日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 066

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さて、いかにも唐突だがここで竹島騒動以前にまで暦を戻し、少々神宮前を見てみることにしたい。

その留守を預かるのは従前通り次女の千代である。

このところ、姉の京子は王妃に付きっ切りの状態が続き、滅多に顔を出すことも無いが、独特の通信機能を持つ以上特段の不都合を生じることも無い。

この千代が実質的な責任者として、押し寄せる客の中から会うに値する適格者を識別するにあたっても、当然姉妹全員が同一の基準とデータを共有しており、それこそが生身の人間とは画然として異なるところでもあった。

もっとも、「適格者としての基準」などと言ったみたところで、何も特別なことでは無い。

秋津州国王にとっての有益性の有無こそが何にも増して大切な基準であって、身勝手と言われようと、何と言われようと、彼女たちにとっては只々それだけが全てなのだ。

このような行動規範を持った千代が会うに値するとみなす相手はかなりセーブされ、当然面会が叶わないものが多いのだが、それでもわざわざ一階までやってきて名刺だけ置いて帰る者も多い。

会えないことが判っていながら、連日のようにやって来る者さえいるのだ。

但し、会うに値しないと判断した人々についても、秋津州の情報網は確実にフォローしているため、そこからも膨大なデータが蓄積されてきており、当然その中でも特筆されてしかるべきものもいないわけではない。

一例を挙げれば、米国に本拠を持つベクトル社だ。

株式非公開で、その規模から言って今どき珍しい同族企業でもある。

一般には耳にする機会こそ少ないが、実は影の米国政府、或いは影のCIAなどと言う者までいる超巨大企業なのだ。

事実、合衆国代々の政府高官の多くが、このベクトル社の人間で占められて来た経緯があり、近代の合衆国が関与した数多くの戦争は、そのほとんどがベクトルの意思に因っていたとする評論まで存在する。

現に戦争の準備や遂行に因って稼ぎ、戦後の復興事業に因って稼いでいることも事実で、その利益たるや公表されてはいないにせよ天文学的な数字であることは確かだが、何しろ、情報開示の義務も無く、正確なところなど誰一人窺い知ることは出来ないのである。

確かなところを言えば、世界中のビッグプロジェクトの半ばを一手に手掛け、その事業内容は情報通信、開発建設、造船、兵器、原子力、オイル、金融などなど、一言で言えばありとあらゆる分野に手を染めていると言って良いほどで、合衆国の影響力の及ぶところ、世界中にベクトルの旗が立てられており、無論日本と言えどもその例外ではあり得ない。

少なくとも、秋津州が世界中にその旗を立てる前までは、ベクトルの意思に抗って勝利したものなど存在しなかったと言われるほどだ。

強いて弱点を挙げれば、旧共産圏における商権が比較的脆弱なことくらいのものだろう。

そのベクトルから、これまでさまざまな紹介者を立てて幾度と無く面会の申し入れがあったにも拘わらず、千代は一度としてそれを許してはこなかった。

会うにしても、常に部下のものだけだ。

だが、このベクトル社が、その系列企業を介して、秋津州グループから購入してきたとされる各種秋津州産品は、極めて膨大なものだった筈なのだ。

それも、半端なものでは無いのである。

その取引累計額は実に数兆ドルにも及び、秋津州グループにとっては最大級の上得意であると言って良い。

本来、千代の方から挨拶に出向いて行かけなければならないほどの相手であった筈なのだが、その大切な顧客からの面会要請を、断り続けていると言う不思議な構図がそこにある。

結局、一言で言って典型的な売り手市場なのだ。

秋津州産品の中でも、永久原動機やベイトンなどは他に競争者が存在せず、全く一方的な売り手市場が形成されてしまっていたからだ。

そのため、秋津州側ばかりが超然とした姿勢を保つと言う構図になってしまっており、不遜にも営業活動一つしようとしていない。

早く言えば、黙って待っているだけで、いくらでも顧客が殺到して始末に困るほどの状況が延々と続いているのである。

秋津州産品のうちでも殊に各種の永久原動機などは、その汎用性においても非常に優れた特徴を持ち、それこそ全く相手を選ばない代物であり、発電機の動力としても、巨大なものから微細なものまで何でもござれで、半永久的な連続運転を可能とするものまであると言う。

