日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 097

 ◆ 目次ページに戻る

その年も師走に入ったある日の昼下がり、台東区は松が谷付近の言問通りで一人の女がタクシーを拾う姿があった。

かなりスポーティなデザインのハーフコートを羽織った興梠(こおろぎ)律子である。

すらりと伸びた足に吸い付くような細身のジーンズを履き、足元は真っ白なスポーツシューズで固め、この季節に大き目のサングラスを掛けてはいたが、優れて色白の美貌は覆うべくも無く、その若々しい出で立ちと共に、相当に人目を惹いていたことは確かだろう。

それでなくてもマスコミ関係の男たちがカメラを構えて大勢付いて来ている上、中には後部座席からカメラを構えた二人乗りのバイクまで出動しており、まったく、うるさくてしょうがないのだ。

昭和通りを、本来の目的地から言えば一旦逆行して下り線を走り、三ノ輪で車を捨て歩いてその国道を渡った。

無論、うるさい連中も大勢ついて来る。

咄嗟に目に付いたパチンコ屋の正面から飛び込み、直ぐに裏手から抜け出てしばらく裏通りを歩くと、もうそれだけで付いて来る者は見当たらない。

何でこんな思いしなくちゃいけないのよ、まったく。

でも、あたしが取り次いだばっかりに、罪も無い赤ちゃんまで殺されちゃったのだ。

まるで、天罰が下ったみたいな気分だし、出来ればお墓参りに行ってお詫びしたい気持ちで一杯だったのだ。

再び昭和通りに出ると、待つほども無く空車が来た。

ドライバーに上野広小路と告げたが、それは一年前まで働いていたスナック葉月のある場所であり、今日はこれからその店の葉月ママに会いに行くところなのだ。

車は上り車線を順調に走ってくれており、律子は見慣れた風景を窓越しに眺めながら過ぎし日のあれこれを想う。

考えれば考えるほど、悪夢のような二週間だったのである。

それは、先月の二十二日に突然始まった。

丁度その日に、海の向こうで殺人事件が起きたことから、とんでもない災厄が降りかかって来たのだ。

それ以来、ダーティ・ヒロイン興梠律子の名前は日本中に轟いてしまった。

あたしの姿がワイドショーに登場しない日は無いほどで、そこから否応無く発信され続けたイメージは、殺人鬼の情婦として凶悪犯罪に手を貸した稀に見る悪女なのだと言う。

近日中にも司直の手が伸びて身柄が拘束されるかのように匂わせるものまで出て、最早一旦外出すれば、生卵や石が飛んで来ても不思議は無いと言う騒ぎになってしまっており、ひたすら茫然たる想いで過ごして来た。

マスコミが殺到してスーパーヤスダの客の入りは激減し、仕入れの一部が滞るまでになったばかりか、昨日なんかはレジの釣銭にも事欠くありさまで、そこまで金繰りに詰まっていることを知って愕然としたくらいだ。

だいいち、夫、一夫が昨年この私にプロポーズを繰り返していた頃の話では、株式や国債の他にも相当な流動資産を持っていた筈で、少なくとも、たったこれだけのことでバンザイしてしまうような懐具合じゃ無かった筈なのだ。

結局、そのほとんどが一夫の法螺話だったことになるのである。

それもこれも予想もしなかったことだったのだが、知ってしまった以上、妻として放って置くわけにも行かず、独身時代に稼ぎ貯めた分から手助けしようと思って銀行へ出かけて見て驚いた。

その口座が、とうに空っぽにされてしまっていたからだ。

少なくとも八百万はあった筈なのに、全く知らない間に残高が四桁になってしまっており、情け無いやら腹立たしいやらで、飛んで帰って夫を問い詰めて見たところ、謝るどころか夫婦なのだから当たり前だと怒鳴るのだ。

前にカードの暗証番号を教えちゃったのがいけなかったのだが、それにしたって一言の断りも無くカードを持ち出して、黙って全部使っちゃうなんて、「いったい、どう言うことなのよ」と一言文句を言っただけで、途端に拳(こぶし)が飛んで来る騒ぎで、腹が立つより呆れ返ってしまった。

