日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 158

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さて式典を終えた少女は、一挙に二十人もの側近を引き連れて磐座(いわくら)に入ったのだが、ヤサウェの部屋は既に充分に拡張され、長椅子が左右対称に整然と並んで全員が楽々と座れるほどの体裁(ていさい)を整えており、煌々と灯りが灯り、床も壁も磨き上げられてほこり一つ見ることは無い。

入り口から入って中央の通路を進むと、正面には見慣れた石造りのベッドがあって、ヤサウェが一人黙然(もくねん)と腰を下ろして相対(あいたい)してくれてるが、少女から見れば、近頃起きた運命の大転換の全てがこのヤサウェを通じたオヤカタサマのお導きによるのである。

当然少女は無事に家督を相続したことを報告し、それが偏(ひとえ)にオヤカタサマのご尽力の賜物であるとして心からの謝意を表したが、あとに続く老カラヤニスにしても想いは同じであり、拝領の懐中電灯を後生大事に首から提げた姿で礼の言葉を言い重ねて已まない。

尤も、耳を傾けてくれる相手はヤサウェ一人であり、オヤカタサマの姿に接することは終(つい)に叶わず、代わりに強力な示唆を受けることになったが、それが移住地の選定に関するものであるだけに異存などあろう筈も無い。

ヤサウェは、新秩序が樹立された以上、候補地の検分にあたる者を早々に選抜すべしと言っていることになるが、ことは一刻を争う場合だけに凡そのところは既に目鼻をつけてしまっており、また、旧王宮などに残る美術品の保全に関して、その意義あることを強く示唆されたことにより、新帝が自ら陣頭に立つことが宣せられて、疾風迅雷の軍事行動が開始されるに至った。

何しろ、その対象となるべき品々のリストまで示されたばかりか、その全てがローマ人のネメシス移住後に齎されたもので、しかもその蒐集はオヤカタサマの手になるものだと言われてしまったのだから一刻の猶予もならないのである。

言ってみれば、全てオヤカタサマのコレクションに等しいことになるだけに、老カラヤニスなどは、耳にした瞬間血相を変えてしまったほどであり、新帝にとって初の征旅は老カラヤニスはもとより、デニスやゼノビオスを従えて空路颯爽と進発した。

真っ先に定められた標的は無論首都圏だが、敵勢の多くは既に逃げ散ってしまっており、上空に馬酔木の龍(あしびのりゅう)ばかりか数十万の部隊まで展開させて鯨波を浴びせると、残り僅かな敵勢も一戦も交えること無く悉く逃げ散ってしまうのである。

何しろ体長二千メートルにも及ぶ怪物が空を覆わんばかりであり、事前に知らされていなければ、寄せ手の方ですら浮き足立ってしまったろう。

現に、スフランツェス親子ですら逃亡し、その逃げっぷりは最早一目散と言うに相応しいが、ヤサウェの示唆に従って全て逃げるに任せ、追っ手など掛ける気配も無く、ただ、無数の巨龍がその頭上から火を吐くような眼光を放ち続けるばかりだ。

その際多少の出火騒ぎがありはしたが、それも舞い降りた秋津州軍の手によって瞬時に消しとめることを得て、新帝は緋色のマントを翻して馬上堂々の入城を果たし、数千点に及ぶ美術品を保全してその作戦目的を全うすることを得た。

宝石や貴金属の類(たぐい)とはこと違い、落ち行く敗兵にとって、絵画や彫刻などには何の魅力も感じられなかったのだろうが、その殆どが手付かずに残されていたのである。

その後王宮に本陣を布いて見せた新帝のもとには、改めて臣従を誓うものが陸続と馳せ参じたことは言うまでも無いが、この軍事作戦はほんの一時間ほどで完遂してしまっており、次の日には王家の直轄領はおろかスフランツェス領へも例に違わず龍を伴う侵攻を行って、その全てが一滴の流血も見る事無く終結し、事前に示されていたリストの中身に関しては、悉く保全することを得てのちにヤサウェの手許に引き取られる運びとなるのだ。

征旅はその後も順調に運び、押さえた拠点にはそれぞれ一個小隊を残しつつ、少女の軍旅は次第に巡察の色あいを深めながら進められ、金地に双頭の黒鷲を象った大旆(たいはい)の翻るところ、あらゆる局面で大量の服属者を得たが、中でもカラマンリス領やカンタクゼノス領に入った時などは、一軍の将として参軍するゼノビオスの面目も又一層躍如たるものがあったに違いない。