製品として市場に出てから、既に一定の期間が経過したことによって、その驚くべき耐久性や安定性についても正統な評価が定着しつつあり、超小型発電機としての需要も爆発的な勢いで立ち上がろうとしている。

殊に家電業界などではこれを採用しないところは無いほどで、自ら発電する家電製品の発売も間近いと言われており、最近では携帯電話の電源用としてもサンプルが公開されたことにより、その導入を目指す業者が目の色を変えて殺到しているほどだ。

まして、その優位性がこうまで飛び抜けている以上、それを安定的に入手し得るかどうかが、その競争力に大いに影響してしまう。

その仕入れ導入を果たせない者は、業界における競争力を失い、最悪の場合、市場から脱落してしまう恐れすらあるのだ。

安定的な入手を望む人たちで、神宮前オフィスが門前市をなすのももっともなことであったろう。

穀物や地下資源を求めて来る者も少なくは無いが、単純にそれらの購入を目指すのでは無く、その出荷情報を探りにくる者の方が断然多い状況だ。

何しろ、その出荷情報の入手の点で他者に後れを取ることが、すなわち致命傷に繋がってしまうような業界まで存在している。

周知の通り、穀物や原油、その他の地下資源などは、それぞれその多くが広く投機の対象となっており、そのそれぞれに相場が立ち、そのそれぞれの世界で、日々必死に相場を読みながら闘っている人々が数多く存在するのである。

その上、この投機市場に関係する秋津州諸産品の潜在的出荷能力が、途方も無い規模であることも知れ渡ってしまった。

秋津州側が予想外の数量を放出してくると言う風評が流れただけで、たちまちその商品の相場は下がり、大怪我をする人も大勢出てくる。

逆にその大量放出や出荷制限についての情報を事前に握っていれば、当然莫大な儲けを掴みとることも出来るのだ。

その世界では、情報と資金力こそが最大の武器であり、また情報が新たな資金を生むことから、この意味でも秋津州にとっての大きな威力になってしまっている。

無論千代が、いちいち出荷予定を告げてやる筈も無いのだが、相手の方ではその表情の僅かな変化をも必死で見逃すまいとする。

中には、神宮前の美貌の若主人にたった一度会えただけで、もうそれだけのことで、立派に飯の種にしてしまっている評論家まで出て来る始末なのだ。

まして穀類に至っては、地球上の季節変動とは全く関わり無く、常に自在な出荷が可能である上に、輸送機能一つとってもごく安価に提供し得ることも、秋津州産品の魅力であると同時に、凄まじいまでの威力となっている。

その最大の特徴は、常に膨大な生産が行われているにも拘らず、そのほとんどが余剰分として廃棄され、その廃棄分がそっくりそのまま潜在的な出荷能力として評価出来てしまう点にあり、それこそ、業界を震撼させるほど膨大な出荷がいつなんどき始まっても不思議は無いのである。

結局、秋津州は痛烈なまでの出荷調整を可能としていることになるが、これほど極端な出荷調整能力を持つ生産者など、通常の世界では絶対に存在し得ないのだ。

加えて、先鋭的な技術水準を誇る工業製品を持つ以上、結局、頭を下げてくる相手は増えることはあっても、減ることは無いと言う状況が延々と続くことになってしまうが、千代の方では、その全てに会ってやる義理も余裕も無いのである。

それに、このベクトル社の場合、その意図するところにおいても少なからず問題が無かったとは言えないだろう。

そもそもその意図とは、旧共産圏の国々にまでそのウィングを広げた上、磐石のものとせんがため秋津州の力を借りたいと言うものであり、既に世界中に広がってしまっている秋津州の触手との衝突を避けるための、良き提携関係を構築したいと言う虫の良い下心まで透けて見えている。

