日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 094

 ◆ 目次ページに戻る

やがて十一月の初頭に至ると、丹波の各領土において、それぞれに駐屯中の秋津州軍との間で、一斉に国土の委譲式典が執り行われ、同時に全ての国境線が、新たに舞い降りた膨大なヒューマノイドの手によって固められた。

国土委譲に際して、秋津州軍は全ての国境線を精密な測量図を以て厳格に規定しており、なおかつ、そのデータを事前に公表することを以て魔王の意思を明示し、以後の国境紛争を未然に防ごうと計ったのである。

現実に秋津州軍が固めている以上、その国境線に異議を唱えることは、公然魔王に抗うことに通ずる。

又、それぞれの領域には、主として農耕や林業に従事させていた原住民形式の秋津州人たちがいるが、秋津州側がそれを全て引き揚げる意向を示したところ、当分はそのままで農耕作業を担って欲しい旨の依頼が殺到することになった。

いずれの国も、いきなり引き揚げられては、農地や山林の管理が出来なくなってしまうと言う。

そのため、各領域に相当な戦力を残すことを強いられたが、その場合の原住民の全ては、秋津州とその現地国家の両方の国籍を持つこととし、引き揚げの時期に関しても一方的に秋津州側の都合によることを条件と定めた上、その旨を謳う一札を入れさせた。

すなわち、その現地国家が「恣意的」に国外退去処分に出ることを封じたのである。

また、各国それぞれが、自国の新領土獲得とその内容について堂々国民に公表したが、例の新天地報道作戦が大いに功を奏し、丹波と言う天体が人類の生存に適していると言う認識が既に一般化してしまっていたこともあり、既存の領土に加えて新たに獲得した領土とする公式発表は、ほとんどの場合歓呼の声を以て迎えられた。

やがて、各国の冒険心に富んだ国民の多くが、新領土に渡って新たな何物かを始めたいとする動きが目に見えて活発化するに至り、自国の政府機関にその旨を申請に及ぶ者が現実に現れたのである。

だが、くどいようだが、各国の新領土は、農地のほかは全て原始的な風景に彩られたままなのだ。

多くの場合、秋津州側から付与されたデータをそのまま鵜呑みにする気にもなれず、現地における基礎的な調査活動から始めなければならない状況にある。

ところが、日本の新領土の敷島に限っては、既に国土建設に関わる明確な青写真が確定してしまっている上、そのことのために先陣を切って働くべき日本人が、委譲式典と時を同じくして先ず十万人ほども丹波入りを果たし、直ぐ隣の秋桜を基地とすることによって、既に他国に先んずる勢いを示していたのである。

プロジェクトAティームも新田グループも皆活き活きとして立ち働き、委譲式典が行われる前に早くも青写真の不備を猛然と埋め尽くしていた上、日本の建設関連業界などは銀座の吉川桜子の後押しを得て、要員と共にさまざまな機材を惜しげもなく投入したため、前線基地としての秋桜には数十万人単位の「村落」が多数生まれることになった。

村落とは言うが、秋桜の各地でとうに完成していた大規模な高層集合住宅の一部なのだ。

その高層集合住宅群は、無論近代的な装備を具え、大和商事の経営になる大型店舗が稼動して、日常の生活物資の現地調達をも可能にしている。

今のところ、現地で流通している通貨は秋津州円だけだと言うが、それぞれに相当の秋津州円が現地に持ち込まれており、殆どの場合問題は起きてはいないのだ。

加えて、その高層集合住宅群は大規模な病院設備まで併せ持っており、そこには充分な医療設備と医療スタッフが揃い、当分は役に立たないとは言いながら、日本式の小中学校設備まで見えており、現地入りしたスタッフにとって、既に秋桜は、ほとんど違和感の無い生活環境を与えてくれるものだったのである。

だが、その秋桜とは事違い、新たな日本領と定められた敷島には、農地のほかには、ただただ際限も無い大自然が広がるばかりで、改めて地籍調査や地質調査を行う必要が無いことだけは救いだが、とにかく直ぐには何一つ始まらない。

大量の工事関係者を送り込む以上、本来なら、現地での生活用水の確保から始めなければならず、最低限の道路網と港湾設備を整えてからでなければ、資材の搬入すら儘ならず本格的な大工事には踏み込めないのである。

それほどまでの事態が眼前にあることを改めて財界が認識するのを待って、官邸が鋭く動いた。

その結果、新田からの進言に繋がり、即座に一個軍団が敷島に投入され、さまざまな巨大工事が文字通り猛然と開始された。

天空の基地からは勿論、秋桜と玉垣島からも巨大ポットが膨大な資源を敷島に運び入れ始め、PME方式の発電所や上下水道網は勿論、高速道路を含めた膨大な道路網、そして主要な鉄道網と多数の港湾設備の建設が、秋津州軍の手によって砂塵を舞いて開始されたのだ。

ここで言う一個軍団は、任那の郷に投入された一個兵団には及びもつかないにせよ、それでも五百五十兆に垂(なんな)んとする途方も無い兵力であることは確かで、しかも、一人一人が非常な怪力と飛行能力を兼ね具え、食事も摂らず不眠不休で働き、驚くほどの作業効率を発揮するものばかりであり、結果として、任那などの直轄領を除けば、敷島のインフラ整備ばかりが猛烈な勢いで進捗することになる。

天文学的な数量で鉄の需要が発生することも想定されており、事前に準備されていた膨大な在庫が余裕を持って対応しつつ、その他の荘園は勿論、八雲島やファクトリーの高炉までがフル稼働に入り、秋桜において竣工していた日本企業の高炉にまで火が入った。

