日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 026

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さて、戦後処理の大まかな枠組みは整ったが、北部朝鮮については全く手付かずのままで、秋津州軍は相変わらずその全ての国境線を封鎖したまま黙々と物資の搬入を続けていた。

報道陣のSS六改もかなりの数が現地入りしていることから、その内側の状況についても、概ねありのままの姿が公開されていると言って良いだろう。

取材陣の行動の自由が保障され、現地住民との交流も始まっており、徹底した武装解除が行われた結果、現地には近代的な兵器類は見当たらず、報道陣が危険な思いをするようなことも見当たらない。

もっとも、彼等自身は意識してはいないにせよ、D二とG四によって密かに保護されており、彼等の内に一人の死者も出ていないのも必ずしも偶然とばかりも言えない。

この環境下で豊富な物資が次々と搬入されてくることもあり、現地には奇妙な安定感さえ生まれ始めていると言う。

基本的な生活物資が無償で配布され、それまで全く医療施設の無かった地域にまで、秋津州軍の無償医療が行き渡るまでになって来ており、この占領軍部隊が全て女性型兵士で編成されていることも、住民の不安感や反感を和らげる効果を発揮している。

ただ秋津州軍には積極的に統治しようとする姿勢は見られず、その結果住民同士の流血を伴う紛争も発生してはいたが大規模なものは無い。

占領初期に発生した大規模な匪賊集団などは、生活物資の流通が豊富になるにつれ徐々に解体して行き、今ではごく小規模の盗賊団が暗躍しているのみだ。

正当であるべき行政組織は姿を隠し、その一部が地下に隠れて、ゲリラ的な反撃を試みたのもごく初期の内だけであり、占領後一週間ほどのときが経った今では、それもほとんど沈黙してしまった。

占領軍は、D二とG四の緻密なネットワークによって、その地下の者たちの動きも全て掌握しているが無論公表はしない。

尤も、地下の戦争責任者は既に統治能力の実質性を失って、もはや単に潜伏逃亡中の身なのである。

それにもかかわらず、その在米外交官だけがニューヨーク辺りで盛んに秋津州を非難し続けているが、最近ではその声もややもすれば勢いを失いつつあるようだ。

国王は、占領地の劣悪な食糧事情と衛生環境に同情するあまり支援を続けているだけのことであり、その結果これ等の環境も劇的に好転しつつあることは、各種報道によって諸国民の知るところとなっており、その上経済難民の発生する気配の無いことも広く報道されている。

また、住民たちの行動について殊更掣肘を加えているわけではないため、政治的な意味あいを持つ難民も見かけることは無く、その行動を占領軍に封殺されたとして、メディアに助けを求める者など一人として見当たらない。

政治犯の強制収容所らしい施設などは、住民自身の手によって早期に開放されていたが、彼等が解放しようとしない収容所も一部存在し、これはいわゆる刑務所である可能性が高く、取材に当たった報道陣の手によって、この判断の正当性も徐々に裏付けられつつあると言う。

この点でも、占領軍は住民たちの判断に任せて一言も容喙しないのだ。


北部朝鮮に関して新田に取材したメディアがあり、興味深い内容が報道されて巷間話題になった。

以下、箇条書き風に要約すれば次の通りだ。

「敵が降伏の意思表示を行わないため、厳密な意味ではいまだ交戦中である。」

「国王はあくまで売られた喧嘩を買っただけであり、その結果反撃して占領はしたが、その領土を継続的に支配統治しようとは考えていないため、行政や司法が存在しない奇妙な空白空間が生まれているだけである。」

「統治とは、主権者が国土や国民を支配し、治めることを意味するが、誰が主権者であるべきかが最も重要な主題であろう。」

以上の通りだが、報道のトーンとしては極めて秋津州に好意的なものばかりで、殊に「統治」に関わるくだりの「主権者」の概念に触れ、「本来の主権者は国民であるべきで、結局国民が自ら国家を形成しかつ運営せねばならない。」として、その記事を結んでいた。

工業先進国の各メディアの論調は、概してこのような傾向にあると見て良いが、何よりも秋津州軍が報道陣の取材の自由を損なっていない上に、現地住民に対する人道的支援を徹底して続けていることが、まことに好評だったのである。

