日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 145

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とにかく、この私に少しでも近しい姿勢を採れば只では済まさないと露骨に宣言しているようなものなのだから、誰にしてもそこから受ける圧力は容易なものでは無いのだろう。

現に叔父さまのところへも色んなことを言ってくる人がいるらしくて、中には御為(おため)ごかしに、ここへの仕送りは止めた方が身のためだと言う人までいると言う。

当然、誰の差し金かは判りきった話だから、叔父さまは「領主である実父に領内の産物を届けて何が悪い。」と言って突っぱねたって聞いてるけど、その辺のところから見ても、敵はこっちの糧道を断つ作戦で来ていることは確かだし、その折りも折り届いた貴重な仕送りなのである。

先乗りの者からの報せを受けて、一同揃って出迎えに立ったのも、その到着をみんな心底から待っていたからなのだ。

荷駄の行列を宰領して来たのは今度もパルテニオス・ステファノプロスで、出迎えに出た私の姿を見るや、真っ先に駆け寄ってきて臣礼をとってくれており、その顔は変わらぬ忠誠心で溢れている。

次いで、直接の主人であるじいの前に進み改めて荷駄の内容を報告しているが、そもそも彼は長らくカラヤニス家の筆頭家宰を務めて来ている上、その長女ネオマは今では叔父さまの奥さまでもあるのだ。

詰まりネオマは家宰の娘から城主夫人になったわけだけど、それも叔父さまの方から熱烈に求愛なさった末の結婚だったから、長男のニコメデスが四歳になった今でも夫婦仲は円満そのものだし、城主の岳父となった形のパルテニオス・ステファノプロスは、家宰とは言いながら今は一族も同然の扱いを受けていると言う。

それに、未だ二十四歳のネオマは、その妹たちと並んでステファノプロス家の美人三姉妹としてかなり有名だったし、あのヘラクレイオスの求婚を蹴って叔父さまと結婚したと言ういきさつもあるから、あの男がとても口惜しがって、求婚したのではなくて、単に妾(しょう)として召し出そうとしただけだったって言ってまわったらしいけど、今さら何を言おうと振られたことに変わりは無いでしょうに。

その上、最近になってネオマの妹たちを二人共差し出せと言って来てるらしいし、その舌の根も乾かぬ内に、今度はこの私にまでしつこく求婚して来るのだから、もう呆れてものも言えやしない。

尤も、ネオマの妹たちは、今では二人共お城に上がってマリレナのお側付きを勤めてる筈だから、あの男がいくら乱暴者でももうおいそれとは手は出せないでしょう。

実はじいには、アルセニオス叔父さまの上に二人も息子があったのだけど、両方ともお父さまのお供で例の遠征に出たっきりだし、マリレナはその長男アダマンティスの一人娘なのだから、じいにとっては初孫のことでもあるしきっと一番可愛いに違いない。

世が世であればマリレナの父のアダマンティスが跡取りだったのに、それが遠征軍と一緒に行方不明のままで、その上産みの母も亡くしちゃってるマリレナは、事実上親無しっ子になっちゃったも同じことだから、その不憫さから来る愛おしさもひとしおの筈だ。

マリレナは私にとっては三つ上の従姉妹に当たり、この私と良く似た星の下に生まれて来たこともあって、互いに気心も知れてる上に、小さい頃なんか王宮の中庭でしょっちゅう遊んでもらってたくらいなのである。

一方のネオマの妹たちとはじいのお城で二度ほど会ったきりだけど、二人共マリレナと同じくらい綺麗な人たちで、確か、上のデイアネイラが十九で下のオルティアがマリレナと同じ十八の筈だから、年恰好から言ってもお姉さまの良い話し相手になってくれてるに違いない。

でも、ネオマの妹たちにしてみれば頭ごなしに差し出せと言われちゃってる手前、相手が相手だけに内心穏やかじゃないだろうし、カラヤニス家としても相手の不遜な物言いを耐え難い侮辱と受け取っており、そのことだけでも新たな諍いのタネになってしまっているのだ。

中でもウェルギリウス家の件が際立って大きいとは思うけど、当然、諍いのタネはそれだけに限らない。

第一、当時十二歳の私が王宮を出ることになったきっかけにしても、何度か毒殺されそうになったからなのだし、必死になってそれを阻止してくれたのはじいとネリッサなのである。

運ばれてくる食事に実際に毒が入っていたことは、水槽のお魚が何度も証明してくれたのだから全部本当のことなのだ。

じいやネリッサは、スフランツェス親子にとって王家の血筋としての利用価値はまだまだ貴重な筈だから、暗殺を企てた者は絶対ほかにいると言うし、そうなると犯人は只一人の人物しか思い浮かばない。

口に出すのも恐ろしいことだけど、そのヒトは少なくとも内廷(ないてい:王家の私的生活空間)では最大の権力者でもあることだし、その人脈は内廷の隅々にまで張り巡らされていて、現に当時私の側にいた侍女たちの間にも不自然な動きをするものが少なくなかったくらいだ。

ネリッサから聞いてるところでは、その者たちは全部そのヒトの息が掛かっていて、少なくともこちら側の動きは全部筒抜けだったと言うし、結局、そのまま王宮にいたのではいつかは命を失うことになるから、総主教さまの宮殿に連絡を取ってイオハンネス十八世さまのお導きを得ようとしたのだけれど、こちらから出した使者ばかりか総主教さまご自身までが行方不明になってしまわれ、その後相互の連絡は全く途絶えてしまったと聞いている。

その当時全ての出入り口はスフランツェスの兵がひしひしと固めていて、総主教さまの宮殿どころか修道院にさえ足を踏み入れることは許されず、それで今の場所に落ち着かざるを得なかったのだ。

現在のアヤ・ソフィア大聖堂には一応全地総主教庁があることになってはいるのだけれど、代行の方はおられても、肝心の総主教さまはそこにはおわさず、じいなどは個人的にもおさな馴染みのことでもあり、お行方を必死に捜させた筈だけど、スフランツェスの壁は厚く今以て手掛かり一つ掴めないでいるのである。

ウェルギリウス家のお取り潰し騒動にしたってあまりに突然過ぎて、カラヤニス側が知ったときは全て後の祭りだったらしい。

そのため、両家が手を携えて挙兵する最後の機会をみすみす逃してしまったと、ネリッサが口惜しそうに言ってるのを聞いて、その後こっそりじいに尋ねたら「あのときなら、未だ両家の旗の下へ馳せ参ずる者もあっただろうが、今となっては応ずる者は皆無だろう。」と言うのだ。

今の情勢でカラヤニス家が単独で挙兵しても、反逆の汚名を着せられた挙句、無惨に殲滅されるだけだと言うのである。

結局、熾烈な権力闘争の過程で多くの人命が失われてしまったことは事実だし、一日も早く無法の行われない世の中になって欲しいとは思うものの、見渡せばあの親子が益々のさばりかえるばかりだ。

父親のアレクシオスが執政の地位だけでは飽き足らず、近いうちにも帝位に昇り、一人息子のヘラクレイオスは皇太子だと言って回る人が増えてるらしいし、現に昨日来た求婚の使者なんかも、しきりにそのことを匂わせていたくらいだから、満更単なる噂ばかりとも言い切れないのだ。

尤も、それで無事に世が治まって民が幸せになるんだったら、それはそれで構わないとは思うけど、あの親子のこれまでを見る限りとてもそうは思えないし、実際アレクシオスが帝位につけば、私の結婚話一つ採っても勅命を以て強いられてしまうに違いない。

ここは取り壊されて私の居場所が無くなっちゃうかも知れないし、そうなったらそうなったで、じいの領地で心静かに農耕の日々を過ごすのが夢だけど、肝心のその領地自体がどうなるか判らないと言う人までいるらしい。

現に近頃では、トニアたちが歯軋りしながら口惜しがってるところばかり見掛けるようになって来ているし、その点よほどのことが起き始めているのかも知れない。

詳しい事情は話してはもらえないけど、トニアの口振りで行くと、ネリッサなんかは夜になると時々泣いてることまであるらしい。

ネリッサの長女セレナはしっかり者で聞こえた二十三歳で、今ではネオマの女官長を務めてるくらいだから、ネリッサのところには城内からもよほどの情報が入るのだろうが、あの野獣のような男がネオマに振られた腹いせに、今度はその妹たちを両方差し出せと言って来てるのがよほど口惜しいに違いない。

とにかく、トニアとアウラの会話を聞いてると、あの親子は元々とんでもない横紙破りで、しかも今回のことでは意地になっちゃってる筈だから、いざとなったら何を仕出かすか知れたものではないとまで言うのである。

殊に私との件ではパレオロゴス家の血筋を強く意識するあまり、何が何でもと言うところが露骨に見えてるから、絶対に諦めたりはしない筈だと聞いており、そう言う話だと、あの獣(けだもの)が今日にも押しかけて来るかもしれないし、何度言われたってこっちの返事は決まってるんだから、そうなると結局は実力行使と言うことになっちゃうんだろう。

もうそのときは、洞穴に入って心静かに最期のときを迎える覚悟ではいるけれど、場合によってはその暇さえ無いかも知れないなどと思いつつ、重い気持ちを抱いて落ち葉を踏んで歩いている。

朝露を含んでしっとりとした落ち葉が一段とつま先に重いけど、それはまるでこの私の涙のような気がして来て、ひたすら暗澹たる思いなのだ。

このわたくしがパレオロゴス家の系譜を正しくひいてしまってることが、諍いのタネの一つになっちゃってるみたいだけど、出来るものならそんなものきれいさっぱり捨ててしまいたいと思う。