秋津州の触手とは衝突を避けたいとしているところなぞは、ワシントンの意図するところともぴたりと重なり合うのだが、この場合の「良き提携関係」などは、ベクトルにとって都合の良い関係ではあり得ても、秋津州にとっては必ずしもそうとは限らない。

相手側は超優良顧客としての圧倒的優位性を殊更に誇示する風があり、今のままで先方の申し入れを聞いてみたところで得るものなど何も無いのだが、先方は秋津州の威力を活用したいがためにこの作戦を企図し、そのための手土産も精一杯美麗な包装紙で包み、ご丁寧にも極彩色のリボンまで結んであると言う。

その名目も王妃の誕生日プレゼントとし、その包みの包装作業に手を貸しつつあるのは眼を剥くほどの者たちであり、そこには合衆国政府は言うに及ばず、世界的な一流企業と称されるものが綺羅星の如く名を連ねており、中でも日本の一流とされる大企業などは、そのほとんどが積極的に参加している模様だ。

経団連のトップを務めるトヨベ自動車を筆頭に、それこそ自動車業界の全てが「たすき鉢巻き」姿であり、家電、商社、金融、証券、鉄鋼、造船などの業種でも、大どころは例外無く網羅している上、電源開発や道路公団、そしてJRや私鉄まで入っていたのも、特別意外なことでは無いが、これほどのメンバーを掻き集めて来るベクトルの影響力も又、推して知るべしであったろう。

千代としても、問題の包みの中身まで掴んでいることもあり、このベクトル社に対してだけは、従前からの基準だけで峻別するには少なからず不備があると言って良い。

要するに、秋元姉妹のレベルではベクトルと面会しても、どう対応して良いか確たる自信が持てないのである。

結局、報告を受けた国王の裁断により、プレゼントの本来の受け取り主に直接会わせて見る運びとなり、国王自ら立ち会うと言うご沙汰である以上、その意味では何の心配も無い。

ただ、二十一歳の誕生日を間近に控えた王妃には、問題の周辺事情についての簡単なレクチャーくらいは当然必要と判断した。

最近では、王妃に面会を求めてくる相手が激増し、そのほとんどは秋元女史が代行して済ませているにせよ、その人脈は否が応でも広がってきており、それに連れて全くの世間知らずだった彼女自身の世界も、さすがに以前よりは多少の広がりを見せてきてはいる。

かと言って、その教導役を以て任じる女史が捨てて置く筈も無く、当然多少のブリーフィングは行うことになり、ベクトルの準備しつつあるプレゼントの中身にも絡み、殊に力を入れたのは、マスメディアと広告代理店の現状についてである。

中でも、その世界で飛び抜けて強大な威力を持つと言われる、株式会社便通と言う一企業に関しては特段に力が入って当然だったろう。

この、「日本便益通信社」改め「便通」と言う企業は、広告代理業としては国内はおろか世界においても最大級の取り扱い高を誇り、少なくとも日本国内においては、他の追随を許さないほど巨大な存在であった。

いわゆるガリバーなのである。

新聞、放送、出版業界等において、広告の集稿及び斡旋業務に関し、既に圧倒的な地歩を築いてしまっており、その上それらの広告は個別に斡旋するのでは無く、それこそ半期、一年と言う大きな単位で買い切りにした上、それを又細かく分割して、最終的なスポンサーに売り捌くと言う手法を採るに至っている。

メディア側にしても、いちいち自社の営業マンが駆け回って、個別に広告を取ってくる必要などほとんど無いことになり、その結果、ただただ便通側の顔色を窺ってさえいれば、無事に広告が埋まって行くと言う状況が常態化してしまっているのだ。

