日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 024

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ロシアの戦後処理におおまかな道筋をつけて、新田と京子が秋津州に戻ったのは既に灯ともしごろであったのだが、それを首を長くして待ち受けている者もいる。

米国大統領特別補佐官トーマス・タイラーだ。

タイラーとしても、国王の周辺に必死に接触を試み、情報の収集に努めては来たが、その甲斐もなく空しく時を過ごしていたのである。

本国からは火のつくような督励が連続して飛んで来ており、その焦りはいや増すばかりであったが、現場のタイラーにして見ればそれどころの騒ぎでは無い。

何しろ、実に慌ただしい出発だったため着替え一つ持っておらず、内務省から配布を受けた物資だけで、身の回りを凌がざるを得ないほどの実情があったのだ。

日本と往来することの出来るNBSの船便を使うことによって、ようやく身の回りの品々を搬入することが出来たばかりでもあった。

また、複数の属僚を呼び寄せる件についてもその入国の許しを得たいのだが、現状の感触では躊躇せざるを得ない。

地響きのするようなあの怒声が、今にも降ってきそうな気配すら感じてしまうのだ。

うかつに言い出したりすれば、かえってやぶ蛇にもなりかねず、その結果、自分たちの滞在の許しまで取り消されてしまえば、それこそ元も子もないだろう。

せめてものことに、本国で鋭意準備中の第二のサランダインティームの到着に期待するほかは無く、ジャーナリストに名を借りたその美女軍団が先発グループの編成を終え、急遽日本に向けて飛び立ったことまでは分かっている。

ワシントンは、莫大なコストをかけて選りすぐりの戦士を集めた筈で、NBSの関係者と言う名目であれば、その入国の許しも間違いなく下りる筈だ。

初代のティームは相当の成果を期待できる寸前にまで、獲物に接近することに成功していたこともあり、ワシントンのみならずタイラーとしても、現状を打破するために、これにかける期待は当然大きいものがある。


さて、タイラーの焦りを尻目に、王はまたしても新たな土木工事に取り掛かった。

昨日の豪雨によって甚だしい水害が発生しており、それに対する治水工事なのだ。

なにしろ、たっぷり十五時間は降り続き、東部を流れる高野川が氾濫し、その東側一帯が冠水してしまったのである。

本来なら、大水害であったろう。

しかし実際には、今次の動乱で辛うじて生き残った者たちは、首都圏に設えた集合住宅に退避させていることになっており、冠水してしまった地域には一人の住民も住まわせてはおらず、加えて、秋津州が自然の風雨に激しく曝されるさまを、一日も早く確かめたいと願っていたところでもあった。

七月十日以来、たいした雨も降らず密かに案じていたところに、やっと纏まった降雨を見ることが出来て、内心小躍りするほどに喜んでいたのである。

この豪雨によって引き起こされた水害の実情を、充分に確認することが出来たことによって、自然その対応策にも自信が持てるようになったまでのことなのだ。

その結果、若者は大部隊を投入して保水池と運河の掘削を始め、高野川の湾曲部の外側に設ける保水池も自然巨大なものになって行った。

高野川と運河の分岐地点には堰を設け、高野川の水量が一定量を越えた場合には、高野川から運河を通して保水池へ、そして保水池から下流の運河を通して秋津州湾に大量に流れ込むよう工夫されており、高野川の水量が平常の際には、自然保水池にはわずかな水量しか流入しないのである。

