日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 115

 ◆ 目次ページに戻る

時は巡り、ある重要な国際公文が発出されるに至った。

朝鮮共和国から秋津州国に宛てたいわゆる最後通牒であり、のちに人類史上最も愚劣なものと評されるに至る。

無論全ての仲立ちはアメリカ合衆国が買って出ており、九月一日になってタイラー補佐官の手で秋津州外事部にまで届けられたことにより、不幸にもそれは公式のものとなってしまうのだが、かつて秋元雅が見た通り、内容的には従来から主張して来ている朴清源の身柄引き渡し要求であり、回答期限を九月十六日の正午とし、無論これによって平和的な交渉は全て打ち切られることを謳ってある。

そのことこそが、それをして「最後通牒」と称する所以であり、期限内に応諾の回答が得られない場合、武力行使も辞さないことを意味することは国際慣行上の常識と言って良い。

だが、秋津州側は委細構わず肝心の朴清源の審理を推し進め、十四日に至って大方の予想通り被告人に対して死刑判決を下し、秋津州が一審制を採っていることから当然にそのことが確定してしまった。

事件の審理を担当した若衆宿は被告人の社会復帰を不可と断じ、何よりも、被告人が頑是無い幼子を真っ先に刺殺してしまっていることを重く捉え、秋津州の法に照らせば、そのこと一つ取っても極刑は免れないとした。

無論各メディアは一斉にそれを報じ、一部には翌十五日が国王の二十四歳の誕生日であることを捉え、又しても恩赦があるのではないかと憶測する向きも無いではなかったが、そのときには既に刑の執行が終了していたことが聞こえて来るのである。

十六日になって、秋津州内務省から、無国籍者朴清源の処刑が結了したとする公式発表がなされたからだが、ある意味、朝鮮共和国が発出した最後通牒を処刑と言う行為を以て拒絶したに等しいであろう。

白馬王子の面目は丸潰れになったことは確かだが、その国の民が激高したことも又然りで、ことにあたるタイラーも実に忙しい。

何しろ、翌十七日に至って、白馬王子が秋津州に対し宣戦を布告したのだ。

その報せは世界中を駆け巡り、ほとんどのメディアにおいて、白馬王子は既に道化師である。

非難の声は天地に満ちた。

無論、身の程もわきまえず無用の争いを求める白馬王子に対してである。

だが、立会人でもあるワシントンにとっては全て想定内のことでもあり、粛々としてことを運び、世にも珍妙な限定戦争が実現を見る運びになったのだ。

何せ、両国の元首同士の直接戦闘を以て「戦争」に代えると言い、用いられるべき武器兵装も飛び道具の使用を一切禁じており、あたかも一気に中世にまで戻ってしまったかのようであった。

さらに、秋津州側が設定した戦闘領域が例の潮入り湾であったのだが、白馬王子は飲むよりほかに途は無い。

その身の移動に際しては、全てワシントン手配のSS六によることが始めから固まっており、続いて期日についての詰めに入ったことが伝わり、世界が沸き立つような騒ぎだったが、やがて二十三日になって、その期日が二十九日に決定を見たと伝えられた。

すべて、ワシントン筋からのリークだったと言い、世界は寄ると触るとこの話題でもちきりであったろう。

しかし、この間若者の方は何処吹く風と言わんばかりに、相も変わらず惑星間移動の大仕事に精を出し、痛烈なまでの実績を上げつつあったのである。

無論、各国の準備作業が格段に進んでいたことも与って余りあるだろうが、そのことに困窮する諸国に若者が積極的に手を貸し始めた効もあり、朝鮮共和国を除けば全人類の実に九割までが既に地球を去ったとされるに至っており、殊に二十八日の月曜日などは、問題の翌日を控え移送の希望が殺到したものの、国王は一気呵成に作業を進め、大量の移送を行ってその全てに対応することを得たとされた。

