日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 063

 ◆ 目次ページに戻る

さて、この「栄光の日本海海戦」に際し、韓国海軍の将兵は当然ながら日本の艦船に向けて攻撃を加えていた筈だ。

無論、彼等の主観の中においてである。

ひるがえって、日本人の「主観」の中では、日韓関係において大きく比重を占める事柄として、あの「李承晩ライン」と言う暴挙があったことを忘れることは出来ない。

この件については、殊に新田や岡部などに言わせれば、「恩を仇で返された。」と言う感覚まであるのだ。

いみじくもそれは、千九百五十二年一月十八日、時の韓国大統領・李承晩が「竹島と対馬の領有」と排他的漁業権を主張するために、「勝手に」日本側海域にまで踏み込んで領域を定め、日本船の立入禁止を宣言し、かつ実力行使に及んだ事案であり、日本は千九百五十二年(昭和二十七年)四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効してようやく主権を回復するに至るのだが、ときあたかも、その直前を狙った、言わば火事場泥棒と言われても仕方の無い行為であったろう。

詰まり、この「李承晩ライン」の宣言がなされたとき、日本は未だ独立していなかったのであり、そうである以上火事場泥棒に対抗する手段も持ち得なかったことになるのだが、時の韓国政府は、国際的にも根拠の無いこの「李承晩ライン」を振りかざし、それを侵したと勝手に決め付け、その後三百隻を超える日本漁船を拿捕し、四千人近くの日本人船員を抑留して多くの死傷者を生じせしめるに至った。

挙句、これほど多くの抑留者を人質として押さえられてしまった日本は、韓国政府から暴圧的な脅迫を受け、収監していた五百に迫る在日韓国人犯罪者を釈放させられた上、特別な在留許可まで付与せざるを得なかったのだ。

また、李承晩ラインの宣言直後に起きた「第一大邦丸事件」などに至っては、拿捕されたあとの船員たちの扱いにおいても、韓国側の悪辣さ、残虐さが数々浮かび上がってきて、最早何をかいわんやと言う心境にさえなってくる。

筆者注:参照元 第015回国会 参議院 水産・法務・外務委員会連合審査会 第1号
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=27512&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=13514&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28053

いずれにしても竹島を巡る紛争の原点とも言えるこの「李承晩ライン」は日本人が決して忘れてはならないことであり、その延長線上にこそ新田と岡部の作戦もあった筈で、このデコボココンビが企てた作戦の眼目は、相手が最も敏感に反応してくるであろう「痛点」を刺激して見せることによって断交宣言を引き出し、先ず両国間に横たわる既存のルールを破壊することにあったであろう。

国交が失われ、両国間に横たわる不条理な取り決め事が全て霧散してしまえば、日韓間に横たわる諸問題を処理するにあたって、初めてフリーハンドを得られると考えたからなのだが、かと言って日本側からの断交は、日本の「特殊」な国内事情から言って事実上不可能であり、その点から言っても、韓国側から出させることが必要不可欠なことだったのである。

尤も、彼等にしても、相手がこれほどまでの混乱に陥ることまで予想していたわけでは無く、単に相手側からの「断交」を引き出すだけで充分だったものが、結果として、ことはそれだけでは済みそうに無くなってしまった。

事態は、彼等の思惑を超えて、全く無軌道に進捗してしまっていたのである。

尤も、大泉・国井ラインの方では、最悪の場合でさえ明確なシナリオを描き切っており、当然その対策も密かに持っていたと言って良い。

無論それは、日本海や東シナ海に張り巡らせた例の重厚な防御フェンスや、その他の特殊な防衛システムのことを指しており、その桁外れの規模と能力についても、当然綿密に知り得る経緯があり、事後の始末に関しても特段の不安があるわけでは無かった。

肝心の秋津州側との打ち合わせもすこぶる順調に推移し、かの若者の存念にも充分に触れる機会があったことから、不安どころか満々たる自信にさえ溢れており、その配下の新田・岡部ラインにしても、特別慌てる場面があったわけでは無い。

真に官邸サイドが問題にしていたのは、全く違った切り口のものであって、それはあくまで国内の治安対策にあったのだが、実は、この時点の内閣官房は、まさに圧倒的な効果を期待し得る備えを握っていたのだ。

それは、実に二十億超もの要員と、東日本入国管理センター付近に用意された複数の巨大施設だったと言って良いが、この場合の二十億超の要員とは無論秋津州の一個連隊のことであり、はたまた巨大施設とは、以前北部朝鮮において拉致被害者への対応にあたって利用された集団居住用施設と同様の物で、この二つともが、日本の予算執行とはほとんど無縁であることと、それぞれが優れた自己完結機能を備えていることが際立った特徴であったろう。

