい。

なお、建設工事のコスト算定に関しては、「本職の責めにあらず。」とのことで、当然と言えば当然のお答えではあった。


さて、敷島の開発事業が二月の十五日になって完了し、少なくとも一般の日本人の間では、その報せは驚きを以て迎えられた筈だ。

その大事業は近頃爆発的に進捗していることで知られてはいたが、その規模から言って、実際の完成は未だ先のことだと思われていたからだ。

それにしても、秋津州軍団の威力は凄まじい。

しかも、今回は高々四十万平方キロでしかないところに、二個兵団と言う途方も無い兵力を一挙に増派したのである。

その威力たるや、想像を絶するものがあったに違いない。

国井政権が描き切った青写真が、無限の資源を消費しながら、まるで箱庭を造るような手軽さで見る見るうちに実現されて行くさまは、ただただ圧巻と言うよりほかは無かったろう。

その模様は、舞い上がる砂塵に遮られて不鮮明ではあったにせよ、これまで散々に報じられて来ていたのである。

例によって秋津州商事の巨額の宣伝予算が大いに功を奏し、一般庶民にもその情報がふんだんに提供されていたところに聞こえて来た完成の報だ。

熾烈な国際競争の中にあって、王の直轄領を除けば世界に先んじたことだけは確かであり、敷島に翻る日の丸に接し、地鳴りのような大歓声が列島の空を覆ったのも当然のことであったろう。

新たに日本が持つことになったこの領土は、任那ほど完璧な完成度は持ちあわせてはいなかったが、その代わり民需用と思しき更地(さらち)が、首都圏においてさえ全体の九割以上を占めて広がっていたのである。

それらの更地は全て整然と区画整理がなされ、その隅々に至るまで舗装道路が伸びている上、その全てに地番が打たれていたことにより、行政側の態勢が整い次第、即刻怒涛の払い下げが始まったとしても不思議は無い状況にあると言う。

それも、敷島本島から遠く隔たった離島であっても同様だと言うからには、取りも直さず、敷島では山深い山間地から津々浦々に至るまで、それこそ一筆残らず地籍図と地籍簿が完成していたことになるであろう。

事実、この地籍調査は離島の端々に至るまで実施済みだったことが、のちになっていよいよ明らかになって来るのだ。

現実に大地の担保価値が急激に上昇しつつある首都圏においてなどは、いきおい土地に対する活発な需要が喚起され、それに対する投機熱が異常なほど高まって来ていることは確かで、殊に事情を良く知る者の目には、ことが本格的に動き出したあとに起こる急速な発展劇は既に自明のことだった筈だ。

その新たな首都圏の都市計画は将来の更なる発展に重きを置いているとされ、ましてその領域が既存のものに倍する面積を持つこともあって、全てにわたって実に余裕のある設計がなされていた。

その領域における主要幹線道路と橋梁などは、戦車の行軍にも立派に耐え得るほど頑丈な構造を持ち、環状道路を除けばほとんどの道路が直線を以て基調としている上、例え裏路地にあっても、大型の消防車が余裕を持って通行出来るだけの道幅を要求しているほどだ。

何しろ、全て原野か原生林だったところを切り拓いて建設されたものばかりであり、その上首都圏ばかりか全土が官有地だ。

道路をどこに通そうと、どんなに広い道幅を確保しようと、どこからも苦情の出る恐れは無いのである。

農地の畦道や山間地の杣道(そまみち)を除けば、道路と言う道路が、全て充分な道幅を具えているのも当然のことであったろう。

空港や港湾などさまざまな公共施設がそれぞれ目を見張るほどの威容を誇っており、無論官公庁用のビルや皇居と目されるものも立派に竣工している上、噂では各地の官公庁の地下深くには、核シェルターを兼ねるほどの機能を持った巨大設備まで整っていると囁かれた。

全国の繁華街候補地付近には、それぞれ壮大な規模を以て地下駐車場が完成しており、首都圏に至ってはそれが数百箇所もの多くを数え、曲がりなりにも都市部の駐車場不足に対策が打たれようとしているほどだ。

ちなみに近頃の日本では、内燃機関を持つ車両は既に市場から淘汰されつつあり、少なくともそのタイプの車両の新規生産はほとんど行われてはいない。

現に、街中(まちなか)のガソリンスタンド経営などとうにペイしなくなって来ており、このままではその産業の斜陽化に益々拍車が掛かることは明らかで、数年後には壊滅してしまうだろうとまで言われているほどだ。

詰まり、石油燃料を使用する内燃機関を持つ車両はうっかり遠出などすれば、給油が出来なくなってしまう事態が待ち受けているのである。

そのような車両をわざわざ生産するバカはいないだろう。

何せ、秋津州から出荷されるPMEのパリエーションは益々多様化の一途を辿り、既に二輪車用ですら万全の品揃えを誇っており、ガソリンエンジンの退潮は決定的だと言われているほどだ。

このような状況から、敷島において新規に出店されるガソリンスタンドの数は、極めて僅かなものにならざるを得ず、したがって、排気ガスを放出する自動車そのものが激減すると予測されている以上、近未来の地下駐車場の利用価値も益々高まって来るに違いない。

また、敷島自身が天然ウランの鉱脈は勿論、優秀な油田地帯まで豊富に持ちながら、驚いたことに、原発や火力発電所などは只の一箇所も見当たらないと言う。

発電所と言う発電所はPMEタイプのものばかりであり、その発電能力も日本列島の例と比べれば三倍ほどにあたる上、中でも優れて特徴的であったのは、それらの設備の大多数を将来市街地となるべき地域に集中的に配置することによって、送電中のロスを大幅に防いでいることだったろう。

その上、大規模な公共施設がそれぞれに個別の発電設備を初めから具えていると言う。

無論、予備電源のことでは無い。

変電機能をも併せ持つ、本格的な発電所と言って良いほどのものばかりなのだ。

周知の通りPME型の発電設備は大した場所も取らず、騒音はもとより特別の高熱も発生させないのである。

首都圏だけを見ても、首相官邸はもとより、行政官庁や都庁と思しき建造物までが、そのそれぞれに複数のPME型発電機を備え、地方においても同様だ。

その上、王の直轄領と同様に、多くの場合地上に電柱と言うものが見当たらない。

少なくとも市街地とその周辺には長大な地下坑道が随所に走り、地下鉄は勿論、ガス管や上下水道や通信ケーブルなどと共に、全ての送電線が地下にあることになる。

まして、公開されている映像だけでも、治水用の巨大な地下水槽などが幾つも登場して来るありさまで、近代都市としての基礎的な機能は極めて高いと評価されるに至っている。

それに、肝心の国土防衛に関してもそれなりの手当てがなされ、充分な滑走路を具えた軍事基地と演習場が各地に余裕を持って確保されており、既に先遣隊が駐屯しているところさえあり、一部の拠点では、例の飛行するポッドに格納された戦車の姿まで散見されると言う。

無論制空権を握っていればの話だが、これによって、ごく短時間で数百キロの彼方にまで戦車部隊を展開することが可能とされ、それはまさに、少数の戦力を以て広範囲の守備を担うにあたり、欠かすことの出来ない機能だとされている。

統合幕僚監部においては、この戦車自体のPME化を目指していると言われるが、大馬力化と軽量化を同時に実現し、おまけに燃料が不要である利点を持つそのマシンこそ、究極の戦車だと語る制服組が多い。

何せ戦車と言う兵器は、僅かな移動においてすら、ドラム缶単位の燃料を消費してしまうものであり、万全の燃料補給態勢無しには、単独での長距離移動には耐えられない宿命を持つ。

多少短絡的な言い方ではあるが、直ぐにガス欠になってしまうのだ。

無論各国共に研究に余念が無いが、そこに現れた秋津州のPMEだ。

放っておけるモノではないだろう。

現に欧州の一部などでは、PME型原動機を用いることで、フル装備で五十トンと言う軽量化に成功し、平均時速百二十キロと言う猛スピードを保ちながら、三十六時間ものノンストップ走行を実現して見せた試作車まで存在しているのである。

統合幕僚監部にしても、予算さえ許せば戦車に限らず全ての軍用車両に採用したいところだったろうが、そこに持ち上がったガンマ線バースト問題であり、新領土の国土防衛問題である。

何しろ、この敷島が新たな日本領となったのが昨年の十一月のことであり、新領土に割り振れる戦力は依然として僅かでしかない以上、ひたすら効率的な配備が求められており、統合幕僚監部にとって実に頭の痛い課題となってしまっているのだ。

とにかく、無い袖は振れない。

しかし、統合幕僚監部の権限外のところで政治的に配備を削られた領域も無いではない。

現に、敷島と言う国土の最南端に位置する琉球島には、ごく小規模の駐屯地はあるにせよ、本格的な軍事拠点は設けられてはおらず、その計画すら無いと言うのである。

その地の緯度と気候風土から見て、その島が専ら現在の沖縄地方に擬せられていることに鑑み、敢えてその配備を政治的な配慮から避けたのだろうと言う者もいるが、一方に敷島の琉球島の場合、現在の沖縄とは違い、単に地政学的に軍事基地の必要性が薄いだけのことだと言う者もいる。

何せ、一旦丹波の世界地図を開いて見れば、琉球島の西南方面には秋津州連邦の中核を以て自ら任じている台湾共和国があるだけで、その国が親日秋路線を以て国是としている現実がある以上、その方面に日本にとって脅威となるような存在などまったく見当たらないのだ。

新日本にとって重要なシーレーンは少なくとも南方には存在せず、単に軍事上の要求が乏しいだけの話だと言って良い。

国井総理は、「防衛戦力」と言う限られたリソースを有効に使用しようと努めているに過ぎず、その結果琉球島に本格的な軍事施設を配備しなかったまでのことで、現実の沖縄県民の基地撤去要求の声が大きいからでは無いのだ。

結局、その島に仮に現在の沖縄県民が移住することになったとして、彼等は今後、基地経済とは全く無縁の日常生活を送らねばならなくなるのだが、そのことこそが、真に重大な問題だとする声が聞こえて来るほどなのである。

詰まり、その地の経済がそのままでは立ち行かなくなることを懸念して、その根本的な解決策の必要性を提議していることになるのだが、いずれにしても、その地域が基地抜きで立って行けるだけの経済力を持つためには、相当の覚悟を以てことにあたる必要があり、観念的な理想論を唱えているだけで地域経済が成り立つほどなら、誰も苦労はしないと説くのである。

また、敷島全体を見渡せば、今のところ殆どが官営だとは言いながら、近代的な高層集合住宅が各地に多数姿を見せており、その周辺の文教及び医療施設なども大いに整い、加えて秋桜の緊急避難用の住宅設備が別途控えている今、少なくとも、これで最低限の受け入れ態勢は整ったと見る者が多い。

これによって、官邸と土竜庵の抱える次なる課題は、いよいよケンタウルスの真実に関する公式発表の一件を残すのみとなり、詰まりはその実施時期の判断だと言うことになって来た。

現状における新領土の存在意義は、事情を知らない一般の日本人にとっては言わば未来の別荘地のようなものでしか無いが、実際には辛い現実が目前に迫っているのだ。

彼らにとって文字通り明日の居住区とせざるを得ない現実であり、まして、その公式発表が行われて、初めて敷島への移住の必然性を覚悟させてくれるのである。

丹波への移住プログラムの詳細については、問題の公式発表と同時に全て国民に明示する方針でおり、そのときには敷島特会の資金調達能力に頼らざるを得ない現実がある。

何せ、国民の全てが同時に最大級の激甚災害に見舞われることになるのである。

税収を云々する前に、膨大な災害対策費を必要とする現実があり、ときにあたって、敷島特会の財政出動が国家の復興に大きく寄与してくれるに違いない。

かてて加えて、膨大な秋津州人の医療スタッフが敷島に配備され、充分な医療施設と備蓄食糧の用意まで終えようとしている今、先発させる自衛官と共に、警察官や消防官の配備が順調に進めば、治安の乱れと言う最大の懸念も払拭出来る筈だ。

無論、岡部の指揮する「対策室」も万全の態勢を以てことに臨み、舞台裏から移住作戦を強力に支えようとしており、そのための戦力を語るにあたり、日本人秋津州一郎氏の存在が途方も無く大きい。

その人物の指令によって、官邸は初めて優れて実効的な戦力を持ち得るのだ。

それは全て秋元京子氏の指揮するヒューマノイド部隊であり、現に、その一部が敷島の農地の管理の任にも就いており、問題の真実が公表された暁には、日本人に対する農地の分配作業を黙々と下支えすることになる。

その農地自体、従前のものに比して五倍以上の耕地面積を誇っており、分配の方法如何では優れた生産性を確保することも可能とされており、それはそれで決して小さな課題では無いだろう。

また、既存のものに倍するほどの行刑施設まで多数設けており、無論官舎等も用意済みであることから、国井は刑務官たちと共に受刑者たちの移動を真っ先に実施する予定でおり、次いで傷病者や出産を間近に控える妊産婦の移動に移り、そして既に完璧にマーク済みの独居老人たちを移したあとで、自力で集合地に移動して来れる健常者たちと言う手順だ。

官邸の対策室では、日本国籍を有する者及び国籍を有さなくとも、属人的な意味合いで日本人であると認めた者に対しては、それぞれユニークなシリアルナンバーを付して完璧にトレースしているつもりでいる。

