日本大好きじいさんの落書き帳

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自立国家の建設 070

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二千六年の元旦を迎え、秋津州の天は冴え冴えと晴れ渡り、暁闇の空は高々と星を浮かべていた。

凛冽たる寒気の中、若者は洞穴の祖廟に詣で新年の想いを新たにしている。

昨年は大雪の中を一人きりの参詣だったが、今年は新妻を伴っての行程でもあり、都会育ちの妻には相応の防寒具も用意し、特異な能力を用いて瞬間移動に徹し、抱き抱えていた「壊れ物」をそっと下ろしたところは、既に洞穴の中であった。

暗闇の中、「壊れ物」が心細そうに探ってくる手をしっかりと握り返してやると、もうそれだけで安心したらしく、小さくため息を漏らしている。

大切な「壊れ物」の手を引き、ゆっくりと歩を運び奥を目指す。

暗闇に紛れ今は目に留まることも無いが、左右の壁面からは三十三体の武神像と八匹の獣が鋭い視線を投げかけて来ている筈だ。

それは、かつて戦火に焼け落ちた国民議会にあった絵柄であり、婚姻の際の映像にも僅かに映し出されていたものでもある。

やがて闇に慣れた視界にぼんやりと浮かんだ祠は、せいぜい一メートル四方ほどの古色蒼然たるもので、正面のしめ縄だけが目立って真新しい。

今、浄暗に包まれ厳かに迎えてくれている祖霊は、疑いも無く自身の生存の証しであり、連綿と続くその系譜の末端にこそ自分の居場所があることを改めて思わせてくれる。

父祖代々の生きた道のりが脈々と紡がれ、そこに限り無い偶然の積み重ねがあったればこそ、初めて今の自分が生かされていることが心に沁みてくる。

自分自身の生存には何等の必然も感じられず、祖先が積み上げてきた貴重な偶然の果てにこそ、それが感じられるのである。

既に一族繁栄の道は閉ざされ、一時は絶望的な日々を過ごしたが、今は新たな生き甲斐を持てるようになった。

妻を娶り一家を構え、自分の使命はその一家を守ることにあり、そこに自分でも驚くほどの張り合いを感じ始めている。

良き友にも恵まれ、その輪の中で胸の中の空洞が満たされることも知った。

今では、身の回りに「社会」と呼べるほどのものが立派に成り立ち、自分自身がその中で生かされていると言う実感を持つに至っている。

殊に立川みどりの存在は大きかった。

当時の自分は一族を失い、生きる目標すら見失っていたのである。

日々の暮らしも惰性によって流されるような体たらくで、彼女との出会いが無ければ、精神の均衡を保つこともままならず、この太陽系第三惑星での暮らしを投げ打ち、全く違う道を選んでいたかも知れない。

それが今は、実に晴れ晴れとした気持ちでいられるのだ。

居室に戻り、身繕いを済ませ、東寄りの部屋の窓から揃って日の出を拝しながら、今日も生かされていることに心から感謝の念を表している。

思えば、狂猛な敵に襲われ、死線を彷徨うことも一度や二度のことでは無かった。

並の体であったならとうに死んでいた筈で、特別な身体能力を授かったればこそ、今日まで生き延びるすべを得たのである。

それを授けてくれたのは他ならぬ父祖代々の者たちであり、その想いがひたひたと胸に迫り、心の内が一段と洗われて行くような気がする。

父祖の霊に謝し、日輪に謝し、秋津州の天地に謝しながら傍らを見ると、新妻もまた昇り来る初日に頬を染めながら、初々しく両の手を合わせている。

今は迷いも消え、秋津州の天地はこの妻のためにも守って行くべきなのだと益々強く思えてくる。

この後の予定は、「土竜庵」でのささやかな宴だ。

これも昨年と同様だが、参加者だけは賑々しく増えた。

相伴は新田源一と二等海佐に昇進した加納大吾、それにみどりの三人で、王妃自らが甲斐甲斐しく整えるおせちを肴に杯を重ね、和気藹々と時を過ごした。

料理の腕も少しは上げたと見えて、みどりから合格点を頂戴した新妻もまことに嬉しそうである。

やがて、さまざまの品々がテーブルを賑わせたが、実は用意されたメニューはこれだけでは無かったのだ。

少なくとも新田と加納にとってのメインディッシュは、秋津州港の運河に浮かぶ漆黒の艨艟だったのである。

それは、半年前、新田・岡部・加納と言う三人の日本男子が、子供のように夢想した軍事用テストベッドであり、その設計図面を引いたのは無論日本人だ。

本来開発に要するコストは、それこそ目も眩むほどのものであったが、無論日本国の予算など一銭たりとも下りはしない。

その上、法的にも問題が無いわけでは無い。

日本から多くの技術者を王妃自身が招き、秋津州の設備を使用して、秋津州の兵器を開発させたことになってはいる。

実際に運用しさまざまなデータを収集するため、日本政府に協力を要請する形式も踏んだ。

技官や操艦要員なども数多く派遣されて来てはいたが、建艦作業はヒューマノイドの手によって昼夜兼行で進められ、驚くほどの速さでそれが成ったのである。

数日前ひっそりと進水を終えたテストベッドは、艦籍も秋津州にならざるを得ないが、全長九十メートルほどのありふれた艦影を持ち、排水量はおよそ四千トン、無論動力は永久原動機を用い理論上の航続距離は無制限、水中速力四十ノット以上、安全潜航深度四百メートルを目指した潜水艦なのだ。

