日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 099

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その後、一時間ほどして、あたしの方は少し早めの出撃準備を終えていた。

久し振りのお仕事だし、何か手違いがあってもいけないと言う思いが強く、メイクにも身拵えにも十二分に神経を遣った結果なのだ。

開店には未だ相当時間があることだし、姿見に映して最後のチェックを入れていると、今になってのんびりメイク中の批評家から、なかなかの高得点を頂戴することになった。

葉月「ふむふむ、なかなかよろしい。」

興梠「ありがと。」

葉月「大分、気合入っとるねえ、キミ。」

興梠「ふふふ。」

葉月「そう言えばその濃紫(こむらさき)のマキシ、あんたの決めの衣装だったわよね。それ、癪に障るぐらい似合っちゃうんだもんねえ。」

その豪奢なロングドレスはくるぶしが隠れるほどに長い丈を持ち、幾分タイト気味のスカート部分で大きく開いたバック・スリットが、妖艶なムードを一層際立ったものに仕上げている。

ホルターネックが、かなり深めに開いたその胸を実に豪華に演出してくれている上、後ろ首の結び目がやや長目に用意されており、それが純白の背中を駆け下ることによって、格調高いフォーマル感を遠慮がちに主張している。

このデザインの特徴ではあるが、胸と言わず肩と言わず、背中までも大きく開いてしまっており、胸の膨らみのあたりなどは、首から吊り下げられた僅かな布地が縦になって覆っているのみで、正面から見てさえ真っ白な乳房の両端が今にもこぼれ出さんばかりだ。

姿見の中の女体がほんの少し身動きするだけで、艶やかなサテンの布地越しに腰周りの稜線をくっきりと浮き立たせてくれており、裾回りにかけてのドレープ性にこそ欠けるものの、今一番のお気に入りの衣装には違いない。