こんな人では無かった筈なのである。

何度目かのプロポーズに「うん。」と言ったときなんか泣いて喜んでいたくらいで、とにかく優しくて、ひたすら私を愛してくれていた筈なのだ。

それが、お店が左前になったからと言って、この変わりようはいったい何なんだろう。

今考えれば、新婚間も無い私があの山内隆雄から頼まれた件を夫に話したところから、ヘンと言えばヘンだったのかも知れない。

あの時の山内は突然お店に買い物に来てレジを手伝っていた私をつかまえ、その頃話題になっていた秋津州の刀匠に弟子入りしたいと言い出した。

あたしとその話が何の関係があるのかしらとは思ったけど、結局、刀匠になることを夢見ていて修行の間の生活費にも困らないだけの蓄えもあり、その上、その分の費用も前金で払うから、先ず刀匠に作刀を依頼してみて欲しいと言うので、そのまま夫に取り次いでやったのだ。

刀匠とのコネを造るのが目的であることくらいは、いくらなんでも判ってはいたが、そのあと夫と山内の間でどんな話になったのかは、ほとんど聞いた覚えはないのである。

いくらもらったかなんて、とうとう最後まで言わなかったけれど、それも、夕べの反応から見て一千万はくだらないらしい。

それに、売りに出していた刀も売れたことだし、最低でも差し引き五百万は儲かった筈だと思うけど、以前から目一杯の利払いを抱えていて、お店の資金繰りには追いつかなかったみたいだ。

実際、私の貯金だって全部つぎ込んじゃってるわけだし、その上ブランド物のバッグやアクセサリーなんかも、全部置いて出て行けって言われたときにはもう呆れちゃったわよ。

結婚前に買ってもらったものばかりなのだから、そりゃあそう言われたって仕方が無いけれど、そう言われた時には改めてその顔をつくづく眺めちゃった。

「百年の恋も一瞬にして醒める」とは、このことかと思ったのである。

もともと彼が入籍を渋ったのも彼の娘さんが反対したからなのだけれど、それがかえって幸いだったと吐き捨て、しまいには、おまえのような疫病神は早く出て行けと怒鳴る始末で、確かに、マスコミが押し掛けてくる目的が大部分この私にあると言われても反論に困るけど、それだって私一人の責任じゃない筈だ。

だいいち今度のことは、最初から最後まで山内と彼が二人で相談してやったことで、細かいところなんか私には何にも言わないで決めちゃったくらいなのに。

そしてその結果が、あの二十二日のニュースだったのだ。

ニュースでは、あたしが夫に取り次いだ男が犯人だと言う。

それにしても、あの男がそんな大それたことを考えていただなんて、ほんとに驚いちゃったわよ。

だって、ごきぶり一匹殺せないような感じでとても大人しそうな人だったし、今から思えば、それもこれもみんな芝居だったらしい。

そう言えば、本当は朴何とかって言うのが本名らしいし、その正体は山内なんて嘘っぱちで、日本人でさえなかったみたい。

テレビでやってる番組なんかでは、本物の山内さんを殺してその人の財産も全部盗っちゃったって言ってたし、結局そのお金でお店に通って来ていたことになるのかしら。

あの当時週に三・四回はお店に来ていたし、そんな悪い人には見えなかったから何回か食事くらいは付き合ったけど、それ以上のことなんか何にもありはしなかったのだ。

確かにプレゼントもたくさんいただいたけど、それにしたって、こちらからねだったわけじゃあるまいし、ほかのお客さんの場合と似たり寄ったりのもので、ほかの女の子だってみんなそうして稼いでいる筈なのだ。

だいたい換金性の高いブランドもののバッグなんかは、お客さんのほうが詳しいくらいで、同じものばかり五つも六つもいただいちゃうことなんかもしょっちゅうだったし、それに、実際お給料だけじゃとても貯金なんて出来やしなかったもの。

まあ、ほとんど無一文で追い出されちゃったことにはなるけど、いざこうなって見ると、自分のバカさ加減にも多少ハラが立たないわけじゃない。

なんだかんだで一千万ほどは損しちゃったみたいだし、授業料としちゃ安い方じゃなかったけど、結局、昨日まで愛していた筈のあの中年男に今はもう未練のかけらも無いことに気付かせてくれたことが、一番の収穫だと考えて諦めた方が利口だと思う。