秋津州から特殊鋼の提供を受けさえすれば、速力や潜航深度もより以上の数値を得られることも判ってはいた。

だが、その特殊鋼はひとしお加工が困難なものばかりで、以前から研究は怠らずにいたが、溶接一つとっても既存の方式では解決しきれない問題が発生してしまい、とてものことに、一朝一夕には目処がつきそうに無いのである。

そのためもあって、永久原動機以外は全て純国産を目指し、設計にもふんだんに新しい工夫を盛り込んだ。

採用した原動機はそこそこの出力を持つタイプを採用したが、もっとも頭を痛めたのは、付属のブラケットを固定すべき船体側の強度や靱性などにあった。

その出力を欲張って見たところで、運用後に船体構造自体が破壊されてしまう恐れすらあり、採用する原動機のタイプにもおのずと限界がある。

惜しいかな、有り余る大出力を生かし切れないことになり、この点では全ての工業先進国が歯噛みしている状況にある筈だ。

結局、基本兵装は、五百三十三ミリ発射管六本だけで、攻撃力においては劣弱なものと言うべきだが、静粛性と快速振りにおいては他の追随を許さないほどの性能を誇っており、今後の運用実証実験の経過に伴って、さらに進化を遂げて行くことだろう。

国井や新田の目論見では、環境を整え更なる発展型の導入を目指してはいるが、無論国内情勢がそれを許すとは限らない。

その国内情勢がまことに珍奇な風景を見せているのだ。

この国の自衛隊は、現実の法制度の中では、例え防衛出動の命が下った場合でさえ、各艦が個別にひたすら体を張っての「自衛戦闘」に終始せざるを得ず、れっきとした国防軍が軍を名乗ることも許されず、仮に侵略者を迎撃し積極的に打って出て敵を倒しても、殺人罪で訴追される恐れすらある。

堂々たる一国の軍人が、軍務中の行為に関して一般の法廷において一般の法律を以て裁かれるのである。

奇妙な重荷を負わされた「日本軍」は、単独で国防の任を果たせるだけの機能を持たされることも無く、常に米軍の戦略兵器に補完されているほかに、侵略軍に対抗することも覚束ない。

強力な打撃力を具えることも、有機的な艦隊運動による積極的な攻撃も許されない以上、このテストベッドにしても、何にも増して群を抜く快速と索敵能力、そして敵からの秘匿性を重視した設計にならざるを得ない。

そうでなければ、一朝有事の際に祖国を守るべき貴重な自衛官が、無駄死にを重ねるばかりだ。

また、有効な攻撃力を具えた兵器を持つためには、日々の開発研究に非常なコストを要するのだが、日本政府は兵器を他国に売り捌くことを禁じており、少量の生産に止まらざるを得ない以上、そのコストも自然割高なものになり常に国防予算を圧迫してきた。

だが、今後においては、秋津州の設備を利用することによって驚くほど割安になるのである。

秋津州には造船はもとより兵器生産に関わるハードと、優秀な技術を具えたヒューマノイドがおり、したがってそのコストは、日本にとって限りなくゼロに近いのだ。

かと言って、一歩道を誤れば肝心の技術の系譜を絶やしてしまう恐れがある。

それは、一旦途切れてしまえば永遠に失われてしまうものであり、その点はよほどうまく按分して行くほかは無いだろう。

無論国防の備えは可能な限り国産で賄うべきものであり、限りない不断の努力を必要とするものなのである。


その日の午後には内務省ビルの四階において昨年同様賀詞交歓会が催され、報道陣や煌びやかに盛装した招待客が多数顔を揃え、各国代表部の関係者なども、多様な民族衣装を身にまとい、前年と比べても一段の賑わいを見せている。

それだけ参加国が増えたことも事実だが、秋津州は依然としてそれらの外交使節団を接受する意思を示さず、国際慣行で言うところの『外交関係』には無い。

駐在する外交使節団の全てが外交官とは認められず、外交官特権など一切保持してはいないのである。

一国の堂々たる外交官たちが、単なる一個人としてしか扱われず、いざとなれば秋津州の法によって或いは逮捕され、或いは裁かれることさえあり得る。

通常、駐留する外交官に対してはその家族をも含め、接受国による保護義務が課され、不逮捕、非課税、非関税などの特権を認めるのが国際慣行なのだが、それが、この国では全く通用しないのである。