一人の女として、そしてじいの孫娘として平和に暮らして行ければ、それだけで充分と言う思いが強いのだけれど、かと言って幼い頃から守って来たこの胸の誇りまで失いたくはないのである。

でも、その誇りが荒々しい暴力で踏みにじられてしまうかも知れないし、しかもそれが今日明日のことかも知れないのだ。

そのときは、じいもほかの者たちも到底無事では済まないだろうし、縄を掛けられあのケダモノの足元に引き据えられている自分の姿を思い浮かべたとき、周囲の木立の間を大きく風が吹き渡りしきりにざわめいている。

昨日はステファノプロスが何人か護衛の兵を置いて行くって言ってたけど、結局敵に口実を与えてしまうだろうと言うじいの意見で取り止めになったらしい。

確かに、そうなれば大勢の兵を擁してここへ立て篭もってるように見えなくも無いのだから、反乱軍の汚名を着せることが出来て敵は大喜びだろう。

ステファノプロスはせめてカラヤニス城に全員引き上げるべきだと言うのだが、今となっては敵は実力で阻止するだろうし、そうなればじいが汚名を着せられることに変わりは無いのである。

考えれば考えるほど四面楚歌の状況に陥ってしまっていることになるのだ。

やがて洞穴の直ぐ前まで来ると、いつも通りじいがつと前に出て灯りを灯してくれたから、中に入って清々しい冷気を浴びながら進み、程なくその部屋に入ったのだけれど、一歩踏み入れた途端不思議な違和感を覚えてしまった。

上手く言えないけど、いつもとは何かが違うのである。

じいの灯りは近頃益々弱々しくなっちゃってるけど蝋燭よりは未だましだし、今も懸命に前を照らしてくれてるから、か細い灯りの輪に浮かび上がるヤサウェだっていつも通りに見えてるし、改めて見渡して見ても変わったところなど何一つ見当たらないのだ。

それなのに、相変わらず何処かが違って見えていて、ネリッサが差し出す供物を手に茫然とその場に立ち尽くしてしまっていた。

目の前の老人に恐れを感じてるわけじゃ無いし、それどころか胸の中に何かとても大きなものが膨れ上がって来ていて、それが自分の身に起きてるあれこれから来る期待感だってことも、ちゃんと自覚出来ているのである。

現に以前は日々の暮らしにここまでの切迫感は感じないで済んでいたのだし、これほど切実な期待感など持ったためしは無いのだから、考えれば考えるほど身勝手なおんなだと思わないではないけれど、伝説のオヤカタサマは困ったときほどお救い下さる方だと伺っているし、しかも近頃は頻繁に夢に出て来て下さるのだ。

そして、その一の郎党こそ目の前のヤサウェなんだし、いろんな言い伝えに思い合わせながら只一つのことを頭の片隅で思い描いている内に、やがて、徐々に目が慣れてきたのだろう、ヤサウェの背後の薄暗がりになにか黒々としたものがぼんやりと見えて来た。

四角い寝棺のようにも見えて、相当大柄な人間でも楽に入れそうな大きさだけど、そんなものこれまで只の一度も見掛けたことが無いのだし、昨日までは絶対に無かった筈なのだ。

でも、現実に目の前にある以上、運び込んだ方がおいでになるのである。

ヤサウェが動かないままだとすると、それはもうお一人しかいらっしゃらないでは無いか。

胸の中はとうに大騒ぎしてしまっていて、あれを思いこれを思いしながらなおも見詰めていると、正面からふいに吐息を感じたような気がしたのである。

勿論自分のものでは無いし、じいも侍女たちも、私の様子からようやく異変を察知したらしく息を詰め身じろぎ一つしていないのだ。

息詰まるような空気の中でもう一度耳を澄ますと、今度は微かな衣擦れの音が聞こえたような気がしたけど、それが、どう考えても薄暗い正面からとしか思えない。

問題の箱の中からかも知れないと思いつつ、必死に目を凝らして見詰めていると、目の前の老人の胸が僅かに膨らんだように思え、その瞬間、伝説のヤサウェがその目をかっと見開いた。

その目が明々(あかあか)と燃えているようにも思えて、一瞬あっと身を引いてしまったけど、やがて私の顔をしげしげとご覧になっておられることに気付かされ、我知らずその場に跪いてしまっていた。

片手には供物がある。

恐る恐る顔を上げながら、両手で捧げると重々しい声が降って来た。

「汝の餉給(げきゅう:食糧支給)は深く嘉(よみ)するところである。」

幾分しわがれ気味のその声は紛れも無くヤサウェの口から出たものであり、もう疑う余地は無かった。

伝説のヤサウェが、確かに今蘇って下さったのだ。

じいもよほど驚いたものと見えて迂闊(うかつ)にも灯りを取り落としてしまったらしく、かなり大きな音を立てながら転がって行ってしまい、あらぬ方向の壁の下側が頼りなげに照らされてはいるものの、部屋の殆どが暗闇と化し、眼前のヤサウェのお姿はすっかり闇に溶け込んでしまっていたのである。

じいが慌てて灯りを拾おうと僅かに身を動かした気配だが、そのとき又しても異変は起こった。

頭上で小さな灯りがぽつりぽつりと灯ったかと思うと、一呼吸のあとにはみるみるその数を増し始め、しかもそのひとつひとつが徐々に光量を増しながら、やがて部屋中を光で満たして行く。

眩しい目で見回すと、どうやら天井や壁際付近に無数の光源が出現したらしく、まるで真昼のような明るさだ。

この不思議には大きなざわめきが沸き起こって当然だったろう。

今や全員が跪いてしまっており、私自身が身の内に言い知れぬ喜びを覚えてしまっているほどで、ヤサウェの視線に親しみを感じこそすれ、恐れなど全く感じてはいなかったと言って良い。

そのためもあってか、我ながら自然な言葉が口をついて出た。

「あの・・・、何分行き届きませぬが、これからも精一杯努めさせていただきとう存じます。」

「うむ、殊勝(しゅしょう)である。」

お褒めいただいたことになる。

洞穴の入り口付近を固めていた護衛たちも、異変に気付いて慌てて駆け込んで来たものの、何が起きたのか判らぬままに立ち尽くしていたが、やがて他に倣って二人ともに跪いて祈りを捧げてくれている。

「こののちも、なんなりとお申し付け下さりますよう。」

「うむ、よくぞ申した。オヤカタサマもそなたの心根を嘉され、これを差しくだされるとの仰せである。」

ヤサウェの腕がゆるゆると動き、背後から次々と取り出されて来るのは、かなり大きめの皮袋で、その中身は握りこぶしの三倍ほどもありそうだ。

しかも、それがずしりずしりと載せられて行くたびに、頑丈な供物台を大きくきしませてしまっており、その中身はよほど重いのに違いない。

自然供物台の上には乗り切らず床にまでずらりと置かれることになり、やがてそれが五十にも及んでやっとヤサウェの手が止まった。

「オヤカタサマからの下されものである。ありがたくお受けするがよかろう。」

優しいお声ではあったが、この予想外の展開にはただただ畏れかしこみ胸が震えるばかりで、容易に手が出ないでいると再び声が降って来た。

「遠慮無う開けてみるがよい。」

「は、はい、それでは失礼仕りまして・・・。」

仰せに従い、にじり寄って皮袋の口をくつろげ中を覗いて見て驚いた。

この国には、かつてオヤカタサマがお伝え下された大豆(だいず)と言うものがあるけれど、なんとそれは、一粒一粒がその半分ほどの大きさの光り輝く黄金だったのである。

続いてじいもにじり寄ってきて、ほかの袋も同様であることを確かめるや否や、目を輝かせながら振り向き、「これだけあれば、姫さまのご一生は最早ご安泰と申せましょう。」とさも嬉しげに呟いている。

それと言うのも、領地を失ってしまえば仕送りどころではなくなってしまうと言う懸念があるからだろうし、まるで平ぐものようになって礼を述べるじいに倣って私も恭しく言上した。

「まことにありがとうは存じますが、今のわたくしは何のお礼も出来かねる身の上でございます。」

「ふむ、オヤカタサマの寝台にしてもそなたの心づくしであろうが。その労をねぎらわれてのことなのじゃから、そなたがそこまで心を労するようなことではあるまい。」

「お言葉ではございますが、これほどまでのものを頂戴いたしましては、かえって心苦しゅう存じます。」

何しろ、普通の庶民の家だったら、この皮袋一つでその数十年を賄ってあまりあるほどなのだ。

「お申し付けである。辞退はまかり成らぬ。」

幾分厳しい語調のしわがれ声であった。

「それでは仰せに従いご厚志ありがたく頂戴仕りますが、ご入り用の節は、いつにてもお申し付けくだされますよう。」

「これ、心得違いを致すでない。そのような無用の慮りは、オヤカタサマに対し奉りかえって非礼にあたるものと心得よ。」

またしても、お叱りを頂戴してしまったのだ。

「あっ、これは心無いことを申し上げてしまいました。この通りにございます。」

「了見してくれさえすればそれで良い。」

「あの、今後ともなんなりと御用を仰せ付け下さりますよう。」

お相手は、オヤカタサマの一の郎党ヤサウェなのだ。

「されば、申し聞かせることがある。」

「はい、なんなりとお申し聞け下さりませ。」

「ほかのことでは無い。実はこの船はほど無く滅んでしまう運命(さだめ)を負っておるのじゃ。」

「そりゃ、まことのことにござりましょうか。」

一瞬、茫然としてしまったが、それは他のものとて皆同じことなのだろう、その場が一斉に静まり返ってしまった。

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  1. 2008/09/03(水) 16:02:26|
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自立国家の建設 146

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「うむ、その証(あかし)が歴然としているとの御諚(ごじょう)であった。」