耳元では、数珠繋ぎのダイヤが三本も揺れていて、これがまたとても優雅で大好きなのだ。

勿論イミテーションに決まってるけど、それでもお店のフロアでは充分な煌めきを放ってくれると思う。

葉月「じゃあ、あとはお得意の九センチのピンヒールだな。」

興梠「ふふふ。」

葉月「あんなの履いたら、あたしなんかへっぴり腰になっちゃうのに、よくあんな風に平気で歩けるわよねえ。」

背筋をしゃんと伸ばし、膝も曲がらず、見てるだけで元気になるほど颯爽と歩くのだ。

興梠「別に、普通に歩いてるだけだわよう。」

葉月「ちゃんと用意出来てるかな。」

興梠「もう、玄関に出してあるわ。」

葉月「よろしい、良く出来ました。よだれ垂らして喜んじゃう人だっているんだからね、お嬢さん。」

興梠「はあい、ちばりまあす。」

相変わらず、息の合った漫才をやっている。


さてと、ママが用意してくれたメモを見ながら、お客さんたちの電話登録に掛からなくちゃ。

めんどくさいなあ。

そうだ、いっそ、こっちからコールを入れて、相手側の反応を見てから登録することにしようっと。

以前のときは、あまりに多くなり過ぎて始末に困っちゃったしなあ。

それに、この際だから、こっちの電話番号だって変えた方がいいだろうし、などと考えていた矢先、問題の電話が鳴ったのである。

モニタを見ると、今一番話したくない相手だった。

あの性格だから無視してもちょっとやそっとじゃ諦めてくれないだろうし、早速明日にでも電話ごと換えちゃおっと。

やっぱり携帯は二本必要だしなあ。

あたしには、例のお車代の三十万があるのさ。

興梠「はい。」

安田「おい、今、何処にいるんだ。」

興梠「あなたに申し上げる筋合いはございません。」

思い切り切り口上で冷たく突き放してやった。

直ぐ隣にいた葉月ママが早速気付いたみたいで、承知しないとばかりに、らんらんと目を光らせている。

安田「うん、悪かった。最後に頼みがあるんだ。」

興梠「あたし、一文無しなんですけど。」

どうせ、カネなんだろ。

安田「いや、違うんだ。実はさっき手記を出すことに決まってさあ、名前を貸してもらいたいんだよ。」

興梠「なに、それ?」

安田「だから、お前の名前で手記を出して・・・・、お前の写真なんかも載せることになってるんだ。」

とんでもないことを言い出した。

興梠「ふざけたこと言わないでよ。」

安田「まあ、そう言わないでさあ。」

興梠「まったく、どこまで情け無い男なんだろ。」

実際、前にそんな話があって、きっぱりお断りしたつもりだったのに、裏の方でこそこそやってたから、もういっぺんぶち壊してやった筈なのに。

どうも、様子では、今になってその話が復活したらしい。

安田「もう原稿なんかも出来ちゃってるし、お前さえ、うんと言ってくれれば、なにもかもうまく行くんだからさあ。」

興梠「ふざけんじゃないわよ。」

安田「それじゃお前、店が潰れちゃってもいいって言うのか。」

これまた、不思議なことを言う。

興梠「だから、あたしには、もう関係の無い話でしょ。」

安田「そうは言わせねえ。だいたい、こんな風になったのも全部お前のせえなんだからな。」

興梠「どう言う理屈よ。全部あたしのせえだなんてっ。」

安田「だからよう、お前につぎ込んだせえなんだよ。それに今度のことで、お前目当てのマスコミ連中が大騒ぎしやがるからよう。」

バカヤロウ、そいつ等が大騒ぎしてるからこそ、そんないんちき手記なんかでもカネになるんだろうが。

そうでなきゃ、そんなもの、カネ出して買うような物好きなんて一人もいやしないわよ。

興梠「それが、一人前の男の言うことかよ、まったく。」

愛想もこそも尽き果てるとは、まさにこのことだったろう。

安田「なあ、いい値で売れるんだからよう。」

興梠「・・・。」

安田「な、お前さえ、文句つけなけりゃ、それで済むんだからさあ。」

興梠「いい加減に、そのお前って言うのやめなさいよ。今じゃ、赤の他人なんだから。」

安田「あ、ごめん。もう言わないから。」

興梠「・・・。」

安田「なあ、頼むからさあ。」

猫撫で声を出してやがる。

今さら、そんな甘い手に乗ってたまるかよ。

興梠「・・・。」

安田「なあ、もう前金もらっちゃってるんだからさあ。」

興梠「いやよ。絶対いやだから。」

安田「もう、絶対これっきりにするからさあ。じゃないと店が潰れちゃうんだよ。」

興梠「・・・。」

安田「ほんとに潰れちゃうんだよ。十日の手形が落とせないんだ。」

今日は六日の土曜日だ。

外は師走の風が吹いてるだろうし、それはあたしだって同じことなのだ。

気が付けば、その外が妙に騒がしい。

ママが少しだけ窓を開けて下を覗いてるけど、開いた隙間から相当な騒音が入ってきており、そうっと窓に近付いて覗いてみると、かなりの数の連中が集まってきているようだ。

ごついカメラも見えてるし、車も何台か止まってて、もう交通渋滞が始まっちゃってる。

自然に苦笑いが出てしまった。

あの人たちも商売で必死なんだろうし、これから何時(なんじ)まで粘る気か知れないけど、ほんとにご苦労なことだわね。

ご近所さまたちも何事が起きたかと顔を出し始めてるみたいで、この分じゃ野次馬だって直ぐに集まって来ちゃうだろうし、この騒ぎはママも予想以上だったらしく呆気に取られてるみたいだ。