また、例のベイトンなどは全く使われず、掘削した自然の岩盤と土壌が大規模に再利用されているようだ。

若者には、既に三つの荘園で散々汗をかいてきた治水事業の実績もあり、そのことが充分に活かされて、ほどなく見事な姿を見せていくに違いない。


さて、北京からの支援要請の依頼は、モスクワから戻ったばかりの新田を追いかけ回すような勢いで飛んで来る。

国家主席とやらまでが泣きついて来ているのだ。

その結果、またしても新田が出動することになったのは、モスクワから戻ったその翌日のことであった。

今度は北京だ。

まさに八面六臂(はちめんろっぴ)とはこのことであろう。

まったく、席の温まる暇(いとま)もない。

無論一番に国王と打ち合わせ、日本の内閣官房にも連絡を入れた。

本省からは、例の新設部局の課長ポストの内示を伝えてきたが、新田はただひたすら哄笑するだけであった。

新田の目には、この乱世に未だ机の上だけで、ちまちまと人事をいじっている本省の姿が、余程珍奇なものに写ったのであろうが、新田に笑われても本省は怒ることも出来ない。

怒るどころか、北京へは数名の外務官僚を随伴させたい旨、恐る恐る打診してきたが新田は当然のように黙殺した。

指示では無く、打診なのである。

その身分が未だに大臣官房外交史料館付きのままである以上、本省は新田に対する指揮命令の権能を事実上放棄したことになるであろう。

しかし、本省としても例の五カ国会議のこともあり、情けないことにそれについても全て新田情報をベースにせざるを得ない。

その上、駐米大使館からも新田情報を報告しろと矢の催促がある。

呆れたことに、駐米大使閣下は未だに本省を仕切っている心算なのだ。

アジア大洋州局と北米局の軋轢もその摩擦熱がきな臭い物を漂わせてきており、確たる目標も目的も定まらない官僚たちが無為に駆け回り、省内のいたずらな紛糾は収まる気配もない。

最近では、肝心の新田情報すら内閣官房から降りてくる始末で、この意味からも、本来一外務官僚であるべき新田の身分は、正式な人事こそ発動されていないにせよ、最早内閣官房直属のものとなったと言っても良いのかも知れない。

その結果、今回の新田の出張は、ロシア出張時とは異なり単なる海外研修の名目となった。

いずれにしても、公務出張には違いないのだが、もともと新田にとっては大した問題ではない。


例によって新田と京子のコンビは一瞬で北京に飛んだ。

無論、全ては北京政府の切なる懇請によってのことである。

この頃の北京城の上空一帯には、見渡す限り膨大な秋津州軍が展開しており、地上にも未だ相当の大部隊が配備されていた。

京子によると、国王は今でも北京付近だけで十個連隊(二百十億)を配備しているそうだが、停戦前には、恐らく一個師団を超える軍容であったろうことは想像に難くない。

秋津州の常備一個師団の兵員数は、優に一兆を超える大部隊だ。

なお、この一個師団は北京付近だけに配置されていた部隊であって、中朝二カ国の全土に関しては、ロシア担当のものと同等同列の一個軍団がその任務を担って来ていると言う。

又、ほぼ無傷であったモスクワとは異なり、こちらには多少破壊の痕跡が見受けられ、一部には焼け落ちてしまった建物も目に付く。

無論これ等の破壊行為は秋津州軍の仕業ではなく、そのほとんどが中国人民が自ら為したことであり、それどころか騒乱の最中に発生した火災の際にも、実質的な消火活動に当たったのは、全て秋津州軍であったことは中国の首脳陣もわきまえてはいたようだ。

天安門に掲げられていた筈の神格化された偉人の巨大な画像が、既にそこにはないことも事前に見た映像の通りだったが、いずれにしても、見たところそうたいした被害ではないのである。

例外は、各地にある巨大な地下の軍事施設の数々だ。

それらは、D二とG四によって徹底的に破壊されつくしてしまい、もはや復旧の目途も立たないほどの惨状だと聞いているが、それにしたってこれだけの大戦の結果としてみれば、比較的軽微な損害だと言って良い。

殊に一般の市街地などはほとんど無傷のものが多く、それを聞いた各国政府を安堵させたくらいなのだ。

日本でも、当地の復興について見通しが明るいことが伝わるに連れ、ことのほか喜ぶ者が多いのである。

日本との経済関係はそれほど密接なものがあり、このような状況下で届いた本省の声は、せめて事前に北京の日本大使館に顔を出してくれるよう哀願していたが、新田としてはそんなところになぞ用は無い。

初めから顔を出すつもりは無かったのである。

北京政府との打ち合わせ通り天安門広場に直接着地し、国務院総理を筆頭にあまたの出迎えの中をポッドから降り立つと、どうも案内役の者が人民英雄記念碑の方にいざなうようだ。