ヤサウェの声が一段と重々しく響いた。

「まあ、オヤカタサマの・・・。」

そのことをオヤカタサマが仰ったと言うのである。

「わしも、伺ったばかりじゃ。」

「それでは、あの、あの・・・、オヤカタサマが・・・。」

「うむ、近頃は幾たびもお出向き下されて、ありがたきことに直接お下知を頂戴致しておる。」

「あの・・・、幾たびも、でございまするか。」

「つい先ほどもおいでなされたばかりじゃが、近々にもここは昼の無い世界となり、やがて天地の全てが崩れさってしまうとの仰せであった。」

「それでは・・・。」

「うむ、そのままにしておれば汝らは悉く命を失うことになるであろう。」

「まあ・・・。」

「この船も所詮機械じゃ。」

「はい。」

「機械の寿命など、お造りになられたオヤカタサマが一番ご承知だと思い知るがよい。」

「それは仰せの通りかと存じます。」

ひそひそと囁かれて来たことではあるけれど、それでもまさか現実のものになるとは思っていなかったのである。

でも、一族の危機にあたって伝説のオヤカタサマが偽りを仰せられたことは只の一度も無かった筈なのだから、今度の件だってきっとまことのことに違いないのだ。

「機械の寿命が尽き果てることは自然の理(ことわり)じゃ。」

「・・・。」

「この世界の大地にしても、もともとオヤカタサマがご領地から運び込まれたものじゃから、それなりに思い入れもおありじゃろう。」

「はい。」

「中でもこの磐座(いわくら)一帯には、とりわけご愛着がおありになるようじゃ。」

「わたくしどもにとりましても、申さば神域でございますゆえ。」

現にその神域と言う意味合いこそが、自分たちがひっそりと隠れ住むにあたって、隠れ蓑としての貴重な役割を担ってくれていると言えなくも無いのである。

「うむ、その神域まで滅ぼしてしまってはならぬと格別の仰せであった。」

「お下知に従い、如何ようにもお手貸し仕りとう存じます。」

「いや、その方どもの手を借りるほどのことではあるまい。」

「しかしながら・・・・。」

「ただ、この一帯は改めてお召し上げに相なるゆえ、さよう心得るがよい。」

「謹んで承りましてございます。」

じいが何か言いたげにぬっと顔を擡(もた)げたが、それを目で抑えながらきっぱりとお答えしていた。

どうせ、放っておいても全てが滅んでしまうのである。

「近々、そなた達の目にもはきと映るよう結界を張るつもりじゃが、その内側の領域は悉くオヤカタサマのご城内に引き移されるものと心得よ。」

決定的なお言葉が発せられたが、その口振りではオヤカタサマのお城と仰るのはよほど広いに違いない。

「しかと承知仕りました。」

「念のため申しておく。」

「はっ。」

改めて平伏してお指図を待った。

「その領域の中にはそなた等の小屋も全て含まれておることゆえ、ご城内に引き移りしのちも、望みとあらばそのまま住まいしていても差し支えはあるまいぞ。」

「あっ、思し召し、まことに以てかたじけなく、ひたすらかくの通りにございます。」

じいが真っ先に平伏している。

「近々、結界を見るがよい。」

「あの・・・・、その結界とやらは、どれほどの大きさになるのでございましょう。」

「ふむ、なにゆえそのようなことを尋ねる。」

「いえ・・・、民の者たちをおいては参れませぬ故、とてものことにわたくしは残る覚悟を固めましてございます。」

「ここの世界と生死をともにすると申すか。」

「はい、その代わりせめて幼き者だけでもお救い願えればと思った次第にございます。」

「おお、聞けば尤もな話ではある。しからば申し聞かせるが、あの鳥居の向こうの広場まで算に入れておるゆえ、例えこの国の全ての民が押し掛けて参ってもよもや不足はあるまい。」

その広場は鳥居から百メートルほどゆるやかに降ったところから始まっていて、間に遮蔽物も無く、鳥居のあたりからならその全景を隈なく見下ろせる位置にある。

伝説では遠い昔にオヤカタサマが馬をお責めになられたことになっていることから、街の者からは「神の馬場」などと呼ばれているが、八百メートル四方もの広さがある上に、その周囲に広がる雑木林のことまで考えに入れれば、それこそ体だけなら百万人でも入ってしまうに違いない。

尤も、我が遠征軍が全て帰還して来たとしても、ローマ人の人口は十五万にも満たないのである。

「まあ、とてもうれしゅう存じます。」

伝え聞く前例から言っても瞬くうちに運んで下さる筈だし、しかも民が一人残らず救われる可能性が出て来たのだから、正直なもので、胸が高鳴り思わず顔を輝かせてしまっていた。

「相判ったか。そなた一人が身を犠牲にしてみたところで、何の意味もなさぬものと心得るが良い。」

「はい、よう判りましてござります。」

「引き移る日限に付いては追って沙汰することになろうが、早くて一月(ひとつき)ののち、遅くも二月(ふたつき)の間と心得よ。」

「そのお言葉を頂戴し、一際安堵仕りましてございます。」

準備期間にしても、それだけあればきっとなんとかなるに違いない。

「それまでは、この世の天地が崩れぬよう、オヤカタサマがきっとご尽力下されようぞ。」

「あっ、まことにありがたき仰せに存じます。」

伝説のオヤカタサマは、今度もまたローマ人を揃ってお救い下さるに違いない。

「その方どもの永続的な移り先についても、それぞれ事前の見分(けんぶん)をお許しになる筈じゃ。」

「永続的な・・・と申されますと。」

「いずこへ移り住むかについては、そなたたちにもそれ相応の望みと言うものがある筈じゃ。」

「あの、それでは・・・。」

「うむ、例えばネメシスなどもその滅びの実態を直かにお見せいただいたのち、あらためて望みの地を願い出るがよかろう。」

オヤカタサマなら例えネメシスであろうと何であろうと全て一瞬でお移りになれる筈で、それでこそ伝説のオヤカタサマの「み業(わざ)」だと聞いているのである。

「それでは、先ほどご城内と申されましたのは・・・。」

「それは、その方どもの仮のねぐらじゃ。」

「仮の・・・で、ございまするか。」

「さきほども申したが、長期の暮らしを立てる以上、そなたたちにも都合と言うものがあるであろう。」

どんな土地にもそれぞれ千差万別の特徴があり、その地勢条件が暮らし向きに見合うかどうかは極めて重要な案件だ。

「それは仰せの通りかと存じます。」

「さればこそ、さまざまの大地を直接見分する意味があると言うものじゃ。」

「・・・。」

「その上で、そなたたち自身に選ばせよとの御諚である。」

「まあ・・・・。」

「尤も、オヤカタサマのご領内に限っての話じゃが。」

結局、ご領地をお分け下さるお話なのである。

「はい。」

古来、新たに領地を賜る場合、下さるお相手はご主君そのものだろうが、かと言って、如何なるご主君も功績も無い家臣にご褒美は下さらない筈だ。

「それが定まるまでの仮のねぐらがご城内と言う話なのじゃが、少なくとも、全ての民が雨露を凌ぐに足るほどのものはとうにご用意がおありだそうじゃ。」

「あっ、何から何までのお心遣い、ひたすらこの通りにございます。」

隣でじいも一緒に額を擦り付けている。

「くれぐれも怪我人を出さぬよう心掛けるがよい。」

「是非にもお指図を賜りますよう、この段伏して願い上げ奉ります。」

それでなくとも異常な政治状況が眼前にあり、強力なお導きが無ければどうなることかと、ひたすら心細いのである。

「相判った。それと、大事なことをもう一つ申して置くゆえ心して聞くが良い。」

「はい、なんなりと仰せ聞けくださりませ。」

「ここが肝心なところなのじゃが、かねてよりわしは、この船が目的地に到着した暁には、オヤカタサマのお情けにひたすらおすがりするよう申しおいた筈なんじゃが。」

ネメシスをあとにした直後のことを仰っておいでなのだろうが、そんな話など聞いたこともないのである。

隣でじいも怪訝な顔を見せているほどだ。

「えっ・・・・。」

何しろ、その場合の目指す目的地「タンバ」をお教え下さったのも、オヤカタサマのお下知を受けたこのヤサウェだった筈なのだ。

一瞬絶句してしまったのも無理は無い。

「どうも、それがそなたらの代にまでは伝わっておらなんだようじゃ。」

「恐れながら、いったい何のお話にございましょう。」

「実を申さば、そなた等の軍が十三年前に襲った丹波と申すは、全てオヤカタサマのご領地だったのじゃ。」

「ええっ、まことのことにござりまするか。」

実に衝撃的なことを耳にしたのである。

隣のじいなどは、膝の上の両のこぶしが激しく震えてしまっているありさまだ。

「残念ながらまことの話じゃ。」

「まあ・・・、なんと言う・・・・。」

大恩あるオヤカタサマのご領地に侵攻してしまったなんて、それじゃあ撃退されて当然だろうし、そう思うとしきりに胸が震え、しまいには涙まで出て来てしまった。

「その意味では、その方らはオヤカタサマにとっておん敵と言うことに相成る。」

「申しあげる言葉もござりませぬ。」

唇をかんで、消え入りそうな涙声になってしまった。

「尤も、矛を収めて降(くだ)りさえすれば、敵とは思わぬとの御諚であるぞ。」

そうは仰っても、降伏したからと言って敗軍の将が無罪放免になるなど古来稀有のことであり、一死を以て償わねばならぬことの方がよほど多いと聞いており、ましてこちらから不意打ちを掛けて置いて、しかも惨敗してしまっているのだから、敵兵の馬蹄に蹂躙され尽くすのは勿論、敗将の娘たる者が無事に済む道理が無いのである。