一瞬、八百万だけでも返してって言おうかと思ったけど、どうせ無駄だろうし、今さらそんなことを言っちゃうとオンナが廃(すた)ると思って、歯を食いしばって我慢したのだ。

これで何もかも終わっちゃったけど、少なくともあのオトコに借りを作らずに済んだことだし、今度どこかで出会ったとしても文句一つ言われる筋合いは無いのである。

夕べから必死で荷造りした衣装や靴なんかは、今朝方未だ暗いうちにバックヤードの裏口から積み込んでもらって、どこか他のところでしばらく待機してから送ってもらう手筈にしてあるけど、ダンボールにして五・六個もあることだし、ママの部屋だってそういつまでもってわけには行かないのだ。

早く「葉月」に復帰して、部屋を探さなくてはいけないのだけれど、夕べと今朝のママの反応も気になって来る。

電話の向こうのママが、あたしの復帰を単純に喜んでいる風には思えなかったのだ。

きっと、マスコミのマイクやカメラが追い掛け回したりして、お客さんに迷惑が掛かるのを心配しているに違いない。

何しろ、このあたしは今や超有名なダーティ・ヒロインだし、スナック葉月は典型的な客商売なのだ。

直ぐに職場復帰して稼げるとばかり思ってたけど、そう考えると、そう簡単な話じゃ無くなって来ちゃうかも知れない。

二階に「葉月」の入ってるマンションから大分離れたところで車を捨てたけど、車代を払ったら財布の中に福澤諭吉さんは一枚しか残ってはいなかった。

相当心細かったけれど、その四階にあるママの部屋まで辿り着きさえすれば、あとは何とかなる筈なのだ。

ママは実家に預けてある一人娘がたまに泊まりに来るほかは完全な一人暮らしだし、押し掛けて行く居候の身にとっては、その点とても気楽なのだけれど、さっきタクシーの中から電話したら、丁度今あたしの顔見知りのお客さんが来ていると言われてしまった。

どうやらママの方で頼んで来てもらってるらしい口振りなので、高校生の娘さんの筈は無いし、いったい誰なんだろうと思ったけど、顔を見れば判るからと言ってとうとう教えてもらえなかったのだ。

ヘンな人だと込み入った話が出来なくなっちゃうのにと思いながら、懐かしいその部屋のチャイムを鳴らしたのである。

遠慮無しに上がりこむと、さっきから心に引っかかっていたその先客は、やはりママの一人娘の咲(さき)ちゃんじゃ無くて、あの有名なクラブ碧でちいママを張っている理沙さんだった。

ママにとっては十年近い付き合いのある親友かも知れないけど、私にとっては赤の他人に近い人なのだ。

確かに顔見知りには違いないが、実際問題、前にこの部屋で二・三回会ってるだけで、たいして口を利いたことがあるわけじゃなし、今日の話はこの人の前ではとても話せないことばかりだ。

