日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 072

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王妃のインタビューが大きく報じられたこの頃、合衆国を巡る情勢にも潮目の変化を感じさせるような出来事があり、渦中のタイラーが胸を躍らせたほどだ。

奇しくも新田の方からお座敷がかかり、勇躍出向いて見ると意外な話が待っていたのである。

本格的に試験運航を始めたテストベッドに、乗艦の希望があれば前向きに検討しても良いと言う。

内務省最上階で新田が言うからには、無論秋津州の意向でもある筈だ。

ワシントンでも、とうにこの試験運航の情報を掴んでおり、希望があるどころか渡りに船だ。

ワシントンの内部には、これまで微妙に遠慮せざるを得ない空気があり、そのことに触れることを言わばタブー視して来た。

同盟国である日本に対し正面切って尋ねて見たとして、問題はその返答だ。

万一日本側の返答が全く素っ気無いものであったとき、それこそ対応にも窮することになる。

自然、タブー視されるようにもなってしまう。

ところが、それを日本側から積極的に公開してくれると言うのである。

開発中のテストベッドそのものについても、多少の関心が無いわけではなかったが、肝心なのはその性能や技術などでは無く、日本側の対米姿勢にこそあったのだ。

したがって、ワシントンからすれば、日本側の親米路線を改めて確認出来たことになり、それまで非常な圧迫感を以て立ちはだかっていた米日間の障壁を、一気に縮小させる出来事であったことは間違いない。

まして、形式だけとは言えその艦籍が秋津州であることが更に大きい。

この意味では、米日秋と言う三ケ国の共同作業であると主張することも出来るのだ。

ワシントンにとって、そのことを全世界に認知させることこそ、もっとも重大な意味を持つのである。

今や、日秋連合体制は磐石と囁かれるまでになって来ており、その体制に合衆国が緊密にコミットしていることを世界に知らしめることによって、合衆国自身のプレゼンスを重からしめることが出来る。

昔日の面影がすっかり薄らいでしまった合衆国にとって願っても無い好機であり、この申し出は大いに歓迎すべきものだったのだ。

早速人員を厳選して士官三名を乗艦させ、その後の試験運航も順調な進捗振りを見せるに連れ、この開発を日米秋の協調作業だと胸を張ってアナウンスすることが出来た。

ワシントンの焦燥は劇的に緩和され、継続中の日米間交渉を力強く後押しすることになり、これもタイラーの懸命の外交活動の成果であるとして、大いに面目をほどこすことになった。

現金なものでその食欲も俄然回復基調にあるほどだ。


また、再三食事に誘っていた雅(まさ)から、ようやくオーケーが出たのもこの頃のことだ。

姉の女神さまは絶えず王妃に付き添っているため、最近ではほとんど会うことも無く、その代わりを務めてくれているこの美少女は、タイラーにとって長姉に勝るとも劣らないパイプ役になってくれそうな気配で、今やその存在は極めて貴重なものになりつつあり、食事の場所やメニューなども、全て相手に合わせることもことさらな違和感などあろう筈が無い。

この好機は絶対に無駄にするわけにはいかないのである。

秋津州でも一番の高級ホテルのレストランに席を取り、やっと杯を合わせるところまで漕ぎつけたことでもあり、美少女のオーダーによるメニューが例え和食であろうと文句の言えた義理では無い。

だが、この哀れな白人男性は、その席で思いもかけず鯨の生肉を口にすることになってしまうのである。

それが鯨肉であることを知らされないまま、前後の会話で秋津州の牙のある豚の話題が出ていたことから、てっきりイノシシだと思い込んでしまったのだ。

「うーん、この肉は実に美味しい。まるで、口の中でとろける様だ。」

うっすらと桜色をした切り身が、絶妙のとろみをもたらす。

「でしょう、これは絶品だと思いますわ。」

「これは、くせになるかも知れないなあ。」

その刺身は少量で、直ぐに平らげてしまった。

「ほんと、美味しいですわね。」

目の前の少女が一皿を食べ終えるころあいを見て、すかさずお代わりをオーダーしてやり、日本酒の酔いに陶然として来たころには、タイラー自身が三皿も賞味するほどの大好物になってしまっていた。

挙句、若い属僚たちを引き連れてその店に通い、「イノシシの刺身」ファンをますます増やしてしまうほどだったのだ。


さて、二千七年の年が明け、世界秩序の根幹を揺るがせた秋津州戦争から、早くも三年の歳月が流れ去ろうとしているが、従前の米国中心の世界秩序が大きく損なわれ、合衆国は明らかに鼎の軽重を問われることになった。