殊に惑星「佐渡」からは膨大な鉄鉱石や石炭が補充され続け、さまざまな需要に応えるための工業が秋桜において先行して興ったが、新日鐵とJFEなどの一部を除けば、当初は全てヒューマノイドの手によって運営されており、言わば公営企業の扱いなのである。

既に大規模な石油精製プラントは勿論、セメント工場なども数多く立ち上がって来ており、原油や天然石膏はもとより、石灰石、粘土、ケイ石などと言った主原料も膨大なものが搬入され、順調な操業を続けていた。

挙句に、建設が最も先行していた八雲の郷のドックでは、数百隻ものPME型船舶が進水を終えていると報じられるに至っており、その大きさにしても種類にしてもさまざまなものがあることも明らかとなった。

映像付きで取り上げられているものだけでも、オーシャン・ライナー、フェリー、鉄道車両渡船、カーゴシップ、コンテナ船、ローロー船、艀(はしけ)、漁船、冷凍船と実にさまざまであり、大型のタンカーやバルクキャリアなどに至っては、既に荷積みを終えて碇泊中のものまであると言うのだ。

尤も、例え何千何万の船舶を進水させようとも、その惑星には、王の直轄領以外に大型船の船泊まりを許すような設備を持った港湾など全く存在せず、当分は宝の持ち腐れにならざるを得ない筈なのだが、それにもかかわらず四十を超える超大型ドックが営々として稼動中だとされ、その質量共に卓越した造船能力は、ピザ島のドックの例を見ても一目瞭然であったろう。

無論、そのドックの背後には壮大な工場群が控え、近代的な生産ラインが幅広く稼動しており、さまざまな工業製品に関しても、それぞれ膨大な生産規模を持つことも広く報じられ始めている。

この八雲の郷(八雲島)は、もとより王宮の所在地でもある。

早くからインフラ整備に取り掛かっていたことから、既に全てにおいて太平洋上の秋津州の域をとうに超えてしまっており、その首邑たる一の荘などでは王宮と看做される壮大な建造物が姿を現し、近代的な高層ビルが林立し、高層マンションやホテル群などは言うに及ばず、新たな秋津州ビルに至っては、従前のものの数倍にも及ぶ規模を誇っており、既に一部の国々ではその代表部すら開設しつつあるほどだ。

金融関連などはとうに実稼動に入っているばかりか、既に一の荘の加茂川銀行には多数の口座が開設され、殊に当座預金口座などには膨大な額面の預け入れが始まっており、それらは全て秋桜支店と連動する勢いまで示していると言う。

何しろ、人類の大移動計画が実施されるまでに残すところあと二年ほどでしか無いのだ。

そうであるにもかかわらず、丹波における「諸外国」では、自国の国土建設プランの策定に手間取るケースが数多く見られたが、必ずしも全てがそうであったわけではない。

中でも、台湾共和国が最も早くその策定を終えていたようで、早速に土竜庵に持ち込んで来た。

経緯(いきさつ)から言っても、かなり前の時点で新領土としてのターゲットを絞り込んでいたこともあり、国土委譲の手続きが済むや否や女神(じょしん)アリアドネの関門を潜り、国土開発に関する協力依頼の「請願書」を奉ったのである。

その内容にしても、秋津州連邦の中核にその座を占めていることを以て、ぬけぬけと国土建設の大部分に関して全くの無償支援を願って来ており、その姿勢はどう見てもおんぶに抱っことしか思えない。

詰まり、何から何まで全部只で頼むと言っているに近い。

尤も、この場合の新台湾島の面積が地球上のものと同程度(三.六万平方キロ)のものであることから、その工事も秋津州の国力にとっては、さしたる重荷になるとも思えないが、かと言って秋津州のリソースにも限度と言うものが無いわけではない。

全世界の要望を全て満たしてやることなど到底不可能であり、ここで、台湾の願いを無原則に引き受けてしまえば、典型的な悪しき前例となってしまうことは明らかで、同様の願いが多くの国々から出て来た場合、その対応にも窮することになってしまう。

身勝手な不平不満が、数限りなく噴出して来ることは目に見えており、公式には外事部を通しはしたが、土竜庵は原則論を以て毅然たる反応を返した。

日本にしても、一定以上のコストを負担することは言うまでも無いが、民需用の工事に関しても相当部分を自力で賄うことを決しており、それを原則基準として回答したのだ。

先ず、最低限の発電設備を始め、主要な港湾とそこから内陸へ通じる主要道路の建設を優先して無償支援を行い、その他の工事は原則有償とした上、その後の様子を見てからのことになる旨を以て基準としたのである。

次いで、アフリカ連合(AU:African Union)からも、キャサリンを通じてアフリカ全土に関する大まかな建設プランが出て来たが、この場合は始めから自力優先を謳うものであった。

この新アフリカ大陸の場合も、大陸トータルの領有についてだけは、かなり早くから見通しが立っていたこともあり、そのトータルの青写真に関しても同様だったのであろう。

結果として、新アフリカ大陸にも即座に一個兵団が派遣され、提出されたプランに則り発電設備と港湾及び道路の建設工事がその緒に就き、続々と資材が搬入され始めた。

尤もこの場合の一個兵団は、二千万平方キロの新アフリカ大陸に対して投入された戦力であり、とうに任那に投入されていた一個兵団とは同じ一個兵団であってもその条件が違う。

任那の面積は百万平方キロほどであり、新アフリカ大陸から見れば、ほんの二十分の一でしかないのだ。

不釣り合いなほど膨大な戦力を投入された任那においては、一般の領域では未だその委譲の式典が行われたばかりであるにもかかわらず、既に想像を絶するようなことが起きていたことになる。