勝者であるオヤカタサマから見れば、この私は敗将の娘そのものであり、そう考えるともうオヤカタサマの虜(とりこ:捕虜)になっている身なのだ。

「あの・・・、如何に知らなかったこととは申せ、オヤカタサマに対し奉りあるまじき不埒を働きましたる段、父に成り代わりまして幾重にもお詫び申し上げとう存じます。」

じいと一緒に、又しても額を床に摩り付けた。

「ほう、改めてそなたが帰順すると申すか。」

「はい、当主の父が不在の上は、それよりほかにないのでございます。」

「なるほどのう。」

「どうぞ、わたくしの一命に代えまして、他の者の命ばかりはお助け願いとう存じます。」

じいが隣でむせび泣きながら、「じいもお供、お供。」と呟いている。

「うむ、まことに健気な申しようではある。尤も我があるじは手向かいも致さぬ者に責めを問うようなことは決してなさらぬお方ゆえ、必ずや悪(あ)しうはなさるまい。安堵してご沙汰を待つが良いぞ。」

「それではお許し下さると・・・。」

「愚か者めっ、そうでなくて、あれほどの下されものがあると思いおるかっ。」

鞭のようなお言葉ではあったが、言われて見ればまさにその通りなのである。

「あっ、まことに恐れ入ったる仕儀にござります。」

「相判ったか。」

「平にご容赦のほど、ご前体よしなにおとりなし下されますよう。」

「うむ、その旨きっとお取り次ぎ申すであろう。」

「まことに恐れ多きことながら、この上は是非にもご引見賜りたく、かくの通り願いあげ奉ります。」

とにかく、お目にかかって直接お詫びしなければと思いつつ、深々と頭(こうべ)を垂れたのだ。

「近々にも取り計らってつかわす。」

「あっ、この通りにござります。」

じいも体を震わせながら平伏しているが、そのとき、隣室の奥の院に鮮やかに灯りが灯されて、そこから突然のお声が掛かったのである。

「やさえいよ。」

気のせいか、とても若々しいお声に聞こえたのだ。

「はっ、ただいまそれへ。」

ヤサウェが急いで立ちあがり、蒼惶として隣室へ向かう。

「相手は未だ子供ではないか。さように脅かすものではない。」

幾分笑いを含んだ若い声がヤサウェをお叱りになったようだが、でも、子供って私のことなのかしら。

私だったら、もう子供ではないのにと思うのである。

現に、あの男からしつこく求婚されて困り切ってるくらいだ。

「お言葉ではございますが、やさえいは断じて脅してなどおりませぬぞ。」

頑固一徹の老人が応えている。

「そうは申すが、あの通り怯えておるではないか。」

「いえいえ、決してさようなことはござりませぬ。」

「さようか。さればあの年寄りにこれをとらせよ。」

また何か下されものがあるみたいだけど、隣室のことではあるし、無論なんなのかは判らない。

「ははっ。これよ。お召しである。姫と供のものどもみなこれへ参るがよい。」

ヤサウェのしわがれ声が重々しくお呼びだ。

「はい、ただいま・・・。」

応えながら恐る恐る入室して見ると、私が作らせた寝台の端に変わった身なりの若者が腰掛けておいでで、その前の床にヤサウェが片膝をついて控えているところを見ると、この若者こそオヤカタサマなのだろうか。

だが、漆黒の髪を短く刈り揃え、太い眉の下で黒々とした両の目が力強い光を放つそのお姿は、どう見ても二十代前半のものとしか思えない。

近頃度々夢に見ているオヤカタサマは白髪の老人のお姿ばかりであり、その点違和感が全く無かったとは言えないが、かと言ってそれを口にしている場合では無いから、ヤサウェの後ろに跪いて恭しく礼をとった。

なお、オヤカタサマの不思議なご装束に付いては、のちになって改めて耳にすることになるのだが、戦陣にお立ちになる際にお召しになる物で、何でも迷彩服と言うものだったらしい。

右のお腰に短剣らしいものを帯びておられるだけで、そのほかには武備と言えそうなものは全く見当たらないけれど、それもその筈で伝説のオヤカタサマにとって武器など必要とされないとも聞いているのだ。

「恐れながら、オヤカタサマにまで申し上げます。」

思い切って言って見たが、畏れで我知らず語尾が震えてしまっていた。

「うむ、申してみよ。」

地響きするようなお声が返って来て、図らずもこの若者がオヤカタサマであることを改めて知らされたのである。

「わたくしども代々、口に尽くせぬほどのご厚恩を蒙りながら、不遜にも矛を倒(さかしま)にしてしまいましたる段、この通り幾重にもお詫び申し上げる次第にございます。」

それは人としてあるまじき背信行為であると同時に、自分自身が敗者以外の何者でも無いことを想いつつ、冷たい床に両手をついて深々と頭(こうべ)を垂れたのだが、現にこの私が敵将の娘である以上、この瞬間に命を召されたとしても苦情一つ言えた義理では無いのである。

だが、現実の勝者の反応は意外なほど優しいものであった。

「帰順致したのであれば、最早詫び言は良い。」

「あっ、この通りにございます。」

自然に額を床に摩り付けんばかりに拝礼してしまったけれど、そのお相手は、我が一族を度々お救い下されたオヤカタサマであって、そして今また救われようとしているのである。

その意味では、もう「あるじ」以上の存在だと言う気持ちで一杯だったのだ。

「これ、未だ子供のそなたがそこまですることは無いのだ。最早おもてをあげるがよい。」

「あの・・・、お言葉ではございますが、わたくしはもう子供ではござりませぬ。」

お言葉どおり顔を上げて抗議したのだが、思わずほっぺたを膨らせませてしまっていたかもしれない。

「お、これはこれは、恐れ入ったる挨拶じゃ。あっはっはっはっ。」

大きなお口を開けてさも愉快そうにお笑いになってらっしゃるけど、本当に子供では無いのだから、何としてもこれだけはお認めいただかなくては。

「あの、本当に子供ではないのでございますから。」

「うむ、そうかそうか。相判ったぞ。」

オヤカタサマのお顔は、にこにこと笑み崩れていらっしゃる。

「また、さきほどはあれほどまでのご厚志を頂戴致しましたる段、かくの通り心よりおん礼申し上げる次第にございます。」

今度は元気一杯大声でお礼を申し上げることが出来た。

「辞儀の条々、しかと承った。」

「かくなる上はお慈悲をもちまして、せめて供御(くご)のお役目を改めて仰せ付け下さりますよう、かくの通りおん願いあげ奉ります。」

「何もそこまで心を労することはあるまいに。」

気にするな、と仰ってくれていることになる。

「いえ、それにてはわたくしめの気持ちが相すみませぬ。」

「ふむ、それほどまでに申すのであれば、そなたの心のままに致すがよい。」

供御のお役目を、改めて拝命したことになるのである。

「あっ、ありがとう存じまする。この通りにございます。」

「それより、そこな老人にこれをつかわしたいのだが。」

オヤカタサマの手から今ヤサウェの手に渡ったそれは、子供の手首ほどの大きさの筒のようなもので、大きく開いた先端から眩いばかりの光を放っており、詰まりはじいが日々捧げ持つ「灯り」と同類のものに違いない。

しかも、その光量は今までのものとは比べものにならないほど明るい上に、恭しく両手で受け取ったじいが、「おお、これはこれは、また随分軽いものにござりまするなあ。」と呟いている通り、見るからに小さくて軽そうだ。

又しても平ぐもになってお礼を言上するじいだったが、オヤカタサマの新しいお言葉がそれを遮るように振り落ちてきた。

「今までのモノがあまりに重そうに見えたのでな、これならそちにも扱い易かろうと思うたまでのことじゃ。」

じいがくどくどとお礼を述べているけれど、それは以前のものと比べれば十分の一にも満たないほど軽いと言う。

「これからも一層堅固に長生きなされよ。」

慈愛に満ちたお言葉に接し、じいなどは伏し拝みながら声をあげて泣いてしまっていて、後ろでは侍女は勿論護衛のものまで揃ってお礼を述べ立てているが、今度はヤサウェのしわがれ声が大きく響いて全てを遮ったのである。

「オヤカタサマ。」

ヤサウェがオヤカタサマのお顔をじっと見上げておいでだ。

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  1. 2008/09/10(水) 10:37:29|
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自立国家の建設 147

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「うむ、無法者と言うものはいずこの地にもおるものと見ゆる。」

オヤカタサマが若々しい眉を顰(ひそ)めながらの仰せだけど、いったい何のお話だろうと拝見していると、奇妙なほど薄手の箱を取り出しておもむろにその蓋をお開けになった。

ヤサウェに窓の月と言うのだと教えていただいたけど本当に不思議な箱で、蓋の裏側がまるで鏡のようになっていて、そこに映り込んでいたのは、よくよく見れば懐かしいカラヤニス領の田園風景なのである。

しかも、そこに大勢の暴漢に襲われている馬車の一行が映り、その上車上の顔ぶれが懐かしいものばかりだったから途端に大騒ぎになった。

様子ではお城の女たちが行楽の途中で待ち伏せにあってしまったものらしく、実力で馬車が止められてしまっており、映像の動きに連れて彼女達の悲鳴まで聞こえていて、その緊迫感がひしひしと伝わってくる。

一行の中の男どもは、年配の御者(ぎょしゃ)と随行の士が三騎だけだったようだが、それが四人とも矢傷を受けて倒れてしまっており、馬車の上には幼いニコメデスを必死の形相で抱きしめているネオマとセレナがいて、ネオマの妹たちが二人して主(あるじ)のマリレナを懸命にかばっている様子までありありと見えているのだ。