以前新田源一が、タイラー補佐官を痛烈に罵倒したことがあるが、その際に新田が用いた「米国の国連」と言う語彙も、今では極めてシニカルな意味合いで使われることが多くなり、それを裏から表現すれば、合衆国は世界を支配的に動かすだけの実力を失ってしまっていたことになる。

それもこれも、太平洋上の小島に突如出現した一人の少年が、合衆国の保持していたチャンピオンベルトを、無情にも実力で剥ぎ取ってしまったからに他ならず、その少年も、今年は二十二歳を迎える堂々たる青年君主に成長していた。

その国王の国にも春が来て、やがて日本でも桜の噂が飛び交う中、王妃は無事に卒業を果たし、いよいよ秋津州の一村落で緑に包まれる暮らしに入ったと言う。

従来からの宿願であったとは言うが、何せそこは、首都の中心部から東南方向に三十キロも離れた片田舎なのである。

その住まい一つとっても、敷地面積こそ広々と取ってはあるものの、何の変哲も無い平屋造りの和風建築で、どこか新田源一の土竜庵にも似た三LDKほどのものでしか無いのだ。

強いてその特徴を挙げろと言われれば、竹垣の外の庭前に国旗掲揚のためのポールが、高々と立ち上がっているくらいのもので、侍従の者たちの控え室と思しき建屋が母屋に隣接した形で設けられてはいるが、広い外庭を確保していることを除けば、近隣の一般農家よりなお一層小ぢんまりとした構えでしかないのである。

周囲の田園風景にごく自然に溶け込んでしまっており、そうとは知らない者の目には、あの秋津州国王の住まいする「王宮」などとはとても写らない。

そしてその庭先には、未だ就学前らしき幼童たちが始終姿を見せ、その過半はどうやら外国の児童たちのようであり、殊にアフリカ系と思しき者たちの姿が目立つが、その全てが単に遊びに来ているらしく、中には座敷にまで上がり込む者まで見受けられ、一度NBSのカメラが入ったときなど、子供たちが国王夫妻に甘え、一緒に遊戯に興ずる姿まで報じられたほどだ。

その報道によれば、王宮は広々とした田園に囲まれ、警衛歩哨の任に当たる兵士の姿が全く無いばかりか、本来なら必ず近侍している筈の井上甚三郎や三人の侍女も姿を見せず、夫婦水入らずで新婚生活を楽しんでいる風だったと言う。

報道陣が目にする夫妻は、共々に三個村を経巡り歩き、それぞれの現地で農事に触れ、児童たちとも濃密な接触を重ねる日々を重ねており、その際ですら近侍の者を見ることは無く、いったいいつ政務を執っているかすら不明であった。

その姿は、若くして既に隠遁者のようだと評されるほどであったが、現実の若者はこの国の統治者であり元首なのだ。

したがって、こののどかな王宮にも、日本から総理夫妻や国井夫妻が訪れ、両国関係の一層の緊密振りが取り沙汰され、政治的にも頗る大きなイベントとして注目を浴びた。

当然、焦るワシントンの意を受けてタイラーが駆け回り、その労苦が実を結ぶ形で大統領夫妻が短期間に二度もこの「王宮」を訪れ、王妃自らの手料理によるもてなしを受けたことも大きなニュースとなり、米秋関係は一気に雪解けムードを漂わせ始めた。

この流れを受けて入国者が急増したのも当然で、タイラー自身も妻子を呼び寄せ、新たに居を構えることにしたほどだ。

もっとも、既に本国において総合大学に通う一人息子だけは一時的な滞在ではあったのだが、ここに来て属僚の一部に自らの子女を秋津州の学校に入れる者が出たことは、ひどく周囲の興味を引いた。

何せこの国で教育を受ける者は、それが男子である場合、あの若衆宿に属することとほとんど同義語であることに加え、秋津州での就学歴など本国に帰って有利に働く余地など全く無いのだ。

まして、その子の父親は、辞令一本で軽々と次の任地へ飛ばされてしまう職業なのである。

当然、暴挙であるとして、本気で止めようとする同僚も少なく無かった。

民生部によれば、小規模ながら国立大学設立のプランも、その実現が目前に迫っていたこともあったであろうが、結局、その官僚自身が秋津州の質実剛健の気風に、いたく感じるものがあったからに他ならない。