民放のテレビ局側から見れば、今や、便通そのものが巨大なスポンサーだと言うことになる。

テレビ局によっては、それが、広告収入の大部分を占めてしまっているほどで、それこそ便通無しには一日たりとも「営業」が成り立たない。

さらにそれに加えて、国内唯一の視聴率調査会社までが、この便通の実質的な支配下にある。

詰まり、この視聴率調査会社には競争相手が一切存在しないのである。

そう言う企業が発表してくる「視聴率」などと言う代物に、合理性を求める方が余程おかしいことは言うまでも無いことだろう。

また、近年では大新聞の多くが、その収益の多くの部分を広告収入に依存してしまっており、便通の影響力と発言力は益々計り知れない。

以前にも触れたが、あの「異様」な韓流ブームなども、その仕掛け人はこの便通だと囁かれており、その背景や意図するところもまた容易に窺い知ることが出来よう。

しかも、その優れた情報収集能力や事故処理能力ともあいまって、この企業の強大な影響力は決してメディアに対してだけにとどまらない。

この場合の事故処理能力とは、各界要人絡みのスキャンダル発生の際などにも遺憾無く威力を発揮するものだ。

つまり便通の匙加減一つで、容易にその報道が左右されてしまうであろうことも想像に難くない。

その結果、その影響力はマスコミは言うに及ばず広く政財官界にまで及んでおり、業界ではこれらの影響力について云々すること自体、最早タブー視されていると言われるほどであり、これ等の実態について噛み砕いて話して見ると、王妃もおよそのことは既に承知はしていた。

さらに女史は、中国共産党政権が行ってきた日本のメディア操作にまで踏み込んだ。

中国の前政権が、自政権にとって都合の悪い事柄を報道しようとした外国メディアに対しては、全て国外退去を命じてきた事は歴々たる事実なのである。

これに対するに欧米各国は、中国メディアの自国駐在を拒否することを以て対抗し、北京政府を屈服させることを得たが、日本はそうはしなかった。

いや、しなかったと言うより出来なかったのである。

無論そこには、それなりの政治情勢と言うものがあったためだ。

その結果、中国現地に駐在を許された日本のメディアは、全て中国共産党政権の忠実なスポークスマンにならざるを得ず、甚だしきは、中国共産党政権の忠実なスポークスマンの立場を殊更に利用して、本国(日本)の本社において隠然たる権力を振るう者まで現れたのである。

まして、典型的な貿易立国を目指す我が国にとって、かの国の市場規模は相当な影響力を持つことが顕著であったため、政財官界などは明らかに腰が引けてしまっている。

ひるがえって、全ての営利企業は利益を追求すべく活動する組織に他ならず、その利益はときとして母国の利益にさえ優先してしまうと言う現実がある。

そのような宿命を持つ営利企業ばかりが、主要なメディアに対して、スポンサーとしての地位を占めてしまっている現実こそが、国益にそぐわないような報道に結びつくことも又自然の摂理だと言って良い。

殊に日本を巡る近代史について、さまざまに不合理な内容の報道が、これほどまでに垂れ流され続けてきたことの背景には、無論種々の要因が複合的に絡み合って存在するが、やはり占領軍の採った当然の占領政策を抜きにしては語れないだろう。

かつて我が日本は昭和二十年の八月十五日以降、紛れも無く被占領国の地位にあった。

日本国としての国家主権の実質性はまったく失われ、全て占領軍の統治下にあったのだ。

当時、既にスーパーパワーの地位にあったアメリカ合衆国は、自由と民主主義の旗をこれ見よがしに振りかざしながら我が国に進駐してきたが、その旗自体欺瞞と恫喝に満ち溢れていたことを、日本人こそが知らねばならない。

対米戦において我が日本は完膚なきまでに敗れ去った以上、勝者による占領統治を受けることも致し方の無いことではあったが、多くの日本人はこの敗北を一時的なものとして捉えていたのであり、当然、その胸中では、何時の日にかの捲土重来を期していたことは言うまでも無いことであったのだ。

ところが、豈図らんや、世代の移り変わりに伴い、全く奇妙な現象が顕在化するに至った。

捲土重来を期すどころか、かつての日本が闘った対外戦そのものを全否定し、当時の日本人を指して、まるで「悪の権化」ででもあるかのように言い騒ぎ、日本人自身が自ら己れの父祖を貶めて憚らないと言う現象だ。