一方襲った方の暴漢たちは十人以上で、今しも中の数人が馬車に乗り移り、剣を抜いて脅し付けながら女たちを縛り上げようとしているから、じいは勿論侍女たちも大声を上げてしまっており、ヤニとデニスに至っては今にも剣を抜かんばかりの勢いなのである。

現に暴漢の一人が御者台に移って、慣れた手付きで手綱を捌いたところであり、このままではみんな揃ってどこかへ連れ去られてしまうのだ。

「みな、存知よりの者たちであろうな。」

オヤカタサマがすっくとお立ちになりながらのお尋ねだ。

「みながみな、我等が家の者たちに相違ござりませぬ。」

じいが声を震わせながら奉答すると、すかさずお凛然たるお下知が下った。

「今助けてつかわすが、わし一人で出向かばおんなどもが怯えるであろう。顔つなぎにじい一人が供をせい。」

無論、ヤニとデニスが承伏せず、大声でお供をせがんだのだが、案の定一喝されてお仕舞いだった。

「その方どもには、ここの女どもを守る役目があろう。」

お声もろとも目の前からオヤカタサマの姿がかき消えて、気が付けばじいの姿も無い。

一瞬その場が騒然となりかけたけど、ヤサウェに促されて見てみれば、そのお姿は既に窓の月の中に移ってしまっていて、しかもそこは問題の馬車の上なのだ。

今やオヤカタサマの握る手綱によって馬車自体が走りを止めつつある上、不思議なことに暴漢たちが空中で手足をばたつかせている始末で、それはどう考えてもオヤカタサマのみ業(わざ)としか思えない。

全てあっという間の出来事だったのだ。

ほどなくして、じいが女たちの縄を解きニコメデスを大切そうに抱き取ったところを見るや、洞穴一杯に歓声が沸き起こったが、中でもネリッサなどは大粒の涙を流しながら狂わんばかりに叫んでしまっているほどで、よほど感激していたに違いない。

その後、オヤカタサマは怪我人を収容して一瞬でカラヤニス城にお入りになり、幸い怪我人は手当てが早かったためか四人とも命を取り留めたと聞いたけど、全員生け捕りにした暴漢の取り調べなんかは、当然峻烈を極めることになるだろう。

また、このご時世に女たちが大挙して行楽に出るなど、如何に領内のこととは言え不謹慎の謗りは免れまいと思わないでもなかったのだが、よくよく聞いてみるとそこにはそれなりの事情があったらしい。

そもそも行楽などではなく、郊外で療養中の大切な人を見舞った帰り道だったと言うのだ。

その人は元々マリレナの乳母として長らく城内に仕えていたこともあり、この私とも顔馴染みの人ではあるけれど、ネオマの輿入れにあたっても一方(ひとかた)ならぬ貢献を果たしていたこともあって、殊にマリレナとネオマにとってはかけがえの無い人だったようで、それが、一年ほど前に体調を崩して郊外の息子夫婦の元へ退いていたのだが、いよいよ命旦夕(めいたんせき)に迫れりと言う報に接しての切ない見舞いだったと言う。

結局、辛うじてその臨終に立ち会うことを得て、早々に帰途に着いたところだったと聞き、憤慨していたネリッサがようやく納得したほどなのだ。

一方オヤカタサマは城に着いた直後にそっと姿を消しておしまいになり、じいと女たちから交々(こもごも)に経緯(いきさつ)を聞くことになった叔父さまが、どんなお気持ちだったかは聞くまでも無いけれど、肝心のオヤカタサマのお姿はそれ以来一度も見えないのである。


ただ、その直後ヤサウェから本日に限り一切の供御は無用にせよとの厳命が下り、しかも危険だから小屋から離れるなとの仰せだ。

已む無く小屋に引きとって様子を窺っていたところ、しばらくしてから地鳴りのような物音を聞いたので、戸外に出て様子を見ていると、磐座付近の上空に盛んな動きがあり、轟音に連れて高々と舞い上がる粉塵の中に、大勢の人影と共に奇妙な機械のようなものまでうっすらと目にした上、かなり大きな地響きまで起きていたから、さぞかしオヤカタサマの「み業」であろうと囁き合っていたのだが、そうこうする内、それが裏山の中腹にある小さな湖の方にまで広がって行った。

顔馴染みの街の者が血相を変えてやって来て、やかましく言い騒ぐまでになったのも、この天変地異によほど驚いたからなのだろう。

ネリッサが、全てはあのオヤカタサマの「み業」なのだから心配するなと言い聞かせたところ、その後古老たちから大層なお供物が届くまでになったけど、本当のことを言えば、私たちだって何が起きたのかはまるで判っていなかったのである。

やがて舞い上がる粉塵は神の馬場よりもっと下の方にまで広がって行き、しまいには足元からも相当な震動を感じるまでになったけど、それも日暮れまでにはすっかり影を潜めいつも通りの静寂が訪れる中、みんなでいろいろと推量してみたけど無論何も判らない。

ネリッサが例の結界が張り巡らされた証しなのかも知れないと言ってたけど、いずれにしても黙って夜明けを待つほかは無く、朝になって恐る恐るヤサウェを訪ねてみて改めて驚いてしまった。

なんとこれまでの二つの部屋が大きく拡張されていたばかりか、その他にも幾つかのお部屋が出来上がっていて、通路も部屋も全部ぴかぴかに磨き上げられていた上に、さまざまな家具まで運び込まれていたのである。

かつて私が誂えさせた寝台なんかも別の部屋に移されてしまっており、しかも、それぞれの部屋や通路には通風孔と言うものが多数通じていて、そこから相当な風が入って来る気配まで感じるのだ。

お話によると、以前から小さな穴だけは複数通じていたらしいのだが、従来に無く大勢の人間が出入りするとお考えになった結果、その機能も大幅に強化したと仰る。

しかも、磐座の裏側には見上げるような円塔まで立ち並んでいて、凡そ水回りに関係する装置だと伺い揃って感心しているさなか、じいと叔父さまが息せき切って参着したのだ。

二人は夜明け前にお城を出てから汗みずくになって駆け通して来たと言い、途中で数頭の代え馬まで乗り潰した挙句、全て置き捨てにするほど急いだらしい。

しかもお城で暴漢たちを取り調べた結果、ただ一人を除けば紅灯の巷に巣食うごろつきばかりだったらしいけど、残りの一人の身許が際立って警戒を要すると言う。

何せ、この男が賊どもの首領格であった上に、最近までスフランツェス家の食客だったと言うのだから、詳しい自供は得られなくとも自然その目的も察しが付く。

少なくとも、カラヤニスの家族が大挙して乳母の家を訪れていると言う情報を得た彼等が、その帰途を待ちうけ十羽一からげにしようとしたことだけは確かなのだから、定めしその人質を盾に城地没収を通告して来る手筈だったに違いない。

万が一にもそれが図に当たっていれば、文字通り身を切られるような窮地に陥るところだった筈で、それほどまでの危機を救われた親子が、そのお礼を言上するにあたりヤサウェの前にひれ伏す気になるのも自然のことだったろう。

その後ネリッサの意を受けてトニアたちが茶菓を運び込み、一段と和やかな雰囲気の中で和気藹々とした懇談に移り、ヤサウェのお話にいちいち驚かされはしたものの、いろいろと貴重なお教えにも接することを得たのである。

自然オヤカタサマについてもいろいろとお教えをいただくことになり、ネメシス滅亡の折りにお救い下さったお方がお父君だったことや、ローマ軍の奇襲を受けて奮戦の上撃破なさったのが、当時十四・五歳に過ぎなかったご当代さまだったとお聞きしてただもう驚くばかりだ。

その後、十代のオヤカタサマが数々の敵襲を受けてなお、それを全て打ち破られたことや、今では知らぬものが無いと言う「潮入り湾の決闘」などは、その実写映像まで拝見出来たのだけれど、その卓越した格闘技術を目の当たりにして、ヤニとデニスなんかはお弟子になりたいと口走るほどだったが、一方でまことに不幸なお話も否応なく耳にしてしまった。

なんとオヤカタサマは、卑劣な手段でご家族を奪われてしまっていて、今では全くのお一人身だと知り、それを伺うや、じいと叔父さまが何やらひそひそと耳打ちをしていたのが少し気になっていたけど、結局オヤカタサマのお身の回りのお世話係りの話だったらしく、じいと叔父さまがマリレナお姉さまに白羽の矢を立てたのが実にこのときのことだったらしい。

勿論、この私の介添えと言う役割りだろうけど、お姉さまにはデイアネイラとオルティアが付いてくる筈だから、もし実現すれば私の回りも相当賑やかにはなるだろう。


そのあと窓の月から格段に重要な情報を頂戴出来ることになり、一同揃って拝見することになったのだが、それは他ならぬ十二年前の出来事を収録した映像であって、しかもそこには自軍の征旅のあれこれまで含まれていると仰るから、興味を持たない者など一人もいない。

何しろ当時のローマ帝国は、タンバ攻略を目指して万に余る軍を出征させていた筈なのだから、多かれ少なかれ身内に出征者を持たない者など殆どいないのだ。

自然食い入るようにして拝見したのだが、昨日の今日のことでもあり、そこに映し出されるくさぐさを疑いの目で見るものなど一人もいるわけが無い。

しかもその映像は、ドリフターで留守を守る者がお味方の惨敗を全く知らない状況から始まっていて、そのさまを克明に描写してくれていたばかりか、驚くべきことにそれは、これまで知らされていたものとは全くかけ離れたストーリーで溢れていたのである。