現に秋津州は外国から多くの孤児を受け入れており、そのことから言えば、各村落に配置した住民型ヒューマノイドの出来栄えが、人間との緊密な共同生活においてさえ、最早馬脚を現す恐れの無いところにまで進化を遂げていたと言って良い。

かくして、最近の居留外国人は官民併せて三万人を数え、その多くが海都に拠点を置く人たちなのだが、中には秋津州港のドックや付属工場などで時を過ごす「外国人」も少なく無い。

無論、秋津州の特殊な設備を以て艦船を建造すべく日本から派遣されて来た者たちで、その人数も五百を超えると言う報道まであるが、この点では、一方の合衆国からも若干の人員が派遣されて来ており、熱心に見学しつつ調査研究に励み、そこから発信される情報もいちいちワシントンの注目を浴びるものであったろう。

タイラー配下の特殊任務を帯びた女性たちにしても、既にかなりの部分が帰国を果たしたあとであり、キャンディ・ティームをはじめ、十数名ほどが残留して活動を続けてはいるが、自然その成果ははかばかしいものとは言えない。

モニカとタエコの二人は正式にタイラーの手を離れ、共同で営む酒場もかなりの繁盛振りを見せており、華やかに店内を彩る従業員たちは、新たに入国して来た米国人女性がほとんどだと言う。

また、その近所には「クラブ碧」の看板を掲げた店も見受けられるが、東京の立川商事とは無関係とされ、こちらの方はほとんどの従業員が、日本人タイプの女性型ヒューマノイドのようだ。

ただ、立川みどりに良く似た風貌のリーダーが見事に客を捌く姿が目立ち、そのことが日本のメディアに取り上げられ、かなりの話題を振りまいたこともあり、自然、開店当初は日本人客が多かったと言うが、リーダーを始め全従業員が日本語は勿論、英語等数カ国語を解することが伝わるに連れ、今ではさまざまな国の人が訪れていると言う。

もっとも、銀座にいる立川みどり本人は、ほんの片言の英語が判る程度の語学力しか持ち合わせていないことから、この店のリーダーとは全くの別人であることは確実だ。

秋津州港付近の重工業地帯には、それらの工業施設に沿うようにして軽工業の生産ラインも数多く立ち上がり、際立って安価な生産コストが一段と注目を浴びはしたが、かと言って他国へ輸出するまでには至らない。

もともと秋津州は巨大な工業生産能力を持つと囁かれて来たこともあり、マーケット側にもさまざまな思惑が交錯し悲喜交々ではあったが、今のところ格別大きな混乱は無いとされた。

ただ、秋津州国内にもさまざまな生活物資の生産手段が立派に成り立ち始めていたことだけは確かなのである。


一方、中国と北部朝鮮の内部では、対秋津州戦の終結以来、前政権に対する痛烈な批判が相次ぎ、前政権に関わりを持つものがほとんど失脚してしまっていた。

前政権を擁護する必要を持つ者が政権の中枢から姿を消したことにより、近代史に関する修正作業が激烈な勢いで進行し、今や、それに関する議論も一段落した感があると言う。

それぞれの前政権がせっせと創作し、熱情を込めて流布して来た近代史が、とても史実とは言い難いものであることが歴然としてしまい、自然劇的に一新されることになったのだ。

大幅に修正を受けた近代史には、一方的に暴虐行為を働く日本軍など一向に登場せず、代わりに熾烈な謀略戦がふんだんに顔を出すこととなった。

中でもロシアの傀儡として「中華ソビエト共和国」を名乗った中国共産党の暗躍振りが、一段と否定的な響きを帯びて描かれており、これまた如何にもと言う気がしないでも無い。

今では、この書き換えられた史実の内容を、知識として中朝二カ国の民衆の大多数が共有するまでになって来ていると言う。

しかも、現地の滞在メディアが大量の情報を発信し続けており、それらの情報が否応無く日本国内にも流入し、日本のメディアに取り上げられる機会も一段と増えた。

日本でも従来恣意的に沈黙させられて来た多くの信ずべき基礎史料が、改めて陽の目を見ることも多くなり、日本の総理や閣僚による靖国神社参拝と言う行為が他国の政府から非難を浴びるような馬鹿げたことは一切見られなくなった。