今まさに十を超える近代的巨大都市が、その地下設備のもろもろからして全て本格的に造られ始めているのだ。

地下鉄を始めとする殆どの地下隋道が既に基礎工事を完了してしまい、港湾や道路網は勿論、複数の空港の建設までその全てが同時進行しており、その壮大な状況を天空から眺めれば、任那一帯は濛々たる砂塵によって覆い尽くされ、地表の様子など窺うことすら出来なかったろう。

数多くの運河が掘削され、膨大な数の橋が掛けられて各地を結び始めており、一個兵団の威力が遺憾なく発揮され続けることによって、国王の脳裏における任那は、その近代設備の面では、官民ともに概ね六ヶ月もあれば完成してしまうほどのものだったのである。


しかし、その報せは突然に齎された。

のちのちまで語り継がれる、その「こと」が起こってしまうのは二千八年の十一月二十二日のことで、王妃にとっては本来祝福されるべき二十四歳の誕生日になる筈であった。

夫たる国王は凄まじい繁忙の中にあってなお、王宮(実際にはありふれた平屋造りの日本家屋なのだが)におけるささやかな祝いの膳に着くつもりでおり、丹波から帰還する際、直前に東京に立ち寄り、みどりと有紀子を伴って帰る手筈だ。

この意味では、みどりと有紀子は既に家族の扱いなのである。

十畳間(じゅうじょうま)の祝いの席には王妃の両親が早々と顔を揃え、兄の久我正嘉氏もいつも通り弟子を伴って参着しており、あとはみどりたちを連れた国王の臨席を待つばかりであったと言う。

その部屋の中ほどには、未だ火の気は無いにしても掘り炬燵様式のテーブルがあり、かなり大振りのそのテーブルを囲んで、内祝いの準備が和やかに進められていた。

王妃は母の手を借りながら手料理の数々を膳に運び、未だ八ヶ月の真人は祖父の膝に抱かれてご機嫌だったと言い、さぞかし和気藹々たる空気がその場を支配していたことであったろう。

無論床柱を背にして国王夫妻が並ぶ筈であり、その席から見て左側に両親、右側には刀匠とその弟子と言う席次だ。

この分では、国王夫妻から見て正面がみどりと有紀子の席になるのだろうが、その背後の障子を開ければ幅一間(いっけん)の渡り廊下である。

廊下の外側の雨戸は、未だ閉じられる時刻ではなかったろう。

何せ、その部屋には、障子越しに未だ充分明るい陽射しを残している上、中庭を仕切っている竹垣の外には国旗掲揚台が具わり、八咫烏の旗が高々と翻っていた筈なのだ。

その国旗にしても、あと二時間もすれば一隊の儀仗兵が登場して、いつも通り厳かに降納の儀式が採り行われる筈なのだが、それまでは唯の一兵の姿も見ることは無い。

部屋の中に目を転ずれば、床の間の太刀架けには、例の「蝿叩き」が柄頭(つかがしら)を下にして無骨な姿を見せており、真鍮(しんちゅう)製の佩環(はいかん)ばかりが鈍い光を放っていただろう。

その長大な日本刀は無論王妃の実兄たる正嘉氏の作であり、王にとってもかなりのお気に入りと言われており、無骨一点張りの拵え一つとっても王自身の好みによる誂えだった筈だ。

この、王の愛刀もまた、あるじの帰りを待ちわびていたのかも知れない。

しかし惨劇は、皮肉にもこの蝿叩きを用いて起こってしまうのである。

王宮には、つい今しがた内務省からの電話が入り、先ほど丹波から帰還した国王が、銀座の秋津州ビルからみどりたちを伴って、これより神宮前に向かう旨を知らせて来たばかりだ。

何せ、この時点での王宮近辺には、半径八百メートルにわたって秋津州の特殊な通信を担う機能は存在せず、外部との連絡にしても一般の電話に頼るほかに方法が無い。

言い換えれば、この半径八百メートル圏内には秋津州軍は不在であり、その内側は全くの無防備状態だ。

尤も、その外側一帯には微細なG四が無数に活動し、近付く者は本人も気付かないうちに徹底した検査が行われ、例えそれが超小型のものであったとしても、銃器や爆発物を携えての侵入など絶対に許さないほどの、鉄壁の警護態勢が採られていると言って良い。

こう言う環境の中にあって、王妃は夫の帰館が近いことを知らされたことになる。

現在の夫は銀座の秋津州ビルにあって、有紀子の支度が整うのを待っており、それが整い次第神宮前に移動し、出国にあたりそこで正規の手続きを経るつもりなのだ。

当然、その報せは席に連なる全員が知っただろう。

のちになって明らかとなるその経緯は、概ね次のようなものだったと言う。

当時、王妃とその母は主(あるじ)の帰宅に備え、十畳間(じゅうじょうま)とは二部屋ほど隔たった台所部屋で、母娘(おやこ)の会話を楽しみながら酒の支度にかかっていたらしい。

祝いの席が設けられた十畳間には、真人を膝に抱いた祖父と、その向い側の席に刀匠とその弟子との、都合四人の人間がいた筈だ。

やっと首が据わったばかりの真人は、祖父の膝でテーブルの方を向いて何か喋っているつもりらしく、反対側の伯父が何かしら反応を返してやっているさなかであり、いかにも和気藹々たる風情なのである。