また、その巡察行に伴い各地に皇帝の名を以て高札が立てられ、居住区滅亡の見通しが改めて公式のものとなったのだが、無論その対策として一旦丹波へ避難することが大きく謳われており、移動の際に神域の果たす役割についても明確に触れられていたことから、草莽の民が一層殺到する結果を招くだろう。

混乱に備え高札付近には駆け込み相談所のような施設を設け、それぞれに一個小隊を配備した上、ローマ人女性の風貌を持たせた相談係を置いて万全を期し、やがてそれは数百箇所もの多くを数え全土に及ぶことになるのである。

従って時勢が鮮やかに変転してしまったことが一般庶民にもいよいよ明らかとなり、巷間スフランツェス親子は行方不明とされているものの、少なくともヤサウェの索敵網から逃れ出ることは不可能であり、親子にして見れば、如何に野に臥し山に隠れようとも周囲は敵ばかりと言う体たらくで、その運命もとうに窮まれりと言うほかは無い。

既に双頭の鷲の旗印に歯向かうものは存在せず、一年間の徴税停止(ちょうじ)令のこともあり、皇帝の征くところ歓呼の声を以て迎えられるに至ったのだが、その平定事業は盛んに空路を用いたこともあって只の三日で完了してしまい、果たすべき課題は次に移ったことになるが、無論それは移住先の決定と言う大仕事であり、主立つローマ人はその後の三日間を専らそのことに費やすこととなった。

先ずは移住先の地勢概要を見極める必要があるが、それが一箇所や二箇所では無い上それぞれ広大な面積を対象としており、自然その作業も大規模なものとならざるを得ず、常に千人単位のローマ人がSS六で瞬時に移動して行く。

その行き先はネメシスと地球を皮切りにその後荘園の全てに及び、丹波の胆沢城にしても最初の避難場所とされているだけに、上空間近に存分に見ることを得た上に、その模様を記録した映像は窓の月で繰り返し拝観することが可能であり、その上それぞれに関して多くの補足情報が齎される実態がある。

その情報を齎してくれる者がヤサウェである以上、判断材料に事欠くことは無い筈であり、ローマ人たちはネメシスは勿論地球と佐渡の環境が己れの棲息条件に合致し得ないことを認識した上で検討に入ったが、ヤサウェはひたすら質問に応じるだけで議論には加わろうともせず、オヤカタサマが領地を下さる相手は臣下たる新帝だけだと言うばかりだ。

結局セオドラ以外には一坪も譲る気は無いと言うことになるのだろうが、とにもかくにもその現地検分はまるまる三日間続いたのであり、しかもその間新帝と側近の者がオヤカタサマの座乗艦で過ごしたことが小さくない。

殊に、新帝が供御(くご)の役目を果たすべく懸命の姿勢を採り続け、迫水(さこみず)と名乗る秘書官の巧みな誘導もあって、最後の三日目を迎えるころには、オヤカタサマとの間に充分打ち解けた人間関係を構築出来ていたのだ。

少なくとも二人の間に横たわっていた垣根が格段に低くなったことだけは確かであり、少女は何かに付けて良く笑い、良く話し、対するにオヤカタサマの方も隔意の無い反応を示すまでになっており、自然仲睦まじい場面に頻繁に遭遇するに至り、老カラヤニスやネリッサが帝国の明日(あす)に想いを馳せながら、密かに安堵の胸を撫で下ろしていたほどなのである。

何にせよ、明らかに少女が変わったのであり、殊にそれまで抱いていた畏れの感覚が大幅に薄れてしまったらしく、オヤカタサマに対して大いに甘えることを覚え、俄かに大胆な言動が目に立つまでになったのだ。

その実例を挙げればきりが無いほどだが、最後に丹波の宮島と言うところで起きたことなどは、ある意味象徴的な出来事だったに違いない。

ちなみにこの少女は既に専用の窓の月を与えられており、その画面でさまざまな映像に接する機会を得ているが、その中には、かつて磐余(いわれ)の池の湖上で行われたと言う変わったセレモニーの映像も含まれていたのだ。

早い話が、船上の乙女が艶(あで)やかに舞いつつ巨龍を呼び寄せた儀式のことであり、かねて少女は剣舞を舞った乙女の装束に執着していたらしく、たまたまその現地入りを果たした機会に乗じ、同様の装束を纏ってみたいと言い出したと言う。

無論、願った相手はオヤカタサマであり、そばに控えるネリッサなどは肝を冷やした気配も無いではないが、案に相違してオヤカタサマは女性秘書官に命じて即座にそれを実行させてくれたのである。