もっとも、韓半島南部の各地に盤踞する複数の団体だけは、それぞれ韓国の統一政権を名乗って非難声明を発してはいたが、それ等をその国を代表する政府と見なす国家は無い。

政治家の國参拝を捉え、戦争を美化し、軍国主義を復活させようとするものと断じ、否定的に論じる日本人は未だに少なくないが、それらの人々の信奉する近代史は余りに不自然だった上に、恣意的に改竄されていたことも数多く明るみに出てしまっている。

形勢の思わしくない「ジンケンハ」団体などは、唐突に貧富の格差などをあげつらい、政府与党の政治責任を追求するなどとして声を荒げたが、所詮「豊かさ」などと言うものは相対的な概念に過ぎず、それこそ確たる基準など何処にも無いのである。

現に、極限状態にあると思えるほどの「窮民」など、誠実に暮らす日本人の中にはほとんど見当たらず、少なくとも、途上国の民と比較すれば、まだしも豊かさを実感し得る日本人の方が圧倒的に多いだろう。

一例を挙げれば、中国の内陸部などでは大多数の民衆がいまだに食うや食わずの生活を続けているが、その状況が改善される気配も無い。

彼等は、長期に亘る絶望的な暮らし振りから来る不信や無気力の底無し沼に埋もれてしまっており、言わば、置き去りにされた民なのだ。

最も重要なことは、彼等が決して例外的な一部の民では無く、その国の人口の大部分を占めるほどの圧倒的多数であることで、これ等十億もの窮民が、ただただ呆れるばかりに広大な大地に、疎らに散らばって村落を形成し、今現在もそのほとんどが極めて貧しいままなのである。

さらには、例の一人っ子政策は新政権の手で中断されはしたが、代わって膨大な黒孩子(ヘイハイズ)の存在が表面化しつつあり、それ等無戸籍者の数は日本の総人口にも匹敵するほどだと言う。

過去においても、それら窮民による大規模な反乱が頻発し、常に手を焼いてきた歴史を持つその国では、対応を誤れば国家としての枠組みそのものが揺らぎ、ときに大音響と共に倒壊してしまう。

その国では、今も昔も、満足に喰えない民が多すぎるのである。

そのため、その国の政権は常に憎むべき外敵を「創作」し、民衆の怨嗟と憎悪の感情をその標的に向けるほかに、採るべき手段を見出せないで来たが、反日政策を放棄せざるを得なくなった今、いったい次はどの国を標的に定めることになるのだろう。

そこへ持ってきて、ほぼ復興の成った沿岸部からは、皮肉にも日本へ観光に訪れる中国人が急増し、九段の靖国神社にまで足を伸ばすケースも多いと聞くが、当初日本政府が憂慮した騒動などただの一度も起きてはいないのである。

結局、同じ中国でも、充分に飯が食えて、かつ情報の伝播が早いとされる地域の人々は、旧共産党政権の残したプロバガンダの呪縛から抜け出すのも、別して早かったことにはなるのだろう。

このような情勢を踏まえ、今では中国首脳陣が頻繁に来日し日本側との密接な交流を持つに至っており、遂にはそのトップの者が靖国神社を訪れる日が到来したが、中国本土でもことさらな騒乱などは発生してはいないと言う。

周知の通りその国には、中国共産党の機関紙であった人民日報が存在し、共産党政権時代には徹底した反日援共の論陣を張り続け、創作された近代史物語の宣伝に関しては抜きん出た功績を誇っているが、その人民日報でさえ極めて抑制的な論調に終始し、中国首脳による靖国神社訪問は、合衆国を訪れる際にアーリントン墓地に詣でることと同義であり、善隣友好を謳う国際社会においては極めて妥当な外交儀礼であると説破していた。

前政権の時代なら絶対にあり得ない論説だが、かと言ってこれも取り立てて奇説珍説の類などでは無く、却ってこれこそが最も普遍的な考え方なのだ。

また、一部の報道によれば、新田源一の誘導によってその全てが進行したと言うが、詳細についてまで明らかにされている訳ではない。


一方の北部朝鮮は国号を朝鮮共和国に変更すると共に、豊富な秋津州資金を背景に一段と国土復興の勢いを増し、自然対外的にも果敢な動きを見せ始めており、殊に新田源一への働き掛けを強め、遂には日本に対して五十億ドルの賠償金を支払う意思あるを以て、濃密な接触を繰り返すまでになった。