そのシリアルナンバーの一つ一つには、それぞれ固有の属性情報が多数付随し、そこには氏名や生年月日、その上顔写真や指紋はおろかDNA情報まで格納されるに及び、いきおいデータの全体量は途方も無く膨大なものにならざるを得ない。

まして、日々刻々と入手するデータによって変更と更新が行われ続け、挙句物故者のデータも以後半世紀は保持する方針であるため、増えることはあっても決して減ることは無い。

この事もまた国井や新田が決断した脱法行為の一つではあったが、不思議なことにそのデータ自体は、官邸のサーバーどころか、いずれのマシンの記憶装置の中にも一バイトも記録されていなかったのだ。

官僚達の解釈によれば、それはどこにも「記録」されること無く、偏に秋元京子女史の脳内に「記憶」されているに過ぎないことになるらしいが、岡部達の発する問い合わせ要求に際しては、女帝の配下のデスクに置かれた窓の月の特大モニタに、瞬時に関連データが展開表示される仕組みだ。

結局、そのデータベースに「国民」とそれに準ずる者として登録された者に限り、優先的に日本政府の「保護」を受けられる態勢が出来上がっていることになるが、その「保護」の意味するところには、例の避難移住に関する一切のサポートをも包含しており、地球を脱出するに際して、例のアクセスポイントのグリーンゾーンへ立ち入る権利一つとっても、このシリアルナンバーがものを言うことになるのである。

その点、よほど厳格に選別して移送しなければ、他国の民を新たな日本領に拉致したと非難されてしまうこともあり得る。

日本政府が、日本人以外の者を自侭に移動させてはならないであろう。

そのためにこそ、彼等のグリーンゾーンへの進入を阻むのだ。

そしてそのグリーンゾーンを含むアクセスポイントの数々は既に完成を見ており、その付帯設備にしても、ようやく完成の目処が立った今、あとは移住レースのスタートを告げる号砲を撃ち鳴らすばかりだ。

国井は、非常事態宣言に伴い国民の管理態勢の確立を目指し、日本人の海外居住者に対する強制帰国まで意図しており、混乱を最小限にとどめるためにも、そのプランは全て現実的な具体策で満ち溢れ、今もなお変更と更新を重ねつつ粛々とその日の訪れを待っているところだ。

だが、全てが順風満帆かと言えば無論障害が無いわけではない。

国井にとって先進各国の足並みの乱れこそ最も懸念とするところであり、殊に北米やEU諸国のこれ以上の出遅れは、巨大市場の喪失に繋がり、このままでは日本経済にとっても大きなマイナス要因となってしまう。

詰まり、日本の為にも彼等の背中を押してやる必要があることになる。

国井の見るところ、ワシントンでもいよいよ独自の青写真を決定しようとしており、大統領の決断さえあれば、少なくとも技術的には、明日にでも国土整備事業の支援要請を出せる状況にある筈だ。

やきもきしながら白頭鷲の出方を見ている豪州やEU各国の動静もあり、いよいよその辺りの調整にも力を貸すときが近づいていると見ている。

現に英仏独などは、とうに堂々たる青写真を用意していることも判って来ており、その点国際間に生じる軋轢も目に見えて高熱を発し始め、既に臨界点に近付きつつあると言って良い。

そのことが国井に更なる決断を迫っており、土竜庵との頻繁なやり取りは、いよいよ日本の立場を鮮明にする時期が近いことを示唆していると言って良いだろう。

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  1. 2007/10/18(木) 14:19:26|
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自立国家の建設 108

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二月の十八日に至り、例のサンノショウで秋津州ロイヤルホテルが竣工し、その落成の宴はさこそと思わせる顔ぶれで賑わったと言うが、その中に肝心の魔王の姿を見ることは無かったと言う。

そもそもサンノショウと言えば今や高名な歓楽地で、秋津州の慣習法が売春や賭博行為を禁じていないことを良いことに、膨大な観光客を集めながら、今なお急速な発展を続けている街だと言って良い。

そこは強固な岩盤が標高三百メートルほどの台地を形成し、しかも一千平方キロにもわたって広がっており、自然水周りが悪く元々農耕には不向きだったことも重なり、長らく人の棲まない場所だったと聞く。

ところが、ここに来て八雲の郷が丹波世界の中心として俄かに脚光を浴びるに至り、その首邑に近接する割りに格安の地価が人気を呼び、多くの海外資本が急激に進出を果たした結果、立ち並ぶ不夜城が昼夜を分かたず煌びやかなネオンを輝かせ、類例の無い一大歓楽街を成立させたと言って良い。

そこに遅れて進出して来たのがこの秋津州ロイヤルホテルであり、その施工は大和商事が担い、驚くほどの短期間で仕上げてしまったことで多少の話題とはなった。

その瀟洒なホテルは独特の高級感を持ち、高額の料金体系を打ち出しているにもかかわらず、それが逆に一種のステイタスと看做されて相当の前評判を呼んでいたが、一方で同業他社とは一線を画す営業目的を持つのである。

それが魔王を誘い込み篭絡することにある以上、あらん限りの趣向を凝らし、美味なる餌をふんだんにまいており、今回の落成式にしても魔王の来臨を願ってさまざまな働き掛けを行って来ていた。

タイラーにしても、女神さまを通じて丁重な招待状を送付してはいたが、実はそれ以上に美味と思われる餌の用意も無いわけではない。

本国にいるミス・ヒューイットのことだ。

タイラーの所管の内で充分に保護を加え、今も三人の女性スタッフに付きっ切りで世話をさせながら、懇切極まりない意識誘導を施しているところなのだが、そこに来ての秋津州ロイヤルホテル作戦であり、辛うじて今回は退けたが、下僚の中にはその出動をさえ献策して来る者がいたほどだ。

その少女は未だ十五歳に過ぎないが、その学区の学制のあれこれもあって当時五歳で入学を果たした上飛び級まで経験したため、既に堂々たる十二年生であり、今年の夏にはハイスクールを卒業して進学を目指していると聞く。

だが、近々移住して行く先は未開の原野と原生林が広がるばかりで、総合大学どころかエレメンタリースクールすら存在してはいない。

国家が未曾有の危機を迎えてしまっているのである。

今後、合衆国は数々の苦難を乗り越えて行かなければならず、全てはそのための「作戦」である以上、全国民が一致協力してことにあたらねばならないのは当然だが、この秋津州ロイヤルホテル作戦は恒常的に継続されるべき作戦の一つに過ぎず、その一環としての落成記念レセプションでしかない以上、タイラーとしてはそればかりにこだわっているわけにも行かなかったのだ。

しかも、今はそれ以上に重大な任務を遂行中だ。

実は、未だ非公式の扱いではあるが、秋津州の外事部に我が国の国土建設プランを提示して、そのコスト算定に関する反応を待っているところなのだ。

言い切ってしまえば、工事に関する見積りと納期の提示を待っていることになるが、仮にその納期が十年後であっては、見積価額が多少低廉であってもほとんど無意味であり、そのくらいなら、全て自国の建設業者に発注した方がはるかに国益に合致することは言うまでも無い。

然るに、こちらから提示した青写真は、デジタル化されているとは言いながら膨大なものであり、目下秋津州側の確認作業が続いている筈だが、我が国の専門家と称する者の見通しでは、そのデータを全て確認して建設コストを算定するには最短でも二ヶ月は掛かる筈だとされている。

何しろその青写真には全土にわたって精緻な書き込みがなされており、その内容に関して説明を求められることまで想定し、即座に対応し得るような技術陣も多数待機させているほどで、その建設工事の巨大さから見ても膨大なコストを覚悟せねばならない。

その工事には、新たなワシントンDCにおける主要な建造物は勿論、各州政府の官公庁用の建物まで多数含まれており、原野を切り拓いて建設する道路一つとっても、その総延長は数百万キロにも及ぶと言う実に途方も無いものなのだ。

空港や港湾、そしてPMEタイプの発電所にしても、それぞれ膨大な数の建設を含んでおり、当然壮大な資源と作業量を要することから、ワシントンの一部には、あの日本の前例に照らし、その二十倍ほどの価額を予測する者が少なくない。

日米両国の工事内容を客観的に比較検討した結果がそれを主張していると言うが、何しろその決定権の多くが又してもあの新田源一氏の手にあるのだ。

そうである以上、心優しい回答などとても望めないと言う者が多く、その者たちの予測では、日本の場合の三十倍以上の算定値が返って来ることになっており、そうなれば、我が国の財政は到底その負担に耐えることは出来ず、したがってフルヴァージョンの「発注」も出来ないことになると言って嘆くのだ。

そうなれば、無償支援の部分に限定した工事になるか、或いはそれに僅かに上乗せをした発注で済ませるほかは無く、いずれにしても多くの諸国家の後塵を拝さざるを得ない。

くどいようだが、近代国家にとって鉄道や道路や空港等の交通網と電力供給能力などは、情報の伝達手段とも相俟って、経済活動を賦活させる道に直結してしまうことから、それらのインフラ整備に後れを取ると言うことは、国家間の経済競争においても後れを取ることに等しい。

多くの場合、国家の経済力は国力そのものであり、ひいては軍事力一つとっても、その経済力に頼らざるを得ない以上、国家としての死活問題だと言って良いほどなのだ。

新天地においても、せめて秋津州に次ぐ位置を占めたいと願う今、ワシントンにとって、これ以上重大な案件は他に無いことになる。

本国からは、多数の属僚を引き連れて国務長官自らが来訪して、積極的にことにあたる姿勢を見せており、昨日秋津州側と形だけの外相会談を持ったが、いきさつから言って実質的な交渉は全て自分が取り仕切らざるを得ないだろう。

無論全力を挙げて情報収集に当たっており、例の女神さまとも頻繁なやり取りを続けているが、その結果驚くべき感触を得るに至っている。

我が方の技術陣の意見では、秋津州側の第一次回答を得るまでには、少なくとも二ヶ月を要するとされていたものが、直近の女神さまの反応では、程なく概算の算定値が返って来ると言うのである。

算定内容までは不明だとは言うが、それにしても、相手側の情報処理能力が並外れたものであることを、改めて思い知らされることにはなった。

いずれにしても、必死に再考を求めざるを得ないほど厳しい算定値が伝えられる筈で、最低でも日本の二十倍は下らないものになると予想しており、したがってその後も辛抱強く交渉を積み重ねて行くことになるだろう。

タイラーに許されている予算の上限が日本の十倍ほどのものであり、第一次回答でそれが満たされると予測している者など一人もいない。

まして、一日伸びれば一日分だけ他国に後れを取ることになり、本来少しの時間も無駄に出来ない状況にあり、しかも秋津州に依頼するほかに方法が無い以上、誰しもが、国家の存亡を掛けて、ぎりぎりの鍔迫り合い(つばぜりあい)を演じて行く覚悟を固めているのである。

なおかつ、意外な情報も入って来ていた。

何と、東京政権がここ数日かなり積極的な動きを見せていたと言う。

ワシントンに対しても、懇切なアドバイスを添えて一刻も早い「決断」を提言して来ていたと言い、日本政府の対米心象が極めて良好なものであり続けていたことが、ワシントンの消極的な思考法を劇的に払拭してくれたらしく、結果的にそれが今回の「決断」の尻押しになったと言う者も多い。

あの日本が、動きの鈍いワシントンの手綱を握り、強引に引いてくれた結果だと言う者までいるほどで、磐石の日秋関係がある今、東京のこの積極的な動きが、ワシントンにとって心強いエールとなったことだけは確かだ。

東京の意を体した土竜庵も又機敏に動き、EU諸国や加豪などに対しても好意的な感触を伴うシグナルを発したと言う。

それも、相当強力な光を発するものだったらしく、その結果、それらの国々からも詳細な建設プランが提示されるに至っており、当然それらの国々も足摺りする想いで土竜庵の算定作業を見詰めている。

それらの国々にとっても国運を左右するほどの案件である以上、いずれの国の担当者たちも、当分眠れぬ夜を過ごさざるを得ないだろう。


だが、驚くべきことが起きた。

あり得べきか、土竜庵がたったの二日で結論を下してくれたのである。

しかも、その回答には予想を大幅に下回る数値ばかりが並び、合衆国の場合などあの日本の三倍ほどでしかなかったのだ。

大方の予想の十分の一程度であり、どう考えても魔王の好意としか思えない。

他の国の場合も予想を覆す安値ばかりが並び、通常の商取引の場合なられっきとした不当廉売だと呟く者までいたくらいで、少なくとも魔王が、天変地異を利用してビジネスにしようとしているわけでは無いことを知った。

無論、異議を唱える国など一国も無い。

異議を唱えるどころか、これで救われたと叫びながら小躍りして喜んでいる者ばかりであり、ワシントンなどは、あまりの幸運に茫然としてしまったほどなのである。


二月二十日、合衆国はもとより、関係各国が揃って国土建設依頼の請願書を公式に奉ることになり、その願いは即座に受理された上、例によって怒涛のような秋津州軍の進駐に伴い一斉に建設工事が始まった。

「受理」された事実が外事部を通じて公式に伝えられ、その直後にそれが開始されたと言う。

外事部のアナウンスによれば、今次の作業の為に派出された総兵力は六個兵団だとされ、その半数ほどの兵力が合衆国とカナダに派出されている模様で、設計の中途変更さえなければ、少々の雨天が続いても納期が遅れることは無いとされた。