あたしの送った荷物は、雑然と玄関先に積み重ねられていた。

やっぱり、相当場所を取っちゃってるなあ。

興梠「ママ、またお世話になります。」

葉月「理沙ちゃんには、何度か会ってるわよね。」

葉月ママ、本名横山葉月は、下膨れした顔にいつもと変わらぬ笑みを見せながら、それとなく挨拶を促してくる。

それにしても、また太ったみたいで六十キロは超えてしまってる感じだけど、色白のその顔は未だ充分な若さを保っていて、とても三十六には見えやしない。

興梠「はい。理沙姉さん、ご無沙汰してまあす。」

相変わらずすっきりした美人の理沙さんは、確かママより五つ六つ年下だと聞いていたけど、どう見ても二十五・六にしか見えないのだ。

理沙「ご無沙汰はお互い様だけど、あなたも、いろいろと大変みたいねえ。」

興梠「あらあら、おお、恥ずかしい。」

いやだわ、ママったら、どこまで話しちゃったのかしら。

理沙「別に恥ずかしがることなんて無いと思うわよ。あたしなんか、もう七・八年も前になるけど、たった、三ケ月で離婚しちゃったもの。」

興梠「理沙姉さんも、そんなことあったんですかあ。初めてお聞きしました。」

理沙「それに、こおろぎちゃんの場合、籍入れてなかったって言うじゃない。」

興梠「えへっ。」

理沙「結果正解だったみたいだわね。」

興梠「でも、そこんところは少し複雑な気分ですわ。」

実際にちゃんと添い遂げるつもりで、安田と一緒になったことは間違いないのだ。

だが、安田の高校生の娘が大反対で泣くは拗ねるはで、結局、その娘さんが成人するまで結婚式は勿論、入籍も待とうと言う話になっていたのである。

理沙「あら、そうなの。あたしだったら絶対正解だったと思うけど。」

話してみると理沙さんは、思っていたよりずっと気さくな人だった。

このとき、それまで黙って聞いていた葉月ママが口を挟んだ。

葉月「それより、こおろぎちゃんは、済ませておきたいことがあるって言ってた筈よねえ。それで、理沙ちゃんに来てもらったのよ。」

興梠「え?」

葉月「だって、あなた、自分のせいで赤ちゃんまで殺されちゃったって泣いてたじゃない。それで、お墓参りしてお詫びがしたいって。」

興梠「それは、そうなんですけど・・・・ あっ、」

クラブ碧の影のオーナーが誰だったのか、やっと思い出したのである。

自分なんかには別世界の話だけど、その世界では有名な話ではあるのだ。

葉月「思い出したみたいねえ。」

興梠「は、はい。」

葉月「理沙ちゃんにお願いしてみたらと思ってさ。」

興梠「そりゃあ、お願いできればこんな嬉しいことはないんですけど、実はあたし一文無しなんです。」

実際、秋津州までの船賃すら払えないのである。

葉月「あら、だって、あなた、一千万近く持ってたじゃないの。」

興梠「えへっ、全部、安田にくれてやりましたあ。」

葉月「え?どう言うこと?」

興梠「昨日、久し振りに銀行に行ってみたら、残高が千二百円になっちゃってたんですの。あはははっ。」

葉月「あはは、じゃないわよ、それって、あいつが勝手に下ろして使っちゃったってこと?」

興梠「早く言えばね。」

葉月「あらあら、返せって言わなかったの、あんた?」

興梠「何で黙ってたんだって文句言ったら拳固が飛んできたわ。それから先は、もう修羅場よね。だって、換金出来そうなバッグなんか全部置いて出て行けって怒鳴られちゃったし、しまいにはこのあたしをつかまえて疫病神って言うし、その顔見てたら、もう、可笑しくって。あはははっ。」

葉月「疫病神って・・・」

興梠「だからあ、あたしがいるとマスコミが押し掛けて来て、商売にならないって言うのよ。」

葉月「でも、あの山内を刀鍛冶の先生に紹介したり、いろいろやったのは安田なんでしょ。あんた、その中身はまるっきり教わって無いって言ってたじゃない。」

興梠「そりゃ、そうなんだけど、最初に山内を安田に紹介したのは確かにあたしなんだし。」

葉月「だって、そうだったら別にあんたの責任ってわけじゃ無いじゃないの。」

葉月ママは、まるで自分のことのようにいきり立ってしまっている。

興梠「えへへっ、でもそう言う男に惚れちゃったのはあたしなんだし、あはははっ。」

葉月「まったくっ、女の敵(てき)よ、そんなの。」

興梠「まあまあ、許してやってくださいな。」

こおろぎ本人がけろりとしているのである。

葉月「ま、あんたがそう言うんじゃしょうがないけど、でもハラ立つわ、ほんとに。せめて、あんたの虎の子だけでも返してもらいたいわよ。ほんと出るとこ出てでも、ぎゅっと言う目に合わしてやりたいもんだわ。」