とても、商売どころの騒ぎでは無い。

もう駄目だ。

こんなのが毎日続いたら、流石のママだってバンザイするしか無いに違いない。

このビルにには、ほかにもたくさん同業者が入ってるんだから、当然そっちからの苦情だって殺到しちゃうだろうし。

安田「なあ、ほんとにこれっきりにするからさあ。」

耳元からは相変わらず情け無い声が飛び込んで来ており、ばからしさ、腹立たしさで、一瞬胸の中で何かが弾けたような気がしたのである。

興梠「いくらあったら足りるのよ。」

我ながらドスの効いた低音だった。

安田「えっ?」

興梠「だから、全部ひっくるめていくらあったら足りるんだって聞いてんのっ。勿論、手記だかなんだかの違約金も入れてさ。」

安田「じゃ、金作ってくれるのか。」

興梠「とにかく、その手記とか言うヤツも破談にしてからの話だけど、どっちにしても一筆入れてもらうからね。」

安田「うん、金さえ作ってくれるんなら、なんでも言う通りにするよ。」

興梠「だから、全部でいくら必要なのよ。」

安田「ざっと、四千、い、いや五千万あれば・・・・、でも、そんな大金、おま・・・、いや律子さんに作れるかなあ。」

興梠「余計な心配よ。こうなったら身売りしてでも、きっちり五千万作って届けてやるから大人しく待ってなさいよ。」

安田「ほ、ほんとかよ。」

興梠「あんたとは違うわよ。もし出来なかったら、生きちゃいないんだから。」

本気だったのだ。

安田「ちょっ、ちょっと待てよ。」

興梠「とにかく、携帯握って待ってろっ。」

胸の中で煮えたぎる何かを、電話に向かって叩き付けるように怒鳴ってしまっていた。

安田「う、うん。判った。」

思いっ切り電話を切ってから、ママの顔を見たら真っ青になっている。

興梠「ママ、ごめん。」

葉月「ど、どうするのよ。」

あんなに頼りがいのある人だった筈なのに、今はもうおろおろするばかりでまったく顔色(がんしょく)が無い。

それに比べてこっちは妙に神経が高ぶって、もう矢でも鉄砲でも持ってきやがれって言う心境なのだ。

興梠「こうなったら身売りするしかないでしょ。」

葉月「み、身売りって・・・」

興梠「うん、ちょっと待って。」

葉月「う、うん。」

手は、一つしかない。

バッグから窓の月を取り出して、それを見てほっとしてるようなママを尻目に、ファンクションを押した。

ほんの数秒で反応があり、正直こっちだってほっとしたわよ。

窓の月「はい、秋元千代でございます。あら、どうなさいましたの?」

モニタでは、相変わらず上品な美女が微笑んでいた。

直ぐ隣には、吉川さんの顔も見えている。

興梠「あのう、情け無い話なんですけど、どうしても今夜中にお金が必要になっちゃいました。」

千代「承りました。いかほどご用意すればよろしゅうございましょうか?」

千代さんは、頼もしくもびくともしない様子だ。

興梠「すいませんが、五千万なんです。」

五千万なんて自分にとっては目も眩むような大金だし、昼間千代さんが出して見せてくれたのは二千万だった筈だ。

あと三千万なんて、いくらなんだってそんな簡単に揃うとも思えない。

最悪は小切手でも仕方が無いか。

千代「かしこまりました。ご様子では、現金の方がよろしゅうございますわよね。」

興梠「その方が助かります。その代わりと言ってはなんですけど、あたしの命はそっくりそちらさまにお預け致しますから。」

千代「おほほほ、そんなことお気になさらずに。ただ、現金と言うことになりますと、もうこの時間のことでございますから、多少お待ちいただくことになりますが。」

画面では、吉川さんが何かを確認するように千代さんにうなずき返している。

興梠「はい。今夜中に松が谷まで届けなくちゃならないんですが、表にうるさいのがたくさん来ちゃってるものですから。」

松が谷には、スーパー・ヤスダがある。

千代「あらあら、それはお困りでしょう。それでは直ぐにお引っ越しなさいますか。」

興梠「でも、こんなに急でだいじょぶでしょうか?」

千代「勿論でございます。人手も車も全て揃っておりますので、どうかご安心を。」

興梠「では、すいませんけどよろしくお願い致します。」

千代「承知致しました。ただ今、お荷物用の車をお出ししたところでございます。」

興梠「助かります。」

千代「お荷物は一切うちの者たちだけでお運びしますので、それが済むまではお部屋の方でお待ち下さい。」

うちの者たちと言うところを見ると、最低でも二人は手配してくれてるみたい。

尤も、荷物と言ったって高々ダンボールが五・六個でしかない上、どれもエレベーターに入るものばかりだし、現にあたしが頼んだ知り合いの赤帽さんなんか、この部屋まで一人で運び上げてるくらいなのだ。