巨大施設に至っては牛久沼湖面の宙空にあるため、その用地の収用も不要なことに加え、肝心の運用コストまで全て秋津州の負担なのだ。

詰まり、そのほとんどが秋津州の予算で賄われ、特定の局面で例外的に発生する費用については、国井の握る内閣官房の掴み金だけで事足りてしまうところに持ってきて、岡部の仕切る対策室が各省庁から大幅に増員を受けたばかりか、例の一個連隊がとうに膨大なデータの収集に貢献しており、この意味では既に必要にして充分なデータと戦力が整ったと言って良い。

しかも対策室で行われる準備会議には国井自身も度々出席を重ねつつ、周到な準備におさおさ怠りが無い上に、この五日の時点で、日韓両国それぞれの外交使節団の引き揚げも完了し、いよいよ両国の外交関係は全く途絶することとなり、あとは最高指揮官たる総理から、着手令が下るのを待つばかりであったのだ。


一方秋津州の首都では、韓国代表部の担当官が必死の足掻きを続けていたが、新田の対応は相変わらずにべも無いもので、国王どころか新田にすら会える気配も無い。

まして、親切な仲介者など現れてくれる気配もない以上、最早韓国側が交渉すべき窓口は外事部以外には見当たらず、四日の日には現状を打開すべく韓国外交通商相が来秋し、やっとのことで秋韓外相会談が開かれる運びになりはしたが、秋津州外相たる山口志津子が、かつて米軍ヘリの墜落事故の際、現地に赴き見事に捌いたことで知られた人物でありながら、哀しいかな一面識も無いありさまなのである。

しかも一方的に外相会談を望んだのは韓国側であり、浮沈の瀬戸際に立っている側としては今更面子に拘っているゆとりなどは無く、一方的に指定された時刻通りに出向いて行かざるを得ない。

やがて韓国外交通商相が外事部の応接室に入り、通常儀礼の応酬から両国外相の直接会談が始まったのだが、韓国側は悲痛な状況について一方的に愁訴せざるを得ず、その言い分は、ひたすら超大国秋津州の庇護を請い、それ無くして国家運営の継続などなし得ないと言うものにならざるを得ない。

事実であったろう。

いずれの国も韓国に対しては支援する甲斐が無いばかりか、下手に動けば、却って日秋連合の反感を買ってしまうのだから、救いの手を差し伸べてくれる国などあろう筈が無いと言うべきで、韓国外相はひたすら憐れみを請わざるを得なかったのだが、やがて相手の同情を買う事だけは出来たかも知れない。

秋津州外相は穏やかな笑みを絶やさず、辛抱強く聞き役に廻ってくれていたが、やがてその口からぽつりと出たのは、「大変ですわねえ。」の一言であったからだ。

彼女が、「貴国が苦境に立っておられることは充分理解する。」と言ってくれたことは確かであり、俄然好意的な感触を得たと思った韓国外相は、自国の存立を担保し得る言質を引き出そうとここを先途と掻き口説くが、秋津州側はこの「大変ですわねえ。」と言う同情の域からは一歩も出てはくれず、韓国外相はかれこれ三十分ほども懸命の愁訴を繰り返したが、結局何の進展も見出すことは出来ないまま、空しく帰途につかざるを得なかったのである。

翌日も訪れる約束は出来てはいるものの、明日になったからと言って、劇的に状況が変わって新たな外交カードが生まれてくるわけも無く、思えばこと対秋津州に関しては負のカードしか持ち合わせてはいないのだ。

昨年人類社会に登場した秋津州に対して一方的に領有宣言を発し、その後の混乱期には膨大な支援を受けて援けてもらった挙句、そのときの有償借款の返済については見事に頬かぶりを決め込んでしまっており、かてて加えて、その後に受けた膨大な支援についても、無理強いされたものだとして悪し様に罵るありさまであったのだから、今更困ったからと言って同じ相手に助けを求めるなど、世界中の失笑を買うだけであることなど直ぐに判りそうなものなのだ。