ところが、このときまで師匠の下座で殆ど口を開かずにいた弟子が、珍しくも、ある意味高名な作品でもある蝿叩きを拝観したいと申し出たと言う。

てっきりその作品に憧れてのことだろうと思い、師匠も軽い調子でそれを許し、弟子は立って床の間に歩を運び、太刀架けから恭しくそれを取り上げた。

若い弟子は、畳の上に片膝立ちだ。

周りにして見れば、彼が蝿叩きを手に自席に戻るものと思っていたろうが、案に相違してその場で抜刀したばかりか、こともあろうに、やにわに目と鼻の先の赤子の胸を突き刺したのである。

祖父は本能的に赤子をかばいながら左に身をひねったがかなわず、鋭い切っ先は、祖父の右腕を傷付けながら小さな体を易々と突き抜け、祖父の腹部をも刺し貫いた。

無力な赤子は一声もあげ得ずに息絶え、祖父は苦悶しながらも、必死に右手を伸ばして刺客の腕を掴もうともがきながら力尽きた。

この祖父の場合、殆どショック死したと言って良い。

テーブルの上の皿小鉢が吹き飛び、けたたましい音を立てた筈だ。

反対側の席から茫然と見ていた刀匠が慌てて立ち上がろうとしたとき、異様な物音を聞きつけた王妃が次の間(祖父の背後)に顔を出した。

直ぐ後ろにはその母親の顔もあったが、いずれも咄嗟には事態が飲み込めない。

王妃の位置からは、今にも突っ伏して行きそうな父の背中が見えており、その又向こうでは顔色を変えた兄が立ち上がっていた。

刺客は、両手に掴んだ長刀を引き抜きざま顔を上げて王妃を見たと言う。

凶器を引き抜いたことにより殺人者は僅かながら返り血を浴びており、その手には血塗られた長刀がある。

王妃は、その血走った目と視線が合った瞬間に事態を察し、咄嗟に無言のまま組み付こうとしたらしい。

無論、我が子を救いたい一心だったろう。

日本人女性としては抜きん出て大柄の王妃は、無論殺人者よりも長身だったことは確かだが、いかんせん殺人者は長大な凶器を手にしていた。

その瞬間に凶器が突き出され彼女の胸を深々と刺し貫き、挙句に背後から組み付いて来た師匠を、若い体力が力任せに振り飛ばしていたのである。

刺客の足元には既に骸(むくろ)と化した王妃が転がっており、畳一枚隔ててその母が凍りついたように立ち竦んでいる。

驚愕のあまり、声も出ない。

刺客はゆっくりとした動作で踏み込み母の胸を刺し、別に慌てる風も無く悠然と振り返った。

そこには、尻餅をつき、いっぺんに二十も老いてしまったような師匠の顔があっただろう。

恐怖に目を見開き、血の気を失くした顔を引きつらせながら立ち上がろうとしてもがくのだが、腰が抜けてしまっているようで一向に立ち上がれそうに無いのである。

狂気の殺人者は薄笑いさえ浮かべながら、腰を落としざま師匠の頭めがけて振り下ろしたが、一度頭部に当たった長刀は刃筋が立っておらず、とても深くは切り込めそうにない。

そのため、凶器は左側頭部の肉を削ぎながら落下し、左肩の鎖骨に衝突して跳ね返った。

鈍い音が聞こえたところを見ると、脆くも鎖骨が折れてしまったものらしく、挙句に頭部付近からは既に大量の出血が始まってしまっている。

頭部と肩に強烈な打撃を受けた刀匠は、哀れにも自らの血の海の中に顔を埋(うず)めるようにして昏倒してしまったが、みどりと有紀子を伴った国王が帰館したのは、実にそのときのことであったらしい。

肝心の王宮の警護陣は、例によってドーナツ状の警護態勢をとっていたため、変事には全く気付くことは無い状況の中、庭前のポール際に着地した国王は、その直後に濃厚に血の匂いを嗅いだと言う。

豊富な実戦経験を持つ者として、瞬時に異変を察知したであろう。

即座に警護のものに「送信」しつつ、例の手法を以て瞬時に移動し、土足のまま廊下から踏み込んだ。

そこには、見るも無残な光景が広がっていた筈だ。

しかし、国王に驚いている暇は無かったであろう。

血刀を下げ、憎悪に目を血走らせた刺客が、なかなかの身ごなしで突きを入れて来たのだ。

だが、国王の並み外れた身体能力が瞬時に反応した。

右腰の山姥(やまんば)の柄(つか)には手も触れず、一瞬で相手の獲物をもぎ取って軽々と膝下に組み敷いていたのである。

そのまま膝に力を込めれば、相手の背骨を折ることは容易い。

個人としての若者が、一瞬その誘惑に駆られたことは確かだろう。

視界の中では、妻子はおろか、義父母や義兄までが血の海の中に沈んでいるのだ。

しかし、若者は思いとどまった。

若者が、一国の統治者だったからだ。

その身柄を飛び込んで来た甚三郎に任せ、必死に冷静さを装いながら、多数の医療用車両を瞬時にして庭先に運んだが、辛うじて一命を取り止めることを得たのは義兄一人だけだったのである。

若者は、凄惨な血溜まりの中で、妻子はもとより妻の両親まで失ってしまったことになる。

みどりなどは、あまりのことに茫然としてしまっており、立っているのもやっとと言うありさまで、その上幼い有紀子を伴っていることもあり、とりあえずその休息所も必要と言うことになり、大型のポッドを五台ほどまとめて配備することにした。