また、このことが近隣諸国の最も危惧する経済難民の発生を防いでいることも、こういった評価に顕著に影響していることは間違いない。

但し、確かに標準的な意味合いの難民こそ発生しなかったものの、全く別の意味の難民は存在した。

それは、他国から拉致されてきたと主張する人たちのことで、極めて重大な意味を含んでいたのである。

報道によればこの人たちは、秋津州軍が平壌の一画に複数設置した巨大コロニーに収容されていると言う。

この施設は新しく天空から搬入されてきたものであって、極めて近代的な設備を持ち、そこから出ていくことについての基準は非常に緩やかで、逆に入所するときにはかなり厳しい基準が設けられており、なおかつその審査の現場には複数の報道陣の立会いが許されてもいた。

しかも、そのコロニーの内外には多くのカメラの目があり、生々しい報道映像が多数発信され、そこには大方の予想通り夥しい数の日本人の姿が映し出されていたのだ。

この報に接した日本では、大騒動になったのも当然であったろう。

一刻も早く、これ等の同胞を迎えに出向くべしとする声が日本中に溢れたのである。

しかし、現地はれっきとした戦場であり、秋津州軍の占領下にあることは紛れも無い事実なのだ。

法理にこだわれば、その国を代表すべき統治機構の同意も無く、他国の人間が大挙して押しかけて行くなどとんでもないことであり、また、日本の文民が戦場である現地に、何の備えも無いままのこのこ出て行けば、生命の危険さえあり安全の保障など有る筈も無い。

その場合、文民の警護のために、自衛隊の出動を求めるべきである、とか、いや、それは憲法違反だ、などなど、他の普通の国々から見れば、もう愚かとしか言いようの無い不毛の議論が巷に溢れた。

殊にテレビ番組の中などでは、このような愚にもつかぬ議論が延々と続けられ、そのさなかに、「憲法を守るために国民が存在するのではなく、国民を守るためにこそ憲法がある。」との官房長官談話が発せられたことにより、この発言が「憲法をないがしろにする論」であるとして、又しても不毛の議論の標的となり、ますます世論は紛糾した。

しかるに、その後の内閣は一切の議論を黙殺し、毅然として行動した。

無論、総理の決断である。

国井と新田の打ち合わせの結果、救出ティームが事前に準備されていたこともあり、ティームが複数のSS六改に分乗して現地入りしたのは連休中の二十日のことだ。

早速、日本人だと主張する人たちに対する聞き取り調査が始まった。

勿論、全て秋津州軍の手厚い保護の下においてであり、関係者が移動する際には銀色のSS六改が縦横無尽に活躍して救出ティームの作業効率を格段に高め、少なくともそれは初期の間だけは猛然と進捗した。

以前から拉致被害者である旨の認定がなされていた人々が続々と発見され、百人ほどが、全ての審査をクリヤして日本人或いはその親族としての妥当性が認められ、あっさりと帰国することが出来たのである。

だが、そのあとが又おおごとであった。

ティームだけで無く、報道関係者たちまでが、各地から発掘するようにして該当者と思しき人々を連れて来てくれる。

それも五月雨式にぽつりぽつりと発見され、日本人或いはその家族だと主張する人たちが、百数十人も残ってしまったのだ。

その点この巨大コロニーは、申し分の無い生活環境を備えており、救出ティームは腰を据えて仕事が出来たようだ。

入所してくる人々には、栄養衛生面ともに充分な対応がなされ、大規模な医療施設まで揃っていることがせめてもの救いになった。

確たる証明を持たない人たちの主張についても、その裏づけ調査に全力を注ぎ、それでも百人近い人々を認定して帰国させることが出来たが、担当ティームの困難な作業は当分続行されることになるだろう。

この報道に接した韓国政府も急遽専門ティームを派遣することになり、こちらも独自の審査を経てたちまち千人ほども連れ帰ったようだ。

又、その他の国々から拉致されてきたと主張する人々もおり、最終的には十カ国を超える国が救出ティームを派出することとなったのである。


一方で国王も実に多忙である。

拉致被害者の救出ティームが旅立った二十日には、新たな物資輸送の任に就き、三つの荘園との間を盛んに行き来して、マザーや地上のウェアハウスを次々と満たして行った。

そしてその作業に一区切りをつけるや否や、いよいよインフラの本格整備にとりかかったのである。

空港・港湾・各工場・インランドデポ、或いは各村々の教育や医療施設の仕上げを急ぎ、大規模な輜重部隊が活発に作業を推し進めており、空港の着陸帯のベイトンもとうに固着し、最早重量級の軍用機の使用にも充分耐え得ることが、少なくとも国内的には確認済みだ。