しかし、それが彼等には判らない。

次の日にもこの珍妙な外相会談は開かれたが、結果においては何一つ進展する筈も無かったのである。


一方、韓国側は東島の遺体や負傷者の搬出もとうに終えており、竹島付近の現場海域もこの五日の夜には、ようやく静寂を取り戻しつつあったのだが、東島の頂上辺りの施設などは自軍の攻撃によって完膚なきまでに破砕され尽くし、その自然環境が人員の継続的駐留の意思を厳然と阻んでおり、為政者の腰が定まらないため軍部の支持も更に失われてしまっていることに加え、その軍の内部にも甚だしい指揮系統の乱れが目立ち、正規の出撃命令が発せられる気配も無い。

尤も、海兵隊司令部などは、手持ちの第一海兵師団を以って独自に国土(独島)の前線防衛に当たろうとする勢いを示し、中でも過激な行動派が果敢に出撃したケースまであったが、海上で目に見えない力に阻まれ、どう足掻いても竹島に近づくことが出来なかったと言う。

ヘリは勿論、一切の軍用機が途中で強制的に方向を変えさせられてしまい、空中からの接近も許されず、潜水艦を使った海面下での吶喊でさえ全て軽々と押し戻されてしまうのだから、そこに大いなる意思が働いていることは確実で、このような離れ業を演じてみせることが出来るのは、唯一秋津州軍だけであることも歴然としているのだが、韓国軍がいかに歯噛みして見たところで、肝心の「見えざる敵」を捕捉することは能わず、秋津州軍の関与を立証することは全く不可能であった。

国境紛争中の相手国とはとうに威勢良く断交してしまっており、結局青瓦台は一方的に抗議声明を発し続けるほかに、能が無くなってしまっていたのだ。

何しろ、韓国は今まで、こと、この領土問題に関しては、日本側からいかに話し合いを提言されても一切応じて来なかった。

話し合いすら、拒否し続けて来たのである。

今更、どうすることも出来ないだろう。

結局、竹島にはごく少数の兵が取り残されてしまい、彼等は一切の補給路を断たれたまま、健気に踏みとどまることになったのだが、期待した増援部隊や資材の揚陸は一向に行われる気配も無く、飲料水ですら現地では調達不能であることがはっきりするに連れ、無念の撤退を余儀なくされることになった。

東島の水際に一隻だけ係留しておいた小型巡視艇を用い、一隻の友軍の姿も見出すことの無い暗い海上を已む無く帰投して行ったのである。

この時点で竹島が完全な無人となったことは確かで、ここに半世紀に亘る韓国による実効支配がその幕を下ろすこととなり、その後誰一人として上陸はおろか接岸出来たとする話すら聞こえては来ない。

海上保安庁指揮下のヒューマノイド軍団がその能力を遺憾なく発揮し、日本海や玄界灘を押しわたろうとする不審な船舶を阻み続けていたことには、マスコミは全く触れてはおらず、その間の日本政府もこれについては能く沈黙を守った。

しかも日韓両国間に国交が無い以上、青瓦台がどんなに声高に喚き散らそうと、その喚き声を仲介してくれる国や機関が現れない限り、最早日本政府の耳には全く届かないことになるのだ。

一方で、日本側から米軍に向けての情報開示が積極的に行われるようになり、日本側が日米関係重視のスタンスを崩していないことが伝わるに連れ、ワシントンの愁眉を大いに開かせ、日米非公式協議がひっそりと進行中であることが、一部マスコミの報じるところとなったが、相当な部分が日本側主導で行われていると言う論調が目立ち、この点においても隔世の感が深いとする者が少なくない。

その協議の主題も米軍の大幅な再編成とそれに伴う擦り合わせであるとされ、一部報道によれば、いよいよ日本が本来の主権を取り戻す日が近づきつつあると言い、領空の制空権一つとってもやがてその全てを回復し、日本がごく普通の主権国家たる姿を取り戻しつつあることが、事情を知る普通の日本人にとっては、いよいよ現実味を伴って胸に迫るものがあったに違いない。


十一月八日、日本において秋津州京子を筆頭者とする新たな戸籍が生まれ、その配偶者の欄に秋津州一郎と記載されることにより、日本国内においても若い二人の婚姻関係が法的に成立したと言うが、無論、秋津州京子が純然たる日本人のままであることに変わりは無く、秋津州一郎が秋津州人であることも又不変のことではある。

そして、その翌日の九日には、岡部大樹が今次作戦の着手命令を受けることにより、疾風の行政執行が開始されたのだが、従来から鋭意収集に努めて来たデータに基づく作戦計画は、壮大かつ充分に練りあげられたものではあったろう。

その「作戦」とは、一言で言えば、国内に不法に滞在している外国人の一斉取り締まりのことであり、後に第一次と呼ばれることになるこの作戦によって、直ちに検束収容された外国人の数は優に三十万を超えてしまった。