最早、それは「怪奇現象」と言って良い。

甚だしい事例に至っては、かつての日本国民自身が建設し、かつ運用した筈の帝国陸海軍、殊に陸軍についてなどは、悪鬼羅刹のごとくに表現して憚らない輩(やから)まで散見される。

詰まり、我が日本に対して採られたその占領政策の本質そのものが、静かに闇に葬り去られようとしていることになる。

その本質は、この戦役において米国側が驚嘆したほどの精強さを発揮した日本軍が、その意味合いにおいては二度と復活して来ないよう、さまざまに工夫を凝らすことにあり、それはそれで勝者としては当然過ぎるほど当然の占領政策であった。

無論、その工夫の基本となるものは、日本人に対する徹底的な情報の遮断と操作による洗脳作戦であったことは疑いない。

周知の通りかの合衆国においても、過去の機密文書が年々古い順から公開されるシステムを採っており、半世紀前には国家機密とされたような重大なものまで、徐々に閲覧が可能になりつつあり、有志の方々の手によって珠玉のような作業が行われているのである。

詰まり、膨大なGHQ文書のたゆまざる発掘作業によって、既にさまざまな事実が確認されつつあり、正義は戦勝国側にのみ存在し、我が日本には全く無かったと報道され続けたことの理由が、占領政策の根本にあったことが裏付けられている。

例えば、当時の占領軍が発出した新聞遵則、放送遵則、及び映画遵則などは、それこそ「禁止したいものなら何でも禁止し得る」内容になってしまっており、その結果、当時の日本の新聞が占領軍の禁忌に触れ発行停止処分を受けた事実がある。

新聞社がその発行を禁じられれば、他に何をすれば良いと言うのか。

自然、自己規制と言うものが働くようにならざるを得ない。

敗戦は我々日本人に屈辱と苦渋と窮乏を齎したことから、その戦争自体に罪ありと決め付け、「悪辣非道」な軍国主義者どもの責任ばかりを強調し、かつ戦勝国の行為を正当化せしめ、日本人の心に強い贖罪意識を植えつける目的を以て、徹底した洗脳作戦が行われていたのである。

閣議決定によって定められた筈の「大東亜戦争」と言う正式呼称も、「太平洋戦争」と言う呼称に改めるよう『強制』され、更に「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」などと言う用語は、全く嗤うべきことにその使用をさえ禁じられてしまった。

さらに、ラジオ放送では、日本の戦争史をドラマ化し、徹底的に日本を悪役仕立てに脚色した番組が、長期に亘って流され続けることになった。

当然、その台本はあくまで脚色された虚構に過ぎず、全く「史実」などでは無いのである。

にも拘わらず、それが「史実」であるとされていたことこそが、何よりもことの本質を言い表している。

なにしろ、その番組の題名からして「真相はかうだ。」なのだ。

その脚本の中では、関係当事国の行為を嘘で塗り固め、連合国側のみを正義とし、信じ難いほどに日本側の悪行を針小棒大に膨らませ、且つ論うことにエネルギーの大半が費やされており、挙句に一般の善良なる日本人は、悪の権化である軍国主義者どもに、すっかり騙されていたことにされてしまっていた。

無論、そのドラマのプロデュースは全て占領軍の強力な統制の下に行われ、その脚本は全く恣意的に書かれたものであり、いきおい、脚本の中には全くの「捏造」や「事実の改変」が数多く存在したのである。

当時の大抵の大人たちは、少なくとも部分的には「本当の事実」を知っていたために、占領軍側の露骨な「意思」の在りかを感得していたことは確かだ。

当然、その番組は、多くの「日本人」たちから顰蹙を買ったと言うが、『強制され』て放送したNHK側の人々にしても、当初こんなものを信じる日本人は、ほんの僅かだろうと考えていたことだろう。