興梠「あら、そんなことしたら、オンナが廃(すた)ると思って、とっくに諦めちゃったわよ。」

葉月「バカねえ、オトコが廃(すた)るってのは聞くけど、少しぐらい、せこいことやったってオンナは廃(すた)らないわよ。」

興梠「えへへっ、でも、ブランドものを全部置いて行けって言われちゃったら、もう情け無いやら、なんやらで、とってもそんな気になんかなれないわよ。」

葉月「そりゃ、そうよねえ。そんな情け無いこと言われたりしたら、そうかも知れないわねえ。」

興梠「それに、たった一人のカレに言われたのが余計情け無くてさ。」

まるで漫才のような二人の会話を聞いていた理沙が、やっと口を入れる番が来た。

理沙「ちょっと待ってよ。そうするとこおろぎちゃんは、あの殺し屋の彼女だったってわけじゃなかったの?」

興梠「あの、お言葉ですが、あたしは誰の彼女にもなってませんわ。安田のときだって、正式なプロポーズをお受けするまではキスもさせたこと無いんだし。」

理沙「あらまあ、それはそれは大変失礼申し上げましたわ。ごめんなさいね。だって、あたしとか、うちのママが聞いてた話とはずいぶん違うんですもの。」

メディアの作り上げた律子のイメージ像は、あくまで殺人者の情婦で稀代の悪女でなくてはならないらしい。

葉月「あら、この子は身持ちは堅いのよ。それだけはあたしが保障するわ。」

黙っていられないとばかりに、今度は葉月ママが口を挟んだ。

理沙「ほんと、見ると聞くとじゃ、えらい違いだわね。あたしだって今日の話を聞くまでは、てっきりそうだと思い込んでたもの。」

興梠「まあ、そう言うわけで、理沙姉さんにお願いするのは少し稼いでからになっちゃいますけど、そのときは、ほんと、よろしくお願いします。」

律子は、改めて深々とお辞儀をして見せた。

葉月「ちょっと待ちなさいよ。そのくらいあたしが持つわよ。あんたがそんな気でいるのに、知らんぷりなんかしちゃったら、それこそ、あたしのオンナが廃(すた)っちゃうわよ。」

興梠「でも、いくらぐらいかかるか判んないし、せめて百万くらいは稼いでからじゃないと・・・・」

葉月「そのくらい任しときなさいよ。なんせ、あたしはあんたと違って、虎の子を取られちゃうようなオトコなんかいないんだからさ。」

興梠「ひっどーい。」

理沙「まったく、おもしろい人たちねえ。そうやっていつまでも漫才ばっかりやってると日が暮れちゃうわよ。それにここまで聞いといて知らんぷりしてたら、今度はあたしの方のオンナが廃(すた)っちゃうわね。」

女三人が大笑いしている。

理沙「ところで、もう一度聞くけど、こおろぎちゃんのお墓参りの話、ほんとに本気なのよね?」

興梠「勿論本気だわ。これだけはほんとに申し訳ないと思ってるんですもの。」

興梠は神妙な面持ちである。

理沙「だったら、ちょっと待ってね。」

そのとき、理沙がおもむろにバッグから取り出してテーブルに載せたものがあった。

一見、化粧道具の一つのような感じの薄い銀色のケースだ。

蓋を開けて、小さなボタンを二つ、三つ押している。

葉月「あら、それテレビでやってた国井総理のパソコンと同じよね?確か窓の月とか言ってたけど。」

最近報道された窓の月と同じものであることは確かだ。

理沙「ええ、あたしのはママからの預かり物なんだけど。」

窓の月「はい、こちら秋元京子、ご用件を承ります。」

そのとき、窓の月が明瞭に喋ったのだ。

画面には一際上品な女性の上半身が映し出されており、良く見ると、秋津州商事のあの高名な女社長その人なのだ。

理沙「あの、うちのママの帰りは何時頃でしょう?」

京子「あ、理沙さん、こんにちは。予定ではあと三分ほどで北海道にお着きになりますわ。なんでしたら、あたくしの方で理沙さんへ連絡をお入れするよう、お伝えしておきましょうか?」

理沙「あ、そう願えれば助かります。」

京子「承知致しました。それでは一旦切らせていただきますわね。」

理沙「はい、それでは、よろしくお願いします。」

通信はあっと言う間に終了し、窓の月のモニタは何の変哲も無い黒い画面になって鎮まっっている。

その後、女三人のおしゃべりは止め処無く続き、問題の三分などは直ぐに経過してしまい、遅い昼ごはん用に出前を注文するやら何やらで十五分ほども過ぎてから、テーブルの窓の月に軽いシグナル音が届いた。

勿論、みどりママからである。

画面ではみどりの膝で有紀子が愛らしく手を振っていたが、実はこの直前までのみどりは、ある貴重な動画映像に見入っていたのだ。

北海道の矢臼別(やうすべつ)に帰還した直後、官邸の京子から連絡が入り、理沙に連絡する前に是非ともご覧いただきたいと言われた資料映像なのである。

それは、理沙の居る部屋で繰り広げられた漫談のような会話を中心に構成され、その上多少の解説まで加わって、律子の身の回りで起きたことが非常に判り易く「編集」されているものであった。