日本などは徹底して異邦人を国外退去させていたこともあり、国内の一般人は既に皆無だとされ、正規の留守部隊以外で残留している日本人は、最早太平洋上の秋津州にしか存在しないとまで囁かれたほどである。

神宮前にはそこを拠点とする官僚や秋桜隊が多数屯集しているのだが、その糧食なども秋桜隊のヒューマノイド部隊が自力で搬入する光景が度々見受けられたことから、その地ではとうに一般の流通経済が壊滅してしまっていたことは確かだろう。

何はともあれ秋桜隊の活躍振りは凄まじい。

各地で起こる混乱や犯罪行為に機敏に反応し、寒村僻地の急病患者はもとより、ある離島に少数の日本人が偶然取り残され、危機的状況に陥ったことまでキャッチしてその救助をなし得たと言うが、その陰には膨大なヒューマノイド兵士の活躍があった筈だ。

一部に、僅かに取り残された異邦人が徒党を組んで略奪行為に及ぼうとしたことさえあったが、それさえも即座に取り鎮めて国外に放逐したと言い、この残留部隊の手で実に数十万の日本人が直接救われていたことが、のちに明らかにされるのだ。

その時の論評によれば、彼等が残留して国の鎮めとなっていたことが、数々の騒乱を未然に防ぐことに繋がり、そのことを見れば、少なくとも数百万の日本人を救ったことになると激賞されたほどで、彼等は立派にその職責を果たしたことが証明されるのである。

その後も若者の作業は整斉と続けられ、秋津州の潜水艦艦隊の移送はもとより、合衆国の武備兵装なども大艦隊を含めその多くが移送を完了し、その他の諸国に関してもほとんどの作業を終えていることが確認されるに及び、安保理においては、早くも移動最終日を設定すべく検討に入ったと伝えられるまでになった。

太平洋上の秋津州に居留する異邦人もその多くが出国して行き、今では数千人にまで激減していたが、残る異邦人はその国籍の如何を問わず、全員が八雲の郷の一の荘に移送されることが確認されており、そのせいもあってかその地は至って平穏を保っているとされたが、一般人の入国などは厳しく制限され、今では居留異邦人の登録確認作業が進み、それも程なく完了する予定だと言う。

その間も、秋津州と朝鮮共和国とが戦争状態にあることに変わりは無く、この奇妙な戦争が世に広まるに連れ、言わば若者の「家庭」では、一人みどりだけが金切り声を上げて反対したとされる。

無論、実に愚かしいその「戦闘」に対してだ。

尤も、みどりがごく普通の感覚を以て如何に声高に反対意見を述べようとも、ことは国家間の「戦争」なのである。

まして、敵国から一方的に宣戦されてしまっている以上、敵国自身がそれを引っ込めでもしない限り受けて立つよりほかに無いのである。

未だ十五歳の白人少女に至っては切実な想いで神に祈る他は無く、王のキッチンで包丁を手に、密かに袖を濡らしていたことは言うまでもない。


九月二十九日、晴天。

遂にその「戦争」の実行日が来てしまった。

「予定戦場」は潮入り湾だ。

浜辺の外周を取り巻く断崖の上には早朝からカメラの放列が布かれ、既に文字通りの黒山の人だかりである。

切り立った断崖の高さは二十メートルにも及び、それは最早絶壁と言って良いほどのもので、浜辺に降りるには死を賭して飛び降りでもしない限り、唯一設けられている正規の降り口を通るほかは無いが、無論そこには規制線が布かれ、現地若衆宿の手によって厳重に固められていて、観客は浜辺には降りられないことになる。

「観客」たちの後方には十台を越す中継車両まで出動して、この「戦争」の注目度の高さを物語り、数千の観客が固唾を呑んで見守る中、定刻の正午直前になって銀色に輝くSS六改が飛来し、程なく三人の男が波打ち際のやや南寄りのところに降り立った。