あっと思った。

ここにいることを洩らしたのは・・・・・。

興梠「わかりました。」

千代「こおろぎ様は別の一台にお乗りいただいて、いっそ、そこから堂々と松が谷に向かわれたら如何でしょう。」

興梠「あら、それじゃパレードになっちゃいますね。」

千代「さようでございます。いかがでございましょう?」

堂々と出て行けば大喜びで付いてくるに決まってるし、スナック葉月の開店までには未だ間があるんだし、そうすれば、少なくともこの辺一帯だけは、きっと静けさを取り戻せるに違いない。

興梠「はい、あたしも、それが一番だと思います。」

千代「お荷物用のお車だけは、早めに着くと思いますので。」

それじゃ、その前に着替えなくちゃ。

興梠「それで、松が谷のあとの行き先の方は?」

千代「先ほどお会いしたところに、お部屋をご用意させていただいておりますので、お荷物の方だけは先に運ばせて置きましょうね。」

興梠「よろしくお願いします。」

ここに来て、込み入った事情についてもようやく説明することが出来たのだが、画面の向こうの千代さんは、あたしの舌足らずの説明をとても冷静に聞いてくれて、大よそのことは理解してもらえたと思う。

興梠「ほんとにお恥ずかしい話なんですが。」

千代「いいええ。」

興梠「こんなざまじゃ、みどりママに聞こえたら、きっと叱られちゃうでしょうね。」

千代「いえいえ、大丈夫ですよ。それはそうと一つお願いがございます。」

何故か、ぎくっとしてしまった。

内心ずっと恐れていた条件とやらが、いよいよ飛び出して来るのかしら。

でも、あたしは命を預けるとまで言ってしまっているのだ。

興梠「はい?」

千代「ただ今のお召し物はお召し替えなさらず、そのままでお出まし下さいませ。」

お、お出ましときたよ。

興梠「でも、外はけっこう冷えてますし、あたし、まともなコート持ってませんから・・・。」

この豪華過ぎるドレスに対して、違和感の無いほどのコートなど持ち合わせてはいないのだ。

千代「いえ、それもご用意させていただいておりますから。」

興梠「あらまあ、何から何まで・・・」

千代「このあとの松が谷でのことも考えますと、どうせなら、この際、出来るだけ豪華な演出を心掛けたいと存じまして。」

なるほど、あたしが惨めな思いをしないよう気を遣ってくれてるわけか。

まあ確かに、このあたしを無一文で叩き出してくれたあの家(うち)に、みすぼらしいかっこで顔を出したくは無いしなあ。

時間によっちゃ従業員だって残ってるだろうし、うるさがたのパートのおばちゃんなんかに笑われちゃうのもハラ立つし。

興梠「でも、引っ越しにはまるっきり不向きな格好なんですよ。」

千代「おほほほ、さきほどからずっと拝見させていただいておりますが、大変良くお似合いでいらっしゃいますわ。それにお引っ越しと言いましても、ご自分で汗をおかきになるようなことは決しておさせしませんから。」