その結果十五歳の乙女は、望み通りの装束に身を包んで供御のお役目を果たしたばかりか、あまつさえ黄金(こがね)造りの太刀を振るって剣舞まで舞って見せ、秘書官から御感(ぎょかん)斜めならずと伝えられるに至るのだ。

オヤカタサマにお喜びいただけたことになるのだから単純な少女は得意満面であり、しかもその席には、問題の式典に参加したと思わせる三人が当時の装束で現れ、流暢なギリシャ語を駆使して舞の手ほどきまでしてくれており、それもこれもオヤカタサマの意に沿うものと見るや、遂にはその三人を己れの身辺に侍らせるべく願い出て、オヤカタサマに承知させてしまう始末だ。

その結果、三人のかんなぎは当人の意思の如何を問わず、あっさりと皇帝の侍女にされてしまったことになるが、中世以来の封建身分制の中に生きている者にとっては違和感などある筈も無く、少女とオヤカタサマの織り成す人間模様が文字通り君臣相和し恩愛の情に満ちたものと映ったに過ぎまい。

少なくともこの間のオヤカタサマはこの上無く優しげな庇護者であり続け、最早その善意を懐疑的に見る者などいる筈も無く、果てはこの期間を「珠玉の三日間」と呼ぶ者さえ出るに至った。

中でも総主教などは命の瀬戸際から救われている身でもあり、もともと悪意の抱きようが無いところにもって来て、カラヤニスの一統やゼノビオスに至ってはとうに心酔し切ってしまっており、甚だしきは、オヤカタサマを伝説のプレスター・ジョン王になぞらえて奉る者まで出始め、その呼び名はのちに少女の身辺においてすら頻繁に用いられるまでになるのだ。

いずれにせよ、彼等にとってこの大旅行が大成功の内に幕を閉じたことだけは確かであり、さまざまな候補地の検分を果たした今、中でも丹後、但馬、若狭だけは領有と言う概念を以てオヤカタサマに対抗する者がなく、御意一つで如何なる大陸であれ頂戴することが可能ではあるものの、現実には指定された場所があることを知ったのだ。

三つの惑星の中にそれぞれ一箇所づつ指定領域が示され、それぞれの面積は概ね二百万平方キロほどだったのだが、それがかつての日本国の五倍を超える面積である以上、今のローマ人にとっては有り余る大地だ。

しかも、これ等の指定領域は駐屯軍以外全くの無人であり、移住すればその地が即座に皇帝の所有に帰すと言う話なのだが、丹波の場合だけは大いに事情が異なっており、その陸地の八割ほどが秋津州の主権の及ばぬ「外国」だと言い、方やオヤカタサマの領土には既に十億を越える人間が棲み暮らしていて、オヤカタサマの手も縛られる場合があるとされたのである。

尤も、オヤカタサマの領内には、馬酔木の山斎(あしびのしま)なる無人の大島(だいとう)があるとは言うが、それにはそれなりの理由があり、要は別途の使用目的がありそうなのだ。

一方一時的な避難場所に指定された胆沢城にしても、二の丸と称する外輪部まで合わせれば、既に数十万の秋津州人が棲み暮らしていると言うのだから、オヤカタサマの手が縛られると言う点では大同小異と言って良いが、この神域だけは全て城内に移設され、その中の王家の里以南は全て皇帝に下賜され、その中に限り皇帝の許しさえあれば全ローマ人が滞在する事を得ると言う。

無論、その領域は神域の全てでは無い。

要は結界内部の全領域から磐座を中心とする北部一帯を除外した場所のことであり、王家の里以南と言う以上、王家の里を含みそこから神門に至るまでの領域のことを意味しており、言って見れば東西二千メートル、南北二千七百メートルの範囲に過ぎず、少女の私邸としては余りあるだろうが、十万を超えるローマ人が過ごすには充分な面積とは言えまい。

まして滞在期間が長引けば不足を言う者も出るに違いないとして、その場合、ローマ人の多くが海上において船上生活を余儀無くされるだろうとされており、その意味でも益々最終移住地の決定が急がれるのだが、詰まるところ、最終移住地が、丹後、但馬、若狭の指定地の何れかに定まりさえすれば、その瞬間に余りあるほどの大地が皇帝の自由になると言う話なのだ。

目下のローマ帝国には、曲がりなりにも元老院と称する諮問機関が存在しており、そこでの議論も一気に白熱することになるが、老カラヤニスと総主教の間でも、相当数の参加者を交えて懸命の検討会が持たれ、のちにさまざな外的要因が加わることによって、国中を巻き込む論争に発展して行くのである。

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  1. 2008/12/17(水) 13:44:10|
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