中でも、派遣国がもっとも危惧するのは、秋津州が成文法を持たない人治国家であることだ。

法が明示されない以上、異邦人にとっては違法性の判定基準を知ることは困難であり、無意識のうちに犯罪を犯してしまっている恐れさえある。

ただ現実の秋津州では、反政府的な報道をしても行政から干渉を受けることは無く、在留外国人の逮捕者など数えるほどでしかない。

なおかつ、その逮捕事由にしても穏当なものばかりで、議論の余地のあるような事例は見当たらず、具体的に批判の対象となることも無かった。

逮捕者が犯したとされる犯罪行為にしても、どの国においても犯罪と見なされるものばかりであり、今では秋津州の自然の慣習法は、その概念において極めて普遍性の高いものと評価されるに至っている。

加えて、秋津州の慣習法では「契約の遵守」を特段に重しとしていることが広く知られ、信義を重んじる国民性が特に喧伝されて来ており、かつ実際の商取引の上でも一度として諍いを起こしたことが無い。

世界のマーケットは、秋津州の信義を充分に認めつつあることだけは確かだろう。


さて、日本での一月二十日は第百六十四回通常国会が開かれる日である。

さまざまな政府案が与党総務会の承認を受け閣議決定がなされたが、一部の法案が殊に刺激的な色あいを帯びて各紙を賑わすこととなった。

「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」並びに付随法を廃する法案である。

この「特例法」は、朝鮮半島と台湾の人々に対し、ある特例条件を以て永住を許したもので、該当者はいわゆる在日コリアンが圧倒的多数を占める。

かつて大東亜戦争停戦の折り、台湾と朝鮮半島は連合軍の手によって日本領から分離させられたが、その者たちの中で「それ以前」から日本の内地に居住していてなお日本国籍を離脱した者に限って特例としたのである。

無論、彼等は「それ以前」は皆日本人であった。

詰まりこの法で定める該当者は、日本人であり続けることを自らの意思を以て放棄しながら、なお帰らなかった者たちのことを指していることになる。

日本政府は、その者たちとその子孫に奇妙な特権をさまざまに付与して来たが、その最たるものが世に言う「特別永住権」である。

法案は、この特例法並びにその付随法を廃することを謳っており、全て昨年から囁かれていた通りの展開であったとは言え、メディアを中心に轟々たる論議を呼んだ。

メディアと言うものは、元来反権力を建前として成り立っているものであり、ほとんどのメディアが世論は政府に批判的な声が多いとしたが、当然のことであったろう。

だが、この法がこれ以上存続することには如何なる意味も見出せないとする議論も無いでは無い。

現政権の意思は総理談話においても明らかであった。

「これ以上、この不正常な法律を放置すれば、一国をあずかる者として後世必ず立法不作為のそしりを免れない。」と言う。

内閣は、一国を預かる者の責務として決断し実行したのである。

同時に多少の付属法が成立したことによって、日本に滞在する外国人が、全て同等の処遇を受けることになった。

ようやく不正常な状態が解消されることになったのである。

施行は八月一日、なお六ヶ月以上の告知期間があり、今後惹起すると見られる様々な騒ぎを、ことさら大きく取り上げるメディアも多い。

一つには、「特別永住者」たちによる、不動産資産の換金の動きが益々加速する筈だと言う。

施行後は、『今までとは違い』、例え永住を許された者であっても、外国人である限り、犯罪を犯せば服役後直ちに退去強制になり得る。

今までは、この「特別永住権」を付与された者たちは、余程の重罪を犯さない限り、何度有罪判決を受けても、そのまま永住し続けることが許されていたことから、それが、如何に不条理で不公平な状態であったかが判る筈だ。

断固として帰化申請を拒み通してきた筈の「特別永住者」たちが、ころりと態度を変え、日本への帰化を求めて窓口に殺到したことは言うまでも無い。

何せ、今までは年間一万人もの韓半島出身者の帰化を認めて来た経緯がある。

だが、行政は今までのような安易な帰化を認めることは無く、韓半島情勢に鑑み慎重な姿勢を採りつつあると囁かれてはいたが、彼等「特別永住者」たちにとって、従前と異なる扱いを受けることになるからと言って、取り立てて非人道的なことが起きるわけでは無いのである。

○素行善良であるべきこと
○独立の生計を営むに足る資産若しくは技能を有すること
○その者の永住が日本国の利益に合致すると法務大臣が認めたこと

おうむね、上記のような基準を以てする審査に耐えれば良いだけの話だ。

その基準すら満たさない「外国人」の場合、八月一日以降の日本滞在を許さず国外へ退去させることになるが、当たり前と言えば当たり前の話なのである。

如何なる国家と言えども自国にとって好もしくない人物の入国や滞在を拒否する権能を有しており、まして犯罪を犯す者や、永住権を盾に徒(いたずら)に生活保護等の福祉予算に頼って滞在しようとする者などは、この審査基準に合致しないことは言うまでも無いだろう。

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  1. 2007/04/18(水) 17:51:27|
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