興梠「判りました。こうなったら、もう何もかもお任せしますから。」

何だか黙って聞いてると、まるっきりお姫さま扱いだし、それに、どう転んだって殺されちゃうことは無いと思う。

千代「キャッシュの方もただ今吉川に持たせますので、何ごともご遠慮なくお申し付け下さいませ。」

興梠「あら、吉川さんが来てくれるんですか。それなら安心です。」

千代「あたくしの方も、このままこちらで待機させていただいておりますので、もしもの節はなんなりと仰って下さいませ。それでは、のちほど改めまして。」

モニタが真っ黒になって静まったあと、何だか一気に力が抜けて行くような気がした。

さあ、大変だ。

もうちょっと経つとテレビカメラが待ち構える中を、胸を張って出て行くことになるのである。

今までの例だと、ものすごいフラッシュが焚かれちゃう筈だ。

こうしちゃあ、いられない。

メークもコスチュームも、もう一回チェックしとかなくちゃ。

そわそわと実に落ち着かない気分だったのだ。

その後、三十分ほどで第一便が到着し、作業員が二人も姿を見せてくれた。

直前に吉川さんから通信が入り、画面で担当者の顔を見せてもらっていたこともあって、全ては淀みなく進行し、路上では盛大にフラッシュが焚かれる中、搬出作業は呆気無く完了しちゃった。

窓からこっそり見ていたら、積み込んだのは、乗用車に毛の生えたくらいのライトバンに見えたけど、それで充分だったみたい。

運転席には一人がずっと残ってたみたいだったけど、マイクを散々突きつけられても、一言も喋らずに走り去ってくれたようだ。

どうやら、一部があとを追って行ったようだが、マスコミの数は減るどころかさっきよりかえって増えてる感じさえある。

まったく、どこまでしつこいんだろう。

でも、これでもう、自分の体一つを始末すれば良くなったのだ。

ママと二人で、珍しく神妙な顔付きで語り合っているさなか、ストールと一緒に見事なファーコートを携えた吉川さんが顔を出してくれたので、その先導で勇躍部屋を出た。

四十がらみのごつい男性がダークスーツをびしっと決めて、二人もガードしてくれている。

「ママ、落ち着いたら絶対連絡するから。」

「うん、わかってるわよう。」

一瞬、ここには二度と戻れない気がして哀しかったけど、気のせいかママの目にも涙が滲んでたみたい。

一旦出たら最後、明日の運命も知れないけれど、あたしにとって出陣には違いない。

下では多数のカメラが待ち構えていることを意識して、コートはわざと着なかった。

上半身が多少肌寒かったけど、ショール一枚羽織らずに、目一杯見栄を張ってエレベータに乗ったのだ。

とにかく、孔雀のようなこの姿が明日から繰り返し報道画面に登場するかと思えば、かえって誇らしい気分にさえなってくる。

実際こんなときは、出来るだけ地味な格好で、とことんしおらしい女を演じて見せた方がいいに決まってるけど、それも、もういいや。

これで一層反感を買ってしまうだろうし、ダーティな評価もさらにうなぎ上りだと思うけど、どうせあたしは、あんたたちマスコミに言わせれば「悪の華」なんだから、派手に咲いて見せてやろうじゃないの。

エレベータを降りた途端、思ってた以上のフラッシュの嵐だった。

そこから先は内部通路がエントランスまでまっすぐに伸びており、路上の連中にとっては絶好のカメラアングルだろうし、こっちだって百も承知でこの姿で降りて来たのだ。

路上に出るまでのたった数メートルが女の花道だと思いながら、二・三歩踏み出しては見たものの、一気に寒気が肌を刺してきて、思わず傍らの吉川さんに救いを求めてしまっていた。

なにしろ、上半身が裸同然なのだ。

すかさず着せ掛けてくれたボリューム感たっぷりのロングコートは、フラッシュの放射の中で見事な光沢を放ち、見るからに高級感に溢れていて、とても豪華なものだった。

意外なことに、別途に待機していたらしい新手(あらて)の男性が三人もガードに加わってくれて、押し寄せるマイクの荒波を掻き分けながら、やっとの思いで目指す車の後部座席に辿り着いた。

用意された車は見るからに重厚な造りの高級車で、それが二台も揃っていたことにも驚かされたけど、その上、ガード役の五人の他にも、それぞれのドライバーが車中にとどまっていたらしく、結局、神宮前の方では都合七人もの男手を派遣してくれたようだ。