通常の滑走路だけで四本、ほかに横風用のものも四本揃い、それぞれが五千メートル以上の長さが確保され、エプロンやタキシーウェイも立派に完成しており、世界にも稀なほどの巨大空港だと言って良い。

さまざまな着陸誘導施設や航行援助施設が見事に備わり、管制塔などもそれなりに立派に整っていたが、唯一整備工場に予備部品のストックが見られないのは、その都度調達してくる心算ででもあるのだろう。

もっとも、このてのストック部品は、外国の航空機の着陸を許した場合にのみ必要となるものであって、現状では全く必要はない上、秋津州の航空機は全てマザーの船団で整備がなされ、垂直離着陸を常とすることから、この空港の使用にこだわる必要など全く無いのである。

また、空港と港湾の中間に堂々たる規模を以て準備中のインランド・デポなどは、広大な保税地域と税関官署とを併せ持ち、立派な物流基地としての機能を具えていながら、秋津州の実情から言って、その全機能が発揮される日はほど遠く、とりあえず、荘園の一次産品やその他工業製品の集約出荷だけを担うことになるとされた。


九月二十二日には、戦勝後最初の国民議会が開かれ、国家基本法の策定を当分見送るとともに、王の荘園に限定した大量移民の受け入れが容認されたと言う。

国家基本法などと言うものは、古来の自然の慣習法が有りさえすれば事足りるとする意見が大勢を占め、殊更に成文化することによって生ずる弊害の方が反って大きいとしたのである。

僅かな議員によるこの議会は極めて短期間の内に幕を閉じ、法治国家たるべき道を自ら閉ざし、国王の専制を改めて追認する決議を行なったことが話題にはなったが、秋津州の民意にも正当性が無いとは言い切れない。

この決議に基づき翌日には七千ほどの民が入植し、全て新築の住居に入ったが、若者にとって何よりも大切な七人の幼い姿が、さり気なく混じっていたことは決して話題になることは無い。

首都に避難させていたごく少数の生き残りの者たちも、表向き全て合流したものとされ、やがて古代の風を残した独特の村落文化が復活していくのだろう。

なお、この時点では、未だ数万の入植者の受け入れを可能とする新築の民家が無住となっている。

また、このころには、数人の米国人女性がひっそりと入国を果たしたが、ことNBS関係者だけに限れば、秋津州の政策上その出入国の制限は非常に緩やかで、内務省の一階で簡単な入国審査を受けただけで、難なく任務に就くことが出来たと言う。

彼女たちの身分は、NBSの関連会社の契約社員とでも言うべきもので、価値あるニュースソースを掘り当て、NBS側に引き渡すことを業務としているが、その会社同士の契約は出来高払いの条件であり、挙句に彼女たちを雇った「会社」はNBS側からの収益は一切期待しておらず、一言で言えば、政府予算で秋津州に関する情報収集を行うためのダミーなのだ。

とにかく、派手な女性たちが登場して話題を蒔いたが、これこそが、タイラーが待ちわびた例のサランダイン方式の女性部隊であり、早速にその指揮下に入ることになるのだろう。

やがて第二次、第三次と次々と女性部隊が入国し、この派手やかな女性たちは、NBSの男性陣の間でも大層な評判を呼んだが、合衆国の浮沈が懸かっているとして、金に糸目をつけずに集められた選りすぐりのものばかりだ。

NBSの男性陣の目を引くのも当然で、又それぐらいでなければ、本来の任務を果たすことなど最初から無理な注文だろう。

タイラーが明細を書かずに使える予算も膨大なものであり、表の予算に到っては、スーパーパワーの面子をかけた作戦の遂行のためと称し、国防費の数パーセントを投入するほどの勢いで、チャンピオンベルトを失ってしまった米国政府には、形振り(なりふり)構っている余裕など無いのである。

この女性部隊には契約したものとは別に相応の成功報酬まで用意され、ターゲットを心身ともにゲットした場合の特別ボーナスには、一千万ドルと言う破格の金額が提示され、それもタックスフリーだと言う。

