日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 023

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さて、翌日の十六日に開かれた事務次官等会議はひどく紛糾することになった。

平たく言えば、新田源一という男の争奪戦になったのである。

言わば窓際族だった男の価値が一夜にして暴騰してしまったにせよ、この席で議論されるべき事柄としては必ずしも相応しいとは言えない。

それにもかかわらず、ほとんどの省庁が露骨に新田を欲しがったのだ。

無論、全ての省庁が「国益のため」であることを理路整然と主張し、この官僚を自らの所管に属せしめることこそ最も国益に適う途だと言う。

各省庁の理論武装は面白いほどに完璧なものだったが、もとより、当人の原籍がある外務省が素直に手放す筈も無く、アジア大洋州局内に急遽「秋津州課」を設置すべく検討に入り、その第一課長のポストを用意して内示を伝えることにしており、新たに秋津州課を持つことになるアジア大洋州局は、明らかに北米局を凌駕するものになると囁く者が少なく無い。

かくして、かの北米局の栄光は既に過去のものになったとして祝杯をあげる者まで出ていると言う。

この意味では、直前までの窓際族が局長コースどころか、一気に次官レースにも名乗りを上げようかと言うほどの思い切った特例人事でもあるのだ。

こういった官僚感覚で言えば、精一杯のご馳走を大皿に盛り付けて見せたつもりだったのだろうが、この内示の通達のために秋津州に連絡をとった者は、飛び上がらんばかりの驚きと苦い怒りを味合わされることになる。

なんと、当人は女性秘書一名を連れてモスクワに出かけて留守だと言うのだ。

又しても置き去りにされた形の本省の者達が怒りに震えたとき、内閣官房から新田源一に総理特使の資格をもってモスクワ入りを命じた旨の伝達があり、それも、つい先ほどのことだと言う。

今度こそは、堂々たる公務出張であることは言うを俟たない。

そして、ほとんど刻をおかずに駐露大使館からも連絡が入り、その報によれば、新田は既にクレムリンに向かったと言う。

やはり、現地大使館の者たちも、内閣官房から直接の連絡が入るのとほぼ刻を同じくして飛んできた一行には、少なからず衝撃を受けたようだ。

ことに、天皇陛下の御代理をもって任ずる大使閣下のつむじが、大分曲がってしまっているのだそうだ。

その上、内閣官房からの指示もあって一等理事官と二等理事官を強引に連れて行かれてしまったことも、閣下の自尊心をいたく傷つけてしまったのだと言う。

停戦が成ったとは言え、実質的には滅んでしまったとも言えるこの国は、未だ外交官が自由に歩きまわれるような治安状況にはないのだ。

各国公館の周辺はいまだに秋津州軍が警護を続けており、例の銀色のSS六改がクーリエ便として大活躍中なのである。

肝心のクレムリンでさえ、依然秋津州軍の警護を必要としている体たらくで、このような荒れ果てた治安の中を、あの小面憎い小男は美女を伴い、有能な大使館員を二人も拉致して平然と出て行った。

外交官としての、典雅な香りのかけらさえ持ち合わせていないあの男がである。

その上、連れ去ったのが書記官で無く理事官であったことも許し難い。

原則として、直接外交に携わるのは書記官であって理事官ではないのだ。

このことからも、一切現地の大使館には容喙を許さないと言う強い意志の存在を感じさせる。

新田の使命の中身は、果たしてどのようなものなのか、当人に聞いてみたが、「停戦に伴う処理をしに来た。」と言うばかりでさっぱり要領を得ない。

大使閣下の高貴過ぎる自尊心は、当分立ち直ることはないであろう。


さて、現実のモスクワの状況はと言えば、城壁に囲まれた内側においてすら、秋津州軍がたかだか一個小隊しか配備されておらず、赤の広場に至っては、ごく少数の秋津州兵士を見掛けるだけなのである。

だが上空の配備体制は全く対照的で、一個大隊(一千六百万)もの女性兵士が昼夜を分かたず厳戒態勢をとっており、その圧倒的な軍事力を見せつけることによって、無用の混乱の発生を未然に防いでいることは確かだろう。