それ等は、優れたキャンピングカーの機能を持ち、かなりの大型水槽まで具えており、小人数でなら二三日は充分凌げるほどのもので、そのうちの一台がみどりたちの休息所に、その他の一台が公的な行在所(あんざいしょ)と定められた上、井上准将と三人の侍女が君側を固めた。

広々としたその庭には三十二騎の近衛軍が全て出揃い、国王と司令官の愛馬もその姿を見せており、その他目に映らぬ微細な警護陣に至っては無数と言って良い筈だ。

凶行現場には既に若衆宿の自警団が到着して、さまざまな証拠保全と捜査にあたっており、今後はその若衆宿が一切の審理を担うことになる。

無論、あとのことは官邸の京子に送信を以て命じてあり、充分な配慮を加えてくれることだろう。

但し、京子からの情報は、岡部は勿論、国井総理や新田にまで即座に伝わり、その全てを驚愕させてしまう筈だ。

何一つ公式発表の無いうちに、国王の妻子がその親族と共に暗殺されてしまったと言う情報だけが、まったく無遠慮に世界を駆け巡ってしまうに違いない。

統治者としての若者は、とりあえずこの地の若衆宿に被疑者の身柄を預け、捜査と審理を任せてみせるほかは無い。

何分にも、これだけの事件のことでもあり、世界世論の注目を浴びることは避けられず、ことは重大なのだ。

中でも、この秋津州が成文法を持たないことを以て、野蛮であると評する者が未だに跡を絶たないのである。

若者は常々、成文法を持たないからと言って、そのことが一般の国家より劣る理由とはならないことを、事実を以て示したいと思い続けて来た。

全て秋津州の慣習法に則り、公明正大な対応がなされることが、なおのこと望まれる所以なのだ。

その上、被疑者たる山内隆雄は日本国籍を持つ者とされており、秋津州の慣習法によれば、例え未決勾留期間であっても、その身柄はやがて国籍国である日本側の手に渡ることになる筈で、その勾留の場所は無論秋津州国内に限定され、なおかつその場所の範囲も若衆宿によって一定の制限が加えられることになるだろう。

しかも、その被疑者にとって明らかとされている罪状は、今のところ、凶器を以て国王に切りかかったと言う言わば殺人未遂罪だけであり、確たる証明が無い今、それ以外のことは不明と言うほかは無い。

確かに、国王が踏み込んだ時、血塗られた凶器を手にしていたのは山内隆雄と言う被疑者ではあったが、唯一生き残った正嘉氏が、とても口を利ける状態にはなかったからでもある。

詰まり、殆どのことが今後の捜査に俟たねばならないのだ。

天空にあるおふくろさまがとうに事態を把握して、東京の京子に改めて指示を出している筈で、既にドーナツ状の警備態勢も過去のものとなった今、王宮のそれも万全のものと見て良い。

母屋に隣接した別棟にも、さまざまな造作が加えられつつあり、二日もあれば御座の間ほかの用意も全て整う筈だが、それにしても、若者の蒙った衝撃は尋常一様のものでは無い。

一旦大型ポッドのソファに腰を落ち着けては見たものの、先ほどから蒼白な顔を上向けて茫然たる様子を見せており、自らが命じた警護態勢の不備に関して悔恨(かいこん)の念にかられるあまり、その心中では既に耐え難いほどの懊悩(おうのう)が始まってしまっていたのである。


真っ先に駆けつけた日本人は、田中盛重と秋元涼を帯同した相葉幸太郎と新田夫妻であったが、彼等の到着はあまりに早過ぎたかも知れない。

しかも彼等が特別に許されて目にした凶行現場は、その惨劇の跡も未だ生々しく、身重の菜穂子夫人(新田夫人)には刺激が強すぎたこともあったろう。

文字通り、卒倒してしまったのである。

何せ臨月がほど近い身でもあり、国王の心遣いもあって直ぐに帰され、危うく事なきを得たが、ポッドによるその帰途は秋元涼が付き添って万全を期さざるを得ない。

その惨劇は、誰にとってもそれほど無残なものだったのだ。

新田自身がとうに血相を変えてしまっており、庭先のポッドの中で改めて国王に対面したときには、口の中が粘りつき、満足な弔意など述べることも出来ない。

別のポッドで有紀子を寝かし付けて来たらしいみどりが、和服に割烹着姿でお傍にあり、甲斐甲斐しく湯茶の接待をしてくれていたが、目を合わせた瞬間、急に気が緩んだものと見え「なんで、なんでこんな・・・。」と言いながら、国王の膝に泣き伏してしまった。

若者は、大きな左手で優しくその背を撫ぜてやっているが、最も激しい衝撃を受けたのはほかならぬその若者自身であった筈だ。

傍目には、みどりの背を泰然と撫ぜているようにも見えただろうが、見直せば米神(こめかみ)のあたりが僅かに痙攣してしまっている。

その右手も腰の山姥の柄を握り締めながらやはり微かに震えており、気丈にもこちらの目をじっと見返して来てはいるが、真っ赤に染まったその目が全てを物語っていた。

若き統治者が、今、目の前で必死に耐えているのだ。

その若者は、若年とは言いながら新田にとってはまたと得難き友なのである。

隣では老練の相葉でさえ目を赤くしている上、その後ろに控える田中盛重などは既に声を上げて泣いてしまっており、もう、堪らなかったのだ。

情け無いことに、止めどなく涙が溢れて来てしまったのである。

思えば、この友の身の回りの世話をさせようと連れて来た妻がいきなり卒倒してしまい、已む無く帰す羽目になってしまった。

その上、秘書の涼もいないのだ。

代わって田中盛重が自ら雑用係りに任じ、こまごまとした御用を引き受ける旨を申し出たが、現実にはたいした用があるわけでは無い。

それでも田中は気持ちの問題だと言い張り、とうとうポッドの一つに強引に泊まり込むことになったが、その愛すべき一本気に付いては、かねて岡部大樹からも聞いていた通りだ。