その目的は、少なくとも朝鮮共和国側にとっては、日本との国交を結ぶためのものであり、さまざまな論議を呼ぶことも予想されることから、ことはあくまで隠密裏に運ばれ、情報を共有していたのは双方ともにごく僅かの人間だけであった。

繰り返しになるが、この場合の「賠償」とは、朝鮮共和国から日本へ支払われるものなのである。

朝鮮共和国側の主張によれば、かつての大日本帝国は韓半島を併合して後、膨大な財貨を一方的に半島に注ぎ込み続け、さまざまな社会的インフラを飛躍的に近代化してくれたことは事実であり、そのことに謝意を表している結果だと言う。

併合以前の大韓帝国は、国家とみなせるかどうかすら危ぶまれるほどの極貧国の一つであって、一方、半島から見る大日本帝国は、後に五大列強の末席を汚すまでに急成長を遂げた先進国であった。

当時は、アフリカや新大陸は無論のこと、アジアにおいても、そのほとんどが欧州白人列強に侵食されつつあった時代だ。

非白人の暮らす領域が、事実上、全て白人の支配下に置かれようとする流れが全世界を覆う中、当時の日本人は当然その流れに激しく抗った。

それも、ただ単に嫌だ嫌だと駄々をこねて見せるのでは無く、侵食してくる白人勢力に伍して行くための方策について、夜も日も明けず考え抜き、かつ痛烈なまでに実行したことが、その後のアジア諸国との間に決定的な違いを生むことに繋がった。

決死の覚悟で明治維新を断行し、欧米流の近代国家システムの導入を急ぎ、富国強兵を目指して息せき切って走っていたのだ。

韓半島はその大日本帝国の手によって初めて面目を一新することを得たのであり、長らく半島に注ぎ込まれた膨大なリソースは、結局のところ内地の日本人が拠出してくれた文字通りの血税であり、それらのインフラは、その後の朝鮮戦争などで、その多くを自ら破壊してしまったにせよ、大日本帝国から非常な恩沢を蒙ったことに変わりは無く、そのことに報いる意味の賠償だと言う。

尤も、その賠償金一つとっても、原資は秋津州からの支援によるほかは無く、結局は秋津州次第と言うことになってしまうため、主として接触がなされて来た舞台も秋津州の海都であり、その進行を支配的にコントロールして来たのも新田源一に他ならない。

だが、日本側にことを急ぐ素振りは一向に見えず、常に積極的であり続けたのは朝鮮共和国側であり、朝鮮共和国が発する数々のシグナルは、新田の手の内で最早発酵寸前にまで至っており、少なくとも事務方レベルにおいては、その内容についてもとうに固まっている筈だと囁かれながら、既に半年近くが経ってしまったが、その国がいまだ自立を果たしたとは言えない以上、全ては日本側の政治判断に委ねるほかは無いのである。


一方の半島南部で燻り続ける火種にしても、いまだ消え去る見通しが立ったとは言い難い。

現に、電力や水道水の供給などは途絶えたままで復旧の気配も無い。

本来の正規軍でさえ既に正統なものとは言い難く、軍用車両の燃料の確保にさえ事欠く有様では、軍艦や航空機などとても機能する筈が無いのである。

途方も無く軍規が紊乱し、備蓄してあった軍需物資なども、初期のうちにほとんどが流出してしまった。

流失した武器弾薬などは、その多くが各地の軍閥政権の手に渡り、皮肉なことに割拠体制の伸張をさらに後押ししてしまう。

もっとも、軍の下級兵士たちなどには、正規の給与どころか食糧さえ満足に支給されなくなって来ている今、軍としての体裁を整えるなど為し得る筈も無く、言って見れば、彼等自身が既に浮浪の徒と変わるところは無い。

これ等の集団もまた、さまざまな人間を吸収しながら軍閥を形成して行き、複数の匪賊集団がそれぞれに韓国の中央政権を名乗り、互いに利害が衝突して争いあい、ときとして大規模な軍事衝突まで引き起こしていると言う。

死者がいちどきに数十人も出てしまう衝突など、最早戦争そのものと言うべきであり、韓国は既に内戦状態にあると言って良い。

徴税と称して際限の無い劫掠が続き、そこここで非戦闘員に対する流血の惨事が起こり、女性たちが辱めを受ける事例も頻発して、全土が文字通りの無法地帯に変わってしまっており、かなりの頻度で火災が発生したが、対応すべき消防機関や警察など影も形も無いのである。