一方、ニュース番組なども徹底した報道規制を受け、殊に「極東軍事法廷」に関する事柄などは、常に占領軍の指示によったもの以外一切報道することを許されない。

結局、占領下の報道は、戦前戦中の日本での「一般の国民」と「悪辣非道な軍国主義者」の対立構造を、ことさらに浮き立たせて見せることに徹することを強制されたのである。

従って、全ての「悪」の根源は、この「悪辣非道な軍国主義者」のみに存するのであって、「一般の善良なる国民」には責任が無いとする隠喩が、無数に散りばめられることになる。

この伝で行くと、まるで大東亜戦争そのものが、「一般の善良なる国民」と「悪辣非道な軍国主義者」の争いだったようにさえ思えて来る。

そこには、我が日本が主として闘った筈のアメリカ合衆国の姿も既に無く、結果として東京大空襲を始めとする無差別爆撃の数々はおろか、広島や長崎への原爆投下すら、その責めはアメリカ側には一切無いことになってしまうのだ。

昨今では、これ等の悲惨な爆撃被害の原因を作ったのも日本人自身であるかのような表現が、それこそ、そちこちで見受けられるようになってしまった。

思えば、全く不思議な話ではある。

当然、占領下の学校教育現場なども授業そのものが大幅な規制を受けることとなった。

近代史に関してなどは従前の教科書や教材に替えて、占領軍の脚本並びに演出に拠る「ドラマ」の台本そのものを製本して、新たな教材として使用することまで強制されたのだ。

その結果、学童たちは米軍の作成した「台本」を史実として学ばされることとなり、その傾向が今もって尾を引いていると言って良い。

やがてこれ等の「台本」が、新聞紙上でも賑々しく連載されることになる。

それも、延々と続けられた。

また、七千人もの日本人を動員して、ごく一般的な郵便物まで、大々的に開封して検閲していたことも明らかになって来ている。

詰まり、自由と民主主義の旗手を以て任ずる筈のあの国が、敗戦日本に対しては、それこそ徹底した言論統制を行っていたことになる。

これ等占領軍の採った言論統制は、戦時中の日本の当局が行ったものよりはるかに徹底しており、検閲が行われていること自体、その報道を厳しく禁じられていたほどだ。

その結果、戦後の数年間がいかに暗黒の時代であったかと言う歴とした事実でさえ、未だに全く知らないままの日本人がいかに多いことか。

その人たちの間では、戦前戦中の日本では恐るべき軍国主義が幅を利かせ、平和を好む善良な一般市民を一方的に「戦争」に駆り立てていたと信じられるまでになってしまった。

中には、「我々日本人は、自由と民主主義の旗手アメリカさまの手によって、軍国主義の牢獄からようやく開放されたのである。」式の暴論を吐く政治家まで出てくる始末だ。

しかし、実態は全く逆で、我々日本人は米軍が設えた牢獄に閉じ込められていたことは明らかだ。

その牢獄たるや、本物の情報世界から遮断された、言わば、あの有名な映画に登場するマトリックスの世界のようなものだったのである。

見えざる鉄格子を以て巧妙精緻に構築されたその牢獄には、未だに繋がれたままの日本人が多数いることになる。

念のため、アメリカ合衆国国立公文書館の資料によっても明らかな、占領軍の意図した禁忌事項の内、主なものだけでも以下に記して置くことにする。

○ 連合国最高司令官やその司令部に対する批判

○ 極東軍事法廷に対する一切の批判

○ 戦争犯罪人の一切の正当化および擁護

○ 連合国最高司令官が憲法を起草したことに対する言及や批判

○ 検閲制度の存在に関する言及

○ アメリカ合衆国、ロシア、英国、中国、その他の連合国に対する批判

○ 朝鮮人に対する直接間接の一切の批判

○ 闇市の状況についての言及

○ 満州における日本人の取扱いについての批判

○ 連合国の戦前の政策に対する批判

○ 日本の戦争遂行及び戦時中における行為を擁護する言論

○ 軍国主義、国家主義、神国日本、大東亜共栄圏その他の宣伝

○ 解禁されていない事柄についての一切の公表

肝心な事柄に関しては、言論の自由など露ほども無かったことが判るだろう。

当時、連合国最高司令官に任じられていたマッカーサーは、絶対的な強権者として、全ての日本人の頭上に傲然と君臨し、それこそ天皇陛下に対してさえ、事実上その生殺与奪の権を握っていたのである。