そのストーリーに登場して来る中心人物は、若き日のアレクシオス・スフランツェスその人であり、当時のその男が待機中のドリフターで留守部隊を預かる要職にあって、軍事を総攬していたところまでは容易に理解出来るのだが、到底理解し難ったのはその男の採った異様な行動だったろう。

それは先ず、ドリフターの管制室に近接する通信室で行われていて、見る者全てを仰天させてしまったほどだ。

画面に映る彼は息子のヘラクレイオスと僅かな腹心の者だけを伴い、なんと、通信室の当直者を斬殺してまでその全てを抑えてしまっており、どうも、その様子では、通信室が外部からのか細い信号をキャッチしていたらしく、その報告を管制室で排他的に受領した彼が、直ちに行動を起こした結果だったとしか言いようが無い。

しかも、その外部からの通信とは、流れから言って皇帝陛下の座乗艦からのものであったとしか思えない上に、他の者たちはそのことを全く知らされないまま、自軍の健在どころか勝利をさえ想っていた頃のことなのだ。

だが、画面の中のスフランツェスは、秘密裏に戦艦と交信した結果、乗り組みの同胞たちが息も絶え絶えの窮状にあることを察知するや即座に決断しており、息子一人を連れて密かに発艦し、一直線に戦艦に向かい、しかもほどなく到着しているところを見ると、その飛行距離にしてもいくばくも無かった筈だ。

それから見れば、皇帝陛下は比較的近くにまで撤収して来ておられたことになるのだが、艦に受けたダメージから航行不能の状況にあり、通信機能一つとってもようやく修理が成ったばかりであった上に、食糧や水分の貯蔵庫を失って既に旬日を経ており、全乗員が飢えと渇きに苦しんでいる最中だったのだ。

少なくとも、スフランツェス親子が着艦した折りには、息も絶え絶えではあったにしても、その生存者も未だ八千を下まわることは無かった筈で、ドリフター自身が直ちに救助に向かってさえいれば、生存者の多くが命を取り留めた可能性は否定出来ないと仰る。

ちなみに父親のアレクシオスは従来から豪勇無双を以て聞こえており、息子のヘラクレイオスは未だ十六歳の身とは言え、その身の丈も二メートルを超え、腕力や剣技は父をも凌ぐと囁かれ始めていて既に並の十六歳では無い。

詰まり親子揃って帝国きっての大豪傑と謳われていた事になるのだが、窓の月に写る彼等は、丁閘門(ていこうもん)から居住区に入るや重い宇宙服をかなぐり捨て、あろうことか救助を待ち侘びていた同胞を次々と殺戮して行くのだ。

いの一番に司令室に飛び込み、皇帝陛下はもとより、近侍する者や管制室に詰めていた者を殆ど手に掛けてしまっており、足元も定まらぬほど衰弱していた者が殆どだったにもかかわらず、冷酷無惨に殺し尽くしていると言って良い。

しかも、まるで赤子の手を捻るように易々とだ。

現に、画面には皇帝陛下の側近として詰めていたカラヤニス家の長男アダマンティスや、管制室で必死の抵抗を試みた次男の顔もはっきりと映し出されていて、無論その全てが彼等親子の前にひとたまりも無く切り伏せられてしまっている。

ヘラクレイオスにとっては栄えある初陣の筈が、実際に剣を振るった相手は、こともあろうに飢えと渇きに衰弱し切った同胞だったことになるのだ。

その後の彼等は、血みどろの管制室で自爆装置をセットして置いて悠々と離艦しており、その後の映像は彼等の機内から捉えたもののようだが、皇帝陛下の座乗艦がはるか彼方で大爆発を起こして四散してしまっているのである。

結局、彼等親子は、衰弱しきった同胞たちの助けを求める声を聞きつけるや、単機を以てすぐさま駆けつけはしたが、救うどころか逆に抹殺してしまっていたことになる。

無論、その全てが全くの秘密裏になされたことであり、何食わぬ顔でドリフターに戻った親子が、そのまま知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ上、その後個別に帰還して来た攻撃機からお味方惨敗の報を受けてから、何食わぬ顔で皇帝陛下救助の大号令を発してみせているのだ。

当然見つかるはずも無い。

全てはアレクシオス・スフランツェスの権力欲から来ているのだろうが、居合わせた者の口振りで行けば、彼の皇后への横恋慕が隠れた動機だと言うことになるらしい。

皇后自身は直接の関与はしていないようだとは言いながら、それに関する疑惑が完全に払拭されたとも言い切れず、度重なる皇女毒殺未遂の疑惑も絡んで皇后への感情的なしこりは、その場の者の胸にいよいよ深く住み着いてしまった。

いずれにしてもその後の反逆者は捜索続行を叫ぶ世論も考慮せざるを得ず、かなり遠方にまで捜索の手を伸ばし、やがて二年ほどで捜索断念を宣言しており、その後長らく遊弋しながら逡巡していたようだが、この船の悲惨な消耗状況からその滅びを予感したことだけは確かなのだろう。

そのため、一年ほど前になって改めて目的地の攻略と言う大方針を打ち出して航行中と言うのが目下の政治状況であり、その意味では帝国は今もオヤカタサマに敵対方針を採っていることになってしまうのだ。

その後、問題の映像は繰り返し観察され続け、見る者全てに涙と憤激の情を否応無く連れて来てしまうのだが、カラヤニス親子にして見れば、何よりも真っ先に国家の方針を大転換させねばならない。

オヤカタサマがせっかくお救い下さると仰ってくれている今、そのオヤカタサマに公然と牙を剥いて行けば、取りも直さず自らの未来を自ら閉ざしてしまう道に通じてしまうのである。

そして今、華々しく丹波侵攻を唱える者こそ大逆非道のあの男なのだ。

しかも、国中のほとんどが、いや皇后でさえその戦略に与(くみ)している状況がある以上、何よりも一人でも多くの者に「真実」を伝え国論を転換させる必要がある。

いずれにしても、ことは急を要すると見て、アルセニオスは引き連れて来た四騎の中から俊足の二騎を選んで早馬を発し、先ずは自城に急を報せ、そこから各地に向けて改めて檄を飛ばすこととしたが、手許の戦力と言えばヤニとデニスのほかは残りの二騎だけなのだ。

カラヤニス城に女たちを引き取るにしても、その途次のことを考えれば護衛の戦力は少なくとも十騎は欲しいところだが、我が方の戦力不足は目を覆わんばかりなのである。

老カラヤニスはいっそこの地に戦力を集中して、オヤカタサマのお袖の下(もと)で挙兵すべしと言うが、兵糧のこともある上に、堀どころか城壁一つ持たないこの地では、よほどの援軍でも得られない限り一昼夜も支えきれないのは明らかだ。

アルセニオスは、オヤカタサマにもカラヤニス城にお入りいただけないものかと言う望みを胸に、改めてヤサウェの前に出たのだが、何一つ申し上げる暇(いとま)も無い内に、いきなり慮外の報に接することになってしまう。

なんと、既にヘラクレイオス率いるスフランツェス勢が身近に迫っていると仰るのだ。

敵勢は、騎乗の士十二騎に徒歩立ちの二十人ほどを加え、全員帯剣はしているものの平服姿だと伺い、改めて窓の月を見てみると、隊列の中ほどに無人の馬車まで加わり、既に神の馬場近くに差し掛かろうとしていて、最早一刻の猶予も許されない状況なのである。

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  1. 2008/09/17(水) 10:08:04|
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自立国家の建設 148

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その行装(ぎょうそう)から見て、業(ごう)を煮やしたヘラクレイオスが自ら皇女を迎えに出たものと見て間違いなさそうだが、とにもかくにも敵勢は軽く三十人を超えており、始めから勝負にも何もならないのは明らかだ。

「父上、ヤニとデニスをおつけしますから姫たちとお逃げ下さい。」

息子のほうは二騎を連れて切り死にだと一瞬で覚悟を決めたことになるが、老カラヤニスは悲愴な面持ちで首を横にし、周囲が大いにざわめく中、皇女セオドラが毅然たる振る舞いを見せたのである。

皇女は言う。

「ここで後ろを見せれば、相手は得たりや応と笠に掛かって参るは必定(ひつじょう)、結局は理も非も無く泥まみれの屍(しかばね)を荒野に曝す羽目に立ち至りましょう。こうとなれば一死を以て堂々と仇(かたき)に見(まみ)えるばかりです。」

どう考えても逃げ切れない以上、うろうろと逃げ回れば結局散々に後ろ傷を受けた上、天下に恥を曝さざるを得ない。

同じ死ぬにしても堂々と相手の非を鳴らし、大声で面罵してから綺麗に向こう傷を受けようと言っているのである。

「まことにご立派なお覚悟にございます。このネリッサ地の果てまでもお供仕りましょうぞ。」

女官長が大声で言い放ち、それに釣られるようにして、満場が「お供、お供。」と言う声で溢れたが、ヤサウェの一言がそれを大きく遮ることになった。

「自侭に死んではならん。」との仰せだ。

聞けば、皇女はオヤカタサマから供御のお役目を拝命している身であり、そうである以上既にその臣下も同然とした上で、ご主君の許しも無く勝手に命を投げ出してしまうなど、それこそ不忠の極みであると言う。