尤も、近隣の建造物はほとんど無傷のまま残っており、この事自体、秋津州軍による空からの一斉侵攻が、いかに電光石火の早業だったかを如実に物語っている。

これも、ロシア軍にほとんど抵抗らしい抵抗をするいとまを与えなかったことの現れでもあったろう。


さて、肝心なのは無論戦後処理についての協議である。

それは、一郭に丸い屋根を持つロシア連邦大統領府において速やかに行われ、大筋の合意は直ぐに整った。

もっとも、新田にしてみれば協議などと言ったところでほとんど名ばかりのものであり、実際にはひたすら支援の懇請を聞くことが主であったことは言うを待たない。

首脳たちにしても、秋津州軍の庇護を受けてクレムリンに戻りはしたが、その後の始末に頭を抱えてしまっているのが実情だったのである。

その求心力はほとんど失われてしまっており、一部呼び戻した行政官たちにしても執行すべき予算を持っていない。

カネがないのである。

自国の通貨は、大統領府の言わば「つかみ金」として金庫にあるが、ほとんど通用しなくなってしまっていた。

手持ちのドル紙幣はごくわずかで、瞬間的に底をついてしまったようだ。

結局、頼るべきは大国秋津州に対する強力な影響力を持つと見られる、新田源一ただ一人と言う事になったのであろう。

ロシア首脳たちは、あたかも全能の神の前にひれ伏すような素振りさえ見せるのだ。

この場合の「神」とは、日本人新田源一と秋元京子であり、その背後に控える秋津州国王その人であることは紛れもない。

随行した理事官たちにしても、同じ顔ぶれによる以前の頭(づ)の高い対日姿勢と引き比べ、時勢の転変の妙を目の当たりにして、ただただ驚くばかりであったと言う。

一旦干戈を交え、自らその敗者であることを認めざるを得なかった者の姿が今そこにある。

その光景は、年若い理事官たちにとっても、戦争に敗けたことによって齎される結果の重大さをまざまざと実感させるに充分なものであった。

また、ほかにも理事官たちが目を疑ったことがある。

それは、新田自身の身分資格についてであり、奇妙なことに彼自身は総理特使であるとは一言も名乗ってはいないのだ。

あくまで昨日の停戦処理における仲介役として振舞っており、また相手側の視線もそこだけに集中していることも明らかで、ロシア側としては、日本の外務官僚としての新田源一を相手にしているのではないのである。

戦勝国秋津州の執政官がたまたま日本の外務官僚を兼ねているに過ぎず、それ故にこそ、わざわざ秋津州に滞在中の新田に連絡してきたのであり、望んでクレムリンに迎え入れたのも当然のことであったろう。

クレムリンの首脳たちは全能の神としての新田にさまざまに愁訴し、新田は伴ってきた理事官にその救援依頼の要綱の整理を命じ簡単なメモを作成させた。

優れた事務処理能力が遺憾なく発揮されて、いかにも重々しい「メモ」が出来上がってくる。

首脳たちの署名を確かめるや、新田は京子の通信回路を経由して国王とのごく短い協議を持っただけで、例によって時をおかずに動いた。

クレムリンの切実な懇請の中身については、電話による懇請を受けた時点で、ほぼ正確に掴んでいるつもりでいる。

一言で言って、このロシアは自力で国を保つことが出来ず、為政者は為すすべを知らない。

不幸にも絶対的な求心力を持つ王がいないために、敗戦の結果、国内が四分五裂して秩序の根幹を見失ってしまっているのである。

余談だが、かつて我が国も大東亜戦争における敗戦と言う苦渋を嘗めたことがあるが、当時の日本は、このロシアと異なり、幸いにも極めて英邁な君主を持ち得た。

天皇と言う絶対的な求心力を持つ「日本の王」をである。

この珠玉のような「王の求心力」こそが、敗戦日本を分裂の瀬戸際から救ってくれたのだ。

言うまでも無くロシアにはそれが無い。

そのため、見るも無残な混乱のみが残った。

クレムリンの威令など、まるで一片の弊履のようですらある。

先ず何よりも国内の混乱を鎮め、治安を回復させなければならないだろう。

そのためには各地の匪賊集団の鎮圧、食糧を中心とした生活物資の確保と分配、同時にインフレーションと言う名の奔馬を乗りこなし、ルーブルを安定させ、対外債務の処理と信用回復を急ぐ。