とにかく、一切の反抗が許される状況には無かったのだ。

詰まるところ、その頃の日本のメディアは、連合国最高司令官マッカーサーと言う強権者にとっての、忠実なスポークスマンにさせられてしまっていたことが、既に明らかなのである。


秋元女史の懇切丁寧なブリーフィングの結果、これ等重要な「真の史実」は、年若い王妃にとっても充分納得出来る内容であったらしい。

殊に、偏向した思想を持った教師など一人もいない私立の学校ばかりで学んで来て、更には秋津州の教材にも親しく触れる機会の多かった彼女にとっては、ことさら目新しい情報では無かったとも言えるのだ。

何しろ、秋津州の歴史教科書の記述には、日本人と言う同族を意図的に貶めるためのフィルターなど一切必要とされない。

露骨に日本を貶めて描いた近代史など全く必要としない上に、日本の持つ頑強な牙を抜き去るために、その国民を精神的に打ちのめし無気力にさせる必要など全く無いのである。

必要が無い以上、全て、秋津州側から見たままの近代史を、ありのままに記述してあるだけのことだ。

加えて彼女には、その立場から言っても、その歴史教科書の類(たぐい)に好んで目を通す動機も濃厚にあった。

何せ彼女の夫は、人造国家「秋津州」の設計者であり、唯一無二のオーナーでもある。

言わば、夫の所有になるその国の歴史に関して書かれたドキュメントなのだ。

自然、強い興味をもって読む機会がふんだんにあった筈で、そこには、日本の近代史についても当然数多く触れられていた。

日本は、秋津州にとって最も身近な親類筋の国と見なされている以上、その国に関する記述のために、最も多くの紙数が用いられていたとしても何の不思議も無い。

そしてそこには、昭和十六年当時、国家の存亡を賭し、眦(まなじり)を決して立ち上がった毅然たる日本人の姿が誇らしげに活写されていたのだ。

善戦空しく敗れはしたが、あの状況で、あの傲岸不遜なハルノートを前にして、もし闘わずして膝を屈していたとしたら、日本人としての誇りは子々孫々まで失われていたであろうとまで評している。

まして、「大東亜戦争」そのものを、善悪の物差しだけで推し量るような愚かな意図などは微塵も無い。

日本が、当時最強を謳われた米国の恫喝を前にして、怖めず臆せず、乾坤一擲の戦いを挑んで行ったと言う輝ける史実は、例え敗れたりとは言え、日本人にとってその精神上、格別貴重な財産となって残ることだけは間違いない、とまで述べられていたのである。

現にかのアメリカ合衆国自身、無数と言って良いほどの戦争を行ってきたが、この戦役以外、未だかって真正面からの軍事的挑戦など受けたためしが無かったのだ。

この意味でも、「最も歯ごたえのある抵抗」を試みたのも、東洋の小国、日本だけなのだ。

彼等が、徹底的な宣撫工作を念入りに実施する必要性を感じたのも当然のことだったろう。

その後の日本は、合衆国の援けによってこと経済面においては短期間の内に驚異的な復興を成し遂げはしたが、占領軍の手によって仕掛けられた呪縛から、多くの日本人が未だに抜け出せないでいることも哀しい事実だ。

おもえらく、この日本が、昭和二十七年四月二十八日に発効したサンフランシスコ講和条約によって、ようやく形式上の独立を「許され」てから、はや半世紀の時が流れた筈なのだ。