あの岡部もこの男の稚気(ちき)を殊更愛していると見えて、出立にあたり特別の訓示を与え、折角行けることになったのだから、秋津州の地では是非とも二つのことを学んで来いと言ったらしい。

一つには「国家とは如何にあるべきか。」、そして二つには「漢(おとこ)とはどうあるべきか。」であり、かく言うこの日本では既に失われつつあるものだが、幸いにして秋津州にはそれが二つともにあると言ったと言うのである。

稚気溢れるこの若者は、この機に臨み国王の鬼気迫る振る舞いを見るに及んで、どうやら一際奮い立ってしまったに違いない。

一方の相葉にして見ても、無論、弔問と見舞いのつもりで駆けつけて来ているつもりなのだが、実際に現場に立って見るとその凄惨さは言葉を失ってしまうほどのものであった。

尋常ならざる事態を眼前にして、実際に言うべき言葉が見つからないのだ。

その点、国井も重大な関心を以て事態の推移を見詰めており、対策室の指揮官たる岡部に至っては、傍目にもそれと判るほどに血相を変えてしまっていると言う。

実質的な総理特使でもある相葉にして見れば、その政治的な立場から言ってもことは容易では無い。

被疑者が日本人である以上、その身柄に付いての処し方の問題もあり、当然その背後関係に関しても無関心ではいられないのである。

聞けば、被疑者を刀匠に紹介した者も日本人だと言うし、いざこうなって見ると、とんでもない背後関係が飛び出してくる可能性も無いでは無い。

何せ国王の妻子ばかりか、王妃の親族の悉くが奇禍に遭ってしまっており、ことがことだけに、日秋両国の繋がりにおいてその機微にも関わってくるほどのことなのである。

唯一生き残った王妃の兄は、一時は予断を許さないと思われたほどの重傷を負ってしまってはいたが、今では秋津州ビルの敷地内にある大規模病院において先進的な治療を受けつつあり、早ければ数日で話せるようになると囁かれてはいる。

無論、その証言はそれはそれで重大で無いことは無いが、状況から見て、あの犯行が、日本人山内隆雄の手によってなされたものであることだけは動かしようが無いだろう。

相葉の苦悩も、決して軽いものでは無かったのである。

尤も、一方の新田の心象はかなり違ったものであった。

一言で言えば、新田の場合は政治的な捉え方など成し難い精神状態に陥ってしまっており、その意味ではかえって想うところが少なくて済んだかもしれない。

何しろ、ひたすら若者の不運を思って胸を痛めてしまっており、殊に、常日頃頻繁に接触を重ねて来た王妃と真人の横死と言う現実には、自分自身が相当なショックを受けてしまっており、ただただその悲嘆が深まるばかりだったのである。

しかし、新田たちが現場に駆けつけたころには、ニュースは東京の首相官邸を発信源として世界中に伝播し始めていたが、秋津州の日は未だ暮れきってはいないのだ。


一方でタイラーが受けた第一報も、廻りまわってワシントンから齎されたものであり、職務上早速その事実確認を迫られ、下僚に命じて内務省に探りを入れさせながら、自ら女神さまに連絡を取ろうとしたが、どうやら同様の問い合わせが殺到しているらしく、通話中の信号音が鳴るばかりで一向に繋がらない。

ようやく繋がった電話も、ほんの僅かの通話だけで切れてしまうありさまだったが、それでも、この暗殺劇が現実のものであり、しかも王の妻子を含め四人もの犠牲者が出ていることだけは辛うじて確認が取れた。

少なくとも、王妃と幼い王子の両人が、共に命を落としたことには疑う余地は無さそうだ。

更に魔王の様子を尋ねようとしたが、唐突に通話が途絶え、途端に憤怒に燃える魔王の姿が圧倒的な迫力を以て胸を浸して来た。

それは、あの魔王が、髪の毛を逆立て地団駄を踏んで怒り狂っている姿であり、小心者は今更ながら胴震いが止まらない。

振り払っても振り払っても、怒髪天を衝く魔王が、今まさにその凄まじい怒りを解き放とうとしているイメージが襲って来てしまうのだ。

ことにあたって何よりも大切なことは、きたるべきガンマ線バーストに対抗する手段が、魔王の領土への避難以外に一つも見当たらないことなのだ。

今、その魔王を怒らせてしまった。

どう考えても激怒しているに違いない。

その怒りの矛先を想い、その結果の凄まじさを想ってしまえば、本国に残した一人息子の身の安全すら計り難いほどの心境なのである。

だが、タイラーにも任務と言うものがあり、そしてそれは我がステイツの国運を担うほどのものなのだ。

気を取り直し、そそくさと専用回線を以てワシントンに一報し、取るものも取りあえず王宮に向かうことにした。

それにしてもこの報せは、確実に世界を震撼させてしまっているだろう。

誰しもが魔王の心象を想い、そして人類の未来を想うのである。

自分にしても、秋津州の上空に異様な雰囲気を感じてしまっており、何かしら新たな舞台の幕開けを知らせるベルが耳の奥で鳴り響いたような気がして、又しても胴震いがして来た。

その演目が例えどのようなものであったにせよ、そのシナリオに人類の幸福な未来像が描かれていようとはとても思えない。

リムジンのハンドルを握ってくれているジムは、今も最も信頼する下僚であり続けてくれており、現在の特殊な情勢についても全てを知り得る立場にあるが、それだけに、なおさら容易ならざる状況に置かれていることを覚えるのだろう。

