日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 149

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さて、ヤサウェの「作業」もこれまた忙しい。

何せ、数百万にも及ぶポートを全開にしたまま、ひたすら送受信を繰り返しているのである。

上級指揮官タイプのそのボディが格段に優れた通信機能を与えられているとは言え、通信の対象は特別編成の一個大隊であり、その規模は無論並の軍隊の比ではない。

機外で稼動する兵員だけでも一千六百万を超え、その系列下にあるD二とG四に至っては殆ど無数と言って良いほどのものであり、その全てを指揮監督するよう命ぜられているだけに、そこから生ずる負荷も並大抵のものではないのである。

そもそもおふくろさまから頂戴している密命の本旨に立てば、ほんの一握りの者を救いさえすれば事足りる話だったものが、主(あるじ)は全てを救うと言う前提に立って命令を下して来られる上、課せられる作業が極めて流動的なものばかりで、臨機の措置を求められる場面が予測を超えて拡大しつつあり、処理対応を要する場面はひたすら膨大だ。

その多くは、例の通信機能がある以上、洞穴の中から指令を発するだけで事足りるとは言うものの、消化すべき課題が連鎖的に発生して来る上に、それぞれの事情が錯綜してしまうことが多く、対応が後手に回ってしまうケースまで出て来るありさまなのだ。

殊に生活用水に絡む作業などは全てにわたって巨細(こさい)に配慮を加える必要があり、大量のSDと浄水設備を指揮下に置いているとは言いながら、その運用にあたっては今後一層緻密な作業が要求されるだろう。

なお、近頃はおふくろさまが特段のゆとりを持たれたこともあって、さまざまな機器の増強に力を尽くされた結果、まことに有用な機器類が多数届きつつあるのだが、なかんずく、大地に据えた場合の据わりの良さを考慮して、わざわざ六面体に造作された機器の有用性は格別だと言って良い。

一言で言っていずれも直線を基調として造られた巨大な箱のことなのだが、それが既に数種類を数える上に、中でも兵員の輸送と駐留に充てるものなどは、今次の事態収拾のために特別に用意されたと言う経緯がある。

多様の種類がある中でこの兵員用のものは名付けて壬(みずのえ)型と呼ぶが、物資収納用の甲(きのえ)型や避難民を収容するために用意された丙(ひのえ)型、医療福祉用の戊(つちのえ)型、そして主として商業用に供される庚(かのえ)型等々いずれも外形上の大きさだけは同等なのだ。

無論それぞれがその使用目的に応じて異なる内部構造を具えてはいるものの、四十メートル×四十メートル×八百メートルと言うサイズを持つことにおいては皆同様であり、いざそれを地上に据えた場合、見る者の視界の中では、高さ四十メートルもある建造物が高々と聳え立ち、しかもそれが、まるで城壁のように八百メートルにもわたって延々と続くことになるのである。

またそれぞれのタイプ毎に小型のものが多数用意されており、兵員用のそれを癸(みずのと)型、物資収納用を乙(きのと)型、避難民収容のためのものを丁(ひのと)型、医療福祉用を己(つちのと)型、同じく商業用のものを辛(かのと)型と呼称するが、その全てが四十メートルを一辺とするさいころ状を為しており、仮に大型のものを長さ八百メートルの羊羹(ようかん)に見立てた場合、それを均等に二十個に切り分けたようなものと言えば判りやすいだろう。

巨大な兄(え)型は勿論、その二十分の一でしかない弟(と)型であってさえ相当の重量があるが、全てが自律的に飛翔する上中空で停止して見せる機能まで具えており、その設置や移動時における利便性には計り知れないものがある。

機体のコントロールが、よほどの大風でも吹かない限り自由自在なのだ。

それぞれの外見上の特徴を言えば、物資収納用のものには窓と言うものが無くひたすらのっぺりとしているが、その他のものには必要に応じて窓があり、避難民収容のための丙(ひのえ)型や丁(ひのと)型に至っては、殆どの部屋に瀟洒なベランダまで用意されているほどで、内部の造作一つとっても不足の無い居住性を具えており、SDなどの下支えを要するとは言いながら上下水道の備えまであることから、一旦その気になれば恒久的に用いることさえ可能だと言って良い。