一応の納期は秋津州暦日の六月末日とされてはいるが、それが少しでも前倒しになることを願うばかりだ。

いずれにしても、秋津州軍団が行う建設事業の作業効率は実に恐るべきものであり、そのためには想像を絶するほどの資源が投入されることは必至で、その圧倒的な補給能力が魔王の力の最大の源泉でもある。


その間、予想もしなかった情報まで入り始めている。

なんと、あの大コーギル社が世界中で建築資材を買い漁っていると言うのだ。

無論その総指揮はあのミセス・オカベが執っている筈であり、その買い付け品目は、鉄やセメントの材料を中心に、木材や良質の玉砂利などにも及び、総予算は何と十兆ドルだと言う。

それも、単なる「投機買い」などではない。

少なくとも、膨大な「実需」が発生して、巨額の資金がマーケットに注入されようとしていることだけは確かであり、このことによって危うく窮地を救われた業界も少なく無いとされる。

その納入先は大和商事に違いないと囁かれる中、今度はその大和商事自身が、丹波において膨大な社債を発行するのではないかと言う情報が流れた。

無論秋津州円建てだが、その総額はドル換算で五十兆ドルだとも言われ、このアナウンスに応じようとする者が、一の荘に殺到する筈だと言うアナリストが多かったが、情報が錯綜する中、社債と言うのは誤りで、年利五パーセント付きの単なる借り入れだと言う話にすり変わってしまい、その需要額だけは変わらないとされた。

担保もある。

それは、日米欧諸国が近々秋津州に交付する筈の例の国債であるらしく、秋津州円建ての額面総額はと言えば、どう少なく見積もってもドル換算で五十兆は下らないのである。

それらの国債に多少の値崩れはあるにしても、魔王個人の人的保証も付加されると聞いている今、貸付先としては、これ以上無いほどの相手であり、世界の金融市場が目の色を変えてしまって当然だ。

額が額なのだ。

かつて日本の秋津州商事が、宣伝費用の調達と称して巨額の借り入れ計画を発表して大騒動になったことがあったが、今次の大和商事絡みの話は実にその一千倍にも及ぶ巨額なのである。

しかもその大和商事なる企業は、あの新天地においてとうに活発な経済活動を展開している上、その規模は算定すら躊躇させるほど巨大であり、そのオーナーも知れている。

この意味では、秋津州帝国の国営企業だと言っても誤りでは無いほどで、現に、日米欧各国が発行する新国土建設国債を担保にすると言っているのだ。

世界の金融資本が来るべき大異変を大過無くやり過ごす意味でも、この資金需要に応じて少しでも大きく貸し込むことによって、膨大な資金を安全かつ有利に新天地に移すことが可能となるのである。

やがて先進各国の金融資本の全てが、それぞれに巨大なシンジケートを組み始めるに違いない。

何しろ、一円でも多く貸し込むことが出来れば、その分だけその銀行の格付けが上昇してしまうような、一種摩訶不思議な市場環境が出来上がってしまっているのだ。

一方で秋津州円の通貨供給量が極大化しつつあるとは言うが、為替市場におけるその独歩高傾向が一向に衰えを見せない現実がある以上、秋津州円建ての国債の担保価値がさほど下落するとも思えない。

尤も、日米欧の諸国が経済的に破綻してしまえば、その国債も只の紙くずになってしまうのだが、その場合でも魔王個人の人的保証と言う強力な担保だけは残り、その魔王自身が破産してしまうことなどあり得ないとするアナリストは溢れるほどにいる。

最悪のケースでも返済期日を延長しさえすれば、最後は荘園の生み出す際限も無い資源が、新たな価値を次々と生み出してくれると言うのだ。

貸し出し元は、その間も悠々と利ざやを稼ぎ続けることが出来るのである。

銀行団にとって、これほどまでに好条件のビジネスチャンスなど二度と巡っては来ないと言う。

例によってメディアなどは、このビジネスチャンスをひたすら価値あるものと論評してマーケットを煽りに煽っており、その上コーギル社の買い付け騒ぎに関しても、さまざまに解釈する者が頻出した。

一つには、国王陛下があの荘園を持つ以上、今さらこのような買い付けをしなければならない理由は希薄であり、そうである以上、かのお人の真の目的は別のところにあるとする見解がある。

あるどころか、近頃は、その見解が主流となりつつあるくらいだ。

結局、国王陛下はひたすら世界経済の活性化を図っておられるとする、好意的な解釈ばかりで報道が溢れ返り、タイラーの目にさえ、魔王が世界経済の足腰を少しでも強化しようとしていることが、最早紛れも無い真実に見えてしまうほどだ。


さて、丹波での工事がいよいよ以て爆発的な勢いを示すに連れ、当然のことながら、地球上ではその模様がうるさいほどに報じられることとなった。

一つには、今回一斉に「受注」した工事区域が、北米とEU及び豪州と言う、どちらかと言えば工業先進国ばかりに集中していたこともあって、その報道価値が極めて高いと看做されたこともあっただろう。

視聴者の数からして、途上国とは天地ほどに違うのである。

元々その事業は、工業先進国の間では当初から注目を集めて来ており、したがってその認知度もなかなかのものだった筈で、殊に道路や港湾などのインフラが目に見えて形になり始めてからと言うものは、各国共に熱狂的な報道振りで、やがてそれらの国々でそれを知らぬ者はいないと言うほどの状況になった。

先進各国の新領土が居住に適する環境を具え始めていることを、数多くの実写映像を見ることによって国民自身が視覚的に捉えたことになる。

視覚と言うものが伝えて来る情報は理屈抜きに直感的なところがあり、それらの実写映像が齎した効果も推して知るべしであったろうが、庶民にとって未来の夢に過ぎなかったものが一躍現実味を帯びて来たことだけは確かで、期待に胸を膨らませる者も少なく無かった筈だ。

それぞれの政府が国民に告げたその納期は六月末であったが、やがて多くのメディアによって、その日程がかなり前倒しになる見込みだと報じられ始め、中には、五月中の完成もあり得るのではないかと言い騒ぐ者まで出るに至った。

民間の個別工事は全て事後の課題として残ることになるが、それは国民個々の今後の経済活動に俟つよりほかは無い。

そこにも又膨大な実需が発生して、国家経済の発展に大きく寄与してくれることを願うばかりだ。


こうなると各国政府にとっての残る課題は、やはりケンタウルスの真実を公表するタイミングと言うことになる。

七カ国協議では、とうから最大の議題となってはいたが、各国間で新天地における受け入れ態勢に大差があることが障害となって、これまで結論を出すに至らなかったのだ。

従来の状況においては、王の直轄領と敷島(日本)の完成度ばかりが突出してしまっており、それに続くものは、支援工事を無償の範囲に限定していたとは言いながら、アフリカ諸国や中露などを始めとする途上国ばかりであった。

欧米などの工業先進国だけが、揃って足踏み状態だったのである。

問題の公表時期が早まれば早まるほど、受け入れ態勢造りに後れをとってしまった分だけ、欧米諸国にとっての不利益ばかりが一層拡大する構図だったことになる。

ところが、近頃その背景事情が一変してしまった。

今回それら先進諸国において凄まじい勢いで建設工事が進行し、避難民の受け入れ態勢の実現性がいよいよ歴然とし始めたのである。

これによって、先進各国側も問題を公表するための条件が整い始めたことになる。

彼等にとって、これまで議論の障害となっていた部分が見事に消し飛んでしまったことになり、今や公表時期を遅らせたいと主張する先進国は一国も無い。

合衆国の新領土における進捗振りには殊に目覚ましいものがあり、既に多数の空港や道路はもとより、港湾などは二千を越えるものが形になり始めて来ており、高空写真などでその実態が騒々しいほどに報じられるに至り、国民の大多数がそれを目にするまでになっていたのである。

英仏独などにおいても大同小異の状況が進行しつつあり、自然、七カ国協議の議論は順調に推移した。

土竜庵に秋津州の意図を瀬踏みしようと非公式の問い合わせが殺到する中、五月の初頭に至り、先ず七カ国協議が公表時期を当月二十日と決定し、国際舞台の裏側でさまざまに調整が進められた結果、当の二十日に開かれた安保理の決議を経て遂に一斉公表の運びとなったのだ。

各国共にその国民に向けて全てを公表したことにより、全人類がケンタウルスの真実を知ったことになるが、同時にその対策がそれなりに講じられつつあることも知る事を得た。

この地球を捨てざるを得なくなった諸国民が、その全員の避難移住を許すほどの新天地の実在性を以前から知らされていたことは、決して小さなことでは無かったろう。

何せその新天地の大地は、百億の民の生活にも立派に耐え得るだろうと評されているのである。

加えて、大和文化圏ではさまざまな市場が急速に拡大成長し、市場経済に関する事柄に限れば既に相当な分野で地ならしを終えているとされ、大和文化圏に限れば、現実に、地球上の企業の多くがとうに進出を果たすまでに至っているのだ。

大和商事の巨額の借り入れに関しても仮調印を終えていると報じられ、各国の国債発行を待って本調印が結ばれることが確実視されるに至り、世界の金融資本は、言わば秋津州の保障を得た形となり、そのことを拠り所として丹波世界に生き残る道を捜すことになる。

自然、大和文化圏に向けた猛烈な進出劇が一層加速されて行く。

大和商事に対する激烈な貸し込み競争の中、シンジケートに参加を許されなかった金融機関は、元々以前から経営不安を囁かれていたものばかりであり、国家による預金の全額保障宣言を得てもなお、軒並み取り付け騒ぎが発生して瞬時に崩壊してしまった。

地球上における公開市場は強制的に閉鎖され、銀行間のコール市場でさえ滞った。

かねてよりマーケットが長い時を掛けて問題の多くを織り込み続けて来ていたとは言え、地球上の経済規模は著しく縮小せざるを得ない。

縮小どころか、近未来において完全に消滅してしまうことが公式に発表されたも同然なのだ。

対応を誤った企業が数多く破綻し、それは否応無く連鎖的な広がりを見せ、市中に失業者が溢れることは必至で、合衆国を始め工業先進国の大多数において、やがて多くの庶民が食糧の入手にすら困窮する事態が発生する筈なのだ。

壊乱を恐れ、各国で国民を闇雲に丹波に移送してしまおうとする動きが拡大しており、その企図の粗雑さ故に、その状況は新たな被害を拡大再生産してしまうことも目に見えている。

世界の株式市場は消滅し、代わって大和文化圏のマーケットが爆発的に肥大化することも明らかであり、いずれにしても地球上の世界経済は極度に収縮してしまった。

問題の公表と同時に、日本は世界に先んじて敷島の造成地の払い下げを開始したが、民間大手などは実質的な用地決定を既に済ませており、時を同じくして、とうに設計を完了していた本社ビルや工場や社宅などの建設に取り掛かった。

殊に大規模建築に限っては丹波の大和商事に発注するケースが目立ったが、早々と拠点を移していた日本資本の建築業者に発注する例も当然に多い。

PME発電所の多くが電力会社に移譲され、長大な路線を持つ鉄道設備も各電鉄会社の手に移りつつあり、各所に完成していた空港設備や高速道路設備にしてもまた然りだ。

種々の鉱山や油田地帯の採掘権が委譲され、これもまた敷島特会の金庫を潤しながら猛烈な勢いで事業化が進んでおり、この意味では敷島の産業が早くも勃興し始めたものと見て良いだろう。

敷島特会の活発な財政出動を背に、金型製造工場や工作機械メーカーなどが、移住に当たって揃って好条件を与えられたと言うが、優れた技術力を持つ場合、例えそれが零細規模の企業であっても積極的な支援を受けることが可能なのである。

この敷島特会はその後も凄まじい威力を発揮し続け、日本人の現地に向かう流れを激流に変えつつあり、それは既に圧倒的ですらあると報じられるに至っており、この点でも日本の飛び抜けた先行振りが目立ち、ワシントンの更なる焦りを呼んでいると囁かれた。

国井は獅子奮迅の動きを見せ、既に「ガンマ線バーストに対処する為の緊急事態法(略称、ガンマ線対処法)」が、左派系政党の抵抗を粉砕する勢いで成立して、内閣総理大臣に、この未曾有の災害に迅速かつ柔軟に対処するための非常事態権を付与するに至っている。

この事態に際して現憲法が対抗手段を持ち得ず、なおかつその改正を行っている時間的余裕も無いのである。

このことを以て、この「ガンマ線対処法」を憲法に優先して運用し得ることまで具体的な国会承認を得た。

そもそもこの法は、避難移住を成功させるためとあらば、総理の違憲的政策判断を大幅に認める構成になっており、そうである以上、この「ガンマ線対処法」を国家基本法の上位に置いていることになる。

歴然たる憲法違反であり、国井は、このこと一つとっても違憲と言われれば否定のしようも無かったろう。

かつて国井が「憲法を守るために国民が存在するのではなく、国民を守るためにこそ憲法がある。」と発言して大いに物議を醸したことがあるが、そのことですら、今は懐かしく思い起こすと語る声がしきりであったのだ。

憲法を後生大事に守っているうちに国家国民が滅んでしまえば、一体何のための憲法なのか本末転倒も甚だしいことは明らかで、国井の思想信条が、「守るべきは憲法などでは無く、国民なのだ。」と叫んで已まない筈だ。

更に国井は、とうに準備済みだった「陸海空軍軍法会議法」を成立させ、即座に「軍法会議」を設けた。

その法は、最高裁は勿論一般法廷の判断を一切仰がないことを謳っているため、「特別裁判所」の設置を否定している憲法第七十六条に触れると言う者も出たが、国井は迷うことなく押し切った。