今もその横顔に格別の緊張感を漂わせており、想うのは祖国にある両親のことか、或いは又、近頃海都に呼び寄せた妻子のことであるに違いない。

自分にしても同様だ。

後部座席からフロントガラス越しに見る風景も、いよいよ夕闇が迫って来ているが、そのどれ一つをとっても、いつもの見慣れたものとはずいぶん違って見えてしまうのである。

通常の電話回線は異常な混雑振りを見せて殆ど繋がらず、自分の訪問に関しても、無論事前の許可など得ている筈も無く、このまますんなりと王宮に入れるとは思っても見ないが、この場合行くことこそが大切に思えて仕方が無い。

道々、相当の検問にかかるだろうと思っていたが、意外にもそうはならなかった。

しばらく片側三車線の堂々たるフリーウェイを拍子抜けするほど順調に走り、立体交差を一般道路に降りてほんの数分直進してから、特徴ある場所を左折した。

目指す王宮は、そこから一本道をまっすぐ二キロほど入ったところなのだが、いつも通りそこで停止を強いられてしまう。

左折したあたりは、両側の角地(かどち)が共に広々とした空き地となっており、外来の者にとっては、いざともなれば駐車場の代用となることで知られ、外交官や古手の報道陣の間では、しばしばパレス・パーキングなどと呼ばれている代物だ。

程よく整地された一郭には、たいていの場合漆黒の小型ポッドが数台待機しており、あとは小振りの建て屋がぽつりと立ち、昼夜ともに事務服姿の女性がほんの二三人いるだけでひっそりとしている。

王宮への訪問者は、誰しもが一旦この広場に入ってからこの建物の前に進み、そこで来意を告げる決まりであり、普段であっても事前の許可無く訪れた者は、全てここが終着点とならざるを得ない。

そこから先の王宮までの道は、大型バスがぎりぎりすれ違えるかどうかと言うほどの道幅でしか無く、挙句に細い畦道のほかには、一切交差する道路も無く、全くの一本道になっている。

途中広い路側帯が数箇所設けられているだけで、両側は畦道以外全て広々とした農地になっているため、正面の王宮までの道のりはまことに見通しが良い。

車を入れたパレス・パーキングは、予想通りかなりの先客で賑わってしまっており、合衆国大統領からの弔意を表すると言う重々しい来意を告げたにもかかわらず、予想通り女性係員の一人からそれ以上の前進は出来ないことを告げられ、訪問記録簿のようなものに署名するだけで、空しく引きかえさざるを得なかったのだ。

このあと続々と到着する車両もまた、同様の憂き目を見ることになるのは必至だろう。

何せ、各国代表部はもとより、膨大な数の報道陣が押し寄せる筈だ。

既に、報道機関の中継車両の姿も見えており、挙句に、いささか気分を害する光景にも出くわしてしまった。

見覚えのある女たちが先着していて、あろうことかパレス・パーキングに車を置いたまま、小型のポッドで王宮への道を鄭重に送られて行くところまで目にしてしまったのだ。

腹立たしいことに、それはモニカとタエコの二人連れであり、恐らく、己れたちが経営する酒場を休業してやってきたのだろうが、思えば合衆国大統領の使者に許されないことが、その女たちには軽々と許されているのである。

全く憤懣遣る方無いとはこのことであり、その憤りは帰りの車中でも絶えず燻り続けたほどだ。

出来ることなら、彼女達の帰路を捉え、魔王の様子を聞き出したいところだが、いきさつから言ってどうせまともな反応は返っては来るまい。

帰路の車中で女神さまに連絡が取れたことだけが唯一つの救いではあったが、内務省前のグラウンドに百人ほどの地元自警団が集結しているらしいことを除けば、新たな情報は一切齎されることは無く、まして、内務省からの公式発表に至っては未だに何も無いままなのだ。

帰り着いてからも、王家に加えられたテロ攻撃のニュースは、テロリストの正体が刀匠の内弟子であったことと、王家の蒙った被害に関してだけが繰り返し報じられるばかりで、最強の八咫烏の出方は勿論掴めない。

かつて被疑者に接触させていた女どもとも全く連絡が取れないまま、その夜のタイラーは遂に一睡も出来なかったのである。


一方、NBS支局長のビルは国王の途方も無い多忙振りに阻まれ、ここ数日、対面の機会すら得られずにいたところ、この日突然の悲報に接したのだ。

無論、ビッグニュースだ。

ビルは、その立場から言っても寝る間も無い夜が待っている筈であり、次席のジョンに至っては、既に腕まくり姿で盛んに檄を飛ばしており、フロア中が殺気立ってしまっている。

内務省前のグラウンドに多数の地元民が集結し、徒ならぬ勢いを示していると言う情報もあり、そちらにも中継車を出したばかりだ。

肝心の凶行現場の取材だけは今のところ手控えてはいるが、問題の若衆宿付近には様子を探らせるべく先発の者を走らせており、王妃の実兄が、瀕死の重傷を負って秋津州ビルの付属病院に担ぎ込まれたと言う情報まであって、ジョンの張り切りようも尋常ではない。