民心の安定を計り、それらの基盤の上に、政府自身が磐石の求心力を取り戻していくことこそ肝要であろう。

例によって秋津州軍の動きは素早かった。

何せ、このロシア戦線には、一個軍団五百五十兆を超える秋津州軍が投入されており、通常、これほどの大部隊を動かす場合、どんなに早くても数時間、時として数ヶ月にも及ぶ準備期間を要するであろう。

何よりも、軍の組織的な運動を確保するためには、確実な通信手段が確保されなければならず、さらには、膨大な兵站補給が的確に用意されなければ軍そのものが干上がってしまう。

訳あって新しく建設された秋津州の八個兵団は、仮に地球の裏側に即座に移動展開することを命じられても、全く困らないだけの機能を具えている上に、その独特の通信回路は少なくとも北半球に限れば、既にその全てをカバーしてしまっており、わざわざ改めて準備をする必要もない。

兵站補給や交代要員などについては、最早言わずもがなのことであろう。

秋津州軍にとっては、特段の準備を必要としない新たな作戦命令が下ったに過ぎず、当然その作戦は直ちに実行に移されていくことになる。

字義通り「直ちに」全軍が機能するのである。

既に、停戦の合意が成ったことも伝わっており、その上で、強大な秋津州軍がクレムリンの要請を受けて動いたとなると、その効果は絶大であった。

秋津州軍に挑んでも、初めから勝負にも何もならないことはとっくに判っている。

もっとも挑むも何も、徹底的な武装解除を受けてしまったために小銃一丁装備してはおらず、軍事的な衝突など初めから起こりようがなかったのだ。

まして正統な政府からの討伐命令が下り、その懇請を受けた秋津州軍が天も地も埋めつくほどの勢いで参軍しており、大規模な匪賊集団の崩壊が各地で進行していき、驚くべきことに、一時間とかからずに大方の始末が付いてしまった。

大規模な集団であっても、圧倒的な武力を背景にして、それぞれ数万トンの物資の分配を始めると見る見るうちに瓦解して行き、小規模なものに至っては、ほとんど何もしないうちに近くの秋津州軍に半ば喜んで投降し、噂に聞いていた無償の分配を求めてくる。

当然これにも対応していくうちに、一般の人々も自然に列に並ぶようになり、ロシア国内に物資の流通が回復して行った。

その後も分配を求めてくるものが多く、その者たちにも徹底的に食糧と生活物資を分け与え続け、同時に今までロシア人同士の暴行略奪行為を傍観してきた秋津州軍が、積極的に治安維持に関与する勢いを見せるようになった。

このことが、治安の回復に目に見えて寄与することになり、民衆に対する慰撫の効果を発揮し、民心の安定に繋がったことも確かだ。

何よりも、生活物資の売り惜しみ行為が、あまり意味を為さなくなったことを民に知らしめたことによる効果はすこぶる大きい。

膨大な物資が流入したことにより、やがて国内のルーブルも急速に目覚めていくに違いない。


新田の一行がクレムリン入りしてから一時間もたたない内に、メディアのSS六改が集まり始め記者発表の準備も整い、ここでも新田の一人舞台が始まった。

新田は、あくまでもロシア政府の懇請を受けて、と言う大前提を強調しながら、その財政を秋津州が強力にバックアップすることを約し、既に一千億ドルを拠出した上これを無償とすることを宣言した。

その後行われた質疑において、ロシア支援のために準備された予算枠が一兆ドル超と言うことが強調されるに及び、このニュースはたちまちにして世界中を駆け巡っていく。

この巨額のドルが、「ロシアの復興」と言う美名に一層の輝きを加え、参入を望む者が蜜に群がる蟻のように殺到する筈だ。

もっとも、秋津州軍は火薬類を全く使用していないこともあって、ロシアのインフラはさほどには破壊されていなかったにせよ、その投資額が巨大なものであることに変わりは無く、大きな材料を与えられたことにより、ほとんどのマーケットがこの一瞬で目覚めて行くことも確かだろう。