早く言えば、興梠律子と言う一人の女性を好意的に扱った紹介ビデオのようなもので、少なくともみどりにとっては衝撃的な内容だったと言って良い。

実際、みどりから見たその女のイメージは、あの忌まわしい殺人者の情婦として、共に犯行を企てた憎むべき仇敵そのものであり、それこそ見つけ次第殺してやりたいとさえ思っていたほどだ。

もしも、有紀子と言う存在が無かったら、冗談では済まされないようなことが起きてしまっていたかも知れない。

だが、あれ以来、心が大きく損なわれてしまった息子にしても、最近ではその傷口もようやく塞がりかけて来ているらしく、僅かながらも口を利いてくれるまでになって来ている上、みどりの手料理にも少しは箸を付けてくれるところまで立ち直りつつあり、それに連れて、みどり自身も重い気苦労から幾分解放されようとしているところだ。

したがって、今回の変事に関して、みどり自身の心境も大きく変化を遂げていることになる。

理沙「ママ、おかえんなさあい。」

無論、理沙はみどりが国王に付き添って、地球と丹波を忙(せわ)しなく行き来していることも承知しており、信じ難いことに、それが多いときには日に二百回にも及ぶのだと言う。

みどり「はあい、ただいまあ。」

理沙「ママの息子さんは、その後だいじょぶですかあ?」

息子さんとは当然国王のことを指しているのだが、後ろから画面を覗き込んでいる葉月と興梠には意味が通じず、怪訝そうに顔を見合わせてしまっている。

みどりママに息子さんがいたなんて、それこそ初耳なのである。

みどり「うん、ちょっとだけ元気が出てきたみたいよ。ごはんも少しは食べてくれるようになったから。」

理沙「じゃあ、ママの復帰も近いですよねえ。良かったあ。」

みどり「うん、もう、ちょっとね。」

理沙「あんまり時間が無いと思うんで、急いで紹介したい人がいるんですけど。」

理沙がさっさと二人を紹介し、互いに軽く挨拶を交わしあった。

理沙「それで、このこおろぎちゃんのことなんですけど。」

みどり「真人ちゃんたちのお参りとお詫びのことなんでしょ。」

理沙「あら、お聞きになってらっしゃったんですか。」

みどり「うふふっ、つい今しがたにね。」

先ほど届けられた資料映像によると、この興梠と言う女性は今度の事件にはほとんど関与しておらず、その上まるでみどり自身の人生の軌跡をなぞるかのように、たった一人でこの世の荒波を生き抜いて来ており、その点でも身につまされるような想いで見ていたところなのだ。

実際、今回のことでは、加害者どころか被害者だと言って良いほどだ。

それに、未だ、はたちかそこらの若さで、この気風(きっぷ)の良さはどうだ。

先ほどまでの先入観が百八十度引っくり返ってしまい、皮肉なことに、みどり自身がいっぺんに気に入ってしまったのである。

理沙「それで、どうしたらいいかと思いまして。」

みどり「そのことなら、陛下も、わざわざ詫びに来る必要は無いって仰ってるくらいよ。だって、そこの興梠ちゃんに悪意が無かったって事はとっくにご存知でいらしたから。」

理沙「でも、本人の気持ちの問題もありますから。」

みどり「それより、興梠ちゃんにはとんでもない傍杖(そばづえ)で大変なことになっちゃってるみたいよねえ。最初にそっちの方をなんとか考えてあげないといけないんじゃないかしら。」

理沙「あら、それじゃ、一文無しで追い出されちゃったことなんかも聞いてらっしゃるんですか。」

みどり「大体のところは、さっき伺ってこっちも驚いてたところなのよ。あたしなんかも全然イメージが狂っちゃって。それに葉月さんのお店だって、あの調子でマスコミに押し掛けて来られた日には相当困るわよねえ。お店に出はいりするたびに、いちいちフラッシュなんか焚かれちゃったりしたら、たいていのお客さまは嫌がるだろうし。」