現状のままでは、軍人が軍事作戦中に起こした過失案件が、過失致死罪などで一般法廷で裁かれることになってしまうのである。

これでは、いざと言う場合発砲すら躊躇わざるを得ないだろう。

非常時なのである。

今後、いかなる混乱が待ち受けているか知れたものでは無いのだ。

今や国井は、「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」の適用を命じ、それを根拠として、地方自治体への財政出動を強力に推し進めつつある。

既に九割にあたる自治体に向けて、合わせて二百兆円もの支出があったと伝えられ、しかもその数倍の求めにも応じる構えだと語って見せることで、高まりつつあった不安感を見事に払拭してしまった。

そうしなければ、自治体そのものが破綻してしまうのである。

何せ、そのほとんどが赤字まみれで実に脆弱な財務体質しか持ち合わせていないのだ。

自治体が完璧に破綻してしまえば、急病人が出ても救急車も来てくれず、火事があっても消防車が来ない。

無論人殺しがあっても、パトカーすら来てくれなくなるのだ。

万一そうなってしまえば、住民が自ら自警団や消防団を組織してことに当たるほかは無くなってしまうのである。

無論、全て手弁当だ。

現実に医師や看護士の不足から、各地で病院の業務が遅滞し始めており、国井は秋津州人の医師に限り、日本国内での無資格診療を認める決定を行った。

無資格と言っても誰でも良いと言うわけではない。

秋津州が発行した医師や看護士の免許に限り、日本国内でも有効としたのだ。

その上、歯科医師、薬剤師の資格についても同様とした。

その結果、百万人以上の医療技術者が秋津州から渡来して、彼女達個人は全て無報酬でことに当たることになり、それこそ離島の端々に至るまで配備される見通しだが、その医療技術者集団が全て女性であったことも、民心を鎮める上で大きな意味を持ったと言って良い。

国井が、その非常事態権を用いて行った施策は枚挙に暇が無いが、その中でも最も危ういとされたのが、全国を一括して所管する「国家警務隊」の創設であったろう。

本来警務隊とは、自衛隊の内部組織の一つだ。

隊内の秩序維持を主任務とするいわゆる「憲兵」のことであり、その職掌柄、隊員の全てが特別司法警察職員若しくは司法警察員の資格を持ち、今も陸海空のそれぞれに実態として存在し、日々厳しい隊務に服しているれっきとした自衛官なのである。

しかし、今回創設された国家警務隊の場合それとは全くの別組織であって、その隊員は自衛官とは言いながら、元々民間人に対しても捜査権と逮捕権を具えていることから、戦前の憲兵と特高警察を兼ねたようなものになるのではないかと見る者がいたのだ。

そのための反対意見なのである。

だが、国井は断固として押し通した。

何せこの部隊は、既に八ヶ月の余も練成して来た精鋭であり、国井にして見れば、総理就任直後から営々と準備して来たことの一環でもあるのだ。

しかも現在の状況では、陸海空の自衛隊戦力は一刻も早く敷島の防衛に振り向ける必要があり、中央即応集団五千などは既に渡航を終えており、敷島において新たな任務に就かせている上、各方面隊も続々と渡航させる予定でいる。

(筆者註:中央即応集団とは、新防衛大綱により、新たに創設された防衛大臣直轄の機動運用部隊のことである。既存の各方面隊にはそのいずれにも属さないことから、全く独自の作戦行動をとらせることが出来る、言わば国家としての予備兵力、若しくは遊撃部隊だと言って良いだろう。)

とにかく国井は、限られたリソースである国防戦力を、いかに効率良く新領土に振り向けるか日々考え抜いて来ており、海上保安庁や警察庁、消防庁にしてもまた然りで、列島の治安維持に問題無しとはしない状況が生まれつつあると言って良い。

ときにあたって、この国家警務隊の任務は明らかだろう。

それらの任務を全て肩替りしながら、最後までこの日本列島に残留すると言う使命を帯びており、日本軍と言うより、全日本の殿(しんがり)を務めることこそ最大の任務だと言って良い。

しかし、それにしてはその隊員数は少数で、僅か七百名に過ぎない。

ちなみに、その部隊を八ヶ月にわたって練成して来た正副指揮官が、奇しくも鹿島一佐の対馬時代に特例的に副官を務めた与田二佐(三佐から昇進)と中井三佐(一尉から昇進)であったことも、単なる偶然などではなかったのだ。

それこそが、人事の妙と言えるものだったであろう。

そしてその部隊が、ケンタウルスの真実に関する正式発表に伴い、編成を拡充して「国家警務隊」と名称を変えることになったのだが、拡充とは言うが、新たに加えられた戦力が飛行する女性型ヒューマノイドであり、それも三千三百万もの多くを数える二個大隊だと言う。

SS六は勿論、D二とG四まで伴った秋津州軍そのものであり、人件費や食費はもとより弾薬どころか被服費すら不要なのである。

しかも、その大部隊を引き連れて司令官の職に就いたのが、元対馬駐屯地司令鹿島昭雄一佐であり、防衛相は、まったく異例のことに彼を復帰させた上、陸将補に任じたと言うのだ。

鹿島の復帰に際しては、秋津州国王からも直接懇切極まりない提言がなされたと言うが、与田二佐と中井三佐にとっても、この人事は大歓迎であったに違いない。

また、彼等が懸命に練成して来た部隊は東部方面隊を中心に厳選された者たちだと言うが、国家警務隊の正式発足に伴い、改めてその本務が通達された後も脱落者が出るどころか、かえって志願者が殺到してその後三千名を越えることになるのだ。

幕僚長に与田二佐が、幕僚幹事に中井三佐がそれぞれ就任し、その下に第一部(人事)、第二部(情報)、第三部(作戦)、第四部(兵站)と揃い、総務、会計、施設、通信、医務、監察、法務の体裁も整った。

副官には女性自衛官が十人も配置され、司令部付き隊も車両隊を除けば全員が女性だったところを見ると、その内実は秋津州軍からの配備だったのだろうが、何はともあれ、司令部としての概要だけは固まったと言って良い。

だが、いかんせんその守備範囲が広すぎる。

点在する離島も含め、文字通りの日本全土なのだ。

しかも、その本務はと言えば際限も無い。

本来の国土防衛任務だけならまだしも、実質的には警察、消防、海難救助に始まって、ありとあらゆる混乱に対応して行かなければならないのだ。

ありがたいことに、総理が配備してくれた秋津州の医療技術者たちが、共に最後まで残ってくれるとは聞いたが、その他の任務は途方も無いものになるに違いない。

詰まり、今回拡充を見た秋津州の二個大隊は、そのための超法規的措置だと言うことになる。

無論「彼女達」は鹿島司令官の発する軍命令に服し、あらゆる「戦場」に投入され、優れた戦力となってくれる筈だ。

何せ、自然発生的に司令部が自らの隊に付けた内部呼称が「秋桜(こすもす)隊」だったのである。

なお、その戦場とは、人命救助を優先に警察消防活動に挺身する全ての現場を意味する筈だが、国井がこの部隊に対NBC作戦を含む、純軍事的な任務まで想定していたことは間違いない。(筆者註:NBCとは核兵器、生物兵器、及び化学兵器の意。)

その司令部は神宮前の秋津州対策室の敷地内に置かれたが、その広大な敷地は彼等のための官舎及び兵舎兵営の設置をも楽々と許す筈だ。

何しろ、新たに拡充されたヒューマノイドは大部隊でありながら、それらの設備を全く必要とはしないのである。

車両の塗装も大きく変化した。

これまでは、一般の警務隊に倣いトラックも二輪車も真っ白に塗装していたものを、グリーンとブラウンの二色迷彩塗装に変えつつあり、隷下に入ったSS六やSDもまた同様だ。

兵士たちの軍装も一般の陸自タイプのものになったが、秋津州派遣の二個大隊に限って支給されたのは個人認識票のみであったため、彼女たちの軍装は秋津州軍のままだ。

だが、全員の胸元や肩口には夜目にも鮮やかな日の丸が装着されており、国際法上においても、れっきとした「日本軍」であることを主張していることになる。

ことほど左様に国井の施策は繊細かつ大胆に進み、産業の基盤をなすと見られる業種などは殊に積極的な後押しを受け、既に三割を超える日本人が雪崩を打って丹波に入っているほどで、とにかく急がねば時間が足りなくなってしまうのである。

何しろ、各国政府の発表によればガンマ線バーストの到来は二千十一年の春であり、遅くとも二千十年一杯には移住を済ませておく必要があるとされており、その発表によって、それぞれの政府がそれぞれに懸命の施策を講じつつ、全世界が丹波への移住に向けて一斉に走り出したようなもので、とにかく世界中がえらい騒ぎだ。

それを又、世界のメディアが競って取り上げ続け、かえって混乱に拍車をかけてしまうケースまで見掛けられ、世情騒然たる中で濃密な時間だけが経過して行く。

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  1. 2007/10/20(土) 23:55:04|
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自立国家の建設 109

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さて、問題の公表以来、ほとんどの国が惑星間移住に関する話題で持ちきりだが、一方に、秋津州独自の話題も聞こえて来ないわけではない。

その地では昨年の十一月に有名なテロ事件があり、故王妃の実兄が瀕死の重傷を負って入院中であったが、半年にわたる治療の甲斐あって近頃ではなかなかの回復振りが伝えられ、近い将来の記者会見の可能性まで示唆するに至っている。

さまざまな憶測記事が氾濫し、一部にその正嘉氏が病院内を歩く姿なども報じられたが、近々左側頭部の形成外科手術を予定していると伝えられたことにより、それが一段落してからの証人出廷が見込まれていると言う。

尤も、その時期に関しては諸説紛々で、早い時期を言う説においては、五月末にもそれが可能だとする声まであるが、事件を担当する自治体側がこの証人の出廷を待って審理を開始するとしていたこともあり、正嘉氏の回復状況が殊更注目されていたのである。

事実、正嘉氏はこの事件の直接の被害者であり、犯行の一部始終を目撃した貴重な生き証人なのだ。

いずれにしてもその生々しい目撃証言を、罪状の審理に役立てないと言う法は無いだろう。

そのためにこそ余計その回復が待たれているのであり、報道する側にとっても大きな焦点の一つになっていたのだ。

又、もう一つの焦点は、被疑者の弁護人に関する問題だ。

この件では、以前これ見よがしに名乗りを上げた弁護士集団があったが、そのリーダー的人物の破廉恥な犯罪行為が発覚して以来、彼等人権派を標榜するグループは全て口を閉ざしたまま、自ら買って出た筈の無償の支援活動を停止してしまっていた。

卑劣にも、まったく一方的に沈黙してしまったことになる。

これにより弁護人が一人もいなくなったかに見えたが、実は全く別系統の弁護人が多数名乗りを上げていたのだ。

それは、秋津州滞在の外国人ジャーナリストたちであり、秋津州派遣と言う職務上の特性から言っても日本語を解する者ばかりだ。

無論日本人ジャーナリストも多数参画しており、彼等は殊に日本人山内隆雄氏が北欧で殺害された事件を追いかけていると言われる。

ちなみに秋津州側から見たその事件は、「他国の領土(北欧)で外国人が外国人に殺害された事案」であり、自然立件していないのである。

結局、裁判管轄権を主張しているのは実際に殺人が行われた現地国と日本だけなのだ。

秋津州としては、代理処罰を要請されているわけでも無く、勝手に裁いてしまうわけにも行かない。

この件では、日本側は現地に捜査員も派遣して物証も押さえ、立件を視野に入れながら秋津州の審理の行方を見守っている形だが、万一被疑者が釈放されでもしたら、国内法の国外犯規定に則り即刻訴追する意思を固めているとされる。

何せ日本側からすれば、このテロリストに五人もの日本人が全て海外で殺害されたことになるのだ。

万一その犯人が自由の身になったりすれば、放っておけるものではない。

尤も、秋津州側が釈放すると見込んでいるわけでは無く、それどころか日本のメディアなどは、秋津州の慣習法が極刑を否定していないことを根拠に、それに沿った論調で盛んに報じて来ており、日本の世論の多くも自然その延長線上にあると言って良い。

何せ、一人の日本人青年が北欧を旅行中に朴清源と言う外国人に殺害され、その資産を奪われた挙句、朴清源は被害者に成りすまして何度も日本に入国し、さまざまに工作して秋津州に入り、山内隆雄の仮面を被って凶行に及んでいる。

被疑者が我が物顔で費消していた山内隆雄名義の資産にしても、当然故人の物であって被疑者のものではない。

したがって、その銀行口座もとうに凍結されてしまっており、朴清源はほぼ無一文のため、名乗り出たジャーナリストたちは自然手弁当と言うことになる。

その活動中に入手し得るさまざまな情報は全て報道し得ることを以て報酬に代えたと言う説も無いではないが、彼等がかなり良心的かつ精力的に動いたことは確かで、何度も被疑者に面会して聞き取り調査を行い、かつ自治体側が持つ証拠品にも全て目を通し、無論供述調書とやらのコピーも入手した上で、さまざまな検討を加えながら審理の開始を待った。

ちなみに、秋津州においては制度上の弁護士と言う者が存在しない為、この場合の弁護人もその法的資格を問われることは無い。

しかも、通常は容疑者の親族や友人がその地位に就くことが多いとされ、容疑者との間に直接利害の絡む者であっても、その地位に就くことを妨げないのである。

その上、重大な刑事事件の審理にあたってなお、弁護人の選任を必須要件とはしておらず、言わば自由選択としているため、いきおい弁護人不在で審理が行われる例も少なくないと言う。