無論、据えるべき地盤の確かさも肝要ではあろうが、機器自体はそれほどの出来栄えなのである。

ちなみにこの仮設住宅の場合、実際に配備を終えているのはほんの一部にとどまるにせよ、洋上はるかな虚空に巨大な丙(ひのえ)型だけでも二十数棟もの多くを手にしている今、小型の丁(ひのと)型のことまで考慮に入れれば、その収容能力のぎりぎりの限界点は五十万人を超えている筈だ。

彼等の総人口は精々その二割強と言うところだろうから、既に充分過ぎる収容能力と言って良いのだが、一旦主(あるじ)の救恤政策の求めているものを想うとき、コミットすべきものの垣根が低過ぎるだけにことはそう単純では無いのである。

一つには、彼等が貴重な資産として所有する膨大な家畜類の問題があるだろう。

主として牛馬や、豚、羊、山羊のことなのだが、見渡せばローマ人の多くが一つ屋根の下に厩(うまや)を具え、家畜類の一部と言わば「同居」している実態があるだけに、領域内に彼等の望むがままの生活空間を確保しようと思えば、自然膨大なものを要することになってしまう。

域内だけで全てを一括して賄おうとすれば、そのスペースの問題もさることながら、とりわけ大量の飼料や糞尿の処理問題が深刻なものとならざるを得ず、その点から言っても畜類の侵入は厳しく制限せざるを得なくなって来る。

しかも、ときにとって肝心の居住地が確定していないのである。

例の胆沢城(いさわじょう)にしてもあくまで仮の住まいに過ぎず、言わば空港のトランジットルームのような扱いであるだけに、最終的な居住地が定まるのを待って再度移動して行く必要があるのだ。

生きた畜類の管理の困難さを思ってしまえば、確実な移送に関しては誰もが悲観的な見通しを持たざるを得ず、保存食肉に加工する動きが加速してその値崩れを招くばかりか、生きた畜類に至っては資産価値そのものを失ってしまうだろう。

それ等動産については各個にG四を貼り付けて万全を期すつもりではいるが、さはさりながらその特殊な対応策に関しては公表を控えねばならないだけに、その先行きには大多数の者が言い知れぬ不安を覚えざるを得まい。

万一民衆の不安が極大化してしまえば、それによって生ずる混乱は主の救恤政策に恐るべき綻びを生じせしめる恐れすらあり、だからこそ、せめてヒトの糧食に関してだけは小麦と塩を中心に、畜肉や野菜はもとより魚肉やチーズまで潤沢な供給を果たすべく手を尽くしているところであり、果てはワインについてまでその段取りに掛かっているほどなのだ。

だが、一旦立ち止まって考えるとき、この場合の「ヒト」に関しても小さくない問題が潜在しているのである。

何しろ、彼等の文化の中にあっては中世以来の封建身分制と言うものが未だに継続しており、その制度上、同じ「ヒト」であっても歴然たる階層差別が存在しているのだ。

その最下層にはヒトが所有する「ヒト」まで存在しており、一言で言えばそれは奴隷と呼ばれるものに他ならず、その階層の線引きは不鮮明なところも多いのだが、その総数も概ね三万は下らないと見られる今、その数の大きさから言っても軽い問題とは言い切れまい。

この場合、所有者がその所有を継続する為には、所有する奴隷たちに少なくとも日々のパンを与え続ける必要があるが、現実には避難移住の過程で収入の道を失う所有者が続出することから、その負担に耐えかねて「解放」と言う手段に出るケースが頻発すると見ており、そのことが既存の秩序を著しく毀損した挙句、社会の治安を危うくしてしまうに違いない。

一方的に解放された奴隷は最早自力でパンを調達せねばならず、誰にせよ自らの命を繋ぐ為とあらば手段など選んでいる余裕は無いからだ。

通常その奴隷たちは労働の対価として賃金を受け取っているわけではなく、各々の主人から、単にお仕着せの衣装とその日その日のパンを支給されるだけなのだ。

自然、日常的な富の蓄積など出来よう筈も無く、しかも解放にあたってなにがしかの財貨を受け取れる可能性は皆無に等しいと見ており、結局ほとんどの場合無一文で放り出されてしまうことになる。

「解放」と言っても現実には「遺棄」にも等しい構図が見えている以上、適切に対処されなければ、その全てが浮浪化した挙句、暴徒化するケースが多発してしまうだけに、ローマ人が統治機構を持っていると主張するならば、その機構はこの点においても重大な決断を迫られるに違いない。