なけなしの生活物資を奪われ、ときには生命すら脅かされる住民にとって、最早逃亡するほかに為すすべは無かったろう。

その多くが夜の闇に紛れ、集団で逃避行を決行することになったが、旧国軍の一部がそれに同行した例も少なく無かったと言う。

三十八度線以南には安住の地は見当たらず、目指すところは最初から決まりきっている上、目指す地では、多くの親族や知己の者が手厚く保護を受けていることも、とうに知れているのである。

かくして、半島南部の人口はますますその数を減じることとなり、今では確たる数など誰にも判りはしない。

無責任な未確認情報ばかりが数多く流れ、数え切れないほどの流血騒動により死亡者は五百万を超え、流出した難民も四千万に達し、今やその人口は三百万を切ってしまったと言う。

挙句には、あの青瓦台さえ灰燼に帰してしまったと言う報道まで散見されるほどで、その領域からは既に九割以上の民が消失し、各「大名」が互いに覇を競いあって衝突を繰り返し、さながら戦国時代が到来したかのようだ。

世界各地に派遣されていたその「国」の外交使節団にしても、本国政府そのものの在りかを見失ってしまった挙句、本来外国であるべき朝鮮共和国政府から『指示』を仰ぎながら、次々と平壌に引き取られて行ったと言う話まである。

その領域内に存在した諸外国公館も、竹島騒動の直後から早々と駐在員を引き揚げ始め、最後まで悲壮な踏ん張りを見せていた米国公館でさえ、今ではすっかり空き家となってしまった。

混乱のさなかに行われる撤収作業には、さまざまな危険が伴うものだが、中でも済州島駐在の公館職員の引き上げの際には、米国人職員の間からでさえ少なからず負傷者を出してしまったほどだ。

この済州島とは、無論朝鮮半島最南端の沖合いに浮かぶ離島のことで、周辺一帯に多数の小島嶼を従え、リゾート地として広く知られたところだが、実はこの島を拠点に、ある一派が勢力六十万を号して独立の気勢を上げていたのである。

自らの国号を「耽羅(たんら)」と称している彼等は、総面積二千平方キロにも満たないこの領域を以て、大胆にも独立を宣言したことになる。

彼等が発信したメッセージによれば、「耽羅国は、事後観光を以て立国の基盤とする」としていたが、独立を望むこととそれを実現することとでは、歴然として異なるのは言うまでも無い。

現に、島内の観光施設の多くは略奪と放火によって今や見る影も無く、国際空港を名乗っていたところも滑走路が爆破されてしまい、物理的に使用が出来ない状況にあり、メッセージを受け取った各国政府にしても、苦笑しつつもただただ静観するほかは無かったであろう。

もっともこの島が、かつて耽羅国と称して独立の気勢を示してしていた時期があったことも事実で、古くは高麗が蒙古系シナ(元)の軍門に降った際、高麗に背いて激しく抵抗した「三別抄」が立てこもったところでもある。

ときの高麗はその討伐に手を焼くあまり、宗主国(元)に日本への遠征を説いたと言われ、その結果実現したのが世に言う「元寇」だ。

朝鮮自身の史書である「高麗史」にも、この元寇の発端について、忠烈王(高麗王)が「元の皇帝に対し、東征して日本を属国とするよう執拗に勧めた。」と言うくだりがあるが、強大な宗主国の力を借りて、日本遠征のついでにこの三別抄をも大いに叩いておこうと企図したものであったろう。

なお、この済州島に関しては、悲惨な歴史が少なくない。

以前にも触れたが、近代においても、千九百四十八年四月三日に始まったとされる、済州島四・三事件と言う高名な歴史的事実があるが、千九百四十八年と言えば、敗戦日本が紛れも無く米軍の占領統治下にあり、当然ながら関与はしていない。

この事件については、いまだに全てが明らかにされているとは言い難いが、掻い摘んで言えば、島民が容共親北のレッテルを貼られ、韓国当局から凄まじい弾圧を受けた事件なのだ。

初期の段階だけで死亡者が三万人を超え、さらに朝鮮戦争を挟んで繰り返し弾圧が行われた結果、事件の勃発前には二十八万人ほどもあった島民人口が、十年後には僅か三万人も残らなかったとされ、少なくとも、島民の内、実に二十五万人以上がその地から消滅してしまったことになる。