そのような環境の中で、一部に被疑者の生の発言とされるモノまで漏れ始めている上、唯一の目撃証人にインタビューを敢行しようと、こそこそと病室に侵入を企てる者まで出るに至っている。

事件の概要については広く報じられているとは言え、正嘉氏の証言内容が、それだけニュースバリューが高いと見られていることの表れではあっただろう。


五月二十七日、日本はもとより、今回の工事の発注者たちも、国内の正規の手続きを経て一斉に国債を発行して秋津州政府に交付した。

予定の通り全て秋津州円建てであり、その総額はドル換算で七十兆ドルを超えると言い、実にそれは全世界のGDP総額の二年分に迫るほどに途方も無い。

その内容も日本の場合に倣って三分割され、五年物が三パーセントの利付き、十年物を四パーセント、十五年物は五パーセントとし、それぞれ年に二回の利払いと言う条件で統一された。

その額面は工事の規模に応じて各国それぞれではあったが、それら個々の国家にとって、その負担は決して軽いものでは無かった筈だ。

しかし、それを純粋に工事の対価として見た場合、不当廉売だとジョークを飛ばした者までいたことを見ても、甚だしく格安であったことは誰もが認めており、現にこの条件で受注したことを以て、秋津州国王の財政破綻を危惧する声まで出たくらいなのだ。

したがって、今回の工事で完成させた鉄道や空港などのインフラを、民間の事業者に譲渡することによって、発行済み国債の相当部分を回収することも可能であり、その方式によっては各国政府に巨大な財源を齎すことも充分あり得るのである。

結局、丹波における一連の開発工事に関し、唯一経済的損失を蒙ったのは秋津州国王只一人だと囁かれる所以だ。


同日、秋津州中央銀行がその本店機能を八雲の郷一の荘に移し、しかも早々と発表したことにより、通貨の発行を含め、さまざまな金融オペレーションを一層強力に推進する筈だと喧伝されるに至った。

無論、全て丹波の直轄領においての話ではある。

その地においては、加茂川銀行を始め外資系のビッグバンクが多数軒を連ね、既に活発な金融業務を執るまでになって来ており、現実に外資系企業の溢れるほどの資金需要に応じている状況があり、まして完全なタックス・パラダイスと言う経済環境があるのだ。

さまざまな外資系産業が続々と産声を上げ、一段と隆盛を極めようとしているのも当然の帰結であったろう。

このような状況下で三パーセントの公定歩合が改めて公表され、巨大短資会社が活発に操業を始めたことにより、銀行間で取引される短期金融市場も立派に機能し始めた。

秋津州円の需要が急拡大し、以後秋津州の通貨供給量ばかりが増大の一途を辿ることになる。

同時に大和商事の借り入れ契約もその八雲の郷において成立し、それは壮大な規模の信用創造が行われたことを意味しており、その後、地球上の資金が悉く丹波へ移動してしまうのではないかと思わせるほどの勢いを示すのである。

具体的な入金先は丹波と地球の加茂川銀行に限られ、最終的な移動先は一の荘の加茂川銀行に設けた大和商事の口座であり、その巨額の資金移動は惑星間においてもそれぞれ一瞬のうちに行われたと言う。

それは、無論さまざまな経済変動を齎したが、世界中の金融機関が秋津州円を目を血走らせながら買い漁ったことは確かで、中でも秋津州円の急騰振りには取り分け凄まじいものがあった筈だ。

尤も、丹波での国際間取引は、いずれの場合も例外無く秋津州円建てで行われており、少なくとも丹波では、さほどの混乱は起きることは無いと見られている。

ただ、地球上の大口取引における銀行間決済が既に一部停滞してしまっており、その代替手段として丹波での決済が一般化し始めるに至り、自然、丹波では巨額の信用貨幣が活発に流通し始めて、ますますその市場の活性化を加速させるばかりだ。

以後、多くの決済が丹波で行われると言う現象が実績として積み上がって行くに連れ、七カ国協議のテーブルでも、次なる重要課題として、地球上の銀行取引を一旦停止させた上で、全ての口座と資金を一斉に丹波へ移す期日を決定すべくひっそりと協議に入った。

無論それは、人類が一斉移住を果たす頃合であるべきだが、マーケットは日々動いており、七カ国協議が何を唱えようと事態は人智を超えて進んでしまっている。

そして五月の末に至り、大方が予想した通り、丹波において合衆国を始め先進諸国の工事が一段落したことが伝えられ、各国の係員の手になる大々的な納入検査が開始されたと言う。

その検査の結果次第では、公式の納期を待たずして、その引き渡しが可能となったことになるのである。


一方、一月末の完成以来既に四ヶ月を経過している任那でも、巨大資本の多くが競ってその地への進出を目指し、現地で大和商事に発注したさまざまな建築工事にしても、概ね一段落して大規模な入居が始まっており、既に五千万を越える「外国人」が流入したとされるほどだ。

無論、彼等はその地でビジネスを展開するつもりで入国して来ており、既に数多くの商業都市を形成し始めていることから、それが一億に達するまでに一年も要さない筈だとされ、その勢いはとどまるところを知らない。

外国人による犯罪行為が自警団の手によって数多く摘発され、高額の罰金を徴収された挙句国外退去を命じられる事例が目立ち、その者たちは二度と秋津州への入国を許されない筈だと囁かれるに至り、彼等の犯罪は目に見えて減少したようだ。

殊に経済事犯に関してなどは、被害額を上回る罰金が課されることの効果は決して小さくないとされている。

現地の自治体側は民事の訴えを受理する窓口を設け、多数の係員を配置して対応しているが、多くの場合その場で結論が出てしまうと言う。

自然虚偽の訴えをなす者も多かったが、全てその場で暴露されてしまう上に、悪質と判断されれば問答無用で国外退去であり、高額の罰金を課された上、SS六で即刻本国へ送還されてしまうのだ。

当事者たちの過去の行動が全て把握されているとしか思えないほどの素早さであり、無論公開はされないが、その全ての記録が残されている筈だと囁かれている。

傷害や殺人行為などは全て犯行寸前で身柄を拘束されてしまうこともあり、銃器の持ち込みが厳禁されていることと相俟って、その地の治安は立派に確保されていると言って良いほどだ。

何せ、任那は東側が地続きで合衆国と接しており、密かに国境を犯し銃器を持ち込もうとする例が絶えないが、今のところ成功例は皆無だと言う。


一方、欧米や豪州の新領土の工事がそれぞれに検査を終え、次々と引き渡し作業が進み、六月の半ばにはその全ての引き渡し作業が完了して、それぞれの政府によって公式に確認されるに至った。

これによって秋津州が依頼を受けた分の工事は全て完了し、自然それらの領土にも、それぞれの国民が大量に流入し始め、新たな国家の建設に邁進することになり、いきおい家族連れで渡航して行くものが急増して丹波の人口は急速に膨張を始めた。

正確な数は不明ではあったが、一説によればとうに十億を超える「地球人」が丹波に滞在しているとされ、彼等が積極的に経済活動を行うことによって、丹波経済の発展の礎となりつつあることは事実だろう。

以前とは違う。

人類が地球で過ごせる時間はあと僅かでしか無いことが、既に明らかになっているのである。

最早丹波に全てを賭けるほかに無いことは、全員が承知していることなのだ。

近頃では毎週月曜日に地球を離れる人数が飛躍的に増加し、中印両国などの広大なアクセスポイントからは、一度に一千万単位の国民が移動するケースまで報告され、その日一日で地球を離れた人間の合計が一億人を超えたとされるに至ったのである。


かくして、地球からの移動が爆発的な勢いで進む中、地球上の秋津州のメディアが衝撃的なニュースを発信した。

七月十五日のことである。

ちなみに海都の秋津州ビルには、他の諸国と同様に朝鮮共和国もその代表部を置いて一応の外交活動を行って来ていたが、何と、その代表部の者の多くが一斉に身柄を拘束された上、直ちに罪状審理に入ったと言うのだ。

その罪状は、非公式に漏れて来る情報によると、外患誘致と殺人未遂だとされ、それも、驚くべきことに、その対象とされたのが一介の平職員などでは無く、総責任者の代表部部長はもとより、一等書記官など主だった者のほとんどだったと言うのである。

問答無用で身柄拘束を受けたと言うからには、ペルソナ・ノン・グラータなどと言う生易しい対応では無かったことだけは確かで、秋津州側は他国の外交官特権など、もともと認めていなかったとは言いながら、徹底して普通の民間人の扱いをしたことになる。

事件を担当する地方自治体側の発表では、単に見過ごすことの出来ない不法行為があったためとされたが、非公式に漏れて来るその実情は決して軽いものでは無かったろう。

かつてその地では高名なテロ事件があったが、全ては、その事件の審理に当たる若衆宿の構成員たちが、その地の治安維持のために、大胆なおとり捜査を敢行した結果だったと言う。

周知の通り、その地においては、彼等自身が自警団や消防団を構成しており、その管内においては捜査権どころか堂々たる検察権や裁判権まで行使出来るのだ。

この環境下で、複数のおとりが活発に動いたのだ。

彼等は、しきりに繁華街の酒場などに出没しては、さも反政府運動の闘士ででもあるかのような言動を繰り返して見せたらしい。

無論、彼等は当該若衆宿の正規の構成員である上、常態として、テロリスト朴清源と同一の建物で寝泊まりしており、無論そのことも喋った。

密やかに喋った。

言わば誘い水だ。

その結果、捜査当局の狙い通りのことが起こった。

まんまと誘いに乗った者がいたのである。

そのものたちが、高額の報酬を提示して、拘留中のテロリストの暗殺を持ちかけて来たことがことの発端だ。

その後おとりたちは巧妙に擬態を積み重ね、依頼された殺人を果たすことを条件に、遂に朝鮮共和国代表部の上層部にまで接触する機会を得、直接その者たちの肉声を以て、秋津州における反政府運動を支援する旨を聞き出し、挙句その過程で、朴清源ばかりか、国王までその暗殺を依頼されるに至ったと言う。

結局、哀れな被疑者たちは、本国からの訓令に追い立てられ、窮するあまり、遂に具体的な行動に出てしまったことになる。

犯罪の意図を隠し持つだけでなく、故意に、かつ具体的に動いた以上、何れの国家においてもれっきとした犯罪要件を構成することは明白であり、そのことが発覚して身柄を拘束されたと言うのだ。

尤も、実際の秋津州はおとりなど使わなくとも、それらの動きを探知することは容易であり、現に全てを掴んでいたのである。

だが、彼等の身辺に終始多数のG四を貼り付けている事実など当然伏せておきたいがため、その便法としておとりを使ったまでのことだ。

尤も、この哀れ過ぎる獲物たちは、白馬王子の叱責を恐れるあまり、背中から火で炙られるような焦りを感じていたことは確かで、そのため実に安直なトラップに、これほどまでに易々と嵌まってしまったことになるのだろう。

不覚にも彼等は数多くの物証を残した挙句、おとりたちに殺人を直接指示する場面まで数多く記録されてしまった。

そこでの会話は元々は全て日本語であったが、問題のシーンはハングルや英語の字幕付きの動画ファイルに編集された上、瞬時に世界を駆け巡ることになる。

そのほとんどがネット上だ。

在秋朝鮮共和国代表部の最高幹部たちが直接暗殺を指示している場面は、ワシントンや東京は勿論、当の半島に至るまで実に多くの人間が見る事になってしまった。

何せ、その場面で被疑者たちが指示を下している暗殺対象は、重大なテロ事件の被疑者ばかりか、その国のれっきとした元首まで含むのだ。

即刻開戦の火蓋が切られたとしても不思議は無い。

まさか、たかが一国の出先機関が、独自の判断で、これほどの凶行を企図したなどと思う者はいないだろう。

全て白馬王子の意思だと思わない方がどうかしている。

当然、世界がそう見た。

ところが、ここに小さくない問題がある。

朝鮮共和国の国内事情だ。

その国の民の多くは、自国の政府が秋津州国王を殺害しようと謀ったことに関しては大喝采を送るだろうが、一方の朴清源に関してはまったく逆なのである。

何せ、彼らにとってそのテロリストは、秋津州の王族を多数殺害することによって、彼等に代わって恨みを晴らしてくれた民族の誇りそのものであり、輝ける英雄「朴清源将軍」さまなのだ。

あろうことか、それを殺そうと企むなど、最早民族の敵(てき)そのものでは無いか。

事実なら足元から轟々たる非難を浴びることは避けられず、対抗上白馬王子は、全ては秋津州側の捏造であり、悪辣極まりない陰謀だと主張するほかに手は無い。

当然、そうした。

声を荒げて叫び続けると共に、秋津州財団ソウル支部を急襲して、その職員を拘束しようと図った。

無論スパイ行為の嫌疑であり、あからさまな報復であったが、そのテナントビルの周囲は民衆に囲まれ投石を受けるに至っており、既に騒乱の極みにある。

しかも、反撃を恐れるあまり厳重に武装した彼等が踏み込んだときには、その内部は既に綺麗に片付けられていて、もぬけの殻だったと言う。

全て覚悟の上の自主退去であり、その後の足取りは杳(よう)として知れない。

かの白馬王子は、完膚なきまでに翻弄されてしまったと言うほかは無い。

一方海都には身柄拘束を免れた代表部の職員が数人いたが、彼等自身はもとより、滞在中の民間人の端々に至るまで、その国の人間は身の危険を感じ全員船便を以て帰国の途に就いた。