あたしなんかの勝手な都合のために急遽駆り出された挙句、黙々と働いてくれている人たちはこれで十人を超えてるみたいだし、お金のことと言い、これほどの動員能力と言い、やっぱり千代さんのグループは不思議な力を持ってるみたい。

こっちの車の助手席にガードの一人が乗り込み、あたしの隣には吉川さんが座った。

残りの人たちは、きっと後ろの車なのだろう。

走り出したときに電話してあることだし、安田は大喜びで待ってる筈だ。

昭和通りは思ったよりがらがらで車は快調に走り、マスコミの車も大勢付いて来てるみたいだけど、心配だったのでママに電話で確認してみたら、お店の前はすっかり静かになったみたいだった。

わざわざ、引っ越し荷物の搬出作業まで見せ付けてやったのだから、これ以上張り込んでも無駄なことが判ったのだろう。

運転手さんは目的地への道順を良く知ってると言うので、こっちはこれからのことをもう一度頭の中で整理して置かなくちゃ。

打ち合わせでは、安田と向き合ったら、吉川さんを紹介して、あたしは黙ってることになってるけど、吉川さんは頭は良さそうだけど、若いし上品過ぎて甘く見られちゃうかも知れない。

それでなくても相手は女の腐ったような人間なのだ。

大人しくしてたら、それこそ何を言い出すか判ったもんじゃないし、そうなったら、あたしが直接当たるほか無いんじゃないかしら。

それにしても、なんであんな男に惚れちゃったんだろう。

最初は、まじめで大人しくて、その上頼りがいのある人だと思ったのに、まったく、ここまで情け無い人だったなんて夢にも思わなかったわよ。

どっちにしても、全部今夜で済ませてしまいたいけど、そうも行かないかも知れない。

あ、もう、近くだ。

まるで金魚の糞みたいな連中の車を引き連れて裏通りに進み、やがて見たくも無いスーパー・ヤスダのちっぽけなパーキングに入った。

着いてみると、前以て二台の車両が先着していて巧妙にブロックしてくれており、これも全て予定の行動だったらしく、こっちの車はその二台の間にするりと潜り込むことが出来た。

そこには、ジャンパースタイルの作業着姿の男たちが、十人ほどもまったく新たに登場しており、その人たちが結界を結んで厳しくガードしているため、マスコミのマイクはほとんど近づけず、少し離れたところから押し合いへし合いしながらカメラを構えている。

店のシャッターは降りてたけど、中は未だ作業中の筈で、あちこちからかなりの光が洩れて来ており、今、端っこの通用口のドアが開いてあの男が顔を出したところだ。

それを確認してから車を降りたのだが、黒服の一人が恭しくドアを開けて待っていてくれるし、まるで貴婦人にでもなったような気分で、嬋娟たる立ち姿を思う存分見せ付けてやったわよ。

凄いほどのフラッシュが焚かれ、周囲一帯が一気に騒然として来る中を、豪華なロングコートを羽織り、ダイヤストーンのイヤリングを煌めかせながら吉川さんと一緒に颯爽と歩んで行く。

黒服が五人、黙々と付いて来てるけど、皆さん黒いレザーの手袋をはめ、中の一人が中くらいの鞄を提げてるところを見ると、きっと中身はあの五千万に違いない。

考えてみると、今さらながら惜しくなってきちゃった。

これだけあったら、あれもして、これもしてって、きりが無いほど次々と出て来ちゃって我ながら呆れるくらいで、やっぱりあたしって生まれついての貧乏人なんだわねえ。

その間あたしたちの周囲を例の作業着姿の人たちが厳しくガードしてくれて、難なく通用口をくぐり、事務所兼応接室に通ると、あの男はおどおどと、こっちの顔色を窺いながら席を勧めるのだ。