今まで稼ぎ貯めてきた外貨を、惜しげもなく放出する秋津州国王の意思は、大歓声を以って市場に受け止められたのである。

新田は、記者団の質問にも気軽に応じ、目下のところの王は、自国領土の復興の一環として利水治水事業に取り組んでおり、さらに、世界各地で進行している砂漠化現象を深く憂慮するあまり、将来的にはその緑化のために貢献したい望みを持ち、砂漠地帯を譲渡したい希望があれば、それを買い取ってでも大規模な緑化事業を行う用意があるとまで言い、この記者会見は万来の拍手を以て終了した。


しかるにこの協議には、全く公表されることのない重大な事柄が隠されていたのである。

それは、日本の対露外交にとって最も重要と思われる、北方四島の領有権の帰趨についてであった。

世に密約と呼ばれるものは数多く存在するが、今回のことも特にロシア側にとっては、露骨な論評を受けたくは無い「密約」であっただろう。

ロシア国内でも、問題の領域を放棄することには強硬に反対する者が多く、あまりに早い時期に表ざたになってしまえば、政権の求心力はなおのこと失われ、その結果、早期の国家再建を最優先課題としたい当局が、その施策執行にあたって著しく支障をきたしてしまうだろう。

新田が記者会見に於いて一言も触れなかったのも、日本の外務官僚として、いや総理特使として持ち帰るべき最大の土産が、実にこの事であったからにほかならない。

新田がロシア再建のための支援策を言わばメインディッシュとしてテーブルに並べて見せたとき、秋津州国王の最も好む食前酒としてこれを要求した結果初めて得られたものなのである。

この食前酒を抜きにしては、食卓に着くことは決してあり得ないとする国王の意思を、懐に隠し持った切れ味鋭い短刀として利用したことも当然のことであったろう。

もし、この外交を日本の外交とするならば、実に数十年ぶりに使うことが出来た力技であったのだ。

この密約の結果、数日後には四島全てのロシア人が引き揚げて行き、住民たちへの賠償の原資として、例の巨額のドルのほんの一部が使われることになるのだろう。

いわゆる北方領土には、千九百九十四年の北海道東方沖地震の影響もあり、住民の数も一万五千人ほどに減少していると言われ、仮に一人当たり一万ドルの賠償を行ったとしても、ロシア政府の負担はわずか一億五千万ドルに過ぎず、既に秋津州が拠出済みとされる一千億ドルからみれば問題にもならない。

日本人から見た一万ドルは大した価値とも思えないだろうが、今のロシア人から見れば立派なひと財産だ。

何しろ、五人家族なら五万ドルなのである。

尤も、クレムリンがどれほどの賠償を行おうとも、日本政府はもとより、秋津州国王にしても全く関知する所ではない。

いずれにせよ、北方四島のロシアによる実効支配に終止符が打たれたことだけは確かであり、しかも、直後のD二とG四による全島の再検索によって、少数の軍人の潜伏の事実が露見し、新田から通告されるに及び、クレムリンの腰を抜かさんばかりの狼狽ぶりが伝わってきた。

クレムリンが恐れおののいたことは確かで、万一秋津州国王の逆鱗に触れてしまえば、今後の国家再建の道が全く閉ざされてしまうことは明らかだ。

また、ロシア再建に対する秋津州側の意欲が本物であればあるほど、首脳たちが己れ自身の首の挿げ替えに発展することまで連想したとしても不思議は無い。

現実のロシアは、いまだ秋津州国の一地方自治領とみなすことも出来るのである。

自ら立っていくことが困難である以上、何と言われようと致し方の無い事であったのだ。

当然、この残りの者たちもロシア政府の責任の下に本国に送還されていき、ここに四島の事実上の奪還が達成されることになるのだが、この十六日の時点では未だ公になってはいない。

ただ、モスクワの日本大使館に新田個人宛てとして北京政府からの電話が頻繁に入り、大使閣下の自尊心を益々傷つけてしまったことが後々まで語り草になったと言う。

北京政府としても、ロシアがこれほどまでに手厚い庇護を得た事を知った以上、まるで秋津州の執政官のような権能を発揮している日本人に、是非とも連絡を取りたかったに違いない。

新田にしても、中国の状況についても充分な情報を持っており、彼ら首脳の心中も容易に察しがついている。

そのずば抜けて優秀な情報収集網が、シナ政府を公称するものが既に北京以外にも、その存在を主張し始めている事実を捉えていたのである。

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  1. 2005/11/02(水) 22:13:52|
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