聞けば、その人民英雄記念碑とやらに「献花しろ」と言う。

その、セレモニーの準備も済んでいるようだ。

「そんな悠長なことを言ってられる場合か。」と、怒鳴り上げたい気分だ。

新田は、もともと省内でも変人とまで言われている男なのである。

この場の連中に遠慮する気なぞ毛頭無い。

「こちらは忙しいのだから、頼みごとがあるのなら早くそれを聞こうじゃないか。」とずけずけと言ってみた。

結局、改めて釣魚台国賓館へ向かうことになり、芳菲苑の広大な芝生に移動を余儀なくされて、この時点で既に内心穏やかではなかったのだ。

挙句の果てに、国家主席自身は顔も見せぬまま協議が始まり、とり急ぎドル建ての支援をくれと言う。

それも、とりあえずロシアの倍額が必要なんだそうだ。

それより、どうも話の感覚そのものが違う。

新田から見ると、「くれると言うなら、もらってやっても良い。」と言う態度にしか見えないのだ。

時折り、遠来の知人に対する大家(たいけ)の大旦那のような態度を見せたりもする。

無論、遠来の知人とは新田のことで、大家の大旦那とは中共の首脳陣のことだ。

そのうち顔を出すだろうと思っていた国家主席とやらは、その気配も無い。

まあ、それはそれで良いとして、カネだけ懐に入れても最早中共政権は立ち行かないだろう。

新田の見るところ、北京政権の求心力は既に大幅に低下してしまっており、積年の「紅い皇帝」の面影など微塵も残ってはいないのだ。

広大なシナと言う地域を代表していると主張する政権が、西に重慶、東にハルビンと、別に二つも出来てしまっており、白髭三千丈のお国柄とは言いながら、これら両者ともに数百万の軍を持っているとまで呼号する始末だ。

中共政権は北京と天津を中心に河北省をやっと押さえ、上海と連携するにも四苦八苦している有様であり、その程度の力でカネだけ持っても先行きの不透明感は全く拭えないのである。

そこのところをどう考えているのか聞いてみたが、さも「余計なことを聞くな。」というような表情を見せるばかりだ。

要するに、「黙ってカネだけ出せば良いのだ。」とでも言いたいのであろう。

新田は呆れかえってしまった。

カネは国家の再建のためにこそ使われるべきであり、逆に内乱を助長する恐れのある枠組みの中にカネだけ落としてやっても、喜ぶのは中共首脳だけだろう。

下手をすれば、カネだけ抱いて亡命してしまう者も出るかも知れず、隣の京子を見ると、やはりこの展開には呆れているようであった。

「どうも、勘違いをしていたようだ。失礼する。」

一言だけ言い放って新田はとっとと席を立ち、数秒後には秋津州に戻ってきてしまった。

一部の首脳たちのすがるような眼差しには、一顧だにしなかったのである。

特別、記者発表などは行われなかったが、「北京は秋津州に見放された。」と言う論調のニュースが流れるのは時間の問題であろう。

その結果、北京政府はシナ地域における一地方政権に成り下がったことが、いよいよはっきりしてしまう筈だ。


新田が瞬時に秋津州に戻ったころ、内務省最上階に設えられた新田のオフィスには各国からの電話が殺到していたが、そのオフィスの主のようにして、それらの全てを捌いているのは秋元五姉妹の内、下の三姉妹だ。

未だ二十歳前後の彼女たちには、それぞれ数名ずつの助手が配備され、このオフィスは全部で二十名ほどの女性ばかりの体制なのだが、その機能も又奇妙と言えば奇妙なもので、一見秋津州の国益を最重要視するかと思えば、時には日本の大使館ででもあるかのようなところまで見え隠れする。