これらは全て自主的な出国ではあったが、いずれにしても、拘束されている人間のほかは、秋津州から朝鮮共和国の人間が一斉に姿を消してしまったことに違いは無い。

まして、彼等が現地の秋津州人に領事事務を委嘱するような手段も採っていない以上、かくして海都からその国の出先機関の一切が姿を消し、その国の方からは、何事によらず秋津州側に伝える手段が失われた。

無論、秋津州の方からはアクションをとることが無い以上、両国間は事実上の断交状態に陥らざるを得ない。

直接の、かつ公式の政府間通信が全く途絶えてしまったことになるのだ。

同時に、その国からの惑星間移送の申請もまったく途絶えた。

いきさつが、いきさつなのだ。

秋津州側にしてみても、頼まれもしない「移送」など出来るわけも無い。

したがって、その国と丹波の新領土との間を繋ぐ便も失われたことになり、その結果、丹波に送り込んでいたその国の国民は本国との絆を見失い、現地で細々と自活するほかは無くなってしまった。

現にその国の新領土には、既に百万を越す国民が移送済みだったのだ。

幸い現地には、本国から搬入した食糧や生活物資が多少なりとも備蓄されていた上、最近秋津州人が放り捨てていった農地もあり、それがそれなりの食糧を恵んではくれるだろうが、かと言って本国から全く放置されてしまえば、本来の活動目的だけはやがて立ち枯れてしまうに違いない。

彼らにとって隣接する新中国領だけが頼みの綱であったが、その反応は冷然たるものでしかない上、越境者は悉く追い返される始末だ。

何しろ、丹波に新たに引かれた国境線の全ては、秋津州軍の手によって隈なく警備されているのである。

それこそ、蟻一匹這い出る隙も無い。

翻って本国では、青瓦台が北京やモスクワに支援を泣訴したが冷然と無視されるに至り、ことの深刻さはいや増すばかりだ。

しまいには丹波との連絡を担う者を厳選して、言わば特務工作員となし、それを密かに越境させてまで、中露側のアクセスポイントに潜入させようと謀った。

白馬王子も必死だろうが、潜入者たちの運命は一層悲惨だ。

哀れにもその多くが、中露両国の手によって摘発された上、即座に処刑されてしまうのである。

尤も、捕らえた特務工作員の身元を朝鮮共和国側に照会して見たところで、どうせまともな返答が返ってくるわけも無い。

北京とモスクワにとって、非情と言われようと何と言われようと、秋津州国王の怒りと言うリスクを踏んでまで、その国の肩を持っても今さら得るものは何一つ無いことは明らかだ。

秋津州側からは何一つ言って来ているわけでは無いが、中露両国にとって、今さら白馬王子の利用価値など問題外であり、迂闊に動けば国家的な損失が見えるだけなのである。

朝鮮共和国は、又しても袋小路に追い詰められてしまったと言うべきか、いずれにしても、まったく出口が見えて来ないのだ。

従前の国際環境でなら、秋津州の軍事攻撃まで予測する国民が頻出し、恐怖のあまり、それだけでその国の体制が瓦解してしまったかも知れないが、しかし世界は、過去において王の極めて抑制的な行動パターンを数多く見て来ており、この程度のことで魔王の軍事攻勢を予想する者など一人もいない。

その点に限ってだけは、その国にとって僅かに幸いしたと言って良いだろう。


二千九年の七月二十日、秋津州では建国五周年を祝う記念式典が、特別の招待客も無いままに極めて簡素に執り行われたと言う。

式典会場はいつものグラウンドであったが、そこには例の奇妙なドームに代わって、二百人ばかりの大衆とメディアの姿を見るばかりだ。

一部に、例の馬酔木(あしび)の龍が一団となって飛来し、式典に花を添えるのではないかと言う噂が流れたが、結局それも単なる噂に終わってしまった。

しかも、何よりもこの日は月曜日だ。

国王にとっては、惑星間の往復移送と言う極めて公共的な任務に就く日なのである。

詰まり今日は、王がそのことに忙殺されてしまう日であり、現にその座乗する艦影が世界中で目撃される筈なのだ。

したがって、この記念すべき式典も、一部の官僚と長老格の議員が参列して、国旗掲揚を行うだけで全てを済ませてしまったと言う。

意気込んで集まったメディアにとっては腰砕けもいいところだったろうが、かと言って次なる目玉が無いわけではない。

粛々と審理が進む朝鮮共和国代表部の一件だ。

その犯行があまりに歴然としてしまっているため、程なく結審する筈だと囁かれており、現下の政治的背景のあれこれから、その審理のあり方が特段の注目を浴びていたのだ。

そしてその翌々日の二十二日に至り、件(くだん)の審理があっさり結審したばかりか、驚くべきことにその場で禁固十年の刑が言い渡され、続いて特赦令が発せられて直ちに国外に追放されたと言う。

その特赦は建国五周年の慶賀によるものと発表されたが、極めて高度な政治判断だと報じるものが多く、事実そうであったろう。

いずれにしても彼等は、蹌踉(そうろう)と船上の人となって秋津州を去った。

また、同日、テロリスト朴清源の犯した計画殺人に対する審理が始まり、唯一の生き証人久我正嘉氏が出廷して、弁護人を務めるジャーナリストたちの前で貴重な証言を行った。

証人にして見れば、この殺人者に騙され散々に利用された挙句、目の前で両親と妹とその子まで殺されてしまっており、自分自身も瀕死の重傷を負わされているのだ。

無論憤懣遣る方が無い。

出来るものなら、自分の手で殺してやりたいところであったろう。

何せ、この場合の被害者側には全く非が無い以上、秋津州の慣習法は、必ずしも復讐を禁じてはいないのである。

但し、犯人が容疑者となって追捕されていたり、歴然と公訴がなされた場合にあってはこの限りではない。

とにもかくにも審理は進み、やがて数日後には国王本人まで証言を行って話題を攫ったが、最も注目を浴びたのは人定尋問に対する容疑者本人の応えであったとされる。

と言うのも、身柄拘束後の取り調べに対し、本人が自らの朝鮮共和国籍を主張していたからであり、時節柄その主張の行方が一際注目されていたのである。

当然のことながら、本人は人定尋問においてもその主張を変えることは無く、ことの背景から言って、そのことが最大のニュースとなってしまったほどだ。

挙句、明らかな確信犯であった容疑者がその犯行についても明白に認めているため、争点は専らその精神性にあると報じられるに至った。

その特異な精神性が、果たして責任能力を持つほどのものであったかどうかが唯一の争点だと囁かれたのである。

かつて行われた鑑定だけでは不足だとされ、弁護人の要請で、その鑑定が複数の日本人医師に委嘱され、その結果が出るまでにはなお若干の時間を要する見通しだと言う。


七月二十九日になって、海都のタイラーの元に緊急の連絡が入った。

無論、ワシントンからであったが、タイラーが異様な高揚を覚えるほどの内容だったことは確かだ。

何と、秋津州を逐われた朝鮮共和国代表部の高官たちが本国に帰るに帰れず、哀れにも諸方をうろつきまわった挙句、台湾において米国への亡命を願い出ていると言う。

全て、例の動画ファイルによって、「犯行」を暴露されてしまった幹部たちばかりだと言うが、洗って見れば、世界の晒し者になってしまった者たちであり、証拠隠滅のために口封じを図る本国政府の手が及ぶのを恐れ、死の恐怖にひたすら怯えていると言う。

目下我が国の庇護の下にあると言うが、ワシントンの第一に恐れるところもまた魔王の激怒であり、同時に朝鮮共和国政府に対する幾多の権益が消滅してしまうことだ。

ことにあたりタイラーの負った任務は、そのあたり一切の調整であることは言うを俟たない。

魔王の反応如何では、哀れな逃亡者たちは即座に抹殺される運命にあり、そのためにこそ一切が公表されていないのだ。

ワシントンの行為が魔王を激怒させてしまうものであれば、今度はワシントンが証拠隠滅の必要に迫られることから、その点においてもタイラーの仕事は急ぐのである。

ところが、女神さまが珍しく鋭いレスポンスを返してくれた。

電話ではあったが、ワシントンがその亡命を受け入れることに一切の異論は無いと仰せになるのだ。

少なくとも、魔王の逆鱗に触れてしまう可能性は皆無であると言う確かな感触を得ることは出来た。

「秋津州の友人」は嬉々としてワシントンに一報した。

これで、我がワシントンは必殺のジョーカーを握ったことになる。

テーブルを挟んで対峙する相手は無論白馬王子に他ならない。

ちなみに現在の白馬王子が最も恐れるのは、このジョーカーが反政府的なスタンスを以て口を開くことであり、この者たちに公開の場でべらべらと喋りたてられてしまうのは、彼にとって言わば核攻撃を受けるに等しい。

今のところ、彼等の犯行はあくまで自らの意思によるものとされているが、それをそのまま鵜呑みにする者などいるわけが無い。

その証言によって、青瓦台が民族の英雄に対してまで暗殺指令を発した事実があらわになってしまえば、国内の怨嗟はなおのこと独裁者に集中してしまうのである。

それでなくとも既に国内は騒然として来ており、不穏分子の掃討にはかなりの精力を要する事態を迎えてしまっているのだ。

その上、またしても事態が一変してしまった。

ケンタウルスの真実が公表され、その国の民も既に恐るべき近未来を知ってしまっているのだ。

その近未来においては、人類がこの地球で生き延びる術(すべ)は無いと言う。

その国の政府にしても、或いは民にしても、このまま反秋津州を叫び、魔王との親交を我から拒み続ける以上、自然丹波へ渡る手段を失いこの地球に残らざるを得ない。

他国の民が轡(くつわ)を並べて丹波に避難を終えたそのあと、地球に残った朝鮮共和国人だけが死滅してしまうのである。

流石にその事実に気付かない民は少ないのだろう、例によって、手の平を返すようにして親秋津州を標榜する者が急増していると報じられているのだ。

詰まり、その国の不穏分子の掲げるスローガンに変化が起き始めていると言って良い。

少なくとも、彼等の中に現政権を頭に戴いている以上、生き延びる道が閉ざされてしまうと叫ぶ者が増えていることだけは確かであり、そのスローガンが反秋津州であろうと無かろうと、いずれにせよ反政府運動であることは動かない。

無論、現政権は例の通り血煙りを上げて粛清に努め、全て腕力を以てねじ伏せようとしており、白馬王子の流儀にはいささかの乱れも無いのである。

しかし、現政権にとっての現実は、限り無く厳しいものと言わざるを得ないだろう。

現に密告制度が機能不全に陥ってしまっており、その首都はおろか、地方都市においてさえ反政府デモが頻発し、中には数十万規模のものまであると言うのだ。

騒乱は各所に起こりつつあり、直接軍が鎮圧にあたっているとされ、民衆に向けて実弾の発砲がなされていると報じられるに至っている。

大量の血が流れ、当局発表では死者ゼロを謳ってはいるが、カメラ付きの携帯電話がここまで普及してしまっている今日(こんにち)だ。

流血の現場映像は無数に存在し、多くの人々がそれを目にしている今、政府発表を信じる者などいよう筈も無い。

白馬王子の欲する政治的求心力は、戻ってくるどころか益々失われて行く一方だ。

翻って、ワシントンが必要としているのは、言うまでも無くその地における従順な政権であり、その地の統治者が、血の匂いのする冷血な独裁者であっても一向に構わない。

構わないどころか、場合によっては、その方が、かえってワシントンの利益に繋がることさえあるのだ。

ここに来て、幸運にも極めて有効なカードも手にすることを得た。

例えそれが路傍で拾ったものであろうとなかろうと、一旦手に入れた以上、利用出来るものはとことん利用し尽くすのが現実の外交であることに違いは無い。

このカードによって、青瓦台の主が、好むと好まざるとにかかわらず、ワシントンの囁きに耳を傾けざるを得ない政治状況が生まれて来るのである。

かくして、ワシントンお得意のポーカーゲームが始まった。

今頃、在朝米国大使館は腕を撫している筈であり、そのカードは、必ずや大いなる効果を発揮してくれることだろう。

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  1. 2007/10/25(木) 21:02:14|
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自立国家の建設 110