無論、中の一人が白馬王子で、残りの白人二人が米国人で立会人と言う役どころではあるのだろう。

この三人は波打ち際を北に向かって歩を進め、南北に延びる浜辺の真ん中あたりに到達して足を止め、観客の興奮がいよいよ高まる中、もう一方の戦士が滝つぼ付近にその長身を現すや否や、二百メートルほどの斜面を身軽に駆け下(くだ)り始め、崖の上からは大きなどよめきが沸き起こった。

中には不謹慎にも拍手を送る者までいる。

やがて若者が波打ち際近くにまで到達して歩みを止め、立会人の二人が波打ち際から二十メートルほど退いて身構えたが、無論、二人の戦士を左右均等に見る位置である。

戦士は双方共に迷彩色の戦闘服姿で百メートルほどの間隔を置いて向き合い、真昼の陽は高く、貧しげな砂浜に二人の影が小さい。

ざわめきの中、やがて観客の眼下で変化が起こった。

立会人の手許で小さな機器が働いたものらしく、かなりの音量で唐突にカウントダウンを始めたのである。

それは、定刻一分前を告げるところから始まり、やがて三十秒前を告げるに至り、崖の上のざわめきが俄然鎮まった。

若者の腰には例の山姥らしきものがあり、白馬王子の手にした日本刀に至っては既に抜き放たれ、時折り陽射しを跳ね返して眩いばかりだ。

カウントダウンは進み遂に定刻が来たことが告げられ、戦士が波打ち際を互いに歩み寄り始め、見る見る内に距離を縮め、遂には衝突したかに見えたと言う。

だが、次の瞬間には誰もが目を疑う光景が待ち受けていたのである。

何と、国王が敵の戦士を膝下に組み敷いていたのだ。

白馬王子は既に得物を失い、若者の膝の下でうつ伏せにさせられたまま身動き一つ許されず、今や苦しげに呻吟するばかりだ。

しかも、若者の腰の山姥は未だにその鞘の中にあるところを見ると、どうやらそれを使おうともしなかったらしい。

のちに公開された高速度カメラの映像によれば、このときの若者は紛れも無く素手で闘い、激突の瞬間に敵の得物を奪った上、苦も無く組み敷いていたことが明らかにされるのだが、とにかく、観客の視界の中で現実に敗者が勝者に組み敷かれ、敗者の片足などは打ち寄せる潮に洗われてさえいるのである。

勝敗は明らかであったろう。

本来、これで「戦争」は終わった筈であった。

だが、組み敷かれた敗軍の将が一向に降伏しようとしない。

歩み寄った立会人がその意向を確かめようとするのだが、苦悶の中で首を縦に振らないのである。

その態勢のままで時が流れ、脂汗を流しながら呻いていた敵将が程なく失心してようやく戦いに終わりを告げ、それまで空中で待機していた銀色のSS六が飛来して、敗将と立会人を乗せて飛び去って行き、一人の白人少女が規制線を突破し、今しも金髪を振り乱して駆け寄り泣きながら若者の胸に飛び込んで行く。

その光景は全世界に発信され、無論、朝鮮半島一帯にも確実に届いた筈だ。

いずれにしても勝敗は決した。

残るは当然終戦処理であり、早速ワシントンが動き敗者に降伏を説いたが、予想通り白馬王子が肯んじることは無かったと言う。

未だ負けたわけではないと強弁する場面まであったと言うが、当然メディアの論調はこの道化師に対して容赦の無いものになった。

何しろ、国家元首同士の直接戦闘を以て国家間の戦争に代えることを望んだのは、その道化師以外の何ものでも無いのである。

敗戦国自身のメディアまでが轟々たる非難を浴びせ、無様に負けた上に失心して逃げ帰って来た元首は全く求心力を失ったと言って良い。

言って見れば、その元首はこの格闘には満々たる自信を以て臨んだ筈であった。

負ける筈が無いと信じていたのだ。

その側近たちにしても、敵の方が強いなどと言葉にする者など一人としていなかったことは確かだ。

その者たちが正統な情報を入手の上、仮に本音を吐いてしまえば暴君の凄まじい怒りを買って命は無かっただろう。

結局、暴君は敵の実力に関しても真実を知るチャンスを自ら失った挙句、その政治生命は危殆に瀕するに至っており、頻発する反政府デモの鎮圧を命じた軍までがそっぽを向き始め、最早側近に当たり散らすほかはない状況に立ち至った。