内閣官房から新田に対する訓令もここに入るため、その内容は全て京子は勿論国王も知ってしまう。

それを、新田自身も分かっていて苦情を言うわけでもないのである。

普通なら絶対にあり得ないことなのだが、不思議なことに国王と新田の間では両国の利害得失が融合していき、ほとんど矛盾するところが無いのであろう。

その典型例として例の北方領土奪還がある。

かつて新田がクレムリンに入ったとき、そのことを対露支援の前提条件として提示し、それこそが国王の真意だと強力にアピールすることによって、初めて実現したことなのである。

なおかつその奪還が成った際も、国王に何一つ見返りを求める意思は無く、国井官房長官とのやりとりの中でも、国王が望んだことはただ一つのことであったと言われる。

それは「四島の奪還が成ったからと言って、日本は一切の対露支援を控えるべし。」と言うものであった。

要するに「日本としては、感謝したりお礼の進物を差し上げたりするべきではない。」と言うのだ。

本来ならロシアに対しその不法行為を咎め、逆に賠償を求めても良いくらいのものだとする若者の意向は、国井義人の政治信条とも奇妙なほどに一致したのだと言う。

ロシアは不当な軍事占領に終止符を打ち、自主的に撤収することになったまでで、日本としては別に恩に着るようなことは何一つ無いのである。

単にその撤収作業が完了して、日本の統治が旧に復するだけのことなのだ。


また、新田が慌しく北京から戻ったころ、台湾から自国の国号変更の希望ありとしてある要請が入った。

秋津州への公式訪問を打診してきたのである。

公式訪問とは、無論「国家元首」としてのものであることは言うまでも無い。

若干の調整を経て、やがて迎えのポッドが派遣され、台湾総統の一行をひっそりと運んできた。

このポッドの存在は既に内外に知れ渡っており、秋津州国王の招きを受けた場合、その移動が瞬時に行われることも世界の驚きを呼んでいるさなかだ。

到着早々、新田を交え国王との直接会談が持たれたことも、政治的には決して軽いものでは無かった筈で、直後に行われた記者発表においても、国王が「中華民国の国号について発言する立場にはない。」と明瞭に発言するに及び、台湾総統は間髪をいれずその国号の変更を宣言した。

「台湾共和国」である。

唯一台湾側が必要としたのが、国王の実質的な台湾承認宣言であり、現下の情勢から言っても、秋津州国王の承認さえ得られれば、もうそれだけで国際的な承認を得られたも同然なのだ。

確かに国王は「台湾を承認する。」とは一言も言ってはいないが、「中華民国の国号について発言する立場にはない。」と明確に発言していた。

「中華民国の国号」と言っているのである。

これこそが、台湾側の欲した「国家承認」の意をていした表現と言って良い。

台湾側の目的は、見事に達成されたことになる。

しかし、「台湾共和国」はことさらに独立の宣言などはしない。

わざわざ、宣言する必要なぞ無いらしい。

もともとから、独立国であったからだと言うのだ。

「清」と言う名の国家が存続していたなら、多少は事情も変わったであろうが、その国はおよそ一世紀も前に滅んでしまって今は無い。

そもそも、その「清」からして「シナ」から見れば満洲族と言う異民族に征服された結果生まれた国家であった。

そして、その「清」が滅んだ後、半世紀近くシナ地域に統一国家は存在せず、諸方に「実質的な王」が多数盤踞して、そのそれぞれが地方政権としての機能を果たしていた。

だが、台湾はその間もれっきとした日本領であった筈だ。

要するに、台湾は日本領から解き放たれて以来、その独立を保持してきたと言う。

その後のシナ地域では「中華ソビエト共和国」と言う流浪の一地方政権がその名を変えて、「中華人民共和国」と言う統一国家体制を成立させたが、この政権はただの一度も台湾を実効支配したことも無く、びた一文徴税したこともない。

結局、日本から分離したあと、この間を通じて台湾は自立してきたことだけは確かだろう。

このことをより強く印象付けた記者会見のあと、南京を首都としシナ全土を支配統治すべき国民党政権の後継者と言う主張はおくびにも出さず、総統はたった二時間ほどの滞在で、またしてもポッドに送られ慌しく帰国して行ったのである。

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  1. 2005/11/02(水) 23:17:14|
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