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八月の五日、国王と女帝の通信。

国王は内務省の最上階、女帝は総理官邸の秋津州対策室に所在している。

「少々、お時間いただいてもよろしゅうございましょうか。」

「うむ。」

「お耳にお入れして置きたいことがございます。」

「申せ。」

「ワシントンがだいぶソウルをつつき回しておりまして。」

「そのようだな。」

「メイド・イン・USAの轡(くつわ)を嵌めようと躍起のようでございます。」

あの悍馬に食(は)ませるべき餌は、無論路傍で拾った例の亡命者たちであったろう。

「ふむ。」

「飼い馴らすことは無理でも、手綱(たづな)を着けるくらいなら可能でしょうから。」

そして、その手綱を握れば多少のコントロールは可能となる筈だ。

「・・・。」

「ワシントンからの援助を、米国企業の債務償還に効率良く充当したいところなのでございましょうが。」

ホワイトハウスの主は、財界からの支援を失いたくは無い。

「・・・。」

「あの国の世論をわざわざ敵に回したくは無いでしょうし。」

ちなみに、丹波の朝鮮共和国の国土は現在と同様半島をなしており、その北方で新中国に接している上、その国境線を除けば全ての外郭が海岸線であり大海に接している。

殊に海外の軍事拠点を失う新たな合衆国にとって、地球上で言うインド洋のディエゴガルシアや沖縄などと同様に、その戦略的価値は極めて高いものと言って良い。

ワシントンはその地に本格的な軍事基地を建設することまで夢想しており、それを思えば、なおさらその国の世論を考慮しないわけには行かないのである。

「・・・。」

「豚はあまり痩せさせてしまっても、いいお肉が取れなくなってしまいます。」

その国の経営が先細りになってしまえば、米国企業への債務償還がますます滞ってしまうのである。

「・・・。」

「追い詰められて、ぎりぎりのところに来ておりますようで、」

全て自業自得とは言いながら、その国の世論とワシントンによる挟撃が恐るべき戦果をあげつつあると言う。

ワシントンがもう一押しすれば、その政権の未来はまったく閉ざされ、独裁者はあらゆる悪名を被(こうむ)りながら、汚辱に塗(まみ)れて野垂れ死にするよりほかはあるまい。

その「一押し」が亡命者たちの記者会見である以上、白馬王子の選択肢は自ずと限られて来る。

「ふむ。」

「白馬王子に代わるべき者の用意も出来ているようでございますので。」

ワシントンは、無論その国が壊乱してしまうことを望んでいるわけは無い。

まして、このままではその国は地球に置き去りにされたまま文字通り消滅してしまい、軍事基地を建設するどころか、その国に対して巨大な債権を持つ米国企業の悲鳴が、遠雷のように聞こえて来るばかりなのである。

「・・・。」

「ワシントンでは、男の花道を用意したいと考えておるようでございます。」

「無縁の話だ。」

若者には、興味の無い話柄なのだろう。

「恐れ入りますが、もうしばらくお聞き願いとう存じます。」

「・・・。」

「あの者(白馬王子)を追い詰め、宣戦を布告させようと企てておりますようで。」

「このご時世に、わざわざ宣戦布告など・・・・、いかになんでも、そこまでおろかなことをするとは思えんが。」

「いえ、あの男がそこまで追い詰められている何よりの証拠でございましょう。」

いきさつがいきさつであり、ましてその国のことだ、政権を失えば先ず命は無いと見なければならないが、ワシントンの思惑に忠実であり続ければ、最悪でも公金を拐帯したまま亡命するくらいのことは担保されているのだろう。

ブラディ・キムが国家の命運より自らの延命の方を重しとする限り、理外のことが起きたとしても何の不思議も無いと言っているのだ。

「・・・。」

「何しろ、ワシントンはそのような状況造りがとてもお上手でいらっしゃいますから。」

確かにその点では、プロ中のプロだと言って良い。

「・・・。」

「宣戦を布告させた上で、国家元首同士の直接対決で決着を付けさせると言うプランが浮上して来ておりますようで。」

「ほほう。余人を交えず、元首同士の対決でと言うことか?」

それは、文字通りの国家代表選手と言うことになろう。

「左様にございます。」

呆れたことに、国家間の戦争をトップ同士の個人的格闘に代えて戦わせ、その勝敗だけで全ての決着を付けさせようと言う話なのだ。

確かに漫画のような話だが、ひとたび国単位の総力戦となれば、あの国には始めから勝ち目が無いことは明らかで、この案は白馬王子側には非常なメリットがある筈だ。

「うまいことを考えるものだ。」

ちなみに、格闘技の伎倆と言う点では、白馬王子は以前から自らの力量を恃むところが強く、他方若者の実力などさほどのものとは思っていないため、一対一で格闘すれば一捻(ひね)りだと考えているくらいで、よもや負けるなどとは思っても見ない。

それが戦争である以上、その闘いに勝利した暁には、敵に城下の盟(ちかい)を強いることは無論のこと、その敵国が飛び抜けた富裕国であることから、多額の賠償を得ることも可能なのである。

したがって、男らしく見事に戦って凱旋すれば、国民の相当数の支持を集め、再びかつての栄光と求心力を取り戻す事が出来ると考えているほどだ。

翻って、ワシントンの見るところ、この勝負の行方は戦う前から決まっており、一旦戦えば魔王は一瞬で敵を仕留める筈で、その上、かの国の民から恨みを買うのは魔王であってワシントンではない。

白馬王子の面子を立てさせてやると同時に、彼を魔王の手で始末させることによって、魔王に積もり積もった私憤を晴らす機会を与えることになるため、うまく持ちかければ双方共に魅力的な案件とすることが出来る。

ワシントンは、充分実現可能なプランだと見ているのである。

しかも、魔王のこれまでの足跡を見る限り、敗戦国に対し常に寛大な姿勢を見せて来ているばかりか、大規模な支援さえ厭わないほどで、最悪でもその独立を脅かすような行動はとらない筈だ。

結局ワシントンは、この方式でなら、敗戦国が敗戦によって不利益を蒙ることは無いと見ており、更に、降伏した敗戦国が丹波への移住を真摯に懇請することによって、魔王の支援を取り付け円滑な移住作業を実現しようと目論んでいることになる。

その結果、米国企業の債権は保全され、その国の新領土に改めて星条旗を打ち立てることも可能となるだろう。

「万一、その流れになった場合の心得を頂戴しておきとう存じます。」

その場合でも、若者が逃げを打ったことにされてしまうのは、少なくとも秋津州の国益にはそぐわない。

まして、おふくろさまの演算作業が若者の完勝を高らかに告げているのである。

「まさか、そのようなことにはなるまい。」

しかし、若者にとっては未だに信じ難いことなのだ。

「いえ、あくまで万が一のことでございます。」

「宣戦布告があれば、まさか逃げまわるわけにもいかんだろう。」

宣戦布告とは、その国が戦争を実行する意思を、世界に向けて広く発信する行為なのだ。

「それが元首同士の直接対決であってもでございますか?」

「一対一の格闘など単なる喧嘩でしか無かろうが、少なくとも兵士たちを無駄に殺さずに済む。」

この場合の「兵士たち」とは、無論敵国の兵士のことなのだ。

したがって若者は、この漫画のようなプランにも特別の嫌悪感は示してはいないと言うことになる。

「承知致しました。」

女帝にすれば、若者の意思だけは確認することが出来たのである。

「最後通牒はワシントン経由か?」

その文書がこれを以て平和的な交渉を打ち切ると謳うものである以上、あとは武力行使以外に残された道は無く、ワシントンの周到な根回しと強力な裏保障が無い限り、この最後通牒の事実が明るみに出た瞬間にもその国の経済は崩壊してしまう筈だ。

「さように存じます。」

「要求内容は、朴清源の身柄引き渡しだな?」

秋津州としては応じるわけには行かない要求だが、それを発してみせることによって、少なくともその国内において白馬王子の株だけは上がるに違いない。

「回答期限は二週間ほどになろうかと。」

当然、秋津州側は無視するか、若しくは拒絶するほかは無い。

しかし、期間内に応諾の回答が得られない場合、宣戦布告があろうと無かろうと、次に来るものは武力行使以外の何ものでもないのである。

「しかし、おろかなものだ。」

主語が抜けている。

「はい?」

「人間は、愚かだと言ったのだ。」

「それも人によりけりでございましょう。」

「第一、かの者一人を打ち殺して見せたところで、あの国のやからが敗戦を認めるとも思えんが。」

「ご賢察でございます。」

「結局は、無駄な殺し合いをしなければならんのか。」

「では、最後通牒の要求をお請けになりますか?」

「馬鹿を申せ。」

要求に応じて朴清源を引き渡したりすれば降伏したに等しい。

まして、その後の要求はますますエスカレートするに違いないのだ。

その後の要求にも全て応じて行けば戦争にはならないだろうが、他国から発せられる理不尽な要求に全て従う場合、既に主権国家とは言えないであろう。

何よりも、第三国の目がある。

秋津州の統治者がその心境に変化を来して、何が何でもひたすら戦争を回避しようとしていると思われてしまうのだ。

秋津州の内情に何かしら重大な変化が起きて、その結果戦争遂行能力を喪失せしめたものと判断され、秋津州に対してなら、戦争を前提に要求すれば何でも通るとなったら最後、結果は目に見えているだろう。

日本を除く多くの国々は、秋津州の戦闘能力が復活してしまわない内に、ここぞとばかりに武装解除を求めて来るに違いない。

武装解除されてしまえば、たちまち安保理が息を吹き返し、秋津州に不利な案件を矢継ぎ早に決議した上、国連への加入を強制して来る可能性は極めて高い。

無論人類が丹波への移住を果たしたあとの話ではあるが、荘園の放棄どころか、直轄領の割譲を求められても不思議は無いのである。

むしろ、そうならない方が不思議なくらいだ。

「では、拒絶なさいますか?」

「言うには及ばん。」

若者は、久し振りに沸々と闘志が漲って来るのを感じていた。

「承知致しました。」

「うむ。」

「それと、別件ではございますが、近々みどりさまがご一緒したい方がおありだそうで・・・。」

「聞いておる。」

みどりの丹波への移住に関しては全面的にフォローするよう命じてはあるが、直近の動向についてはあまり詳しい話は聞いてはいないのだ。

敷島のNew東京の一等地では、既にクラブ碧と喫茶立川の開店準備が進んでおり、みどりの口利きで、その隣のビルにスナック葉月が入ることになっていることも聞いているが、どうやら興梠律子を介して、みどりと横山葉月の間にも濃密な人間関係が出来つつあるらしく、近頃では頻繁な往来が始まっているほどだと言うし、みどりが連れて来たいと言うのもどうせその辺りの女性たちなのであろう。

「よろしゅうございましょうか?」

「どうせ、わしを種馬扱いする気なのだろう。」

「そのようなことはございません。」

「しかし、このたびの迫水の出来栄えは実に素晴らしいものだ。おふくろさまの伎倆も又一段と進歩したものと見える。」

「やはり、一目でお判りでございましたか?」

「いや、モデルの女性の映像を見せられるまでは半信半疑であった。」

「彼女主演の短編映画をたくさんお送りしておきましたが、お悦びいただけましたようでまことに結構なことと存じております。」

「うむ。」

「名演技だと存じますが?」

無論興梠律子が、神宮前に設えられたオフィス・スタイルのスタジオで、散々に艶技を繰り返した映像のことなのだ。

全てが演者の一人遊びのシーンで溢れていたが、迫水美智子の勤務状況のシチュエーションのこともあって、シーンの殆どが事務所形式のロケーションとなっており、孤独な演者は常に衣服を身に着けたままの姿であった。

その衣装はと言えば、あるときは練達の秘書を思わせるようなものであったり、また或るときは、自身がスナック葉月で着用するような実に艶(あで)やかなものであったりもする。

「演技とばかりも申せまい。」

「確かにご自身の世界に没入していらっしゃいました。」

着衣に隠して局所までは見せていなかったことが、かえって不思議なエロティシズムを醸し出し、その恍惚たる表情と言い、身悶えしながらの微妙なあえぎと言い、まさに入神(にゅうしん)の名演技と言って良いものばかりだったのだ。

「まるで天女の舞いを見るような心持ちであったわ。」

「ご当人もお目通りを願っておいででございますが。」

「好きに致せ。」

「承知致しました。」


同八月五日、タイラーは例によって女神さまをそのオフィスに招いていた。

無論、ワシントンの訓令に基づいて行動を起こしたのである。

「早速で恐縮ですが、極めて重大な文書を入手致しましたので、取り急ぎご覧に入れたいと思いまして。」

タイラーは、英文とハングルで書かれた二通の文書をテーブルに並べて見せた。

無論、コピーだ。

「・・・。」

女神さまは無言でそれを眺めている。

それは、朝鮮共和国政府から秋津州政府に宛てたものであり、これを以て通常の外交交渉を打ち切ると謳っている以上、いわゆる最後通牒と呼べる文書だと思うほかは無い。

内容的には無条件で朴清源の身柄引き渡しを要求し、発出日は来月の一日とし、かつ回答期限を九月十六日の正午と謳っており、それが堂々たる公文である以上、いざ発出してしまえば、すべてが公式に動き出してしまう。