何しろ、もともと己れの方から宣戦してしまった戦争なのである。

それでいて負けを認めなければ、敵国から一層激しい攻撃を受けざるを得ず、降伏しない限り、武力を以て占領されてしまったとしても不思議は無い。

民衆の不安が高まり、その国の騒乱は収まる気配も無い中で、やがて小さなニュースが飛び込んで来た。

なんと、その暴君が側近の者に至近距離から銃撃を受け、あえない最期を遂げたと言うでは無いか。

加害者は、荒れ狂う暴君を前にして自らの身に粛清の手が伸びるのを恐れるあまり、先手を打ったものと見る向きが多いと言い、次の国家元首の座に誰が就くのかも定かでないとされていたが、まさか空席と言うわけにも行かず、臨時に軍の将領の一人が互選によって代理を勤めることになったとは言う。

民衆の抗議の声にしても一向に収まる気配は無く、近々国会が再開されて文民政権の復活が取り沙汰されているようだが、時期が時期であり、このままでは地球に取り残されたまま国家そのものが消滅してしまうことは目に見えていた。

尤も、それもこれもワシントンの読み筋通りであり、秋津州側の無反応振りを良いことに半島国家の完全屈服を待ってから動く作戦なのである。

だが、その国の民衆の打ち振る旗には、敵国秋津州に対して徹底抗戦を叫ぶ文言が未だに溢れていると言い、各国からの冷ややかな視線を益々浴びるばかりだ。

事実、終戦処理が行われない以上、少なくとも両国は未だに戦争を継続中なのだ。


その間も若者の公的作業は黙々と続けられ、やがて十一月の声を聞く頃には、朝鮮共和国と南半球の一部を除けば、地球に残留しているのは特殊な任務に就いている者ばかりとなった。

太平洋上の秋津州の異邦人たちもほとんどが丹波に移動済みで、敷島のNew銀座では既にクラブ碧やスナック葉月が無事にオープンを果たし、興梠律子もまたホステス業に立ち戻っており、上野広小路時代の客にしてもその相当数が顔を見せるまでになっていると言う。

この興梠律子も敷島で二十一歳の誕生日を迎えたが、一方で六角庁舎の一番区域に自ら願って部屋を得たローズも又十六歳の誕生日を迎えていた。

その少女自身は当初進学の希望を捨てていた気配だったのだが、本人にとっては思わぬことながら王の強い勧めに出会い、元気に王立大学に通う日々を過ごしており、今や王立大学の数ある一回生の一人として、王のキッチンにも始終嬉々とした姿を見せており、一部が密かに内裏と称するその場所に住まいする権利を得たことを、何よりの誇りとするまでになっていたのである。

丹波諸国のメディアによれば、ローズ・ラブ・ヒューイットは既に王家の堂々たる一員であるばかりか、王の配偶者としての未来を確実視するものまで現れたからだ。

その意味に限れば、かつてタイラーが画策した荒野の薔薇作戦が順調に進捗していると言えなくも無いが、現に、ローズ自身の誕生日の十一月二十二日には、たまたま王家の私的な葬儀が宮島で挙行されるに至り、ローズも数少ない参列者に混じってその参列を許されたほどだ。