何せ、主(あるじ)の救恤政策が求めている概念においては、その統治機構は彼等自身が構成し、且つ彼等自身が運用することによって、全ローマ人の命運を左右するほどの決断を下すべき責めを負うことになっており、必然的にそれに見合うだけの機能を持ち合わせている必要があるのだ。

だが、その機能と言う一点については、遺憾ながら疑念を抱かざるを得ないような不幸な実態が眼前にある。

何しろ、殆どのローマ人の間では、国家元首たる皇帝陛下の死亡と言う事実でさえ、つい最近になって確認されたばかりなのだ。

ときにあたり、彼等ローマ人が、自らを「彷徨(さまよ)える貧窮民の群れ」では無く「国家」であると主張するのは自由だが、かと言ってそのことを確固たるものにするためには、次代の元首を定めると共に、せめて本来の機能を発揮し得る統治機構ぐらいは持つ必要があるだろう。

現時点でもそれらしきものがあると言えばあるが、それがスフランツェスが執政を名乗るものである以上、その正当性もさることながら、とりわけその継続性に関しては悲観的な目を向けざるを得ないのだ。

何と言っても、その政権の施政方針の要がいまだにタンバ攻略に据えられていると言う現実があり、そうである以上主(あるじ)はその国家を「敵国」と看做す以外の選択肢を失い、それも、自ら望んで敵対して来る以上救うどころか排除の対象としなければならず、少なくともそのような政治状況がローマ人全体にとって最善の道に繋がる筈はないのである。

ちなみに、我が主は、スフランツェスが皇帝を殺めたこと自体は、ありふれた権力闘争の一つとして必ずしも責められるものでは無いと仰り、政治的混乱を恐れてその公表を逡巡してらしたことは確かだ。

だが、彼等親子は膨大な同胞まで身勝手極まりない理由で抹殺してしまっており、しかも一方で、決起にあたって尽力した重臣の一人がひっそりと隠れ住んでいるところまで発見してしまっている。

スフランツェスが帝位継承の儀式を控えて身辺整理に動いたのだろうが、近頃他の協力者が二人も不審死を遂げた有様を見るに至り、彼としては逃亡するよりなかったろう。

少なくともその男は、当時のスフランツェス将軍が戦艦と交わした通信内容を熟知しており、戦艦乗り組みの同胞たちが飢えと乾きに苦しみながら、必死に救助を求める叫びをその耳で聞いてしまっているのだ。

しかも、当時留守部隊を統べていたスフランツェスが、その情報を独占すべく通信室の当直者を殺害した上、同胞救助の号令を発するどころか情報の遮断を図った経緯だけは明白に知ってしまっており、親子がその直後に密かに発艦した形跡まである以上、そこから生み出されてくる想像の産物は、空恐ろしいほどのものを連れて来てしまうに違いない。

何しろ、戦艦から必死に救助を求めていた同胞たちが只の一人も帰還して来なかったのだ。

全てスフランツェスの策謀の結果であることは明白であり、山野に隠れ住んだその男が知り得る限りを周囲に語り始めている今、恐るべきその情報が広く伝播して行くのも時間の問題だろう。

何と言っても、スフランツェスの手に掛かった者は膨大な数に及んでいるのである。

その知己係累が国中に溢れてしまっている以上、彼等親子の安定的な政権運営など夢のまた夢だとして主は公表を決断されたようだが、言ってみれば、主の望んでおられるのは、ひとえに友好的かつ安定した政権に他ならない。

その政権の領袖たる者が例え誰であるにせよ、最低限会話が成立する相手であって欲しいのだ。

そうでなければ、救助しようにもその作業に要するコストが高まるばかりであり、主が一人でも多くのローマ人を救おうとなさる以上、彼等自身が一刻も早く評価に値するほどのものを具えてくれるよう期待して当然だ。

何よりも、近々主に随伴して移住先の候補地を検分して決断を下す運びとなる以上、その作業に責任を負う代表者を選出してもらわねばならず、この意味でも彼等ローマ人が安定的かつ実効ある統治機構を改めて構築した上で、責任ある意思決定をしてもらう必要があるが、翻ってこのことをスフランツェス側から見れば、その特殊な経緯から言って、政権を手放すことは命を失うに等しいのだからことは容易では無い。