実に膨大な数ではあるが、前もって用意されていた施設が全て余裕を以って受け入れ、違反審査から電光石火で裁決が行われた上、即座に退去強制令書が執行されることになり、無数の空中浮遊物が国境を越えて大活躍したことは言うまでも無いが、その中でも過半を占めた韓国人容疑者などは、それこそ万の単位で瞬間的に移動させられて行ったと言う。

韓国の海岸などに送られた当人たちが、自分の身に起きたことを咄嗟には理解出来ぬほど素早い対応だったのであり、作業が一段落したところで、間髪を入れず第二次作戦が発動されて二十五万人、その後の第三次作戦ですら十五万人もの容疑者を検束し、ごく一部を除けば直ちに退去強制が執行されて行き、この時だけで都合七十万もの不法滞在者が摘発され、その国籍国に送還されて行ったことは事実である。

これ等容疑者たちの中には、銃刀法や麻薬取締り法に違反する容疑の濃い者も数多く含まれてはいたものの、これについても立件すること無く問答無用で送還したが、これ等の者たちについても緻密に集積された膨大なデータが有り、岡部たちの表情は、それに照らし二度と入国は許さないと言う断固たる気構えに溢れており、全国各地で入国管理局の目を避けてひそひそと上陸してくる者や、貨物船の船員資格を装って上陸してくる者たちにしても、今後においては先ず見逃すことは無いのである。

岡部自身、離島はおろか港湾や海岸線の見張りについているG四の途方も無い威力を骨身にしみて思い知らされており、この優れた戦力を活かして、国内に繁殖する好ましからざる触手は徹底的に殲滅しておきたいところだ。

ちなみに、収容した容疑者たちの多くは、出入国管理及び難民認定法に反して滞在していながら、当人や周囲の者に犯罪を犯していると言う認識に乏しい場合が少なく無い。

だが、世界中どの国の場合でも、その国の国内法に背いてまで外国人の滞在が許されることなど有り得ず、日本の場合、特殊な事情を抱えて空しく煩悶して来たが、今まさにそれを乗り越えようとしているところでもある。

殊に新田や岡部にとって、ことのほか歯噛みしてきた案件でもあり、その熱情に基づく作戦がいよいよ本格化して行くにつれ、岡部は、在留資格として容認されない活動を行っていた外国人に対しても徹底検挙の姿勢で臨んだ。

例えば、「興行」資格で入国を認められた女性が、実際にはホステスとして就業している場合などがそれにあたり、この場合なども未だ在留期間が残ってはいても、当然に退去強制の対象になる。

ホステスとしての入国資格などもともと存在しないのだから、このケースでは、これ等の女性たちを雇用していた雇用主や、これ等の外国人を呼び寄せることを以って生業としているような日本人もびしびし検挙した。

これ等の場合、不法行為に対する共謀共同正犯や実行共同正犯、教唆幇助及び管理売春等など、その容疑に事欠くことは無く、検束の嵐は暴風のように全国を吹き荒れたが、今までと違って、例の壮大な入国管理センターの一部が代用監獄に早変わりする事によって、検挙した者を収容するスペースに不自由することが無くなっていたのである。

また、今次の検束の網に掛かった外国人女性の内で日本人男性と結婚していた者が多数に上ったこともあり、各地の入国管理局に泣き付いてくる日本人男性が多く、人権派として名の有る弁護士やマスコミなどが大いに狂騒したが、そのときには刻既に遅く、そのほとんどが退去処分になった後であったと言う。

このことに関しても大々的に取り上げるマスコミが多く、その報道に接した心優しき日本人たちの中からは、例によって「可哀そうだ。気の毒だ。」の大合唱が沸き起こったが、官邸の姿勢に全く変化はなかったのである。

また、帰化を認められて正式に「日本人」となった者の中で、半島出身の者が二万人ほども検挙された挙句日本国籍を除籍され、これも大いに問題とされたが、これ等の者たちも電光石火で追放されて行く。

冷酷なようだが、この者たちの検挙事由は、全て当人の行為に因るものばかりだ。

彼等が帰化の際に、虚偽に基づく申請を行っていたことが明るみに出た結果であり、若しくは、旧国籍(主に韓国籍)を離脱せず、二重の国籍を保持したままであったからに他ならず、一切表には出ないことではあるが、これも半島側の内部データまでが大量に蓄積されていた賜物ではあったろう。