何せその日は、王家にとっては大切な一周忌でもあったのである。

このことにより最も胸を撫で下ろしたのは立川みどりだったろうが、国王自身もその胸の中で、過去に大きく区切りをつけていたことも事実だったろう。

この日以来、若者の体調はいよいよ万全のものとなり、その行動も一段と溌剌としたものとなって行くのである。

その後、みどりの口添えもあって、横山咲子がローズと同じ大学に入学を果たし、こちらの方は当初大学の寮に入居したと言うが、無論ローズと同じ一回生だ。

しかも咲子の場合、十二月の十五日には目出度く十八歳の誕生日を迎えるのである。

既に、心身ともに大人の女性と言って良いだろう。

その上、母親の葉月がしきりに王宮に出入りして王の酒の相手を務めることが多く、この点でも咲子共々王家の一員と看做すメディアが増えて来ており、そういった最中(さなか)娘の咲子に特徴的な出来事が起きたと報ずるものがあった。

それがたまたま十二月の十五日だったことから、傍目にはあたかも咲子の誕生日祝いのように写ってしまい、現にそう言う内容の報道を流すものも無かったわけではない。

しかも、紙面を飾る咲子の写真が相当な美形に写っていたこともあって、世界の王が妙齢の美女に意義深いプレゼントを贈ったとして、いわくありげな論評を加えるものまであったほどだ。

実はその日の夕刻、この大柄な大和撫子は秋津州財団の剣道場に招かれ、高橋師範や加納二佐に混じって国王からお稽古を頂戴する機会を得ていたのだ。

咲子にしてみれば、音に聞こえた天才的な技の冴えを身をもって体験出来たばかりか、国王との精神的な距離感を一層縮める効果まで齎し、素晴らしい誕生日になったことになるだろう。

その上、その後折りに触れて同様の機会を数多く持つに至るのである。

これもみどりからの積極的な進言が功を奏したとも囁かれ、殊に六角庁舎の秋桜エリアなどでは、新田夫妻を始め多くのメンバーが入居を果たしていたこともあって、かなりの話題を振りまいた筈だ。

現に新田夫人などは、この咲子を土竜庵にまで積極的に招き入れているとされ、しまいには例の内裏の中にこの娘専用の部屋まで用意されたこともあって、ここでも又新たな話題の花を咲かせるに至った。

結局この時点で、王の内裏には年若い美女が二人も居を構えていたことになり、メディアの論調は競って騒がしかったが、無論国王が特別の意味を以てそれらの部屋を訪うことなどは全く無い。

尤も、敷島で暮らす興梠律子が穏やかならざる心境であったことも事実だろうが、そのせいもあってか、葉月が王宮を訪れて若者の酒の相手をする時などは、律子もまた常に同行していたとされ、その度に田中盛重の胸を高鳴らせてしまったことも確かなのだ。


また、この間の朝鮮半島では、やはりと言うべきか相変わらず悲惨な状況が続いている。

白馬王子と言う為政者が暗殺され、その後成立した見るからに脆弱な新政権が、ワシントンの誘導によって一旦降伏する意思を固めたのだが、軍部においてそれを快く思わないものが騒乱を引き起こし、又しても悲惨な内戦状態に陥ってしまっていたのだ。

各勢力それぞれが未だ軽武装しかなされていなかったとは言いながら、愚かにも激烈な交戦状態を招いてしまっており、又しても訪れた民族内紛争なのだ。

もともと、経済活動の大部分が停滞していたその国では、喰うにも困る貧民が激増しており、地方においてなどは既に無政府状態にあり、やがて国家の意思を具現すべき政府が存在してないとまで評されるに至り、すなわちそれは統一国家としては全く滅んでしまったと言うに近い。

正統な国策を策定して実行する機能を持たないため、無情にも、国家として公式に降伏することすら出来ないのである。

何しろ、官民ともに継戦を叫ぶ者で溢れ、政府首脳が降伏の二文字を口にしただけで命は無いと言うほどの状況なのであり、その首都には米国大使館が辛うじて星条旗を翻してはいるものの、このままではそれすらも危うい情勢だとされ、ワシントンの残留政府が、その引き上げを決断するのではないかと囁かれるに至っており、そうなればその国の運命は益々過酷なものにならざるを得ず、しかも丹波に舞台を移した国連や七カ国会議が、最終的な移動日に関して決定を下すのも遠くは無いと囁かれているのだ。