現実にはマイクまで持って待ち構えていたり、ときには図々しく店の中までカメラが入って来たりすることもあり得るのだ。

現に、スーパー・ヤスダなどは、目も当てられないほどの騒ぎになってしまった。

葉月「ご心配いただいてありがとうございます。でも、こうなったら、あたしの方にも女の意地ってものがありますから。」

葉月の方は、もう半分は、やけっぱちのようだ。

尤も、ホステスとしてのその女性は、お店にとっては非常な戦力にもなり得るのだ。

みどり「おほほほ、ここで引いたらオンナが廃っちゃうかしら。」

葉月「そうなんです。あはははっ。」

みどり「まあ、どっちにしても、葉月さんも興梠ちゃんもみんな困らないようにすることが一番だと思うわ。」

興梠「ほんとに、ご迷惑お掛けしておりまあす。」

みどり「いいええ、大体のことは判りましたから。興梠ちゃんさえよろしかったら、お参りのことも今後のことも全部一切合財ひっくるめて、こちらでお引き受けしましょうか。」

興梠「いえ、そんなこと、罰が当たっちゃいますから。」

みどり「あんまり時間がありませんから、あとは理沙ちゃんに良く聞いて、神宮前に千代さんを訪ねてみて下さいね。絶対悪いようにはしませんから。それじゃ、一旦切りますねえ。」

理沙「はあい、行ってらっしゃあい。」

通信が切れてからは、無論理沙に質問が集中することになる。

理沙は、みどりママが今後のこともひっくるめて一切合財引き受けると言い切った以上、ほんとに一切合財なんだと力説したのだが葉月も興梠も当然半信半疑だ。

だいたい、そんな旨い話にはたいてい裏があると言うのは世間の常識だろうし、そう簡単に納得出来るはずも無いのである。

殊に興梠自身は、葉月ママが女の意地で自分のことを引き受けると言ってくれてはいても、結局とんでもない迷惑をかけてしまいそうで、先ほどからひどく考え込んでしまっていたのだ。

この分では他の店で面接を受けても結果は知れており、そうなれば一文無しの自分は、葉月ママのところに何時までも居候を決め込まなくてはならないことになってしまう。

今まで軽く考えて来たことが、土台から崩れ去ってしまったようなもので、流石にうろたえてしまったのである。

とにかく、一文無しのままでは身動きが取れない。

今さら安田に泣きつくくらいなら死んだ方が増しだし、かと言って葉月ママに借りても返せる当てが無いのだ。

思い悩んでるさなか、理沙さんの声が聞こえた。

理沙「ねえ、どうなの。神宮前に行ってみる気になった?」

興梠「でも、正直言って少し怖いわ。」

相手が引き受けてくれるとは言っても、当然何らかの条件があるに決まってるし、その内容にしても見当もつかないのだ。

理沙「あら、ひょっとして、何か条件がつくんじゃ無いかって思ってやしない?」

興梠「だって、世の中にそんな旨い話なんて・・・」

理沙「あのねえ、うちのママの後ろに付いてるヒト、誰だか判ってるんでしょ?」

興梠「うん、本音を言っちゃえば、そのヒトが一番恐ろしいんだもの。」

理沙「だって、一番お詫びしたいのもそのヒトなんでしょ。」

興梠「それはそうなんだけど、その人はとってもワイルドなヒトだって言うし。」

この場合のワイルドには、荒々しい乱暴者と言うニュアンスが多く含まれていたに違いない。

何せ、一連の報道によれば、日本刀で切り掛かった犯人ですら、携行していた武器すら使わず、素手のままで軽々と取り押さえたとされているほどだ。

理沙「そりゃあ、天才的な挌闘家だとは聞いたけど、見境い無しに乱暴を働くような方じゃ無いわよ。その点は、ママがああ言ってるんだから、絶対だいじょぶだと思うわ。今までだって、ママの言うことならたいていのことは聞いてくれてるんだから。」

興梠「そうなんですか?」

それじゃ、まるで猛獣使いじゃないの。

理沙「それに、ママにとって陛下は息子みたいなもんだから、陛下が困っちゃってても、ママが強引に押し切っちゃうことだってあるのよ。あたしなんか、そう言う場面、何度もこの目で見てるんだから、そりゃあ確かよ。」