そうこうする内、一部の人たちにとっては更に驚くべき噂が電光のように駆け巡った。

年明けの通常国会に大量の法案が上程されると言い、この法案群の中身が大問題だとして、論壇においても大いに物議を醸すことになったのである。

ちなみに、日本の国内法の一つに、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(平成三年五月十日法律第七十一号)(最終改正:平成十一年十二月八日法律第百五十一号)と言うものがある。

掻い摘んで言えば、「サンフランシスコ講和条約の発効を以って日本国籍を離脱した朝鮮籍、台湾籍の者で、当該条約の発効以前から日本に在住していた者とその子孫には特別に永住権を付与する。」と言う法律だ。

前述の出所不明の噂とは、この「特例法」を廃し、それに関連する法を改正することによって、六十数万にも及ぶ「特別永住外国人」の永住許可を取り消し、なおかつその者たちの国外退去を日本政府が画策していると言うものであった。

それも、その該当者としてリストアップされているのは朝鮮半島出身者ばかりで、台湾出身者については最初から免除されていると囁かれており、これまでの日本政府の強硬な姿勢から見ても、あながち有り得ないことではないと言う見方も有り、韓国政府の露骨な棄民政策とあいまって、さまざまな議論が行われつつあるようだ。

未だ単なる噂話の段階とは言え、この問題における対象者は元はと言えばその実態はいわゆる経済難民であり、その他の外国人に比べて、ことさらに優遇しなければならない理由など何一つ見当たらないのである。

あたかも、大日本帝国の暴虐な圧政による気の毒な被害者であるかのような、誤った前提でこの問題を論ずるのは大間違いであり、事ここにいたっては、「被害者と言うなら却って日本の方だ。」と言わざるを得ず、この点一つ採っても、日本を取り巻く環境は大きく変わったと言って良い。

有りもしない「創作された近代史」をこれまで散々に触れ回って来て、今更引っ込みの付かなくなってしまった人々が、血相を変えて当局に非難を浴びせているが、その者たちの多くは、職業的「人権派」や職業的「平和主義者」たちであり、何らかの作為を以って活動を続けてきた者たちばかりであり、あろうことか組合員数三十二万を擁する「日本教職員組合」などと言うものまで存在する。

略して、その名も高き「ニッキョーソ」なのだが、れっきとした日本労働組合総連合会の傘下団体であり、未だに熱心に「創作された近代史」を振りかざして幼い学童たちを洗脳し続けているが、この件における最も深刻な問題は、その組合員の多くがこの「創作された近代史」を本気で信じ込んでしまっていることではあるまいか。

教師自身が騙されてしまっているのである。

そのため、本人(教師)たちが、言わば純粋な正義感に燃えて、この「創作された近代史」に基づく刷り込み作業に益々精を出す結果を生み、それを刷り込まれる学童が年々再生産されてしまうのだ。

もともと、「ニッキョーソ」は「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を標語として出発した団体だと聞いており、筆者もその標語の意味するところに疑義を唱えるつもりは無いが、かと言って、我々の父祖の者たちを冒涜するような「大嘘の近代史」を、学童たちに刷り込む権利などは断じて無い筈だ。

彼等の「非武装、不戦」のスローガンなどはまことに結構なものだとは思うが、その高尚なスローガンを実現するための具体的「手段」が、彼等の論の中に見事に欠け落ちてしまっていると言う無惨な現実がある。

第一、この日本が「非武装、不戦」を実行するためには、この地球に棲む人間の全てが神や仏でなければならぬだろうが、まことに遺憾ながら、筆者はそのような人間になど一度として出会ったことが無い。

ちなみに本編では、例えば、「追軍売春婦」など全く必要としない最強の軍を登場させたつもりだ。

この「追軍売春婦」とは、現代風に言い換えれば、「各地の軍事拠点の傍らで営業する民営の特殊風俗店の従業員」のことであり、現在でも日本国内はおろか、かの韓国にも堂々と存在し続けている。

また、活動期の軍隊は往々にして作戦上の移動を繰り返すことが多く、その場合などは、この風俗店そのものがそれこそ風のように追随して行くのが常であったと聞く。

なお、教科書にまで掲載されるようになった「従軍慰安婦」と言う呼称は、千九百七十三年以前にはこの世の中に存在すらしなかった用語であり、結局ある一人の作家(?)が、自らの「妄想小説」の中で初めて用いた造語に過ぎず、無論、「小説」である以上、本編と同様に「創作」であることは間違いないのだが、その後全く不思議なことに、主要なマスコミの多くが単なる妄想小説に描かれていただけの「与太話」を、あたかも史実であったかのように競って扱い始め、呆れたことに、「従軍慰安婦」であったと主張する多数の老婆まで湧いて出てきたのには誰しもが驚いたに違いない。