朝鮮共和国が丹波に得た筈の領土にしても、農地と山岳地帯のほかはもともと荒涼たる原野ばかりであり、満足な国土建設など全く行われていなかったこともあって、初期のうちに僅かに移住を果たした民も既に生き残ってはいないとする情報まで乱れ飛び最早どうすることも出来ないが、全てはその国自身の意思なのである。

一方の若者の方は憎いほど落ち着き払ってマイペースを保っており、丹波と地球を忙しなく行き来して移送作業に汗をかいており、ペットはもとより、数多くの野生の動植物までも依頼されるに任せ、既に膨大な数の移送を実現した筈だ。

丹波の南半球に領土を得た国々では、その季節的要因から十一月になってから移住を本格化させるケースが目立ったが、準備期間が充分だった為か早々と目処が立ち始め、若者の公的作業は年末に至っていよいよ最終段階に突入したと言って良い。


さて、これも既に触れた通り、地球と丹波とでは天体としての自然環境が酷似しており、季節変動のタイミングにしても大きな違いは見られず、そのことが最大の理由となって人類の移住先に選ばれたと言う経緯があった。

その公転と自転のあり方もほとんど同一と言って良いほどのもので、かつ自転軸の傾斜角までそっくりそのままであり、地球で使われていたグレゴリオ暦がそのまま使用可能なことが確認されるに至り、太平洋上の秋津州暦日がそのまま丹波の秋津州暦日と定められてもいる。

そして、その暦が幾たびもめくられ、嵐のような二千九年が過ぎ去って二千十年の幕が開いた。

若者は改めて祖先の御霊の前に額ずいたが、一昨年遷宮式典を執り行っていたこともあり、今回のその場所は当然磐余の池(いわれのいけ)の宮島だ。

若者は祖霊の前で感無量であったろう。

人類は膨大な犠牲を強いられはしたが、ガンマ線バーストの到来まで一年有余を残して、その大部分がこの新春を丹波において迎えることが出来ているのだ。

その過程で自分自身も家族を失ったが、この騒動で既に三千万もの尊い命が失われたとされており、その中には経済活動が破綻して自殺した者も数多く含まれるとは言いながら、このままではいずれ一億を超える犠牲者が出てしまうとされている。

無論、朝鮮共和国と言う国家の政情が正常化されれば、その予想数も劇減する筈なのだが、残念ながら現状では如何ともし難い。

現にこのあとの四日の日には、南半球の諸国からの移動依頼が殺到しており、それに対応すれば移転作業のほとんどが片付いてしまうところにまで来ているのである。

八雲の郷の秋津州ビルでは例の七カ国会議の協議が進み、その結果若者は二月一杯を以て惑星間移動の大仕事から解き放たれようとしており、それについての観測記事も巷に溢れてしまっている。

その論調によれば、これ以上無原則にことが進行することを嫌い、一旦この作業に終止符を打って見せることによって、その進行を促そうと言う論旨のようだが、いずれにしても全ては人類自身が選択するよりほかは無いのである。

やがて、惑星間移動作業を二月一杯とする決議が国連安保理で行われ、国井総理も残留部隊の引き上げを決定しており、そのことも現地の安田官房長官に伝えてあることから、現地でも充分準備が進んでいる筈だ。

あの懐かしい日本列島も空になってしまうわけだが、それに代わって敷島と言う新たな日本が眼前で立ち上がりつつあり、同時に丹波世界で二百以上の国家が正式に船出することになるのだ。

そうなれば、現在地球近辺に配置してあるおふくろさまとその船団にしても、丹波へ転送することが出来るのである。

既に丹波における流通経済は爆発的な広がりを見せ始めており、コーギル社などは、PME船舶を大和商事から大量に購入して、膨大な穀物類や冷凍鯨肉などを各地に運びつつあるようだが、それらを出荷する能力を持っているのは今のところ秋津州だけなのだ。