それでなお、完全な意味での独立を果たしているとは言い難いにも拘わらず、そのことに対する日本人自身の意識は不思議なほどに欠落したままだ。

自らの国の独立性について無謬であると信じて疑わない国民が、これほどまでに多いと言う「無残な現実」がそこにある。

そのことだけを取り上げても、占領軍の宣撫工作は、かなりの部分で成功を収めたと言われてしまっても仕方が無い。

そのような現実が、日本人としての王妃の脳裏にある以上、その一番に望むところも又歴然としている。

無論、それは、祖国日本の完全な独立の達成だ。

現状では、他国の軍隊が自国領域内を平然と闊歩し、いまだ自国の領空でさえ、その多くが「占領軍」の手中に有るありさまだ。

典型的な実例の一つとして、列島を横断する「横田空域」と言うものが現実にある。

首都圏から日本海側にかけて、一都八県に跨る広大な上空一帯のことで、高度七千メートルまでの空域がこれに当たる。

これが今でも、米軍の全き統制下に置かれたままであり、米軍の許可無くして米軍以外の航空機は一切飛行を許されない。

また、その「許可」を得るためには、諸々の障壁を踏み越えなければならないが、その一切が米軍側の一方的な裁量権によるのである。

日本の空を日本の飛行機が飛ぶに際してさえ、いちいち米軍の「許可」が必要なのであり、事実上、米軍機以外その空域を飛行することはほとんど無い。

羽田空港から見た場合、その直ぐ西側にまるで張り付くようにして、標高七千メートルもの山脈が高々と聳え立っていることになり、それも、裾野から頂上まで垂直にそそり立つ巨大な壁となっていて、羽田から西に向かっては、直線的に離陸することすらままならない。

当然、西方から直線的に飛行してくることも出来ず、全く不自由極まりない。

この事実は、決して一航空行政上の障害だけに留まらず、民間航空業界にとっても非効率極まりない障害となっていて、今もさまざまに大いなる損失を生み続けているのである。

しかも、この事実を大々的に取り上げて報道するような番組などは、奇妙なほどに見当たらない。

ただ、その空域に関しては、常時全面的に米軍の目が光っていて、万一不審な飛行物体が侵入して来た場合は、米軍自身が即座にしかるべき反応をすることも事実だ。

こういった米軍の管制下にある空域は、この他にも西日本や沖縄の上空などにも厳然と存在しており、米軍だけが自在にそれを使用している現実を踏まえれば、取りも直さず、日本は自国領域を自力で護り切るだけの、独自の権能をすら有していないことになる。

古今東西、この様な状態の国家など、決して真の独立国とは見なされない筈だ。

自国の領域を全て排他的に支配し得る権利こそ、国家主権の最たるものであることは、普通の国の普通の民の間では、それこそごく普通の概念であって、ことさら取り立てて言い騒ぐほどのことでは無いのである。

言い方を変えれば、この国家主権のうちでも最たるものを失えば、もうそれだけで、主権国家を名乗ることは出来ないほど重大なことなのだ。

自国領域に存在する軍事力は、全て自国の指揮権によってのみ、その行動を許されるべきものであって、少なくとも外国政府の指揮によって制御されるべきものでは無いのである。

このことが、紛う方無き自明の理であることを、彼女の夫である秋津州国王の行動が、何よりも雄弁に物語って来ている。

今やその夫は、自国の陸海空の全領域を厳然と護り切って、他国の軍隊の自侭な侵入など一切許していない。

それこそが、いや、それだけが、世界に向けて自国の独立を認めさせる、必要最小限の方法だと信じて疑わないからだ。

その結果、秋津州に対する領域侵犯を企てる者など、今では何処にも見当たらない。

秋津州へ軍事侵攻などを行えば、それに数倍する報復攻撃を覚悟すべきことを知っているからだ。

詰まり、秋津州と言う国家の独立性は、唯一、秋津州自身の意思によってのみ護持されるべきものなのである。

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ところで

 ところで 王様が元気なの?
 ボォ~と読んでて ふっと思い出した^^;;

 すまん^^;;本文と無関係で。
  1. 2006/04/19(水) 11:12:03 |
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  3. ほたる #-
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うちの王さま!

いちおう、元気じゃ。
ねえねのお留守のときが、特に元気じゃ~~~。

(*゜・゜)ンッ?

何故だ? ^^
  1. 2006/04/19(水) 11:18:01 |
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  3. あんくるじいじ #-
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