少女はヤサウェの前に跪いて懸命に申し開きせざるを得ない。

「仰せいちいちご尤もなれど、かくなる上は一死を以て仇(かたき)と対決するより道がござりませぬ。」

「セオドラよ。」

「はい。」

「今一度尋ねる。」

「はっ。」

「そちは、オヤカタサマの臣であろうな。」

「仰せまでもござりませぬ。」

決意も新たに昂然と眉を上げての奉答だ。

「されば、ご主君のお旗印は心得ておろうな。」

「三本足のカラスのことにござりましょうか。」

伝説の八咫烏(やたがらす)を知らない者は少ない。

「うむ、それをしかと胸に刻んで置くがよい。」

「この命尽きまするとも忘却は致しませぬ。」

「よう申した。ならば、心して参るが良い。」

ヤサウェは立とうともせずに泰然と瞑目しているように見えたが、その実態はことの仔細を主(あるじ)に報せ、新たなお指図を受けようとしていたに過ぎない。

全ては主次第なのだ。

例の結界の構築にしてもまた然りで、社(やしろ)を以て真北に擬して述べれば、南北四キロ、東西二キロの矩形を以てその分離作業を終えつつあり、なお鳥瞰すれば、その領域のほぼ中央付近に例の鳥居があり、その鳥居から南北それぞれに向かって長々と参道が伸びていることになるのである。

また、その領域全体の最南端が市街地の裏山に接する構図であり、市街地から雑木林を抜けてやってくる者の目からは、その接点こそ参道の基点のように見えていることだろう。

何しろそこには、一種独特なものが存在していたのだ。

子供の背丈にも満たないものながら、道路を挟みその左右に十メートルほどの間隔を保って二本の石柱が苔むしており、それをして古(いにしえ)の城門の残骸であるかのように看做し、「神門(しんもん)」と呼ぶ例が少なく無いのである。

三尺角ほどのこの石柱は如何にも古趣に溢れ、その周囲は枯れ草に覆われてはいるものの、オヤカタサマを崇敬するあまり、中にはわざわざ拝するためにやって来る者までいると言うが、彼等がこの神門のはるか手前から北方を望むとき、二キロ四方ほどの台地が高々と眼前に広がり、その台地の北端には、広大な雑木林に抱かれるようにして神の馬場が位置していることになる。

結局、神門を入ってから雑木林の中を千二百メートルほど北進して初めて神の馬場の南端に至り、なお八百メートルほど北進してようやく神の馬場の北端に至るのだ。

なお、そこから先の参道は緩やかな上りとなっており、その坂道を百メートルほど登ったところで例の鳥居を潜り、続けて五百メートルほど登ることで、ようやくセオドラたちの小屋のある広場に達する。

その広場は、その中心を南北に走る広い参道を含めてさえ、概ね百メートル四方ほどでしか無いところにもってきて、住人たち自身がやや自嘲気味に「王家の里」と呼び習わしている通り、参道を挟んで十棟ほどの小屋が立ち並ぶだけの如何にも物寂しい佇まいだ。

その「王家の里」を通り過ぎて、雑木林の中の小道を更に五百メートルほど北進してようやく磐座に突き当たるが、それは地上に出ている部分だけでも高さ二十メートル、東西百二十メートル、南北二百メートルにも及ぶ巨大な一枚岩である。

その北側に例の隋道の入り口が具わり、そこから木立の中をなおも百メートルほど北進したところで、言わば本宮たるべき朽ち果てた社(やしろ)の前に出るのだが、その社からなお五百メートルほど北進したところが結界の北端と定まっている。

くどいようだが当該領域の全体像は二キロ×四キロの矩形を成しており、その矩形の北辺の長さは当然二キロと言うことになるが、その一辺の真ん中の一点からまっすぐに四キロ南進したところが神門であり、問題の敵勢はその神門を既に通過して神の馬場に差し掛かっていると言う。

見事に平坦な神の馬場を踏み越えてから坂道に掛かるが、それを六百メートルほど登りきれば、そこは既に王家の里なのだ。


いずれにしても皇女たちは揃って仇(かたき)の隊列を待ち受けることに決しており、洞穴を出て老カラヤニスとネリッサを先頭にぞろぞろと連なって歩き、やがて両側に小屋の立ち並ぶ王家の里に到着したが、待つほども無く今しも前方から一騎が駆け上がってくるところだ。

さぞかし先乗りならんと見ていると、無礼にも下馬もせぬまま目前に迫り、大声で先触れを告げた。

「皇太子殿下のお成りである。無礼があってはあいならん。皆の者下におれい。」

跪いて出迎えろと言うのである。

しかも、皇太子と言う呼称まで用いており、本来なら到底聞き捨てには出来ないところだ。

「その方こそ無礼であろう。」

先頭のネリッサが許すまじき剣幕で叫び返したが、相手は言いっぱなしのまま馬首を返し、今しも坂を上がって来たばかりの行列の方へとっとと引き返して行く。

何せ、そのネリッサの後ろでは男どもが血相を変えながら、その手はいずれも腰の剣に掛かっているのだから無理も無い。

現にヤニとデニスなどは、老カラヤニスが必死に止めていなければ、とうに駆け出してしまっていたに違いないのだ。

いきなり乱戦になってしまえば、何一つ為すすべもなく全くの犬死にになってしまうのだから、息子のアルセニオスも二人の従者を必死に止めているところだ。

そうこうする内、問題の隊列はみるみる近付き、二十歩ほどの間を置いて歩みを止めたと見るや、先頭のヘラクレイオスが馬上巨躯を揺すって傲然と口を開いた。

「出迎え、大儀である。」

そもそも「大儀」とは、目下(めした)の者に対する労りの言葉である筈だ。

「姫ぎみさまご前である。早々に下馬なされましょう。」

先頭のネリッサが眦(まなじり)を決して叫んだが、優に百三十キロはあろうかと言う巨漢に動ずるところは全くない。

「その姫をわざわざ迎えに来てやったのだ、ありがたく思うが良い。」

「おのれ、大逆無道のものめ、恐れを知らぬかっ。」

「慮外を申すな。大逆無道とは何を指してもの申すぞ。」

「その方ども親子は、すぐる十二年前卑怯にも皇帝陛下を弑逆し奉ったばかりか、戦艦を爆破して乗り組みのつわものどもを悉く殺したではないか。」

とうに死を決しているネリッサだから、ここを先途(せんど)と言い立てる。

「ふふん、それがどうした。今さら何を申そうと所詮引かれ者の小唄よ。」

騎虎の勢いでつい認めてしまったのだろうが、その隊列の間には少なからずざわめきが起こり、動揺の輪がさざ波のように広がって行ったことは事実だ。

「その方の背中には、万余のつわものどもの怨みが渦を巻いておるぞ。」

ネリッサの舌刀(ぜっとう)が刃風を巻いて切り込んで行く。

「愚か者めっ、いつの世も強い者が勝ち残るものと知らぬかっ。」

「ほほう、勝ち残る為とあらば皇帝陛下を弑逆し奉り、多くの同胞をも悉くだまし討ちにすると申すか。」

舌刀は、念には念をとばかりに再び切り込んで行くが、無論、このように問答を繰り返している間は乱戦にはなり難いからでもあっただろう。

「知れたことよ。現にその方どもはこの通り我等の前に膝を屈しておるではないか。」

「その方に屈するような忘恩の徒など、我がほうには一人もおらぬわ。」

「最早問答無用である。姫よ、さそくにも馬車に移るがよかろう。」

巨漢が高飛車に言い立てたそのとき、セオドラがネリッサを押しのけるようにして前に出るや凛然と言い放った。

「申しておく。躬(み)は既にオヤカタサマの臣下の端に加えられし者、最早そちなどの自侭にはならぬ身ぞ。」

「ほほう、オヤカタサマとは片腹痛い。我が前に出ればただ一打ちに首を刎ねてくれるわ。」

「そちが一打ちに出来るのは、せいぜい飢えと渇きに息も絶え絶えの者であろうが。」

「口の減らないおんなだ。否やを申さばそなたの周りの者は悉く首を刎ねることになるのだぞ。」

「そちは不倶戴天の仇(かたき)である。たってとあらば首にしてから連れて参れ。」

殺してから連れて行けと言ったのだ。

「ほほう、ますます気に入った。それでこそ我が妻(め)であるぞ。」

セオドラは最早口を利くのも汚らわしいといった風情だが、それを見て再びネリッサが前に出た。

「人非人の妻(め)になりたがるような女など、橋の下でも捜すがよかろう。」

太った体を揺すりながら鮮やかに斬り返した。

「おのれ、雑言(ぞうごん)、その分には捨て置かぬぞ。」

馬上の巨漢は丸太のような腕を伸ばしてネリッサを指し示している。

「愚か者めっ、その前にこの世の天地が崩れ去ってしまうことを知らぬかっ。」

少なくともこのスフランツェス親子だけは、その基礎情報を握っている筈なのだ。

「なんだとっ。今一度申してみよっ。」

「近々にもここは昼の無い世界となり、この天地は全て崩れ去ってしまうと申したのよ。」

「世迷いごとを申すなっ。」

ヘラクレイオスは、背後で生じる不穏なざわめきを吹き飛ばすように大喝せざるを得ない。

「あのオヤカタサマが、これまで嘘偽りを申されたことがあると申すかっ。」

「なにっ、またしてもオヤカタサマかっ。」

「先年我等が攻撃したタンバと申すは、そのオヤカタサマのご領地だったと知るがよい。」

「なにっ。」

「それを知りながら再び矛を向けんとするは、人倫にも背くことであろうが。」

「ほほう、まことなれば、かえって好都合じゃ。見事オヤカタサマを討ち取ってその領地をば全て我が物に致さん。」

「愚か者めっ。オヤカタサマが折角お救い下さると仰せいだされておるこんにち、一刻も早く帰順致さねば、おん敵と看做されて我等は悉く行き場を失うのじゃぞ。」

「ふふん、戦って勝てば文句は無かろう。」

「おのれっ、大恩あるお方にあくまで刃向かうと申すか。」

「いらざる雑言(ぞうごん)最早聞き飽きたわ。セオドラよ、はようこちらへ参らぬと、こちらから参ることになるぞ。」

皇女は無言のまま燃えるような視線を送っただけだったが、ネリッサの方は黙って引っ込んではいない。

「直ちに船を止めて帰順の実を示さねば、我等一党悉く滅ぶほかに無いものと知れい。」

ネリッサが凛々と叫び、ヤニとデニスが剣を抜き放ち、老カラヤニスの手を振り切って駆け出そうとしたそのときだ。

全く唐突に周囲の日が大きく翳ったのである。

それはまるで突然夕闇が訪れたような暗さであり、皆が皆本能的に空を見上げて仰天した。

なんと、頭上間近に漆黒の巨大円盤が音も無く出現していたのである。

ローマ人にとっては言うまでも無く初見であり、しかも、その下部に描かれた八咫烏が一際目に鮮やかで、今や、馬上の巨漢はおろか、既に抜刀してしまっているヤニとデニスまでが茫然と見上げており、その視界の中に大きく口を開けた出入り口らしきものが映ったかと思うと、そこに騎乗のオヤカタサマが悠然と姿を現した。