食糧はもとより、鉄やセメントなどの建築資材や原油にしても又然りであり、他国は全て購入するよりほかは無い状況にあり、玉垣島の膨大な倉庫群が機能してそれを支えてはいるが、そろそろ丹後と但馬から補充する必要が生じて来ており、正月早々出かけて来なければならないだろう。

若者に、休んでいる暇など無いのである。


やがて一月が去って二月の中旬に至り、朝鮮半島にようやく新政権が成立したことが聞こえて来た。

二月一杯で公的な惑星間移動作業が打ち切られることが伝わったことで、流石に危機感が高まり、それまで日和っていた軍の一部が蹶起した結果だとは言うが、生き残りを賭けて相当な人数が参加していたことは確からしい。

誰しも本音を言えば死にたくは無い筈で、直前まで威勢良く継戦を叫んでいた者たちも、手の平を返すようにしてその旗を降ろしてしまったものらしく、複数の政党が新たに結成され、その全てが一刻も早く秋津州に降伏すべしと叫んでいると言うが、数年も経てばどうせ元の木阿弥だろうと評する者がほとんどだ。

ともあれ現地の米国大使館は辛抱強くこの機会を待っていたことになり、その甲斐があったことにはなるのだろうが、米国大使館を訪れた新政権側は泣かんばかりであったらしく、文字通りの完全屈服だったことは確かで、これもまたワシントンの思う壺であったと言うが、米国側にとっても、危うく時間切れ寸前のところだったに違いない。

新政権は米国大使館を通じて秋津州に降伏の意思表示をした上で、移送についても涙ながらの請願を行い、大衆を叱咤して慌ただしく移住の準備に取りかかり、ようやく二月末に間に合わせることが出来たのである。

多くの民が身一つでの避難を余儀なくされたと言うが、統一政権を持ち得なかった責めはその国民自身にも無いとは言えないだろう。

くどいようだが、国家と言うシステムはその国の民自身が作らねばならないものなのだ。

いずれにせよ、これで丹波の新領土に朝鮮共和国と言う国家が成立することを得、その結果、その地にも目出度く星条旗が翻ることとなって、殊にタイラーなどは鼻高々であったと言う。


さて、二千十年の三月一日は奇しくも月曜日であったが、若者は惑星間移動作業に従事してはいない。

既に、二月の末の時点で各国からの依頼は全て対応済みであり、地球上の秋津州で言わば後片付けに熱中しているところなのだ。

日本列島に残留していた留守政府の官僚たちや国家警務隊のつわものどもも、大任を果たし終えて敷島に引き上げてしまったあとであり、東京の秋津州ビルに配備してあった吉川桜子とその配下のものたちにしても、とうに丹波に送ってしまった。

秋元姉妹の中で残っているのは長姉の京子だけで、未だに天空のおふくろさまの指令に基づき忠実に活動を継続しており、地球上の各地で活動させていたD二やG四にしても、京子のコントロール下で徐々に縮小整理されつつあり、号令一下天空の基地に引き上げを開始する態勢だ。

無論、各国の人工衛星の中はもとより、太平洋上のピザ島にも一人の人間もいない。

各国各地の密林地帯や人煙稀な秘境に至るまで、既に隈なく捜索を終えていることから、最早地球に残留している人類は存在しないとされ、ここに地球上の人類史は間違い無く結了を見たのである。

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  1. 2007/12/11(火) 11:29:51|
  2. 妄想小説 主権国家|
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  4. コメント:2
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コメント

///

あっけなく死んじゃったね・・・
  1. 2007/12/22(土) 15:22:17 |
  2. URL |
  3. ほたる #-
  4. [ 編集]

 ^_^

>ほた

は~い、とうとう殺してしまいました~~~。 >┼○ バタッ
  1. 2007/12/22(土) 16:08:32 |
  2. URL |
  3. じいじ #-
  4. [ 編集]

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