このときだけでも二十万人もの多くが密かに日本に逃げ込んだ筈で、日本側から見れば、れっきとした密航者、密入国者なのだ。

さらには、朝鮮に古くから存在した身分制においても、島民は長らく虐げられて来たと言う歴史的経緯を背負っており、もともとから酷い地域差別が存在したことも確かで、一説によれば、今次当地において武装蜂起した勢力は、これ等のことを背景として蹶起した思想団体なのではないかとも言われたが、一向に定かにはならなかった。

結局「耽羅国政府」を称する勢力は、当初二百人ほどの武装兵力を持ち、その威力を以て島民を圧伏し劫掠を繰り返すことになる。

「政府」を維持するためには、当然「徴税」に名を借りた劫掠をせざるを得ず、やがてこれもまた当然のようにして「徴兵」が始まった。

挙句に海を越え内地の軍閥との間で争闘を繰り広げた結果、五十五万人ほどもあった島民人口が、全く嘘のように消滅してしまったのである。

その結果、現在の人口は五千人とも一万人とも言われるありさまで、結局大部分の民が逃げ散ってしまったことになり、ここでも、命からがら逃げ延びた人々の行き先は朝鮮共和国であったに違いない。

何せ、彼らが最初に目指したと見られる日本への航路が、今度ばかりは物理的に閉ざされてしまっていたからだ。

その後、暦だけは幾たびもめくられたが、大韓民国の動乱の火勢は一向に衰える気配を見せないまま、日秋両国が冷然たる沈黙を続けたことも大きく影を落とし、さすがのワシントンもいよいよ見切りを付けたと見えて、遂に駐韓米軍が薄汚れた国連旗を降ろす日がやってきた。

第七艦隊を周辺の海に展開し、その強大な軍事力を背景にした撤収作戦が行われた結果、最早その地には荒れ果てた荒野と血なまぐさい暴力のほかに、残るものは何も無いと報じられるまでになっていたのである。

国際人権救援機構などが、相変わらず声高に事態の収拾を叫んではいたものの、現地入りして具体的な活動に入ったと言う報告などは更に無い。

もっとも、「その国がこのような無残な運命を辿ることになったのも、その遠因は全て自ら招いたことであり、その責任を他国に求めることは到底許されない。」とする論調が世界に溢れたのも事実だ。

国連安保理なども全く沈黙したままに事態が推移し、ワシントンはフランスの一流紙などに、「最早、米国の国連は滅んだ。」などと散々に揶揄される始末だ。

尤も、影の安保理と呼ばれる五カ国会議のテーブルには、実質的な対策案がのぼせられており、その最大の主題は、如何にして秋津州を現体制の中に組み込んで行くべきかにあった。

それを達成したあとの新体制のもとで、改めて半島問題を処理しようと言うのだろうが、日本以外の四カ国から見る秋津州は、うかつに手を触れたりすれば、大やけどを負ってしまうと思わせるほどの、無類の軍事大国なのである。

その軍事国家が国王による全き独裁を許容している上に、強固な自己完結機能を具えていることが、どうにも始末に困ることなのだ。

仮に先進国の全てが打ち揃って経済封鎖作戦を行ったとしても、その唯我独尊振りは微動だにしないだろう。

それどころか、若き国王の外交姿勢が多くの途上国に隠然たる影響力を齎しており、それは、最早誰しもが軽視出来ないほどのものになりつつある。

まして、例の地球規模の大気浄化作業が素晴らしい成果を上げ続け、挙句にチェルノブイリの劇的な一大イベントまで全世界が目にしてしまった。

何れをとっても、これ以上無いほどのパフォーマンスなのである。

こと大衆レベルに限って言えば、今や世界中があの魔王の圧倒的なファンで溢れてしまっており、そこへ持ってきて、世界中のメディアが無責任にお太鼓記事を書き続けるのだ。

動乱の国々に開いたアキツシマ学校を夫婦揃って巡り歩き、その地から見るからに哀れを誘うみなしごを引き取り、のどやかな田園風景に囲まれながら暮らす姿などは、彼等にとって極上のソースには違いない。