現に、今もさまざまな変化が起こりつつあり、しかもいちいち激烈な変化を招くものばかりだ。

一つには、たまたま王家の里を訪ねて来た街の者がおり、総主教に直接指名を受けた者が直筆の密書まで携えて急行したことにより、聖職者たちが驚くべき真実を知ってしまったことが大きい。

無論聖職者たちにとっては最大級の衝撃であり、その結果多数の聖職者が挙ってこの地に向かっていることも確認済みなのだ。

同時にその報せを齎す者が各聖堂から八方に飛んだことにより、遠からず国中の者がその事実を知ってしまうだろうから、この点でもスフランツェス親子は巨大な政敵を持ってしまったと言うべきであり、その政権運営はいよいよ過酷なものにならざるを得ないだろう。

何しろ、その信徒で無い者などひとりもいないと言う国柄であるだけに、総主教は聖職者たちの頂点に位置すると同時に、民衆にとっても斉しく仰ぎ見るべき存在なのだ。

そもそも、その拉致監禁と言う行為自体が何のために為されたのかも不明なところがあるのだが、考えられる理由としては、当時の総主教がスフランツェスの専横をあからさまに嫌悪していたと言う事実が先ず挙げられよう。

自然その帝位継承にも断固反対を貫くものと見られており、はたまた老カラヤニスとの濃厚な人間関係一つとっても、スフランツェスの視界の中では敵対勢力の一大巨頭と映って当然なのだ。

また、拉致の行われた当時、息子のヘラクレイオスがその殺害を強く主張し、父親の方がそれを躊躇ったことも判って来ており、結局そのままずるずると監禁が長引いてしまったものと見るほかは無いが、何よりもつい先ごろまでの牢獄が日の当たる場所にあったことが、その囚人の命を救ったと言って良い。

恐らくスフランツェスが何らかの危機の予兆を感じた結果ではあったのだろうが、その囚人を一際厳重な警備態勢の地下牢に移したのは、救出の前日のことだったと聞いているのだ。

いずれにせよ総主教は、生きたままスフランツェス城から救出されてしまった。

その報せは、現政権の足元を大きく揺さぶる結果を招くに違いない。

しかも王家の里で為されたあの対決場面で、十二年前の悪辣(あくらつ)極まりないあの行為を、当事者であるヘラクレイオスが堂々認めてしまっているのである。

如何に騎虎の勢いだったとは言え、それを耳にした者が少なく無いだけに、父親がいくら叱ったところで今更手遅れだ。

そこに持って来て、この船自体が強制的に停止させられてしまっていて、搭載する小型機もタカミムスビの矢も悉く機能を失っている事実までスフランツェス自身が知ってしまっており、肝心の丹波攻略自体が事実上幻となって消え失せてしまった。

このままでは、無為のうちに居住区の滅びを待つばかりであり、うかうかすれば政権を失った挙句集団リンチにあってしまってもおかしくは無い状況なのだから、親子の置かれている状況はいよいよ深刻だろう。

殊に父親の方は善後策を講ずるためにも、いよいよ皇后の力を借りる必要に迫られ、急遽面会を求めたようだが病臥中の故を以て拒絶されてしまったと聞く。

例の対決のあらましが、既に皇后の耳にまで届いてしまっていたのだ。

その上、王宮付近に居を構える豪族たちの間にも、スフランツェスのくびきから離れ様子見に入ろうとする動きが目立ち始めており、その結果一般庶民にまで情報が拡散してしまっているらしく、王宮周辺の街路などは、きたるべき市街戦を予期してか既に騒然としていると言う。

家財道具を荷車に積んで、郊外に避難しようとする者が後を絶たないのである。

無人の家屋が増えるに連れて、大火の恐れが高まるばかりか盗賊が跋扈(ばっこ)して収拾の付かない混乱を招くだろうが、現政権にそれを鎮めるだけの力は既に無い。

付近にあるカラヤニス邸からも、留守居の者たちが大挙して立ち退きつつあるが、その行き先は彼等の主人が住まいする王家の里であって当然だろう。

何せ、もし彼等がカラヤニス城を目指したとしても、その道筋の丁度中間あたりにこの王家の里が位置しているのだから況(ま)しておやなのである。

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  1. 2008/10/01(水) 11:16:28|
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