興梠「・・・。」

やっぱり、猛獣使いじゃないか。

理沙「まあ、無理にとは言わないけど、このまま、じっとしてるよりは増しだと思うんだけどねえ。」

興梠「でも、その千代さんってヒトは・・・・」

理沙「あ、さっきの話の千代さんね。そのヒトって秋元千代さんって言って、うちの立川商事の重役さんなのよ。未だ二十代だけど、あの有名な秋津州商事の重役さんでもあるのよ。」

興梠「そんな偉いヒトなんですか。」

自分と引き比べて、どうしても気後れがしてしまうのだ。

理沙「偉いってことじゃ無くて、皆さん国王陛下の部下みたいなヒトたちなのよ。さっきの社長さんなんかもね。」

興梠「でもう・・・」

理沙「心配だったら葉月姉さんにも一緒に行ってもらえば良いじゃない。勿論あたしもご一緒するけど。」

葉月「いっぺん、話だけでも聞いてからにすれば良いんじゃない?付き合ったげるからさ。」

そこで葉月ママが、助け舟を出してくれた。

興梠「うん、ママが一緒なら・・・」

理沙「じゃ、決まりね。これから千代さんに連絡しちゃいますからね。良いわよね?」

興梠「はい、お願いします。」

それでも未だ怖いのだ。

自分としては、殊に今回のことがあってからと言うものは、世の中の恐ろしさが余計骨身に沁みてしまっており、ちょっとやそっとの事では、全面的に心を許せるところまでは行けそうにないのである。

しかし、このあと注文してあった出前が届き、一人で二人前も食べて満腹になったせいか、正直なものでいっぺんに元気が出て来て、結局三人揃って出かけることになった。

ダンボールを開いて衣装を取り出し、葉月ママや理沙さんにも合わせて多少地味なものを撰び、どきどきしながらタクシーを呼んだのだ。

ビルから出たときもそっと見渡してみたが、この時点では未だマスコミの気配は無かったようだ。

だけど、このままあたしが出入りを続けていれば、それも時間の問題だとは思う。


車の中で窓の月がシグナル音を発し、理沙さんが出てみると再びみどりママだったみたいで、神宮前の方の話はちゃんと通してあるから心配しないようにとのことだった。

それで少しは安心出来たんだけど、話の様子だと、あたしたちがごはんを食べてる間に遠い丹波と、もう十回以上も往復して来てるみたいで、おまけに現在地がロシアだと聞いて、そっちの方の話にはほんとに驚かされてしまった。

ただ、その電話で神宮前の入り口について特別の指定があったらしく、それを理沙さんがドライバーに伝えた結果、車ごと敷地の中に入れたのだ。

古びたコンクリートの門を入るときだけ一応止められたけど、ガードマンみたいな人が二・三人いて、ドライバーさんに何か手渡しながら、車の中をちょっと覗いただけでオーケーだったみたい。

その施設は、都心にしてはよほど広大な敷地を持ってるらしい。

幾つもの建物があり、未だ工事中のものまであるらしく、背の高いクレーンなんかも目にしながら走り、やがて車が止まったのは一ヘクタール近い空き地と言うか裏庭と言うか、北側に大きな古木がたくさんあるところで、反対の南側がちょっとした三階建ての建物だった。

そこにひっそりと出迎えに出てくれていたのは、ちょっと小柄だけどスタイルの良い若い女性で、理沙さんとは顔馴染みだったらしく、言葉すくなに挨拶を交わしただけで、直ぐに先に立って案内してくれた。

理沙さんは吉川さんと呼んでたみたいだけど、グレーのビジネススーツに身を包み、長い黒髪をきりっと纏め上げた後ろ姿には、あたしたち水商売の女とも又違った艶めきを感じ、相当もてるだろうとは思った。

その吉川さんがヒールを小気味良く鳴らしながら先導してくれるのは、どう見ても裏口のようだったけど、結局人目を避けてのことだろうし、それもこれも全部あたしの方の都合から来ていることなのだ。

一階の廊下を進んで行く間、左右の部屋の中に大勢の人の気配を感じたが、結局誰とも顔を合わせること無く二階に上がり、重厚な調度に包まれた立派な応接室に通されて、いよいよ恐ろしい人たちの出番が来たみたい。

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  1. 2007/09/13(木) 17:28:24|
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