ときにあたって、五カ国会議の主題における最も重要な鍵が、日本だけが握っているものであることが、他の四カ国にとってはあまりに重い足枷となってしまっていたのである。


さて、駐韓米軍の完全撤収と言う事態が半島南部に齎した影響は、思った以上に大きいものがあったようだ。

僅かに残されていた貴重な秩序の断片までが、完膚なきまでに破壊されてしまったのである。

一つには、米軍が各地の基地に遺棄して行った設備や備品の中には、まだまだ使えるものが多いと見られていたため、虎視眈々と狙う者が一人や二人ではなかったのだ。

それらの物資をめぐって激しい争奪戦が行われ、一部の基地には現地採用の人々が残っていたこともあり、その争いも一段と深刻だった筈だ。

また、旧韓国軍の軍艦や航空機に搭載されていた小火器などは、とうに取り外されて陸上用に転用された結果、さらなる流血を強いる結果を招いていた。

思えば、大型の軍艦に関する争奪戦の際には、当時進水を間近に控えていた筈の新造のものが悉く破壊されてしまい、今では全く存在しないのだ。

イージスシステムを搭載した艦や大型の揚陸艦などの爆発炎上に関しては、一部に日本の工作員の関与説まで取り沙汰されたが、無論何の証拠もありはしない。

もっとも、そのイージスシステムの本格運用に際しては、米軍のデータとの緊密な連携が必須であり、当時(竹島騒動後)の日本にとっては、直接脅威とはなり得ない情勢ではあった。

仮に韓国と日本が軍事衝突に立ち至ったとしても、当時のワシントンが、韓国軍に肩入れするなぞあり得なかったからだ。


また、その後の朝鮮共和国は、まるで巨大な吸い取り紙が水を吸い込むようにして、益々多くの同胞難民を引き寄せるようになり、秋津州軍が天空から搬入する高層集合住宅も順次増設を重ね、多数のSDによる生活用水の搬入も延々と続けられていた。

加えて歳入のほとんどが、秋津州からの支援によって占められていると言う厳しい現実がある。

議会では今後の徴税手法の根幹に触れる論議が、数多くなされるようになって来ており、ようやく長期的な展望に立った国家の再建策が講じられ、その肝心な部分に光が当たることになるのだろう。

失業対策を兼ねた再軍備が急速に進み、その兵力も大量の予備役を備え、今では二百万を号するまでになった。

兵装も一新され、呆れたことに全て米国流のものに統一されていると言い、無論そこには多数の米国人顧問団が付属している。

この件に関しても、秋津州の土竜庵において再三にわたる協議が持たれた事も事実で、その席には朝鮮共和国の駐秋担当者は勿論、タイラー補佐官などもその都度顔を出していた筈だ。

無論、その協議の進行を終始リードしたのは、新田源一氏であったろうことも想像に難く無い。

マーケットからは、「ワシントンは、単にビジネス行為の一環として韓国から朝鮮共和国に乗り換えたに過ぎない。」との辛辣な批判の声が上がったが、それも当たらずと言えども遠からずであったろう。

結局その国では、軍事予算一つとっても不似合いなほど膨大なものが執行され、それが勢い良く川下に流れ下ることによって、米国系企業のみならずその国の産業をも大きく潤すことになった。

滞在する各国メディアの報ずるところによれば、既に中小の産業が爆発的な勢いで立ち上がりつつあり、今や一部の外資企業でさえ、その経営を軌道に乗せつつあるほどだと言う。

その論調では、この国の経済は百パーセント秋津州に頼っていたものが、いよいよ自力で外貨を獲得し得るところまで来ていると言い、秋津州によって齎される巨大な外貨支援と、有り余るほどの電力が全てを後押ししていると評していた。

全ての発電施設の動力が、永久原動機に拠っていることも既に触れた通りだが、その供給コストが格段に安価であったことも極めて重要な要素だ。

流入する難民にしても、過半が現地で職を得て自立し始めていると言い、そのことがかってないほど活発な個人消費を促し、設備投資も相変わらず過熱気味に推移している。

さらには個人用住宅の建設ラッシュでもあると言い、過大なマネーサプライと共に急激なインフレーションを齎しつつあり、余りに急激な経済成長振りに、その将来を危ぶむ声もしきりではあったが、半島における南北の経済格差と言う視点に限れば、今や、比べるのも愚かなほどに拡大してしまったことは確かだろう。

南朝鮮の軍閥の一部は、近頃では自然に解体して北に流入するものが増えていると報じられ、この分では、三十八度線以南の地は、全くの無人地帯となってしまうとする極端な論調まで見られるまでになった。

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  1. 2007/05/15(火) 15:21:19|
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