現実には、今日から今月一杯までが裏側で折衝出来る実質的な期限となる筈で、秋津州側の反応次第で、ワシントンが即座に対応しようとしていることは明らかだ。

「いかがでしょう。」

万一秋津州側がその要求を受け入れでもすれば、白馬王子が民族の英雄の身柄を見事奪還したことになる。

そうなれば、白馬王子は国内で大喝采を浴びることになるのだろうが、一方の秋津州は他国の政府から発せられた理不尽な要求の前に屈したことになってしまうのである。

「そう申されましても、一民間人には手に余る代物でございますわ。」

「いえいえ、何を仰ることやら。」

この女神さまが、魔王の意を体して動いていることは紛れも無い。

「おほほ。」

「とにかく、おおよそのシナリオをお聞き取りいただきましょう。」

「あらあら、相変わらず手回しのよろしいことで。」

実際は、タイラーの言わんとすることなどとうに判ってしまっているのだ。

勿論この最後通牒は拒絶するより他は無く、拒絶された白馬王子は宣戦を布告して見せることになっている筈だ。

問題なのはそのあとのことであり、タイラーはさも意味ありげに国家元首同士の直接戦闘と言う話題に触れて来た。

本来不思議な話ではあるが、言ってみれば、当事国が双方共に納得ずくで行う限定戦争の話なのだ。

戦闘を行う領域と戦闘員、或いはその武備兵装などを限定しようと言うのだが、当然、その条件内容を双方が承認しなければ成立する話ではない。

今回の事例では、戦闘員を互いの元首のみとする提案が弱国側からなされようとしているが、言わば圧倒的な強者である秋津州側が受けて立つ義理は全く無い。

通常の世界ではあり得ない話なのだが、今回は成立し得る筈だと、ワシントンが勝手に判断してしまっているだけなのである。

「これなら、陛下がお恨みを晴らすいい機会にもなりましょうから。」

何しろその国からは、散々恩を仇で返された挙句、あまつさえ命まで狙われてしまっているのだ。

王妃や王子が暗殺されてしまっているいきさつから言っても、秋津州国王が白馬王子を憎む理由は山ほどにあり、魔王は虎視眈々と報復の機会を窺っているに違いない。

だからこそ、ワシントンは実現が可能だと判断したのである。

「申し上げておきますが、陛下は個人的なお恨みなどお持ちではございませんわ。」

口は重宝なものである。

「これは失礼申し上げました。では論点を変えさせていただきますが、単純に元首同士の直接戦闘の申し出がありました場合、お受けいただけますでしょうか?」

通常、そんな申し出など無視してしまって構わない。

構わないどころか、普通誰でも無視するだろう。

まして、相手側が公式に宣戦を布告する以上、敵軍を一瞬で殲滅してしまえばそれで済む話なのだ。

しかし、秋津州が総力戦に打って出れば、一対一の挑戦を受けて逃げを打ったと見られてしまうことは避けられない。

ワシントンは、魔王はそうはしないだろうと読みきってしまっている。

「ほほほ、陛下のご気性を逆手(さかて)に取るなんてずるいですわ。」

「しかし、紛争に決着を付けると言う点には意味があると考えておりまして。」

「でも、陛下の方は紛争の当事者だとは思ってらっしゃいませんもの。」

実際、一方的に喧嘩を売られているに過ぎないのである。

「しかし、現実に紛争はありますから。」

そうは言うが、相手側の言い分など全て「言い掛かり」と言って良いものばかりだ。

「それに、その方式で闘って勝利したとしても、あの国がそれで負けを認めるとは思えませんし、困りましたわねえ。」

「いえ、今度こそ認めさせましょう。」

「無理だと思いますけど。」

「しかし、この方式でなら、あの国の民は一人も死なずに済みますし、ブラディ・キムが討ち死にしてくれればみんな大喜びする筈ですから、今度こそ大丈夫でしょう。」

「まあ、その当座だけは収まるかも知れませんが、どうせ二・三年もすれば又ぞろ、我が国の国家元首を謀略にかけて殺害した、とか何とか言い出すに決まってますわ。」

「いや、そんなことは言わせませんよ。」

「おほほほ、その頃になったら、あの国の歴史教科書には我が国は被害者である、と書かれてますわよ、きっと。」

「いや、その点交換公文で明確に致しておきますから、そんなことは出来ないでしょう。」

「おほほ、あの国に交換公文など無意味だと思いますけど。」

「いや・・・。」

「現に、日本との堂々たる条約ですら、あとになったら、無理矢理結ばされたとか言ってますからねえ。」

事実なのである。

「しかし、世界平和の達成のために紛争を終息させる必要はありますよねえ。」

「真の意味の終息なら意味があるでしょうね。」

「え?」

「あの国と恒久的な意味で紛争解決を望めば、こちら側が大和民族を標榜する以上、あちら様の属国になるほかは無いと思いますわ。尤も属国になってからは、一層苛められるとは思いますけれど。」

この場合の属国とは、それこそ、外交権も予算編成権も或いは立法権ですら、全て宗主国さまに預けてしまうことを意味しており、国家としては名ばかりのものに成り下がることなのだ。

当然、何をされても逆らわず、宗主国さまのご命令に全て従うのだから、そこに紛争の発生する余地は無い。

女神さまは、「こちらが大和民族を標榜する限り」、それしか完全な解決策は無いと言っているのである。

属国になるなど、無論出来ることでは無い。

そうである以上、所詮完全な解決など望むべくも無いと言いたいのだろう。

こちらは普通の国家主権を普通に主張しているだけなのに、あちらはあらん限りの屁理屈を並べ立てて事実を捻じ曲げ、延々と恨み言を言い続けるのだ。

今回の一件にしても、秋津州から受ける脅威が過大であったから起きたことだと主張し始めるに違いない。

詰まり、悪いのは秋津州だと言う話にされてしまうのである。

「では、一時的な和平は無意味だと?」

「おほほほ、わたくしにしたって、一時的だろうとなんだろうと和平を望んでいることに違いはありませんわ。」

尤も、望んだからと言って実現出来るとは限らない。

「そうですよねえ、どうせ永遠の和平などあり得ないのですから。」

その意味では、全ての和平が一時的なものだと言って良い。

「それは仰る通りだと思いますわ。」

「では、今回もその一時的な和平実現の為にご協力いただくとして。」

「それでしたら、この無理難題を引っ込めさせた方が、よっぽど手っ取り早いと存じますが。」

一方的に無理難題を吹っかけて来ているのは、相手側であって秋津州ではないのである。

「命惜しさに必死ですから、先ず引っ込めないでしょうな。」

この辺で得点を稼いで見せなければ、政権ばかりか命まで危ない。

「でも、それにしたって、陛下のご責任ではございませんわ。」

「しかし、あの国の民にとって民族の英雄を返せと要求することは間違いなく正義なのですから。」

「そう言う屁理屈は通りませんわ。」

「いや、あくまで二国間の問題ですから、屁理屈だろうがなんだろうが、結局は言ったもの勝ちでしょうな。」

「迷惑なだけですわ。」

「最後通牒なのですから、迷惑な要求は排除するほかはありますまい。」

「乱暴なお話ですわねえ。」

「乱暴と仰るが、ルールを定めて紳士的に闘うのですから。」

「紳士的にですか。」

「はい、飛び道具や爆発物などは一切使用せず、剣を以て堂々と闘うことにすれば、陛下がお怪我をなさる可能性はゼロだと思いますが。」

「いまどき随分野蛮なお話ですこと。」

「戦争など元々野蛮なものです。」

「でしたら、そんな野蛮な戦争などなさらなければよろしいのに。」

「相手側がそれしか生き延びる道が無いと言うものですから。」

白馬王子にとっては、いちかばちかの延命策なのだと言う。

「ですから、それは陛下のご責任では無いと申し上げている筈ですが。」

そもそも、相手が反日・反秋津州を標榜することによって求心力を得て来た以上、どう考えても全て自業自得としか言いようが無いのである。

「理屈はそうでしょうが、なにごとも紛争を収めるためですから。」

紛争などと言っているが、要は白馬王子が朴清源の身柄を引き渡せと要求し、秋津州側は嫌だと言っているに過ぎないのである。

現に、自国領内で重大な犯罪を犯した被疑者を他国に引き渡す国家などあり得ず、そのことから見ても、秋津州側には露ほどの非も無いことになる。

そこに持って来て、駐秋代表部の高官たちが軒並み逮捕された挙句、追放されてしまったことも小さくない。

「でも、そんな方法で紛争が収まるとも思えませんが。」

「いや、収めなくてはなりません。先方が不正な手段を用いることの無いよう、我が国が全面的にサポート致しますので。」

「それとこれとは別の問題ですわ。それに宣戦布告とは国家レベルの戦争遂行宣言ではありませんか。一対一の格闘など単なる喧嘩でしか無いでしょうに。」

「ふうむ、やはりご裁可いただけませんか?」

「それに陛下がそんな方と命を掛けて闘うことなど考えられませんわ。相手の命が無くなるのですよ。」

「いえ、陛下ならばこそその資格がおありになるのです。万一の場合でも、国家元首には特権免除がございますし。」

確かに、国家元首は現職中に限り、その任務の遂行のためとあらば、公私共に全ての行為が完全な免責を受けるとされており、今回の話の場合、国家元首の任務として戦う以上、例え相手を打ち殺してしまっても非難される謂われは無いと言っていることになる。

まして、「正統な」戦争における正規の戦闘行動なのだ。

本来、敵の戦闘員は見付け次第に皆殺しにしてしまって構わないのである。

構わないどころか、それこそ正規戦である以上「見敵必殺」であるべきなのだ。

今さら、特権免除もへちまも無いであろう。

その上、何度も触れている通り、秋津州は既存の国際法になど囚われる必要は無いのである。

「そう言うことを申し上げているのではございません。とにかく陛下は、野蛮な殺し合いなど望んではおられません。」

女神さまは、珍しく断固たる口調だ。

「うーむ、どう申し上げてもお採り上げいただけませんか。」

「はい、陛下は今まで通り、降りかかる火の粉を払いのけるのみでございます。」

「ほほう、それでは・・・・。」

「はい。例え敵国の兵士であっても、出来ることなら死なせたくは無いとの仰せでございますから。」

女神さまが艶然と笑みを浮かべている。

「あっ、ありがとうございます。」

「それには及びませんわ。」

「いえいえ、これで重要案件の一つが無事に済みました。」

「あら、未だほかにもございますの?」

「はい、是非ともご尽力を賜りたいことがあるのです。」

「わたくしに出来ることなのでしょうか?」

「恐らく、ほかにご適任の方はいらっしゃらないと思います。」

タイラーはにんまりと笑った。

女神さまが喜ばない筈は無いと信じているのだ。

「あらあら・・・。」

「実は、我が国の女性が一人、王立大学に入学を希望しておるのです。」

この場合の王立大学とは、今般八雲の郷において開校した総合大学校のことなのだろう。

王立を謳うだけあって既に豊富な教授陣を揃え、その教科内容にしても相当なものだと囁かれているほどだ。

無論その他にも、王の直轄領においては各地に多数の学校が運営されており、膨大な児童が学んでいると報じられてもいる。

「あら、お国にしては珍しいお申し出でございますこと。」

「はい、本人の強い希望がありまして。」

「それでしたら自費留学になりましょう。」

「それが、近頃、両親を亡くしまして気の毒な身の上なのです。」

「それはお気の毒に。」

「彼女の養育に名乗りを上げる親族など全く無いのです。」

「孤児になられたわけですね。」

今度は女神さまが意味ありげな笑みを浮かべた。

「はい、この夏でハイスクールを卒業いたしましたが、ご承知の通りの移住騒動で、我が国は未だ文教施設の多くが整ってはおりません。」

無論丹波においての話である。

「でも、それは皆様同じことではございません?」

そのほかの学生たちにとっても、条件は皆同じだと言っている。

「いえ、このものは十五歳で卒業したことからもお判りいただけると思いますが、なかなか優秀な学生でございまして。」

「そんなに優秀な方なのでございますか。」

「はい、今まで日本語を学習して参りましたのも、秋津州で教育を受ける希望を持っておったからでして・・・。」

「なるほど、それで財団の審査をお受けになりたいと仰る?」

秋津州財団の掲げる目標のひとつは、言うまでも無く恵まれない子供たちに就学の機会を与えることだ。

「はい、何とか望みを叶えてやりたいと思いまして。」

「判りました。」

財団で審査することを承諾したのである。

「ありがとうございます。」

「念のため、その方のお名前を伺っておきましょうか。」

タイラーは、大き目の茶封筒から数葉の写真を取り出してテーブルに並べた。

無論当の女性の写真であり、それが魔王の初恋の女性に生き写しとされるほどの美貌を具えている限り、ワシントンの願いは充分実現可能だと見ている。

可能どころか、飛びついて来るだろう。

「ローズ・ラブ・ヒューイットと申しまして、とうに海都入りさせておりますから、いつでもお呼び出しに応じられる構えでおりますので。」

「あらあら、随分気の早いお話でございますこと。」

その少女が観光客の一員として入国している事実は、とうに秋津州側の知る所となっているのだ。

三人の女性専従者まで同行しており、少女はその環境の中で全て日本語で会話しているほどだと言う。

「なにごとも、善は急げと申しますからな。」

タイラーに又しても笑みがこぼれた。

「おほほほ。」

「つきましては、一度財団総裁にお目通りを願いたいのですが、何とかご尽力いただけないでしょうか?」

何せその少女は、魔王の好むタイプなのである。

タイラーにすれば、直接会わせてしまえば、もうこっちのものだと言う意識が強い。

少女自身も、巧妙な意識誘導を散々に受け続けた結果、超大国秋津州の青年君主に対しては尋常ならざる想いを抱くまでになっていると言う。

増してその国は、世界のヘゲモニーを確実に手にしている空前の強国であり、更に君主個人は群を抜く大富豪だと教えられているのだ。

突然保護者を失った年頃の娘にとって、充分過ぎる動機付けになっているとの報告も受けた。

日本文化の学習に関しても極めて集中的に行い、若いだけにその成果も充分だと聞いており、無論日本語の日常会話にも不自由することは無いと言う。

その結果、ワシントンにとって最強の戦士になるだろうと評価されるに至っているほどなのである。

尤も、秋元姉妹からすれば、それもこれもとうに判っていたことであり、全て思う壺でさえあったのだ。

現にその少女をリストアップするにあたっては、ワシントンの誰よりも先んじていたほどで、彼女に関する個人データなどその両親が健在の内から入手して来ており、今では天空のおふくろさまから積極的なゴーサインまで出てしまっているほどだ。

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  1. 2007/10/28(日) 15:10:19|
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