俄然、彼女たち自身も目の色を変えて戦備を整えており、さぞや激しい争奪戦が繰り広げられることだろう。

中には、本気で秋津州王妃の座を目指す者すらいると言う。

もっとも、当局としてもその程度の予算で国王を篭絡できれば安いものだ。

成功した場合の戦果は、第七艦隊を総動員しても追いつかないほどだと言う評価すらあるのだ。

通常であれば、他にいくらでも有効な手段を見つけることができるのだが、こと秋津州に関しては全て国王が采配を執っている気配が濃厚で、なおかつ国王の周辺からは全く情報が取れないと言う特殊な背景がある。

そのため、ますます若い国王本人に的を絞らざるを得なくなって来ており、愚劣と言われようがなんと言われようが、王の若い男性としての本能を集中的に攻撃する作戦が、最も効果を期待し得るものなのだ。

タイラーとしても、自分自身の散々な戦果を振り返れば、この作戦の成功に賭ける思いには切実なものがある。


さて、その後の二十六日に開かれた議会では、当分の間二十パーセントの売り上げ消費税のみとする、単純極まりない基本税制が採択されるに到り、秋津州商事から改めて税の納付が行われ、それなりに国庫を潤していることも公にされた。

この結果、その他の直接税や間接税、或は関税までもが全て非課税という事になったのである。

もっとも、税を負担すべき本来の意味の国民は未だ幼い者ばかりであり、それも七人でしかないのだ。

また、居留外国人以外、直接輸入品を購入する者などはおらず、輸入関税など大した問題とはならない。

国内産業の保護を目的とする保護関税なども、農産物を除いては全くその必要が無く、国内の農産物自体が始めから流通性が希薄である上、入植者たちのための新築の家屋には、官給の発電機と電化製品、家具調度等生活用品一式が全て揃っていて既に充分だったのである。


翌月の一日には、農村部に三万人と、ほかに軍に属するものとしての五万人が、それぞれ地上に配されて来てその任務に就き、旬日を経て、金融機関・空港・港湾・工場・インランドデポ等の準備も整い、程なく荘園の一次産品や工業製品の出荷準備が完了した。

純然たる王立と看做されている秋津州商事は、五万ものヒューマノイド群によって構成される大企業と言うことも出来よう。

それどころか見ようによっては、軍はおろか内務省までがその傘下に在ると言っても間違いではない。

秋津州軍の巨大な陣容もとうに知れており、その意味から言えば、他に類を見ない超巨大企業の誕生であると言え無くも無い。

挙句に、その収益は全て国庫と渾然一体となっており、この切り口から言えば国営企業と言えなくも無いが、全てを統括し最終決定権を持つ者と言えば事実上国王ただ一人であり、これほど不透明で腐敗の温床になりがちな構造も珍しい。

国王の行動をチェックする機能など有るわけが無い。

国王のしたいことは何でも出来てしまう筈で、それを制御できる機構も機関も全く存在しないのである。

事実は、国民議会でさえ、国民の権利を代表すべき存在として対外的にアピールすることだけが使命であり、それを除けばあっても無くてもたいした変わりは無い。

結局、内務省から発せられる公式見解では、「農村部に三万七千ほどの国民を持ち、そこから選抜された人材が公職に就き、その外に膨大なヒューマノイドを従えた国家」と言うのが現在の秋津州の姿なのだ。

首都部や各村落の金融機関や各種店舗はもとより、空港や港湾、そしてインランド・デポに至るまで全て秋津州商事の独占経営であり、二千人ほどの雇用を生み出すことにより、それが数少ない個人消費の源泉のひとつとなっている。

「国民」であると規定された者たちには、開拓予定地を含め宅地や農地などが分配され、全ての「国民」に支給された一時金が金融機関の個人口座に入ることによって、秋津州の円はゆるやかに動き始めた。

同時に当分の間と銘打って、外国人の不動産所有を全面的に禁止する措置が採られ、メディアによる批判の声も無いでは無かったが、秋津州の復興の見通しが立つまでは、多少排外的な政策を採ることも止む無しとする論調も少なくはなかった。