この陣容に度肝を抜かれていることは確かだろう。

ごつい黒服が五人も、黒い皮手袋を嵌めてあたしと吉川さんの後ろにずらっと立ったのだ。

その上、おもてには十人からの加勢がいる。

これも吉川さんの演出なんだろうが、これじゃあ、大抵の人は恐れをなしてしまうに違いない。

安田が自分で空っ茶をいれて向かい側に座るのを見計らい、吉川さんを友達として紹介したあとは、打ち合わせ通り口を閉ざすことにしよう。

吉川さんが軽く会釈しながら名刺を置き、目配せ一つで例の鞄を机の上に置かせ無言でその蓋を開いた。

勿論、中は福沢諭吉さんで満員だ。

安田の顔色がみるみるうちに変わってしまい、最初きょときょととこちらの顔を見ていたけど、やがてそろりと手を伸ばし、札束の幾つかを手に取ってぱらぱらとめくっている。

見ると顔なんか土気色(つちけいろ)だし、その上微かに手が震えているのだ。


しばらく黙って見ていた吉川さんが、やがて宣言した。

「もう、いいでしょう。」

それを合図に黒服の一人が全ての札束を鞄に戻し、音を立てて蓋を閉めてしまった。

安田「ど、どうするんですか?」

吉川「全てのことを確認出来てからお渡しするよう申し付かっておりますので、悪しからず。」

安田「はい?」

吉川「一切の債権債務及び内縁関係の不存在を謳った文書を要求してある筈ですが。」

内容は別にして、「一筆入れてもらう。」と言ったのは確かにこのあたし自身なのだ。

安田「は、はい、何でもハンコ押しますから。」

吉川「例えば手記の一件などは、どう処理されましたか?」

安田「い、いえ、未だ連絡が取れないものでして。」

吉川「それではお話にもなりませんわね。」

安田「必ずけりをつけますから。」

吉川「だいたい、あなたの仰ることは誠意が無さ過ぎますので、そう仰られても素直に信じるわけには参りませんわ。」

安田「え?」

吉川「手記の件一つ取ってもそうですが、もう少しまともなお話をお聞かせいただかないと、これ以上のお話し合いは無意味かと存じます。」

安田「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。確かに事実に反することも言っちゃいましたけど、その話が進んでるのは本当なんですから。」