無論この事件を千載一遇の好機と捉えているからではあろうが、生憎(あいにく)こっちは、いつもと違って勃然たるジャーナリスト魂が少しも沸き上がって来ないのである。

気が付けば、心は悲しみに溢れてしまっており、胸に浮かんだ国王の顔が何故か焦点を結ばずぼやけてしまっている。

聞けば、あの高貴な香りを漂わせる王妃も、そして底抜けに愛らしい王子でさえ、もうこの世のものでは無いと言うのだ。

「ちょっと、出て来るわ。」

ぼそりと言った。

「どちらまで?」

ジョンが振り向きざまに聞いてきた。

「王宮だ。」

「待ってました。おーい、キャメラとアシスト二名、支局長にお供しろお。」

ジョンは、その言葉通り待っていたのだろう。

無論、こっちの特殊な人脈を利した直撃取材をである。

何せ、内務省の最上階だろうが、王宮だろうが、ほとんどフリーパスのジャーナリストなど世界中捜しても他にいないのだ。

事件発生から未だ僅かしか経っていない上に、発生現場が王宮そのものなのである。

本来なら、それこそビッグチャンスだ。

しかし、気が乗らない。

一応礼儀だから電話で事前連絡を入れようとしたが、行政側も王家側もどこへ掛けても繋がらず、已む無くそのまま出発することにした。

ジョンの期待に満ちた視線が熱気を帯びてあとを追って来る気配は感じるが、こっちは未だ踏ん切りがつかないのである。

途中で花屋に寄っただけで、車はいつもの道を快調に走り、無情にもあっという間にパレス・パーキングに着いてしまった。

今しがたタイラーが空しく帰ったばかりであることなど、無論ビルは知らない。

かなりの高空に、他社のものも含め報道用のSS六が相当数浮かんでいる筈なのだが、例によって全く無音のため、その存在も殆ど気にならない程度のものだ。

広大なパレス・パーキングのそちこちにも数台の中継車両が見えたが、特別規制されてはいないようだ。

車から降りて、いつものオモチャ箱のような建物の前で顔馴染みの女性係員をつかまえて来意を告げると、さすがに一分ほど待たされたが「お通り下さい。」とのことだ。

無論、来意は取材である。

しかし、未だ心がさ迷ってしまっている。

幼い王子の無邪気な笑顔が眼に浮かんでくるのだ。

漆黒のポッドが目の前に来て、初めて心が決まったような気がした。

相手は、やはり特別の友人であった。

このようなときでさえ、自分の取材を受け入れてくれているのだ。

車から花束だけを取り、キャメラやアシストの者たちには、ここで待つように命じ、一人ポッドに乗り込んだ。

みんな驚いていたようだったが、強い視線を送ることで決意を伝えた。

数分後に王宮の庭の一郭でポッドを降りると、あとはこれも見慣れた侍女の一人が先に立ち、大型ポッドの方に導かれたが、未だ足元が不自由になるほどには暮れ切ってはいないのである。

勝手知ったる王宮の外庭は二千坪ほどもあろうか、思いなし悲しみに沈んでいるように感じてしまう。

見渡すと、夕暮れの中、五台の大型ポッドのほかにも、今自分が乗って来たタイプのものが数台目に入った。

警備人にしても相当数のものが動員されているに違いない。

後方には騎馬の近衛兵が厳しく陣を敷いており、目の前の竹垣の向こうにも数人の立ち番がいる気配だ。

その竹垣の向こうがそこそこの中庭になっており、枝折戸を抜ければ問題の十畳間の縁先に出られる。

つかつかと歩み寄り、侍女の視線を背にしたまま勝手に進み、枝折戸を抜け、沓脱ぎの脇に立って廊下の片隅にそっと花束を置いた。

目の前の障子は固く閉ざされており、部屋には灯りが灯ってはいたが、無論中の様子は判らない。

この場所でほんの数時間前に斃れた人々を想い、深々と頭(こうべ)を垂れながら、心から哀悼の意を捧げてから重く踵(きびす)を返した。

再び枝折戸を抜けて広々とした外庭に出てみると、視界の先に、別の侍女に案内されてポッドに向かう見覚えのある後ろ姿が見えたが、どうやらモニカたちらしい。

取るものも取りあえず、早々と弔問に訪れ、今帰るところなのだろう。

流石の女どもも、とても長居の出来るムードでは無かったに違いない。

気配に気付いたか二人共に振り返ったが、タエコの方などは子供のように泣きべそをかいてしまっていた。

やがて導かれるままに王の前に出てみると、意外にも見慣れた先客がいた。

和服に割烹着姿のみどりが王のソファに並んで座り、今しも塩結びを握っているところだったらしく、こちらが入って行くと軽く会釈を返しながらすっと立って行く。

湯茶の支度をしてくれる気なのだろう。

若者は、蒼白の顔いっぱいに苦渋の色を貼り付けたまま、凍りついたように凝然としており、その視線の先は先ほどから虚空をさ迷っていたようだが、こちらが目の前に立つとその視線が頼りなげに動いた。

そこには、いつもの機知に富んだ溌剌とした若者の姿は既に無く、数多くの対面の機会を持つビルでさえ、若者のこんな表情など見たことも無かったのである。

こちらの胸まで潰れそうな気がした。

「謹んで、ご哀悼申し上げます。」

胸の中で小さく呟いて深々と頭(こうべ)を垂れたが、その若者は僅かに頷いてくれただけであったのだ。

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  1. 2007/09/05(水) 09:06:36|
  2. 妄想小説 主権国家|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

??┏┃①。①┃┛ホエ? 

あらら コウロギの立場が一変してる^^;;
  1. 2007/09/05(水) 22:04:11 |
  2. URL |
  3. ほたる #-
  4. [ 編集]

 ^_^


へっ、一変って、どのへんが?

  1. 2007/09/05(水) 22:20:28 |
  2. URL |
  3. じいじ #-
  4. [ 編集]

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