無論、実際の国民の総数がたった七人であることは依然として最高機密である。

この七人の幼い国民を固有の生活文化の中で立派に生育させていくことが、王のもっとも優先するところであり、その他のことは全て補助的作業でしかなかったのだ。

各村落では「若衆宿」が復活し、活発な開拓事業がその緒に就き、一部の「宿」には、利水事業の仕上げのため現地に赴いた若者が宿泊したところさえあると言う。

この分では、王が、各地の若衆宿を経巡って行く従来同様の生活に戻るのも近いと言う者もいる。

各地域に再建された教育施設や、絶えず力を注いできている利水事業などと合わせて見る限り、若者が守ろうとしている秋津州文化の原点は、どうやら自然の慣習法に立脚した教育と農耕生活にあるのかも知れない。

また、これ等村落の噂話からも、「将来王制は廃止されるべきもの」と言う若者の個人的思想が洩れて来ており、NBSの報道は極めて好意的な論調で溢れ、その思想を、強大な王権を自ら放棄し「民主的共和制を志向」するものであると決め付け、無条件に絶賛するに至ったのである。

王の周辺にこれを否定する動きが全く無いことから、その信憑性が益々高まり、工業先進国の間に大きな話題を提供し、先進五カ国会議にも少なからず影響を与えたとされるが、超絶的な国力を有する国家において、典型的な専制独裁政治が行われている以上、その独裁者本人の政治思想が、世界の行く末に与える影響は限りなく大きい。

日本を除けば五カ国会議の代表たちにしても、この論評を非常な期待を込めて受け止めたであろうことは想像に難くないのである。

まさか秋津州の実際の人口がほんの数人だけであって、その上国王以外全て幼童であることなど知る由もない。

もし世界がこの事実を知ってしまえば、国家の統治形態の如何を問わず、あまりに寡少な人口と言う現実が、立国の基盤としてはまことに危ういとされ、強硬な建国否定論が浮上していたかも知れない。

しかし、世論は荘園には少なくとも数億の民が存在すると見ており、全てその延長線上にさまざまな推測を成り立たせてしまっている。

無論、全て憶測なのである。

曰く、その民は遠い昔に大和民族の一部が、何らかの事情でかの荘園に移住を果たし、壮大な国づくりに成功した者たちの子孫なのだ。

今となっては証明することは不可能だが、その者たちの手によって太平洋上に人工島が敷設され、そこに秋津州国が建国されたのであろう。

但し、その敷設方法は未だに大きな謎であり、その謎も永遠に解けないまま、やがて時が経つに連れ、世界の七不思議の一つとして数えられることになるのだろう。

また、秋津州は日本の分家のような存在だとする見解もあり、この見解によれば、分家が本家より強大なものに成長してしまったに過ぎないとし、一般企業の子会社の場合においても、同様なケースはそちこちで見受けられると言う。

ひるがえって、秋津州で用いられている教科書などを見る限り、秋津州人の祖先は日本から渡来した大和民族だと明瞭に謳っており、それによれば、九世紀の前半この無人島に一族郎党を率いて渡ってきたリーダーは、嵯峨天皇の血脈を受け継ぐ者であり、現在の王は数えて五十二世であると記述している。

秋津州の方がこのようなアイデンティティに立つ以上、先進世界が最も重要視したことは、本家であるべき日本が分家に対してどの程度の影響力を行使し得るかであったろう。

今回の紛争の収拾に際しても、日本と秋津州が緊密に連携していたことは周知のことであったが、その過程において、日本の影響力がどの程度発揮されたかについても、様々な見方が成り立つのである。

極端な解釈では、日本が派遣した新田源一と言う外交顧問が、全ての切り盛りを主導したとする見方もあり、この解釈に従う場合、日本は秋津州の強大な軍事力と豊富な資源とを自家薬籠中の物としたことになり、それを自らの経済力と融合させた場合、日本の影響力ばかりが世界を覆うほどのものになってしまう。

また、これとは対照的な解釈もあって、全ては秋津州国王の意思と力によって成し遂げられたとする見方だ。

事ほど左様に物の見方というものは、見る人によって、或いは見る角度によって全く違ったものになってしまうものらしい。

一つだけ確かな事は、日本一国だけが秋津州との緊密な繋がりを保持していると言う一点であり、これが又他の諸国との大きな違いでもあるのだ。

その結果、先進五カ国会議においても、日本の意思を抜きにしての議論など、最早議論そのものが成り立たなくなってしまっているほどだ。

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  1. 2005/11/03(木) 02:23:50|
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