吉川「少なくとも、前渡し金を受領済みだと言う点は虚偽でございますわね。」

安田「は、はい。」

何だってえ、その話も嘘だったのかあ。

吉川「それに手記の件の商談自体、未だ妥結してるわけじゃありませんわよね?」

いったい、吉川さんたちはどうやって調べてきてるのだろう。

調べようったって、そんな時間なんて無かった筈だし、まったく不思議だったのだ。

安田「は、はい。」

吉川「では、破談になさるのも簡単ですわよね。」

安田「はい、早速断りますから。」

吉川「いずれに致しましても、当方がお約束のモノを用意済みであることはご理解いただけたものと存じますが?」

五千万作って渡してやるって「約束」しちゃったのもこのあたしだ。

なんて、バカなんだろ。

安田「はい、勿論です。」

ついさっき、手を震わせながら散々確認した筈だ。

吉川「私どもの誠意はお見せしましたが、そちらさまの方のご用意がお出来にならないご様子ですので、また改めてのこととさせていただきましょう。」

黒服の一人が、無言でテーブルの上から鞄を下ろしてがっしりと持ちかえた。

無論、そのまま持ち帰ろうと言う態勢なのだ。

安田「えっ、ちょっと、どう言うことですか。」

一瞬、安田が気色ばんだ。

必死なのだろう。

吉川「・・・。」

吉川さんは冷然たる無言だ。

そのとき、直ぐそばの電話が唐突に鳴り響いた。

安田は一瞬びくっとしたが立つ気配は無い。

誰かが別の場所で取ったようで、間も無くドアがノックされ、古手のパートの一人が顔を出した。

パート「失礼します。社長、扶桑銀行の支店長さんが急用だって言ってますけど。」

扶桑銀行は有数の都市銀行であると同時に、スーパー・ヤスダのメインバンクなのである。

安田「ちょっ、ちょっと失礼します。」

吉川「どうぞ。」

安田は慌てて別室に去ったが、無論、この部屋で電話に出ることもボタン一つで可能だ。


結局この電話で、安田社長は死ぬほど仰天させられることになる。

顔馴染みの支店長はかなり慌てている様子で、その一言が安田をして心底から戦慄させてしまうのだ。

なんと、大和商事さんとわざわざ事を構えるような人とは、取引出来ないと言われたのである。

彼自身が自分の首が飛ぶと言って恐怖しており、安田も事の重大さに色を失ってしまった。

そう言えば、さっきはろくに見もしなかったのだが、あの名刺には確かに大和商事云々の肩書きがあった。

それに、その口振りから見ても、相手が相手である以上、ほかの銀行も似たり寄ったりの反応をするに違いない。

このタイミングで一斉に資金の引き上げに動かれでもしたら、それこそウチは一巻の終わりだ。

いや、銀行側のスタンスに関する噂が流れただけで、もう、おしまいなのである。

そうでなくても、既に大幅な資金ショートが発生しつつあり、来週早々の十日の手形だって、せめて大口のものだけでも、ジャンプしてもらおうと必死に動いていたところだったのだ。

そのあとの十五日期日の大口もあることだし、直ぐに二回目の不渡りとなってしまう。

その上、支店長は手記の一件も耳にしているらしく、個人的なアドバイスだとして微妙なことを言っていた。

今度のような手記を云々する出版社にしても、今後は、独立系のごく小規模のところしか相手にしてくれない筈だと言うのだ。

何故だと聞いてみたところ、逆に秋津州商事の広告宣伝予算がいくらなのか知らないのか、と言われてしまった。

いっとき、メディアを騒がせたその予算額の桁外れの巨大さは流石に記憶に残っている。

何せ、あのトヨベ自動車の百倍だと言うではないか。

文字通り、桁違いの広告宣伝費なのである。

詰まり、秋津州商事は広告宣伝を扱うほとんどの業界において、桁違いに大きなクライアントだと言うことになるのだ。

支店長は、この場合の秋津州商事と言う企業が、実質的にどこの傘下にあるのかを考えれば自ずと答えは出て来る筈だと言い、当然、今日を境にメディアのスタンスも手の平を返すように変わる筈だと断言していた。

事実、あの吉川とか言う女の名刺には問題の秋津州財団云々の文字まで見えていた。

しかし、律子がまたどう言ういきさつで、あいつらの庇護を受けることになったのか、どう考えても不思議でたまらない。

いわば、敵同士ではないか。

電話で言っていたように、身売りしたとでも言うのか。

それが本当なら、その場合の身売り先については、いまさら言うまでもないだろう。

いずれにしても、現実にやつ等は律子のバックについているのである。

律子を攻撃すると言うことは、同時にやつ等をも敵に回すことを意味するのだ。

安田は悄然と元の席に戻ったが、無論状況が好転する筈も無い。

支店長のさっきの口振りから見ても、やつ等を怒らせたりしたら、うちの店なんか恐らく電話一本で潰されてしまうに違いない。

相手はそれほどまでに強大な存在であり、もしそうなったら、一切の対抗手段が失われてしまっていることを、今さらながら思い知らされたのである。

それに、こちらから攻撃を仕掛けるような愚かなことさえしなければ、その強大な相手は鼻も引っ掛けてこないだろうと言う。

とにかく、平謝りに謝ってしまった。

真実、後悔したのである。

向かいに座った律子は、小面憎い顔を少し上向き加減にしたまま一切反応しなかったが、吉川と言う女の方は多少態度を和らげてくれて鞄を渡してくれた。

受け取りは要らないと言われ、中は何よりも強いキャッシュだし、相手の言うがままに、来週早々に銀座の秋津州ビルに印鑑証明書を持参し、先方が用意してくれる書類に判を押すことを心から誓ったのである。

口約束ではあったが、不思議なことに吉川女史がそれで承知してくれたのだ。

尤も、例え口約束であろうと、それを破れば結果は目に見えている。

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