その上、先頭のネリッサの前には唐突に出現したヤサウェの立ち姿まであったのだ。

「オヤカタサマ御前である。先ずは剣を納めよ。」

八咫烏の牙旗(がき:大将旗)を高々と掲げたヤサウェが、ヤニとデニスに厳しく命じる内、漆黒の肥馬に打ち跨った若者が瞬時に舞い降りて、手綱捌きも鮮やかに眼前に降り立ったのである。

カラヤニス方は皇女を筆頭に全員が跪いて迎える中、馬上の若者がネリッサに向かって軽やかに語りかけた。

「これネリッサよ。船の走りは躬(み)が止めて参ったゆえ最早案ずることは無いぞ。」

その言葉は笑みをさえ含んで余裕綽々の体であった上に、問題の巨漢には尻を向けたままであり、言わば完全に無視してしまっている。

今の今まで茫然としていたヘラクレイオスが急に我に返ったものか、やにわに剣を抜き放ち、猛然と馬腹を蹴って背後から襲い掛かり、ネリッサが金切り声を上げはしたものの、それこそ勝敗は一瞬にして決してしまっていた。

素早く馬首を巡らしたオヤカタサマが僅かに半身(はんみ)を開き、右手の鉄鞭を翻してヘラクレイオスの右腕を丁と撃ったと見るや、剣を取り落とした巨漢はもんどり打って落馬してしまっており、しかもよほど打ち所が悪かったと見えてぴくりとも動かない。

一瞬にして鞍上の主を失った駿馬が棹立ちになったと見るや激しくいななき、次の瞬間には勢い良く坂道を駆け下って行ってしまい、慌てて下馬した供の者がばらばらと駆け寄りざま、必死に抱き起こしては見るものの、哀れ巨漢はぐすりとも言わないのである。

「ご尊体に万一のことあらば一大事じゃ、早う馬車にお移し申すべし。」などと口々に言い騒ぐばかりで、只の一人も打ち掛かって来る気配すら無いが、頭上には漆黒の円盤の姿がある上、気が付けば三十三騎もの近衛兵が舞い降りて王の馬側を瞬時に固めてしまっており、先頭の井上甚三などは既に抜剣して、近付けばただひと打ちとばかりに目を光らせているのだから、それも当然のことだったろう。

本来皇女を乗せるべく用意された筈の馬車が今や完全にその目的を変え、ヘラクレイオスの巨体を乗せようと数人掛かりで大汗を掻いているさなか、オヤカタサマから凛然たるお声が掛かった。

「申し聞かせることがあるゆえ、かしら立つものは前に出(いで)よ。」

相手方は一瞬ざわめいたが、人物と言うものはどこにでもいるものと見えて、やがて主立つ一人がわざわざ下馬した上で神妙に進み出た。

様子ではどうやら供頭(ともがしら)とでも言うべき立場にあるものらしく、目の前まで来ると慇懃に小腰を屈めて見せるのである。

「ふむ、そちは聞く耳を持ち合わせておるようじゃな。」

「恐れ入り奉る。」

のちに聞くところによると、ガイウス・カラマンリスと言う男で、未だ四十そこそこの年恰好ではあったが、如何にも世慣れた物腰だ。

王の目配せに応えて、甚三郎が拾い上げていた抜き身を無言で手渡し、あるじの剣を受け取ったカラマンリスが感謝の会釈を返して来る。

「あるじに申し伝えよ。こたびの無礼は忘れてとらせるとな。」

無論、大恩あるオヤカタサマに討ち掛かったと言う「無礼」であり、しかもそれを忘れてやると言うのだ。

「恐れ入り奉る。」

「よいな。既往のことは悉く忘れたと申すのだぞ。」

「はっ。」

「例え誰であれ、一人残らず救うてやりたいと思うておるところじゃ。」

敵も味方も例外無く救いたいと宣言していることになるであろう。

「いま、何と仰せられ・・・。」

「詳しくはセオドラが手の者に尋ねるが良い。」

「承りましてございます。」

「さりながら、向後セオドラに随身を望まぬ者は鳥居より内側への立ち入りを禁ずるゆえ、申したき儀あらばその外にて申し述べるがよい。」

無論、全ては無用の混乱を避けるための手段ではあったろう。

「はっ。」

「されば、今日のところは穏便に引き取るがよかろう。」

「まことに恐れ入り奉る。」

隊列は、カラマンリスの指揮のもとに整然と引き返して行ったのだが、のちに耳にしたところによると、この供頭はヘラクレイオスの逆鱗に触れて斬殺されてしまうのだ。

ヘラクレイオスは自らが失心したあと、カラマンリスが責任者として反撃を試みるどころか、相手の言い分を鵜呑みにしておめおめと引き返して来たのが、よほど気に入らなかったようだが、要は八つ当たり以外の何ものでもなかったろう。

しかもヘラクレイオス自身は、三十三騎もの近衛軍が一瞬で舞い降りたところなど全く目にしていないのである。


さて、ヘラクレイオスの一隊が、まるで頭上のSS六に追い立てられるようにして引き上げて行ったあとのことだ。

カラヤニス親子にして見れば、昨日は家族の者が辛くも救われたばかりか、今日は今日で自らが命の瀬戸際から蘇ったようなものだから、満面に感謝の意を表しながら口々に礼の言葉を言上して已まない。

しかも、眼前で憎いヘラクレイオスが無様に失心する有様を目にして、やんやの喝采まで送ることが出来たのだ。

事のついでに討ち取ってしまいたいのは山々だったが、それも自力では討ち取るどころか、かえって返り討ちにあってしまうのが関の山だったのだから、オヤカタサマの為様(しざま)に文句一つ言えた義理では無かったろう。

少なくとも現在の勢力図から見れば、押し掛けて来た敵方が得るものも無く引き上げたことだけで、カラヤニス家の面目は充分に保たれた筈であり、オヤカタサマに対する感謝と尊崇の念はいや増すばかりだ。

しかも、上空には夥しい巨大構造物が現れて周囲一帯に霧雨を降らせたばかりか、さまざまな機械類と共に膨大な兵士まで舞い降りて来たと見るや、周囲の雑木林がみるみるうちに丸裸にされて行き、あっと言う間に整地作業に目鼻を付けてしまった。

王家の里ばかりか神の馬場の周囲といえどもその例外とはなり得ず、磐座の後方の林を除けば全てがその対象となっている気配で、遂には神門の南側の言わば領域外の雑木林にまで手が入ったのである。

ヤサウェによれば巨大建造物を多数設置するための基礎工事だとの仰せで、カラヤニス家の面々にしてみればそれこそ驚くことの連続だったのだが、彼等にとって驚くことはそれだけに留まらない。

それと言うのも、老カラヤニスが再び供を命ぜられ、瞬時に目的地に飛んだのだ。

例によって留守の者には窓の月の映像が与えられたが、そこに映し出される人物は罪無くして薄暗い牢獄の中に閉じ込められていたのである。

ヤサウェの補足によれば、そこはここから百キロも離れたスフランツェス城の地下牢だと言い、今しも中の人物と老カラヤニスが牢格子越しに手を取り合って泣いているところだが、程無くしてその人物がイオハンネス総主教だったことに気付かされた一同は無論大騒ぎだ。

イオハンネス十八世は三年前に突如消息を絶ってしまっており、やはりと言うべきか、多くが想像していた通りあの者にかどわかされていたことになる。

かつて老カラヤニスと戯れた子供時代には一際頑健な肉体を持っていた筈の人が、足元も覚束ないほどに衰弱してしまってはいたものの、数人の牢番が昏倒している姿を尻目に、即座に救出されたことは言うまでも無い。

結局、窓の月の画面を大勢が見詰める中で、又しても奇跡が行われたことになる。

オヤカタサマにとってはどんなに太い牢格子も物の数では無いのだろうが、驚きの目を見開く総主教の眼前で、若くしなやかな肉体がまるで煙のように牢格子を突き抜けて見せた上、最早立つのもやっとと言う年寄りの体を軽々と背負い、しかもあっと言う間にお戻りになられたのだ。

既に王家の里の周囲には巨大な建造物が漆黒の姿を見せ始めており、ヤサウェのお話によるとそれは「ポッド」と呼ばれるものであるらしく、十階建てで長さ八百メートルにも及ぶその中にはそれぞれ万余の部屋が上下水道と共に具わり、オヤカタサマの手の者が多数詰めていたばかりか、医療用の部屋の用意まであると仰る。

早速総主教もその中の一つで白衣の者から手当てを受けて、今では老カラヤニスの手を力強く握り返すまでに元気を取り戻しつつあるほどだ。

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  1. 2008/09/24(水) 23:29:46|
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