彼女たちが、いわゆる職業的(カネになる)「自称被害者」で、主として職業的「人権派」に担ぎ出された者たちであったことは、その証言から鮮やかに浮かび上がる「虚構」と「内部矛盾」によっても明らかで、その周辺はいかにも芬芬たる臭味を漂わせている。

彼女たちが、当時いわゆる「醜業」に就かざるを得なかった境遇に対しては、筆者も同情を禁じ得ないが、かと言ってそれとこれとは全く別の問題なのである。

現に、この追軍売春婦を業とした女性の過半は内地日本人であったとは言うが、その方たちが公権力による被害者だとして名乗り出た例はついぞ聞いた事が無い。

しかしながら、メディアなどはこの女性たちをあたかも公権力による被害者であったかのような論調で語ることが多く、何をかいわんやと言う気分にさせられることが少なくないのだが、なかんずく驚かされたのは、宮沢総理と河野洋平官房長官のコンビが世紀の大失策を演じてしまった時だ。

総理が訪韓の際、日本国内の「ヘンなヒト」たちと韓国側が用意した「従軍慰安婦」を名乗る謎の老婆たちが、あっちの空港か何かで例によって泣いたり喚いたりして、抗議行動とやらをやらかしたことがあるが、問題なのは、その際に韓国側の「今回カタチだけで良いから、従軍慰安婦の件を日本側に落ち度有りと認めて謝罪すれば、あとは韓国政府が責任をもって全てを丸く収めてやる。」と言う、悪質なペテンに引っかかって「公式」に詫びてしまったことであろう。

平成五年八月四日に発せられた、「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」のことで、ときの内閣官房長官河野洋平さまが、こともあろうに「無かったこと」を「あったこと」として認め、国家として謝罪してしまっているのだ。

当時の日本政府が公権力を以って、「強制的」に売春婦を集めた事実も必然性も無かったにも拘わらずだ。

当時は、売春防止法(昭和三十一年五月二十四日法律第百十八号)以前の、いわゆる公娼制度が存在した時代のことでもあり、かつまたその「追軍」売春婦たちは一般の売春婦たちと比べて、群を抜いて高い稼ぎを得られたことも確かなのだ。

まして、「公権力を以って強制的に」彼女たちを集めてきたとする記録など、未だにどこにも発見されていないことも日本政府は確認済みなのである。

しかし、この「官房長官談話」の結果、「日本政府が公式見解として、それを認めた。」と言う重い「事実」が残ってしまった。

この場合の「それ」とは、無論、「公権力を以って強制的に」彼女たちを集めてきたことに繋がりことは重大なのだ。

一国の政府首脳が一旦公式に打ち上げてしまった大花火は、それこそちょっとやそっとのことでは無かったことには出来ないのである。

まったく、愚かなことをしたものだ。

殊に、国会会議録「140-参-予算委員会-8号 平成09年03月12日」(誰でも無償でダウンロード可)の前半を読む限り、筆者などは余りの情けなさに涙も出て来ない。

何と、韓国側にやいのやいのと言われただけで、それこそ「何一つ根拠の無い」事柄を日本政府が認めてしまった経緯が、無惨なまでに白日の下に曝されているではないか。

好意的に忖度することをお赦し願ったとしても、何かしら余程の裏事情があったとしか思えない。

もし、そうでなければ彼等は単なる馬鹿か、さもなくば醜悪極まりない売国奴と言うことになってしまう。

筆者のか細い記憶では、この時の政権は金丸・小沢ラインの「考査」を受け、それに合格したことによって誕生し得たような覚えがあるのだが、草莽の一老人にはそれ以上のことなど判りようが無いのである。

しかし、金丸・小沢ラインが、時の総理の首のすげ替えをなし得るほど強大な権力を握っていたことだけは、筆者にも充分に察することが出来ていたのであり、しかもその後、この「金丸せんせい」の自宅の金庫から、北朝鮮製の金の延べ棒が多数、司直の手によって発見されたと言う報道もうるさいくらいに見た覚えがあるにはあるが、何はともあれ、ときの内閣が、このような「特殊」な判断をせざるを得なかった本当の事情を、是非とも聞いてみたいと思うのは何も筆者に限った事ではないだろう。

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  1. 2005/11/06(日) 03:52:55|
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